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2008.12.20

       
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野坂悦子の二〇〇八年オススメ本。

「おうじょさまと なかまたち」(アローナ・フランケル作 もたいなつう訳 すずき出版)
 だれかにいじめられると、おおきくなるいもむし。その目は血走り、これでもかというほど、醜い姿に変わっていく。でも、いもむしは、それぞれの恐れを映しだしているだけなのかもしれない。そして、おひめさまのひとことが、すべてを変える・・・。
 静かなストーリーに、イスラエルに生きる人びとの日々を重ねてみると、対極にある現実と、作者の祈りが見えてくる。

「ケーキやさんの ゆうれい」(ジャクリーン・K・オグバンさく マージョリー・ブライスマンえ 福本友美子訳 フレーベル館)
 ケーキやさんの店主だったコーラ・リーは、ゆうれいになった今も、強烈な個性の持ち主。そのあと店主になった人たちをつぎつぎと追い出してしまう。でもアニーだけはちょっと、ちがっていた。これだけ文章量のある絵本は、日本ではなかなかお目にかかれない。 物語の醍醐味、「なみだがこぼれるほど」のケーキの味を、たっぷりと味合わせてくれる作品。

「ケーキをさがせ!」(テー・チョンキン作 徳間書店)
 ベルギーやオランダなどで大人気の、言葉の無い絵本。
 ネズミはケーキを盗みだして、どこへもっていくのだろう?
 エピソードは全部、絵のなかに描きこまれている。
 だから、子どもの眼にもどって絵の世界に入りこむと、ページをめくる空白の時間、つまり「間」のなかに、いちばん大切な動きと展開があることが、わかってくる。
 まるで、眼には見えないアニメーションのようだ。
 絵の中を、そして中断された絵と絵のあいだを、想像によってふくらませていくこの絵本が、日本の子どもたちの手に届くようになって、よかった!

「かえるのじいさま と あめんぼおはな」(深山さくら 文  松成真理子 絵 教育画劇)
 あめんぼおはなの両親を、食べてしまったかえるのじいさまは、「さぞさぞ おいしかったでしょうね」と おはなにきかれて、「にがいだけじゃった」とは いえず。
「このよで いちばん うまいのはなんといっても あめんぼじゃ」と答える。
 かえるのじいさまは、「真実」を語ってはいないけれど、その言葉は「真情」だ。思いやりとは、なんだろう正直すぎる私たちは、かえるのじいさまから、もっと智恵を学ばないといけない。

そして最後にもうひとつ。ちょっと文体を変えてご紹介します:

「えのはなし」(ポール・コックス作 ふしみみさを 訳 青山出版社)
 おひめさまに恋してる、わかい絵かきのルコ・ボックスさん。
 あなたに、「はだかの王さま」や「冒険家」のともだちができて、ほんとによかった!
 で、これは、みんなで力をあわせれば、アイスばっかり食べている、おそろしい王さまだってこわくない、っていうお話だったのかしらん・・・ぐるぐる、お話がまわっているみたいで、どこから読んでもだいじょうぶなのね。
 でも私は、「ルコと、おひめさまは、しあわせであり、そしてふこうでもありました」っていうきまじめなひと言にであうたび、胸がいたくなるわ。愛よ、永遠なれ。
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【絵本】
『なぜ戦争はよくないか』(アリス・ウォーカー:文 ステファーノ・ヴィタール:絵 長田弘:訳 偕成社 2008.12 一二〇〇円)
  このストレートで正しい、正しすぎるタイトルで、アリス・ウォーカーはどう戦争を語ろうとするのか?
 戦争を子どもに語るのが難しいのは、それが様々な原因で生じるからです。
 また、戦争の悲惨を語っても、戦争の一側面しか見えて来ません。「子どもは戦争の被害を最も受ける存在だ、子どもはつらい思いをする、だからいけない」という語り方は、正しい内容を語っているとしても、子どもにさほど訴えかけはしません。なぜなら、聞いている(読んでいる)子どものほとんどは、今の自分にそれが起こっていないことにほっとするだけですから。もちろん尋ねられれば、「戦争はいけないと思います」と応えはするでしょうけれど。
 昔、今江智は、「戦争の顔を描く」という言葉で戦争の伝え方を巧く表現しました。その顔を冷静に、いかに描くか。
 ウォーカーは、この絵本で戦争を一つの固まり、一つの生き物のように、ザクッと捕まえることで、それに成功しています。
「戦争は何も見ようとしない ミルクの大切さを なにより人間の大切さを」
「戦争は たくさん経験を積んでも すこしも賢くならないのよ」
「戦争が食べないものが 何かある?」
 ヴタールのイラストは、様々な戦争の顔を描くために、ページごとに違う表現を採用しています。これもいいですよ。(ひこ)

