No.152 Copyright(C), 1998〜

       


【物語】
 23日に国際ペン東京大会2010の「子ども・環境・文学-そして未来へ」のセミナーに参加した。イギリスだけで三千万部以上本が売れているジャクリーン・ウィルソンさん、韓国民主化運動の世代を代表する絵本作家のイ・オクベさん、守り人シリーズ、『獣の奏者』でおなじみの上橋菜穂子さんが、上記のテーマでそれぞれスピーチ、三人三様のお話をひこ・田中さんが神業(!)の名司会でまとめた。
 興味深い話はたくさんあったのだが、印象深かったのは、上橋さんが「十代のころ、もう何もかも知り尽くしたと思って、この世には期待できるものは何もないと絶望していた」とおっしゃったこと。その、十代特有の思い込みを破り、世界は広いことを教えてくれたのは、上橋さんの場合、サトクリフの一連の作品だった。
 ジャクリーン・ウィルソンさんもイ・オクベさんも、その話に深く共感なさって、世界を俯瞰する視点の大切さや、世界は決して知り尽くせないほど多種多様だけれど、同時に、喜怒哀楽といった感情は不思議なほど一致しているというような話にどんどん広がり、最後わたしは、子ども時代の読書ってすごい力を持ってるなあ、と感慨にふけりつつ会場をあとにしたのだった。あー、おもしろかった。

『スキャット』カール・ハイアセン 千葉茂樹・訳 理論社 2010.8
 さて、カール・ハイアセンの新作『スキャット』も、相手の視線に立つと、まったく違う現実が見えてくるさまを鮮やかに描いていて面白い。
 ハイアセンといえば、大人向けのミステリーを描いている人気作家だが、『HOOT』、『FLUSH』など、これまでも環境をテーマにしたヤングアダルトを発表している(まさに、今回の国際ペン東京大会のテーマ!)。軽快な語り口と、気の利いた登場人物たちの会話で織り成される物語は、実は熱い正義感に満ちていて、爽快な読後感を味わえる。
 明快なテーマや個性的な登場人物はもちろん魅力だが、私が惹かれるのは、ハイアセンの描く自然―――厳密に言えば、自然との出会いの場面だ。『HOOT』で主人公のロイがアナホリフクロウ【注:プレーリードッグなどが掘った穴など、使わなくなった穴を巣穴として地下で生活する小型のフクロウ】と遭遇したときの驚き、『FLUSH』でノアたちが伝説のグリーンフラッシュ【注:太陽が完全に沈む直前や昇った直後に、緑色の光が一瞬強く輝いたように見える現象】を目にしたときの喜びは、強烈に心に刻まれ、それがそのままハイアセンの本の印象となっている。
 『スキャット』にも、すばらしい邂逅の瞬間が用意されている。フロリダに住む絶滅危惧種のフロリダパンサーは、なかなか姿を現さない。森の中に残された糞や、木々のあいだに一瞬、垣間見える尻尾。そして最後の最後で主人公のニックは「優雅で機敏で、幽霊のようだが、思わず見とれてしまうほど神秘的」なその姿を目にする。ニックの震えるような興奮を描くとき、ハイアセンの筆は冴え渡る。
 その出会いへ導いてくれたのが、学校一の変わり者スターチ先生と、学校一の問題児スモークだ。ニックは、思っていたのとまったくちがう二人の姿を知ることになるわけだが、特に、十歳のとき工事現場でトレーラーを全焼させ、その後、広告の掲示板を燃やしたという「イカれた」スモーク少年が、ユニークだ。彼の視点に立つと、どうやっても言い訳がつきそうもない上記の犯罪にも、思いもよらない意味があったことがわかる。スモークにはスモークの、まったく別の現実があったのだ。
 国際ペン東京大会のセミナーでも四人の作家の方々が、深くうなずいていたように、そんなふうにちょっと視点を変える技を、本は教えてくれる(三辺)。

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『消えたヴァイオリン』(スザンヌ・ダンラップ:作 西本 かおる:訳 小学館 2010)
 マリア・テレジア統治の元、ハプスブルク家が全盛を極めた一八世紀ウィーンが舞台のミステリーサスペンス。
 作者が音楽史のドクターだからでしょうけれど、衣装から制度まで、当時の日常文化について、さりげなく、しかし詳細に描かれており、それが奥行きを作っています。おそらくそれらは読者対象である世代にはよく分からないことかもしれませんが、このよく分からなさが、歴史への興味をかき立ててくれます。
 特に、当時の女性が置かれていた立場へのしばしばの言及と説明、そして主人公をそこから解き放とうとする意志が、すばらしいです。フィクションはこうでなくちゃあ。
 ストーリーそのものは、シンプルな謎を追いますからややこしくありません。それに乗っかって読んでいけば、当時のヨーロッパの政治経済、そして日常史が少し見えてくる。しかもその情報はプロの研究者(作者)からのものですから、精度の高さは抜群です。
 ぜひぜひ、読んでください。(ひこ・田中)

