No.135

       

 多くの方々と存続のために尽くしてきましたが、児童文学館の廃館が決まりました。
「ご協力を感謝いたします」というのが、「ご挨拶」なのでしょうが、協力ではなく参加くださったと思いますので、やめておきます。
 力及ばずであるのなら残念なのですが、十分に及んでも、自治体の長は絶対権力なので、この結果です。よって、あの人物への軽蔑だけが残っています。ばかばかしいので引きずる気はないですけれど。
 結局、お金もうけは好きだが文化を嫌う人物を長に据えたのは私たち大阪府の選挙民ですから、致し方がないのかもしれません。
 私は、児童文学館の開館以前からかかわりがあるので、その終焉と、資料の行方をまだ追いますが、とりあえずはここで一区切りにします。
 お疲れ様でした。

 世の中「学力」の競争だけでは楽しくないよってことを、子どもに伝えるために、それぞれの出来ることを色々続けて行きましょう。(ひこ・田中)
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【絵本】
『おむつをみせて』(ヒド・ファン・ヘネヒテン:さく のざかえつこ:やく 主婦の友社 2009)1−02 アヒル
 あははは。こんなにおもしろいトイレ・トレーニング絵本っていいなあ。
 トイレ・トレーニングだなんて忘れてしまうおもしろさ。
 でも、きっちりトイレ・トレーニングされてしまう(あ、私はもう必要はありませんけど)のが、悔しい絵本です。
 ずばり、おむつが仕掛になってるですよ。普通、仕掛けを開くと、わ、楽しいな! でしょ。でもこの場合、色んな動物の子どもがおむつをしていて、それを読者が開けると、それぞれの特徴的なうんこが見えるわけですよ。ウサギならコロコロ、牛ならベターって。
 うれしい?
 子どもは絶対喜ぶよ。子ウサギさん、子犬さんのうんこを見ることができるのですからね。
 で、うんこで誘っておいて、トイレ・トレーニングなのです。色んな動物を見せているので、おむつは恥ずかしいからトイレにしましょう、なんて発想にならないのです。そういう、成長の右肩上がりで、幼いのは恥ずかしいことだよ、なんてひどいこと言わないのです。それって、結局老いも否定する発想ですもの。おむつが必要になってしまった大人は恥ずかしいですか? んなことありませんよね。(ひこ)

『しかめっつら あかちゃん』(テイト・ペティ:文 ジョージ・バーケット:絵 木坂涼:訳 ほるぷ出版 2009)
 表紙は、もうなんだか怒りまくっているかのような赤ちゃんの絵。
 大人たちは、赤ちゃんを笑わせようと、色んなことをするのですが、みんな失敗。
 で、お兄ちゃんがしたことは?
 赤ちゃんは、なんでいつも笑顔を要求されるのでしょう。笑顔でなければ泣き顔を期待されるのでしょう。怒ったみたいな顔だっていいではないですか。そりゃ色んな気分がありますわな。
 という、とっても楽しい絵本です。でも赤ちゃん絵本ではなく、お兄ちゃん絵本ですので、お兄ちゃんにぜひどうぞ。(ひこ)

『りんちゃんとあおくん』(あいはらひろゆき:ぶん あたちなみ:え ポプラ社 2008)
 あかいりんごのりんちゃんと、あおいりんごのあおくんは仲良し。
 でも仲良しだから、競争もします。
 ファッションからかけっこまでね。
 そんな二人の気持ちいい友情物語です。
 で、ジェンダーもちゃんと視線にさりげなく入っているのが、とても良いです。
 シリーズ化、希望!
 と思ったら、もうシリーズ化が決まっているのだった。
 うれしい。(ひこ)

『だまし絵サーカス』(ウォーレス・エドワード:作 神戸万知:訳 講談社 2009)
 様々なだまし絵が楽しめる一作です。
 だまし絵は世界中、壁から絵画まで一杯あって、だからだまし絵作家も昔からたくさんいて、ウォーレス・エドワードもその一人なわけなのですが、二つの点で、それは子ども時代から楽しんで欲しいのです。
 一つは、だますことの楽しさ。いや間違えました。楽しいだましかたと、だまされる楽しさ。人間の遊び心への共感です。これはコミュニケーション力に大きく影響してきます。
 もう一つは、人は自分の経験や体験を元にしてしか解釈出来ない限界があるのを知ること。なぜ絵にだまされるかは、まさにここにあるのですから。これを子どもの頃から知っておくと、自分の判断を過信しないですみますし、色んな出来事を「ちょっと待てよ」と、別の見方で考えてみる癖をつけられます。
 ほんとですよ。まあだまされたと思って、信じてみてくださいな。(ひこ)