『アンジェラのおねがい』(こやま峰子:文 藤本将:画 教育画劇 2008.10 一〇五〇円)
 ボスニア紛争をテーマにした絵本。
 アンジェラは友達のリナともうあそべません。敵同士だから。
 パパが戦いに行きました。早く戻って欲しい。
 そうした、アンジェラの心に添って、話は進みます。
 ノンフィクション絵本です。
 それ故でしょうか、説明不足が目立ちます。
 この絵本を子どもと読む親が、どれだけ子どもに説明できるか? なんです。
 反戦が普遍的であるのはわかりますが、ボスニアヘルツエゴビナと特定されているわけですから、個別具体的なことも書いておくことは必要では?
 その事の起こりと、収束までを。
 かつて、サラエボで冬季オリンピックに参加したアイスダンスの金メダリスト、トーヴィルたちが抗議を込めて、引退後に復帰して「ボレロ」でアピールしたこと。町が封鎖された中で、ユーモアたっぷりに、サラエボの旅行ガイドブックを書いた人々。そうした、行為たちのように、子どもたちの胸にもっと伝わる工夫をして欲しい。(ひこ)

『この世でいちばんすばらしい馬』(チェン・ジャンホン:作・絵 平岡敦:訳 徳間書店 2008.12 一九〇〇円)
 『ウェン王子とトラ』で、私たちを驚かせてくれたチェンの新作訳。
 天才絵師と、その絵の中から跳び出してきた馬の、神話的物語です。
 ハン・ガンの馬の絵はこの世に名高く、あまりに生き生きしているので、画面の外に出てくるという噂が広まっています。
 ある武将がハン・ガンの元にやってきて、馬を所望します。都に敵が迫っているのです。
 ハン・ガンは馬を描き、武将は手に入れるのですが……。
 戦のむなしさが背景から前面へとせりだしてきます。
 チェンの絵は、この作品でも圧倒的な説得力です。物語のシンプルな奥深さもいいです。(ひこ)

『どうして?』(サラ・ヴェルローワン:作 野坂悦子:訳 光村教育図書 2008.11 一四〇〇円)
 イマドキのというより、むしろ古風に感じられる木版の絵本です。
 希望がないかのような色のない世界。アヒルは赤いぬいぐるみを抱えて進みます。
 怒り、落ち込むアヒル。でも、
 アヒルは進みます。日の光を探して。
 絵は、次第に色を増していき、太陽が見つかり、色を取り戻すまでが描かれていきます。
 ここに様々なメタファーを読み取ることは可能ですが、その前にまず、不穏な、不安な、不安定な黒い世界から、色が増していくなかで読み手の心に何が沸き起こってくるかを、それぞれが自身で確かめたいです。
 とても力強い作品。この先楽しみな作家の登場といっていいでしょう。(ひこ)

『けんか その手をだす前に 学校のトラブル解決シリーズ1』(エレイン・スレベンス:作 上田勢子:訳 オノビン:絵 大月書店 2008.10 二〇〇〇円)
 学校の中では様々なトラブルが起こります。けんか、いじめナドナド。
 学校は、本人の意志とは関わりなく集められた集団で成り立っていますから、トラブルが生じやすい場所です。
 ですから、起こったとき、どうそれを処理したり解決したりするか、そのスキルを身につけていくのが大切。
 このシリーズはそれを目指して、トラブルの起こるメカニズムから解決法や回避法などを見せていきます。
 半世紀前なら、そんなトラブルの解決法は体で覚えていくものだとか言えたのかもしれませんが、加減や距離感がかつてとは違っている現在、こうした本は必要でしょう。
 残念なのは装幀と絵が今ひとつなところ。子どもが手に取りたいものに仕上げて欲しい。(ひこ)

