148

       
【児童文学評論】 No.148    1998/01/30創刊
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Twitter:http://twitter.com/hicotanaka
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☆『レッツとネコさん』(そうえん社)。携帯待ち受け用画像も作っちゃいました。
iPhoneも含め、全てのキャリアからご覧になれると思います。たぶん。
使って戴ければ幸いです。
http://letsgo.msc.ms2.jp/
からどうぞ。(ひこ・田中)

【読み物】
『小さな可能性』(マルヨライン・ホフ:著 野坂悦子:訳 小学館 2010)
 キークのパパは国境なき医師団として戦地に出かけ行方不明に。キークは考える。パパが死んだ子どもより、パパとペットが死んだ子どもの方が少ない。だったらペットを殺せばパパが死んだ可能性は低くなる。
パパが国境なき医師団である特殊設定と『禁じられた遊び』風エピソードが弱さですが、それをさっ引いても余りある素晴らしい作品。
キークの心の動きのみならず、ママのパパへの思い、義母への思い、義母の思い、パパの思い、それのかなり奥深いところまでが子ども読者にも十分伝わる形で描かれているのがすごいです。
かなり嫉妬しました。でも、大好きな作品が一つ増えたからいいや。(ひこ)

『ライオンとであった少女』(バーリー・ドハーティ:著 斎藤倫子:訳 主婦の友社 2010)
 タンザニアの少女アベラは、父親が死に、村の慣習によって家土地は父の弟のものとなり、母親と二人放り捨てられ、過酷な暮らしの中で、母親を亡くしてしまいます。信じることを失った彼女をかろうじて支えてくれているのは、彼女を引き取った母方の祖母。しかし、無教養でもある祖母は、イギリスから不法入国で追い返された息子の策略で家土地を奪われ、アベルはこの叔父が再びイギリスに入国するための道具にされます。つまり、イギリス女性と偽装結婚した叔父はアベルを二人の間に生まれた子どもということにして、偽装家族でイギリスに入国を企てたのです。入国の後は女の子を欲しがる人間にアベルを売り払つもりでした。
 叔父は捕まり、アベルだけが叔父が偽装結婚した女とイギリスへ。もう必要のない彼女は虐待を受けます。
 一方、舞台はシェフィールド。タンザニア人と結婚し、今は離婚している白人の母親を持つ娘ローッザ。甘やかされて育てられていますが、なんと母親が黒人の養子を迎えたいと言い出したのです。怒るローザ。自分以外の子どもを母親は欲しいのか? そして自分が黒人だから黒人の子どもを欲しいのか? 彼女は荒れます。
 物語の視点はこの二人の女の子に交互に切り替わって進んで行きます。読み慣れていない人には読みにくい構成ですが、巧く捕まってください。捕まれば大丈夫です。
 イギリスに渡る前、好意で祖母が、古くからの風習であるクリトリス切除をアベルに行う(女性は快楽を得てはいけない)などといったエピソード(アリス・ウォーカー『喜びの秘密』、キャディ・コイタ『切除されて』参照)も、きちんと書き込まれています。(ひこ)

『ミキとひかるどんぐり』(赤羽じゅんこ:作 つちだよしはる:絵 国土社 2009)
 子どもが抱え込む様々な悩みをちょっとしたマジックを使って解消したり、見えるようにしたりする赤羽の新作です。
 今回は、ミキの憧れ、ハルカちゃんが、貸してあげた本をなかなか返してくれない。悪気があるとは思っていませんが、読みかけで貸してしまったので返して欲しい。でもハルカちゃんに嫌われたらどうしよう…。小さなようで、当人にしてみれば結構深刻で微妙な悩みです。
 そこにあらわれたのが、「てつだいマウス・ハッピーズ」。この三匹のネズミが活躍します。さて、その結果は。
 そんなネズミたちはいませんけれど、このささやかで深刻な悩みを物語ることで、赤羽は子どもの心に寄り添います。(ひこ)

『おにんぎょうさんのおひっこし』(石井睦美:作 長崎訓子:絵 ポプラ社 2010)
 女の子が大好きな指人形の家族。なのに、なのに、一人ずつ見つからなくなってしまう。
 物語は、消えていく現実と、女の子が指人形でやるごっこ遊びの世界が互いに解け合いながら不思議な雰囲気を醸し出しています。
 さて、人形たちは何故消えた? 行き先は?(ひこ)

『もじもじさんのことば劇場 オノマトペの巻』(西村敏雄 偕成社 2010)
 オノマトペを楽しむ一冊。見開右に、オノマトペの入った言葉と、そのオノマトペの意味説明があり、左に絵がある構成。西村ですから、ベタです。「おいしいパンをたべすぎて おなかがぱんぱんだ」で絵はお腹のふくれたパンダです。このベタにいちいち突っ込みを入れてはなりませぬ。これはおもしろいのだから。(ひこ)

