2005.09.25

       
【絵本】
児童文学書評2005/9月
○わらべうたとあかちゃんえほん
「ととけっこう よが あけた」「まてまてまて」
こばやしえみこ案 ましませつこ絵(こぐま社 2005.7,2005.9)
「くっついた」三浦太郎作 (こぐま社 2005.8)
「おやすみなさいのうた」いまむらあしこ作 いちかわなつこ絵 (ポプラ社 2005.9)

10年くらいまえは「赤ちゃん絵本なんて売れない」「赤ちゃんに絵本なんて」などといわれていたのに、ブックスタートが自治体で採用されるようになったら、どこの社もわれもわれもと出し始める。そのなかで、こぐま社は「しろくまちゃん」シリーズで初めて日本の幼い子どもたちの生活や実感を絵本作りに意識的に生かしてきた経験をもっているためか、赤ちゃん絵本へのアプローチのしかたも独特で、他社を圧倒しているように思える。
そのこぐま社が出した赤ちゃん絵本2種。ひとつは、のら書店の「赤ちゃんとおかあさんの遊びうた」シリーズで定評のあるこばやしえみこと、わらべ歌絵本といえばこの人という、ましませつこのコンビによる「わらべうたえほん」シリーズである。「ととけっこう よが あけた」は♪ととけっこう よがあけた まめでっぽう おきてきな♪という小さな歌をもとに、おんどりが動物たちを次々おこし、こどもをおこし、おひさまおはよう!という展開。「まてまてまて」はどうぶつたちが、まてまて〜と次々追いかけられ、さいごにこどもがおいかけられて、みんなでおふとんに入りおやすみなさい、というもの。どちらも歌というよりも、唱えうたみたいな単純なリズムとメロディーで、歌と生活をむすびつけている。今までのわらべ歌絵本と違うのは、以前のものは歌曲集(見開きで、歌詞を紹介し、楽譜をのせたもの)で、今回は、ひとつの歌を展開し手1冊の絵本に構成しているところだ。欧米にはこういう構成の絵本が60年代にたくさん作られたが、最近はあまり見なくなってしまった。絵本の言葉と歌は、とても近しいものなので、うまく構成できれば(どの歌も絵本のページめくりの展開に合うとは限らない)、絵本になるのだ。この作り方だと、どういう場面で展開していくかが、絵本作りの胆になるので、絵描きの力量が如実にでることと、やはり展開が平板になりがちになるのがむずかしい。
「くっついた」はボローニャ国際児童図書展に4度も入賞し、スイス、イタリアで絵本の出版をしたイラストレーターの絵本。わが子と過ごす時間の中から、出てきた絵本とかかれている。スイスで出版され、日本でも「ぼくは…… JE SUIS...」(ブロンズ新社)も翻訳されている。アメリカのおもちゃ作家兼イラストレーターでOrange Bookなどの絵本でも知られるマクガイアーを思わせるイラストで、クールで大人っぽい感覚のデビュー作「ぼくは……」にくらべると、「くっついた」は、デザイン的ではあるが、暖かみのあるイラストの、より子どもを意識したものになっている。さいしょは、動物が出てきて、くっついた、という2場面の展開が、ラストで「おかあさんと わたしが」「くっついた」「おとうさんも くっついた」というオチになっているところが、破調ではあるが、この絵本の一番の眼目のページとなっている。ここはビジュアルのおもしろさではなく、実際に同じようにしながら絵本を読んでもらいたい、こういう風にほっぺとほっぺをくっつけると、なんだか笑っちゃうね、という実感を伝えるページなっているから。このページがあることで、赤ちゃん絵本として成立している。
雲のうえで気持ち良さそうに寝ている赤ちゃんの表紙画が印象的な「おやすみなさいのうた」は、わらべ歌を意識しながら、新たに書かれたテキストで絵本ができている。そのため、ページの構成が意識的になり、平板さからは免れているように思える。ねんねん とんとん おころり とん、という繰り返しがかわいらしく、すうっと入ってくるリズムになっており、人も、きつねもうさぎもりすも、みんな同じ土地に、しっかり遊びながら大きくなっているのだと、絵が語りかけてくれる。わが子を目の前に歌いながら、外の他の生き物たちにも思いを馳せる、心の広がりが、他のおやすみ絵本とちがうところではないかしら。この絵本はシリーズになっており、「おそうじのうた」「ごはんのうた」と続いていく。生活の中のひとつひとつを丁寧にくらしながら、外の世界を思いめぐらすのは、大人にとっても、小さな子どもにとっても大事な時間になることと思う。
絵本を赤ちゃんに読みましょうといわれるが、まずは穏やかな声を聞かせるということなのだ。あかちゃんをあやしたり、声かけたりするのが苦にならない人は、絵本なんかわざわざ読み聞かせなくてもいい。それが自然にできない人が増えているからこそ、ビデオやテレビやCDをきかせるなら、絵本の方がまだいいでしょう、というだけ。でも、そのときも、小さな子の実感や生活に根ざさない設定の絵本は、まだむずかしいと思う。この3冊のようなものなら、おすすめ。

