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2009.09.26

       

【絵本】
『ちいさな へいたい』(パウル・ヴェルレプト:作 野坂悦子:訳 朔北社 2009)
 子どもの物語には戦争を描いた多くの物語が存在します。戦いを描いた物、戦いの日常を描いた物、子どもの日常を描いた物。
 たとえばウエストールにはたくさんの戦争を素材とした作品が存在しますが、宮崎駿がその中でも、子どもの日常を描いた物より、戦い物を好んで岩波からの再版、新訳に協力するのは、彼が子どもの日常にはさほど興味がないことを示しています(アニメ『赤毛のアン』から途中で逃げ出したのもそれ故でしょう)。そこから逆算すれば、「宮崎アニメ」の本当の根っこも見えてくるでしょう。
 それはともかく、児童文学ではなく絵本(絵本と近代小説である児童文学は全く別のジャンルです)でも戦争を題材とした物が現れています。それも単に、「戦争」=「子どもは犠牲者」=「反戦」といったお気楽な展開ではなく、絵本を読む子どもに「戦争の顔」(今江智)を伝える作品が。
 これもその一冊です。
「あるひ、せんそうは、はじまった」「どうして そうなったか、わからないうちに。」と始まります。
 そこには、理由も、疑問も描かれません。
 それでも確かに戦争は始まってしまうことが、いきなり示されています。

『ペトローニーユと120ぴきのこどもたち』(クロード・ポンティ:さく やまわきいりこ:やく 福音館書店 2009)
 ネズミのペトローニーユは一二〇匹の子だくさん。世話も大変です。
 ところがペトローニーユつかまって、さあたいへん。どう逃げ出して、子どもたちの元に帰るのか。
 フランスのわらべうたを題材にしているのですが、クロード・ポンティのとても奔放な絵は、カラフルなセンダックって感じで、見ているだけで楽しいです。
 もちろん画面は隅々まで行き届いていますから、じっくり眺めるのもよし。(ひこ)

『おとうとバーゲンします!』(イム・ジョンジャ:作 キム・ヨンス:絵 星あきら&キム・ソンミ:訳 ひさかたチャイルド 2009)
 おとうとにうんざりしているおねえちゃんは、ついにおとうとを売ることに。
 色んなお店に売り込むのですが、なかなか買ってもらえません。そこでおとうとのいいところを言って売りやすくしようとします。するとほしがる人がでてくるけれど、弟のいいところにおねえちゃんも気づいて……。
 おねえちゃんっていう、結構大変な立ち位置の子どもの気持ちを愉快に描いていて楽しい絵本。クミ・ヨンスの絵も奔放でいいぞ。(ひこ)

『東洋おじさんのカメラ 写真家・宮武東洋と戦時下の在米日系人たち』(すずきじゅんいち・榊原るみ:文 秋山泉:絵 小学館 2009)
 太平洋戦争中、在米日系人が強制収容所に入れられたのはよく知られていることだと信じますが、どうなんでしょうか?
 そのことへの保証は長くなされませんでしたが、ようやくとはいえ、その行為のまちがいをアメリカ政府は認め謝罪しました。でも、9.11以降のアラブ人への行為を見ていると、人種差別の奥深い闇はなかなか解消しません。と人ごとのように言っているわけにはいかなく、日本は未だに一五年戦争の戦争責任をきちんjと離しているとは言えず、政治的に解決しているの一点張りです。その辺りを日本が侵略した他国の人々との真の和解にもちこまないことには、民主党の掲げるあたらしいアジア構想も実現は難しいでしょう。
 この絵本は、戦時下強制収容所に送られた著名な日系カメラマン宮武東洋を描いています。
 ちょうど今彼を描いた映画が全国巡回されているのに併せての出版でしょう。
 収容所に迷い込んだ子猫のミュウが東洋にかわいがられ、ミュウの視点からドキュメントは描かれていきます。
 伝えられる事実は貴重で、ぜひ多くの子どもたちに読んで欲しい歴史絵本です。
 しかし、歴史上起こったことを描くのに何故、ネコのミュウの視点が必要なのかが疑問です。
 映画もそうした仕掛けがあるのかどうか、未見なのでわかりませんが、もし絵本だからそうなったとしたら、絵本や子どもへの認識が甘いです。
 編集者のアドバイスはなかったのかな?(ひこ)