『ひらがな だいぼうけん』(宮下すずか:さく みやざきひろかず:え 偕成社 2008.10 一二〇〇円)
 三作入っています。
 ひらがなの形状をめぐる、おかしなおかしなドタバタ劇「いちもくさん」が、なんといっても最高です。「は」は自分が「ha」とも「wa」とも呼ばれ、使われ、するので忙しいと嘆くと、それを自慢と取った「む」や「め」が起こりだし、もう大騒ぎ。「き」はぶつかって横棒一本が落ちて「さ」になってしまうし、混乱した本当の「さ」はくるりと回って「ち」になってしまいます。
 てな具合で、混乱に次ぐ混乱。カーニバル。
 子どもの方々、大人の方々、ひらがな文字の楽しさを存分に味わってください。
 すばらしい!
 かなり高いレベルのデビュー作、おめでとうございます! 続きをぜひぜひ読ませてください。(ひこ)

『はずかしがりやの れんこんくん』(二宮由紀子:文 長野ヒデ子:絵 童心社 2008.11 一三〇〇円)
 れんこんくんは、自分にはいっぱい穴があるので、とっても恥ずかしいのです。だから、クラーイ。魚取り網くんは、自分も穴がいっぱいあると慰めてくれますが、網くんはスースーとなんだか爽やか。網くんから逃げたドジョウや他の魚たちも色々言ってくれますが、やっぱりれんこんくんは、落ち込んだままでクラーイ。
 でもね、、でもね、実はれんこんくんって、
 ここからはお楽しみ。
 アイデンティティを揺さぶる二宮ワールド最新作です。(ひこ)

『アーくんとガーくんの でっかいたからもの』(デッド・ヒルズ:作 木坂涼:訳 小学館 2008.11 一五〇〇円)
 アヒルのアーくんとガチョウのガーくんが大きなボールを発見。
 でも彼ら、それをたまごだと勘違い。
 でも、意地張って、勘違いのまま、たまごを温めることに。
 子どもが勘違いをするのは、知らないから仕方がないのですが、それを勘違いだと知ったときの恥ずかしさはもちろん大人と変わりはありません。
 そして大人より勘違いが多いもので、子どもは大人よりずっと恥ずかしさを知っています。
 だから、この絵本を読んでいるときっと、子どもはアーくんとガーくんを「ばかだなあ〜」なんて笑いながらも親しみを感じて見つめるでしょう。(ひこ)

『えんぴつくん』(アラン・アルバーグ:作 ブルース・イングマン:絵 福本友美子:訳 小学館 2008.11 一五〇〇円)
 一本の鉛筆が、少年を描き出します。名前を付け、犬を描き、ネコを描き、彼らが暮らしている町を描き、
 でも何かがたりない。
 色!
 そこで鉛筆は色鉛筆を描き、色鉛筆が色を付け、
 少年は家族を描き、
 が、あんまりリアルなもので、描かれたみんなは、色々文句を言い出します。
 そこで鉛筆は消しゴムを描くのですが、この消しゴムが、次から次へと世界を消し始め……。
 アルバーグ&イングマンのコンビがまたやってくれました!
 危機また危機の、スリリングな物語になっているメタ絵本です。
 子ども読者にとってこれは、世界がクラっと傾くおもしろさを味合せてくれるでしょう。新しい思考の箱を開けてくれるでしょう。(ひこ)

