2005.11.25
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【絵本】 『ぼくのえんそく』(穂高順也:作 長谷川義史:絵 岩崎書店 2005.10 1300円) 風邪を引いてえんそくに行けなくなったぼく。でも、気持ちは行くぞ! ということで、今にも雨が降り出しそうな空も、ぼくの「気持ち」が晴れにする。 画は横に縦にと見開き上に自由に飛び回り、文もそれに呼応します(逆かな)。長谷川の画の奔放なセンスや膨らみが良く生きています。 そう、「気持ち」が上手く描かれているのです。(hico) 『ふようどのふよこちゃん』(飯野和好:作 理論社 2005.10 1200円) ああ、もうタイトルで、飯野の勝ち。 ふよこちゃんはふようどの一番下の女の子です。ああ、すごいことだ。 このノリだけでOKなのですが、里山、農村風景が、変わっていき、農薬が使われ腐葉土があまり使われなくなりと、押さえるところはちゃんと押さえてあります。 けっこう腐葉土好きの私としては、ふよこちゃんがとてもかわいいのだ。(hico) 『ふゆのまほうつかい』(ジュリー・モックス:さく 代田亜香子:やく 小峰書店 2004/2005.11 1300円) イギリスで2004年Best of Illustrationを受賞した絵本。 雪が降り、その幻想的な風景の中で遊ぶ子どもの姿。冷たそうですが、心は温まる。静かな白い世界に子どもの声がしそうです。 ただ、この画がBest of Illustrationというは正直驚きました。イギリスでは新鮮な画に見えるのかな〜。ふしぎ。(hico) 『ちびうさ いえで』(ハリー・ホース:作 千葉茂樹:訳 光村教育図書 2005/2005.11 1400円) まいごになったかと思ったら、今度はいえでです。ちびうさは忙しい。もっともまいごと違って今回は自覚的ですから、やっぱ成長しているのですね。 色んな「大冒険」をちびうさと一緒に楽しみます。ちびうさは必死なんですがね。 最後はもちろん幸せな結末。(hico) 『ゆきがふったら』(レベッカ・ボンド:さく さくまゆみこ:やく 偕成社 2004/2005.11 1600円) 『あかちゃんのゆりかご』のレベッカ・ボンド最新訳。 雪が降り、除雪車がそれで山を造り、子ども達が遊ぶ。 たったそれだけのことなのに、暖かな気分になるのは、画の力。寝ていた子ども達が起きて、遊ぶために気合いを入れて服を着るところからもう、ワクワクしてきます。併せて訳文のリズムがスキップさせてくれます。(hico) 『まいごのマイロ』(大島妙子 あかね書房 2005.10 1300円) こわがりな子犬のマイロはいつも母犬のそばにいるのですが、ある時迷子になります。どうしていいかわからないときに、ヘンな生き物の子どもに会って一緒に遊ぶ。ヘンな生き物(かいじゅう)の子どもは呼び声で母親のもとに帰る。それを見たマイロも元気になって、帰り道をさがす。 シンプルな展開ですが、「帰れない」で嘆くことから「帰りたい」に変わり、「帰ろう」へと至る意志力開花の道筋は、子どもにも大人にも分かりやすく楽しい。(hico) 『小さな 小さな おとうと だったけど』(高橋妙子:作 山本まつ子:絵 あかね書房 2005.10 1300円) 突然死(SIDS)をテーマにした作品。 五歳になった男の子は、新しく家族になる弟を心待ちにしていますが、亡くなってしまいます。残された家族の痛み、ぎくしゃくし始める両親に不安を抱く「ぼく」。そこからの再生までを描いています。 残念ながら当事者以外はまだなかなか余り関心を持たないSIDS。もっと知られることが、なにより力となるのです。(hico) 『おひさまえんの さくらのき』(あまんきみこ:作 石井勉:絵 あかね書房 2005.10 1300円) 入園式のあと園に行きたくなくなった女の子。