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初めまして。令丈ヒロ子です。
いきなり登場してすいません。
評論など縁のない世界だと思っていたんですが、なぜかこのようなことに。
しかし、せっかくの機会なので、私がおもしろいと思った本を紹介させていただきます。では始めます。
「へこましたいシリーズ」東多江子・作、いのうえたかこ・絵。講談社青い鳥文庫。
このシリーズを読んだ時、「これはいけない」とあぶら汗が出ました。と言いますのは、わたしは自分が大阪人であること、過去、短期間だけ漫才台本を書いていたことなどの「とっても関西人な経歴」を、これでもかとばかり使い倒して、いろんな児童書で関西ネタをやってきました。幼年童話では関西弁で小銭にうるさい鳥のお化けを出し、読み物では、関西の女の子に東京の男の子を恋させ、その逆もやり、小学生東西対抗漫才もやらせたし、もう、やりほうだいでした。(今後もやる予定ですが。)
それだけに、関西人が出てくる話には敏感にならざるをえないところがあったし、要求するものも多く、はっきり言ってウルサイです。
しかし、この話はおもしろかった。それに、うまい!
達者やなー、腕あるなー、と何回も思わされましたね。映像的にもおもしろく、言葉のテンポや言い回しがおもしろく、エンタメ技術が抜群なうえ、イヤミのない立派な勧善懲悪。その上、主人公たちは、秘密裏に「へこまし隊」という、影の役割を持っていて、ややピカレスクの香りもあり、子ども読者にとってたまらない要素満載。
いい児童書だなー、と思いました。
この作家さんはいったいどなたと経歴を見たら、朝の連続テレビ小説や、中学生日記などのテレビドラマやラジオドラマも多数手がけている、脚本家さんだったのでした。そら、セリフとか、間とか、映像的な見せ場の盛り上げ方などが、うまいはずですわ!
今、出ているのが「ビビビンゴ!へこまし隊」(2005.7)「ヒップ☆ホップにへこましたい!」(2006.1)「ミラクル☆くるりんへこましたい!」(2006.9)の三冊。続巻を待ちます。
「神さまの住む町」楠章子・作、早川司寿乃・絵。岩崎書店。(2005.11)
関西弁つながりで、ご紹介。
なつかしい、記憶があるような気がしてしまう、どこかの町の、子どもたちと、神さま達の日常生活が、お風呂みたいなほどよい温かさで描かれています。この中に出てくる関西弁は、強い主張やおもしろさは抑え気味で、おっとりとした柔らかい雰囲気を醸し出しています。
短編集というのも、ゆっくりと味わえる贅沢感があって、よかったな。
この作家さんはいったいどんな方とあとがきを見たら、おうちがお風呂屋さんなんですって。どおりで、あったかさの質がお湯っぽいと思いました!
「図書室のルパン」河原潤子・作、むかいながまさ・絵。あかね書房。(2005.5)
せっかくだから今回は関西弁つながりでまとめよう。
この作家さんの作品が好きですね。あまり多作の方ではないようなのですが、刊行を楽しみにしています。
講談社からの「蝶々、とんだ」がデビュー作。この作品は講談社児童文学新人賞佳作に入選したものなんですが、当時(この本が1999年刊行だからその前の年かな)私は新人賞の作品の下選考をしていました。
たまたまこの作品の選考をしたんですが、あまりの強烈な印象に、ランク付けの仕事などふっとんでしまいましたね。ここまできたら、ランクがAもBもないだろうと。この作品が無事書籍の形になったとき、うれしかったですね。
その後の「チロと秘密の男の子」あかね書房。(2000.11)
この作品も、すっごいディープで、ずしんとくる快い読後の重量感。ここに出てくる関西弁は、魔界につながる裏通りから聞こえてくるような…。
「蝶々、とんだ」にしても、舞台は関西なんだろうけど、あの世とこの世の分かれ道あたりにあるような関西なんですね。描かれているのは貸し本屋でありパチンコの景品交換所なんだけど、どうも、この世感が薄い。それだけに、関西圏ファンタジーが、浮かれた形でなく成立するし、生活の中から考えざるを得ない、生きるにあたって大事なことを、普通に、いきりすぎず(関西弁で、やたらに張り切る人のことを「いきり」といいます)描けるのではと思います。
「図書室のルパン」は、前二作に比較したら、かなりライトな印象の書き方をされているのですが、なくなった本をめぐっての心の葛藤、人間関係の描かれ方からやはり作者の目の付け所は、変わらずディープだなと思いました。サスペンス要素も加わり、その緊迫感に、背中がかちかちになってしまった。
