No.134(ほそえさちよ・絵本編)2009.03.06日号

       

ほそえさちよ

◯イーラの写真絵本

『ねむいねむいちいさなライオン』マーガレット・ワイズ・ブラウン文 イーラ写真 ふしみみさを訳(1947/2009.1徳間書店)

『せかいをみにいったアヒル』(1953/2009.2徳間書店)

『2ひきのこぐま』(1954/1990こぐま社)や『85枚の猫』(新潮社)で知られる動物写真家のイーラの写真絵本が続けて刊行された。うれしい。

2冊ともマーガレット・ワイズ・ブラウンのテキストだ。『2ひきのこぐま』は亡くなる前年の刊行で唯一自分の文章で作られた絵本だった。二ひきの小熊を自然のなかで撮っているのも、他の絵本と違っていた。それまでの写真のほとんどはスタジオのセットや動物園、サーカスなどで撮られており、それは彼女の活躍した時代(1933~1955年)の限界だと思われる。現代のように動物や自然をナチュラルに撮ることの出来る機材や機会がふんだんにあるわけではなく、彼女の最初の仕事のフィールドがペットの肖像写真だったことからもわかるように、自然は手なずけるもので、観察し、発見されるものではなかったのだ。そんななかでも彼女の撮る動物写真のナチュラルさが人々の心をうち、広告や雑誌、書籍と活躍の場がひろがり、それに合わせ、撮る対象も変わってきたのだろう。1952年にアフリカで大自然のなかの動物たちの写真を撮ってからは、できるだけ自然のなかで写真を撮るようにしたいと願ったという。

今回翻訳されているワイズ・ブラウンのテキストは、お話の流れを作り、そこにあうような写真を組み合わせて作られているように思われる。『ねむいねむいちいさなライオン』はまず、ライオンの赤ちゃんを被写体にしたたくさんの写真をセレクトしていくことでお話が自然に生まれたようなかんじだ。同じ写真を元にフランス版ではジャック・プレヴェールが別のお話を付けていることからも想像できる。『せかいをみにいったアヒル』では外での撮影も増えていて、アヒルが動物園に出かけるというコンセプトを共有して、写真とお話を作り上げていったのだろう。ワイズ・ブラウンとの写真絵本ではこのほかにも、動物が目を見開いたアップの写真を構成して作られた"They All saw It"があるが、これもたくさんの写真からワイズ・ブラウンのコンセプトで写真を選びならべていった感がある。それはイーラの得意なショットをあつめたものでもあったのだろう。イーラの写真の特質を『動物の世界』(平凡社)の序で光吉夏弥が「彼女は部分がもっと生き生きと、その動物の本質的なあるものを表現することを知っていた」と評しているが、それは制約から生まれた特質でもあり、それを自分の強みにしてしまえる腕と目がイーラにあったのだともいえる。動物園などの限られた空間で全身像をうつすとなると檻が入ってしまう。そうならないよう、対象に接近し、空や水を背景になるように撮れば、おのずと動物の特徴的なアップとなり、目が光に輝き、毛や羽の質感がはっきりとでた生き生きとした写真になる。動物にそんなに接近してみる人は多くはなかったので、イーラの写真によって、よりよく見て、形態そのものの特質から動物を知ることになるというのだ。

今回翻訳刊行された2冊では、イーラの写真のもつ質感や構図が物語を内包してしまう強さをもっていることに改めて感動した。たぶん、ワイズ・ブラウンはイーラの写真を絵本の絵と同じように扱って絵本作りをしたのではないかと思う。優れた編集者でもあった彼女だから、イーラの写真の表現力の強さを一番に感じ、それを幼い子へ手渡すには物語絵本にするのが良いとおもったのではないかしら。現代の写真絵本の多くは生き物の生態をよく知らせるために作られ、動物を擬人化したり、お話の登場人物のように扱ったりはしない。動物そのものに接することの少ない幼い子に、思わずさわりたくなるようなむくむくのライオンの子や表情豊かなアヒルと動物たちを見せ、動物そのものへの驚きを伝えるために出会いの物語を添えたのだろう。


◯新訳復刊! 

『にんじんのたね』ルース・クラウス作 クロケット・ジョンソン絵 おしおたかし訳 (1945,1973/2008.11 こぐま社)

以前渡辺茂男訳で『ぼくのにんじん』(1980/ペンギン社)として刊行されていた絵本の新訳復刊。一昨年にクロケット・ジョンソン生誕100年が祝われ、いくつかの本が特装判で刊行されたり、ラフスケッチのままで残されていた作品が刊行されたりと、アメリカではクロケット再評価の年となっていた。本作は夫妻のなかでも一番よく読まれている絵本といえる。こぐま社リーフレットによると以前の訳では「家族に何と言われてもにんじんを世話し続けた男の子の話」と読み取れ、今回の訳では主人公は男の子ではなく、原題(The Carrot Seed)どおり、人参の種なのだと意識して訳したと書いてあります。種の力を信じ続けることの出来たのは種に一番近い存在だった(小さくて種みたいにまだ成長しきっていない)男の子だからなのではないかと。両者の訳を比べてみると、まずタイトルがちがうこと、訳している文体が違うことに気づきます。最初のページ「ぼく にんじんの たね まいたんだ」という『ぼくのにんじん』では、男の子の口調が地の文に出てきており、一貫して男の子の目から見た状況のように読み取れます。それは、親しみやすく、本の中へ入り込みやすくしたいという配慮からなのかもしれません。声に出して、乗りやすい訳文だと思います。『にんじんのたね』では、「にんじんの たねを ひとつぶ、おとこのこが つちに まきました。」という第3者的な(客観的な)地の文。叙述的でわくわくした感じはないですが、昔話みたいに落ち着いた信念を持った感じが伝わります。声に出すと、収まりの悪いページもあり気になりはしますが……。本作の原書を持っていないので、はっきりしたことはいえませんが、ルース・クラウスの他の原書の文体から想像すると、『にんじんのたね』のほうがよりクラウスの文体に近いような気がします。なぜなら、クラウスの作品はとても即物的なアイデアや文章が多いから。アメリカではマーガレット・ワイズ・ブラウンと並び称される絵本の作家でありながら、そのストレートな子どもじみた(良い意味で使っているのよ)物言いのあっけらかんとした楽しさが、ウェットな感性にひかれる人の多い日本では、今ひとつ受けないのよねえ、とクラウスびいきの私は思ってしまうのです。種は芽を出し育つもの、という揺るぎない信念は子どもの思いの強さに通じます。自分がやっていることが失敗するはずがないという楽天的な思いを持たない小さな子がいたとしたら、その子は不幸な環境に置かれていると言ってもいいでしょう。子どもたちの生活を見聞きしてそのなかから、今を生きる子どもを育てるという意識をもった作品を作り上げることを、ワイズ・ブラウンとクラウスは大学で学んできました。子どもが子どもであることの輝きを作品の中でいつも、あっけらかんとユーモラスに語っているのがクラウスです。その思いを新たな形で手渡すことができるようになった本書の刊行はとてもうれしい。小塩節氏だからこそのあとがきは、ちょっとおもはゆいような読みも入っていますが、率直で淡々としたテキストだからこそ、ジョンソンのイラストを読む余地が出て、楽しみが深くなったともいえるでしょう。