『ハルコネコ』(あおきひろえ 教育画劇 2009)
 なんだかよくわからないタイトルでしょうけれど、読めばわかります。
 お姉ちゃんものです。
 ハルコは、お姉ちゃんになったからつまらない。いつもお姉ちゃん扱いされるから腹が立つ。だって、ハルコはハルコだもん。
 そんなハルコがネコに連れられて、ネコに変身するお話です。ハルコがハルコとして認めてもらえないなら、ハルコネコになるのです。
 って、子どもの気持ちは良く描けていますが、ネコになるのが唐突なのが少し弱いです。最後の回収も、回収はしていいのですけれど、唐突です。この二カ所をもう一ひねりしてほしいです。(ひこ)

『ゆきのうえの あしあと』(ウォン・ハーバート・イー:さく 福本友美子:やく 2008)
 「ゆきのうえの あしあと」ものです。
 ですから、その足跡は誰のもの? どんな動物? など、主人公が考えながらたどります。オチはもちろんお約束通りです。それは瑕疵ではありません。むしろほっとしますし、安定感を与えます。
 始まりと、収束のお約束の間をどう描くか興味深いところで、ウォンのこの作品は、アジアンの女の子が、冬を生き抜く様々な動物を想像したり、その背後で様々な動物が冬を生きていたりが、なんていうのでしょう、寒さはたっぷり描かれながら、ポカポカ感にあふれています。
 シンプルかつ印象を残す作品。(ひこ)

『キティひめの へんてこなドレス』(トレバー・ディキンソン&エマ・カーロウ:文・絵 ひらいし さくら:訳 徳間書店 2009)
 自我主張型物語の一つです。
 むちゃくちゃわがままな猫のおひめさまキティは、なんでも命令して手に入れるし、お礼もいいません。
 舞踏会に招待されたキティ、教育係のような妖精のネズミにドレス作りを命じるのですが、まほうではキティの気に入るドレスができません。そこで彼女、町へ出かけてドレスやアクセサリー作りを命令するのですが、世間知らずなもので、果物屋に靴作りを命じたり、新聞屋にドレス作りを命じたり。はてさてどうなることやら。
 反省する持って行き方は旧態然としていて(大人の意図が見えすぎて)、今ひとつ共感できませんが、コラージュ一杯の絵作りはなかなかすてきで、絵本作家を目指している人はぜひ見て欲しいです。
 一万キロ離れた二人の作家がコンピューターを使って作り上げたそうです。いい時代です。(ひこ)

『げんくんのまちのおみせやさん』(ほりかわ りまこ:作・絵 徳間書店 2009)
 引っ越ししたての新しい町は、なんだかもうそれだけでドキドキ冒険の世界です。
 ただ、大人は引っ越し後の色々な用事で忙しくて、それを楽しむのは数日後ですけれど、子どもはその日からファンタジーワールドに突入です。
 この絵本は、そんな大人と子どもの少しのズレの期間を巧くすくい取って、楽しい日常の冒険を描きます。
 絵の隅々まで楽しんでください。そしてげんくんと一緒に新しい町を探検してください。
 それでね、もう一つの大事な物語も少しずつ進行していて、最後は幸せが降りてきます。
 でも、タイトルが地味かな。(ひこ)

『とうちゃんなんか べーだ!』(伊藤秀男 ポプラ社 2008)
 タイトルも含め、どこを切っても伊藤秀男という作品です。
 「とうちゃんだいすき」シリーズ一作目とのこと。
 おとうさんはもう疲れてしまっていますが、息子はもっとおとうさんと遊びたい。
 でも、やっぱり疲れている。
 おとうさんは今日、いっぱい一緒に遊んだことを、次々と指摘するのですが(ホント、よく遊んでいますよ)、それでも男の子は、やっぱりもっと遊びたい。
 だからちょっと甘えて怒ります。
 そんなほのぼのした日常の一こまが、今後も描かれていくようです。
 親にこれだけ興味を持ってくれる子どもというのは、親にとってありがたいですね。果たして何パーセントの家庭で、これだけの関係が築けているか? いえいえ築けてなくてもいいのですよ。親子は別に、こんな風に仲良くなくてもいいのですから。子どもの方が興味のない親っていますからね。(ひこ)

