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2009.08.10

       

【絵本】
『ドラゴンもりの ふしぎなともだち』((ティモシー・ナップマン:作 グウェン・ミルウォード:絵 原京子:訳 ポプラ社 2009)
 すごく良いです。
 表紙の真ん中がゴボッと切り取られていて、そこから人間とドラゴンの子どもが見つめ合っているのが覗けるの。だからもう、いきなり、なんだろ? って思ってしまう。
 で、この、「なんだろ?」 が、実は仕掛けでもあります。
 私たち人間はここで、自動的に、人間の子どもがドラゴンの子どもに出会うお話だと勘違いしてしまうのね。
 ところが逆。これはドラゴンの子どもが、どんな生き物か知らない人間の子どもと出会うお話。
 でも、それがどんな生き物か知らなくても、相手が子どもだってわかるのもいいですね。私のようなやつだと、つい、子どもともわからないって方向に話を進めてしまうでしょう。
 あとの、おもしろおかしい話は、お楽しみください。
 子どもの自己認識のためにも大切な絵本です。
 グウェン・ミルウォードの絵がまたいいの。個性的な絵ではないけど、ドラマチックな画面構成をする技量がすごくある。要するに、見ていて楽しい。(ひこ)

『でんしゃに のったよ』(岡本雄司:さく 福音館書店 「こどものとも」2009.09)
 子どもがいろいろな電車に乗って、ワクワクしたというお話です。
 子どもがコミュニケーション力が落ちたり、若い大人が電車の中で平気で化粧直しをし始めるようになった遠因の一つは、子どもの頃から家族だけが乗った車でばかり移動するようになったからだと私は思っています。
 だって、彼らは見知らぬ他者と出会ったり、話しかけられたり、接触する機会、つまりは社会性を身につける機会を、保護者から奪われ続けて来たのですから。単に保護者が面倒くさいからって理由で。
 バスも電車もなくなってしまった地域は仕方がないけど。
 ということで、私は、出来るだけ車ではなく電車やバスに乗せてあげてねと思っています。
 だから、こういう絵本は嬉しいです。
 でも、この絵本、電車に乗っても、他者が見えてこないのが残念。編集者は、作者にとって一番近い他者なんですから、そういう指摘をしてほしいなあ。(ひこ)

『トロトロトローリ』(高部晴市 教育画劇 2009)
 キツネさんんが運転するバスが走ります。
 モグラの穴を、へびのとぐろの中を、狼の体の中を、夕日の頭の上を。
 その愉快で不思議な世界を、リズム豊かな言葉と共に楽しみます。
 すごく素朴でまじめに見える高部の画と、ストーリーの落差が良いなあ。(ひこ)

『ぶんかい きょうだい』(西平あかね:作 アリス館 2009)
 わかるわかる。
 ぶんとかいの兄弟は、燃えないゴミから家電なんかを持ち帰って、片端から分解して、色々組み合わせて、変わった物を作るのが大好き。
 うんうん。こういうドキドキは素敵ですよね。
 で、その変わった物が、創作ですから嘘なんですけどすごく楽しいの。
 時計の針を扇風機の羽根にしたら、時間がどんどん進んだりね。うそのバランスがいい。
 この兄弟がうらやましいのは、分解するためのりっぱな工具キットを持っていること。そこの説明がちょっと欲しかったです。(ひこ)

『となりのおと』(岡井美穂 岩崎書店 2009)
 シンプルな仕掛け絵本。この作品の場合は扉絵本かな。
 家の中の扉の向こうで色んな音がします。左ページが折られていてそれが扉です。
 開けると……。
 複雑な工夫があるわけではなく、ただ扉を開けるドキドキと、開けた後の驚きと喜びに、作品は集中していて、それがいいです。
 ストーリーもちゃんとあって、最後は幸せな結末。
 もちろん絵の隅々で細かな遊びもありますよ。
 岡井の画は輪郭に独自の揺れがあるので、好みは分かれるとは思いますが、数十年前からある定番絵本たちのはっきりとした輪郭線のばかりではなく、こうした絵も見て欲しいと思いますよ。(ひこ)

