137

       
【絵本】
『ヌンヌ』(オイリ・タンニネン:作 稲垣美晴:訳 あすなろ書房 2009)
 ヌンヌは眠りの手伝いをします。でも寝坊をしてしまって、予定していたプリッツ博士のところへ行けませんでした。大変だ! 
 しかも眠らせるための「あくびあめ」もなくしました。大変、大変。
 なんでも売っているポップの店へ行くヌンヌですが・・・・・・。
 お話も楽しいですが、なんといってもシンプルな絵が最高です。モダンな香りに満ちています。
 ヌンヌはキャラ(変わらないもの。たとえばキティ)ではなく、キャラクター(変わる可能性のある性格描写がされているもの)として描かれてはいますが、それでも1ページ、1ページがそのまま、カップからTシャツまでプリントOKな融通性があります。これは、コピーアートのモダンさそのものです。
 商品展開されれば、間違いなく日本では売れます。もうされているのかな?
 作者のオイリ・タンニネンは、主に六〇年代に活躍したフィンランドの作家で、日本でも渡辺翠(ヤンソン『彫刻家の娘』の訳者)訳で何作か出ていましたが絶版です。
 ヌンヌはこの機会にぜひシリーズを訳出お願いします。できれば創作の再刊も。(ひこ)

『空の飛びかた』(ゼバスティアン・メッシェンモーザー:昨 関口裕昭:訳 光村教育図書 2009)
 散歩の途中に出会ったペンギン。空から落ちたという。ホンマかいな。
 で、飛ぶための訓練と努力が始まります。
 非常にレベルの高いスケッチです。余計なものは何もありません。
 話そのものは、まじめで、少し滑稽で、ちょっと心が動かされるという、センスが前にでたものですが、そんなのは大人がそう思って感心するだけで、そんなこと気にしなくても絵の力がグイグイと見せていきます。
 こういう絵の魅力も触れておいてほしいです。(ひこ)

『むかしむかし とらとねこは・・・』(大島英太郎:文・絵 福音館 2009)
 中国の昔話を絵本にしています。
 獲物を捕るのが不得手な虎は、上手な猫に教えを請います。
 忍び足、速さ。
 狩りの方法を身につけた虎が、最初に狩ろうとしたのは・・・、猫だ!
 よくできた話に、表情豊かな絵。
 すばらしい。(ひこ))

『フローラのにわ』(クリスティーナ・ディーグマン:作 ひしきあきらこ:訳 福音館 2009)
 わ、わ、わ、菱木晃子さん、ずう〜〜〜〜〜〜と、あきこだと思ってました。すみません。中村晃子(『虹色の湖』)世代なので許してください。
 小さな小さな女の子フローラ。
 毎日毎日お庭の花や虫たちと遊んでいます。でも、フローラは一人で暮らしているから、ちょっとさみしい。
 ある日、お庭の入り口に一人の女の子が立っています。リネアの花のような女の子。やっぱり、名前はリネアです!
 なんて言うのでしょう。絵柄もそうなのですが、とにかくすべてが動植物すべてへの愛おしさに満ちています。
 ささやくような音と、柔らかな日差しと、ほのかないい香り。それが嘘っぽくも軽くもなく、結構土臭くリアルに感じられるのは、この作家の才能でしょうね。(ひこ)

『からだのなかで ドゥン ドゥン ドゥン』(木坂涼:ぶん あべ弘士:え 福音館 2008)
 男の子と女の子。犬と猫。熊もひよこも、生き物みんな。
 体を寄せ合えば聞こえてくる音、「ドゥン ドゥン ドゥン」。
 木坂は、その音へと子ども読者の注意を喚起します。
 それは心の安まる音。ときめく音。
 忘れないように。大きくなっても、
 忘れないように。(ひこ)

『とけいのあおくん』(エリザベス・ロバーツ:さく 灰島かり:やく 殿内真帆:え 「こどものとも」2009.02 福音館)
 原作は一九五九年。文は灰島によって訳され、絵は新たに殿内が描き起こしました。
 あおくんは時計屋さんの棚で長いこと置き去りの小さな目覚まし時計。自分の鳴らす音が一番と思っていますが、誰もならしてくれないし、買ってくれません。となりではおおきなあかい時計の音が大きくて、あおくんますます地味です。
 ところがある日、男の子が母親とやってきて、あおくんに目をとめ、お父さんへの誕生日プレゼントに欲しいといいだします。うれしいあおくんです。
 でも、今まで自分だけで音を鳴らしたことがないあおくんは、目覚ましとしてお役に立てるかとても心配。
 といったほのぼの話が語られていきます。
 原画を見ていないので、絵のチェンジの良し悪しはわからないのですが、少なくとも殿内の画は、まるで五〇年代絵本や、六〇年代グラフィックのようで、柳原良平なんかの香りも入っていて、巧いです。色遣いも含めて才能のある画家・デザイナーですよ。(ひこ)

『かいもの さんぽ ゴムぞうり』(荒井良二:さく 古賀鈴鳴:え 岩崎書店 2008)
 LPジャケのでかいサイズで展開する、荒井と古賀のコラボです。
 男の子がゴムぞうりを履いて、かいものだかさんぽだか、歩いていく設定の元、町から山間、橋に道路、様々な場所を歩く歩く、その背景は想像力によって、時と場所を越えて広がっていきます。男の子から見れば広がっていて、読者から見れば世界が、日常が、ファンタジーが圧縮されているといえばいいかな。
 小さな物語たちの奔放な散乱が楽しいですね。
 この画面たちの細部を子どもたちが喜んでくれたらいいのですけれど。それくらいの余裕はなくちゃね。(ひこ)

『ファーディのはる』(ジュリア・ローリンソン:さく ティファニー・ビーク:え 木坂涼:やく 理論社 2009)
 『ファーディとおちば』のファーディが春にやってきました。
 森、果樹園。
 春をいっぱいあびます。が、あれ? 雪?
 ファーディは大慌てで、友達のハリネズミに知らせに行きますが、本当に雪?
 ティファニー・ビークの描く風景の相変わらずの良さといったら!(ひこ)

『チョキチョキおじさん きょうりゅう王国』(まつおか たつひで 岩崎書店 2009)
 良いです。メタ絵本ですが、普通に楽しいです。
 おじさんが紙を切り抜いて恐竜とジャングルを作っています。
 手で持った恐竜で、恐竜劇場を開始。
 主人公である恐竜の子どもはひとりぼっちでさみしい。おや恐竜を探してさまよいますが、見つかりません。
 死んだのか?
 いえいえ、おじさんがまだ、この子の親を作っていないからです。
 という具合に、恐竜劇場と、それを司るおじさんの話が両方展開します。
 話そのものはそれだけなのですが、この入れ子構造を楽しめば、「論理」の芽が育ちます。(ひこ)