『このゆび、とーまれ』(あまん きみこ:ぶん いしい つとむ:え 小峰書店 2009)
 まったく、あまんきみこときたら!
 幼年童話の核をつかんでます。それでいて、まったく力が入っていない(かのように見せる)巧みさ。そしてさりげなさ。最後に安心感と喜びを伝えることへの強い意志。
 あまんきみこと、どう違う世界を描けるかがあまん以降の作家の勝負所です。
 雪の降りしきる中、人間、犬、うさぎ、リスの子どもたちが雪だるまを作って遊びます。雪だるまさんが寒そうなので、みんな、してきたマフラーを雪だるまさんたちにしてあげます。
 家に帰ってそのことを親に報告。もちろん怒る親なんていませんよ。
 さて、その頃、雪だるまさんたちは・・・。(ひこ)

『のはらのスカート』(赤羽じゅんこ:作 南塚直子:絵 岩崎書店 2009)
 おかあさんが作ってくれたワンピースは、ゆかりが大好きなチョウチョの刺繍がありました。
 野原に出かけるゆかり。すると、ワンピースのチョウチョたちがのはらの花たちに誘われて飛び出していってしまいます。
 せっかく作ってくれたのに、どうしよう。
 ゆかりが、のはらの花をワンピースにつけると、それは模様となって・・・。
 幸せと、不思議が巧く収まった幼年絵本です。
 ラストもばっちり。
 南塚の絵が、作品世界をよりいっそう作り上げているのも良いですね。(ひこ)

『言いあらそい そのひと言に気をつけて』(エレイン・スレベンス:作 上田勢子:訳 高橋由為子:絵 大月書店 2009)
 「学校のトエアブル解決シリーズ」五巻目です。これまで、「けんか」「うわさ・かげぐち」「いじめ」「からかい」が出版されています。
 前にも書いたと思いますが、学校はストレスの温床です。それは、「理想の学校」を作ってもなくなりません。そこが学校という集団である限り、ストレスが生じることを前提としておいた方がいいと思います。
 そこで、このシリーズはそういう前提で、数々のトレブルの解決法を、理念ではなく具体的に示していくわけです。
 チャートを使ったり、マンガ仕立てだったり、様々な工夫で「言いあらそい」の生じる様や原因と、その対処法が伝えられていきます。もちろん、こんな風には現実は進みませんけれど、防災訓練と一緒で、シミュレートしておくだけで余裕が生まれます。
 副題「そのひと言に気をつけて」は、「余計なことを言わないように」だと誤解されないかなあ。
 高橋由為子の絵は、日本的雰囲気にうまくトレースしていますね。(ひこ)

『ぎゅっと だっこ 七五三』(内田麟太郎:作 山本孝:絵 岩崎書店 2008)
 色んな行事をテーマにした、内田&山本コンビによる九作目です。
 といっても、七五三の由来だとか意味とかを直接説明するのではありません。
 子どもたちは、怪獣ごっこで遊んでいます。おとうさんも参加したいけれど、入れてはくれません。だからすねたおとうさんは、怪獣なんかいないとか言って、すねています。
 さてさて、七五三の当日。三人の子どもは着物に着替えて、家族全員でお参りに。記念写真を撮るのですが、できあがったそれには、おとうさんのいたずらで怪獣が写っていました。
 絵は『虫プロ』の山本ですから、もう強烈なのですが、なぜかほのぼの。この洗練されていない度の高さが、良いです。(ひこ)

『せかいをみにいったアヒル』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:文 イーラ:写真 ふしみみさを:訳 徳間書店 2009)
 『ねむいねむい ちいさな ライオン』に続く古典写真絵本です。
 ここではアヒルが、色んな動物と出会う様が設定され、写真におさめられて行きます。モノクロの世界をお楽しみください。
 とはいえ、今の写真絵本と比べると、作られた映像ですので、違和感を感じる人もいることでしょう。
 今、こういう写真絵本を作って欲しくはないですが、歴史的資料としてお楽しみください。(ひこ)

『わすれられたもり』(ローレンス・アンホルト:作・絵 さくまゆみこ:訳 徳間書店 2008)
 どことなくクラシカルな絵が紡ぎ出すのは、森を巡る物語。
 昔大きな森は世界を覆うかのようで、人々もそれに寄り添って生きてきましたが、しだいに森は小さくなり、だんだん小さくなり、街が大きくなり、ますます森は小さくなり、人々が増え、いつの間にか森は街の真ん中の塀で囲われた小さなスペースとなっていました。大人も森を忘れ去っています。
 でも、子どもたちは森を忘れてはいませんでした。いつもそこで遊んでいたのです。
 ところがついにこの残されたかわいい森もつぶされることとなり、工事の人々がやってきて、そこで見たのは、泣いている子どもたちの姿・・・。
 もちろんこれは、おとぎ話的ハッピーエンドですけれど、今の状況が見えやすく描くための方法です。子どもが世界を信じるためにも。(ひこ)