『リタとナントカ』(ジャン・フィリップ・アルー=ヴィニョ:ぶん こだましおり:やく オリヴィエ・タレック:え 岩崎書店 2009)
 シリーズ一作目。
 扉を開いた最初のページで、オリヴィエの巧さにうなりました。
 「きょうは リタの たんじょうび。でも リタは ごきげんななめなの。」という言葉が置いてあるのですが、いかにもごきげんが悪いリタが右下隅にいて、左ページ上には大人二人の足があるだけ。
 間のページでならこれはありますが、いきなり来るか、これが。
 いきなり私たちはドラマの中央に、つまりは大人と、ご機嫌が悪いリタの間に投げ込まれてしまいます。
 やられてみれば、なるほどなのですが、なかなかやれません、これは。
 ストーリーは、もうリタの個性全開で、文句なし。これはヒットするわ。(ひこ)

『さがしてあそぶ世界名作 おはなしどこ? あかずきん』(山形明美 講談社 2009)
 『どこ?』の新しいシリーズ2作目。
 『どこ?』は、『ミッケ!』がシステマチックに展開するのとは違った風合いで、その暖かな手作り感がとてもいいですね。
 ただ、それは、ジオラマ「さがしもの」系だからいいのではなくて、山形のジオラマ作品が持つ暖かさの良さだと思います。
 その意味では、「さがしもの」系からはそろそろ離れてもいいのでは?
 読者をキャッチしやすいのはわかりますが、山形ジオラマは別の展開もできると思う。
 この風合いを活かした物語絵本をぜひ!(ひこ)

『ぼくは ひなの おにいちゃん』(さこ ももみ:え たかてら かよ:ぶん 文化出版局 2009)
 おにいちゃんものの小振りな幼児絵本です。
 急に雨が降り出して、母親が洗濯物を取り込みにいっている間、ぼくは妹の面倒をみることに。でも泣き出したり、おむつ換えとか、手に負えない大変さにぼくが泣きそう。
 という展開は、直球です。
 画は、小振りな絵本の割には情報量が多くて、これを読みにくいとみるかどうかです。
 決して見やすくはないのですが、シンプルなものばかりではつまらないので、これもアリだと思います。ただ、子どもをかわいく描きすぎでは?(ひこ)
 
【創作】
『キャデラック・レコード』『エル・カンタンテ』。最近面白かった映画だが、共通点がある。ふたつとも、音楽映画だということだ。前者は、40年代後半から、シカゴ・ブルースの父として後世のミュージシャンに多大な影響を与えたマディ・ウォーターズ、後者は、ニューヨークで暮らすカリブ系移民が生んだサルサで60年代から70年代にかけて一世を風靡したエクトル・ラボーを中心に、アメリカのブラックミュージック/ラテンミュージック・シーンを描いている。
『エル・カンタンテ』ではジェニファー・ロペス、『キャデラック・レコード』ではビヨンセという、現代の歌姫が出演していることや、全編を通して流れる音楽など、魅力はつきない。
だが、ここでとりあげたいのは、『キャデラック・レコード』の宣伝文句にもあるように、両方とも「音楽でアメリカを変えた人々の物語」であることだ。『キャデラック・レコード』で、チャック・ベリーが歌っているときに、コンサート会場で観客が黒人と白人を分けるロープを乗り越え、混ざり合って踊るシーンは象徴的だ。
音楽映画といえば、やはりビヨンセが主演した『ドリーム・ガールズ』やジョン・トラボルタの熱(怪?)演が話題を呼んだ『ヘアスプレー』も記憶に新しい。アメリカのミュージック・シーンを通して、黒人や移民の歴史を彼らの視点から見ることができるこうした映画は、YA世代にお勧めだ。
そして、いつも改めて思うのが、映画で描かれる彼らの「歴史」が「歴史」と呼ぶにはあまりにも最近であること。チャック・ベリーのコンサートで黒人と白人の客席が分けられていたのは、ほんの五十年ほど前のことだし、『ヘアスプレー』に出てきたテレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」で月一回の黒人出演日「ブラック・デー」が設けられていたのも、60年代の話だ。
今回紹介する『ジェミーと走る夏』(エイドリアン・フォゲリン作)でも、主人公の少女キャスの父親は、家の隣に黒人の一家が引っ越してくると知って、境界線に高いフェンスを建てる。そしてこれは、まぎれもない現代の話なのだ。