おばあちゃんが話してくれます。昔、同じような女の子がいたことを。 それは、おばあちゃんの娘、女の子のお母さんのことです。 子どもの不安を柔らかく包んでくれる物語。(hico) 『おもちぶとん』(わかなべゆういち あかね書房 2005.10 1000円) あはは。おもしろい。 それ以上言う必要もなし。 あはは。(hico) 『子どもとよむ日本の昔ばなし(かさじぞう)』(おざわとしお:ぶん しのざきみつお:え くもん出版 2005.11 450円)『子どもとよむ日本の昔ばなし(いっすんぼうし)』(おざわとしお:ぶん たしろさんぜん:え くもん出版 2005.11 450円)『子どもとよむ日本の昔ばなし(花さかじじい)』(おざわとしお:ぶん ふくだいわお:え くもん出版 2005.11 450円) 日本の昔話は、昔話であるからして子どももみんな知っていると思うのは、近頃では間違いで、案外知りません。だから悪いとも思いませんが、基礎知識としては知っておいても悪くありません。 これなら手軽にシンプルに、どうぞ。(hico) 『チリとチリリ まちのおはなし』(どい かや アリス館 2005.11 1200円) 読めばなんとなく幸せになるタイプの絵本。シリーズ3作目ですから、物語のリズムもおなじみとなり、チリとチリリの世界を堪能できます。(hico) 『かくれんぼ(たくさんのふしぎ249号)』(岩瀬成子:文 植田正治:絵 福音館 2005.12 700円) 植田の写真に「かくれんぼ」というコンセプトで岩瀬が文を付けている(という順番かはわからないけど)。 写真は別にかくれんぼをしているものではない。それを「かくれんぼ」で読み解くと、別の顔が見えてくるわけ。一見普通の写真にドキドキしてきます。 うまい。(hico) 『クリスマスをめぐる7つのふしぎ』(斉藤洋:作 森田みちよ:絵 理論社 2005.11 1100円) クリスマス物です。 斉藤洋の腕の見せ所。いきなり、「サントクロースはパパ?」ときました。そうじゃないよと、教えてくれます。(hico) 『だれも知らないサンタの秘密』(アラン・シノウ:さく 三辺律子:やく あすなろ書房 2004/2005.11 1500円) クリスマス、サンタがプレゼントを持ってくる。というだけで楽しい時代もありましたが、今はそう、サンタ達は何者なのか、あの衣装の中はどうなっているのか、ちゃんと知りたいのです。ちゃんと教えてくれるのがこの絵本。これを読めばサンタが身近になります。身近になるとサンタのありがたみがなくなる? それはあなたの想像力しだいです。(hico) 『チビねずくんのクリスマス』(ダイアナ・ヘンドリー:作 ジェン・チャップマン:絵 くぼしまりお:訳 ポプラ社 2005/2005.10 1200円) チビねずシリーズのクリスマス版です。 初めてのクリスマス、初めての雪。チビねずくんの興奮が真っ直ぐ伝わってきます。 子どもの恐怖感は美味く描けていて、大人にサポートされる安心感もほんわかと。 こうした展開は子どもが安心するためか、大人がそう思いたいためか? ってことをいつも思います。(hico) 『ちょろちょろかぞくの あがります』(木坂涼:さく 大森裕子:え 理論社 2005.11 800円)『ちょろちょろかぞくの のばします』(木坂涼:さく 大森裕子:え 理論社 2005.11 800円)『ちょろちょろかぞくの ひらきます』(木坂涼:さく 大森裕子:え 理論社 2005.11 800円) 言葉と体のリズムを考えている木坂の幼児絵本。「あがります さがります」「のばします まるめます」「ひらきます とじます」。ただそれだけが繰り返され、様々な場面での「あがります さがります」「のばします まるめます」「ひらきます とじます」が大森の画で描かれます。