『魔女ネコのてがみ おてんば魔女 ぜったいおひめさま!』(ハーウィン・オラム:作 サラ・ウォーバートン:絵 田中亜希子:訳 ポプラ社 2008)
 「おてんば魔女」シリーズの絵本版ですから、遊びがいっぱい、軽い仕掛け絵本になっとります。
 魔女ネコのニャンウィックの悩みは、使えている魔女見習いのハギー・アギーが、ちっとも魔女になりたがらないこと。
 そこで、ウィック、色んな人に手紙でご相談。なかなかユニークな呪文など教えてもらいます。このお返事のお手紙が仕掛けとしてページに添付されているのが仕掛け。ですから、軽い仕掛けですけれど、この程度の方が、ストーリーを楽しむ絵本ではいいでしょうね。気がそがれないですから。
 細かな遊び絵もすてき。(ひこ)

『たこやき ようちえん』(さいとうしのぶ ポプラ社 2009)
 あはは。なんていうか、もう、さいとうしのぶ絵本以外のなにものでもありません。
 タイトルの通り、たこやきたちが幼稚園にまいります。
 あほらしいですなあ。
 先生は、たこのきよこさんです。
 よいですなあ。
 ただ、わるものに野良犬が出てくる辺りは、どうなんでしょう?
 裏表紙で仲良くなって、一応回収はされていますが、野良犬そのものをとんと見かけぬ昨今、わざわざ子どもに、こういう野良犬キャラを出して、印象付ける必要はないのでは?
 そこが気になりました。(ひこ)

『ねえ、ほん よんで!』(レイン・マーロー:作・絵 福本友美子:訳 徳間書店 1009)
 邦題に出版社の思惑を感じないでもありませんが、それはともかく、うさぎとかめのお話です。
 速いのとゆっくりですね。
 ただしこの絵本のうさぎとかめは仲良しさんです。
 いつもうさぎが速くてかめがゆっくり。でも、絵本を読んでとうさぎが言って、かめが読み始めると、かめは読んでページを繰っていくだけ。
 もっとゆっくり!
 ほのぼの系です。(ひこ)

『おいしいなぞなぞ』(片山令子・作 久本直子・絵 教育画劇 2008)
 ハニーちゃんのお誕生日に友達がプレゼントを持ってきました。
 さてさてなんでしょうか?
 おいしいものばかりですよ。
 最後はみんなに誰かからプレゼント!(ひこ)

『ぼくはからっぽパンツくん』(むらたよしこ:作・絵 教育画劇 2008)
 おむつからパンツへ。パンツデビューの子ども用絵本です。
 パンツくんが、様々な動物にはかれていきます。最後はゾウ!
 リブム感溢れた楽しい言葉とともにページを繰っていきます。
 もちろんパンツはただの道具ですが、未知の人間にとっては警戒すべきブツではあります。こういう風にして親しんでいくのですね。
 ただし、こういう風にして親しんでいく道筋以外も模索したいです。(ひこ)

『へそへそばなし』(長野ヒデ子 小学館 2008)
 『はなはなばなし』『めめめばなし』と共に、「からだちゃんえほん」シリーズです。
 体のいろいろなパーツたちのお話です。
 言葉は、へそは「へ」をベースにはなげは「は」をベースに歌のように進みます。中川ひろたかの曲付きです。
 へそは、もう、へそだあ〜って感じ。はなげさんは、もうはなげ〜って感じ。
 長野の軽快な絵が、みんなみんな笑ってます。
 自分の体がパーツであることを意識して、それから統合していく一歩手前の子ども絵本です。(ひこ)

『冒険! 発見! 大迷路』(原裕朗&バースデイ:作・絵 ポプラ社 2008)
 これはこれは、びっしり描き込まれた迷路。大変です。
 設定は「海賊アドベンチャー」ですから、海賊が出航するところから始まり、大冒険となるので、それも楽しめます。『ワンピース』ですな。
 迷路は二種類。大迷路と、宝探しをして、たどり着くのが同時にありますから、二つ楽しめます。
 結構大変です。年寄りの視力ではチトつらい。これは子どもたちにやってもらいましょう。(ひこ)

『あーちゃんの おにいちゃん』(ねじめ正一:作 長野ヒデ子:絵 偕成社 2008)
 ごねるし、弱いし、わがままだし、協調性はないし、情けないし、最低のおにいちゃん。
 ってのが、これでもかこれでもかと描き尽くされます。
 いいなあ。
 そして、でも、私のおにいちゃん。なわけですよ。
 いいね。(ひこ)