【YAの世界(2) 読売新聞】
友達はいいものですが、いないと自分は孤独だとか、劣っているだとか考えて落ち込まないでください。今のあなたは単に、友達を必要としていないだけかもしれません。その場合は一人を楽しんで。大事なのは、必要になったらプライドなんか捨てて、遠慮せずに誰にでも助けを求める勇気を持つこと。助けてくれた人は良い友達になるでしょう。それから、自分を必要とする誰かが現れたら手を差し伸べるための力を蓄えること。あなたはその人の良い友達になれるでしょう。それで十分です。
『アグリーガール』(ジョイス・キャロル・オーツ:著 神戸万知:訳 理論社)。いつも大口を叩いているマットは、冗談を本気にした生徒に通報され、学校に爆破予告をした容疑をかけられる。「友達」たちは後ろめたさを感じながらも遠ざかってしまい、孤独な彼の前に現れたのが、アーシュラ。チームプレイが苦手なバスケ部の女子。彼女は現場を目撃したので、通報の間違いを正すために、別に親しいわけでもなかったマットのために行動するのです。なぜならマットは彼女を必要としているだろうから。二人の関係が最後にどうなるかはお楽しみに。
『園芸少年』(魚住直子 講談社)。高校に入学した篠崎は他の生徒とは適当な距離を保って高校生活を安全にやり過ごそうと考えていたのですが、どこから見ても「不良」の大和田と知り合い、なり行きで園芸部に入ります。素顔を見せたくなくて顔に箱を被って保健室登校をしている庄司も加わって、部活動が始まります。趣味も生き方も違う三人が、地味な園芸をやりながら、どんな風に互いの必要性を見付けていくのかが読みどころ。
友達は担保物件ではないし、なくても生きて行けます。一人が不安だからと気も合わないのに無理をして友達を作るのでは本末転倒。なり行きで出会えるので、気楽にね。(ひこ・田中)

【絵本】
『すみ鬼にげた』(岩城範枝:作 松村公嗣ぐ:画 福音館 2009)
 唐招提寺、創建九百年目の大修理に、宮大工の見習いとして働き始めたヤスは、柱を支える鬼の木彫りを見付けます。鬼が言うことには、昔、この国の鬼たちを戦おうとやってきたが、僧侶に捕まり寺を守る四隅の鬼にされてしまったという。
 かわいそうに思ったヤスはすみ鬼を外して自由にしてやるのだが…。
 物語の発想の独創性はもちろん、松村の日本画のなんと生々しく活力に満ち、そのくせ静かにたたずんでいることか。参ったなあ。
 日本画の絵本や物語絵本がもっと増えて欲しいとは以前から願っていたことなのですが、この作品はその願いを見事に叶えてくれました。
 今後、もっともっと生まれますように!
 すごい。(ひこ)

『てんぐのきのかくれが』(青山邦彦 教育画劇 2010)
 青山の待望の新作です。
 今回は、子どもの隠れ家を天狗や物の怪、妖怪たちが作ります。
 森の大きな木を見上げてしゅんくんは、ここに隠れ家を作ろうとします。というのは学校では喧嘩ばかり、家では叱られてばかりで、寄る辺がない気分だからです。
 そこに現れたのが天狗。事情を聞いて本格的に木の上の隠れ家を作ってくれます。しかしこれ一つじゃつまらないと考えた天狗は物の怪、妖怪たちを集めて大きな大きな隠れ家を作り始めます。
 もう隠れ家とは言えない大きさ。
 天狗は言います。ここは独りでは大きすぎるだろうから、みんなを連れてきなさいと。
 こうしてしゅんくんの隠れ家は、それに驚嘆した友達たちとの遊び場になります。
 この作品でも建築に造詣が深い青山の理念と理想が描かれています。
 隠れ家がどんどんできていく過程の絵のおもしろさ、綿密に出来た隠れ家の隅々まで画を堪能して下さい。こういう細かさは子どもが夢中になりますよ。(ひこ)

『かしこいモリー』(ウォルター・デ・ラ・メア:再話 エロール・ル・カイン:絵 中川千尋:訳 ほるぷ出版 2009)
 デ・ラ・メアに、ル・カイン。なんという豪華な組みあわせ。
 貧しい家の三人娘。父親は糖蜜パンを一切れずつ与えて森へとやります。帰れなくなった三人は、小屋を見付けて宿を請いますが、そこは大男の家で、彼女たちは命の危機に。
 さてここからは末娘の知恵という昔話をお楽しみください。
 やはりなんといってもル・カインの絵が素晴らしい。ダイナミックな構図と奥深い色遣い。憎たらしいほど、物語のドキドキ感を高めていきます。
 贅沢な時間を過ごすことが出来ますよ。もちろん子どもにもその当たりはちゃんとわかりますから。(ひこ)

『イソップものがたり ライオンとねずみ』(ジェリー・ピンクニー:作 さくまゆみこ:訳 光村教育図書 2010)
 なんとイソップを文章使わず描いてしまいました。それも絵本の機能を活かして、文章では不可能な、様々な動きを画面の隅々に描き込んでいます。
扉、ライオンの足跡の上にいるネズミ。その細かな描写。いきなりここから魅せられてしまいます。
表紙のライオンの目線を追ってうらびょうしを見るとネズミが笑っています。
そうした神経の行き届いた画の素敵さをぜひ子どもに伝えてあげてください。(ひこ)

『パパ、おぼけがいるよ。』(ヒド・ファン・ヘネヒテン:さく・え のざかえつこ:やく フレーベル館 2010)
 ペンギンのヨアヒムは眠れない。だって、ベッドの下におばけがいるもん。パパがやってきておばけがいないのを確認してくれる。でも、今度はカーテンの後ろ、タンスの中。
 その度にパパはおばけを追い払ってくれる。だから安心しておやすみなさい。
 ママじゃなくパパなのを強調しないでさりげなく。(ひこ)