◯そのほかの絵本

『3びきのゆきぐま』ジャン・ブレット作 松井るり子訳(2007/2008.10ほるぷ出版)

「3びきのくま」のお話が北の国に舞台を移すとこんなにもぬくぬくと心あたたかな絵本になるのですね。「3びきのくま」に出てくる女の子はたいてい迷惑な侵入者として描かれていますが、本作ではお魚釣りをしにきた女の子が犬ぞりを流してしまい探し歩いているうちに、あたたかく居心地のよいゆきぐまの家を見つけ、疲れた身体を休めようと入ってしまうという展開。ジャン・ブレットおなじみの画面構成で、左右に小さく別の視点のイラストが入り、流された犬ぞりの行方やゆきぐまたちの散歩の様子などのサイドストーリーが細やかに絵で語られます。テキストは「3びきのくま」の構造をほとんど変えず、物語に入る前の絵や、サイドの絵が語るストーリーでこの昔話をしっかり者の女の子への恩寵という方向へ読み替えている。そのさりげないやり方がとてもいい。イヌイット・アートではヘンリー・ムーアが好きだったという彫刻が有名だけれど、動物たちがイヌイットの服を着て描かれる絵画も最近知られるようになりました。アニメーションなどでも描かれていることが多い。最初はなぜ、イヌイットの女の子なのだろうとびっくりしたのですが、人と動物に区別を付けないイヌイットの文化のアニミズム的な感性が、この絵本化にはどうしても必要だったのだなと思い至った。人と動物は別々に暮らすものではなく、シェアしながら、たがいに尊重しながらくらしていたものだから。そういう観点で「3びきのくま」を読み直したところがこの絵本の素敵なところ。


『てぶくろがいっぱい』フローレンス・スロボドキン文 ルイス・スロボドキン絵 三原泉訳 (1958/2008.11 偕成社)

ふたごの男の子たちはてぶくろをすぐなくしてしまう。遊びにいったお家で見つかって、ああよかったと思ったら、牛乳屋さんや、郵便屋さん、町の人たちが、どこかで赤いてぶくろを見つけるたびに、家にもってくるようになってしまいます。おかあさんは、どこかで誰かが困ってるんじゃないの?と心配し、ふたごは、家の裏庭の物干ロープにてぶくろをつり下げました! なんとも気の良い町の人たちとおっとりとしたユーモアのセンスにしびれます。おかしくって、愛らしくって、本当にかわいい、いい絵本だなと思う。


『雪の日のたんじょうび』ヘレン・ケイ作 バーバラ・クーニー絵 あんどうのりこ訳 (1955/2008.11長崎出版)

お誕生日に雪が降ってほしいなと思っていた男の子。本当に雪が降って大喜び……のはずだったのに、雪が深すぎて、おばあちゃんは来れなくなっちゃうし、お誕生会にともだちにきてもらうことも難しそう。そんな時、雪で車が立ち往生してしまった男の人と少女が訪ねてきました。あまりの雪で車も掘り出せないので、ぜひ泊っていってくださいと父さんがいい、男の子のうちで過ごします。そしてむかえた誕生日の当日は……。何とも幸せな読後感がひろがるすてきなお話とそれをしっかりと支え、男の子の心の揺れをそっと描き出すクーニーの絵が良い。ヘレン・ケイのお話は、人と人とがふれあう心の温かさや生活の細部における真実がちりばめられていて読み応えがあり、またストーリーとしても驚きのある展開で読者の気をそらさない。丁寧に物語られるお話のなんと気持ちの良いこと、すてきなこと! 子どもが幸せを感じる時、というものをよく知っていて、こういうことこそが幸せなのだねと物語の形で差し出してくれている。

この大好きな本が日本語で読めるようになったのは嬉しいのだが、原書は横長の版型の絵本として出されており、今回の翻訳本のかたちでは、クーニーが心を砕いた絵と文章の組合わせの妙を感じることができない。たぶん、テキストが多いので、絵童話の形の方が手に取りやすいと考えての編集だと思われるが、なぜ、この本が絵本の形で、出されているのかをもう少し考えて日本語版を作ってほしかったと思う。文章量が多いから絵本ではないと考えるのは大きな間違い。クーニーの絵は挿絵ではなく、どうしようもなく絵本の絵なのだから。あと、色の再現にも気を配ってほしかったです。


『よぞらをみあげて』ジョナサン・ビーン作 さくまゆみこ訳 (2007/2009.2ほるぷ出版)

ねむれなくてどうしましょ、と思っていた女の子。まどから入ってきた風に誘われて、ついっていってみることに。枕もシーツもおふとんももって、階段を上っていった先は、屋上。広々とした夜空にやさしい夜の空気。いつのまにか、女の子は夢のなかへ。なんてことない展開なのに、小さな絵本なのに、幸せな感覚にあふれ、大きな世界を感じます。心地よいくらしぶりが絵からにじみ出ているし、女の子の様子をそっと見守るおかあさんの姿もいいね。画面のリズムのつけ方がうまい。さりげない言葉に詩があります。


『ふたごのベルとバル』ヤニコフスキ・エーヴァ作 レーベル・ラースロー絵 うちかわかずみ訳 (2004/2008.10のら書店)

ダックスフンドのふたごのベルとバル。飼い主のおじさんとおばさんはどうしても二ひきを見分けることができません。食事を2回もらう時があると思えば、悪くないのに怒られるときがあったり、おしっこをしたがっているのはベルなのに、バルが外に出されてしまい、どうしておもらしするんだとベルが怒られたり……。犬たちも飼い主たちもかなしくなってしまって、赤いリボンと青いリボンを結んで、区別を付けられるようにと考えました。でも、今度は色と名前がごちゃごちゃになってしまい、犬たちがこまってしまって。他愛ないお話なのですが、読んでいる方も名前の区別がつかなくなって頭ぐるぐる。でもそれが解消され、幸せなラストにほっとします。グラフィカルでありながらあたたかいイラストと二人と二ひきの暮らしを丁寧に描いた物語がハンガリーのユーモアを教えてくれました。


『エゾオオカミ物語』あべ弘士 (2008,11講談社)

シマフクロウのおじいさんがエゾモモンガの子どもたちに、エゾオオカミのお話をします。オオカミとアイヌの人たちが共生していたこと、開拓者たちの家畜を猟ったオオカミたちが、鉄砲で撃たれるようになったこと。100年ほど前にはとうとう1頭もいなくなってしまったこと。今度はエゾシカが増えすぎて森や畑が食い荒らされ、エゾシカが悪者になってしまっていること。ふくろうじいさんは「そうしたのはだれなんじゃろ」と問いかけます。人と自然の共生はいつも人間の側からの行動で台無しにされます。「どうぶつさいばん」シリーズなどでも語られているバランス、互いの存在を尊敬することなどが迫力ある絵で描かれています。