「トモ、ぼくは元気です」香坂直・作、佐藤繁・絵。講談社。(2006.8)
関西弁飛び交う商店街が舞台。主人公は六年生の、標準語圏の男子。ここでは主人公にとって、関西弁の町は異界で、商店街の個性的な人々も、やや妖怪じみた印象でコミカルに描かれている。
障害をもった家族と、どう向き合うかというキーで、固く閉めこまれていた主人公の心の扉が、同じキーで開く。そして、開いた扉のむこうには、妖怪ではない「ふつうの人々」の姿が燦然と現れる。そのとき聞こえた関西弁は、なんとも温かくて、心にしみるやさしさを持った言葉に劇的に生まれ変わる。
泣けます。
「少年舞妓・千代菊がゆく!」シリーズ。奈波はるか・作、ほり恵利織・絵。集英社コバルト文庫。
「少年舞妓・千代菊がゆく!花見小路におこしやす」(2002.8)が第一巻。それから、この四年半の間にどんどん巻がすすみ、「少年舞妓千代菊がゆく!−さきを越された誕生日」(2006.11)まで21冊は出てますね。どらまCDも出ているし、こうしている間にも次の巻が出ているかもしれない。
主人公である美希也は京都の置屋「吉乃屋」の一人息子。舞妓や芸妓をお座敷に差し向けるのが置屋の仕事なのに、一人の舞妓が逃げてしまった。吉乃家と、女手一つで育ててくれた「おかあちゃん」のピンチ!
中学二年で小柄でかわいい美希也は急遽、見習い舞妓「千代菊」になりすまし、お座敷に出たところ、これが大人気。一晩で売れっ子舞妓になってしまう。
関西実業界のプリンスである、クールな男前社長に惚れられて、男だと正体をあかすこともできない美希也だが…。
と、ココを聞いただけでごはん10杯いけますような、美少年好きにはもうたまらないステキな設定。
「美少年が女装して女の園に入っちゃうネタ」は、過去、小説やらマンガやら映画やらの中でいくらでもあったでしょうが、このお話がいいのは、やはり「舞妓さんの生活」がすごくていねいにきちんと描かれていることでしょう。
季節に合わせた衣装がえや、お化粧、髪結いなどの描写が、繊細かつ的確なので、よけいに美希也が千代菊に変わるシーンが美しく、また、千代菊になったとたん、普通の男の子が、優しい京都の舞妓さん言葉になるのが、もう、きゅーんときちゃう色っぽさ、かわいらしさ。
で、地の文が、妙にさばさばしてクールで男らしい。
はんなりやわやわした舞妓言葉のところと、理知的な地の文との対比が絶妙です。
とにかくこの設定を、この作者が見つけ出した時点で勝ち!って感じです。
というわけで、今回はここまでにします。ではまた!
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今月から、三辺律子さんにも参加していただきます。
『ピトゥスの動物園』
サバスティア・スリバス作 宇野和美訳 スギヤマカナヨ絵 あすなろ書房
原作はカタルーニャ語。カタルーニャ語の使用が制限されたフランコ時代を経て、1966年に刊行が始まったカタルーニャ語児童文学シリーズ(ラガレラ社)の第一巻だという。長らく英米に偏ってきた翻訳児童書に、少しずつだが様々な国(言語)の作品が加わってきたことは喜ばしい。
舞台はバルセロナの下町。十歳のタネット少年をリーダーに、仲良し六人組の少年たちは楽しい日々を送っていた。ところが最年少のピトゥスが十万人に一人しかかからないという難病になってしまう。治すにはスウェーデンの有名な医師に診てもらうしかないが、そんな「気の遠くなるような」大金をピトゥスの両親が払えるわけもない。仲間のピトゥスの苦境を知ったタネットたちは、町の空き地に動物園を作ってお金を集めようと思いつく。
タネットに相談された町の神父が最初は絶句するように、少年たちの計画は一見、実現不可能な無謀なものに思える。しかし、少年たちはできもしない夢物語を描いているわけではない。動物園で展示すべくリストアップした動物は、オウム、サル、オンドリ、犬など三十七種類。目玉に猛獣のトラも用意するつもりだ。実行委員を結成して、ボランティアの子どもたちをうまくまとめてやる気を引き出し、動物たちを集めて、おりを造り、ポスターを描き、お客を呼ぶアイディアを出しあう。その過程が、ユーモアを交え丹念に描かれている。
全編を通して伝わってくる温かさに児童書の原点を見る気がする。(三辺)
* 今月は、最近、書店で目を引く四六判のソフトカバーのシリーズを二つ取りあげたい。ひとつ目は、全八巻のうち六巻目が発売になった『ロイヤルバレエスクール・ダイアリー』。