○その他の絵本、読み物
「たのしいホッキーファミリー、いなかへいく!」レイン・スミス作 青山南訳(ほるぷ出版 2003/2005.8)
「たのしいホッキーファミリー」が出て、10年。第2作がかかれたが、相変わらずのおとぼけぶりは健在。都会育ちの家族が田舎に引っ越して、過ごした1年を、季節にそって、そのときどきの出来事を切り取って、見せてくれる。ストーリーの組み立て方(物事の切り取り方)が10年前の作品と同じなので、比べてよんでもたのしくなっている。

「終わらない夜」セーラ・L・トムソン文 ロブ・ゴンサルヴェス絵 金原瑞人訳 (ほるぷ出版 2003/2005.8)
マグリットの絵画を思わせるだまし絵の世界を作家が読み解き、つなげていった絵本。先に絵画があり、それに流れを作って構成したのが、作家だという。さすがに自分の世界をきちんと持っている絵なので、後づけされたものでも、ある臨場感を持ってせまってくる。

「おつきさまってなあに」スティーブン・アクセル・アンダーソン文 グレッグ・カウチ絵 木坂涼訳(ソニー・マガジンズ 2001/2005.8)
月は何でできてるか?というお話はたくさんあるけれど、これはそれぞれの動物たちが月をどのように見ているかを幻想的な絵で描いている。キツネはうさぎだといい、ミズアオガは大きなマユ玉だといい、フクロウは空をくり抜いてできた窓だという。ネズミ、カエルもそれぞれの思いをかたるのだが、喧嘩になってしまい、何でも良く知っている博士に聞いてみようということになる。本に書かれた月の正体を聞いても、動物たちは納得せず、それぞれの思いでもう一度、月を見つめるのでした……。このお話の寓意をどう読み取るか、こういう展開は現代的。

「しろくまくんのながいよる」ローラ・トンプソン文 スティーブン・サベッジ絵 きたやまようこ訳 (ソニー・マガジンズ 2004/2005.7)
よるのおはなしなのに、不思議と明るい色調なのは、北極だから。リノリウム版画のぽそぽそとした肌合いが温かみ味をかもし出し、しろくまの子どもの小さな冒険を見守ります。しずかな、語りかけるような訳文が、この絵本に似合っていて、大好きなものに囲まれ、穏やかに満たされた子どもの夜にふさわしい。

「うみ Atlantic」G.ブライアン・カラス作 工藤直子訳 (フレーベル館 2002/2005.7)
科学的な説明もこんなふうに歌うように語られたら、すうっと入っていくことだろう。海はひろく、波やきりや嵐やしょっぱいにおいのもとで、ぐるっとつながっているんだってこと。擬音や詩歌をとけこませて、絵だけでなく、音や言葉で海そのものの感覚に近づこうとしている。日本語版では、海を題材にした詩や短歌、俳句などを取り入れて、より身近に感じられるように工夫されている。

「やぎのブッキラボー3きょうだい」ポール・ガルドン作 青山南訳 (小峰書店 1973/2005,8)
日本ではマーシャ・ブラウンの「3びきのやぎのがらがらどん」で良く知られているノルウェー民話をガルドンが描いた絵本。アメリカでは、こちらの方が広く読まれているかもしれない。ガルドンは動物が主人公となった民話を描くのがうまい作家だ。名調子ではあるが、日本語として現在なかなか耳にしない言葉が多く、けれん味たっぷりの瀬田貞二訳とすっきりすんなり耳に入る青山南訳。どちらを選ぶかはお好みで。トロルの描き方も好みが別れるところだろう。