『ブラック・ダイヤモンド1』(令丈ヒロ子 理論社 2010)
 灯花理は母親を失い、祖母の屋敷に暮らしている。母親の妹の娘美影は同じくクラスで、いつも灯花理をサポートしてくれる存在。灯花理はいつも自信がなく、美影はその逆の性格なのだ。美影の母親は祖母に好かれていないらしい。つまり、祖母にとって長女は可愛かったが、次女はそうでもない。灯花理と美影は、厳しく、感情を外に出さない祖母を密かに魔女と呼んでいる。灯花理と美影は発見した灯花理の母親の日記を読む。若き日のそれは灯花理にとって、心の支えだ。と、そこにブラック・ダイヤモンドという謎の言葉が。宝石のことだと思った二人は、それを捜そうとする。
一方クラスでは、灯花理が友達の机の中に批判文を入れたと仲間から誤解され外されようとしたり、それを美影が救ったり、しかし真相はますます怪しくなったり、不穏になっている。灯花理はますます美影を頼りにするのだが…。
人間関係というテーマをこれまでも令丈は書き続けていますが、心の内に蠢くモノに焦点を合わせたものはハードカバー作品で、外側の関係性はソフトカバー作品でと、描き分けてきました。
それは読者層の違いに合わせてだと私は思っています。
ハードカバー作品の描き方とソフトカバー作品の描き方を融合して、それがエンタメとして読まれること。令丈の目指すものの一つはそれだと考えますが、今作でいよいよそれが始まった予感。(ひこ・田中)

『石のラジオ』(野坂昭如:作 黒田征太郎:絵 講談社 2010)
 野坂の戦争童話に黒田が絵をつけた、戦争童話集沖縄編の二作目です。
 タイトルは鉱石ラジオのこと。父の手作りのそれを聞きながら死んでいった少年の描写から、物語は始まります。いや、死んでいるところから。そして物語は、彼が死ぬまで、沖縄戦を少年の目でみたことと、後年知られた事実を交えて追っていきます。
 淡々とした語りは、その戦いのすごさを強く印象付けます。
 黒田の画は、残酷であるよりも、少年につかず離れずの寄り添い方で、読者と少年のちょうど真ん中辺りに視点を定め、少年を守りながら語っているようです。
 童話集といっても、そこに描かれた情報は残念ながら今の子どもには難しいでしょう。それは、あの戦争を伝えてこなかった私やあなたの責任です。でも、黒田の画にサポートされながら、説明を加えつつ語っていけば伝わると思います。中学生以上。高校生や大学生でもいいでしょう。
 野坂といえば、高畑アニメの『ほたるの墓』が今も有効ですが、これは原作の方がいいですので、ぜひ原作を。(ひこ・田中)

『オイボレ発明家をすくえ! ひみつのたんていダイアリー1』(ヨアヒム・フリードリヒ:作 はたさわ ゆうこ:訳 はた こうしろう:絵 徳間書店 2010)
 徳間書店もついにソフトカバーエンタメに進出。『パンツマン』の時からしておけばよかったんだけどね。
 主人公は、メガネくんとでぶっちょと、元気な女の子という、定番中の定番トリオ。語り手は回ごとに変わっていきます。
1作目は元気なフロー。
このシリーズの学校はなんとお城。行政に予算がなかったので、お城をそのまま学校にしてしまいました。しかもフローの母親は校長先生で、フローたちはこの城に住んでいます。
 これだけでもう、ワクワク度は高まります。強引ですが、巧いですね。
今回は、お城探検で怪しげなおじさんを発見。実はこっそりこの城に住んでいたのです。
それが見つかってしまったおじさんはホームレスとして連れて行かれますが、仲良くなっていたフローたちはなんとか彼が城で住めるようにと画策します。
無事、住めるようになったおじさんは、3人をヒミツの探偵団に指名するのであった!
好調な開幕。さて次回からどのような冒険が始まるのでしょうか?(ひこ・田中)