『ロイヤルバレエスクール・ダイアリー 6ステージなんかこわくない』
アレクサンドラ・モス作 阪田由美子訳 草思社
シカゴからオクスフォードへ引越し、ロンドンの名門ロイヤルバレエスクールに入学してバレリーナを目指す少女エリーの活躍を描く。エリーのママは大学教授で、MS(多発性硬化症)を患っているが、明るく娘思い。父親はエリーが幼いときに交通事故で亡くなり、今はスティーヴという新しいパパがいる(その経緯については二巻で語られる)。題名にもなっているダイアリーは、シカゴを出るとき親友のヘザーにもらった日記帳で、エリーはこれにヒースという名前をつけて自分の思いを綴っている。最新刊の六巻では、ジュニア・アソシエーツ(ロイヤルバレエスクールの十一歳以下のクラス)時代からの友人グレースの葛藤が描かれる。
ストーリーはバレエ物の王道と言えよう。才能ある少女が失敗や挫折をくりかえしながら、徐々にバレリーナという夢に向かって前進していく。友だちやライバルとの関係、親子のきずななど、等身大の十歳の少女を描く一方で、バレエ作品や衣装の詳しい描写や、バレエのポーズを紹介するイラストなどもあり、実在するロイヤルバレエスクールの生活が興味深く描かれ、バレエ物ならではの面白さもたっぷり味わえる。さらに女の子心をくすぐるかわいらしい装丁(おまけのシールやポストカードまである)、手にとりやすいサイズと値段(838円+税)、さらに巻末にはバレエ豆知識まで付けられ、なるほど人気の理由がうかがえる。
* ふたつ目は、全世界1000万部のベストセラーという『レインボーマジック』シリーズ。色を失ったフェアリーランドに七人の虹の妖精を連れもどす少女たちの冒険を描いた一巻から七巻は終了し、新たに天気のシリーズが始まった。現在は八巻『雪の妖精クリスタル』と第九巻『風の妖精アビゲイル』が発売中。
『レインボーマジック 8雪の妖精クリスタル』
『レインボーマジック 9風の妖精アビゲイル』
デイジー・メドウズ作 田内志文訳 ごまぶっくす
氷の城に住む悪い妖精ジャックフロストが連れ去った七人の虹の妖精を見つけだし、フェアリーランドに平和を取りもどしたレイチェルとカースティ。ところが、ふたりの少女は、再び妖精たちのために立ちあがることになる。またもやジャックフロストがいたずらをし、フェアリーランドの天気を決める風見鶏ドゥードルから七色の羽根を奪ってしまったのだ。レイチェルとカースティは七人のお天気の妖精たちと、羽根を探す旅に出る。
『ロイヤルバレエスクール・ダイアリー』と同様、女の子が夢中になりそうなかわいらしい装丁で、巻末にはやはり塗り絵などのおまけもついている。判型も同じだが、こちらのほうがずっと薄い(だが値段はほぼ同じなので、割高感があるが)。ストーリーもぐっとシンプルだ。『レインボーマジック』のほうが年齢の低い子どもを対象にしているせいもあるが、両シリーズとも「子どもも大人も夢中になる」(『ロイヤルバレエスクール・ダイアリー』)、「子どもから大人まで夢中」(『レインボーマジック』)と銘打っているところが面白い。但し、妖精女王の「がんばりすぎてはだめ」(八巻『雪の妖精クリスタル』)というアドバイスに象徴されるように、レイチェルたちが何の苦労も努力もなしに飛べたり、簡単に敵をだましたりできるストーリー展開は、やや安直に感じる。また妖精王オベロンと妖精女王テイタニアが優しいおじいさんとおばあさん風に描かれていることに違和感を覚える(大人)読者もいるだろう。とはいえ、シリーズの売り上げは100万部を突破し、かわいらしい妖精たちが子どもたちの心をとらえていることは間違いない。
*それにしても、冒頭で述べたとおり、四六判ソフトカバーの翻訳シリーズ物の普及ぶりは目覚しい。卑近な例で恐縮だが、近所の本屋さんにも最近、この判型のシリーズばかり集めた棚ができた(ちなみに《ヤングアダルト》という棚もできたが、勇んでのぞいたら『いい男をゲットするために』とか『なりたい女になる方法』といったタイトルの本がずらりと並んでいた)。
こうしたシリーズの先鞭をつけたのは、2002年に第一巻が出た岩崎書店の『デルトラクエスト』シリーズ(エミリー・ロッダ作 岡田好惠訳)と、やはり2002年発売の『マジック・ツリーハウス』シリーズ(メアリー・ポープ・オズボーン作 食野雅子訳)だろう。前者は1〜3シリーズ(15冊)で450万部が売れ、アニメの放映もスタートした。後者は現在全18巻で170万部だ。