「綱渡りの男」モーディカイ・ガースティン作 川本三郎訳 (小峰書店 2003/2005.8)
2004年度コルデコット賞受賞作、1974年完成間近のニューヨーク貿易センターのツインタワーに綱をはって渡った男の実話をもとにして描かれた絵本。コマ割りや片開きを効果的に配して、実話の細かなニュアンスを損なわないように展開されているのが、よく工夫されていて、おもしろいなと思った。9.11のテロで崩壊されたツインタワーのことを、このような形で絵本として追悼するというのは、どういう風にとったらいいのか、それを今考えている。

「ブライディさんのシャベル」レスリー・コナ−文 メアリー・アゼアリアン絵 千葉茂樹訳 (BL出版 2004/2005,8)
「雪の写真家ベントレー」などノンフィクション絵本で良く知られる、アゼリアンの新作。ヨーロッパから新大陸アメリカに移住した女性の半生を、一本のシャベルという視点でもって、語りだしたところにこの絵本のおもしろさがある。船の中でも、着いてからでも、シャベル一本で自分の居場所を文字どおり切り開いていった女性のたくましさを感じる。

「ランスロットのはちみつケーキ」たむらしげる作 (偕成社 2005.10)
ロボットのランスロットのシリーズ3作目。今回はお手伝いロボット犬が引き起こした騒動で、はちみつケーキが食べられなくなってしまったランスロット。でも、仲間たちに手伝ってもらって……。火山でケーキを作ってしまうというアイデアが秀逸。ケーキ作りの絵本は数あれど、これだけ大掛かりなのは見たことがありません。

「ぶっぶー どらいぶ」中川ひろたか文 山本祐司絵 (主婦の友社 2005,10)
小さな子が好きな自動車が勢ぞろい。温かみのあるイラストで描かれた車たちの存在感。実際に見る自動車と絵本の中の車たちのお話をオーバーラップさせて、楽しめる絵本。実際と絵本とを行き来することで、小さな子の認識は広がり深まっているのだと思う。

「そらをみよう」谷内こうた作(あすなろ書房 2005.9)
言葉少なな、気持ちの良い絵本。シンプルだけれど、視点を変えると、こんなに自由になれると教えてくれる。わたしは雨上がりのページが好き。あめあがり そらが みちに おちている〜このテキストと絵だけで、この絵本が描かれたのがうれしくなる。
 
「あひるのガガーリン」二宮由紀子文 いちかわなつこ絵(学研 2005,9)
くるんとまきあがったおしりの羽がチャーミングなあひるのガガーリン。ちょっとこだわりのあるあひるさんなんだけれど、おともだちができたら、ちょっとづつ変わってきて……。小さなお話3つで構成された絵本。繰り返しがいいテンポでつかわれ、不思議なおかしみがある。のびのびとして明るい絵柄がお話によく合っている。

「ルラルさんのほんだな」いとうひろし作(ポプラ社 2005.9)
「ルラルさんのにわ」が出て、15年。1990年に刊行されたこの絵本は、ああ、絵本の書き手が変わってきたなと強く感じさせたものだった。絵を取っても、お話を取っても。だからといって、いとうのような書き手が増えたわけではなく、どちらかというといとうの世界は彼一人で完結してしまったのだけれど。本作では、ルラルさんが動物たちにせがまれて本を読んであげるところからお話が始まっている。地底に入っていく冒険物語を読んであげていたら、ねずみが「その穴知ってる!」と言い出して、みんなを連れて外へ出ていってしまう。そのとき、ルラルさんが「あーあ、どうぶつたちには本のおもしろさがわからないんだ」と思うのだけれど……。実際の生活と本とがつながっていると思うことがたまにある。あー、こういうことだったんだな、と実感できる時、本はものではなく、種のようにわたしの中に根をおろした。それはひとつの本の幸せな姿だとは思うのだが、ルラルさんたちのは、それともちょっと違う。どちらも、それぞれをゆたかにしてくれるものとして同格に存在しているのが、おもしろい。でも、子どもの生活の中での本やお話というのはこういう物として存在しているのかもしれないなと思った。ルラルさんが何冊も動物たちといろんなことをして、それでも一緒にいられるというのは、彼が動物たちと同格であるからだ。動物たちの視点を得ることで、彼はどんどん自由になっていく。その姿は読者の思い込みをゆるませたり、背中をぽんと押したりもする。