『チャイブとしあわせのおかし』(エミリー・ロッダ:作 さくまゆみこ:訳 たしろちさと:絵 あすなろ書房 2010)
 エミリー・ロッダの爪の垢を、ほんの少しでいいから欲しいといつも思います。
 この「チュウチュウ通り」シリーズももう5番地。
 今回は、地味にしっかりケーキ屋さんをしているチャイブのお話。学校で一緒だった旧友二人と久しぶりに会ったチャイブ。一人は人気作家で、一人は人気女優。でも、チャイブは相変わらずケーキ屋のまま。
 ちょっと落ち込むチャイブですけど…。
 短いお話ですが、大切なことが盛り込まれつつ、愉快に展開。
 たしろの絵ももうすっかりなじんでいますね。(ひこ・田中)

『バンビ』(フェーリクス・ザルテン:作 上田真而子:訳 岩波少年文庫 2010)
 懐かしい高橋健二訳から、上田訳へと変わりました。新訳で読みやすく、言葉が柔らかい。
 森の描写から、バンビの仕草や心まで、細かく丁寧に描かれています。会話を主とする現代の作品との違いを、子どもが楽しんでくれればいいですね。(ひこ・田中)

『夏の記者』(福田隆浩 講談社 2010)
 佳代は夏休み、新聞社の子ども記者に選出される。とはいえそれは後ろめたいものでした。選出用に書いた記事が盗作に近いものだったからです。他の学校から選出された純子がそのことに気づき、佳代を軽蔑します。
 周りからは記者に選出されたことを喜ばれ、本人は忘れたい記憶を抱えてしまった子ども記者。それが佳代です。
 それもあってか、純子の活躍に比べ佳代は未だに記事が書けません。そんな折り、スポーツセンターのガラスに何者かがブロックを投げる事件が起こり、偶然その犯人を見たかもしれない佳代は、真相究明へと動き出します。
 最近センターは10万人目の入場者に記念品を贈るイベントをしていて、どうもそれと関連しているらしいところまで突き止める佳代。そんな彼女のガッツに、最初の軽蔑を捨て、相棒として動き始める純子。この辺りの二人がなかなか良いです。
 やがて明らかになった真相は…。
 無駄なく進むテンポは、良さでもあり弱点でもありますが、大人であるということが言い訳となる生き方への疑問や、自身の考え方への問い直しなど、まっすぐな物語です。
 装画、装丁とも、なかなかの出来。(ひこ・田中)

【絵本】
『どろんこのおともだち』(バーバラ・マクリントック:作 福本友美子:訳 ほるぷ出版 2010)
 『ないしょのおともだち』で私たちを幸せにしてくれたバーバラ・マクリントックの新訳。
 傑作としかいいようがない。
 シャーロットはクマの縫いぐるみブルーノとどろんこ遊びが大好き。おばあさまからきれいなドレスの人形がプレゼントされます。ダリアと名付けられたその子は、シャーロットから見ればなんだかおとなしすぎで、元気もない。だから一緒にハードなどろんこ遊びをするのです。
 元気な女の子が、きれいなお人形さんを嫌いって展開じゃなく、その子と一緒に遊んで泥まみれの元気者にしていく発想が、なんて子どもに寄り添っていることでしょう!
 男の子たちに、ダリアをバカにされますが、友達をバカにされて黙っているわけにはいきません。シャーロットはダリアと一緒に男の子と競争して見事に勝ちます。だって、ダリアももう元気な女の子なんだからね。
 ラスト、おばあちゃんが訪ねてきて、汚れまくったダリアを見るのですが、そこもいいんですねえ。
 絵の風合いも文句なしだし、なんと幸せな絵本との出会いでしょうね。
 福本友美子も絶好調!
 そうそう、帯の折り返しが『どろんこのおともだち』のポストカードになっているぞ。(ひこ・田中)

『かしこいさかなはかんがえた』(クリス・ウォーメル:作・絵 吉上恭太:訳 徳間書店 2010)
 大昔、魚は陸に上がってくるわけですが、それを、ウォーメルは楽しい物語として仕上げてくれました。
 海には色々な模様、色々な形の魚がいたけれど、その中でなんか目立たないけど、かしこい魚。
 この魚は一度陸に上がってみたかった。どうしたら上がれるか? そうだ足を作ろう!
 そうしてこの魚は陸に上がってみるけれど…。
 新しい世界へのあこがれと知恵と勇気、そして陽気な物語。(ひこ・田中)