ただそれだけなのですが、登場する生き物たちの動作と声に出してみる言葉が共鳴すると、呼吸しているだとか、生きているだとか、普段気にも留めないことが意識されてきます。子どもが画面を見ながら同じ動作をして楽しむといった使い方もできるでしょうし、動かず呼吸をためて、言葉の力を確認してみることもいい。(hico) 【創作】 『ぼくのプリンときみのチョコ』(後藤みわこ 講談社 2005.11 950円) 春彦と真樹は幼なじみ。真樹が市立の通っているので学校は別々。真樹は両親がドイツに行った関係で今晴彦の家にいる。 ある日晴彦は同じ学校の志麻子を誘ってテーマパークへ三人でデート。いつも晴彦からマキ(真樹)のことを聞かされている志麻子は、マキを女の子だと思いこんでいたので付き人気分。本当は晴彦が好きなんだけど・・・。が、マキは男の子、しかも美形。晴彦は晴彦でマキと志麻子がお似合いのカップルなもので、なんだか居心地が悪い。幼なじみのマキは好きだし、志麻子のことだって・・・、あ、どっちが好き? マキと志麻子は100万人目の入場者となり、係の人も二人をカップルだと思うし、でも、志麻子は晴彦のことが好きだし、いつも晴彦と一緒にいるマキがうらやましい・・・。 100万人目の記念イベントは、願いを叶えてくれること。もちろんそんなのウソだと思う。志麻子の晴彦への想いをさっした真樹は「ぼくが志麻ちゃんだったら・・・」と書く。志麻子は志麻子で「真樹くんになりたい!」と。 願いが叶ってしまったらしく、志麻子のふくらみ始めた胸が真樹の胸に、真樹の男の子の胸が志麻子に。事情がわからない晴彦は、真樹の胸に気づき、体が勝手に反応してしまうのだった。 真樹に勃起してしまう晴彦は、自分は真樹を好きだというのですが、真樹はぼくではなく志摩ちゃんの体の反応しているんだと指摘。といった辺りの鋭い分析もちゃんと入っています。 初恋物語にBLをふりかけ、ジェンダーへの視点も盛り込んだ、でもエンタメの基本もしっかり押さえた出来の良いストーリー。 プリンとは乳房、チョコとは勃起したチンチンのことです。(hico) 『いつもそばにいるから』(バーバラ・パーク:著 ないとうふみこ:訳 求龍堂 2000/2005.10 1200円) だいすきなおじいちゃんスケリーが、アルツハイマーとなり、それをどう受け入れていくのか、受け入れることができるのか、ジェイク少年の心の動きを描いています。 また、癒し系かよ。と思って読み始めたのでですが、そして確かにそうして売り方もなされていますし、それでなにが悪いとも言えない(単に私がうんざりしているだけで)のですが、この物語は簡単に「号泣」などさせてはくれません。というのは、ジェイクの痛みが、とまどいが、うんざりが、愛おしさが、かざることなくストレートにあがかれているからです。それらを受け入れ咀嚼しないことにはこの物語を読めませんから、号泣なんかしている暇はないのです。(hico) 『炎をもたらすもの ファイヤーブリンカー01』(メレディス・アン・ピアス:作 谷泰子:訳 東京創元社 1985/2005.07 1900円) ユニコーンが主人公のファンタジー。 彼らはワイヴァーンに彼の地を追い払われたという神話があり、いつかファイヤーブリンカーと呼ばれる英雄が現れ、ワイヴァーンに打ち勝つと信じています。 王子コアの息子ジャンは、好奇心旺盛で、腕白。であるためか、用心深い父からたびたび叱られます。父に失望されているという思いはジャンの心を重くしています。それでも、ジャンは、掟からはみだしてしまいます。 群れから離れたジャンは、自分達の世界、自分達の価値観と、外の世界は違うことを身をもって知っていく。パンにはパンの、ワイヴァーンにはワイヴァーンのそれがあることを。 自分の所属する社会を相対的に眺めていくことで成長していくジャンの姿は、正統派の物語の面白さそのものです。 