「戦争が終わっても〜ぼくが出会ったリベリアの子どもたち」高橋邦典写真・文(ポプラ社 2005,7)
「ぼくの見た戦争−2003年イラク」をまとめた写真家の第二作目。子どもというフィルターをもって、世界を見始め、それを見続け、まとめることをこの人は選んだのだなあと思った。戦争が終わった後も、全然終わっていない現実があることを、写真とその文章で訴えかける。淡々と進む文章がよけいに、ことの重さを伝える。マスコミが伝えない情報がどれだけあるか、その中から、どれを選んで伝え続けるのか、しかも、子どもに向けて直接語ることの責任を本作りの側はいつも思っていなくてはいけないと思う。写真家の思いに答える本作りをした編集や出版社にエールを送りたい。

「金魚はあわのおふろに入らない!?〜アビーとテスのペットはおまかせ!1」トリーナ・ウィーブ作 宮坂宏美訳 しまだ・しほ絵(ポプラ社 2000/2005.8)
ファンタジー以外の翻訳ものがでると、どれどれと食指が動く。これは動物好きなのだけれど、飼えない女の子とその妹が主人公の物語。ペットシッターになりますという設定で、いろんな動物たちのお世話の仕方を核にして、主人公たちのてんやわんやを描くカナダの人気シリーズの1冊め。設定や家族の描き方に、芯があって、しっかりと作られた物語だなと思う。アビーはしっかりものでお勉強も良くできるお姉さん。テスは犬のまねをして過ごしている妹。家の中でも外でも犬のようにワンワン鳴いたり、ハアハアいったり。おかあさんは絵を描いたり教えたりしているアーティスト。個性的なふたりに囲まれ、わたしには何にもないって思ったり、変な妹にあたってしまったり……。ストーリーを支えるところが確かなので、あとは安心して読めるのだ。

「聖ヨーランの伝説」ウルフ・スタルク作 アンナ・ヘグルンド絵 菱木晃子訳 (あすなろ書房 2002/2005.9)
スタルクのちょっと不思議な感じの物語。日本ではあまりなじみのないドラゴンを退治した聖ジョージを主人公にしたもの。ドラゴンに向かって剣をふりおろそうとしている聖ジョージの絵は見たことはあるけれど、それとヘグルンドの描く聖人とはなんだか迫力が違う。もっとかよわく、はかなげな感じ。聖人といっているけれど、変哲もない若者が聖人となれたのはどうしてか、そこをスタルク流の想像で物語をつむぎだしています。もともとのこの物語の背景となっている歴史的な像についてはあとがきに詳しく述べられているけれど、それをしらなくても、この静かに心に残るストーリーを堪能することができる。(以上ほそえ)

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『リリィのさんぽ』(きたむらさとし 平凡社 2005.07 1400円)
 愛犬のニッキーと一緒に散歩するリリィ。穏やかでゆったりした時間。
 が、ニッキーはリリィが気づかない怖いものを見ています。
 気づかないリリィと気付いているニッキー、その対比がおもしろいのですが、どちらかが本当の世界を見ているのではなく、どちらもが真実であるのが世界なんだということを、そんなにややこしくなくストンと見せてくれます。これはやはり絵本の力。
 同じ作者の『トビィせんちょう』は、子どもの想像力の絵本化ですから、そんなに珍しいテーマではないのですが、想像から現実に戻っておしまい、ではなく想像の世界のまま、ポンと投げ出しているところが、なんともおかしくていいですね。(hico)

『あひるのガガーリン』(二宮由紀子:文 いちかわなつこ:絵 学研 2005.09 1200円)
 あひぎるのガガーリンにとって、自分とはガガーリンそのもの以外ではないのに、人間はあひるとしか見てくれない。
 これはかなり深刻な事態なのですが、それを二宮ワールドはすっとぼけて描き出します。(hico)

『戦争が終わっても』(高橋邦典:写真・文 ポプラ社 2005.07 1300円)
 『ぼくの見た戦争』の写真家からの第2弾。リベリア内戦で兵士にならされた子どもたちを撮っています。
 前作も素晴らしかったですが、今作では、忘れ去られた、または気にも留められていない国で起こっている出来事を伝えてくれているだけに、よりいっそうその価値は高いです。
 ニュースなどで知らないわけではありませんが、写真、その切り取られた表情の一つ一つが物語るものの痛みはやはり、写真ならではですし、それを写真集ではなく高橋の生の言葉と共に写真絵本として出版したことがとてもいいです。客観的に見ることなんか出来ないのですから、高橋の個人的視座がそこにあることによって(それが呼び水となって)、私たちもまた一人一人としてそれと向かい合うことができます。(hico)