『おかえりたまご』ひろまつゆきこ作 しまだ・しほ絵 (2008.11アリス館)

学童クラブから帰ってくると、ママから「おかえり!」のメッセージ。ママが帰ってくるまではひとりでおるすばん。そしたら、おかえりとお腹に描かれていたたまごが「いっしょにあそんであげようか」というのです。あやとり、新聞でっぽうやチラシの紙飛行機、クッションのかまくらごっこ、遊びが次々紹介されます。ページを引っぱっていくお話と遊びの紹介部分が渾然となったページレイアウトの自在さが楽しい。具体的な遊び方から想像遊びまで、こんな風にひとりの時間を楽しめたらいいね、という小さな子への思いがあふれています。一人で遊ぶのも楽しいけれど、やっぱりともだちやママと一緒にこの絵本を見て遊んでほしいな。


『かさの女王さま』シリン・イム・ブリッジズ作 ユ・テウン絵 松井るり子訳 (2008/2008.12セーラー出版)

中国系アメリカ人の作家と韓国出身の画家がタイの山間の小さな村を舞台に絵本を作りました。低い軒の連なる、懐かしいような風景。線と色面のリズムが美しい、手仕事の暖かみを伝える絵。この村ではかさをつくり花と蝶を描くのが女の人たちのお仕事。小さな女の子ヌットは、早くかさに絵がかけるようになりたいのです。おかあさんのお手本どおりに上手くかけた時、おばあちゃんが大切にしていた筆と染料をもらい、新しいかさを任されました。嬉しくなったヌットが、筆を軽やかに滑らせると、そこには楽しそうな象の絵が。でも、花と蝶の絵でなければ、村のお店では売れないのです。ヌットは自分の好きな絵を描くのをがまんして、大きなかさにはみなと同じ絵を、仕事の終わったあとに自分で小さなかさを作り、好きな絵を描いていました。そこに、王さまがいらっしゃることになって……。この絵本の世界は今の子には馴染みのないところも多いかもしれないけれど、小さな子が思いのままに行動し、それを認めてもらうことこそ、嬉しく、心に残ることはありません。王さまの前で口ごもるヌットに心を寄せてドキドキしたり、女王に選ばれてにっこりしたり。つつましやかで手を動かすことを尊ぶくらしぶりをこの絵本で感じてほしい。ユ・テユンは自作の絵本”The Little Red Fish"で注目された新鋭。


『ドーナツだいこうしん』レベッカ・ボンド作 さくまゆみこ訳 (2007/2009.2偕成社)

自分宛のプレゼントの入った箱をもち、糸につるしたドーナツをぶらさげて、ビリーはまっすぐ歩いていきます。ドーナツのかけらを求めて、にわとりが。それを狙って猫が、それをおもしろがって犬が、女の子が、子どもたちが、ランナーたちが……といろんな人がついてきて、お話の主人公たちも飛び出して、町いっぱいの行列に。そのとんでもなさにびっくりし、ぴたっと止ったビリーの後ろでの大騒ぎに驚いて、絵本は最高調になります。ところがビリーとにわとりときたらね、というオチもかわいらしい。なんということもなく、このシンプルなおもしろさを味わって。


『CO2のりものずかん』三浦太郎 (2008.11ほるぷ出版)

グラフィカルなのにあたたかみのあるイラストで人気の作家。ちょっと一ひねりした乗り物絵本の登場です。今の子たちはエコロジー教育を保育園の頃から受けているから、CO2をたくさん出すものはダメ、ということを知識として知っている。でも実感としては、あまり具体的にはわからないよね。そんな時、この絵本はおもしろい。1キロメートル動いた時に出るCO2の量を絵で見せてくれる。乗り物が大きくなればなるほど、CO2の量も増えるのだけれど、よく考えて、と最後に人一人分を輸送する時にかかる量で比較すると乗用自動車が電車やバスより多く出していることを知らせているのがこの絵本の一番の眼目。


『ゆきのうえのあしあと』ウォン・ハーバート・イー作 福本友美子訳 (2003/2008.12 ひさかたチャイルド)

雪のうえに足跡がついていると、あとをつけたくなってしまいますよね。どこまでいっているのかな?この女の子も足跡をたどりながら、冬の動物たちの暮らしに思いを馳せます。ふかふかと柔らかなタッチで描かれる女の子と冬景色はあたたかなまなざしで見つめられ、小さな仕草にも女の子の気持ちがあふれています。小さな冬の冒険。最後のオチもわかっていても心がふんわりしますね。


『ゆきがふったら』いちかわなつこ (2008.11 イースト・プレス)

雪の日の朝、誰もまだ歩いていない道に足跡を付けたり、雪だるまを作ったり、知らない犬と仲良しになったり……。その犬が家までついてきてしまったから男の子はびっくりですが、一休みしてミルクをもらったら、自分でお家に帰っていきました。雪の日には特別なことがたくさんあります。そんな男の子と犬のふれあいのストーリーを軸に、クリスマス前の町の様子が細やかに描かれるのがこの絵本のみどころ。滲んだような筆あとがやさしい、冬の風景です。


『にわにいるのは、だあれ?』キティ・クローザー作・絵 平岡敦訳(2007/2008.9徳間書店)

ミーヌとパパはふたりぐらし。あるひ、庭で誰かに観られているような気がしました。ぱぱに「どうしたの」と聞かれても、なかなか気になることはいえません。パパのいない時に庭に出て見馴れないはしごを上ってみると、そこにいたのはクモの男の子。ひどい風邪を引いています。ミーヌは家につれて帰り看病することにしました……。小さなはえの女の子とクモの男の子が仲良しになって、あみものを教えてもらい、それにはまってしまうという展開。ベタだけれど、この他愛のなさ、愛らしさはたまりません。ミーヌのシリーズはまだ何作もあります。続けて出してほしいな。


『しかめっつらあかちゃん』ケイト・ペティ文 ジョージー・バーケット絵 木坂涼訳 (2007/2009.1ほるぷ出版)

ママがくすぐっても、パパがたかいたか〜いしても、おばあちゃんがいないいないばあをしても、おじいちゃんがしゃぼんだまをしても、犬も猫もがんばったけど、どうしても笑わない赤ちゃん。お兄ちゃんが帰ってきて、「それじゃあ、にらめっこしよう」といったら……。次々と人が出てきて、あの手この手で赤ちゃんを笑わせようとするのがおもしろい。元気なイラスト、読んで楽しい聞いて愉快な擬音語、シンプルで楽しい絵本です。


『ヘンリー・ブラウンの誕生日』エレン・レヴァイン作 カディール・ネルソン絵 千葉茂樹訳 (2007/2008.12すずき出版)