ランドセルに入れやすい大きさと重さ、(ハードカバーに比べ)手ごろな値段、子どもに訴えるイラスト(『デルトラクエスト』はゲーム風できらきら輝いているし、『マジック・ツリーハウス』はアニメ風だ)など共通点は多い。絵本は卒業したが小学生向き「読み物」には手が届かなかった小学校低学年の子どもたちが飛びついた。周囲でも何度となく「読む本がなかった子が喜んで手にとっている」「本を読まなかった子が読むようになった」といった声をきいたし、実際、編集部にもそうした声が届いているという。また、この二シリーズ、特に『デルトラクエスト』は、それまで本を読まないと言われていた男の子に訴えたのは大きい。
その後、やはりロッダの『ティーン・パワーをよろしく』(岡田好惠訳 講談社 2003年)と『フェアリー・レルム』(岡田好惠訳 童心社 2005年)、一五〇歳の魔女が主人公の『いたずら魔女のノシーとマーム』(ケイト・ソーンダズ作 トニー・ロス絵 相良倫子・陶浪亜希共訳 小峰書店 2005年)、対象年齢がさらに低い冒険物『ドラゴン・スレイヤー・アカデミー』(ケイト・マクミュラン作 神戸万知訳 岩崎書店 2004年)、かわいらしい表紙はハードカバーだが大きさは四六判に近い『ランプの精 リトル・ジーニー』(ミランダ・ジョーンズ作 宮坂宏美訳 ポプラ社 2005年)、ドイツ原作のサッカー物語『キッカーズ!』(フラウケ・ナールガング作 ささきたづこ訳 小学館 2006年)など、次々とシリーズが刊行され、どれも好調な売れ行きのようだ。
但し、似たような姿(装丁)でありながら、内容にはかなりバラつきがあるのも確かだ。絵本と小学生向き「読み物」のいわばニッチをとらえる形で浸透してきた四六判の今後に注目したい。(三辺)
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児童文学書評2007.1(ほそえさちよ)
○オランダ絵本の新しい魅力
『ボッケ」』ハリエット・ヴァン・レーク作 野坂悦子訳 (2001/2006.12 朔北社)
『小さな小さな魔女ピッキ』トーン・テレヘン文 マリット・テルンクヴィスト絵 長山さき訳 (2005/2006.12 徳間書店)
オランダの絵本といえば、「ミッフィー」シリーズのディック・ブルーナを思い出す人が多いだろう。国際アンデルセン賞を受けた「カエルくん」シリーズのマックス・ベルジュイスの大らかな筆のタッチが愛らしい絵本たちもオランダ生まれ。他にも『ヤップとイネケ』のフィープ・ヴェステンドルブのモノクロのペン画も印象的。でも、わたしにとっては、なんといってもハリエット・ヴァン・レークの『レナレナ』(リブロポート刊 絶版)。この絵本を手にした時、なんてキュートでまっすぐな絵本なのだろうと、すぐ、この作家の描いた絵本をさがしまくった。なかなか日本で紹介されなくて、もう描かないのかしら……と心配になっている時に『ボッケ』の翻訳が進んでいることを聞いた。待ちに待った新作だ!ひゃっほう!『ボッケ』は『レナレナ』以上に不思議な世界にすんでいる。この大きな丸い目の女の子の表紙を見た時、この目は、あの人形の目に似てると思った。きょろんと大きな目と耳を持つフルビーネク。チェコの現代人形劇の父と呼ばれたヨセフ・スクーパの作った男の子の人形の目。レークは人形劇を作り公演したりしているという。この絵本に登場するボッケやリー、中がからっぽの大きな柳の木……は白い紙の変幻自在な舞台の上でレークに操られ、まん丸な目で、じっとお話の行き先を見つめ、楽しんでいる。わたしもいっしょに、モグラみたいに地面からはい出すおばあさんの声に耳を傾け、長い長い髪の毛のはえた小さい人の行く末を思い、やせてふるふるしているメウシの神様に会うのだ。どんなに奇妙なことに出会っても、きょろんとした目でボッケはじっと見ている。そして、その状況に一番合った行動をする、たのもしいボッケ。ボッケのこのしなやかさは、レナレナの持っていたものと同じだ。そして、レークも、それを持ちつづけているのだろう。(ほそえ)