神話動物を使ったハイファンタジーかと思いきや、物語の終わり頃、どうも人間らしいものの存在がちらつき始めます。この先どう展開しますやら。楽しみ楽しみ。(hico) 『レベル4』(アンドレス・シュリューター:作 若松宣子:訳 岩崎書店 1994/2005.09 1500円) コンピューター&ゲーム好きの少年ベンは、新しいゲーム『子どもたちの街』に夢中。レベル4まで行きたいのだが、レベル1で何度も失敗してしまう。 ある日、両親がいない。外を見ても車は走っていない。いや、大人がいない! 友達とも連絡をとるけれど、どうやらそれは、どこでも同じらしい。 ベンは気付く、これはゲームと同じ状況だ、と。『子どもたちの街』・・・。 子どもたちだけで、レベル4まで達しないと、ここからは抜け出せない。しかし、大人のいなくなった世界で、悪ガキのコーリャは、ボスになろうとたくらんでいた。そして、15歳になると、世界から消えてしまうこともわかり・・・。 大人は必要かどうか? でもこのままの『子どもたちの街』では、15歳で消えてしまうこと。冒険を絡ませながら、そうしたかなり基本的な問いかけがなされていきます。 魅力的な設定ですが、ゲームが単純すぎます。レベル1をクリアするまでに多くの時間が割かれ、あとは一気です。この辺りの割り振りがうまいっていればもっと説得力があったのですが。続編もあるようなので、期待します。(hico) -------------------------------------------------------------------- 庄司なぎさ十一歳。パパは単身赴任で不在。ママはパリで怪我をしたおばあちゃんの介護で帰国できません。自宅に一人取り残された彼は、三反崎おばさんの家にお世話になることに。 今、主人公の名前が「なぎさ」と聞いて、男の子だと思った? 女の子だと思った? 答えは男の子。 『おれとカノジョの微妙Days 』(令丈ヒロ子 ポプラ社 八八二円)は、おもしろおかしいユーモア小説ですが、さりげなく大事なことを語っています。 美少年のなぎさくん、三反崎家にやってきたとき、女の子だと思われてしまいます。訂正しないといけないとは思うのですが、おばさんの家は母親と三姉妹の家族で、大の男嫌いらしい。ってことは、自分が男の子だとばれたら、家を追い出されるかも知れないと思ったなぎさくん、なんとそのまま女の子のふりをし続けます。 ここからは、三反崎家の人たちの誤解と、なぎさくんの秘密のせいで起こる、ドタバタが展開していきますから、大いに楽しんでください。 でね、そんなお話しだから、なぎさくんは、女の子は男の子にどう見られて傷ついているかや、女の子だけが共有している秘密なんかを知っていくわけ。女の子の視点で、世界を眺めるのです。つまり相手の立場から物事を考えるようになる。 男の子にこそ読んで欲しい物語。(読売新聞2005.11.14)(hico) -------------------------------------------------------------------- 【時評】 あたしの世界は、どうやら再生しはじめたらしい。 ひこ・田中 住んでいる集合住宅のエレベーターで下に降りていると、九階で小さな男の子を連れた母親が乗り込んできました。少し肌寒い日。男の子は半袖姿。 「やっぱり、子どもは元気やね〜」 と顔見知りであるその母親に話し、確か五歳の男の子にも笑いかける。 「でも、ズボンは長いのをはかせているんです」 「どうして?」 「転んでけがをするので」 「は〜、なるほど」 ありがちな会話。一階で親子はエントランスの方へ、私は裏口へと別れる。先に歩く母親。が、男の子は立ち止まり、上を向いて私に、 「ぼく、けがしてもいたくない」 と言いました。 なるほど。 彼は、半ズボンをはかせてもらえないことへの不満か屈辱感があり、そのうえで頭越しの「大人」の会話に腹が立ったか、傷ついたかしたのでしょう。