『ピンクのれいぞうこ』(ティム・イーガン:作・絵 まえざわあきえ:訳 ひさかたチャイルド 2010)
 大型ゴミから使えるモノを持って帰り、それを手直し自分のリサイクルショプで売ったりして、ネズミのドズワースは、のんびりとした生活を営んでいます。
 ある日いつもの大型ゴミ捨て場に行くとピンクの冷蔵庫があって、その扉にマグネットで付箋が。「絵をかいてみない?」って文字。冷蔵庫を開けると絵画セット。これは売れると持ち帰るのですが、お客が買いそうになると、なぜか断ったドズワースは絵を描き始めます。
 また大型ゴミ捨て場に行くと、冷蔵庫に…。
 こうしてしだいにドズワースは人生の楽しみ方を知っていくのです。
 イーガンの絵は、その語る物語のユーモアと呼応して、ゆったりと楽しげです。(ひこ・田中)

『六本足の子牛《カザフスタン共和国》』(森住卓 新日本出版社 2010)
 写真絵本「シリーズ核汚染の地球」の3。1が「マーシャル」、2が「イラク」。
 いったいどのようにしてその地域が核汚染となってしまったか、つまりはどのように大国のエゴがその地域に働いたかを、森住は語っていきます。
 写真はそれを告発するものよりむしろ、それでも生きていく人々の日常生活から選択されています。そこに森住の主張と願いが宿っています。
 カザフスタン共和国の場合特にソ連時代、核実験の実験場にされたわけですから、民族差別も色濃く存在します。(ひこ・田中)

『ポインセチアは まほうの花―メキシコのクリスマスのおはなし』(キョアンヌ・オッペンハイム:文 ファビアン・ネグリン:絵 宇野和美:訳 光村教育図書 2010)
 クリスマスが近づくと、あちらこちらにポインセチアが飾られて、なんだかウキウキします。
 この絵本の舞台はメキシコ。父親が失業して今年は弟にプレゼントも買ってあげられないピニャータ。
 イブの日、天使の像の声に従って、雑草を摘んでイエスに捧げるために持って行くピニャータ。こんなものでいいの? ところが教会に近づくとその緑の葉はいつしか真っ赤になって、華やかに彩りを添えたのでした。
 他のパターンの話もあるそうなのですが、当然のように思っていたポインセチアのある風景って、メキシコから始まった(原産地がメキシコ)のですね。
 ありがとう、メキシコ!(ひこ・田中)

『ともだちのしるしだよ』(カレン・リン・ウィリアムズ&カードラ・モハメッド:作 ダグ・チャーカ:絵 小林葵:訳 岩崎書店 2010)
 ヘシャワールの難民キャンプを舞台にした友情物語。
 人々が群がる救援物資から、リナがなんとかゲットしたのは黄色いサンダルの片方だけ。そして、もう片方をゲットしたのは別の少女フェローザ。こうして二人は出会い、一日ごとに両方を履くという形で友情を深めていきます。
 やがてリナの一家はアメリカへと移住許可が出て、二人は離ればなれになることに。リナは靴を買ってもらいます。でも、友情に印に、フェローザはサンダルの片方をリナに渡すのでした。きっとまた会おうといって。
 難民キャンプという設定がなければ、ちょっと甘い展開かもしれませんが、逆に言えば何もないところでは、こうした助け合いも生まれるともいえます。
難民の現状に関心を持って欲しい人にとっては誤読になるでしょうけれど、そこに視点を移動して読んでもいい。(ひこ・田中)

『いろいろペンギン』(アントワネット・ポーティス:作 ふしみ みさを:訳 光村教育図書 2010)
 自身の白と黒と、黒い夜空と青い海しか見たことがないペンギンのエドナは、新しい色を見たいと思います。
 って発想に、まずやられてしまいますね。
 世界を発見していくことが、生きている意味(楽しみ)なわけですが、それをペンギンに託すことで簡単に、わかりやすく示してくれます。手抜きのためではない擬人化ですね。
 さて、歩いて行った先で、エドナが見つけたのは南極基地のオレンジのテント。そして、人間にもらったこれもオレンジの手袋。
 もちろんエドナはこれだけで満足するわけではなく、きっとまだまだ探していきますよ。
 何を?
 もちろん、世界を。(ひこ・田中)

『ダンスのすきなジョセフィーヌ』 (ジャッキー・フレンチ:文 ブルース・ホワットリー絵 三原泉:訳 鈴木出版 2010)
 楽しく生きることの喜びを一杯に表現した絵本。
 カンガルーのジョセフィーヌはジャンプより踊るのが好き。弟は、それじゃあカンガルーじゃないというのですが、気にしていません。バレエのプリマの踊りだってばっちり覚えました。
 町にやってきたバレエ団。ジョセフィーヌは見学に行くのですが、プリマがけがをして大変。そこで彼女代役を申し出ます。
 カンガルーが代役だって?!
 いいんです。踊れるんですもの。
 観客も大喜び。自分だって踊っていいのだと、元気いっぱいダンス、ダンス!
 ブルース・ホワットリーの絵のなんと躍動的なこと。(ひこ・田中)