『あかくん まちを はしる』(あんどう としひこ:さく 福音館 2009)
 赤い小型車あかくんが、青い小型車あおくんと一緒にドライブに。
 工事や停滞で、いつのまにかあおくんとの距離が開いて見失い、心配なあかくん。
 という設定で町の風景が、様々な車が次々と描かれていきます。
 なんといっても、あんどうの絵がいいですね、意図、タッチ、レイアウト、遊び。隅々まで心がいっています。(ひこ)

『ヒロシマのいのちの水』(指田和:文 野村たかあき:絵 文研出版 2009)
 原爆語りを続けている指田の言葉と野村の絵で構成した、伝える絵本。
 ヒロシマとオキナワをナガサキを、他、空襲被害にあったすべての国民・市民がその実態を、歴史を語り継いでいくのはある意味で義務です。もちろん、もう思い出したくない人もいます。それもまた尊重される必要がありますが、語れる人は語った方がいい。
 でも、体験者も次第に年老いてきますから、その記憶は遺していく必要があります。
 こうした絵本もその一翼を担っています。
 あと、もう一つ、加害者としての我々を伝える絵本を作って欲しい。元兵士の人で、語っている人もいますので、そうした人の証言絵本を、ぜひ若い編集者に作って欲しい。
 興味だけで作っていいのです。西尾幹二などが批判する自虐史観(しかしどういう日本語でしょうね)なんてどうでもいいのです。加害者としての日本を知ることは、自分の属している文化を継承する覚悟ですから、自虐などではなく、自尊です。(ひこ)

『たすけて!』(ホリー・ケラー:作 福本友美子:訳 光村教育図書 2009)
 友達絵本です。
 おくびょうなネズミくんはヘビは悪いやつだと思っています。ハリネズミくんはそんなことはないと言うのですが。
 穴に落ちたネズミくん。友達のハリネズミや犬たちが助けようとしますが、だめ。
 ソコニヘビがやってきて・・・・・・。
 その後の展開は読めるでしょうが、それでいいのです。
 凝った絵柄を楽しんでください。(ひこ)

『ニコラス どこに いってたの』(レオ・レオーニ 谷川俊太郎:訳 あすなろ書房 2009)
 友達絵本です。
 レオ・レオーニらしい一品です。
 ニコラスたちのねずみは、おいしい木の実を鳥が奪ったので頭に来ています。鳥なんかやっつけちゃえ!
 ニコラス、おいしい実を探していると、鳥にさらわれ、落とされ、落ちたところは子育て真っ最中の鳥の巣。
 雛と一緒に親鳥からおいしい実をもらいます。
 ある日、目覚めたら鳥たちはみんな巣立っていて、おいしい実を山盛り残してくれました。
 木から下りたニコラスは、鳥をやっつけろと盛り上がっている仲間に、鳥はそんなに悪くないというのですが・・・・・・。
 もちろん、互いを理解することで終わります。
 これを甘いと見るかどうかですが、確かにレオ・レオニの甘さと、なんだかごまかされたような感じは相変わらずつきまといます。もう一歩踏み込んでもいいのではないかと。
 けれど、戦い反対というメッセージそのものは有効ですので、レオ・レオニの先まで私たち自身が考え始めるまでは、こうした作品を楽しむことも吉です。(ひこ)

『かげふみあそび』(武鹿悦子:作 末崎茂樹:絵 フレーベル館 2008)
 子ウサギのチャコは、おかあさんが帰ってこないのでさみしい。外に飛び出して、月の光でかげぼうし。それを踏んで歩いていくと、いろんな動物の子どもも次々と集まってきて、かげふみあそびをいたします。
 最後のページ、幸せの結末のところ以外、末崎はモノクロ画面で通して、かげふみの世界を印象的に伝えます。
 チャコって名前は違和感ありますが、かげふみ遊びを知らない子どもに、この世界をぜひお伝えあれ。(ひこ)

『おえどの おなら』(おち のりこ:さく まきの いさお:え 教育画劇 2009)
 舞台は江戸の長屋から始まって、おならの連鎖となります。
 連鎖絵本です。
 おちのリズミカルな言葉が、おならと一緒にはねています。
 まきのの筆捌きが実に良くて、なんていうか、こう、ぷ〜〜んと匂ってきそうなのです。
 決して簡単に描ける絵ではないのですが、簡単に描けそうに見えてしまうところがみそ。
 子どもたち、まねしてどんどん描いてくださいな。そしたら、楽しく伸びやかに描けるようになるから。(ひこ)

『つららが ぽーっとん』(小野寺悦子:ぶん 藤枝つう:え 福音館 2009)
 大阪では、つららもとんと見なくなりました。
 北国。女の子は窓からつららを眺めながら、春はまだかと問いかけます。それに応えるかのように、つららの先から水滴が、ぽーっとん。
 静かな中に、春のドキドキが近づいてくる様子が巧く描かれています。
 こういう世界をゆっくり味わえる環境に、子どもがありますように。(ひこ)

『いそっぷのおはなし』(降矢なな:絵 木坂涼:再話 グランまま社 2009)
 おなじみのイソップのお話を木坂が再話し、降矢が、愉快な絵をつけました。
 隅々に小さな遊びがありますから、ゆっくり楽しめますよ。
 でも、今の子どもも、イソップ知っているかな。知らなくても、これを読めばいいのですけれど。(ひこ)

『島のゆうびんやさん』(石津ちひろ:ぶん 竹内通雅:え 理論社 2009)
 郵便配達人なみこさんの日々を描いています。
 島だから配達も大変なんですが、他にもいろいろ頼まれたりして、大忙し。
 島のみんなにとって、なみこさんは毎日来てくれる話し相手でもあります。
 仕事と地域社会がちゃんと組み合わされている心地よさがよいです。それが、「島」だからかろうじて成り立っているのが、今のこの国の問題ですけどね。(ひこ)