『小さな小さな魔女ピッキ』は動物たちの哲学的な問いに満ちた小さなお話を綴っているテレヘンが書いた物語に、リンドグレーンの本でおなじみのテルンクヴィストが絵をつけている。小さすぎて誰の目にも見えない魔女のピッキは、自分の力を試してみたくて、犬やくまやまいごの男の子の耳に入り込み、ささやきます。すると、みな、ピッキの言った通りのことをするのです。犬は鎖を引きちぎり、くまはバイオリンをひいてみなを踊らせ、男の子の言葉は、まわりの人を思うように動かします。それがピッキの魔法。小さな小さな魔女が起こしたことは、国の有り様を変えてしまうほど。おとぎ話のような語り口に、苦さと怖さを織り込んで、それが魔女というものかも、と思わせる。絵は大きな画面を自在に使い、物語られる人や物を丁寧に描いている。それぞれの行く末もきちんと描き、物語をきちんと包み込んでいるのが良い。(ほそえ)
○その他の絵本、読み物
『生麦生米生卵』齋藤孝編 長谷川義史作 (2006.12 ほるぷ出版)
絵が一つの物語をたどっている中に、おなじみの早口言葉がはめこまれているのがおもしろい。「生麦生米生卵」はちゃぶ台での朝ごはんのシーンに。着替えのシーンには「無理に結んだ結び目六つ」が。ページを追っていくと、少し昔の結婚式の一日が描かれていると判ってくる。そうなると、どのシーンにどんな早口言葉を組み合わせるのか、楽しみになってくる。絵と言葉の相乗作用。絵本を読むという醍醐味。(ほそえ)
『いのちのおはなし』日野原重明文 村上康成絵 (2007.1 講談社)
『生き方上手』で有名な96才現役の医師日野原先生が10才の子どもたちの前でお話した授業が元になっている絵本。子どもたちに語りかけた言葉そのままが絵本の形になっているので、読みながら、一緒に授業を受けているような気になってくる。互いに聴診器で心臓の音を聞き、いのちの形を実感する。でも先生は「いのちはどこにあるのですか?」とさらに問いかける。そして、黒板にひいた長いチョークの線を示し、「いのちは、君たちの持っている時間だ」というのだ。いかに生きるかというなかに、いのちがあるというのは、当たり前だけれど、新鮮な見方だ。いのちの使い方という見方が、心をぽーんとひろげてくれる。(ほそえ)
『ぞうのオリバー』シド・ホフ作 三原泉訳 (1960,1988/2007.1 偕成社)
懐かしく愛らしいシド・ホフの絵本。サーカスに入りたかったぞうのオリバー。でも、注文したのは10頭だからと、11頭目のオリバーは要らないよっていわれてしまう。動物園にいっても、もうぞうはいるからね、と断わられ、ぼくのこと、ペットにしたい人はいませんか?と尋ね歩く。犬のまねをしたり、馬のまねをしたりするけれど……。最後は自分の希望どおりサーカス団に入れるところがシド・ホフの絵本らしい。なんてことないお話のようだけれど、小さい子の目線でハラハラわくわく、きちんとさせてくれる。絵本にしてはページ数が多いが、I can Readシリーズのものなのかな。(ほそえ)
『ぼくのパパはおおおとこ』カール・ノラック文 イングリッド・ゴドン絵 いずみちほこ訳(2004/2006.11 セーラー出版)
ハムスターのロラの絵本『だいすきっていいたくて』(ほるぷ出版)のシリーズを手がけている作家のテキストに、フランス、イギリスなどで活躍するゴードンが絵をつけた。ぼくのパパはお山よりも大きな大男。小さな子にとって、自分のパパはほんとに大きな大きな存在なのです。それを絵本らしいファンタジーで描き出している。大好きってだっこされるシーンの幸せそうなこと。パパもぼくも。(ほそえ)
『ラ−バンとラボリーナの「はあい、いますぐ」』インゲル・サンドベリ作 ラッセ・サンドベリ絵 きむらゆりこ訳(1977/2006.11 ポプラ社)
『アンナちゃん、なにかみえた?』(1964/2006.12 ポプラ社)
サンドベリ夫妻の絵本シリーズ、2、3作目。おばけのラーバンとラボリーナはママに「おふろにはいりなさい」っていわれるけれど、「はあい、いますぐ」といいながら、遊んでしまってどろどろによごれてしまう。遊ぶうちに一つずつ色のしみが白いからだについていくのが、おもしろい。くり返されるセリフが、最後のオチになっているのも楽しい。アンナちゃんは日本で紹介されるのは初めてではないかしら? 北欧ではアンナちゃん人形が売られているほどの人気キャラクターになっている。こちらは積み上げ話的なシンプルな展開で、なかよしのせいたかおじさんが不思議。(ほそえ)
『ねこのセーター』おいかわけんじ たけうちまゆこ作 (2006.12 学研)
ラフに描かれた、ちょっと情けないようなねこが主人公。穴の開いたセーターを着ているねこのくらしをたんたんを描いている。少し古風な言葉遣いで、独特の間を持った絵本。このテンポに合えば、しみじみおもしろいなあと思うだろう。(ほそえ)
『ももんがモンちゃん』とりごえまり作 (2006.12 学研)