『ひよこのアーサーがきえた!』(ナサニエル・ベンチリー:文 アーノルド・ローベル:絵 福本友美子:訳 文化出版局 2010)
 めんどりかあさんのひよこ、アーサーは、かあさんのあたまの上に乗るのが大好き。いつも一緒です。
 ところがアーサーが行方不明。
 めんどりかあさん必死で探します。
 親しいフクロウのラルフにも尋ねますがわかりません。でもラルフは夜目がきくので、夜探してくれることに。
 でもラルフ、ちょっとあわてんぼうですから、キツネに飛びかかったり、ネズミを捕まえたり、イースターの卵の辺りを探したり。
 果たして見つかることやら。
 もちろん幸せな結末ですが、67年でもまだこんなにのんびり話があったんですね。
 そして絵がローベル。それがとてもうれしい。(ひこ・田中)

『ワニあなぼこほる』 (石井 聖岳 イースト・プレス 2010)
 好調石井の新作です。
 一匹のワニが穴を掘り始めます。なんだなんだオレにも掘らせろ、てんでどんどんワニは増えていき、ジョベルカーまで出てくるわ、なんだか鉄骨で建物みたいなのが出来てしまうわ、もう大変な騒ぎ。
 この辺り、今の石井の勢いがよく伝わってきます。
 子どもたち、大喜びでしょうね。
 ただ、穴を掘り始めた理由は、最初の絵でわかりますが、こうなってくると、たかがそれだけのために、これでは環境破壊ではなかろうか? と見えてしまうのが難点。
 勢いそそのままに、物語のありようをどう構築していくかです。(ひこ・田中)

『おきゃく、おことわり?』(ボニー・ベッカー:ぶん ケイディ・マクドナルド・デントン:絵 横山和江:訳 岩崎書店 2010)
 友達絵本。
 クマはなんとなく人付き合いが悪くなり、今ではお客も来ません。
 そんな独り暮らしを本人は楽しんでいるつもりでしたが、ある日そこにネズミが現れます。
 追い出しても、追い出しても、ネズミはどこからか入ってきて、食べ物をくれだの、もっと部屋を暖かくしてくれだのと要求。
 それはおかしいくらいに何度も続き、ついに疲れ果てたクマは、部屋を暖め、ネズミとティータイムに。
 すると、なんだか心も暖かくなります。
 落着地点が見える物語ではありますが、そう思うのは大人故かもしれません。
 ケイディ・マクドナルド・デントンの絵は飛び抜けた特徴はありませんが、柔らかさに秀でています。
 今アメリカ人はこうゆう話を求めているんでしょうね。(ひこ・田中)

『キンコンカンせんそう』(ジャンニ・ロダーリ:作 ペフ:絵 アーサー・ビナード:訳 講談社 2010)
 反戦というより非戦ユーモア絵本。
 戦が膠着状態。どでかい大砲を作ろうと将軍は、国中の教会の鐘と時計の鉄を接収する。
 さて、できた大砲で敵陣を破壊せしめんとするのだけれど、なぜか鐘の音がするだけなのだった。
 相手方の将軍も同じことを考えていたらしく、両方から鐘の音がするばかり。
 兵士たちは楽しくなり、踊り出し…。
 ネタとしては一つだけだが、この手の作品は一つの方が、インパクトがあっておもしろい。
 ペフの絵も皮肉十分。
 「キンコンカン」という鐘の響きだけが、聖堂の鐘としては違和感あり、か。(ひこ・田中)

『おかのうえのギリス』(マンロー・リーフ:文 ロバート・ローソン:絵 こみやゆう:訳 岩波書店 2010)
 1938年作のスコットランドを舞台にした、ちょっと愉快な絵本。
 ギリスの母親は谷暮らしで牛を飼っていました。父親は山暮らしで、鹿を撃って暮らしていました。
 だからギリスはいつか、谷か山かどちらかで暮らさなければなりません。そこで、一年ごとにそれぞれの土地で暮らしてみます。
 谷では、牛飼いの仕事。でも声が小さいと牛が集まりません。そこで大声を出したギリスの肺は大きくなっていきます。
 山では静かにして鹿を待ちます。だから息を止めていなければなりません。いつのまにかギリスの肺はたくさんの空気を溜めることができるようになります。
 さて、時は流れ、谷で暮らすか山で暮らすか決めなければならなくなります。困ったギリス。
 さて、彼はどうするのでしょうか?
 お話のおもしろさは申し分なし。ロバート・ローソンの絵も、まだ絵本とも挿絵ともつかない微妙な描き加減が、今ではもう不可能な雰囲気です。
 今、こんな絵本を作る意味はないでしょうが、今この絵本を出す意味はあります。力強い絵本の土台の一つを知るために。(ひこ・田中)