『はるかな島』(ダイアン・ホフマイアー:文 ジュード・ダリー:絵 片岡しのぶ:訳 光村教育図書 2008.12 一五〇〇円)
 十六世紀の実話に基づいた物語。
 大航海時代、長い航海だからでしょうか、男は人といるのがいやになって、船を下り無人島に籠もります。どこかの船がやってきても隠れてしまうばかり。
 それでも、やってきた人々の残した様々な動植物は増えていき、やがて何もなかった島が豊かな島へ。
 人は、一人でも生きていけますが、一人じゃないのもまた豊かであることを、ダイナミックにではなく、ただ起こったであろうことを記述していくだけの語り口で巧く伝えています。それは、ジュード・ダリーの絵が醸し出す淡々とした表情によってより説得力をもって迫ってきます。
 大感動というのではなく、読み終えるとストンを納得するような、とでも言えばいいでしょうか。(ひこ)

『ヘンリー・ブラウンの誕生日』(エレン・レヴァイン:作 カディール・ネルソン:絵 千葉茂樹:訳 すずき出版 2008.12 一九〇〇円)
 十九世紀奴隷制度の実話を元にしています。
 ヘンリー少年は主人が亡くなったため、母親や兄弟から引き離されて、新しい働き場所へ。
 成長したヘンリーは別の主人に仕える女の子と恋をし、無事結ばれ、子どもも生まれます。しかし連れ合いの主人が、彼女を売ってしまい、子どもとも引き離されひとりぼっちに。
 自由になりたい!
 ヘンリーは、一大決心をして、逃げ出すのですが、その方法とは?
 誕生日も持つことができない奴隷という存在の非人間的扱いが、子ども読者にもわかりやすく描かれています。
 カディール・ネルソンの絵は、静かに事実を語りかけます。(ひこ)

『はいしゃさんに きたのは だれ?』(トム・バーバー:さく リン・チャップマン:え ひろはたえりこ:やく 小峰書店 2008.11 一五〇〇円)
 そりゃあもう、たいていの子どもは、大人は、歯医者が嫌いです。できれば行きたくない。でも、行かないとどうしようもなくなる時もある。
 で、サムも歯医者に。でももちろん、大嫌い!
 泣くわ、喚くわ、絶対拒否。
 歯医者は、慣れたもので、サムに楽しい話をし始めます。いままでどんな動物が歯医者に訪れたかの話を。トラ、カバ、クジラも!
 あれれ、いつの間にかサムの治療は終わって……。
 こんな歯医者だとだといいのにね。
 リン・チャップマンのちょっととぼけた絵が、いっそう笑いを誘います。(ひこ)

『ケーキをもってピクニック』(テー・チョンキン:作・絵 徳間書店 2008.12 一四〇〇円)
 『ケーキをさがせ!』の第二弾。
 ベースは、盗まれたケーキさがしですが、それが主眼ではありません。そのベースと平行して複数のドラマが展開していくのを楽しみます。
 それは、私たちの日常そのものですね。誰が主人公でもなく、誰でも物語を持っている。(ひこ)

『クリスマスには おひげが いっぱい!?』(ロジャー・デュボアザン:作 今江智・遠藤育枝:訳 BL出版 2008.11 一三〇〇円)
 サンタさん、怒ってます。
 だって、この時期、巷には偽のサンタさんがいっぱいだから。
 だもんで、サンタさん、偽サンタを暴きに出かけるのですが……。
 シンプルな色遣いに、表情豊かな登場人物たち。デュボアザンの暖かい絵本です。
 やっぱりサンタはたくさんいなくちゃね!(ひこ)

『きらきら』(谷川俊太郎:文 吉田六郎:写真 アリス館 2008.11 一〇〇〇円 CD付きは一五〇〇円)
 たくさんの六角形。雪の結晶。
 ただそれだけの写真たち。
 でもちゃんと、見る側が勝手に想像して物語を作れるほど、それは刺激的。
 どうぞ、一つ一つ、じっくりとご覧あれ!
 谷川の詩は、もちろんピシッとはまっていますが、でも、結晶の物語力の方が上かな。(ひこ)