木のうろから出て、自分の力で飛ばなくてはならなくなったモンちゃん。でも、初めての滑空で、地面におちてしまったのです。なかなかできないし、失敗してこわい思いをしてしまうと小さな子どもほど、再びチャレンジするのに勇気がいるもの。モンちゃんはお守りの羽の力と、赤ちゃんコウモリくんへの思いの強さでやり遂げることができました。そのきっかけをやさしくかわいらしい絵で描いています。(ほそえ)
『いっぽ にほ さんぽ!』いとうえみこ文 伊藤泰寛写真 (2006.11 ポプラ社)
『うちにあかちゃんがうまれるの』で赤ちゃんの誕生を見つめたコンビが、その成長を切り取って絵本にしました。あかちゃんが歩くようになるまでを、写真で構成した絵本。お姉ちゃんの目線で、毎日毎日いろんなことに挑戦し、自分の力で獲得していく赤ちゃんの輝きをとらえています。こんなふうに自分も大きくなったんだな。大きくなるってすごいな、と自分やともだちを見るきっかけになるのでは。(ほそえ)
『まるいね まるいぬ』ケビン・ヘンクス文 ダン・ヤッカリーノ絵 灰島かり訳 (1998/2006.12 BL出版)
どうながの犬が2ひき、まるまってねています。ダックスフンドかしら? まるまってねむるから、丸いぬって呼ばれています。丸いぬたちの朝から夜寝るまでをリズミカルな言葉と鮮やかなイラストでつづっている。
ヤッカリーノの絵がデザイン的でありながら、シックな温かみのあるタッチで描かれ、かわいらしい。たこのオズワルドでブレイクする前の作品。絵本作家としても著名なケビン・ヘンクスとのコンビはめずらしい。もし、ヘンクスが自分で絵をつけていたら、人の暮しの方に目がいってしまう絵本になっていたかもしれないな。(ほそえ)
『365まいにちペンギン』ジャン=リュック・フロマンタル文 ジョエル・ジョリヴェ絵 石津ちひろ訳 (2006/2006.12 ブロンズ新社)
毎日一羽ずつペンギンが送られてきてしまった一家。どんどんふえるペンギンにふりまわされる家族。なんだか最後はもうどうでもいいや!って感じで暮していたら、エコロジストのおじさんがやってきて、364羽を連れて北極へ向かったのだ。地球の温暖化で氷がとけ、テリトリーが狭くなるから、北極に連れていくんだって。北極にはペンギンはいないけれど、北極の氷もとけて、狭くなっているのにね、エコロジストが生態系を崩すかなあ、なんていう突っ込みはおいといて……。ペンギンが毎日届くという設定とそのてんやわんやぶりを楽しむべし。 (ほそえ)
『おまけのじかん』あまんきみこ作 吉田奈美絵 (2007.1 ポプラ社)
楽しみにしていたお誕生日の日、ママの帰りがきゅうに遅くなって、お誕生会が一日のびることに。それを聞いた妹のマミちゃんは大泣き。こんな大事なこと、ママからちゃんと話してよ。おねえちゃんがなぐさめようとお誕生会の前夜祭をしようといって、夕御飯の用意をすると……ふたりはピアノの音に誘われて、絵のなかのおうちに入っていったのです。日常からするりとファンタジーに入っていくのは、この作家の得意とする世界。不思議の世界をうれしいおまけの時間、と名付けたところがこの物語の発見となっています。ファンタジーをそのままに受け入れられる年頃の子どもに手に取りやすい造りになった本。(ほそえ)
『ジュディ・モード 医者になる!』メーガン・マクドナルド作 ピーター・レイノルズ絵 宮坂宏美訳(2004/2007.1 小峰書店)
人気シリーズの五巻目。人の体について勉強することになったモードたち。学校での発表に、初めて医者になった女性エリザベス・ブラックウェルになって、ズッキーニの手術をしたり、へんとう炎にかかって、病人の気持ちに気がついたり、今回もモードは、いろんなことを体験しながら、自分にとって何が大切なのかを知っていきます。テンポの良い会話、ことばあそびやなぞなぞなどすんなり子どもの耳に届くものにして訳してあるので、安心して読める。生活物語は、その世界がすっと自分達の生活の雰囲気に重ならないと、読めないからね。(ほそえ)
『ウサギが丘のきびしい冬』ロバート・ローソン作 三原泉訳 (1954/2006.12 あすなろ書房)