『ひろった・あつめた ぼくのドングリ図鑑』(盛口満:絵・文 岩崎書店 2010)
 日本には十七種類のドングリがあるそうですが、見開き数ページ、もう、色んな形のドングリだらけ。同じ種類でも色々な形があるんですね。くらくらします。
 「ちしきのぽけっと」シリーズは、世界は広い、世界は知らないことがいっぱいある、だからもっと生きなきゃというのが背後にあると思いますが、この絵本でもそれはいえます。
 海岸で拾ったり、町中で拾ったり、世界中で拾ったり、楽しそうです。(ひこ・田中)

『あきのあそび』(竹井史郎:作 笹沼香:絵 岩崎書店 2010)
 「季節・行事の工作絵本」の2です。
 どんぐりから枯葉、ペットボトルまで、色んな遊びが一杯です。
 季節という視点で遊びを分けますから、当然季節感のある物が多くなるのですが、それが手に入りにくくなっていることと、それで遊ぶ空間がなくなっていることと、遊ぶ友達が少なくなっていることと、遊ぶ時間がなくなっていること。
 困難の多さに気づかされてしまいますが、気づけることも大事でしょう。(ひこ・田中)

『天才たちの びっくり!?子ども時代』(ジャン・ベルナール・プイ アンヌ・ブランシャール:著 セルジュ・ブロッシュ:絵 木山美穂:訳 岩崎書店 2010)
 天才すべてが、子ども時代からヘンなやつとは限りませんし、ヘンなやつが天才になるとも限りませんが、この本は、後にすごいやつと認められた人々の子ども時代の変わったエピソードを、本人が語るという形式で描いています。
サブ資料も割とちゃんと入っているので、知らない人物でも読めるでしょう。というか、知らない人がいたら、その人の作品や業績を調べていってみてください。おもしろい連中ばかりなので、あなたの生活が拡がるでしょう。
 その意味で、中学の図書館にはぜひ置いて欲しいなあ。世界は広いのが子どもたちにもわかり、元気がでるから。
 絵もコラージュが愉快だし、分かりやすくていいよ。(ひこ・田中)

『鳥に魅せられた少年 鳥類研究家オーデュボンの物語』(ジャクリーン・デビース:分 メリッサ・スウィート:絵 小野原千鶴:訳 小峰書店 2010)
 オーデュボンの伝記絵本ですから、そんなにはみ出した物語はありません。でも、しらなかったことは結構ありました。
 メリッサ・スウィートの絵が素晴らしい。個性豊かにとは言わないけれど、鳥が好き、鳥を好きな人が好きってのがにじみ出ていて、うきうきしてくるのです。
 この絵描きを使った編集者の勝ち。(ひこ・田中)

『ドラゴン学―ドラゴンの秘密完全収録版』(ドゥガルド・A. スティール:編集 今人舎 2010) おおまじめにドラゴン学をしているかのように、愉快に装った仕掛け絵本。サンプルにドラゴンの表皮も添付だぞ。
 世界中のドラゴン伝説もしっかしと手際よく紹介し、本当と嘘のあわいで描かれた絵本です。
 なんたって、楽しいのがいい。(ひこ・田中)

『おじさんとすべりだい』(たにぐちくにひろ:ぶん むらかみやすなり:え ひさかたチャイルド 2010)
 動物園の動物たちが、公園の滑り台を、一匹ずつ滑ります。
ヘビは滑り台に巻き付きながら滑ってしまうし、なまけものは上までなかなかたどり着けないし、なんか滑り台をスーッと気持ちよくって感じじゃないのが良いですね。
 最後に登場したおじさんは、スキーのジャンプ台と間違えておりますしねえ。
 よろしい、よろしい。それでよろしい。(ひこ・田中)

『バニラソースの家』(ブリット ペルッツィ&アン・クリスティーン ヤーンベリ:文 モーア・ホッフ:絵 森信嘉:訳 今人舎 2010)
 アルツハイマーの祖母を描いた絵本。
無表情な祖母の顔をスケッチ画で、その服や道具や背景をプリント柄や写真のコラージュで描くモーア・ホッフの手法には、画家として言葉が十分に込められている。
 物語は、祖母を大好きな男の子を視点に、解説的な言葉も交えて、同情や哀れみなどかけらもなく、ただ事実への思いやりにあふれています。(ひこ・田中)