『ジェミーと走る夏』エイドリアン・フォゲリン作 千葉茂樹訳 ポプラ社 (2000/2009年7月)
 12歳の少女キャスは、走るのが大好きな女の子。姉のルー・アンのように美人でもないし、運動も大して得意ではない。父さんはアパートの管理人で、家はいつもお金に困っている。でも、小学校三年生のときに自分の足が速いことがわかって以来、その「特別な才能」が、キャスの支えだ。
 そんなキャスの隣に、黒人の一家が引っ越してきた。おばあさんのグレースとお母さんのレオナ、それからキャスと同じ年の少女ジェミーと、赤ちゃんのアンディ。ジェミーはキャスと同じで、走るのが得意らしい。しかし、黒人嫌いのキャスの父さんは、隣との境界線に高いフェンスを建ててしまう。
 それでも、キャスはお隣が気になって仕方がない。こっそりフェンスの隙間からのぞいて、レオナが父さんのことを「人種差別主義者」と非難しているのを聞いてしまう。レオナは、黒人と白人が同じ学校に通えるようになったときに、さんざん差別を受けながら白人の学校に通い、白人の家のメイドをはじめ、苦労して学費を稼ぎ、看護師になった。だから、「人種差別主義者」が許せないのだ。一方の「黒人嫌い」の父さんは、学のない自分に対する劣等感もあって、レオナを毛嫌いする。
 しかし、そんな親たちの目を盗んで、キャスとジェミーはどんどん仲良くなっていく。始まりは、フェンス越しの『ジェーン・エア』の朗読だった。難しい言葉だらけの『ジェーン・エア』も、二人で読むと、謎とロマンスと冒険のつまったすばらしい物語になった。やがて、二人はいっしょにランニングの練習をするようになり、肌の色になぞらえ、「チョコレート・ミルク」というチームを組んで、試合で優勝することを夢見るようになる。だが、ある日、キャシーがジェミーの家に遊びにいっているときに、父さんが帰ってきてしまった……。

 物語にも出てくるが、「ブラウン対教育委員会」の裁判で、最高裁が公立学校の黒人と白人との人種分離を違憲としたのが、1954年だ。だから、キャスのお母さんレオナは教育を受け、看護師の資格を取ることができた。
そして、やはり物語中で言及される、アラバマ州モンゴメリーでの、黒人によるバスの乗車拒否運動が始まったのが、1955年。翌年に、最高裁が「バス人種便利条例」に違憲判決を下す。ジェミーのおばあちゃん、グレースは、まさにこの一連の運動に参加したわけだ。
そして、孫の世代であるジェミーは、さまざまな偏見や妨害を受けながらも、白人のキャスと深い絆で結ばれることになる。
そんな「歴史」を物語にのせて描いているのが、この作品の一番の魅力だ。キャスが、親友だった幼なじみのベンと距離を感じるようになるところや、父さんに遠慮しながら生活している母さんへの、キャスの視線など、キャスの人間関係がうまく描かれている。『ジェーン・エア』が両親に引き離されたキャスとジェミーの再会の機会を作ったり、ランニングの練習中に何度も出てくる「熱中症」が、キャスの父さんとレオナを結び付けるきっかけになるなど、小道具の使い方もうまい。物語がしっかりしているから、「歴史」が鮮やかに浮かび上がるのだ。今年の夏、ぜひ子どもたちに読んでほしい一冊だ。(三辺)

最後に映画の情報を。

『エル・カンタンテ』は上映中。
[監][脚]レオン・イチャソ 
[案][脚]デビッド・ダームステーダー トッド・アンソニー・ベロ 
[製][出]ジェニファー・ロペス 
[出]マーク・アンソニー ジョン・オルティス マニー・ペレス 
公式サイトhttp://www.artport.co.jp/movie/elcantante/
『キヤデラック・レコード』は8月15日から公開。
[監][脚]ダーネル・マーティン 
[総][出] ビヨンセ・ノウルズ
[出] エイドリアン・ブロディ ジェフリー・ライト コロンバス・ショート モス・デフ
公式サイトhttp://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/

