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【絵本】 『パンクファーム』(ジャレット・J・クロザウスカ:作 まえだ あいしぁ:訳 2008.09 1300円) ジョーおじさんは自分の農場でたっぷり働いて、家に帰ります。 さて、おじさんがいなくなった農場では、陽気な動物たちが、パンクロックで大騒ぎだ! 牛のブーン、ブタのピーブゥ、ニワトリのコッコ、やぎのブラム、ひつじのモコモコメーがメンバーです。 チューニングを済ませて、さあ納屋で、リハーサル。今夜はクールに決めるぞ! というノリで絵本は進みます。それ以上なにもありませんが、ロックに理屈はいらねえ、ですよ。 でも、夜はかならず明けてしまうので、ジョーおじさんはたっぷり眠ってけど、みんなはねえ。 この後半をもう少し描いて欲しかったです。(ひこ) 『てのひらの かいじゅう』(松橋利光:しゃしんとぶん そうえん社 2008.09 1100円) かえるの松橋さん、最新写真絵本。 今度は、小さなとかげ、やもりなどの、かわいい「かいじゅう」たちです。 ホント、こうしてアップでしげしげ眺めると、りっぱなかいじゅうだわな。で、引いて眺めると、かぁわいい! 「てのひら かいじゅう」というしっかりしたコンセプトで作ろうとしていますから、やもりたちを、新しい目線で眺めることができて、なかなか楽しいです。 しかし、子ども時代、あんなに見ていたのに、彼らの卵って、今回の絵本で初めて見たかもしれません。なんで発見できなかったのだろう? 子どもと一緒に、観察してください。 あ、「かいじゅう」だからって、やっつけたらだめですよ。(ひこ) 『りんごのなかのビリー』(ひだきょうこ:さく あかね書房 2008.09 1400円) いもむしのビリーの物語。 彼、いつもゆかいなことを考えているのですが、ふくろうの提案で新聞を出すことにしまし。りんごの紙で作ったそれは、風に乗り、色んな生き物に届いていく。 ひだの明るいトーンとタッチの絵が物語とマッチして、楽しく展開していきます。前半に少しページを採りすぎた感はありますが、澱みのないクリアな、気持ちいい絵本ですよ。(ひこ) 『ぼくの、ぼくの、ぼくのー!』(マイク・リース:ぶん デイビッド・キャトロウ:え ふぃしみ みさを:やく ポプラ社 2008.09 1300円) エドワードくんは、おもちゃを全部独占して、妹のクレアに貸してくれません。 もう、憎たらしいことこの上ないお兄ちゃんです。その辺り、デイビッド・キャトロウの絵は、本当にうまく描いています。 でも、クレアはお兄ちゃんが好き。 さて、どんな展開が。 絵が細部まで練り込まれていて、もちろんんそれは画家だけの仕事ではなく作家との共同作業ですが、隅々まで楽しいです。シッポまでアンコですよ。(ひこ) 『ペネロペ おふろだいすき』(アン・グッドマン:ぶん ゲオルク・ハレンスレーベン:え ひがし かずこ:やく 岩崎書店 2008.08 1000円) あは、ペネロペ新作です。 ペネロペは色んなカタチで展開されていますが、今作はおふろで読める絵本です。 はい、だいじょうぶです。読めます。浮きます。でも、濡れます。拭くのがチト面倒なので、おうちではお風呂場に置いておきましょう。 体を順に洗っていく、ただそれだけの絵本ですが、こういうのは、ただそれだけの絵本でいいのです。 「さいご くびを あらったら、ざっざーと おゆで ながそうね」とありますが、これは体を洗うのか、バスタブのお湯を流すのか? ヨーロッパの人々は、体についた石けんはバスタオルやバスローブで拭いておしまいではないかしらん?(ひこ) 『ルネちゃん おして』『ルネちゃん ひっぱれ』(つるみ ゆき:さく ポプラ社 2008.09 800円) 子ゾウのルネちゃんを主人公にした幼児絵本。 「おして」と「ひっぱれ」それぞれのくり返しパターン物です。 幼児がくり返し物を好きなのは、何も幼児がアホだからではなくて、くりかえされることの安心感と、絵本を読んでもらう頃に限らず、保護者に何度も自分に気持ちが向かっていることを確認したいからなのですが、それを絵本に落とし込むときは、せっかく本というか、物語ですから、少しずつ事態が進んで欲しいと作者は願います。