『ことりの ゆうびんやさん』(ニコライ・スラトコフ:原作 松谷さやか:ぶん はたこうしろう:え 福音館 2009)
 物語そのものが、まず出来がいい。
 「ぼく」の家の、木でできた古い、でも現役の郵便ポスト。
 キツツキがやってきて、ポストの口を、つっついて少し広げます。するとセキレイのつがいがやってきて、そこに巣を作ります。
 「ぼく」の家族と郵便屋さんが、このセキレイの子育てを応援する姿が描かれるのです。
 もちろん、それでは困るからと、ポストから巣を取り去ってしまったとしても、私はかまわないと思いますし、それを非難することもありませんが、やっぱり、この展開を期待してしまいます。つまり、この物語はそんな気持ちに寄り添ってくれるので、気持ちいいわけです。
 これを、松谷とはたが、日本の風景に溶け込ませました。
 巧くできていますが、多少の違和感がないわけでもなし。日本のどこなんだろう? と思うことはあり。(ひこ)

『赤いポストと はいしゃさん』(薫くみこ:作 黒井健:絵 ポプラ社 2009)
 山の麓の町、評判の歯医者さん。彼が苦手なのは、母親にはがきを書くこと。愛してはいるのですが、なかなかいい言葉が出てこない。
 はがきを出しに行くと、リスの親子の会話が耳に。子どもが歯痛で泣いています。
 そこで歯医者さん、さっそく直してあげます。治療費は、はがきを書くこと。かわいいかんじゃさんのはがきです。
 評判を聞きつけて、いろんな動物がやってきます。
 でも、古いポストはやがて取り替えられそうになり・・・・・・。
 ポストがもう少し話に絡んでほしいです。(ひこ)

『ひみつのカレーライス』(井上荒野:作 田中清代:絵 アリス館 2009)
 家族でカレーライスを食べていると、男の子の口に種が。
 父親がそれは「カレーライスの種」だという。ほんまかいな。
 そこで庭に植えると、一日で芽が出て、一日で木になって、
 あらら、お皿の葉が出て、
 ふくしんづけの花が咲いて、
 カレーの実と、
 ライスの実ができました。そして、
 と、まことに楽しくアホらしい展開をいたします。オチまで1直線です。
 物語が落語のようにそのままで成立しているので、絵をつけるのは難しいのですが、田中は文に負けないくらい愉快な絵を描きました。
 できのいい一冊です。
 絵本か? と聞かれるとチト困りますが、いいのだ。おもしろいから。(ひこ)

『はしるチンチン』(しりあがり寿 岩崎書店 2009)
 これが初絵本というのはちょっと意外ですが、オチンチンではなくちゃんとチンチンであることにまず、共感。
 そうか、しりあがりは、こんな画を描くんだと、うれしい限り。
 一人の小さな男の子が素裸で家を飛び出し、「チンチン、チンチン」と叫びつつ、走る、走る。
 それにおどろく人々。
 という形で、きれい事ではない子どものパワーを、しりあがりはとても気持ちよさそうに描いていきます。
 世界を股にかけ、世界を越えて、やがて最後には・・・。
 ラストの幸せな結末は、いかにも男の欲望ですね。
 ただ、いつも思うのは、オチンチンやチンチンはあっても、オマンコやマンコがないこと。子どもの子どもらしさを描くとき、なぜ女性器は忌避されるのかしらん?(ひこ)

『ねこガム』(きむらよしお:作 教育画劇 2009)
 男の子が風船ガムをふくらませます。プー!
 大きくふくらんだそれは、やがて猫の顔になり、今度はその猫が男の子を吸い込んでいきます。
 といったナンセンスが、余計なくすぐりなしで、ただ淡々と続いていきます。お互い、吸ったり吸われたりなので段々力が入ってきて、見ている方も力が入って、そこがとっても愉快。
 いい出来だなあ。
 この単純ギャグ、好きな子ども絶対多いよ。(ひこ)

『うしはどこでも「モー!」』(エレン・スラスキー・ワインスティーン:作 ケネス・アンダーソン:絵 桂かい枝:訳 すずき出版 2009)
 1ネタ絵本です。
 犬は世界中でなきごえが違うのに、牛は「モー」だけだ。
 といったパターンでいろんな動物が登場します。オチは牛の「モー」で同じです。
 知っている人には別におもしろくないのでしょうが、文化によってなきごえの聞こえ方が違うのを知らない子どもには、とてもおもしろいでしょう。
 絵は、イラストレーターらしいシンプルさで、これも文から気を散らさないためにはいいですね。印象にはしっかり残るし。
 訳文はかい枝だから仕方がありませんが、大阪弁である必要はあったかどうか? そこで笑いをとる必要はないと思うのですが。(ひこ)

『もっともっと おおきなおなべ』(寮美千子:作 どいかや:絵 フレーベル館 2008)
 なべというものは、そのシンプルな形状と、シンプルに使う日常が、気分を落ち着かせてくれます。そんなにいろいろはいらなくて、大きいのは一つあればなんとでも使い回せるし、小さいのは味噌汁からミルクまでなんでも暖めてしまえます。
 そんななべの楽しさを、それこそお鍋いっぱいに描いた絵本。
 ねずみから始まって熊まで、それぞれの身の丈にあったなべの中身がだんだんに受け渡され、煮られる素材が増えていって、大きななべに、おいしいおいしいシチューのできあがり。
 どいの、なにげなくほんわかした絵がぴたり。(ひこ)

『ろうそく いっぽん』(市居みか:作 小峰書店 2008)
 『ブルトン』シリーズも愉快な市居の友達絵本。
 夜中の山道、男の子がろうそくに灯をつけて走っていきます。なにか大事な用があるみたい。でもでも、動物に呼び止められて灯を貸してあげます。それは何度か続いて、男の子が目的地にたどり着いた頃にはすっかり短くなっているのですが、最後はみんなが灯を借りたわけがわかって、一緒に幸せの結末へ。
 リズムも展開も、非常にスムーズで気持ちがいい仕上がりです。(ひこ)

『かみなり』(内田麟太郎:文 よしながこうたく:絵 ポプラ社 2008)
 内田による「狂言えほん」シリーズの一冊です。
 今作は、絵師に『給食番長』のよしながこうたくを迎えましたから、だめな人はだめな、非常に濃い仕上がりとなっています。だめな人はそんな自分に恥じる必要はありません。この絵を気持ち悪いと感じる感性はごく普通ですので。
 かみなりさんより、かみなりを怖がっているはずの主人公の顔の方が怖かったりするほどですから。
 それでいいのです。
 それにしても、よしながのこのグルーブ感。きっとレゲエが好きなはずだ。(ひこ)