ニューベリー賞に輝く『ウサギが丘』の続編。親切な大きな家の人たちが、冬のあいだ暖かい地方に出かけ、管理人がやってくることになったウサギが丘。アナルダスおじさんが「今年の冬はきびしいものになる」と言ったものだから大変!それが本当のこととなり、火事が起こり、食べ物が手に入らなくなり、仲間や母さんが丘を離れていく状況にまでなりました……。冬のあいだ、動物たちがどんなふうに、どんな気持ちで過ごしているのか、まるで見てきたかのように生き生きとリアルに描き出すローソン。動物たちの生態をもとに、お話を組み立て、見事なイラストでその世界をしっかりと描き出している。それぞれのキャラクターがしっかりと描き分けられ、セリフ回しもおもしろく、古さをあまり感じさせない。動物物語好きはぜひ。(ほそえ)
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【絵本】
『シャンプーなんて、だいきらい』(アンバー・スチュアート:文 ローラ・ランキン:絵 おおつかのりこ:訳 徳間書店 2006/2007.1 1400円)
子どもが何かを乗り越えていく。ここでは、耳を洗うのが大嫌いなこうさぎのポップが、どのようにしてそれをクリアしていくかが描かれていくのですが、それはまあ、お約束の範疇で、おもしろいのはやっぱり、「だいきらい」な子どもの姿です。成長(耳洗いをクリア)に抵抗する子どもですね。表情豊かなローラ・ランキンの絵が、ポップの抵抗を真っ直ぐ伝えていて、楽しい。(ひこ)
『ボッケ』(ハリエット・ヴァン・レーク:作 野坂悦子:訳 朔北社 2001/2006.12 1300円)
やなぎのうろに住んでいる、ボッケとリー。二人が出会った奇妙なお話が綴られていきます。
森の中を歩いていると、一本の木の枝にポアンケーキが乗っている。食べようとしたら地面からおばあさんがあらわれた。意味不明のことをつぶやいてから、また地面に消えていく。もしかしたらこれは本物のパンケーキではないのかもと思った二人は、森を去っていく。なんてね。
といっても奇妙と思うのは読者だけで、彼女たちにとってはそれは普通の出来事のようです。そこがまた、なんとも言えない奇妙さを生じさせていきます。(ひこ)
『ゆうだち』(阿部肇 ポプラ社 2006.12 1200円)
1951年生まれの作者の子ども時代の一コマを描いた絵本。ザリガニつり、秘密基地。
異年齢集団で遊んでいた時代です。一年生のゆうたが、一人前(?)の仲間になれた気持ちがする辺りが、リアルで良いです。
ノスタルジーに陥りがちな素材ですが、子どもの関係性が巧く描かれているのでそれほどきにかかりません。ただ、タイトルが漠然としすぎかな。(ひこ)
『ぷきゅ』(かさいまり アリス館 2007.1 1200円)
きょうりゅうのあかちゃんシリーズ三作目。「ぷきゅ」って言葉が出るようになりました。でも、それ以外の言葉をなかなか話さない。ちょっとあせる両親・・・、と育児の段階に沿った物語展開です。あせらないあせらないというメッセージは共感。(ひこ)
【創作】
『ウォーリアーズ』(エリン・ハンター:作 金原瑞人:訳 小峰書店 2002/2006.11 1600円)
ラスティは幼い家ネコの雄。日々に十分満足はしているのですが、ある日、野良猫たちと出逢います。安穏と暮らす家猫とは違う厳しい世界。猫たちは4つの一族に別れて住みわけていたのですが、シャドー族が支配を強めようとし始めています。ラスティはそんな野良猫の世界に、飛び込んでいきます。与えられた名前は、ファイヤーポー。新米戦士はどう育っていくのか。一族同士の抗争、内部での陰謀、ドラマは豊富です。もちろんファイヤーポーの成長ぶりも楽しめます。集団と個といった問題がもう少し浮上してきて欲しいところですが、読み物としてのおもしろさは、外していません。
とりあえず6巻ですようです。でも原作はもう18巻あるんだって。(ひこ)
『アル・カポネによろしく』(ジェファ・チョールデンコウ:作 こだまともこ:訳 あすなろ書房 2004/2006.12 1500円)
アルカトラズ島といえば、過去犯罪者たちが収容された島として有名ですが、考えてみればそこには職員もいるわけで、職員がいると言うことは、そこで暮らす家族もいるわけですね。この物語は、アルカトラズ島に住んでいるムース少年を主人公としています。時代はアル・カポネが収監されていた30年代。父親は刑務所の電気技師と看守の仕事をしています。
姉のナタリーは今で言う自閉症でしょうか。母親は専門の学校に入れたいけれど、そこは12歳までしか入れません。それだからってだけではないのですが、母親はナタリーを今も12歳だと言い張っています。毎年12歳の誕生日を迎えるナタリー。つまり、母親は娘の現実を受け入れることを拒否して生きています。