『竹と ぼくと おじいちゃん』(星川ひろ子・星川治雄 ポプラ社 2008.11 一二〇〇円)
 『しょうた と なっとう』の二人による最新写真絵本です。
 今回もええですね。
 七十二歳、田植えをしているおじいちゃんと一緒にお昼ご飯。
 次の日、タケノコ取りに連れていってもらうつばさ。竹は一日でどれだけ大きくなるか、観察。
 といった二人の時間が生き生きと写真に切り取られ、そして、おじいちゃんに教えてもらって竹とんぼ作りへと続いていきます。
 ページを繰るごとのレイアウトもさりげないのですが、視線の流れが適確で、写真が動き出します。この辺りは編集者の腕もあるのでしょうけれど、写真絵本では特に大切なことです。
 星川コンビの写真絵本はいつも幸せな気分にしてくれますね。(ひこ)

『あたらしい ともだち』(トミー・ウンゲラー:作 若松宣子:訳 あすなろ書房 2008.10 一五〇〇円)
 そうなんだ、ウンゲラー大変だったのだ。知らなかった。
 七年ぶりの復帰新作絵本です。
 両親と引越をしたラフィティ・バコモ。まだ友達はいませんが、大工仕事が大好きで、おとうさんにもらった道具で色んな物を作っているので、寂しくありません。
 おとなりの子ども、キーン・シンは裁縫が得意。バコモが作った奇妙な人形やロボットに服を作ってくれます。
 こうして始まった二人の小さなアーティストによるコラボレーション。捨てられたゴミを拾ってきて、アートに仕立て上げていきます。
 庭に作品があふれ、今まで近寄らなかった近所の子どもたちも、手伝いたそう。
 でも、警官がやってきて、ガラクタを片づけろ!
 でも、でも、それはアートだい!
 マスコミがやってきて、美術館の館長がやってきて、もう大騒ぎ。
 二人は正当に認められます。
 人種問題もきちんと織り込みながら、アートの楽しさを伝えながら、楽しい絵本となっているのが、やっぱり、ウンゲラー。(ひこ)

『だんろのまえで』(鈴木まもる 教育画劇 2008.10 1100円)
 鳥の巣研究家でもある鈴木の、哲学絵本。といっても難しくはありません。
 雪の中で道に迷った「ぼく」は、大きな木の幹に扉があるのに気づいて、中へ。
 そこは薄暗く、暖炉の灯りだけ。
 ウサギがいて、ネコがいて、寄り添って眠ると暖かで……。
「ぼくは、ここがすきだよ」と「ぼく」。「すきに なる きもちが あれば どこででも だいじょうぶ」とうさぎ。
 それを本当に感じるために、外の寒さと、部屋の暖かさを鈴木は用意します。
 そうですね。「すき」さえあれば、とりあえずは元気になれます。(ひこ)

『おさんぽ くろくま』(さく・え たかいよしかず くもん出版 2008.11 800円)
 くろくまくんはおさんぽ。
 おいしそうな赤い実と思ったら、テントウムシさん。
 木の枝に、今度こそおいしい実だと思ったら小鳥さん。
 おいしい実は食べられるのかしら?
 シンプルな幼児絵本。何かを発見、でも間違い。それが何度か繰り返された後、幸せな結末が訪れるわけですが、間違いがあることで、幸せが効いてきます。(ひこ)

『くんくん ふんふん』(オスターグレン晴子:文 エヴァ・エリクソン:絵 福音館書店 2008.09 743円)
 二〇〇一年に「こどものとも年少版」で出た作品の単行本。
 こいぬのポンテが、色んな匂いに誘われて、最後は飼い主の匂いに安心して眠るまでを描きます。
 もちろんそれは、しっかりと親子の物語でもあるのですが、子どもの好奇心を子犬に託して、巧く描いているわけです。(ひこ)

『にわにいるのは、だあれ? パパとミーヌ』(キティ・クローザー:作・絵 平岡敦:訳 徳間書店 2008.09 1600円)
 にわで花を摘んでいて、視線を感じるミーヌ。気になって仕方がありません。
 パパがお出かけのとき、調べることに。
 と、木の枝に隠れてクモの男の子アルトがいて、ミーヌは捕まってしまいます。でも、すぐに友達になり、アルトが風邪を引いているので、セーターを着せてあげて、ついでに編み方を教えます。そこはクモであるからして、アルトは編み物に夢中!
 なんだかとっても暖かくなります。(ひこ)