『吸血鬼のおはなし』(八百板洋子:文 齋藤芽生:絵 福音館 たくさんのふしぎ」2009、03)
 吸血鬼は、ブラム・ストーカーの創作で、実はモデルとなったドラクラ公はルーマニアでは英雄であること。そうした情報は今は割と多くの人に共有されています。
 この絵本は、そこからもう一歩踏み込んで、ルーマニアにおける吸血鬼の昔話・伝説たちを紹介しています。
 八百板の視座ははっきりしていて、文化の多層多面性とそのおもしろさを子どもに伝えること。もう一つはそれによって、いらぬ差別を生ませないこと。
 知らない話ばかりで、おもしろかったです。(ひこ)

『こんにちは あかちゃん』(メム・フォックス:ぶん ヘレン・オクセンバリー:え かとうりつこ:やく 主婦の友社 2009)
 様々なまちで、あかちゃんが生まれます。
 性別も文化も違うけれど、
 ちいさな手と、ちいさな足。
 そのかわいい様は、ヘレン・オクセンバリーによって、過剰に強調されることなく、ほどよく示されています。
 誰への絵本か、または誰への絵本として読むかは大切な選択となるでしょう。(ひこ)

『ネットいじめ』(ロビン・マッケカーン:作 上田勢子:訳 桑田木綿子:絵 大月書店 2009)
 「学校のトラブル解決シリーズ」の最終巻が「ネットいじめ」なのは、当然と言えば当然かな。
 今子どもに属している人たちは、物心ついたときからネットがある世代ですから、それは必需品で、しかしそうはいっても彼らはそうした環境の最初の世代ですから、使い方のリテラシーはまだまだ備わっていません。大人もそうですけどね。
 「いじめ」ていることになると理解していないケースと、理解しているけれど、ばれないと思ってそれをちょっとだけ楽しんでいるケース。おおまかにこの二つ。
 日本の場合、携帯でのそれが圧倒的に多いので、この絵本とは若干趣は違いますが、それでも、早い時期からこうしたことに関する情報提供をしてほしい。(ひこ)

『でんしゃはうたう』(三宮麻由子:ぶん みねお みつ:え 福音館 2009)
 でんしゃの一番前に乗った子ども。運転手のように線路と、変わりゆく景色を眺めます。その風景が最後まで続きます。
 それが見ていて本当に楽しい。
 なんででしょうね、電車と線路が楽しいのは。
 あ、でもそれが楽しいのはほとんど男の子ですね。(ひこ)

『ぞうのホートン たまごをかえす』(ドクター・スース:さく・え しらき しげる:やく 偕成社 2008)
 説明する必要もなし。ホートンシリーズが新装版で再登場をお知らせです。(ひこ)

『おいしいおと』(三宮麻由子:ぶん ふくしまあきえ:え 福音館 2008)
 いろんな食べ物を食べるときの音を描いた絵本です。
 たしかにおいしい音というのがあるのは、どなたもご存じなこと。
 ここでは、むしろ、楽しい音を通して、それぞれの食べ物を子どもが楽しむことと、音そのもののおもしろさに耳を澄ませることに重点がおかれています。
 前者は巧くできています。楽しそうな音で、食べるのも楽しそう。
 が、後者は、感じ方が人それぞれになるからでしょうか、私には違和感があります。
 難しいですね。(ひこ)

『どうぶつの あかちゃん うまれた』(鈴木まもる 小峰書店 2008)
 『みんな あかちゃんだった』に続く作品。
 タイトル通り、様々な動物のあかちゃんが生まれる様や、そのかわいさなどを描きます。
 それぞれの親が子どもを慈しむ姿が、鈴木そのものの感じている愛おしさとともに表現されていきます。
 鈴木さん、オスも今度描いてください。(ひこ)

『おおきくなりたい こりすのもぐ』(征矢清:ぶん 夏目義一:え 福音館 2009)
 こりすのもぐは、初めて自分で木の実をとりに出かけます。
 一つ食べるごとに、「おおきくなったでしょ」って自慢げな表情とポーズが、いかにも子どもの幸せな気持ちを見ているようで、ほほえましいです。
 子ども読者にとってそれがおもしろいかどうかは、子どもがもぐの保護者のような気持ちになれるかでしょう。(ひこ)

『たま、また たま』(星川ひろ子・星川治雄 アリス館 2009)
 たま(球体)をテーマに、この世の様々なたまを見せていってくれます。じゃぼん玉、だんご虫、月、木の実。大きさは様々ですが、こうして巧く同じサイズにそろえて見せてもらうと、世界が捕まえられたような気分になります。
 カテゴリーの違う物の共通性を考えるのにもいいですね。
 こういう思考が欠けているんですね、今は。(ひこ)

『うみのダンゴムシ・やまのダンゴムシ』(皆越ようせい:写真・文 岩崎書店 2009)
 写真絵本の最も良質の部分で作品を提供し続けている皆越の新作。今回は『ダンゴムシみつけたよ』(ポプラ社)に続くダンゴムシです。
 ダンゴムシって皆越に撮らせてしまうと、本当にきれいです。
 皆越の見せ方がとても巧いのは、これまでの作品でも明らかですが、今回も単調ではなく、ページごとの切り替えがシャープで飽きさせないし、のめり込む。縦横無尽です。
 ダンゴムシが気持ち悪い人には十分気持ち悪く、そうではない人には美しく見える出来です。(ひこ)

『たんぼのカエルのだいへんしん』(内山りゅう:写真・文 ポプラ社 2009)
 『ヘビのひみつ』で、おーおーおーと思わせてくれた内山のカエル写真絵本。
 暖かくなると様々なカエルが姿を見せます。元気にしていたかあ。
 で、卵を産んで、卵が孵って、おたまじゃくしになって。
 しかし、右足と左足の出てくる方法が違うなんて、今の今まで知らなかった。(ひこ)

『海をわたるツル』(増田戻樹:写真・文 あかね書房 )
 鹿児島県出水平野。ナベヅル、マナヅツの飛来地です。
 増田はじっくりとここでツルを追い、自然環境、人間環境の悪化からツルがどうなっているか、人間が彼らを心配してどんなことをしているかを語り、同時にツルという生き物の生活を語ります。
 それらの情報も、切り取られた写真も良いのですが、見せ方が単調で損をしています。これだけ作者の思い(言葉)があふれるのなら、解説的なキャプションは必要だったか? あふれる言葉はもう少し写真だけに語らせられなかったか? 写真絵本でいくのか、図鑑寄りで行くのか? すっきりして欲しかったです。(ひこ)