『むかしむかし』(谷川俊太郎:詩 片山健:絵 イースト・プレス 2010)
 むかしむかしとは、いつのこと?
 それは、私やあなたの小さな時でも、昔話のむかしでも、歴史上のことでもありません。
 人間が生まれた最初の時、その始まりからを谷川は「ぼく」として語ります。
 おもちゃも本もハンバーグもないけど、「ぼく」は生きてきた。
 片山のイメージを重視した絵が、詩の大きさと呼応する。(ひこ)

『ねえママ、どうしてきょうりゅうは がっこうへいかないの?』(カンタン・グレバン:作 スギヤマカナヨ:訳 セーラー出版 2010)
 色々な動物の子どもが親に疑問をぶつけます。「どうして、キンギョは サメがすきじゃないの?」「いっしょだときゅうくつだからよ」。「どうして クマは おもちゃやさんへ いかないの?」「ぬいぐるみうりばで こどもが まいごになるからよ」。
 なかなか上手い答え方ですね。人間の子どもの親さんたちも、どうぞよろしく。(ひこ)

『ぞうは わすれないよ』(アヌシュカ・ラヴィシャンカール:作 クリスティアーネ・ピーパー:絵 もりひさし:訳 すずき出版 2010)
 親に守られてジャングルを歩く赤ちゃんぞう。でも嵐にあって迷ってしまいます。さるにからかわれたり、なんとか生き延びる赤ちゃんぞう。水辺で知り合ったバッファローの群れに合流し、一緒に生きていきます。
 時は流れ、ぞうは自分の群れと再会するのですが…。
寓話性の高い一品です。
なんといっても、クリスティアーネ・ピーパーの木版画が素晴らしいですよ。(ひこ)

『ちいさな あめふりぐも』(せなけいこ:作・絵 すずき出版 2010)
 ちいさな雨雲ちゃんは、ネコの子どもたちと遊びたい。でもでも、子ネコたちは、雨雲ちゃんが近付くと逃げていく。何故そうなのかわからない雨雲ちゃんは追いかける。でも、やっぱり逃げられる。
 さてさて、どうなりますか?
 せならしい絵作りはファンにはたまらないでしょうね。
 ただ、雨雲がお天気雲になって良かったね、って終わり方はいいのかな?
雨雲のまま仲良しになる展開がほしかった(ひこ)

『さかさことばのえほん』(小野恭靖:作 高部晴市:絵 すずき出版 2009)
 取り上げられているさかさことばは「うたうたう」、「よるねこねるよ」程度の物ですが、まださかさことばを知らない子どもを前提ですから、これで良いのでしょう。
 高部の絵は、和のテイストも加味し、小さなくすぐりも入れて楽しませます。(ひこ)

『くぎのスープ』(菱木晃子:文 スズキコージ:絵 フェリシモ 2009)
 スウェーデンの民話です。
 けちんぼうのおばあさんの所に旅人がやってきます。しぶしぶ床に寝かせてやることにするのですが、男はクギを一本取り出して、これと水でおいしいスープができるといいます。興味津々のおばあさん。沸いてきた水。ここに小麦粉を入れればもっとおいしくなる。そうするおばあさん。次はミルクを。そしてタマネギを、肉を! それはおいしいスープでしょうよ。(ひこ)

『いっしょにごはん』(スギヤマカナヨ くもん出版 2010)
 サブタイトルに「むかいあって よむ えほん」とあるように縦開きになっていて、それをテーブルに見立て、画面上半分が子どもの側で、下半分が一緒に食べているあなたの側。
 色々世話を焼きながら小さな子どもと食事をする風景が、手だけで姿が出ない故にいっそうリアルに伝わってきます。(ひこ)

『ちいさなタグボート ポッポ』(セバスチャン・ブラウン:作・絵 まえざわあきえ:訳 徳間書店 2010)
 ポッポは港で一所懸命働くタグボート。とってもいいやつです。今日やってきたのはものすごく大きな船のボードン。さっそくお手伝いを、が、大きなボードンは小さなポッポに導かれるなんていやだと、独りで港へ入ろうとしますが…。
 輪郭線を強調した絵ですが、決して塗り絵のようではなく、色そのものは細かく表情を付けてあり、丁寧な仕事。(ひこ)

『オレのカミがた、どこかへん?』(きたむらさとし BL出版 2009)
 非常にシンプルな仕掛け絵本です。ライオンの顔の絵に被るページを卵形にくりぬいてあり、そこに奇妙なたてがみが描いてあるわけ。
色んな扮装の絵で顔だけくりぬいてあり、そこから顔を出して記念写真を撮るのが、昔から観光地にあるでしょ。あれと同じ趣向。
パーティに行くことになったライオンは、美容院でかっこいい髪型を要望。すると、カーラー一杯付けたのや、鳥の巣や、波や、もう色々にされるのですよ。
読者の子どもも自分で作って遊べるように解説もついています。(ひこ)

『ぼうし ぴょこ』(前田マリ 福音館書店「こどものとも012」七月号)
 縦開き絵本。
赤い帽子が床に置いてあります。それがモゾモゾ動き出して、あれ、なんかいるのかな?
 片脚が出てきて、両脚が出てきて、とワクワク感がふくらみます。ネコだとはすぐにわかるのですが、わかっても、やっぱり楽しいです。それはきっと作者がネコを愛しているのがこちらにも伝わってくるからでしょうね。(ひこ)