『こわいのだいすき』『ともだちだいすき』(オフェリエ・テクシエ:さく・え きむらゆういち:やく そうえん社 2008)
 「ぼくはワニオオカミ」シリーズ開幕です。
 そ、主人公ガオガオは、ワニの母親と、オオカミの父親を持っています。すごいダブルですね。でも、怖いことはないですよ。さみしがりの恐がりの、ごく普通の男の子。
 お話もそんなに突拍子もない展開はしません。一巻は家族の紹介。二巻は友達の紹介です。
 ガオガオの造形、ダブル性などが子どもへのキャッチにもなっていますが、その上で「日常」が展開するのがみそです。
 どう描かれていきますか、楽しみなところ。(ひこ)

『きつねと私の12か月』(リュック・ジャケ:原作 フレデリック・マンソ:絵 そうえん社 2008)
 映画「きつねと私の12か月」の絵本版です。
 物語は、きつねと女の子の出会いと、友達になるまでの日々を描いています。劇的なドラマが用意されるわけでないのは、『皇帝ペンギン』の監督らしいですね。
 だからといって、ドキュメント風かというとそうではなくて、女の子と野生を巡る物語はしっかりあります。
 女の子はやっぱり、キツネと近づきたいから色々するけれど、それはキツネにとってうれしいことでもなく、女の子がどう野生との付き合い方を知っていくかが描かれているのです。
 ただ、やはりこれは絵本の文章という感じはしないのですね。巧く説明できませんが。
 マンソの自己主張の激しくない静かな描写は物語のテーマと響いています。(ひこ)

『ねこちゃんとゆきだるま』(高部晴一 アリス館 2008)
 ボール紙を使った高部晴一の作品は、すでにその紙の選択からして、彼の世界観を伺わせます。
 もっとも、注意しなければならないのは、ある年齢以上だとその質感を「懐かしい」や「ほのぼの」や「素朴」と感じて、そこを評価してしまうのですが、現代の子どもにとってのそれは、「新しい」や「めずらしい」である点です。ひょっとしたら「エコ」かもしれません。たとえば「無印」というブランドが展開する段ボールを使った一連の製品などは、ポリエチレンの製品と同じように売られており、好みによって、段ボールかポリを選択しています。そんな感じです。
 さて、物語はなんともおかしい。アーちゃんとネコが雪だるまを作ります。ネコが家の中でホカホカ眠っていると、雪だるまがやってきて、暖まりたいという。しかし、ストーブはだめ! 結局ネコは雪だるまの要望通りお酒を振る舞ってあげるのですが・・・。(ひこ)

『ゆきダルムくん』(伊藤正道 教育画劇 2008)
 ゆきだるまのゆきダルムくんというネーミングは、わかりやすいけれど、一瞬思考が混乱してしまうものでもあります。
 で、このゆきダルムくん、他のゆきだるまがみんな溶けてもまだ残っていて、自分でもヘンだなあと思ったら、歩けるようになっていて、それらはみんな彼が恋したために起こったのでした。
 女の子と出会い、デートするダルムくんが良いです。
 最後溶けなくてもいいと思いますが、これが作者の美意識なんでしょうね。(ひこ)

『クリスマスのおおしごと』(長谷川直子 教育画劇 2008)
 仕立屋さんは、たくさんのコートの注文をもらいました。期日はクリスマスまで。
 わあ、大変だ。
 大忙しの仕立屋さん。
 コートの色は真っ赤で、フードも着いています。
 さて、どなたたちからの注文やら?
 長谷川の少しレトロな雰囲気のある画が、素敵。(ひこ)

『クリスマスの ふしぎな はこ』(長谷川摂子:ぶん 斉藤俊行:絵 福音館書店 2008)
 なんともかわいいクリスマス絵本です。
 男の子は床下で箱を見つけます。それはサンタさんが見える箱。
 こっそりかくして、男の子は、サンタさんがやってくるまでを時々のぞきます。
 ドキドキ、心配、楽しみ。
 そんな子どもの心が、活き活きと描かれています。
 この箱について、もう少し描写があった方が、もっと楽しかったかな。(ひこ)

『ハモのクリスマス』(たかおかゆうこ 福音館書店 2008)
 ケイちゃんのハムスター、ハモくん。夜中にゲージから出てお散歩。するとどこからか声がして、お人形を見つけます。彼女は迷子になったみたい。ハモは一緒に戻る場所を探します。そこはね・・・・・・。
 かわいいクリスマス絵本です。
 でも、クリスマスツリー、こんなにちゃんとしたの持っていない子には、ちょっと分かりづらいかも。(ひこ)