『被爆者 60年目のことば』(会田法行 ポプラ社 2005.07 1300円)
 72年生まれの会田が、被爆者を撮り、その言葉を聞いていく。世代的に大きく離れた会田だからこそ、ためらいもそのままに、彼らの表情と傷ついた体と、生きてきた、生きている言葉を受け止めていく。リアルとはそのような事態を言うのだろう。(hico)

『綱渡りの男』(モーディカイ・ガースティン:作 川本三郎:訳 小峰書店 1600円 2005.08)
 建設中の二基のノッポビル。そこにロープをかけて綱渡りをした男の物語。
 実話を描いています。30年以上前の出来事故か、タイトルロゴも含め全体にシブ目の絵本。
 ノッポビルとは、貿易センタービルのことで、この絵本は「9.11」を描いた物とも言えます。
 「9.11」を描くとき、貿易センタービルが生まれた記憶まで戻る視点の立て方は正解です。(hico)

『魔術師アブドゥル・ガサツィの庭園』(C.V.オールズバーグ:絵と文 村上春樹:訳 あすなろ書房 1500円 2005.09)
 改めて言うまでもなく、オールズバーグのデビュー作。
 何も不思議はないはずの出来事に不思議を発生させる物語。それは子どもの目線にビターと寄り添いながらも、語り手としての距離も決して手放さない、この作家の腕。画の緊張感もさすが。(hico)

『終わらない夜』(セーラ・L・トムソン:文 ロブ・ゴンサルヴェス:絵 金原瑞人:訳 ほるぷ出版 1600円 2005.08)
 現実と幻想の境目をあいまいにしてしまうロブ・ゴンサルヴェスの絵に触発されて、セーラ・L・トムソンが言葉を添えた作品。
 画だけでも充分成立するわけですが、言葉はその境目を意識させることで、かえってつながりを強調してくれています。
 このあたり、画と文の表現力の違いがよくわかってかなりおもしろい出来です。(hico)

『おおきくなったら なにになる?』『ありがとうのえほん』『わたしの すきなもの』(フランソワーズ:作 なかがわちひろ:訳 偕成社 1200円 2005.11)
 60年代の絵本ですから、今ではもう誰も描けません。
 とてもシンプル。
 それぞれ、物語があるわけではなく、タイトル通りのことが、見開き画面ごとに描かれているだけです。ただそれだけです。
 画だってシンプルで裏読みなんてする必要もナシ。
 そうこれはありのままを受け入れれば楽しい絵本です。(hico)

『えほんねぶた』(あべ弘士 講談社 1500円 2005.07)
 あべがねぶた祭りに参加。制作はどのように行われたかが、あべの言葉で語られていきます。
 緊張感はあるけれど、やっぱり楽しそう。なのが、見ていてこっちも楽しい。つまりは、読者もあべと一緒に参加できるのです。(hico)

『だんじりまつり』(はまのゆか ポプラ社 1200円 2005.08)
 『えほんねぶた』が、祭りに異人が参加する興奮を描いたとすると、こちらは、日常の中にあるだんじりを描いています。
 作者のふるさとである泉州のそれなのですが、参加したいけどまだ幼い男の子を主人公に、祭りが日常の延長にある人々の世界を見せてくれています。
 部外者である私は、ドキドキとそれに参加させてもらいました。(hico)

『セミのたね』(阿部夏丸:作 とりごえまり:絵 講談社 1500円 2005.08)
 あさがおを育てるために庭からとった土の中にセミの幼虫が。
 なっちは、それをセミのたねと考えあさがおを一緒に植木鉢へ入れて育てることにします。
 この発想がまず、いいですね。セミの正しい育て方(ってあるか?)という持って行き方ではなくてね。語り手が子どもにすり寄っていませんから、最後も、感動の羽化を観察ではなく、なっちが眠っているあいだにそれは終わります。
 とてもフラットな展開がリアルです。(hico)