『あいたい 友だち』(小林豊 佼成出版社 2009)
 小林が訪れた様々な国の子どもたち。見開きごとに、国々の子どもの風景が描かれ、文の最初の呼びかけ言葉は、その国の「コンニチワ!」です。
 こうして、東西南北、先進国から第三世界までを同列に描くことで小林は伝えます。平和への願いを。(ひこ)

『きょうのそらはどんなそら』(ふくだとしお+あきこ accototo 大日本図書 2009)
 夜明けから日が沈むまでを、散歩するネコの目を通して描いていきます。
 どこまでもどこまでものんびりとした風景。どこにでもあるようで、案外見つからない時間。いや、気付かない風景と時間かな。
 二人はそれを見付けて描き、読者にプレゼントしてくれます。
これを見ていると、イラチの自分がつくづくダメだな〜と。(ひこ)

『みんなであそぶひ』(天明幸子 教育画劇 2010)
 リス、ウサギ、ブタ、ヒツジ、クマの子どもたち。みんな好きな遊びは違います。でも一緒に遊ぼうということになって、それぞれがそれぞれの遊び道具を持って、約束の広場に集まるのですが、みんな自分勝手に遊んで、ちっとも楽しくない。さあ、どうする。
みんなで話し合うまでに、もう少しバトルがあってもいいのでは?(ひこ)

『ひらめきの建築家 ガウディ』(レイチェル・ロドリゲス:文 ジュリー・パシュキス:絵 青山南:訳 光村教育図書 2010)
 ガウディは今や天才ということになっており、彼の建築物はスペインのとてつもない観光資源となっています。
 そんな彼の伝記絵本です。
 わりとよく知られたエピソードを巧くまとめています。批判的部分ももう少しあった方が良かったかなとは思いますが、ガウディとこの絵本で初めて出会う子どもの場合、これでいいのかもしれません。
 ガウディの建築は彼の個性が爆発しているわけですが、同時にそれは時代の流れを免れているわけではなく、アールヌーヴォーの先例を受けています。ウィーンの分離派の建築にはガウディとよく似たものがあります。
パシュキスは固い建物を植物のように柔らかく魅せたガウディの仕事を、シンプルな線で描くことで、この絵本を読んでから本物を見るであろう子ども読者の感動を留保しています。(ひこ)

『きょうふのわすれものチェック』(スギヤマカナヨ 佼成出版社 2009)
 クラスの班ごとに忘れ物をチェックして、最低の班の子どもは「わすれんぼう」という帽子を被る。といった担任のクラス運営はどうかと思いますが、班長の「わたし」はものすごくわすれんぼうのおおきさんがいつも気になる。だから下校時必ず、明日持ってくる物を教えたりしないといけないので大変。でもおおきさんは気にせず忘れてくる。ところが、そんなおおきさんだからこその才能もあることに「わたし」は気付く。おおきさんは平気で職員室に入って色んな先生から物を借りるし、代用品を作るし、想像力で補う。
 と展開していきます。
 さいごのオチも良いですね。(ひこ)

『あかちゃんがやってきた』(角野栄子:作 はたこうしろう:絵 福音館 2010)
 一九九八年「こどものとも」からの絵本化作品。
 ママにお腹に赤ちゃん。最初はママのお腹は大きくありません。それから段々大きくなるに従って、もうすぐ兄になる子どもの気持ちの変化を描いていきます。
 最初はてっきり母と息子の家族かと思ったのですが、出産の時やっとパパが登場。だからちょいと作品が母子密着。この辺りの視野が狭いかな。(ひこ)

『パパ、かばになる』(安江リエ:作 飯野まき:絵 偕成社 2009)
 お風呂にパパと一緒に入る兄と妹。鼻までお湯に沈んだパパってかばみたい! と、パパはお風呂の中に潜ったかと思うと…、なんとかばがお湯からでてきました。
 パパかばの背中に乗って二人はアフリカ大探検!
 お風呂での楽しい時間がたくさん伝わってきます。(ひこ)

『ぼくとちいさなポポフ』(あきくさあい:さく 教育画劇 2009)
 「ぼく」(柴犬)と、飼っている緑のインコの仲良しな日々。インコの世話をしながらの、のんびりとした日常を丁寧にただ描いているだけですが、だからほっとします。でも、最後はこれでいいかな〜、環境問題。(ひこ)

『ぼくのいえにけがはえて』(川北亮司:文 石井聖岳:絵 くもん出版 2010)
 朝起きると、家の屋根に髪の毛がどんどん伸びてきた!
 さあ大変、何で刈りましょう。誰が刈りましょう。
 と、話はどんどんナンセンスに進んでいきます。
 相撲取りが大活躍が、チト時期的にあれですが、まさかこんな事になるとは思わないもんね。(ひこ)

『したきりすずめ』(山下明生:文 しりあがり寿:絵 あかね書房 2010)
 みんな一体どうしたんだ、というくらい、各社から昔話絵本が出ていますが、これもその一つ。
 あくまで現代ではちょっと残酷に見えるかもしれないこの話のおばあさんの気持ちにも添ったアレンジを山下はしています。で、絵はしりあがりですから、残酷です。このアンバランスが良いですね。(ひこ)

『めくってびっくり俳句絵本』(村井康司:編 全五巻 岩崎書店 2010)
 村井の選句に五人の絵描きが自由に絵を付けています。左ページが折り込みになっていて、開くと村井による短い解説。つまり、開かなければ俳句だけを楽しめ、もう少し考えたいときは開けばいいわけです。簡単だけどいいですね。(ひこ)