『ほしにむすばれて』(谷川俊太郎:文 えびなみつる:絵 文研出版 2009)
 星空が好きだったおじいちゃん。
 その一生と家族の姿を語るのですが、それをおじいちゃんが買い換え続けた望遠鏡を一つをポイントとして語っているのがいいですね。ずっと大事にしてきた一つの望遠鏡で表すのではなく、買い換えていく望遠鏡。でも使わなくなった望遠鏡も子どもに託す形でちゃんと大切に(思い出の品ではなく)描かれているのがすてきです。
 えびなが描く家族は、「あ、会話することで本当に理解し合っている人たちだろうな」と思わせる雰囲気で、これもよし。(ひこ)

『101のひとみ』(秋元良平:写真 吉武輝子:文 教育画劇 2009)
 『盲導犬クイールの一生』の秋元が撮った五一匹の犬の写真に、『女人 吉屋信子』を書いた吉武が文をつけた写真絵本です。
 吉武は私には、リブからフェミニズムへの流れの中で、その初期に良い仕事をした人という印象があります。『女人 吉屋信子』は、吉屋信子を文学史に位置づけてくれたし、ありがたし。
 八〇歳を目前にした吉武が、秋元の犬の写真に恋をしてしまってできたのが本作です。絵本デビューとのこと。ぜひ参入してください。
 さて、この写真絵本、犬が笑うということを信じていない人は、まあごらんなさい。笑顔がいっぱいです。
 でも、きっと信じてない人はそれでもやっぱり、そう思いたい人にはそう見えるだけだ、と言うでしょうね。
 そう見える人がたくさん増えれば楽しいのですよ。(ひこ)

『あかちゃんが うまれたら なるなる なんに なる?』(スギヤマカナヨ ポプラ社 2009)
 お姉ちゃん物です。
 下の子が生まれたら、私はおねえちゃん。おとうさんは、私と赤ちゃんのおとうさん。
 というように、その子どもにとっては激変する環境を、優しく伝えていてよいです。
 ジェンダーへの配慮が不足しているのが残念。(ひこ)

『しろいかみのサーカス』(たにうちつねお:さく いちかわかつひろ:しゃしん 福音館 2009)
 紙は自由に造形を作ることのできる素材の一つです。その固さや破れやすさから、自ずと制限は加わりますが、そこが縛りとなって、紙の造形のおもしろさを増します。折り紙がその典型ですね。
 さて、本作は折り紙のような複雑なことはいたしません。一回折る。はさみで切り目を入れる。ぐるぐる巻いてみる。そうしてなにができるか?
 紙という素材そのものを楽しむ絵本です。(ひこ)

『ゆきをしらない こねこの おはなし』(エリック・ローマン:作 長滝谷富貴子:訳 あすなろ書房 2008)
  四匹の子猫たち。まだ冬も雪も知りません。三匹は雪が怖い。でも、雪に興味津々の一匹は、外に飛び出した!
 これから冬を迎える時期にぴったりの絵本ですが・・・・・・、今は夏を迎えますので、暑い夏に涼しくなるお話、だと思ってください。苦しい言い訳です。あすなろ書房さんすみません。
 なんにでも興味を持つ子猫のかわいさは、エリック・ローマンの絵で存分に表現されています。ネコ好きは買いです。(ひこ)

『まどのおてがみ』(北川チハル:文 おおしまりえ:絵 文研出版 2009)
 風邪を引いたちいちゃん。ベッドの中にいなくてはいけません。でも、退屈。つまらない。さみしい。
 窓の外では友達が遊んでいる声。
 ちいちゃんは、窓に言葉を書きます。
 子どもが病気になって回復するまでの気持ちを描いています。それはとても繊細でいいのですけれど、もう少し前向きに描いた方が良かったのでは?(ひこ)

『ハリセンボンがふくらんだ』(鈴木克美:作 石井聖岳:絵 あかね書房 2008)
 子どもの頃、突堤で適当につりをしていると、小さなフグがやたらかかって、ああ、フグというのもはいじきたないやつやなあと思ったものでした。
 ハリセンボンのことを知りたい子どものための絵本です。いやいや、興味がなくても、興味が出てくるように作ってあります。
 ハリセンボンって毒がないんだ。だからハリで守っているんだ。恥ずかしながら初めてしりました。(ひこ)

『まねっこえほん1 あかちゃん にこにこ』(いしかわこうじ:作・絵 ポプラ社)
 シリーズとなる「まねっこえほん」。
 あかちゃんは、人の表情や仕草、言葉をまねて覚えていきます。
 さまざまなどうぶつとの組み合わせで、まねを描いていくのですが、単純に仕上げてあるので、繰り返しにはよいでしょう。(ひこ)

『でんしゃが ゴットン』(冬野いちこ 岩崎書店 2009)
 電車が走るのを楽しむ赤ちゃん絵本。
 電車に乗り合わせた動物たちそれぞれの仕草や表情がページごとに少しずつ変わっていって、ラストの下車で終わるという細かな気配りや、道路を走る車の描写など、なかなか行き届いていますが、貨物列車は、今もこうなんでしょうか?(ひこ)

『いたいよ いたいよ』(まつおかたつひで ポプラ社 2009)
 かえるやだんごむしから男の子までみんなが、石に躓いて倒れます。
 いたいよー!
 と、泣き出す子どもたち。
 駆けつける母親たち。
 いたいのいたいの飛んでいけ!
 という、わかりやすい展開の絵本です。
 子どもに読み聞かせれば、その同じパターンの連続を楽しむでしょう。(ひこ)

『あいうえおん』(あきびんご くもん出版 2009)
 あいうえおを濁音や撥音まで全部使って絵本にしています。
「おにの おならは おおきいな」という具合です。
 この作者らしく、ほとんどが無理矢理ですてきですが、今作特に、布地を使った絵がGood。
 でも、あいうえお物は、二宮由紀子の『あいうえおパラダイス』があるので、それ以後は相当がんばらないと、つらいのは事実。(ひこ)

『あいうえ おべんとう』(山岡ひかる:作 くもん出版 2009)
 あいうえお物です。
 あ行の名前の素材でお弁当というわけです。
 アスパラガス いちご うずらたまご えびフライ おにぎり。
 ん〜〜、チト苦しいか。
 『いろいろ』シリーズで、あんなにおいしい食べ物を描いた山岡ですから、こうした無理矢理はしなくてもいいのです。
 楽しいけど、引っかかる。(ひこ)