『おっぱいのはなし』(土屋麻由美:文 相野谷由起:絵 ポプラ社 2009)
 とてもシンプルな母乳の意味を語った絵本です。
 もちろん赤ちゃんにではなく、幼児向けなのですが、きちんとわかりやすく説明していて、良いですね。
 ただ、それが、母親から娘へのつながりだけに感じてしまうのが、マイナス。
 ですから、ジェンダーへの視線が見えてきません。
 男の子にこそ伝えてください。(ひこ)

『とんがとぴんかのプレゼント』(西内ミナミ:さく スズキコージ:え 福音館書店 2008)
 クリスマス絵本です。
 はりねずみのとんがとぴんがは、サンタクロースが寒そうだと思って、大きな靴下をプレゼントすることにします。サンタさん、プレゼントあげてばかりですもんね。たまにはあげないと。
 旅立つ二匹。材料を次々集めていきます。
 ようやくできた赤い毛糸の靴下!
 スズキコージの勢いのある絵はとどまることを知りません。(ひこ)

『ふるるるる』(武鹿悦子:作 末崎茂樹:絵 フレーベル 2009)
 どろんこ遊びをしていたこぐまが、小鳥に誘われて、満開の桜の樹の元へという、季節感あふれる物語です。
 タイトルは読んでのお楽しみ。
 ただ、どろんこ遊びから、体を洗って、体を拭いてという流れが仕付け的に見えてしまうのが少しもったいないです。どろんこ遊びのままじゃだめ?(ひこ)

『こびとといもむし』(肥塚彰:原作 黒崎義介:文・絵 フレーベル館 2009)
 学徒出陣で亡くなった肥塚彰の原稿を元に、黒崎義介が一九七二年に作り上げた絵本の復刻版です。
 貧乏なこびとが主人公。は十五夜の夜に、お月様はうさぎたちにつかせたお餅をまいてくれたのですが、主人公は一個しか拾えませんでした。
 それでもこびとは、帰り道でおなかをすかせているいもむしに、そのお餅をあげました。
 新しい王様を決めるとき、神様がだした条件は、いちばんきれいな乗り物に乗ってきたこびとを王様にすると言うもの。こびとたちは豪華な馬車を用意しますが、貧乏なこびとにはそんなお金はなく・・・・。
 オチはおわかりかと思います。
 ここには、昔話からアンデルセンまでが詰まっていて、オリジナリティは低いです。黒崎がどこまで手を入れたのかはわかりませんが、それでも低いです。
 が、確かにここには「願い」のようなものはあって、それは今、必要で欠けているものかもしれません。(ひこ)

【創作】
『ルール』(シンシア・ロード:作 おびかゆうこ:訳 主婦の友社 2009)
 十二歳のキャサリンにはデービットという四つ年下の弟がいます。彼は自閉症。キャサリンは弟の面倒をよく見ていますが、やはりイライラすることは多々あります。両親はなんだかキャサリンにデービットを任せているみたいな気もしてしまうし。
 キャサリンはルールを作って弟に覚えさせようとします。自分の気持ちを落ち着かせるためのルールも。つまりそれは、ルールにすることで思考を停止する回避行動なのです。パレアナのジョイゲームの現代版といったところでしょうか。
 もちろん、ルールですから、それはぎくしゃくしますし、すべてが巧くいくわけでもありません。そのことで却ってイライラしたり。
 そんな時、キャサリンは弟の通院する病院で身体障害者のジェイソンと知り合います。彼は車いす生活で、言葉もうまく話せませんから、奇声に聞こえてしまったりします。ジェイソンは言葉の書かれたカードファイルを持っていて、それを指さしながら会話をします。
 絵の上手なキャサリンは色んな言葉に絵を添えたカードを作り、ジェイソンと親しくなります。でも、
 お隣に越してきたクリスティ。キャサリンは友だちになりますが、弟のことが少し恥ずかしい。そして、ボーイフレンドだと誤解されたジェイソンが身体障害者だと伝えられない。そんな自分が嫌になるキャサリンですが、気持ちを変えるのは難しい。
 こうしたテーマの場合、正しいことは先に決まっていて、だから読者も想像をはみ出させるのが難しく、退屈になりがちですが、この物語は、キャサリンの心の迷いを丁寧に描いていっているので、そんなことはありません。
 訳者あとがきを読むと、著者の息子は実際に自閉症児であり、その経験に基づいて物語は織られているとのことですが、その割には距離がとれていて、シンシアの書き手としての資質が良いものであるだろうことがわかります。
 障害者解放運動が本格的に始まった七十年代と比べると、「理解」は少しは深まったとは思いますが、情報に関してはまだまだ少なすぎます。
 こうした物語で、子どもが興味をもってくれたらとてもうれしいです。(ひこ)