『ひとりぼっちのくうくう』(杉田比呂美 小峰書店 2010)
 ともちゃんの大好きなぬいぐるみのくま、クウクウが草原に置き忘れられます。最後は父親と一緒に探しに来て見付けられますから、売りとしては仲良し良かったね絵本ですが、そうしたべたつきよりむしろ、杉田が描きたかったのは、孤独の方でしょう。
 私は小さい子でも(子こそ)孤独を感じていると思うので、そうした孤独の現前化として、この絵本を読んであげて欲しいです。そうだよねえ、こんな孤独ってあるよねえって風に。(ひこ)

『まいごになった子ひつじ』(ゴールデン・マクドナルド:さく レナード・ワイスガード:え あんどうのりこ:やく 長崎出版 2010)
 ゴールデン・マクドナルドとはマーガレット・ワイズ・ブラウンの別名です。1946年作。好奇心旺盛な黒い子羊。いつもいつも群れから離れてしまいます。そしてとうとう迷子に。心配した羊飼いの少年が探しますがなかなか見つかりません。一方子羊は結構楽しく遊んでいる模様。といったまさしく牧歌的な物語。今時は描けない作品なので、ご賞味ください。(ひこ)

『トッキーさんのボタン』(かとうまふみ イースト・プレス 2010)
 トッキーさんのカーディガンから落ちてしまった黄色いボタンは、彼女を求めてさ迷います。他の誰かに拾われる危機もありますが、無事出会えたときの喜びといったら! ボタンがキャラクターなのはいいですね。でも、姿はもう少ししっかり立てた方が良かったかな。(ひこ)

『たまごのなかにいるのはだあれ?』(ミア ポサダ:さく ふじたちえ:やく 福音館書店 2010)
 困ったなあ。もう、タイトルで説明は尽きています。ペンギンからタコまで色んな生き物のたまごが描かれて、次のページで孵化した子どもとその生態の説明が描かれます。ただそれだけの絵本です。
 でも、それだけですから、次々見ていると、生き物はこうして生まれてくるのだという、普段わざわざ考えもしないことが反芻されます。
 ちょっと暖かな気持ちになれますよ。(ひこ)

『あなたの知らないカビのはなし』『細菌のはなし』(熊田薫:監修 粕谷亮美:文・編集 鈴木逸美:絵 大月書店 2010)
 カビと細菌について、細かくきちんと妥協なく解説した、知識絵本。専門家しか見たことがないような写真が満載なので、それだけでも楽しめます。あ、気持ち悪い人は楽しめません。
大事なのは、カビも細菌も意味なく存在しているわけではなく、人間にとって良い物も悪い物もあること。そしてそれはあくまで「人間にとって」であるのを知っておくこと。
そのためにこの本は、ちょっと難しい内容まで突っ込んで書いています。でも、小学校上級生辺りから読める子どもは読めると思います。
 小中高の学校図書館に置いておくのがいいかな。(ひこ)

『ちいさな あかあい バス』(高羽賢一 ひさかたチャイルド 2009)
 村を町と結ぶ小さくて古い赤いバス。いつも乗ってくる女の子。いったいどこへいくのかな? 気になって仕方がない赤いバス。でも修理に出ることになって、女の子のことが心配。
 といった、心優しい物語が、少し懐かしい画で展開していきます。
 最後の幸せな結末まで、ちょっとだけホカホカしたい人はご賞味あれ。(ひこ)

『いっしょにつくろ! エコこうさくえほん』(全三巻 石倉ヒロユキ 岩崎書店 2010)
 「かみ」、「ぬの」、「びん・かん・プラスチック」の三部構成です。どれもそれらの素材を使ってできる様々なものを、見開きで一つずつ紹介しています。
 それでどれだけエコになるかは重要ではありません。大人と子どもで一緒になって、エコを身近にすることです。あと、休みの日、これがあれば親子で結構遊べますよ。(ひこ)

『イルカ』(水口博也:文・写真 アリス館 2010)
 『クジラ』、『ペンギン』と続いていく「ぼくら地球のなかまたち」シリーズ第一作。
 写真絵本にしたいのか、紹介絵本か、図鑑風かが少し定まっていないのが少し残念。いろんなイルカがちょこっとずつ紹介されるので残らない。
 語り手が「ぼく」というイルカであるのもいかがなものか? 水口さんでいいのではないだろうか?
 でも、イルカ好きなら楽しいでしょう。
 次作、見せ方の工夫をもう一歩お願いします。(ひこ)

『ちきゅう』(トッド・パール:作 つだゆうこ:訳 エルくらぶ 2010)
 幼い子ども向けの環境啓発絵本。「かみは うらも おもても つかう」といったわかりやすい言葉での説明と、太い線を使ったシンプルな画で好感度高し。ただ、原語の英語を残して、早期英語教育にも使えます、というのはエコかしらん?(ひこ)

『いくつかな?』(谷川俊太郎:さく 堀内誠一:え くもん出版 2010)
 くもんによる谷川+堀内「ことばのえほん」シリーズ復刊四作目。今作は「かず」。谷川は自然な言葉捌きで、雨の日から晴れの日まで、様々なもの、カエル、傘、チョウチョと数を数えていきます。韻を踏むとかじゃなくて、縛られずに言葉のリズムで読ませていくのはさすが。堀内の絵の温もりはいつ見てもいいなあ。(ひこ)