『そらをみよう』(谷内こうた あすなろ書房 1200円 2005.09)
 「そらを みよう」、この1テーマで絵本は展開していきます。谷内らしい、空気のきれいな静けさの中、いけにうつるそら、ゆうひのそら、あめあがりのそらと、生きている時間の愛しさが伝わってきます。(hico)

『パズエウえほん かばたろうのごちそうペロリ』『のりものごっこ』『どうぶつえほん』(のぶみ 教育画劇 850円 2005.07)
 「まずフライパンをとって」と言ったら、右の画面からフライパンの絵が外れるようになっています。で、次のページではホットケーキをはがして、さっきのフライパンに乗っけて、次ではバターを取って、という具合。
 ワンアイデアの作品ですし、ごっこ遊びなら普通のおもちゃでやってもいいと思いますが、絵本からベリっと外すのは結構楽しいです。おもちゃではなく絵本で遊べるってところがツボですね。(hico)

『やぎのブッキラボー3きょうだい』(ポール・ガルドン作 青山南訳 小峰書店 1400円 1973/2005.8)
 『がらがらどん』のガルトン版です。これはもう、絵の好みで分かれるかな。トロルの描き方はこっちのがスキ。
 訳文は、かなりフラットなので瀬田訳の『がらがらどん』ほど好みは分かれないでしょう。(hico)

『中世ヨーロッパ騎士事典』(クリストファー・グラヴェット あすなろ書房 2000円 2005.09)
 おいしそうなテーマですね。
 甲冑にページを割いていて、こんなにじっくりと見るのは初めてなので、それも博物館と違って、ゆっくり眺められるので、本物を見る迫力はないにしても、充分楽しめます。
 これで第4期が完結。次回第5期の25巻目には『写真が語るベトナム戦争』ってのがあって、待ち遠しい。(hico)

『こねずみミコの ママ、おきてあそぼうよ!』『おふろなんか、いやだもん!』(ブリギッテ・ベニンガー:ぶん シュテファニー・ローエ:え 二宮由紀子:やく BL出版 1200円 2004/2005.09)
 子どもとママのたのしいエピソード絵本ですから、展開にさして意外性はありませんが、ミコのやんちゃぶりと、ミコのブライドを傷付けないママの接し方が、当たり前のようでいて、なかなかこうはいかないよな〜と、ほのぼのしつつ感心します。これは、けれんない画の展開や構成によって強くサポートされています。
 あ、それと表紙がフカフカなのもよろしい。(hico)
【創作】
『聖ヨーランの伝説』(ウルフ・スタルク:作 アンナ・ヘグルンド:絵 菱木晃子:訳 あすなろ書房 1300円 2005.09)
 竜退治伝説をスタルクが作品化。
 ヨーランと二人の兄は、それぞれの方向に旅にでることに。「心の声のひびくままに」という父の教えに従い、ヨーランは旅先で人々を助けていきます。最後にたどり着いた町では、権力と引き替えに、竜に生け贄を捧げる王が。皮肉なことに今度の生け贄は王の娘。さしたる武器も防具もないヨーランは心の声のひびくままに助けに向かったのですが・・・。
 なめらかな物語展開、暖かなラスト、スタルクの真骨頂。
 こうゆうので、物語の楽しさを知るのですよ。(hico)

『ガイコツになりたかったぼく』(ウルフ・スタルク:作 はたこうしろう:絵 菱木晃子:訳 小峰書店 1200円 2005.05)
 スタルクの自伝的短編集。
 どぼけた味わい、子どもの視線から見た大人の描き方、巧いです。
 2作が収められているのですが、「スカートの短いお姉さん」は、スタルクの文学に目覚めし時ってお話しで、特に興味深いですよ。(hico)

『ダイエット 10代のフィジカルヘルス3』(石垣ちぐさ・本間江理子:著 大月書店 1800円 2005.09)
 10代のメンタルヘルスの日本状況版でもあるこのシリーズ、前作『おしゃれ&プチ整形』がいかにも日本の風景であったのに対して、今作はダイエットというインターナショナルな問題を採り上げます。
 描き方はストレート。様々な無意味な「ダイエット」と呼ばれている方法の効果のなさを指摘したり、思春期を再確認してもらったり。
 この真っ当さでいいと思います。
 こうした情報を、必要なとき10代が受け取れる環境が欲しい。(hico)