笑いかけはしたけれど、確かに私は彼の前で彼を抜きにして、彼の服装(プライド)にかかわる話を母親としていたのですから。 子どもであることの不自由さ。 忘れていたことを思い出しました。 さて、児童文学。 何かもう一つ自信が持てないアキラ。唯一自信があったサッカーで、新任先生の前でエエカッコウしようとしたが見事失敗。家では、おしゃまな妹にやりこめられっぱなしだし、母親の小言に反発する気力もなし。 だからアキラは、なんとなく、ついつい、でしょうが、「もう何もかもが、どうでもよくなっていた」。 そんな設定からスタートする『あぶくアキラのあわの旅』(いとうひろし 理論社 千五〇〇円)。そこから物語がアキラをどうするかといえば、泡にしてしまうのです。落ち込んでいるアキラは風呂場で体を洗うのですが、そのとき使った見慣れない竜の模様の石けんがくせ者。あらら、体が泡になってしまうわけ。 泡になったアキラは、風呂場から母親によって洗い流されてしまう。下水道でドブネズミのハラヘラシに救い出されます。再び人間に戻るための術を教えてくれるらしい、カエルのソコナシばあさんの依頼を引き受ける。それは、竜(と言われているが、ただのヘビかもしれない)のドラドンから緑のレインコートを奪い返すというもの。相棒は、ハラヘラシと、謎の多いモグラのオオブロシキ。冒険物語が始まります。 動物たちのネーミングの仕方や、登場人物(動物)個々が抱える暗部、そして敵となるクマネズミのネコノツメのエピソード(個と組織)など、どうしても先行作品『冒険者たち』(齋藤惇夫)や『ひげよ、さらば』(上野僚)を想起させてしまうけれど、この物語を特徴立てるのはそこではなく、泡となるアキラ(子ども)です。 アキラの体は泡ですから冒険の間に何度もバラバラになったり、ちぎれたりします。それは一見、おもしろおかしい設定のように思えますが、次のような記述を読むと、単にそれだけではないようです。 「アキラは、痛む体をくねらせながら、あわを拾いだした。ひとつひとつ、体全体で抱きこむようにして集めた。あわはすぐにくっついて、その度に痛みは減っていく」 つまりは、この物語の中ではバラバラになったり、ちぎれたりすることは、おもしろおかしいわけではなく、痛いのです。 泡になったからこそ描かれるこの事態は、身体のパーツ化や、アイデンティティのとりとめのなさといった、現代の子どもが抱える意識とシンクロしているように見えます。 最後にアキラは自分の体を取り戻します。 「ほら、これがおれの足。人間の足だぜ。この足、ハラヘラシやオオブロシキに見せてやりたいな。ちょっと短めだけど、ちゃんとした生き物の足だ」 幸せな結末の一つではあるのですが、自分の足を「ちゃんとした生き物の足だ」と再確認するその姿は、一度自分自身を解体した後だからこそあるものです。 長い冒険で時間が過ぎてしまい、アキラは家族のことを考えます。 「こんなに遅くなっても帰らないんだから、ちょっとやそっとの心配のしかたじゃないだろう。(略)でも、もしかしたら、全然心配してないかもしれない」 結局、現実の時間は全く過ぎてはいないことが最後にわかります。それはそれでホッとするのですが、「もしかしたら」と、いったんわき起こった不安は取り残されたままです。 もちろんそれは必ずしも物語の中で解消しなければならないものではないし、解消する必要があるとも言えません。残された不安は、爽やかなラストとともに、読者が持ち帰るものなのです。 一方、体がバラバラになるどころか、グングン伸びて、ただいま身長一八一センチなのは、中野けやきさん一四歳(『フルメタル・ビューティー! 1』(花形みつる 講談社 九五〇円)。女の子が身長一八一センチだって別にいいのだけれど、それでもやっぱり何かと言われてしまうし、悪いことに本人も気にしているし、だから、本当は力だってあるし、きっと強いのに、意気地なし。