『かえっておいでアホウドリ』(竹下文子:文 鈴木まもる:絵 ハッピーオウル社 2010)
 絶滅したと考えられていた鳥島のアホウドリが数羽残っていて、その繁殖過程を描いたノンフィクション。
 簡単に捕獲できるアホウドリ(だからアホウ)は、輸出用の羽毛にするため乱獲され、数百万羽生息していたのが絶滅とされたのが49年。その二年後十羽ほどが生き残っていたのを発見。徐々に、本当に徐々に増え、現在三百羽だそうです。まだまだ時間がかかりそうです。
 ノンフィクション故、文章はフラットに事実を述べているだけですが、鈴木の鳥の絵はやはり迫ります。
 ほぼ絶滅までの人間の行為は、環境という意識がなかったから責めることはできません。ただ、そうした事実があったことは子どもに伝えておきたいですね。(ひこ)

『川のカエルと生きものたち』(松橋利光:写真と文 アリス館 2010)
 カエルの松橋、最新写真絵本。今作はカジカガエルを中心に、川にいる鳥から昆虫までを観察していきます。
 川を一つの生態系として子どもに見せていくのなら、もう少し作り込みが必要だとは思いますが、川で遊ぶときの生き物発見の楽しさを伝えるには、こうしてばらけていた方がいいのかもしれません。
 なんと言ってもカジカガエルの生態がおもしろいです。そうか、彼らは蛙合戦をやらないんだ。(ひこ)

『絵本図鑑1 どうしてそんなかお? 虫』(有沢重雄:作 今井桂三:絵 アリス館 2010)
 虫たちの顔を正面から描いて、その特徴を解説していきます。写真ではなく絵ですから、解説に沿ったアップが可能で、図鑑としてはこの方がわかりやすいでしょう。松橋の写真絵本と比べれば、その機能の違いがよくわかります。
 しかし昆虫の正面からの顔だと、全部仮面ライダーに見えてしまう私は…。(ひこ)

『ちいさなうさぎ きみにあいにきたよ』(ナタリー・ラッセル:作 磯みゆき:訳 ポプラ社 2010)
 『ちいさなうさぎ』シリーズ二作目です。
 町暮らしのちいさなうさぎの元に、ちゃいろいうさぎがあそびにきます。ちいさなうさぎははりきって町中を案内するのですが、ちゃいろいうさぎは浮かぬ顔。だって、町に会いに来たのではなくて、会いたかったのはきみだもの。
恥ずかしがってはいけませんよ。異性同性問わず、会いたい人には、一緒にいたい人には、ちゃんと伝えた方がいいです。叶わぬ時は仕方なし。そんなものです。だから、独りで布団を被って泣けばいいだけ。(ひこ)

『ちいさいまるちゃん ころり』『ちいさいまるちゃん くるり』(LO-ZOO  教育画劇 2010)
 幼児用仕掛け絵本。カラフルなちいさな○たちが、ころころ転がっていったり、くるりと回ったり。画面にちいなさ丸い穴が開けてあって、そこから覗く○。ページを繰ると、今度はその穴から前のページの○が覗きます。
 それだけなんですが、楽しい。というか、それだけなのが楽しい。巧い。(ひこ)

『おやすみなさい ネムネムちゃん』(山岡ひかる くもん出版 2010)
 『いろいろたまご』などで、ほんとうにおいしそうに描いた山岡の、幼児向けの愉快なお眠り絵本です。
 ネムネムちゃんが眠れないので、お布団も困っています。そこで色んな物がネムネムちゃんに眠ってもらおうとします。食パンさんのフカフカや、もものネットに包んでみます。でもでも、なかなか眠れない。おかあさんがやってきて…。
おきまりの展開ですが、食パンさんなどが出てくるのが山岡らしいですね。(ひこ)

『おおきく おお〜きく なりたいな』(アナベラ・ハートマン:作 浜崎絵梨:訳 小峰書店 2010)
 チーズ三つほどの小さな王子様。大きな父王のようになりたいな。
 父王から誕生日プレゼントに何がいいと聞かれた王子様。池一杯の大きさの船だとか、大きな木と同じ大きさの三輪車とかリクエストしますが、そりゃだめだろうと父王。
 さて王子様へのプレゼントは?
 大きくならなくてもいいやってのがいいですね。(ひこ)

『くさはらのわたしのへや』(松岡達英 福音館書店 「ちいさなかがくのとも」2010・07)
 女の子が草原にシートを敷いて、やってくるいろいろな生き物を観察します。アリ、バッタ、とかげ。天気も良いし、ああ良い気持ち。女の子=虫にキャ! なんてアホなステロタイプでないのがうれしいです。
 本当にのんびりした気分が伝わります。でも、こんな環境にいる子どもはもう少ないだろうな。
松岡の絵は、松岡だから当たり前ですが、しっかりちゃんと描かれていて好感度高し。(ひこ)

『ゆうがたさくはな おしろいばな』(山根悦子:さく 多田多恵子:監修 福音館書店「かがくのとも」2010.07)
 おしろいばなは本当にもう、都会のちょっとした隙間にも花を咲かせる強い植物ですが、それ故か、余り詳しくは知りません。私は白粉にして遊んだり、蜜を吸ったりしましたが、今の子どももそうしているのかな?
 この絵本は過不足なくおしろいばなへの知識を広げてくれます。
 いつも申しますが、そんな知識は無駄だとか言わないで下さい。そうした知識たちが心に余裕を生み、教養を付けるのですから。(ひこ)