『ひとつ』(メーク・ハーシュマン:作 バーバラ・ガリソン:絵 谷川俊太郎:訳 福音館書店)
1またはひとつという概念を、様々な事象事例から伝える絵本。「かぞえきれないほどほしはあるけど そらはただ1つだけ」「たねは500こ あるかもしれない でもかぼちゃは1こ」という具合です。
だからそこに寓意や、世界観などを読み取ることもしたくなります。
でも、谷川が、フラットに訳しているように、ごくごくフラットに「1」を抱きしめればいいのではないでしょうか。
ガリソンの絵だって、きっとそう言っています。(ひこ・田中)

『おばあちゃんがいなくなっても…』(ルーシー・シャーレンベルク:作 フェレーナ・バルハウス:絵 ささき たづこ:訳 あかね書房 2010)
 大好きな祖母との時間を描き、その死を描き、そして事実を受け入れるまでを、とても淡々と描いています。
 大好きであればあるほど、その死はつらいものですが、同時に幸せな思い出も多いものです。
 つまり、欠落感は決して空虚ではなく、大切な思い出やつながりとのアクセス方法が変わっただけなのです。
 新たなアクセス方法がわかれば大丈夫。おばあちゃんはずっとそばにいます。(ひこ・田中)

『ごちそう くろくま』(たかいよしかず くもん出版 2010)
 キャラをへたにいじらないたかいのシリ−ズ五作目。そろそろ苦しくなる最初の峰です。つまり、キャラをキャラクターとして動かしたくなる。
 今回、おじいちゃんからかぼちゃが送られてきました。だから作品のベースの色はかぼちゃ色です。
 くろくまくん、これでどんな料理を作ろうかと悩むのですが、最初に浮かんだのはスープ。これはまあ、傑作絵本『かぼちゃのス−プ』があることですし、避けましょうね。
 で、コロッケを作ってリスに振る舞うことを考えますが、リスはコロッケより、かぼちゃをそのままあげたの方が喜ぶかも? そこで、想像の中ではかぼちゃが増えている。
 って辺りから、もうかぼちゃがいっぱいあったら、色々なものが作れて…と、イケイケ状態。
 さてさて、そこからのオチは?(ひこ・田中)

『にんじんケーキ』(ノニー・ホグローギアン:作 乾侑美子:訳 評論社 2010)
 ウサギの新婚夫婦。オスは今日、外であったことなど色々話すが、メスはそれに「あら、そう」としか応えられません。オスはついに怒り出すのですが、そんな怒り出すオスにメスも怒り出し、たたき始めます。
 オスの一方的情報への異議申し立てですね。
 七七年作。結構、フェミニズムをしています。(ひこ・田中)

『みみずくミミーの あみもののたび』(ホリー・クリフトン-ブラウン:作・絵 おびかゆうこ:訳 徳間書店 2010)
 毛糸の編み物大好きミミーですが、友達にプレゼントしても、色合いがはでだとか、なかなか喜んでもらえません。それでめげないミミーはえらい。
彼女、よろこぶ生物を探して旅へ出ます。砂漠じゃ暑がられるし、傘を作っても雨が染みるし、なかなか見つけられませんが…。
 幸せな結末です。
 ホリー・クリフトン-ブラウンの絵は、構図も割方も巧くて、ページごとに楽しめます。(ひこ・田中)

『もりのおくの おちゃかいへ』(みやこし あきこ 偕成社 2010)
 まず、閑かなざわめきにあふれた木炭画を堪能しましょう。
 物語は、森にあるおばあちゃんの家に出かけたお父さんがケーキを持って行くのを忘れたので、キッコちゃんがおかあさんに頼まれるところから始まります。赤い帽子ですから、赤ずきんですね。
 ケーキを落として傷めてしまったキッコちゃんしょげて訪れたのは、動物たちのお茶会。ここはアリスみたいですね。でも、いかれた帽子屋と違って、動物たちは親切で、それぞれのケーキをわけてくれます。
 こうして幸せなラストへと物語は進みます。
 非常に力のある画。物語がもう少し安全策を捨てて、不穏になればすごくなる作家ですね。(ひこ・田中)

『もりもりくまさん』(長野ヒデ子:作 スズキコージ:絵 すずき出版 2010)
 歌手となった長野さん、もうノリノリで、この絵本でも「もりもりくまさん、もりのなか、もりもり!」と、意味不明に楽しく歌いまくります。それをスズキコージが絵で追いかける。
 さすがのスズキコージも、長野ヒデ子に押され気味。
楽しいなあ。(ひこ・田中)