『ぷっぷー ぶっぶー』(長野ヒデ子:さく・え ポプラ社 2008.10 一〇〇〇円)
 折り紙で作る『わんわんえほん』の三作目。今回は車です。
 折り紙といっても、はさみを入れずに造形するのではありません。折り紙の風合いと、折ることで起こるプチ立体感を楽しむのです。
 今作は車ですから、折り紙を折って、折り目を残して車の形に切り抜くと、それは床に、テーブルに立つ訳です。
 で、ぷっぷーと遊ぶ。
 つまり、絵本であることと同時に、そこに示された折り紙の車を参考にして車を切り取って作り、遊ぶことを前提として作られています。
 そしてそれは、優れた絵本作家によってワクワク度いっぱいに仕立て上げられているのがみそ。(ひこ)

『ノントン・ワヤン!』(松本亮:文 橋本とも子:絵 熊谷正:写真 「たくさんのふしぎ」2009.01月号 福音館書店 七〇〇円)
 インドネシアの影絵人形芝居、ワヤンの魅力を伝える一冊。
 「たくさんのふしぎ」ですから、絵本+情報+知識というセットになります。
 ワヤンは、その強烈な印象を残す人形たちの魅力だけでも、十分に見る価値があるわけですが、この作品では短いながらもいくつかの物語も知ることができます。
 その芝居を撮った熊谷の写真の迫力もなかなかのもので、現場の臨場感を伝えるには、そのまま撮るのではなく、写真家の「演出」がいかに大切かを伝えてくれます。その意味でこれは、「写真」の「たくさんのふしぎ」ともなっています。
 そうした写真の力に押されながらも、橋本の絵は様々な表現を使って絵本としての物語(子どもたちがワヤンを見に行く)部分を描きます。子どもたちがもう少し「子ども、子ども」していなくていいとは思いますが。
 松本の文は、ワヤンを伝えることに主眼を置いて、もっと説明的・解説的でも良かったのでは? もし物語的に書くのなら、もっと作って(フィクション化して)しまう方がいいでしょうね。
 松本さん、ワヤンの魅力をもっともっと日本の子どもたちに伝えてください。ワヤンは、子どもが疲れたとき、ひとときに異空間に連れていって、休ませてくれますから。(ひこ)

『一枚の布を ぐるぐるぐる』(深井せつ子:文・絵 「たくさんのふしぎ」2008.12月号 福音館書店 七〇〇円)
 確かに素敵なデザインの服というのはあって、自分の趣味に合うそれを見たときは、欲しい、着たい(予算、性別はひとまず横に置いて)とトキメクのですが、けれどたいていのそれはやがて飽きてしまったり、心身どちらかが合わなくなってしまいます。
 でも、ただ織り上げただけの長い一枚の布っていうのは、飽きたり合わなくなってしまうことはまずありません。そして、多くの素敵なデザインの服とは、結局、ただ一枚の布を巻き付けたり、簡単に縫い合わせたりしただけの、民族衣装であったりするのです。
 私は、裁断しデザインする服ってのは、ひょっとしたら、布に対するデザイナーたちの嫉妬が形になったものではないかと思っています。布をいかに自分が征服したいかの欲望の過程が、服のシルエット、ラインになっているのではないか、と。
 この絵本は、世界中の民族が利用している布の力を、子どもたちに次々と見せてくれます。素晴らしい!
 単行本にして欲しいなあ。(ひこ)