そこで、作者の腕の見せ所は、いかにくり返しでありながら、事前にズラせていけるかなのですが、この二冊の場合、流れが今ひとつ見えてきません。順番や、くり返しの素材をもう少し吟味しても良かったのでは? でも、絵は十分キャラとして魅力的です。(ひこ) 『はいいろねずみのフレイシェ』(アンケ・デ・フリース:作 ウィレミーン・ミン:え 野坂悦子:訳 ぶんけい 2001/2007.12 1300円) アイデンティティ物です。フィレイシェは自分の体の灰色が好きではありません。だから、ペンキで色々塗り替えるのですが、それで何か他の動物に似せたとしても、結局それは本当のフレイシェではありませんから、からかわれるばかりです。彼は自己肯定できるのでしょうか? といえばなんだか暗いようですが、そうでもない。ウィレミーン・ミンの描くフレイシェは素朴なキャラクターっぽく見えながら、芯のある表情に仕上がっていますから、落ち込んでいるときも先に希望が見えるのです。(h@moving) 『きんようびはいつも』(ダン・ヤッカリーノ:作 青山南:訳 ほるぷ出版 2007/2007.12 1400円) 「ぼく」は金曜日が待ち遠しい。なぜって、パパと一緒に、それも二人だけで、外に出かけて朝ご飯を食べる日だから。 ママにキスして、家を出て、急ぎ足の人たちを見ながら、ちょっとゆっくり目に二人で歩いて、いつもの店に向かう。 もちろん、注文はいつものホットケーキ。 そしてパパと話をする。ただそれだけの、でも、とっても大切な時間。 こんな感じの何気ない絵本はなかなか書けるものじゃないですよ。(h@moving) 【創作】 -------------------------------------------------------------------- 『こんなふうに作られる!』(ビル&ジム・スレイヴィン:文 ビル・スレイヴィン:絵 福本友美子:訳 玉川大学出版部 2007.11 3800円) 様々な物がいったいどのようにして作られるのかを、わかりやすい言葉(でも情報はたっぷり)と、ユーモアたっぷりのイラストで見せてくれる、子ども向け図鑑のお手本のような作品です。いやいやもちろん大人も楽しいです。ただし、一つ一つを丁寧に解説するので、扱う点数は図鑑と違って限られてしまいます。 サブタイトルが「身のまわり69品のできるまで」ですから、作者の出身地北米での「身のまわり品」は何かもわかりますよ。(h@moving) 『ドラゴンの飼い方・育て方』(ジョン・トプセル:著 ジョーゼフ・ニグ:編集 神戸万知:訳 原書房 2008.02 2400円) ドラゴンを飼うのは難しそうだなと思って、なかなか手を出せなかったのですが、この本を読んで、ちょっと自信が付きました。大きくなるので、場所の確保が大変ですが、捜してみます。 どのドラゴンも、それぞれ特徴があって、悩みどころですが、それもまた楽しい。 大事なのはやっぱり飼い主のマナーですね。この本を熟読して、果たして自分は飼う資格や根性があるのかをみなさんもぜひ検討してみてください。(h@moving) 『たっちゃん まってるよ』(おくもとゆりこ:文 よこみちけいこ:絵 アスラン書房 2008.01 1400円) 多動って言葉にくくられてしまう子ども、たっちゃんの物語。 たっちゃんは教室でじっとしていられなくて、校庭に出て色んな物を眺めたりします。おくもとは、そんなたっちゃんをありのままに描いていきますから、たっちゃんもただの子どもの一人なのがよくわかります。そこに「感動」や「優しさ」や「誠意」を持ち込みません。うしろのほうにこっそりと「理解」を忍ばせていますが。 最後の一行はいらないのでは? よこみちの画は、少し感情が入ってしまっています。もっとクールでも良かったのでは?(h@moving) 『あるひあひるがあるいていると』(二宮由紀子:作 高畠純:絵 理論社 1000円) 去年の七月から、いよいよ始まりました。