『さかさことばで うんどうかい』(西村敏雄:作 「こどものとも2009.05」 福音館)
 大作『あいうえおパラダイス』(二宮由紀子 理論社)以降、なにやら言葉をいじくる作品が増えていますが、良いことです。「え〜」「ウゼー」など使っていればコミュニケーションができると思っている若い人の言葉の貧困さは、おやじの貧困さに勝るとも劣らない現在、言葉をいじくる、操る楽しさを子どもたちに覚えてほしいので、いろんな作家に作ってもらいたいです。
 この作品も、動物の運動会という縛りをつけた上で、さかさ言葉を操っています。
「にわとりと ことりと わに」「うまが まう」とか、無理矢理なのが楽しいです。
「きめわざきまり とりまきざわめき」などはすばらしいでしょ。(ひこ)

『サカサかぞくの だんながなんだ』(宮西達也 ほるぷ出版 2009)
 こちらも、さかさ言葉です。
「かいなべたべないか」、「たいてきがきていた」など、かなり無理が泣かせます。
 舞台は原始時代。宮西の描く家族にどんな展開が待っているかはお楽しみに。
 早くも「2」の発刊も決まっているようです。(ひこ)

『パンダがナンダ』(あべはじめ くもん出版 2009)
 動物園にパンダがやってきます。それはもう大人気。お隣のライオンさんには見向きもしない。
 落ち込んだライオンさん。さっぱりしようと理髪店へ行くのですが、さっぱりとたてがみが刈られてしまい、でも人気者になりたいなあというと、目をパッチリしてくれます。目の回りを黒くしてね。
 帰ってきたライオンは大人気。ライオンパンダです!
 ほかの動物は馬鹿にするのですが、その人気にあせって、みんなもやっぱり理髪店で・・・・・・。
 カバパンダ、シカパンダ、シマウマパンダ。パンダだらけで大賑わい。
 でも、本当のパンダはというと、すっかり注目なれなくなって・・・・・。
 わかりやすく、ユーモアを表現しています。コテコテのタイトルも、読んで納得。(ひこ)

『あったよ! 野山のごちそう』(布施知子:文 棚橋亜左子:絵 「たくさんのふしぎ2009.06」 福音館)
 折り紙でおなじみの布施の自然絵本。野山で採れる実を、棚橋の見せるのが巧い絵で紹介しています。
 スタートの4ページ他、布施のエッセイが挟まるのが「工夫」。ただし、まだ効果は生きていないのが残念。でも、あとはもうすばらしいです。
 野山の恵みが子ども目線でとらえられるように、きちんと解説されていきます。キノコと違ってその場ですぐに食味を試せるのがいいなあ。
 鳥でも、魚でもそうですが、そのものと、それに当てはめられて言葉を結びつけていく喜びは(名前を覚えることは)、言葉へに愛おしさを磨きます。
 この絵本もその機能が高い一冊。シニフィアンとシニフィエ絵本です。
 野山のごちそう数をもう少し増やして、単行本にしてほしいです。(ひこ)

『野の花えほん 春と夏の花』(前田まゆみ:作 あすなろ書房 2009)
 注意してみればどこにでも見つかる小さな花々の解説絵本です。
 春と夏ですから、きっと秋と冬もあるのでしょう。楽しみ。
 知っている花、知っているけど名前を特定できなかった花、きっと不注意なのでまだ見ていない花。
 世界はなんとドキドキしていることでしょう。
 解説は、植物図鑑的なだけではなく、文化的にも書かれ、お料理もあるので、とてもわかりやすくて、ぐっと身近です。
 あれも食べられるのか、これも食べられるのかと、知識を仕込ませていただきました。
 ごちそうさま。
 子どもたちにも、ぜひぜひドキドキしてほしいです。(ひこ)

『だって春だもん』(小寺卓矢:写真・文 アリス館 2009)
 そんなに凝ってはいないが、いいタイトルで、好きです。
 確かに確かに。だって、としかいいようのない春があふれています。
 動植物は待っているのだ、春を。
 レイアウトがもう少し、ページを繰りたいように工夫されている方がいいと思いますが、『森のいのち』と同じく、この線で作品を届けてください。(ひこ)

『砂漠のサイーダさん』(常見藤代:文・写真 「たくさんのふしぎ2009.05」 福音館)
 エジプトに砂漠で生きる遊牧民、サイーダさんの一日の暮らしぶりを追った写真絵本です。
 こんなに詳しく迫ったのはなかなかありません。それは生活全部ですから、絵本の作り手自身も普段の生活全部を自分一人でこなせていないと、これを正確に伝えることはできません。つまり、男に多い、生活自立ができていない人にはこのレベルに仕上げるのは無理。「俺だって、砂漠へ取材に行けば自分でできるよ」。なんてのはだめ。だってそれだとその人にとってはそれは非日常で、サイーダさんにとっては日常だから、撮る側と撮られる側の感覚がズレてしまう。
 ちゃんと作者とサイーダさんがリンクしているからでしょうか、その一日は眺めていてなんだか、幸せなんです。冒険もなにもないけど、ちゃんと確かに時間は流れているんです。
 砂漠のサイーダさんと、日本の都会のあなたの時間が気持ちよく重なります。
 サイーダさんが日本の都会に行く必要はないように、あなとも砂漠に行かなくても、つながれます。
 遊牧民に関する情報を初めて知る子どもには、こういう目線からまず入ってほしいなあ。(ひこ)

『うさぎこわーい』(松橋利光:写真・文 こばようこ:絵 アリス館 2009)
 『かえるといっしょ』に続く「いきもの絵にっき」の2です。
 松橋の写真とエッセイを、こばがコラージュしていく試みは前回同様、おもしろいです。
 ただ、まだ見せ方が定まっていない気がします。この世界に入りにくいのです。写真と絵を互いに溶け込ませる術が、これからかな。(ひこ)

『しゅっしゅぽっぽ』(新井洋行:作・絵 教育画劇 2009)
 木でできた列車のおもちゃを線路に走らせて遊ぶ女の子の絵本です。
 絵柄は、特色が出ていてよいですし、テーマも悪くない。でも、子ども目線ではなく、子どもを見る大人目線で描かれているのが、疑問なのです。
 女の子を外してもよかったのでは?(ひこ)

『すやすや タヌキがねていたら』(内田麟太カ:文 渡辺有一:絵 文研出版 2009)
 眠るの気持ちいいなあ〜〜絵本です。同感。
 畑でタヌキがキャベツを抱いて寝ていたら、当然そばでブタも眠る。
 子どもも、ネコも、どこでもどんな時でも眠る。
 それを、ブタを前振りにして、だから**も眠る、とした内田の発想の勝利です。(ひこ)