2008年度コールデコット賞オナー作品。奴隷であるヘンリー・ブラウンが自由を得ることを決心するまで、彼の人生は過酷だった。家族を勝手に売り払われ、仕事は容赦なく押し付けられる。奴隷制に反対する人たちが作っていた組織「地下鉄道」を利用し、自分を箱に詰め込んで、馬車と船と汽車で運ばれた。そして、箱から無事出て、自由を獲得した日、それがヘンリーの誕生日となった。コンパクトにまとまった緊張感のある文章、当時の様子や暮らし、人々の押し殺された表情を描き出し、ブラウンをまざまざと見せてくれたイラスト。絵本だからこそ、ストレートにだいじなことだけぐいっと見せることが出来たのだろう。


『えんぴつくん』アラン・アルバーグ作 ブルース・イングマン絵 福本友美子訳 (2008/2008.11 小学館)

何でも描いて、つくってしまうえんぴつくん。まず、さいしょに男の子を描きました。名前をバンジョーと付けると、その子が今度は犬を描いてと言います。次は猫を、家を公園をと描いていきました。でもしろくろだから、りんごや骨を描いたって食べられないと言われてしまいました。それで、次に描いたのが色の絵筆。えんぴつくんが描き、絵筆のキティが色を塗ることで世界がどんどんひろがっていきました。妹もパパもママもおじいちゃん、おばあちゃんだって出来た。そうこうするうちに、みんないろいろ文句を言うようになり、今度は消しゴムを描いて、消していくように。鉛筆がどんどん描いて世界を作っていくお話はほかにもあるけれど、消しゴムとの攻防や描いたものからいろいろと注文を受けたりするところが、類書とは違って、スリリング。でも、ラストは何とか収まるべきところに収まって、よかったとほっとする。イングマンの絵がこの奇妙なちょっと悪夢チックな世界にぴったり。


『天のおくりもの』グスターボ・マルティン=ガルソ文 エレナ・オドリオゾーラ絵 宇野和美訳 (2007/2009.1光村教育図書)

人間のおかあさんが赤ちゃんを見失い、羊のおかあさんも赤ちゃんを見失った。二人の子どもはそっくり入れ替わって、それぞれのママの元へ。元々の赤ちゃんの喪失にかなしみつつ、目の前の小さな命に手を差し出さずにはいられないのが、母というものでしょう。くらしぶりが違っても、身体の形が違っても、小さな命は自分を守り慈しんでくれる存在を母と思うのです。この絵本の不思議なところは、羊のおかあさんと人間のおかあさんの姿をみたほかのものが、相手の様子や暮らしがよくわかるから、こんな取り替えっこも悪くないと思う人もいる、という一見開きを、事実が発覚する前にすとんと挟み込んでいるところです。このひと見開きがあるために、母子の情愛の物語よりももっと広がりをもった視点で、語られていたのだなとわかります。心をかけた存在が目の前からいなくなり、ぼんやり思い返してしまうのは、その子が心をちょっぴり持っていってしまったから。それが嬉しいと思うのが親のさがですね。


『きらきらピンク』ナン・グレゴリー作 リュック・メランソン絵 灰島かり訳 (2007/2009.2すずき出版)

ピンクが大好きなビビ。キラキラしたピンクのものがほしくてたまりません。でも、ビビのお家ではそんなに子どもにお金がかけられないのでしょう。ビビはアパートの人たちのお手伝いをして少しずつおこずかいをためて、お店に会ったきらきらピンクのお人形を買うことにしたのですが……。あれがほしい、こうなりたい、という欲望とつきあいはじめたばかりの子どもに身近な設定で、自分を振り返ってみたくなるような内容をもった絵本です。ピンク探しのピクニックを計画したおかあさんや、ビビが落胆している時に、ハーモニカの曲で

励まして、さりげない言葉で支えてくれるおとうさん。どちらもすてき。地に足をつけた暮らしをしている人の賢さを伝えてくれます。


『あたらしいともだち』トミー・ウンゲラー作 若松宣子訳 (2007/2008.10あすなろ書房)

アフリカ系のラフィと中国系のキー。町では外国人とよそ者扱いされ、なかなかともだちが出来ない二人は、互いに工作や裁縫などの手仕事が好きなことを知り、いっしょにがらくたを集めて「ともだち」とよぶ人形を作るようになりました。二人の行動は、二つの家族を仲良くさせ、工作の楽しさを子どもたちに知らしめ、何ものにもとらわれないアートの心を世間に示してみせました。老いて、よりはっきりとストレートに絵と文で自分の考えを伝えるようになったウンゲラー。子どもたちのなかにひそむ大いなる力にも大きな信頼を寄せているのがよくわかります。


『いもうとがウサギいっぴき たべちゃった』ビル・グロスマン文 ケビン・ホークス絵 いとうひろし訳 (1996/2008.11 徳間書店)

いもうとはウサギ一匹食べたあと、へび2、アリンコ3、ノネズミ4……とどんどん何でも食べていく。こんなものまでだいじょうぶ?とページをめくるたび、読んでもらっている子どもはびっくりするのだが、どんどんどんどんエスカレートするばかり。ホークスの絵は適度にかわいらしく、げてものぐいの気持ち悪さは感じさせない。「オエッてなるはずなのにぜんぜんオエッてしなかった」というくりかえしもユーモラス。最後は苦手なこんなものでオエーッてしちゃったんだけどね。学校で読み聞かせをしている人には悪ガキいっぱいのクラスでもOKの強力おたすけ本。


『はしれ! カボチャ』エバ・メフト文 アンドレ・レトリア絵 宇野和美訳 (2005/2008,10小学館)

まご娘の結婚式に出かけたら、途中でオオカミや熊、ライオンに出会い、おまえを食べてやる!とおどされたおばあさん。「今は痩せっぽちだから食べないで。結婚式でたらふく食べて、太って帰ってくるから、ここで待ってて」と答えます。式が終わって、帰る時におばあさんがしたことは……。はっきりくっきりと表情豊かなイラストに、繰り返しのおもしろいむかしばなしがよくあっています。あまりなじみのないポルトガルのむかしばなしですが、ハロウィンで大きなオレンジのカボチャを見ることが増えたためか、すんなりお話に入ってよく聞いてくれました。人が丸ごと入ってしまう大きなカボチャという姿に度肝を抜かれるようですね。


『わすれられたもり』ローレンス・アンホールト作・絵 さくまゆみこ訳 (1992/2008.11徳間書店)

あるところにもりにおおわれた国がありました。広い森には子どもたちの笑い声があふれていました。でも、木を切り、家を建て続けていくうちにとうとう森はほんの小さなひと区画だけになってしまったのです。周りを木の塀に囲まれた小さな森に、子どもたちは抜け穴を見つけ、入り込み、遊んでいました。ある日、残っていた小さな森までも切り倒すというビラが貼られ、工事の男の人たちがやってきました。子どもたちの泣き声、森の静けさに心動かされた男の人たちは、塀を壊し森を広げる工事をするようになりました……。アンホールトらしいのびやかで誠実な絵本。子どもたちの思いをないがしろにしない、しっかりとした大人を描いているところが良い。