『エレンのりんごの木』(カタリーナ・クルースヴァル:さく ひだれいこ:やく 評論社 2009)
「エレンの家にはちょっとした庭がある」という言葉から始まるそれは、えーと、日本から見ると全然ちょっとではなく、砂場はあるわ、遊び小屋はあるわ、リンゴの木はあるわ「大きな大きな庭」なんですが、それはともかく、そのリンゴの木のお話です。
 ブランコをつったり上ったり、それはエレンたちの遊び場所そのものなのであり、絵本は彼女らの遊ぶ四季を描いていきます。
 楽しそう。
 でも、古い木はついに終わってしまいます。その思い出に浸る家族。
 でも、やがて新しい苗木が植えられます。
 もちろんそれで遊べるようになることにはエレンたちは大人になっているのですが、そんな時間の流れを気持ちよく伝えてくれています。
 もちろんそれは大きな大きな「ちょっとした庭がある」がある家だからなんですけどね。(ひこ)

『へっこきよめどん』(富安陽子:文 長谷川義史:絵 小学館 2009)
『うらしまたろう』(那須田淳:文 宇野亜喜良:絵 小学館 2009)
 「日本の名作おはなし絵本」シリーズです。長谷川の絵も宇野の絵も相変わらずいいです。いいのですけれど、長谷川版「へっこきよめどん」、宇野版「うらしまたろう」といったレベルには達していません。彼ららしいいい絵であるだけで。
 それは、このシリーズ自体が、その装丁デザインも含めて、安全な企画に感じられるからかもしれません。
 松谷みよ子が解説し、著名作家と画家で、日本昔話を作ればOKだろうといった程度にしか思えないのです。斉藤孝の、古典の勧めなんかも影響しているかもしれません。
 作家や画家がこうした仕事を引き受けるのはいっこうにかまわない(それが仕事ですから)のですが、絵本という世界を商売の場所として堅牢にしなければならない出版社は、企画の豊かさといったものをもう少し考えた方がいい。今シンドイから確実の売れそうな企画に走るのはのはわかりますし、またそうした企画によって余裕を持つ必要もわかるけれど、絵本というジャンルを痩せさせないか心配なのです。(ひこ)

『白雪姫』(岩瀬成子:文 荒井良二:絵 フェリシモ 2009)
 こちらも同じような企画です。
 ただしメリーゴーランドの増田がプロデュース

『キリンとアイスクリーム』(牧野夏子:文 D[di:]:絵 福音館 こどものとも年少版 2009.10)
 子どもが公園のブランコでソフトクリームをなめていると、上から液体がタラーリ。見上げるとキリンがよだれを垂らしています。
 そこで子どもはキリンに食べさせてあげようとはするのですが、口まで届かない。ブランコ揺らしても、滑り台の上に乗ってもだめ。
 という風にして、なんとも楽しくあほらしい話がのんびりと展開していきます。
 この作者子どもが好きな素材と展開をよくわかっているなあ。このセンスがうらやましい。
 Dの絵も、それに沿う形でほどよくチープでたまりません。
 単行本化にするには物語が小さいように見えますけれど、そこは編集の腕です。
 これですよ、欲しいのは。(ひこ)

『おひめさまようちえん』(のぶみ えほんの社 2009)
 アンちゃんチのお隣にお城が建って、なにかと思って出かけると、おひめさまようちえん。だれでも女の子はお姫様になれます。
 でもそこは現代のお話。ちゃんと自己主張し、戦っとります。
 別に目新しい展開の物語ではありませんが、のぶみの絵なので、年少さんにもOKですね。(ひこ)