『青春のオフサイド』(ロバート・ウェストール:作 小野寺健:訳 徳間書店 1800円 2005.08)
 女性教師と恋に落ちた「ぼく」の物語。時代は戦後、お題目の「道徳」がまだ機能しているイギリスの田舎町。もちろんそれは密やかに進展していきます。
 スリリングな成長小説としても充分おもしろいです。設定は、それほど新味はありません。けれど、「ぼく」の心をこれでもかと丹念に描き込んでいくウェストールの筆力、というより作家根性かな、それはさすがにすごいです。
 そして、『かかし』や『海辺の王国』や『機関銃要塞〜』の作家の作品として読んでみると、意味のない慣習や制度への否定的姿勢や、マッチョな仕草や、女性へのあこがれと嫌悪など、ウェストールの顔がよく見えてくる作品です。
 これが発表された年に亡くなっているのですが、もっともっと読みたかった。(hico)

『スキ・・・』(ミンヌ:作 ナタリー・フォルチェ:絵 森絵都:訳 くもん出版 1500円 2005.08)
 「絵本」で採り上げた『わたしの すきなもの』(フランソワーズ:作 なかがわちひろ:訳 偕成社 1200円 2005.11)の年上現代版です。時代が新しくなると、これだけ微細な気持ちの表現が必要になるのがよくわかります。それは年齢が高いせいではなく、情報量のたかの違いです。
 宣伝文句のようですが、キュートでいて、しっかりとした視線で描かれています。(hico)

『よこづなになったクリの木』(稲本昭治:作 大社玲子:絵 文研出版 1200円 2005.09)
 表紙から設定まで、イマドキにしては古いものです。だからといって、いらない物語かというとそうでもなく、気持ちが集まれば何かが出来るという、シンプルかつ普遍のテーマを扱っています。
 古くからあるクリの木。それで遊んでいた主人公は怪我をしてしまう。そのために、行政サイドが木を切ることを決める。切って欲しくない主人公は、夜中にこっそり、木の幹に「きらないで」という札をぶら下げる。と、それに共鳴した色んな人々が・・・・。
 たくさんの人の札を結ぶための紐が重なって相撲の横綱のように見えるところから、タイトルは生まれているのですが、それが古い。
 悪くない物語を、今の子どもに届けようとするなら、絵も含めてもっと工夫が欲しいです。(hico)

『こうえんどおりのようふくやさん』(堀直子:作 神山ますみ:絵 小峰書店 1000円 2005.08)
 なかなかお客さんの来ない洋服屋さん。と、女の子が現れて、洋服を注文。それは妙に胴が長い、シッポのような物がついた奇妙なコートなのですが・・・・。
 そうか、やっぱりそうなんだな〜というラストへと続いていく展開ですから、意外性はありませんが、この安心感は読み終えたときの満足感を保証しています。(hico)

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 子どもの頃、学校行事で「絵画鑑賞」へ出かけたことが何度かあります。美術館に入ると、いつもの騒がしさはどこへやら、緊張しながら建物の中をゾロゾロ歩いていました。どうしておとなしくなってしまったのかというと、絵を前にして、どんな反応をしていいかわからなかったからです。見たままを感じ取ればいいのだと叱られそうですが、感じ取ったことを言葉にするのは難しい。
 そんなとまどいは一切必要なく絵と出会えるのが、『名画のなかの世界』(ウエンディ&ジャック・リチャードソン:編 若桑みどり:日本語版監修 森泉文美:訳 小峰書店 全六巻 各二千五百円)シリーズ。
 一巻ごとにテーマが設定してあって、それに即した絵が二〇点ずつ集められています。様々な見方ができるはずの絵を、ここでは視点を一つに絞って眺めてみるのです。例えば「食べ物」編だと、ミレーの「落ち穂拾い」から始まって、二世紀の漁を描いた宗教画に飛んだかと思うと、二十世紀のスイカの絵が出てきます。古今東西を一気に走り回り、まるでジェットコースターに乗っているような気分が味わえます。普段あまり考えたこともない、人間と食べ物の関係が、こんなアプローチをすればよく見えてくるんだなあと感心していると、あれれ? いつのまにやら、絵のおもしろさがわかってきたような・・・。 読売新聞2005.09.05(hico)
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 時は紀元前四千年。悪霊が宿っているクマに父親を殺された少年トラク。このままでは、氏族全体に被害が及んでしまう。彼は父親の遺言に従って、精霊の森を探す旅に出る。相棒は生まれて間もない子オオカミのウルフ。一時期オオカミに育てられたトラクは、ウルフの言葉がわかります。そして、ウルフの本能だけが、精霊の森へと導いてくれるのです。果たして、トラクとウルフにはどんな困難が待ち受けているのか。
 『オオカミ族の少年』(ミシェル・ペイヴァー:作 さくまゆみこ:訳 評論社 千八百円)は、時代設定が時代設定だけに現代の私たちから見れば、クマとの戦い以前に旅そのものが冒険の日々。食料はどうするのか? 倒した獲物は肉や臓物を食料にするのはもちろん、皮や爪に至るまで、どう利用するのかも細かく書かれています。自然からの贈り物を無駄なく使わせてもらうという、現代にこそ大切な考え方が物語の中にちゃんと織り込まれているわけ。
 なんと言ってもトルクとウルフの心が徐々に通い合う様子が楽しい。人間のトルクと違って、オオカミのウルフは旅の間にどんどん大きくなっていきます。だから物語の最初はトルクに守られていたウルフも、最後にはトルクをリードしていくようになる。つまり、人間と動物だけど、主従関係ではないのです。あくまで二人(?)は、旅の仲間。それって、とっても心地いいと思わない? 読売新聞2005.09.19(hico)
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『デルトラ・クエスト』(全八巻 エミリー・ロッダ:作 岡田好惠:訳 岩崎書店)