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『わたしはなんでも知っている』(令丈ヒロ子 ポプラ社 2009)
 クス子は町の医院の子ども小学四年生。
 ですから、待合室や診察室での大人の会話をついつい小耳に挟むもので、もう十歳にしては、とんでもなく何でも知っている子どもなのだ! の、はずなんですが……。
 ある日公園で知り合った見知らぬ老人に、もっともっと何でも知ることが出来る薬をもらって、飲んじゃうことに。これで最強やで。の、はずなんですが……。
 何かを知っているということは、何かを知らないことと同義であり、知らない方が良かったこともある。でも、やっぱり知らないより知っている方がいいのかも。
 見逃されがちで、でもとても大事なことを、おもしろおかしく描くことにかけては随一の令丈ヒロ子が、さりげなくまた、重要な真理を子どもに伝えてくれました。
 大人も読んで大いに参考になるのです。
 カタノトモコの絵も、相性抜群。(ひこ)

『ならくんとかまくらくん』(村上しいこ:作 青山友美:絵 文研出版 2009)
 絶好調の村上しいこの新作です。
 あ〜と、やっぱり絶好調です。
 おもしろすぎですが、そこに一つの真理がちゃんと埋め込んであります。
 タイトルからしてもう、なんだかな〜とヘンですが、物語を読み始めるとこれが全然ヘンじゃなく、やっぱるこの物語のタイトルはこれしかないなと思わせます。
 いとこのかまくらくんが、ならくんのところに遊びにきます。そこでならくんは公園を案内して、シカを見せてとするのですが、やりたい放題を通したいわがままなかまくらくんに、あることをしたいと言われて、人のいいならくんは……。
 短い話なんですが、その尺での展開の仕方をこの作者は、うらやましいくらいに知っています。
 また、青山友美の絵は、村上の頭の中を覗いたんじゃないかしらんと思うほど、これそかありません。濃くてホノボノ。(ひこ)

『たいせつな友だち』(モイヤ・シモンズ:作 中井はるの:訳 後藤貴志:画 くもん出版 2009)
 神様はなんでもわかっていらっしゃる。でも、ひとりぼっちでさみしいのじゃないかな。だからケイトは毎日、起こったこと、考えたこと、感じたことをを神様に話すことにします。
 この物語はそんなケイトの神様への話換えで出来ています。
 といっても宗教色があるのではなく、ケイトが自分のことを隠さず色付けず語るための仕掛けです。
 もうすぐ生まれる赤ちゃん。嬉しいけど、なんだか落ち着かない。
 学校では友達と巧くつきあわないといついじめられるかもわからないし。
 そんな中、ステファニーが転校してきて友達になれるのですが、彼女は重い病気になります。
 こうした物語は、主人公がなんでも神様に話すので、エピソードがばらけてしまいがちです。それは、日常自体がばらけたエピソードの集積ですから当然なのですが、もう少し軸となる話が欲しかったです。これでも十分楽しめるのですが、本を読み慣れていない子どもだとシンドイでしょう。
 『あしながおじさん』って、巧かったじゃないですか。ジルーシャの神様であるあしながに話す形ですけれど、読者を引っ張る軸の話があって。(ひこ)

【ノンフィクション】
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 上下巻』(ハワード・ジン R・ステフォフ:編・著 鳥見真生:訳 あすなろ書房 2009)
 歴真の多くは為政者の側から書かれてしまいますが、これはその反対側からアメリカの歴史を描いた、自ら公民権道に深くかかわった歴史学者ハワード・ジンの書物を、R・ステフォフがYA向きに編集した歴史書です。
 アメリカの表の歴史をざーあっとでも知らないとわからない部分もあると思います。日本の教育で今一番なおざりにされているのは歴史と地理(地理は歴史と一体ですから重要なんです)ですから、わかるかなあと思いますが、この歴史書からアメリカの歴史に興味を持って、「正史」の方も読んでみるのも手でしょう。
 こんな本をちゃんと出すアメリカは、自虐史観自虐史観と騒いでいるどこぞの国に比べて、こういう点では優れています。
 表紙も素敵。(ひこ)