時代と場所の設定がまずおもしろいし、子どもたちの毎日も活き活きと描き込まれているので、読み応えがありますよ。(ひこ)
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『サイテーなあいつ』(花形みつる:作 講談社 1999)
「ソメヤはサイテー、って思ってるのは、あたしだけじゃない。」と、何ともすごい言葉で物語は始まります。四年生になったカオルは最初の席決めでソメヤの隣になってしまったのです。なぜサイテーなのか。<ツバとばし>が武器で、これをやられたら女の子は泣くし、男の子はキレる。テストでは隣の子のを写す。そればかりか、図工のアイデアも、社会科で作った新聞も、パクる。そういう行為を責めるとすぐに泣く。幼稚なくせに、女の子にいきなりだきついたり、気持ち悪い声をだして追いかけてきたりする。みんな、ソメヤに触ると手が腐ると思っている。だから、カオルが隣の席になってしまったのをみんなは同情しつつ、半分おもしろがってもいる。でも、ソメヤにしてみれば、汚くて気持ち悪くて触るとバイキンがうつるとみんなに言われていることを知っていて、そういうのはやっぱり頭にくるから、仕返しをするために女の子を追いかけたりしているが、ソメヤにはソメヤなりの理由がちゃんとあるのです。
カオルはソメヤから逃げません。追いかけられると怒るし、ソメヤがテストを写すと、「自分でかんがえろよ。」って言います。ソメヤはそんなカオルを嫌ってはいません。カオルも隣の席なもので仕方がなくソメヤと付き合って行く中で「あいつってさー、フツーにあつかってやれば、そんなにムカつくことしない」ってことに気づくのです。
カオルはソメヤに、「仲間」になることを提案。たとえば、バスケットボールやドッチボールの時、ソメヤのブキミさを利用して相手を逃げさせ、その間にカオルが得点するのです。カオルはソメヤに、普通になれとは言いません。ブキミさを武器にすることを薦めます。みんなに嫌がられるところを直しましょう! ではなく、それを個性にしてしまえ! というわけです。だって、ソメヤに気持ち悪いとかバイキンとかのレッテルを貼っている側に問題があるのですから、ソメヤが彼らに合わせる必要はないのです。
カオルはこれまで家でも学校でもいい子でした。遠足の弁当だって、仕事で疲れている母親に早起きをさせては悪いからと、コンビニで買って、それを自分の弁当箱に移し替えるほど気を遣っています。「おかあさんとおとうさんは、いい子のカオルちゃんじゃないとこまる」から。
子どもは親の無言の要求に沿った子どもを演じることがあります。でも、ソメヤを理解していくことでカオルは、演じていた「いい子」から自分を解放していくのです。ソメヤがありのままでいいのなら、カオルだってそうなのではないかと。
自分に自信を持ち始めたソメヤは夏休み、カオルに好きだと告白します。そのときのカオルは、「スキとかキライとか、うれしいとか、かなしいとか、さびしいとか・・・、つぎつぎおしよせてくる思いに、つぶされそう」と思います。あふれてくるとても気持ちの良い感情。大人の望む子ども像ではなく、カオルが本当のカオルになった一瞬です。気持ちいいでしょ、カオルちゃん。(ひこ)(子どもの本通信 徳間書店 2007.1.2)
『こども哲学 いっしょにいきるって、なに?』(オスカー・ブルニフィエ:文 フレディック・ベナグリア:絵 西宮かおり:訳 朝日出版社)
タイトルが質問文になっていますが、その答えがこの本の中に書かれているかというと、そうでもありません。
私たちはついつい、大事なのは答えだと思いがちですが、実際の生活では、次から次へと問いが生まれてくるし、答えが簡単に見つかるとは限りません。むしろ、あーでもない、こーでもないと考えていることの方が多いと思います。でも、答えを出していないからこそ、色々自由に発想しているともいえます。
この本は、そんな自由度を引き上げてくれる一冊。
「ひとりっきりで、生きてゆきたい?」に、「ひとりじゃたいくつしちゃう。」と答えたとすると、「そうだね、でも・・・」と続きそして、「たまには、たいくつとつきあってもみるのも いいんじゃない?」と、答えをいったん横に置いて、別の発想に誘ってくれます。
『こども哲学』となっているけれど、大人もこの本で頭を柔らかくするのは悪くないと思いますよ。(ひこ)(読売新聞 2006.11) |
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