『あたまのなかのそのなかは?』シスカ・フーミンネ文 イヴォンヌ・ヤハテンベルフ絵 野坂悦子訳 (2001/2008.8講談社)

頭の中には何が入っているのか?というのは、子どもの本にはよく出てくる問い。マリーは頭の中にあるのはまず骸骨、とみせたあと、見えない頭の中の考えを絵にして見せてくれる。小さな思いがぎっしり詰まっていたり、嬉しい気持ちや悲しい気持ちも意地悪したい気持ちややさしい気持ちなど反対なことや、へんてこなこと……。考えってものに思いを巡らすという視点が、おもしろい。


『ゆきをしらないこねこのおはなし』エリック・ローマン作 長滝谷富貴子訳 (2008/2008.12あすなろ書房)

雪を見たことがないこねこが4ひき。春、夏、秋と季節が巡り、3びきは雪の寒さやぬれてしまうことや埋もれてしまうことを心配するのですが、末っ子猫だけが「おもしろそう! ゆき、はやくふるといいなあ」というのです。とうとう、冬になってゆきが降り始めた時、真っ先に飛び出したのは末っ子猫でした。おおはしゃぎする末っ子猫を見て、他の3びきもそとへ……。くりかえしのたのしい、幼い子どもにあったシンプルな絵本。シンプルな線と柔らかな色面のコントラストが美しい版画絵本。


『ちびうさクリスマス』ハリー・ホース作 千葉茂樹訳 (2007/2008,10 光村教育図書)

人気の「ちびうさ」シリーズ最新刊はクリスマスのお話。クリスマスのプレゼントにほしかった赤いそりをもらったちびうさ。森の広場に持っていくとともだちみんながほめてくれました。ともだちのプレゼントには見向きもせず、みんながそりに乗せてほしいと言っても、ことわります。ひとりで一番高い丘の上からそりに乗って滑り降りると、雪の中に投げ出され、赤いそりはこわれてしまって……。いつものとおり自分大事のちびうさですが、ともだちの助けでそりも直り、みんなにっこりのラストになりました。小さな子のあり方そのもののようなちびうさに自分を投影したり、少しお兄さんぶって、ちびうさを笑ったりできるのがこの絵本の楽しさ。これがハリー・ホースの最後の作品になるのでしょう。いつもの絵に比べると細かいシャドータッチがなく、あっさりとした仕上がり。もしかしたら、これから仕上げに入るところの絵だったのかもしれません。ホースの新しい絵本が読めなくなるのは寂しいです。


『門ばんネズミのノーマン』ドン・フリーマン作 やましたはるお訳 (1959/2008.12 BL出版)

復刊の続くフリーマン、初邦訳の絵本。ノーマンは美術館にすんでいるネズミ。美術館の裏手にある秘密の抜け穴の前に立ち、芸術ずきのねずみのお客様を迎え入れていた。地下室にしまってある絵や彫刻に案内しては、説明することに喜びを感じていたのだ。でも、人間のガードマンがやってきて、ねずみ取りを仕掛けたり、懐中電灯でしゃっと照らしたりするのが怖かった。ある日、ノーマンは彫刻コンテストを知り、そこに自分の作った針金彫刻を出展することに。すると、それが1等をとって……。小さなものが認められ、自分の欲求を満たしたり、居場所をもてるようになるというお話をフリーマンは何度も描いてきた。今回は美術館にすむネズミ。美術館が舞台になっているため、ギリシャ彫刻から中世の甲冑、カルダーの針金彫刻ににたものがあったり、ミロやピカソ、ゴッホのような絵が描かれているのが楽しい。62ページ、オールカラーの絵本ではあるけれど、絵が物語をひっぱっているので、アニメーションを見ているかのよう。


『オベラハウスのなかまたち』リディア&ドン・フリーマン作 やましたはるお訳 (1953/2008,10 BL出版)

アメリカでも日本でも再刊、復刊が続いているドン・フリーマンの50年以上前に刊行された絵本の初邦訳。絵本にしては長めの60ページ、オールカラー。メトロポリタン・オペラハウスにすむねずみのマエストロ・ペトリーニはプロンプター・ボックスで楽譜めくりのお手伝いをして毎日のチーズをかせいでいました。オペラハウスにはねこのメフィストもすんでいましたが、ペトリーニ一家に会うことはありませんでした。けれども、家族を子どものための昼興行「魔笛」に招待して、いつものように仕事をしていた時、ペトリーニは思わず、舞台に引き込まれ、魔笛の音楽に合わせダンスをはじめてしまい、ねこのメフィストもペトリーニを捕まえようと一緒に舞台へ上がってしまったのです。が、音楽の魔力に捕まってしまったメフィストがダンスを始めるところから急展開でおもしろくなります。オペラのことを知らなくても(知っていたほうが楽しいところもありますが)、雰囲気やお話を十分楽しめる絵本。舞台が大好きなペトリーニはドン・フリーマンの分身かもしれません。「少年少女には、最高のものを見せなくっちゃな」というプロンプター氏のせりふが大人の矜持というものですね。


『北極熊 ナヌーク』ニコラ・デイビス文 ゲイリー・ブライズ絵 松田素子訳 (2005/2008.10 BL出版)

『くじらの歌ごえ』で知られる画家のノンフィクション絵本。地球温暖化への警鐘の象徴となっている感のホッキョクグマについて描かれている。いわゆる図鑑で紹介されている内容と何ら違うところはないが、箇条書きで書かれていることが、絵本というかたちで、一つの世界観を持って、そこに暮らすあるホッキョクグマを描き出すということで、より心情的に深く残るものとして体感される。これこそ絵本の力というものだろう。ホッキョクグマだけを描くのではなく、北極圏に生きるイヌイットの人々の姿を添えることで、単なる動物絵本から、環境や命を考えさせるものへと視点を広げているのが良いと思った。


『世界を動かした塩の物語』マーク・カーランスキー作 S.D.シンドラー絵 遠藤育枝訳 (2006/2008.9 BL出版)

『世界をかえた魚 タラの物語』で圧倒的な事実を積み重ねてタラについて認識を新たにした画家と作家のコンビが次は塩をテーマに絵本化した。塩のほうがタラよりも身近でより生活にかかせないものであるため、紀元前より一の暮らしを支えるものとして争いの種になったりもしてきた。岩塩を掘り出す時に天然ガスも一緒に出て、それを龍の仕業と思う中国の話や国が塩をいかにして国民支配の術にしてきたかなど、塩を見ていくことで歴史の大きな流れにも目を配ることになる。小さな物語から大きな物語を照らし出しているのがこの作家のおもしろさ。


『にげたしたてじなのたね』田中友佳子作絵 (2008.10 徳間書店)