『アデレード―そらとぶカンガルーのおはなし』(トミー・ウンゲラー:作 池内紀:訳 ほるぷ出版 2010)
 ウンゲラー、八〇年の作品。翼を持って生まれてきたカンガルーって発想にまずやられてしまいます。さて、アデレードは両親を分けれて、空を飛び、旅に出ます。彼の安住の地、幸せとは? ウンゲラーはフランス生まれですからねえ。(ひこ・田中)

『カギ』(こばやしゆかこ ぶんけい 2010)
 ネコのふう太くん。帰ってきたらポケットにあるはずのカギが見つからない。あ、でも玄関の扉に鍵穴も違うみたい。と、そこから手が伸びてきて、部屋の中に引きずりこまれ…。
 ここからはアリスもどきの、カギの不思議な世界に紛れ込みます。
 この辺りの展開も絵創りも、構成も、なかなか見せていきます。
 最後が普通に着陸したのがおしい。小さくまとまらなくても、この絵なら、もっと過激でも大丈夫です。(ひこ・田中)

『ゴー・ゴー・ゴール!』(さこんらんこ:ぶん かべやふよう:え フレーベル館 2010)
 文、絵、共にとても勢いのある作品。
 「ぼく」はサッカーが苦手。でも大好き。今日もみんながやっているのを見ていると、ボールが転がってきた。蹴ろうかな? 蹴ってしまえ!
 あらら、へんな方向に転がって…。
 ここまで物語の段取りができたら、あとはもう、イケイケです。
「そこまで、転がるんかい!」って展開。
 そして、そして、ついに、ついに、(ひこ・田中)

『赤い大地 黄色い大河 10代の文化大革命』(アンコー・チャン 稲葉茂勝:訳 今人舎 2010)
 文化大革命を子どもの頃に経験した著者による絵本。
 子どもである著者は、紅衛兵にあこがれるが、父親は物描き故、紅衛兵によって批判の対象となり、名誉も地位も失う。
 そして、著者もまた、虐げられる。
 そんな日々が描かれていく。
 文化大革命という政治の愚かな失敗を記録にとどめる絵本。
 反日教育の絵本も読みたい。(ひこ・田中)

『こぐまのはっぱ』(ほんままゆみ:さく ちばみなこ:え 小峰書店 2010)
 こぐまが見つけたはっぱは、カボチャでした。こぐまは大切に育てますけれど、食べたい動物は他にもいて、さてどうしますか。
 非常にフラットに進む絵本。もう一つ、危機が欲しいかな。(ひこ・田中)

『くまのコードリーまいごになる』(B.G.ヘネシー:文 ジョディー・ウィーラー:絵 浜崎絵梨:訳 小峰書店 2010)
 リサちゃんのお気に入り縫いぐるみ、クマのコードリーくん。リサちゃんのお誕生日にプレゼントをあげたいとお外に出るのですが…。
 少しノスタルジックな絵が安心感を誘い、幸せな結末まで、巧く降りていきます。(ひこ・田中)

『ヤマダさんの庭』(岡田淳 BL出版 2010)
 仕事を引退した人でしょうか、ヤマダさん。なんだかすることがない。扉を開けると、あ、自分の家には庭があったんだと気づくところから、新しい、楽しい人生の再スタートです。
 少し読者を置いてきぼり感があるのは気になりますが、ホノボノ感に岡田ファンなら満足でしょう。
 教員仕事を終えた岡田の新しい出発の1つでもあるのでしょう。(ひこ・田中)

『森の海のとびうおダンサー』(こうやちかこ:絵 ふかやあきと:文 角川学芸出版 2010)
 森で生きるルシアは歌って踊るのが大好き。海を見たことがない彼女、長老から海は青いと聞かされて空を見上げ、魚が泳ぐ姿を想像しています。
 ある日森の中を泳ぐトビウオ! 大きな大きなトビウオ。ルシアは一緒に踊ります。でも、ずっと一緒にいたくって、水槽に閉じ込めてしまう。しだいに元気をなくし小さくなっていくトビウオ。もはや、放しても飛べません…。
 この辺りまでの物語と絵のイメージはなかなか素敵。
 でも、そこから失速していくのがとても残念。ギター弾きが現れて、主役を奪ってしまう。
 これは文のふかやあきとがシンガーソングライターだからでしょうか? がまんしなくちゃあ。歌ではなく、絵本なんだから。ここは編集者の調整力かな。
 こうやちかこは、もっと自由に描けば、伸びていく絵描きでしょう。(ひこ・田中)