「あいうえおパラダイス」でございます。 「あ」から始まって「ん」まで、一話ずつあるのです。といってもなんだかわからないかもしれませんが、「あ」のお話は、「あ」で始まる言葉だけを使ってお話ができているのです。 アホみたいでしょ。でもやり通すのが、二宮由紀子なのです。無理矢理の設定でも、言葉のリズムに乗ればおもしろい話ができてしまうのが素晴らしい。参りました。(h@moving) 『ひげがあろうがなかろうが』(今江祥智 解放出版社 2008.01 2800円) 「差別」を含む表現があるとして絶版にされていた、『ひげのあるおやじたち』(1970)が新作と合本にして出版されました。まずは、それを慶びます。 「差別」はそれを受けている側が、様々な「差別」を発見することから運動を始めていきます。そしてその過程で、過敏に告発されてしまう物事も出てきます。『ひげのあるおやじたち』問題もそうであったのだと思います。それが今ようやく、作品として、子ども達に評価される位置に戻されたのです。 今江の誠実さと、強靱なユーモアに乾杯!(h@moving) 『シェフィーがいちばん』(カート・フランケン:文 マルティン・ファン・デル・リンデン:絵 BL出版 2007.12 1300円) テリア犬のシェフィーは飼い主の娘エマが大好き。自分が彼女にとっての一番だと思っています。 ある日ヘルダーってシェパードがやってきます。するとエマはヘルダーと一緒にいる方が多くなる。なんで、なんで。不安と、嫉妬と怒りで一杯のシェフィー。ついにはヘルダーが学校にまでエマと一緒に行くと知り、彼はそれを阻止しようとして……。 犬の気持ちがよく描かれています。って犬の気持ちは知りませんが、そう思えます。 何故エマがヘルダーと寄り添うようになるかは読んでみてください。(h@moving) 『リトル・プリンセス 氷の城のアナスタシア姫』(ケイティ・チェイス:作 日当陽子:訳 泉リリカ:絵 ポプラ社 800円) ロージーが時空を超えて、様々なプリンセスに出会うシリーズ五巻目です。 泉リリカの絵といい、タイトルといい、もうコテコテの女の子向け本なのです。今作ではおまけとして、プリンセスチョーカーまで付いています。ジェンダー・バイアスかかりまくりか? といえばそうでもなくて、ロージーがプリンセスをサポートして、事件を解決する展開となっています。つまり、プリンセスとロージー、女の子二人が冒険するお話です。男の出る幕はありません。女の子の世界に閉じているというべきか、女の子が元気な物語というべきか微妙なところ。(h@moving) 『アントン-命の重さ-』(エリザベート・ツェラー:作 中村智子:訳 主婦の友社) ナチス政権下のドイツで実際にあった出来事です。 アントンは交通事故が原因で障害が残ってしまい、右手を思うように動かせず、言葉もうまく出ません。それでも両親の愛情を一身に受けて、幸せな日々を過ごしています。 障害を負った人間は、不完全でありそれを排除する。ナチスはそんな政策をこっそりと打ち出します。危険を察知したアントンの両親は、彼を地方に隠すのですが・・・。 フィクションのような波瀾万丈はありませんが、それだけに恐怖が迫ってきます。(h@moving) 『オー・ヘンリー ショートストーリーコレクション』(全8巻 オー・ヘンリー:作 千葉茂樹:訳 理論社) オー・ヘンリーという名は、物語好きの人なら知っていて当たり前だと思ってしまうのは、私が昔の文学少年だからかもしれません。 彼の短編は人生のちょっとした光と影、皮肉、幸せ、笑い、残酷などを織り交ぜて、生きていることの意味を、ほんの少しだけ教えてくれます。 確かに今となっては鼻につく展開もありますが、物語の面白さはピカイチなので、読書慣れしていない若者の入門書には最適。このシリーズ、千葉の新訳、初訳の豪華な作りです。絵が和田誠なのは出来過ぎかな。うれしいけど。(h@moving) -------------------------------------------------------------------- 群像を描いて。 