『こんたのおつかい』『かっぱのかっぺいとおおきなきゅうり』で人気の作家の最新作。手品の種とよくいうけれど、それをこんな小さな妖精のようなものと表現したところと、この種がページのどこに隠れているのか探す、お楽しみを組み合わせたところが本作のミソ。愛らしく、プライドの高い「たねぼうず」が、手品師と仲違いして逃げ出してしまい、手品が上手く出来なくなった手品師が捜しに行くストーリー。王さまの前で手品をするのに、こんな簡単な手品しか出来ない……もう一度たねぼうずに会ったらあやまって、またふたりで楽しく手品がしたいと思って、おそるおそる王さまの前で手品をしたそのとき、上手く出来て、誰よりも驚いたのは手品師でした……。大事なところには必ずたねぼうずがいて、理由の在る展開。驚きが前の2作に比べて少ないかなと思いつつ、絵本のページ展開と物語をきちんと合わせたオーソドックスな作りやよし。


『クリスマスの人形たち』ジョージー・アダムズ文 カーチャ・ミハイロフスカヤ絵 こだまともこ訳 (1995/2008.10徳間書店)

遥か遠くの国にすむ人形作りのペーチャさんはクリスマスになると町に人形劇を見せにいくことになっていました。けれど、今年は体調を崩しいけなくなってしまったので、やさしい魔法使いが人形たちが自ら動けるようにを魔法をかけ、きれいな踊り子人形とともに町に出かけ、帰ってくるまでの時間を描き出しています。ロシアの土人形を思わせる民芸調を洗練させたイラストと愉快な人形たちの掛け合いが1年で一番、不思議のにつかわしい時間をたっぷりと語り尽くします。踊り子をめぐる太鼓たたきとピエロのやり取り。そりから落ちてしまったピエロを助けにいく踊り子と太鼓たたきの思い。小さなものたちの物語は読んでもらう子どもたちの心にいつもふっと寄り添い、夢中にさせます。


『かわいいことりさん』クリスチャン・アールセン作 石津ちひろ訳 (2007/2008.9 光村教育図書)

薄紫にけぶった空が印象的なフランスの絵本。バードウォッチャーのブリュームさんと鳥のさえずりのように口笛を吹いて呼び寄せるマドレーヌさん。鳥のように口笛を吹き、うたをうたいおしゃべりするマドレーヌさんを、愛をこめて「かわいいことりさん」とよぶブリュームさんは、ふたりの毎日と毎週やってくる孫娘の様子に満足していました。けれど、マドレーヌさんの具合がわるくなり、看病のかいなく亡くなってしまいます。最愛の人を亡くして、喪失の淵に沈んでしまったブリュームさんを再び、地上へ戻してくれたのはやはり小鳥でした。風に吹かれ、鳥たちと一緒に歌ううち、最愛の人は自分の身の回りどこにでもいる……と思えるようになったのです。マドレーヌさんそっくりの振る舞いをする孫娘の成長にも気がついて。やさしく見守る周囲の人たちのあたたかさ、今まで過ごしてきた時間がこれからをも支えてくれるさまをシンプルに描き出しています。絵とお話の雰囲気がよく合っているのが好ましい。


『おはなしのもうふ』フェリーダ・ウルフ/ハリエット・メイ・サヴィッツ文 エレナ・オドリオゾーラ絵 さくまゆみこ訳 (2008/2008.10 光村教育図書)

お話上手のサラおばあちゃんのところには「おはなしのもうふ」にすわって、お話を聞くのが大好きな子どもたちが集まります。ある日、ニコライの靴に穴があいているのに気づいたおばあちゃんは、あたたかい靴下を編んであげようとしたのですが、毛糸が手に入らない日が続いたので、「おはなしのもうふ」の端を解いて、編むことにしたのでした。そのあと、いろんな人に、その人を暖める毛糸の小物がそっと届けられます。そのたびに「おはなしのもうふ」は小さくなって……。思いをかけることで、またそれが自分に戻ってくる、人々の心のやり取りがほのぼのとあたたかく伝わってくる佳品。オドリオゾーラの絵も愛らしくグラフィカルで、さっぱりとしているので、べたべたした感傷的な雰囲気にならず、よかった。サラおばあちゃんの髪をいつもまとめているのが、編み棒なのがお茶目。


『ぼくのかえりみち』ひがしちから作 (2008.10 BL出版)

車道と歩道をわける白い線。その線の上だけを歩いている子どもってよく見かけます。横断歩道の白い部分だけに足を置いたり、タイル張りの白いところだけ歩こうと決めたり……。こうしようと決めて、そのとおりからだを動かしていくおもしろさ、縛りがあることでわくわくする感じを子どもはとても楽しみます。自分もそうだったなあと思い返します。そう言う気分を1冊にするとこんな絵本になるのね。この白い線から落ちたら大変なことになる……と思う心の風景は絵にすると、ここに書かれているような断崖絶壁なのでしょう。目に見えている風景と心の風景を同じ画面で見せるアイデアがなかなかにおもしろい。ラストも絵本らしい、親しみの持てる落とし方です。この作家の描く風景はいつも生き生きと楽しいのに、人間の表情がぼうっとしているのがちょっと気にかかるかな。


『ぼくの、ぼくの、ぼくのー!』マイク・リース文 デイビッド・キャトロウ絵 ふしみみさを訳 (2008/2008.9 ポプラ社)

タイトルからして過剰。絵も過剰の一言です。この過剰さが子どものエネルギーを表現しているのでしょう。どんなにおもちゃを持っていても何一つ妹に貸したくないお兄ちゃん。おもちゃの山に潜り込んで満足している始末。そこへおかあさんがおやつを持ってきたのだけれど、お兄ちゃんがいないと思ってみんな妹に渡しちゃった! ひとりでは食べきれないし、と思案しているとおにいちゃんが山の中から「おもちゃかしてやるよ」だって。今日のところはおやつもおもちゃもわけっこです。shareという言葉をよく使うアメリカの人たちの作る絵本らしいなあと思いました。


『ちびっこおばけウィッキー』YOKOCOCO作、絵 西田佳子訳(2008/2008.9 理論社)

古いお屋敷におじいちゃんと一緒に住んでいるちびっこおばけウィッキー。おじいちゃんはお屋敷から出たら、きえてなくなってしまうといいます。でも、ウィッキーは外の世界が気になって……。かわいいキャラクターとあら、そうなんだ!というオチで読んでしまう1冊。でも、最後のオチに納得するには、お話にきちんと理由がおりこまれてないと。


『キツネ』北国からの動物記2 竹田津実文・写真 (2008.9アリス館)

長い時間かけて親密に撮影された写真と暖かなまなざしを伝える文章が心に残る好シリーズの2冊目。北海道でおなじみのキツネの家族が生まれてから、解散するまでをとらえる。キツネが人の隣人として一緒に生きてきたのだと知ったのは本書がはじめて。日本に生きる動物の中で、子育てにおとうさんが関わるのもキツネとたぬきと人間だけというのも。子どもがうれしがる姿を見るのが楽しくて、子育てにいそしんでしまうキツネの両親。キツネの子育ては何度もテレビや本で見てきたけれど、一つ一つの行動をきちんと意味付け、解説してくれる文章のあるこの写真絵本1冊のほうが深く知ることができた。


『ことばのくにのマジックショー』中川ひろたかことば 大友剛マジック 大庭朋子絵 (2008.7アリス館)