『たのしいたてもの』(青山邦彦:作・絵 教育画劇 2009)
 『むしのおんがくがっこう』で、その絵の力を見せつけてくれた青山の新作です。
 工事が途中でストップしてしまったビル。そのまま捨て置かれています。そこにやってきた建築家、建物があまりにかわいそうなので、一つずつのスペースを家にしたい人募集!
 鉄工職人、花や、お菓子屋と、集まるわ集まるわ。
 それぞれが工夫して、どんどん楽しい家たちができてきます。まるでウィーンにあるフンダートヴァッサーハウス・アートみたい。
 建築デザイナーには、生活感のないつまらない見せかけだけの建物を造る人が、しかも悪いことに、そこに住まない、そこで働かない批評家たちの評価を得て、自分は優れていると誤解する人が、安藤忠雄(初期の仕事の評価は保留)を筆頭にたくさんいますが、これはいいですね。
 建築事務所に勤めていたという青山の、理想の集合住宅でしょうね。(ひこ)

『ぞうのたまごの たまごやき』『にせもの ばんざい』(寺村輝夫:作 和歌山静子:絵 理論社 2009)
 「王さま」シリーズの絵本が復刊です。
 未見の方はぜひ。(ひこ)

『ふとったのかなあ』(大橋重信 教育画劇 2009)
 ぶたくんは、ふとったのかな〜と、小さくなった自分の来ているジャツを見て悩みます。で、はつかねずみやきゅうかんちょうや、いろんな動物に訊くのですが、みんなの関心はぶたくんにはないようで、怒るぶたくん。
 最後は、ふとったのではなく大きくなったのだと母親に言われて、幸せな結末へ。
 太っていないとひっくり返す誤読に誘うために、主人公はぶたに設定されています。それはいいのですが、いろいろ訊いていく展開が、今ひとつ収束感がなく、そこが残念。(ひこ)

『アリクイの口のなぞが、ついにとけた!』『ペンギンの体に、飛ぶしくみを見つけた』(山本省三:文 喜多村武:絵 遠藤秀紀:監修 くもん出版 2009)
 「動物ふしぎ発見」シリーズももう五冊。「動物ランド」を「世界不思議発見」のノリで絵本にしているので、わかりやすいです。情報の数は少ないですが新しいので、子どもたちはぜひ、仕入れてください。一見、何の役にも立たない情報でもいいのです。それが増えると、教養になって、自分の心に余裕ができて、いい顔になれますから。
 学力だけつけてもつまらないよ。(ひこ)

--------------------------------------------------------------------
【創作】
『天井に星の輝く』(ヨハンナ・ティディル:作 佐伯愛子:訳 白水社 2009)
 イェンナは十三歳。母親と二人暮らし。父親はイェンナが小さいときに家を出て行きました。
 母親は乳がんで乳房を一つ切除しましたが転移してしまい、がん治療の最中です。
 イェンナはそれでも十三歳。親友のスサンナもいるし、あこがれの男の子サッケもいますし、ヤな女の子ウッリスもいます。そうした子どもとしての日常生活も、母親の体の心配と同じくらいに重要です。
 そのことは何も気にする必要がないほど当然なのですが、当事者のイェンナにはそう思えません。母親への気遣いと、十三歳を謳歌できるはずの自分が置かれている環境へのいらだち、そしていらだつ自分への叱責、そうさせてしまう母親への怒り、怒る自分への責め。
 この物語は驚くほどの誠実さと強靱さで、イェンナの心情を細かく正確に描いていきます。修飾も隠蔽もしません。
 ですから、彼女に寄り添って読んでいると、本当に辛いです。イェンナが母親にいらだつように、大人の私は、イェンナにいらだちます。イェンナが最初嫌っている、母親方の祖母のように、イェンナを心配し、そうしない方がいい、そう考えないで、母親を気遣って欲しい、気遣いすぎだからもっと自分のこと考えて欲しい、様々な考えの間で揺れます。
 それは、この物語がいかにイェンナの心の動きを隠さずに正確に描こうと努め、それに成功しているかの証だと思います。
 訳者あとがきによると、ヨハンナ・ティデルはこの作品を二十三歳の時に書いたそうです。若くてよく書けるなあ、ではなく、若いからこその十三歳への迫り方があったのでしょう。いささか嫉妬しつつ、敬意を表します。
 決して、読みやすくないし、簡単に号泣など許してくれない物語です。だから、ぜひ若い人に薦めてください。
 スエーデンでは、若者に人気を博しベストセラーになったそうです。この作品をベストセラーに押し上げるような読者層が若者にある国なのですね。

 それと、母親ががん治療から亡くなるまで、大変は大変なのですが、病院の心配、治療費の心配などが一切書かれていないのは、心配する必要がない、スエーデンの福祉の厚さ故ですね。
 いよいよ母親が悪くなったとき、祖父母とイェンナは病院の家族部屋に移って、母親の最後を看取れるのです。家族の死を迎える人たちへのそうした配慮もちゃんとある国っていいですね。
 イェンナたちは、「お金があったら、もっといい治療が受けさせられたのに」とか「いい医者を選べたのに」といった部分で後悔することはありません。だから彼らは、本当に本当に、家族を失った悲しみにだけ向かい合うことができます。
 なんて豊かな悲しみの享受でしょう!
 もちろん高い税金を払っているからですけど、払った税金がちゃんと有効に使われている。
 そういう配慮を日本の政治家が思いつくとは、残念ながらとても思えない。海外で捕虜にされた日本人を、自己責任といって突き放しながら、自分の子どもには地盤・看板を継がせて政治家やらせようとしても恥じない元首相が、今でも一番人気のある国ですからね。(ひこ)

『おばあちゃん、ぼしゅう中!』(アーニャ・トゥッカーマン:作 齋藤尚子:訳 高橋由為子:絵 徳間書店 2009)
 ママと二人暮らしのシュテフィ。下校後はママがいないから一人でつまらない。そこで、彼女は考えた。おばあちゃんになってくれる人を探そう!
 いろいろ考えた末に新聞広告を出すシュテフィ。アルバイトと間違われたりもしたけど、無給でおばあちゃんになってくれる人が四人見つかります。
 ママは一人を選べというのですが、それぞれ楽しい女性なので、選べないシュテフィです。
 おばあちゃんたちはもちろんのこと、シュテフィの友達も、出てくる人々の個性あふれること。それぞれが個人として立っています。そこが読みどころです。
 高橋の絵がまたよくて、作品世界を優しくサポートしています。やっぱりうまいわ。(ひこ)