『クモのいと』(新開孝 ポプラ社 2009)
 『シャクトリムシ』がすてきだった新開の、クモを撮った写真絵本です。
 表紙をめくった最初の写真がまずいいですよねえ。蜘蛛の巣を真横から撮ったものなんですけど、考えればあってもいいのに、今まで見たことがなかった。
 正面からの蜘蛛の巣はやっぱり、捕まえるぞってイメージ(まあ、その通りなんですが)が強いけど、この角度はなんだかのんびりゆったりと・・・。
 あ、そうして捕まってしまうのか。
 でも、本当にいい写真です。
 その後、様々なクモと蜘蛛の巣。そして巣を作らないクモ、産卵、誕生など過不足なく展開していきます。
 見開きごとに何かドラマがあって、ポプラに写真絵本のレベルの高さを相変わらず感じます。
 ただし、そろそろ、もう一ひねり欲しくなるのは、読み続けた者の贅沢でしょうか。(ひこ)

【児童文学】
『園芸少年』(魚住直子 講談社)
 いやいや、まずタイトルがすてきです。すっきりして気持ちがいい。
 クラスメイトとはある程度の距離をおいてつきあった方がいい。しかし、だからといって無愛想でもいけない。ほどほどの距離感の作法をしることは学校生活を生き延びるための最も必要なスキル。ということにいつからかなってしまいましたが、当事者である生徒たちにとってこれは死活問題なので、もっと若者らしく!なんて言えません。
 この主人公ままたそうした距離感で生きようとしています。偶然知り合ったのが、どう見ても中学時代悪さをしていたような服装の生徒。でもこやつがなかなかいい男なのでなんとなく群れていると、運動部から強制的に入部させられそうになり、逃げるようについた嘘が、もう園芸部に入っています。で、結局なんの興味もない園芸部での日々が始まります。そこに教室に行けず。密かに保健室登校している、頭に箱をかぶった箱男くんが加わって、部活動が始まっていきます。
 この夏は、『宙のまにまに』とか『GA 芸術科アートデザインクラス』とか、春には『けいおん!』とか、アニメで文化系をたっぷり楽しんでありましたから、『園芸少年』もその中の一つとして記憶に残ります。
 この時代に、まっすぐ生きようとする子どもをリアルに描く腕はさすがです。
 運動部物って熱すぎたり、妙にクールだったりしますが、文化系はその点よろしいなあ。
 あ、『アート少女』(花形みつる)がありましたね。あれは熱い。でも楽しくはじけているから好き。(ひこ)

『バターサンドの夜』(河合二湖 講談社)
 こちらも、クラスのみんなと距離をとっている中学一年生のモノローグ物語。
 デビュー作です。
 主人公は、あやしい女にモデルになってくれないかと声をかけられます。もちろん断るのですが……。
 主人公は、今の自分に違和感を感じていて、深夜アニメで見ている登場人物の一人になりたいと思っています。一般的にはコスプレですね。主人公にはそういう呼び方は違うのでしょうけれど。
 しかし、どのコスプレ屋でもその以上は安っぽく、彼女は自分で造ろうとするのですが、それもイマイチ。そこで、考えたのは、あの女にマデルになることと交換条件で衣装を作ってもらうこと。
 そうして、自身が女であることを嫌悪している孤独な女子中学生と、ブレイクを夢見る大人らしくない大人の女との出会いから、物語が動いていきます。
 トモダチ関係の描き方、大人社会の覗き方など、うまく描かれています。
 ただ、この中学一年生の言葉遣いが、中学一年生とは思えないのです。文学好きの少女でもないし。
 従って、もしこの主人公の年齢設定が言葉遣いに併せて高校生にしてみると、さしたる話ではないよう見えてしまう可能性があります。
 これは損ですから、その辺りをもう少し丁寧に造っていけばよりアップするでしょう。(ひこ)