9の詩とそれにちなんだマジックが9つ。マジックというのはお話なんだなとわかった。ただ単にものを出したり、消したり、のばしたり、動かしたりするのを見せるのではなく、状況を設定し、ものを動かすことで、そのなかに物語を作り、驚きを演出するものなんだな。最初どうして詩とマジックが一緒なんだろうと不思議に思ったけれど、納得がいった。詩がおもしろかった。


『かえるといっしょ』いきもの絵にっき1 写真・文松橋利光 絵こばようこ (2008.7アリス館)

カエルのカメラマンで有名(!)な著者が小さいときからどんなにカエルが好きだったか、どんな風にカエルの写真を撮るのか……というところからはじまって、カエルの生態にまで筆が進む。写真とイラストを切り貼りし、いわゆる写真絵本より、軽やかで親しみやすい雰囲気を作り出しているのが、いままでの本と違う。それはとてもおもしろい。『ずら〜りカエル ならべてみると……』を愉快なデザインで見せてくれた人たちが作った絵本。


『ぐるぐるうずまき』三輪一雄(2008.9偕成社)

アンモナイトやがまがえるについてたくさんの考察を見せてくれた作家が、本作では大きな不思議をとらえる。ぐるぐるまかれるのは、ゾウの鼻、フサオマキザルのしっぽ、たつのおとしごのしっぽ、チョウの口……。クモは巣を作る時にぐるぐる渦巻きに張っていくし、ウミウシのたまごはぐるぐるうずまきのかたち。ぐるぐるうずまきはいろんな動物の生活の中にあるし、人間の生活の中にも。うずまきを見つける目は宇宙のはてまで届き、すっとみんなの指の中の渦巻き(指紋)へもどってくる。このダイナミクスが絵本的。


『いぬとくま いつもふたりは』L.V.シーガー作 落合恵子訳 (2007/2008.9クレヨンハウス)

『いぬとくま ずっとふたりは』L.V.シーガー作 落合恵子訳 (2008/2008.9クレヨンハウス)

本作でボストングローブ・ホーンブック賞を受賞し、別の作品でコルデコット賞オナーをとり、注目の作家の初邦訳。くまのぬいぐるみと犬の何気ない生活を3つの小話で1冊の絵本としている。犬のほうが子どもっぽく、いたずら。くまはちょっとこわがり。高いところから降りれなくなったくまが、犬の長い背中から滑り降りるオチには大笑い。どれもシンプルな文とともに絵がなければ成り立たない絵本らしい作りになっている。それぞれの小話のおもしろさを読み解くには、幼い子にはちょっと難しいかなと思うものもあったが、表情豊かなイラストが効いていて、絵を見ているとわかってくる。犬の論理が自分本位の考えの進め方で、幼い子の論理と重なるところがあり、微笑ましくかわいらしく見える。これを読んでもらう子は、ちょっと大きな子の目線で犬や熊の様子を見て、ちょっと優越感を持って楽しむのかな。


『いきてるってどんこと?』キャスリーン ウェドナー ゾイフェルド作 ネイディーン バーナード ウェストコット絵 なかざわひろこ訳(1995/2008.10福音館書店)

『ねむりのはなし』ポール シャワーズ作 ウェンディ ワトソン絵 こうやまじゅん こうやまみえこ訳 (1972,1997/2008.10福音館書店)

アリキの恐竜絵本シリーズ(リブリオ出版)などで知られるアメリカでは昔から刊行されているLet's Read and Find Out Booksという科学絵本シリーズの中から翻訳された絵本。『いきてるって〜』では、生きてるものとそうでないものを見分ける条件を3つ出して説明する。水、食べもの、空気が必要か? その答えが全部「はい」だったら、それはいきもの。という説明がシンプルで新鮮。やさしい言葉と親しみやすいイラストで生物学的な基本知識を幼い子(年長さんから小学校低学年くらいか)に伝えている。

『ねむりの〜』では睡眠の基本的な知識を生き物の暮らしと絡めて説明している。何十時間も眠らないという実験をした研究者たちを紹介したりしている。自然科学系の絵本でこういうタイプのものはそうなかったかも。


『だれがだれやらわかりません』高谷まちこ作 (2007/2008.8フレーベル館)

ページに小さいマルが空いていて、そこから次のページのイラストの一部が見えます。ページをめくると、たくさんの同じ動物たちが……。探し絵絵本で、「だれやだれやらわかりません」とあるけれど、じっと見ればわかります。小さな子ならぱっと見つけちゃうかも。リズミカルな言葉とユーモラスなイラストで楽しいし、ラストはちゃんと安心の結末に。


『とうちゃんなんかべーだ!』伊藤秀男作 (2008.10 ポプラ社)

どうしてうしおくんが「とうちゃんなんかべーだ!」といっているかというと、もっともっともっとあそびたいのにとうちゃんは「もうつかれた、ひるねする」ととなりに部屋に行ってしまうからです。でも、朝から、竹やぶに入って竹を切り出し、弓矢やよろいまで作り、たからものさがし、さかなつり、池作り、標本作り……こんなに遊んでも遊んでも子どもは遊び足りないんだなあ。お昼寝してしまった父ちゃんの代わりに出てきたがまに乗って、うしおくんは秘密の森へいってしまうのだけれど、それは父ちゃんと一緒に夢の中でも遊んでるってことなのかしら? 不思議な結末をそのままに楽しめる人にはOK。わたしは、もう少ししっかりお話として落としてくれても良かったかな。絵はこの作家らしい力強く生活感の在る絵。子どもの生きる迫力というものを作り手たちは伝えたいのだろう。


『へんなあさ』笹公人作 本秀康絵 (2008.10岩崎書店)

目覚まし時計が鳴って、おきたのに、大金持ちの家の子になっていて、寝たまま学校に連れて行ってもらったり、夢にまで見たメロンの山から転げ落ちると、「ゆめか」ともう一度寝直し、また、目覚ましで起きると、宇宙にすんでいる……。夢の中の夢がぐるぐる続いている。やっと本当に起きて学校へ行く途中であった、校長先生の頭には大きなバンソウコウが……。あれ、夢の中の出来事が現実とリンクしちゃったの? なんて難しいことは考えず、あははおもしろい夢を見たんだねえと笑っちゃえば良いみたい。本のイラストは不思議なかわいさがあり、テキストのもつ、ある種の浮遊感をよく伝えているが、夢にぐるぐる運ばれてしまう怖さ、みたいなものは要求されていないらしい。


『あこがれの機関車』アンジェラ・ジョンソン作 ロレン・ロング絵 本間浩輔、本間真由美訳 (2003/2008.9小峰書店)