なもんで、学校では友達関係とかも決してうまくはいっていません。 家に帰ったら帰ったらで、パパが単身赴任して、ママと二人きりの生活だから気を遣って学校でのクラーイ日々を見せません。 要するに、じわじわと出口なし状況になってきている。 そんなある日、小学校三年の頃の自分の日記を発見。と、そこには今の自分とは全然違う中野けやきがいる! 「なんか、小学三年生のあたし、キャラ変わってきてないか?」という感じ。 もちろんどっちも中野けやきさんなんですが、そして一四歳のけやきにはこれまでの人生が連続してあったので(当たり前か)、気付かなかったけれど、それを切断して小学校三年のけやきと対面すると、その落差はそのままけやきが本来持っている可能性の幅なのがわかるわけです。連続した「成長過程」を一度切断して振り返ることの有効性。 そしてもう一つ。けやきを見かねた知り合いの鷹子。彼女はけやきが自分への評価を誤っていることを指摘し、体躯を活かした生き方をすすめます。何か。近寄ってくる男たちを振り払うために鷹子は、けやきを偽のBF兼ボディガードにします。何だ鷹子、結局自分のためじゃん。そんなことはいいのです。それでけやきが自身を受けとめられるようになれば。「一八一センチで筋肉女な外見も、意気地なしな中味も、みんなまとめて自分じゃん。そのまま全部、自分で引き受けるしかないじゃん」。そうそう。「メツボーしかけていたあたしの世界は、どうやら再生しはじめたらしい」。よしよし。 魔法使いの女の子レイナは、人間世界を知りたくて、両親を説き伏せ、ペットショップを開きます。ただし魔法を三回使ってしまうと、マジカル王国に帰り、家から永久に出てはいけないことになってます。執事チェンバレンはネコのニャー太に、侍従のチアーズはコーギーの子犬ペロに姿を変えてレイナを守ります。という風に『謎のオーディション』(石崎洋司 フォア文庫 五六〇円)は、物語を楽しむための敷居を低くし、誘い込みます。もちろん誘い込んだ世界もわかりやすく、そして期待に違わぬ楽しさが約束されます。 レイナが人間世界に行きたくなったわけは、「だってパパ。人間のほうが、ずっとすごい魔法をつかっているのよ」ってこと。だって、電話でしょ、テレビでしょ、飛行機でしょ、デジタルカメラでしょ。 開店早々現れたのが、アイドル志望のはるかちゃん。オーディション用に提出する写真を、かわいい子犬と撮りたいから。レイナは協力することに。と、そこに、美少女で、才能もあり、だけど超いじわるな樹里亜ちゃんが登場。さてどうなりますか。 ものすごい冒険をしている物語ではありませんが、読む楽しさをちゃんと保証しているところが、とてもいいです。 他に印象に残ったのは、日本の古代歴史ファンタジー『青き竜の伝説』(久保田香里 岩崎書店 一三〇〇円)。権力と個の問題も書き込まれていて、なかなかの出来。『金魚島にロックは流れる1』(かしわ哲 講談社 九五〇円)は、熱いロックバンド物語。「自分のほうから、こころを開くと、相手は待ってましたとばかりに胸襟を開いて、ふたりの間に立ちはだかっていた壁は、いとも簡単に崩れる」、「ちょっとしたきっかけで、世界は、やってられないものにも、超ステキなものにもなる」、「いちばんいけないのは、なげだしちゃうこと、自分の夢に無関心になること」といった言葉が浮いてしまわないのは、その熱さ故でしょう。 フィクションではないですが、『10代のフィジカルヘルス』(全五冊)の刊行が始まりました。『タバコ』(加治正行・笠井英彦 大月書店 一八〇〇円)からスタートして、『おしゃれ・プチ整形』、『ダイエット』、『アルコール』、『薬物』と続くようです。『10代のメンタルヘルス』(全一〇巻)という翻訳物のシリーズを受けての日本版。一〇代に身近な問題を真正面から採り上げていて好感。学校図書館なんかに置いてほしいです。(『飛ぶ教室.夏号 2005.08』) |