【創作】
『ナニワのMANZAIプリンセス』(荒井寛子:作 中島みなみ:絵 ポプラ社 2008.10 1200円)
 第一回スッコケ大賞受賞作です。
 ハナの両親は売れない漫才師。それよりなお悪いのは、面白くない漫才師。
 ハナは両親にうんざりして、大阪から東京の祖母の元へ。新しい学校で過ごします。が、クラスの男の子林田が漫才大好きで、うっとうしい。
 林田はハナが漫才師の娘であることを知って、おおいに感激し、大阪へ行くことを熱望するのですが……。
 両親を受け入れられない子どものアイデンティティを巡る物語を、マンザイを素材とし、またそのノリをベースとして展開した物語です。
 その落ち着く先は予定通りで、お行儀がいいです。ズッコケシリーズのように、もう少しはみ出てもいい気がします。でも、破綻のない物語を構築するのは難しいけれど、それをやっているので、腕のいい作家です。
 ナニワでマンザイという既製のイメージに頼りすぎているところは、弱さでもあります。そこは、素材を変えてみればいいだけの話なので、自作はそれを期待します。(ひこ)

『あたしが部屋から出ないわけ』(アメリ・クーチュール:作 末松氷海子:訳 小泉るみ子:絵 文研出版 2008.12 1200円)
 母は、リシューを産むとき亡くなり、父はそのショックで彼女を育てられなくなります。
 だからリシューはおばあちゃん育ち。大好きな大好きな、おばあちゃん。でも、父が再婚したとき、おばあちゃんの元を離れました。父と再婚相手イザベルの間に弟が生まれます。
 おばあちゃんが亡くなったとき、リシューはなにもかも失ったような気がして、父にも、イザベルにも、弟のルカにも素直に接することができません。
 部屋に閉じ込もるリシュー。
 いったいどうしたらこの気持ちを分かってもらえるのでしょう。
 いったいどうしたらみんなの気持ちを受け入れられるのでしょう。
 その辺りの細かな心の動きが、隠すことなく描かれていきますから、気持ちいいです。(ひこ)

『ムーン・ランナー』(キャロリン・マーズデン:作 宮坂宏美:訳 丹地陽子:絵 ポプラ社 2008.12 1200円)
 1エピソードの小さな物語ですが、大事な所を突いています。
 四年生のミーナ、ルース、アラナ、サミーは仲良し四人組。ルースは学校一足が速いことで有名。が、授業で走ることになったとき、ミーナは初めて走る喜びを感じ、しかもルースより速いことがわかります。でも、ルースに勝ってしまったら、仲良しであることが難しくなるのでは? ミーナの悩みが始まります。
 教師や親のサポートはさりげなく、最小限で、ミーナたち自身がこの危機を乗り越えていく様が、わかりやすく描かれていていいですね。(ひこ)