20世紀の初め、アイルランド人のケーシーが黒人のシム・ウェップを助手に、大きな機関車キャノンボール号を走らせていた時代。綿花をつむつらい労働に駆り出されていた黒人たちには、子の機関車を見ることは、人として対等に扱かわれ、時代の先端の仕事をしている仲間を思う、希望の象徴だったと言う。キャノンボール号は嵐の日に衝突事故を起こし、ケーシーは死んでしまうのだが、その人となりは、物語や詩で語り伝えられているそうだ。それをふまえ、描かれたこの絵本は、機関車の汽笛や姿に夢や希望を託していたその時代の黒人たちの心情、今ここではなく、もっと広い世界へ、自分の力を存分に行かせる場所に行きたい、行くべきだ、行かなくてはならないと思わせる力強さがある。ジョンソンのクールな詩とロングの願いを込めた絵がいい。


『りんごろうくんのもりあるき』わたなべてつた作 なかがわかくた絵 (2008.8アリス館)

ニュージーランドの森をおとうさんと散歩するりんごろうくん。作家の日常からこぼれてきた物語なのだろう。幼い男の子は少し恐がりで、おとうさんのように森を楽しめない。けれども、薮のあちこちに実るブラックベリーを口に含みながら一人進んでいくと、ワラビーにであう。ワラビーはりんごろうくんの手からブラックベリーをそっと食べ、それをきっかけにりんごろうくんと森との距離が縮まったのです……。子どもの心持ちが変わって、ひとつ階段を上る様子をきちんと見ていようとする大人の姿勢がこの絵本にはある。さりげなく、気持ちのよい絵本。


『お化け屋敷へようこそ』川端誠作 (2008.7 BL出版)

人の出入りがなく、周りの人から「お化け屋敷」とよばれている大きな大きなお屋敷に忍び込んだ男の子4人。入ってみるときれいに掃除され、さっきまで誰かが将棋を指していたあとがあり、となりの部屋には大きなふすまに見つめの大入道やらのっぺらぼう、おどり首や鼻だれ入道などおばけが勢揃いした絵が描かれていました……。お化けシリーズでおなじみの面々が出てくるのがうれしい1冊。絵を読むことで、男の子たちを見守るような、お化けと共犯しているようなわくわくした感じがあり、楽しい。


『おかあさんのおっぱい』ホ・ウンミ文 ユン・ミスク絵 おおたけきよみ訳(2006/2008.8 光村教育図書)

『うんちのちから』(主婦の友社)で動物たちのうんちのいろいろを楽しく見せてくれた作家が、今度はおっぱいのいろいろを絵本で見せてくれる。多色刷りの版画のような素朴で愛らしい絵は『あずきがゆばあさんとトラ』(アートン)の画家が描いている。ぶた、うしのおっぱいから、袋の中に隠れていて見えないカンガルーのおっぱい、イルカのおっぱい。卵から生まれるけれどお乳をのむカモノハシやハリモグラにも目を向けて、さいごはにんげんのおっぱいについてしっかり教えてくれます。子どもたちはおっぱい大好きなだから、きっとみんな喜ぶね。


『ちょっとまって、きつねさん!』カトリーン・シェーラー作 関口裕昭訳(2004/2008.7 光村教育図書)

森はずれの誰もいない寂しい草原で出会ったうさぎの子ときつね。ここで出会ったら、必ずおやすみなさいという約束の場所。きつねは後ろから忍び寄ってうさぎの子を食べようとしますが、「ちょっとまって!」と、うさぎの子に止められます。おやすみなさいといったら、おやすみのおはなしをして、ベッドまで運んで、おやすみなさいのうたをうたわなくっちゃというのです。いわれたとおりにしたきつねは、歌いながら寝てしまい……。うさぎの子の機転と人の良いきつねの対比を、メリハリのついた画面構成で見せてくれる絵本。小さな子の活躍するお話に読んでもらった子どもはきっとうれしく、また、ほっとして、静かにおやすみなさいを言ってくれるでしょう。


『おひさまはどこ?』フィリス・ルート作 メアリー・グランプレ絵 岩崎たまえ訳(2006/2008,9 岩崎書店)

お日様が出てこなくなった冬の日が続き、女の子がお日様を探しに出かけ、無事取り戻すまでを描いている。お日様探しの物語は昔話などでいろいろあるけれど、これは創作らしい。けれどもトロールが出てきたり、相棒のネコが助けてくれるなど北欧民話風な味付けがされている。大判の画面を生かした迫力のある絵が、お話の大きさを支え、読み応えのあるものにしている。


『ひつじのメェーリンダ』マヌエラ・サルヴィ作 ルーシー・ミュレロヴァ絵 鈴木敦子訳 (2006/2008.9 岩崎書店)

空のひつじ雲をながめては、あの群れと一緒に空を飛び、下を向いて草を食べるばかりの毎日から抜け出したいと思っているひつじがいました。メェーリンダです。彼女がしたのはまず、リンゴの木にすむこと。びっくりした鳥たちも冬には、メェーリンダに食べものを運ぶ代わりに、毛の中でぬくぬく過ごし、楽しくおしゃべりするまでになりました。そして、春の日にとうとう、小鳥たちに手伝ってもらって、メェーリンダは空のひつじ雲のところへと飛んでいったのです。不思議が起こる時には、糸操りの人形が2体あらわれます。きっと、願いを叶えてくれる神さまのような存在として描いているでしょう。イタリアの絵本はなかなか紹介されないので、珍しい。作家はイタリアの人ですが、画家はチェコ在住。イタリアやスペインで絵本を刊行しているとか。そういうところがヨーロッパらしいなと思います。


『なんたって おれさまが いちばん でかいかな』ケビン・シェリー作 いまえよしとも訳(2007/2008.8 BL出版)

俺様がこの海で一番でかいぞといばっている、いか。そこいらのエビや貝やかめやさめなんかよりもずっとでかいんだけれど、クジラに一のみにされて、クジラどののおなかのなかでいちばんおおきい!と、まだいばるのが、クジラのお腹の中から聞こえてくるというオチににやり。表4まで遊んでいて、センスが『たのしいホッキー・ファミリー』を書いたレイン・スミスに通じるものがある。楽しみな新人絵本作家の登場。


『おばけのめをみて おとうとうさぎ!』ヨンナ・ビョルンシェーナ作 菱木晃子訳(2007/2008.8 クレヨンハウス)

おとぎの森にすんでいるうさぎの家族。恐がりの弟うさぎが、ブルーベリーをとりにいって道に迷い、怖いところに入ってしまいました。黒い服のトムテが道案内をしてくれたのですが、迷ってしまい、怖い怖いお化けに会ってしまったのです! ほうほうのていで地下鉄に乗って家に帰ると、夜中、おばけが家までやって来てしまいました……。ちょっとクセのあるペン画のイラスト。不気かわいい感じといったら良いかしら。小さな虫たちがこちょこちょ描かれているのがおもしろい。絵の細部を見て、楽しむのが好きな子がよろこびそう。お話自体はちょっとご都合主義なところもあるけれど、なにわともあれ、良かったねのラスト。おばけの目をちゃんと見ないと、怖がっていることがおばけにばれて、どこまでも追いかけてくるぞ、というトムテの言葉がある真実をついているので、ぞわりとさせるのだと思う。そこがおもしろい。