『不幸な少年だったトーマスの書いた本』(フース・コイヤー:作 野坂悦子:訳 あすなろ書房 2009)
 戦後オランダの一家族の物語です。戦争の影を直接帯びているというわけではありません。
 トーマスの父親は、聖書原理主義者といった人物で、ドメスティックバイオレンスを行っている夫でもあります。
 父の言葉と拳の暴力下で家族は生きているのですが、それは結局この父親が臆病者で、何かを誰かを支配している実感がないと自身のアイデンティティを保てないことが、これを読む子どもにもわかるように書かれているのが良いです。
 なぜそんな父親かの背後にはおそらく戦争もあるには違いありませんが、そんなことは抑圧される側には関係がありません。
 半世紀以上前に時代設定がなされていますから、時代性の高い物語と誤解される心配がありますが、そうではなく、半世紀過ぎた今も、相変わらず事態は変わっていない点を注視したいですね。
 他者を抑圧しないと保てないプライドなど、犬のうんこほどの値打ちもないことを、子どもの頃から知っておきたいです。(ひこ)

『双子のヴァイオレット』(ジーン・ユーア:作 渋谷弘子:訳 笹森識:絵 文研出版 2009)
 ヴァイオレットは内気な女の子。彼女には双子の姉妹リリーがいるのですが、こちらは超積極的な女の子です。だから、リリーは学校でも友達がたくさんいるけど、ヴァイオレットはいない。リリーはいつもヴァイオレットをバカにするけど、それに反論もできない。
 双子であるばっかりに、みじめさは余計に募ります。
 そんなヴァイオレットが一大決心をして、ペンフレンドを見つけ、手紙のやりとりを始めます。友だちになれるかな? 友だちになって欲しいな。
 だから、ヴァイオレットはついつい自分を演出してしまいます。積極的な女の子のように。彼女が書くエピソードにはだんだんリリーがしたことを自分がしたように書いたものが混じり始めます・・・。
 嘘がばれたら、友だちじゃなくなる。でもうそを書かないと、そのままの自分じゃ魅力がない。そんなジレンマの中にいるヴァイオレットの姿は、友だち付き合いでドキドキしている子どもには共感できるでしょう。
 けっこう胸が痛い話ではありますけれど、読むのがつらい仕上がりではありません。(ひこ)

『怒矮夫風雲録 闇の覇者』(丸楠早逸:著 酒寄進一:訳 ソフトバンククリエイティブ 2009)
 独逸発の新ファンタジーです。
 いつも結構脇役であるドワーフが主人公です。エルフと共に闇の支配と戦うという、お決まりは安心して読ませます。
 展開が早いというわけではなく、登場人物がキャラではなくキャラクターとして描き込まれていますから、物語好きには楽しめる一品。そこに新たな世界を感じない点では、エンタメはエンタメではありますけれど、読書は楽しくてナンボです。
 ただ、この当て字多様は、賛否の分かれるところでしょう。カタカナの名前だから洋物は読みにくいという人も最近多いので、これの方が読みやすいという意見もあるに違いありません。私の場合は読みにくかったのは、古い読書おたく(ロシア文学好きとかの)だからでしょうね。(ひこ)

『わすれんぼライリー 大統領になる!』(クラウディア・ミルズ:文 R.W.アリー:絵 三辺律子:訳 あすなろ書房 2009)
 ライリーはとっても忘れんぼう。自分ではちゃんと気をつけているのですが、やっぱり忘れてしまう。だから自信がないライリーは、クラスメイトがうらやましいのか、彼らをよく観察しているのが面白いです。
 さて今度学校で、「伝記パーティ」をすることになりました。それって何? 子どもたちが割り振られた偉人や英雄になりきるパーティです。なりきるためには、その役の人を詳しく知らないといけないので、自然に調べ学習になるのです。というと、なんだ勉強かという話になりますし、まあ勉強ではあるのですが、みんなノって楽しそうです。
 ライリーが当たったのはルーズベルト。忘れんぼのライリーは果たして、この大統領になりきれるのでしょうか?
 ということと平行して、ライリーが本当になりたいサックス奏者への第一歩が描かれていきます。つまり、ロールプレイと、アイデンティティの問題が同時進行するのです。
 短い物語ですが、色々考えさせてくれますよ。(ひこ)