 デルトラ王国は、かつて影の大王に支配されかけたのですが、七つの部族が所有する七つの宝石をはめ込んだベルトの力によって、それを阻みます。以来ベルトはデルトラの王の象徴となる。即位の時、王はベルトを腰に巻く儀式が掟として伝わっています。が、本当はそうではなく常に身につけていなければベルトは効力を発揮しないのでした。新しい王の幼なじみジャドーは、そのことを進言しようとしますが、実は影の大王の部下であった主席顧問官の陰謀によって、謀反人にされてしまいます。何とか城から逃げのびたジャドーは鍛冶屋となって身を隠す。やがてデルトラ王国は影の大王に支配され、ベルトの宝石も奪われ、どこかに消えてしまいます。時は流れ、鍛冶屋の息子リーフは、臆病者だと思っていた父親ジャドーから、真実を知らされます。そしてリーフは、デルトラ王国を影の大王から取り戻すため、事故で足を悪くした父親の代わりに、失われた七つの宝石を見つけ出す冒険の旅に出ることを決心する。手がかりはたった一枚の古びた地図だけ・・・。
 この物語の段取りはとてもシンプルです。宝石のありかを探し出し、それを所有している魔物や幽霊と戦い、奪い返していく。トパーズ、アメジスト、ダイアモンド、エメラルド、ラピスラズ、ルビー、オパールと、宝石ごとにその戦いを繰り返す。これだけです。物語がそこからはみ出し思わぬ方向に進んでいくことは決してありません。ですから、様々な出来事に巡り会って、主人公がしだいに成長していく様や、奥深い人物造形などを期待すると、がっかりしてしまうでしょう。
 だからといって、デルトラ・シリーズはつまらない物語ではありません。これは、読後の余韻を求めるのではなく、読んでいるその時間を楽しく過ごせればいいタイプの物語なのです。
 それぞれの宝石が隠されている場所や、奪い返すときの戦い、謎解きなどはほどよく工夫されています。一巻目「沈黙の森」では、鎧を着た戦士が持つ剣のつかに目的のトパーズがはめ込まれています。彼が独り占めにしようとして守っているのは、永遠の命を与える蜜を出す百合の花です。騎士は花が咲くのを延々と待っているのですが、その間に肝心の肉体は滅び、魂だけが鎧に宿っていたことが最後に判ります。これはなかなか皮肉な話です。だからといって、それを知ったリーフが命や人生について考えたりする描写があるわけではありません。そうしたことを考えるか考えないかは読者である子どもたちに任せています。物語は、こうして一つの宝石を取り戻せたと語るだけです。
 リーフが持っている地図に描かれた宝石が眠っている場所は、一巻ごとに消されていきます。リーフが宝石を一つ手に入れたとき、読者である子どもは、本を一冊読み終えるのです。つまり、目的の達成感が、とても分かりやすい。それがこのシリーズの楽しさです。
徳間書店2005.08(hico)