『おかしなおかし』(石津ちひろ:文 山村浩二:絵 福音館書店「こどものとも」年少版 七月号)
 タイトルのダジャレから想像できるような展開です。「まんじゅう じまんの じゅうなんたいそう」「くさもち もちろん ちからもち」です。シンプルなダジャレは年少の子どもには、リズムの良い言葉として聞こえますから、大人のうんざり感で評価しても意味はないでしょう。山村の絵が、キャラとして立つことに力点を置いているので、楽しめますよ。(ひこ)

『かえるくんとけらくん』(得田之久:さく やましたこうへい:え 福音館書店「こどものとも」七月号)
 かえるとおけらが仲良しになります。本当に楽しい日々。かえるくんは一緒に地上で住もうと言うのですが、もちろんけらくんは地面の中がいい。断られたかえるくんはすねて、絶交してしまいますが…。
 おけらって、なんとなく苦手だったのですが、反省いたします。(ひこ)

『ならんでならんでしゅっぽっぽー』(いとうせつこ:さく 勝山千帆:え 福音館書店 「こどものとも年中向き」2010.07)
クワガタ、クモ、カゲロウの子どもが何して遊ぼう? 「おすもう?」「あやとり?」、いや「汽車ごっこだ!」ということで、三匹で草原を大冒険する様子が描かれます。
それは楽しいのですが、「おすもう?」「あやとり?」、いや「汽車ごっこだ!」はやはり古いのでは? (ひこ)

『おでんさむらい ひやしおでんのまき』(内田麟太郎:文 西村繁男:絵 くもん出版 2010)
 絶好調、おでんさむらい四作目、夏編です。
 お供のカブトムシのかぶへいと共に、炎天下の江戸の町を歩いていると、橋の向こうから火車が! このままでは江戸の町が大火事になる。しかし、さすがのおでんさむらいも、今回は打つ手なし。そんなとき現れたのはかつて助けた、かさぼうや。雨を降らせくれます。
 この夏ブームのひやしおでんの誕生秘話です。うそうそ。(ひこ)

『ごきげんなライオン ともだちをさがしに』(ルイーズ・ファティオ:文 ロジャー・ヂュボアザン:絵 今江祥智&遠藤育枝:訳 BL出版 2010)
 友達のフランソワくんが転校してしまったたま会えなくなったライオンくんは元気がありません。動物園を抜け出し、フランソワくんを探しに。っても当てがあるわけではなし。
 「危険」なライオンの脱走に、警察が捜し回ります。一方ライオンくんはトラックの荷台に乗り込みます。それはなんとライオンくんを捕まえるために用意してある肉を運ぶトラックでした。
 いただきます!
 巧い具合にトラックが止まったのはフランソワくんの中学校。ライオンくんは飛びおります。
 そうポンポン巧くいくなんてあり得ませんが、そんな突っ込みをこの作品にしてはいけません。フランソワくんに会いたいライオンくんの気持ちが大切。(ひこ)

『ひとりぼっちの ちいさな エルフ』(ハンヌ・タイナ:え インケリ・カルヴォネン:ぶん つのだえだん:やく 新教出版社 2009)
 エルフは孤独でした。自然の中での暮らしは満足のいくものでしたが、それでもやはり、独りは寂しい。
 クリスマス、エルフはお客を呼ぼうとしますが巧くいきません。そこでエルフはごちそうをそとに運んで…。
 ハンヌ・タイナの絵が、冬の寒さとエルフの孤独を重ねながら、それが次第に暖かさへと変化していく様をごく自然に見せてくれています。(ひこ)

『うんこ!』(サトシン:文 西村敏雄:絵 ぶんけい 2010)
 ウンチではなくうんこなのが、まずよろしいね。
 犬がしたうんこ。匂いをかいだヘビもウサギもみんな臭いと逃げていく。怒ったうんこは、自分を認めてくれる人を探す旅に。畑のおじさんに肥料になるのを願われましたとさ。
 確かに昔はそのまままいてもいたのですが、今の有機農法では、まず堆肥にするのではないですかね。(ひこ)

『ハンバーグ ハンバーグ』(武田美穂 ほるぷ出版 2009)
 おいしいハンバーグの作り方を絵本で描きます。そこは武田美穂だからして、最初からもう、おいしそう。食べたい。リズムのいい言葉に乗せられてしまうのですけど、考えりゃあ、ハンバーグの出来るまでを描いているだけよ。でも、おいしそうだな〜、やっぱり。(ひこ)

『ねえ、おんぶ』(岡井美穂 福音館書店 「こどものとも012」2010.02)
 いろんな動物の子どもが親の背中におんぶ。「おんぶの幸せ」を岡井は描きます。
 「おんぶの幸せ」は同意ですが、前で抱くより楽だし、子どもが背中に張り付いているので安心できるという、親にとっての便利さも理由の一つですから、賞賛するほどのことでもありませんが。それと、お母さんのおんぶが最高!はいかがなものか。お父さんのおんぶもいいと思うのですが。(ひこ)