『ジャバ』(エスケン ソニーマガジンズ 2008.10 1500円)
 ユラは、学校が退屈で面白くなく、いじわるなクラスメイトもいて、行きたくはありません。それに、使っていた自転車が壊れてしまったし……。
 亡くなったパパは、ジャズピアニスト。世界中を旅していましたから、あまり会えませんでしたが、大好きです。
 ママが、パパに愛用していた自転車をユラに渡します。名前はジャバネーズ。イタリアのレオナルド・ペッツォーリ伯爵の手作りです。ユラはジャバを名付けます。するとジャバはユラに話しかけてきます。パパの思い出も語ってくれます。
 トランペットも覚え始めたユラは、パパの友人だったジャズメンたちとも知り合い、ジャバと共に旅もし、世界が決して退屈でもつまらない物でもないことを知っていきます。
 気になるのは、良いやつと悪いやつ、良い物と悪い物が割とはっきり色分けされていること。ジャズをする人にだって悪い人はいるでしょうし、ジャズがなじめない人もいるでしょうが、そうした視点は入ってきません。また、自転車は趣味人向けのものが出てきて、わかる人にはわかるって感じです。働くママと二人暮らしなのにユラが家事を手伝っている風でもないですし、ジャバではスーパーで食料品を買ってもバックパックでしか運べないのでは?
 というように、生活感があまり出てこない物語ですから、同じ価値を共有する人には面白いということになるでしょう。
 世界を信じていく物語は、今こそ本当に必要だと思うので、ぜひ今度は特権的ではない物語を書いて欲しいです。(ひこ)
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『ひらがな にっき』(文・若一の絵本制作委員会 絵:長野ヒデ子 エルクラブ)
 私たちは日頃、ケイタイメール、本、新聞などで、文字を読んで、情報を得ています。でも、もし文字を読むことが出来なかったら? と想像してみてください。ものすごく不自由で、不安に感じられると思います。
 吉田一子さんは、貧しくて学校に通うことができず、文字を習えませんでした。この本はそんな吉田さんが、どんな日々を過ごして来たかが描かれています。
 商品の値段が読めないので、買い物はいつもお札を出しておつりをもらうこと。メニューが読めないので、外食をあきらめたこと。
 吉田さんは、六十歳から文字を習い始めます。
 病院で初めて自分の名前を書いた時。「しばらくして『よしだかずこさん』とよばれました。うれしくてびょうきもなおりました」。吉田さんの喜びが伝わってきます。
 また、こんなこともありました。「えきで らくがきをみました。びっくりして はらたって なみだがでました」。
 吉田さんは、「文字」が、いかに大切な道具かを、私たちに教えてくれます。(読売新聞 ひこ)
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『エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる』(ローレン・ターシス作/部谷真奈実訳/主婦の友社刊)
 エマ・ジーン・ラザルスは七年生。日本なら、だいたい中学一年 生くらいでしょうか。彼女は学校に友だちがいなくて、いつもひとりで過ごしています。といっても、それで落ちこんでいるわけでは ありませんし、別にいじめられてもいません。同級生たちのことも好きです。ただ、同級生たちの行動は理不尽で、ときに理解不能に 見え、「どんな種類の乱れも不規則もきらい」な彼女は、みんなから離れて観察するようになったのです。
 現実の世界でも、クラスの中で人と距離を置いている子どもはい ます。その子にとって、それが一番気持ちがいいのなら、そうして 学校生活をやり過ごすのは、別に悪いことでも困ったことでもない でしょう。
 エマ・ジーンは、学校に行きたくなければ行かなくてもいいの に、ちゃんと毎日通っているわけですから、学校生活そのもの、集団生活そのものが耐えられないほどいやというわけではなく、そう した位置取りがベストなのです。というか、自分にとってベストなのだと思いこんでいます。
 ある日、エマ・ジーンはトイレで同級生のコリーンが泣いている のを発見します。コリーンは親友のケイトリンとスキーに行く約束をしていたのですが、仲間のボス的存在であるローラが、ケイトリ ンにローラを誘わせるようにし、行けなくなったというのです。それでもローラを恐れて、コリーンは抗議もできません。とても理不 尽です。
「エマ・ジーン、助けて」
 これまで同級生たちを遠くから観察していただけのエマ・ジーン は、少し動揺します。と同時に、今まで感じたことがないような高 揚感も生まれてきます。
 コリーンを助けよう!
 コリーンの方は、深く考えず、感情に流されてそんな言葉を発し ただけで、そこにはそれほど深い意味は込められていません。時に人は、そうした言葉遣いもします。でもエマ・ジーンからすると、 その言葉は理解可能で、しかも自分が冷静に取ってきたつもりの距離をコリーンが詰めてきたわけですから、それに対するアクション を起こそうとするのは、当然の反応だったのでしょう。
 エマ・ジーンは、彼女が考えるところの論理的で的確な行動を取 り、見事コリーンをケイトリンと一緒にスキーに行かせることに成功します。彼女はコリーンから、何か報酬(お礼の言葉や友人にな ることなど)を求めていたのではありませんから、その行動はコリーンには知らされません。つまり、エマ・ジーンはまた、同じ距 離を取ったのです。
 しかし、自分が起こした行動は、たとえ自分がその現場から離れ ても帳消しになるわけではありません。この件をきっかけに、エ マ・ジーンは傍観者から当事者に変わってしまいます。ローラが真 相を突き止めたのです。
 でもエマ・ジーンはそのおかげで、理不尽で不規則でも、案外素 敵なものを見つけます。「友だち」を。
 エマ・ジーン、木から落ちることもたまには大正解なんですよ!(徳間書店 ひこ)