『三つ穴山へ、秘密の探検』(ペール・オーロフ・エンクイスト:作 菱木晃子:訳 中村悦子:絵 あすなろ書房 2008)
 六歳のミーナは、ある夜、ワニにおしりをかまれて目を覚まします。お父さんを呼ぶけれど、「かんべんしてくれよ」と相手にしてくれません。それは蚊が刺した後だと言うのですが、ミーナは絶対にワニにかまれたのだと主張。
 なぜわからないのでしょう。ミーナはふしぎです。腹が立ちます。本当のことはミーナが一番よく知っているに決まっているのに。だってミーナのおしりだからね。
 といった感じのミーナがすてきです。
 おじいちゃんチへ行って話すと、ほら、おじいちゃんはちゃんとわかってくれます。信じます。やっぱり、おじいちゃんが一番。
 ミーナは弟たちも連れて、三つ穴山へ探検に。おじいちゃんは、穴の中を確かめたいという勝手な欲望に孫たちを利用しているだけなんですがね。
 そんなおじいちゃんもすてき。
 いやあ、いいですよ、この作品。なんだかちょっと変わった人たちばっかりみたいですけど、しっかりとミーナは成長しますし、押さえるところはスタンダードに押さえながら、冒険のハラハラドキドキも、正義の達成感も味わいながら、でもちょっと妙という絶妙のバランス。
 中村悦子の絵が、全くじゃまをせず、作品世界に溶け込んでいます。(ひこ)

『いっぱいの おめでとう』(あまんきみこ:作 狩野富貴子:絵 あかね書房 2009)
 幼年童話といえばやはり、あまん。
 というか、何度も書きましたが、あまん作品は戦後の幼年童話世界の価値観の良き事例です。
 あまん作品がすごいのは、そこに大人の思惑をあまり感じさせないところです。
 この作品も、母親の誕生日に幼稚園で作った箱をプレゼントしたい女の子のかわいらしさを描くのですが、気持ちが子どもの側からぶれません。もちろん、あまん作品のナレーターはしっかり大人なのですが、こうあって欲しい子どもではなく、こうであろう子どもを描きます。
 あまんも決して幸せだけの物語を描くのではないのですが(この作品だと、女の子を通せんぼうするネコや犬という困難)、それでも大丈夫って感じは消えません。大島弓子は、描く主人公年齢が高いので、かなりの困難と、時には破綻までを描きますが、基本的にはあまん世界と重なります。
 幸せの花束というところが。(ひこ)

『テレビのむこうの謎の国』(エミリー・ロッタ:作 さくまゆみこ:訳 杉田比呂美:絵 あすなろ書房 2009)
 弟のダニーはまとわりついてうるさいし、姉のクレアを文句を言ってうるさいし、間に挟まれて一家の中でなんだか存在感薄くないか、パトリック。
 パソコン店で、無料ゲームを店主に怒られないようにこっそりするのが時間つぶしのパトリック。なんだか暗い?
 そんなゲームの最中、モニターの中からパトリックを呼ぶ声。テレビのクイズ番組に出演の権利を得たとのこと。え、なんでモニターがぼくに話すわけ?
 半信半疑のパトリックでしたが、指定の時間にテレビの前に立つと、別の世界へワープ! 捜し物番組に出演させられ、別の世界からパトリックの世界に飛んでいってしまったたいせつなものを見つけてくれば、ゲームがいっぱい入ったパソコンを商品としてくれるという。
 なら、やるしかない。
 しかし、これ本当の出来事?
 エミリー・ロッダお得意の、軽いエンタメです。もちろん、物語当初に置かれた、パトリックの不満はちゃんと回収されて終わります。巧いです。
 難があるとすれば、書かれたのが二〇年前という点。当時の最先端風景、コンピューターやテレビゲームは、さすがに今は古い。でも、九十年にこれを書けるのですから、エミリー・ロッダはやっぱりすごい。
 別の世界との壁って、ベルリンの壁と考えるのは深読みが過ぎますかね。
 杉田比呂美の絵も相変わらず良いです。(ひこ)

『山田守くんはたぬきです』(市川宣子:作 飯野和好:絵 小学館 2008)
 人間には二種類あって、一つはただの人間で、もう一つはたぬきが人間に化けているの。
 という、強引な定義の元、たぬきの山田守くんが転校してきます。
 山田君は第一小学校の動物を守るのが使命です。
 守くんが、飯野の絵もパワー全開に、大活躍!
 物語のリズムはいいのは、たぬきのポンポコポンだからかしらん。
 良いです。(ひこ)

『タイムチケット』(藤江じゅん:作 上出慎也:画 福音館 2009)
 切符のコレクションをしているマサオ。自分の誕生日が四月四日なので、四並びの刻印がある切符が彼にとっては最高。
 昭和四四年四月四日のがあればいいのですが、そんな古いのは見つからないし、店で売っていてもとても高い。
 ある日、見知らぬネコに誘われてついて行くと、路上に妙な紙を発券。時間旅行の切符と書いてあって、好きな日付を書けばいいらしい。
 もちろん信じないまま、勉強机で昭和四四年四月四日と記入すると、なんと知らない男の子の部屋へワープ。そこは、昭和四四年四月四日の、今マサオが使っている部屋だった。ってことはこの少年はお父さん?
 という具合に、適度のレベルのわくわく感で物語はできています。
 それは大歓迎なのですが、父親の子ども時代の風俗をマサオが知っている理由付けなど、設定の弱さがあります。もう少し詰めても良かったのでは。
 上出の画はノスタルジーによく似合っています。(ひこ)
--------------------------------------------------------------------
【図鑑】
『身近な鳥の図鑑』(平野伸明:著 ポプラ社 2009)
 この図鑑、基本的には見開きごとに一羽の鳥が紹介解説されています。
 ページを繰っていって、知っている鳥を探していけば、自分にとっての鳥の身近度がわかります。
 やってみて、案外たくさんの鳥を知っていて驚きました。バードウォッチングに趣味はありませんが、鳥は好きだったのですねえ。知らなかった。
 そうなってくると、まだ見たことがない鳥を見たくもなるのですが、やっぱりバードウォッチングに興味はないので、わざわざ見に出かけることはないでしょう。でも、見たいなあ。
 バードウォッチングに興味がある方は、この図鑑でチェックした鳥をぜひ子どもと一緒に、近所へ探しに行ってください。子どもが「メンドクセー」という場合は、放っておいて一人ででもどうぞ。そして、見つけた鳥のことを子どもに自慢しましょう。「ウザイ」と反応したら、「アホじゃねえ」と笑ってあげましょう。(ひこ)