ひこ・田中 岡田依世子は『ぼくらが大人になる日まで』(講談社)で、中学受験を控える子どもたちの様々な有り様を、それぞれの視点に次々と切り替えながら描いていきます。 英二郎、紀雄、大介、美優、烈子、修一。最初の三人は学校の友達同士ですが、彼らと他の三人は、えいしん塾に通っているという共通点しかありません。しかも、受験塾は成績によってコースが分けられますから、塾の同じクラスというわけでもありません。 しかし彼らは、それを決めたのが自らか親かは別として、中学受験をするという一点において、互いの置かれている立場を隠す必要がない関係にあります。つまり、「空気を読む」必要はさしてない。 岡田は、そう設定することで、現代の子どもを覆っている、微妙でやっかいなコミュニケーション技法や、それが必要な(または必要だと誤解している)状況をスキップして、個々の抱えている問題に焦点を絞っていきます。 英二郎は、親に無理を言って中学受験を望んだのに、成績は今ひとつ伸びず、親を失望させています。紀雄は、父親の北海道転勤で、志望校をあきらめなければならない可能性が出てきています。大介は、リトルリーグでバッテリーを組んだ晃が経済的理由で、大介の目指す野球の強い中学へは行けないことに後ろめたさを感じています。美優は、母親と祖母が卒業した名門女子中学受験をさせられるのですが、自分の行きたい学校は違っていて、悩んでいます。烈子は、女の社会進出の大変さを身にしみて知っている母親から、学歴を付けるように言われ、母親を喜ばそうと受験を決心しています。修一は、父親が経営する会社が倒産し、その心労から母親がうつ病となって入院しており、彼女を元気にするためには、国立の付属におまえが入学するしかないと父親に言われています。 岡田は、そうした彼らが塾で出会い、それぞれの事情を互いに明かすわけではないけれど、互いの存在が、それぞれが抱えている事情で躓いてしまうことなく受験までの時間を過ごしていくための糧となることを描いていくのです。 彼らにとっての塾生という身分は、ハリー・ポッターの魔法学校生のそれと同じです。つまり、学校が現実世界だとしたら、塾がファンタジー世界なのです。最も現実的な目的のためにある塾がファンタージエンであることは、皮肉でも何でもなく、リアルな現実でしょう。 一方、濱野京子は、最近流行のスポーツYAとしてもおもしろい、『フュージョン』(講談社)で、同じ中学に通う二年生を描きます。 この作品は、塾という学校の外部を設定はしていませんが、別の形で主人公たちを、ひとまず学校の外部に置きます。 語り手の朋花は、両親と上手くいっておらず、兄の悠ちゃんもまたそのような理由で家出をしています。夏休み、彼女がイライラしているのは、高校教師である母親がいつも家にいることが原因。この人と何を話していいかわからない。彼女は、チャリであてなく走り、ある公園で思わぬ光景を目撃します。「なんであの二人がいっしょにいるんだよ!」。二人とは、学校一の優等生の美咲と、不良だと言われている玲奈。そして朋花は、彼女たちのしていることに目を奪われます。ダブルダッチ(二本の縄を使う縄跳び)です。そのなんとかっこいいこと! 魅了された朋花は、玲奈のパシリだと思われている玖美と四人で、ダブルダッチのグループを作っていきます。 そこから物語は、四人のそれぞれの事情を語り始めるのです。 学校では考えられない、意外な組み合わせの四人。そして、四人をつなぐダブルダッチ。彼女たちは、同じ学校に通っていながら、学校では出会わなかった。だからこそ「空気を読む」ことはさほど必要とされない関係です。 とはいえ、この二作が「学校」を意識していないというわけではありません。むしろ、「学校」を強く意識しているからこそ、その外部に主人公たちを置かざるを得なかったのでしょう。 子どもたちが心を通わせ、ぶつかり合い、理解し、別れていくための場でもあったはずの「学校」を。(「飛ぶ教室」) |
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