『哲学する赤ちゃん』(なかえよしお:作 上野紀子:絵 ポプラ社 2009)
 タイトルが漢字であるようにこれは赤ちゃん絵本ではなく、赤ちゃんの代わりに大人へメッセージしたものです。正確には語り手が赤ちゃんに、「これからは赤ちゃんだからといって大人なんかたよりにせずに 自分でそうやって考えて生きて行かなくてはならないかもしれないよ」と話しているのを大人の読者に聞かせるというスタイルです。
 とすると、この語り手の立ち位置はどこなのか? が不明です。大人であるならまず自己批判から初めてもいいでしょうし、神ならばもっと赤ちゃんにわかるスタイル(つまりは絵本など)でも良かったでしょう。
 その辺りが曖昧なのが不味いと思う。
 もちろんなかえの危機感は痛いほどよくわかるのですが…。
 ならば一度、本当に、「これからは赤ちゃんだからといって大人なんかたよりにせず」に生きる赤ちゃんの物語を書いてみてもいいのでは?(ひこ)

『グルグル ぼくのだいじなおもいで』(河原まり子 偕成社 2009)
 「ぼく」と愛犬グルグルは生まれてからずっと一緒。でもとうさんが病気になって会社を辞め、「ぼく」たちは一軒家から、犬の飼えないマンションへ引っ越すことに。
 グルグルを飼ってくれる人を探したけど、いなかった。
 「ぼく」たちはグルグルを車に乗せて捨てに行く決心をする。
 幸せな結末は訪れません。だからか、これは昔の「ぼく」の思い出として語られています。しかし、現実に今も起こる物語ですから、ここはがんばって今の話にして良かったのでは? どう終わるかはとても難しいですけれど。(ひこ)

『でも、わたし生きていくわ』(コレット・ニース=マズール:作 エルメス・メーンス:絵 柳田邦男:訳 ぶんけい 2010)
 突然の両親の死。七歳のネリーは妹弟と別々の家で育てられることに。最初孤独だったネリーですが、学校にも友達ができ、おばさんの愛情も受け入れられるようになってきます。妹弟とは時々しか会えないけれど、会ったときは寄り添って愛情を分かち合う。
 感情過多な文ではなく淡々としています。そこはとてもいい。ただ、この特殊事例(もちろん当事者にとっては特殊ではありません)を特殊として描くのか、あえて一般化して描くのかが若干曖昧です。
訳者の解説が余計です。ノンフィクション作家だから訳者に徹することができないのだろうけれど。(ひこ)

『へんしん! たんぼレンジャー』(松橋利光 そうえん社 2010)
 カエル写真でおなじみの松橋が、カエルのオタマジャクシ、クルサンショウウオのオタマジャクシ、トンボのヤゴをレンジャーにして、たんぼをまとめて観察だ!
 たんぼが近くにある子どもは、ぜひじっくり覗いてみて下さいね。(ひこ)

『あそぼっ』(まつむらまさこ:さく 松村太三郎:え そうえん社 2010)
 ナッツはダックス。楽しい毎日を過ごしていますが、もらったプレゼントはかわいい子犬のカシュウ。
 え? 新しい犬がカシュウでぼくがナッツ? じゃあぼくは二番目?
 すっかりすねたナッツはおもちゃも全部カシュウにあげて、家を出るのですが・・・。
 カシュウとナッツというのに多少無理矢理感はありますが、新しいシリーズが始まります。
 松村の絵は、少し擬人化された犬たちの表情豊かな動きを巧く創出しています。(ひこ)

『まねまねひるね』(北川チハル:ぶん はせがわゆうじ:え 岩崎書店 2010)
 ねずみの子どもが親とお昼寝、でも眠れない。外に出て行くと、他の物もお昼寝だから、一緒にまねしてお昼寝。でも、さすがにネコさんとのお昼寝は無理! 逃げる子ねずみ。果たして結末は。(ひこ)

『かえってきたドロンコ』(みやもとただお 文研出版 2010)
 弱虫のマルくんがいじめられているところを助けてくれた野良猫。汚いので母親はいやがりますが、マルは飼うことに。マルとドロンコの楽しい日々。
 ドロンコは、自分を強いネコと思っていて、マルくんを守っているつもりなのでしたが実は…。
 血統書付きネコ好きはだめでしょうけれど、野良猫拾って飼う人ならよくわかる話です。(ひこ)

『モケモケ』(荒井良二 フェリシモ 2010)
 荒井の造語「モケモケ」を使って、「みるさわる」、「あついつめたい」、「にぎやかしずか」など、新井のイメージによる画が展開していきます。
 荒井の創に任せた奔放な(と見せる)画と「モケモケ」という語の音感で、巧く読み聞かせれば子どもに受けることでしょう。
 とはいえ、疾走する荒井のスピードは危険領域に近付いているのも確かです。著名な大人たちの「絶賛!」や賞賛に負けず、職人技を磨いてください。(ひこ)

『とうさん』(内田麟太郎:文 つよしゆうこ:絵 ポプラ社 2010)
 母親の新しい夫。「ぼく」は彼を「おじさん」としか呼べません。おじさんはかまわないというのですが、「ぼく」は母親の気持ちも気になるし、何より自分の気持ちが気になります。
 血のつながりのない親子でも愛情が生まれることは、血のつながりがあっても愛情が生まれないのと同じであるように、母親の夫はお父さんではないのでずっとおじさんのままでもいいと私は思いますが、親子になりたいという思いも嘘ではないでしょう。
 この物語は、この最後の思い、「親子になりたい」を主題としています。それがどう解決していくかは読んで戴くとして、その困難さも浮き彫りになっているのがとても興味深いです。(ひこ)

それでは次号で。

【児童文学評論】 No.149 Copyright(C), 1998〜
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