『晴れときどきアスペルガー』(今村志穂 講談社 2009)
 親から阻害されていた「私」やっと見つけた、理解してくれる恋人。彼と結婚できたのはいいのですが、仕事から帰ってきてからの彼はマンガやゲームに夢中で、声をかけると怒るほど異様です。以前あんなに自分の気持ちを受け止めてくれた人なのに? どうして?
 やがて子どもが生まれますが、この子はなぜか落ち着きがない。つい手を出してしまう「私」。
 様々な苦労と苦悩の後、二人ともアスペルガーだとわかります。
 そうわかると、対処の仕方、受け入れ方も、以前とと変わって来て、穏やかとはいかないまでも、家族の希望が見えてきたところで、物語(セミドキュメント)は終わります。
 アスペルガーの家族を抱える人の心の動きや、どう寄り添っていくかなど、勇気を与えてくれる書物ですが、アスペルガーをわかるまでが長く、それ以降が案外あっさり書かれているので、そこがもったいないです。もちろんアスペルガーとは、決まった反応ではなく個々様々なのですが、著者が向かい合ったそれを、もう少し距離を置いた記述で見せて欲しいです。読んでいてピントが合いにくいのです。
 デビュー作ですから、その辺り、編集者がもっとアドバイスしても良かったのでは?
 次作楽しみにしています。(ひこ)

『読書がたのしくなる ニッポンの文学』(全一〇巻 くもん出版 2009)
 日本の近代文学の短編・中編からセレクトしたシリーズが完結です。
 全集文化が消滅した今、各出版社がこうした取り組みをどんどんすることは、とてもうれしいです。
 各巻のタイトルが「冒険の国へ!」とか「家族って、ドンナカタチ?」と、手に取りやすいように工夫されているのもありがたいです。もう一ひねりは欲しいところですが、でも、わかりやすいからこれでいいいか。
 解説を中学校司書や教諭が書いているのも、好感です。なにしろ、現場を一番知っている人たちですから。
 なぜ今この物語を読むのか? をもっと書いて欲しい気はしましたが。
 それと、選書は、各巻を解説されている方たちですよね。だったらそれを表紙に明記していいただきたいです。誰かわからない「大人」ではなく、責任を持って、ちゃんと誰かが選書したとわかるようにしてください。でないと、子どもの信頼度が低くなります。
 読んで面白くなかったとき、「あ、この選者と自分は感性が違うんだ」と受け止めるのと、「だから大人が薦める小説はつまらないんだ」と思ってしまうのでは、まったく違います。(ひこ)

『あたしが部屋から出ないわけ』(アメリー・クーチュール:作 末松氷海子:訳 文研出版)
 新しい環境に慣れるには時間がかかります。しかもそれが家族であったらなおさらでしょう。
 リシューが生まれたとき母親が亡くなり、心を痛めた父親は彼女を育てられず、おばあちゃんに預けます。時は流れ父親の心も落ち着き、新しい伴侶も見つけ、リシューを迎えます。それは自然な行為で、リシューの幸せを考えてのことです。でも、彼女が心穏やかでないのも確かでした。おばあちゃんと別れ、これまで一緒に暮らしたことのなかった父親や新しい母親の中にリシューは跳び込まなければならないのです。子どもにとってそれは大きなプレッシャーでしょう。
 やがて弟が生まれ、また状況が変わります。そしておばあちゃんが亡くなってしまう。子育て初心者の父親は、なかなか思い通りにならないリシューにいらだちます。愛しているからこそ、腹立たしくなってしまうのです。そしてリシューは、部屋に閉じこもります。
 物語は彼女がここからどう脱出するか、大人はどんなサポートができるかを描きます。
 理解する難しさと、理解したときの喜びの物語です。(ひこ 読売新聞)

【専門書】
『フランスの子ども絵本史』(石澤小枝子他 大阪大学出版会 2009)
 待望の本がでました。というか、こんなのが一冊は欲しかった。
 英語圏と違って、フランスの絵本・児童文学の全体をさっくり知識として捉えるための本というのはなかなかなくて、これはまさにそうした欲望に応えてくれます。
 研究書といえるほどに突っ込んだ記述があるわけではりません。けどね、まず、こうした読みやすく、図版が豊富で見やすく楽しい本を、一読するだけで、目は相当ひろがるのです。頭の整理にもなりますし。
 ありがたい本ですよ。
 一般の方でも、おもしろく読めますし、読むことでフランスの子ども観が少し把握できます。
 でも難点は高いこと。二一〇〇〇円。豊富に研究費のある研究者なら買って、そうでない人は図書館にお願いしてみてください。各地方自治体の中央図書館にはあっていい基本図書ですから。
*大阪大学出版会に電話かファックス(電話06-6877-1614 FAX06-6877-5405)で石澤小枝子からと言えばニ割引になります。(ひこ)