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【児童文学】
『勇気の季節』(ロバート・B・パーカー:作 光野多恵子:訳 早川書房 2010)
 パーカーと言えば若い頃からスペンサーシリーズの愛読者でした。『初秋』は傑作で、もう、ホント良いです。
 ところで、亡くなっているのを、役者の光野さんに教えてもらうまで知りませんでした。まだ70歳。若すぎる。
 しかも、ついにパーカーがYA小説を書き始め、これが第二作。そして心臓発作での突然の死。
 もっと書いて欲しかったですが、『勇気の季節』を残してくれただけでも、大感謝です。
 テリーは15歳。母子暮らしで、貧しい生活ですが、彼が今夢中になっているのはボクシング。元プロの黒人ボクサーのジョージに教わっている最中です。幼なじみのアビーとは友達から恋人への変わり目の微妙な時期。アビーはボクシングを暴力と見ていて、テリーが夢中であるのを快くは思っていません。
 って辺りまでだけなら、イーストウッドの映画見たいですが、そこはパーカー。
 親友でもなんでもない同学年の男の子の死体が海岸で見つかります。警察は自殺と断定。ステロイドを大量に投与していたこともスキャンダラスに報道されます。つまり、そういうやつだったというわけ。
 でも、テリーは違和感を覚えます。わずかでも知っているジェイスンはステロイドなど使うようには思えない。自殺するようにも思えない。
 調べ始めるテリー。と校長から呼び出され、首を突っ込むなと暗に言われ、またフットボールで大学に推薦入学が決まっているマッチョ上級生からは脅しをかけられる。
 やはり、何かがおかしい。
 アビーも加わり、謎の解明へと進んでいきます。
 ミステリーそのものがすごいのではないのですが、導師役のジョージの言葉一つ一つが、人としての矜恃について15歳に真っ直ぐ気持ちよく伝えているところや、テリーとアビーの今後も巡る互いの気持ちの進展が素直な筆致で描かれていく辺り、ハードボイルド研究で博士号を取り、自らもハードボイルドを書き続けたパーカーが最後の仕事として、YA小説を選んだ思いが、とても良く伝わってきます。

『この世の涯てまで、よろしく』(フレドゥン・キアンプール:作 酒寄進一:訳 東京創元社 2011)
 ピアニストのアルトゥアは、カフェでコーヒーを飲んでいた。
 ん?
 ちょっと待て。自分はもう死んでいるはずだ。何故まだ生きている?
 そうではなく、また、生きている! それも五十年後の世界で。
 幽霊としてよみがえったアルトゥアは、音大生たちと親しくなり彼らと暮らすことに。
 でも、彼のモラルでは信じがたいことばかりが蔓延しているし、演奏の解釈も違うし、居心地がいいわけではない。とはいえ、ピアノの腕一本でサロンを渡り歩いていた身としては、寄生虫のような生き方は慣れっこ。
 親友だったパヴェルもよみがえっていることを知る。一緒に殺されたはずなのに。でも、親友もよみがえったのは心強くあるのだが、ショパンをエロティックに解釈した演奏をした若きピアニストが殺され、彼らはもう一人がよみがえっているのを知る。戦時下、戦後と逃げ回って結構おいしい生活をしていた彼らと違い、戦い抜いて死んでいった彼が……。
 これを機会に、様々な解釈のクラッシック演奏を聴くもよし。
 時を超えて生き延びていく音楽のしたたかさを楽しむもよし。
 戦争を描き込んだ、音楽ミステリーです。

『「けんぽう」のおはなし』(井上ひさし:原案 武田美穂:絵 講談社 2011)
 井上が子どもたちに話した『井上ひさしの子どもたちに伝える日本国憲法』を元に、武田が描き単行本化。
 子どもに向けてだからではなく、ただただ井上の言いたいことはシンプルです。個々の自由を守りつつ社会を維持していくことの大切さと、そのベースとして憲法は大事だよ、です。
 憲法改正(特に九条。というか九条)話が持ち上がる昨今、落ち着いて考えてみるには、大人にも使える本です。この本は子どもへの語りかけですから、大人も子どもたちのことを念頭に置きながら考えることができますので。

『ヘビとトカゲ きょうからともだち』(ジョイ・カウリー:作 ガヴィン・ビショップ:絵 もりうちすみこ:訳 アリス館 2011)
 トカゲとヘビがともだちになるのですが、互いに自慢好きでもあるので、結構対立したり。
 そんな二匹の愉快な短いエピソードがたくさん納められています。
 何ほどのこともないといえば、そうなのですが、楽しく時間をつぶすには良い物語です。
 ガヴィン・ビショップの絵は、挿絵に徹していて、物語を巧く支えています。

『とらわれのフェルダ』(オンドジェイ・セコラ:さく・え 関沢明子:やく 福音館書店 2011)
 『ありのフェルダ』の続編です。
 黒蟻のフェルダは赤蟻たちに捕まってしまい、奴隷としてマルハナバチに売り飛ばされてしまいます。役目はハチが引き連れるラッパ吹き。そこから、フェルダは次々と売り飛ばされ、彼を救おうとやってきた二匹の黒蟻もなんだか頼りなく、果たしてフェルダの運命は?
 三〇年代のチェコ作品ですが、絵も含めてやはり懐かし目。危機があって、助かったと思ったらまた危機で、でも最後は無事収まるであろう雰囲気が最初から漂っています。
とはいえ、過酷さや、それを笑い飛ばしてしまえる強靱なユーモアなど、チェコ文化の香りは満載で、安全な童心などとは別物の世界です。

『くまのごろりん まほうにちゅうい』(やえがしなおこ:作 ミヤハラヨウコ:絵 岩崎書店 2011)
 水車小屋に住んでいるクマのごろりんくん、ありをからかったために、魔法をかけられ、ありより小さな体に。
 大好きな蜂蜜を運ぶハチも大きい大きい。
 どうしましょう。悲しいごろりんくん。
 果たして魔法を解く方法は?
 流れとしては、スムーズな物語です。
 でも、せっかくありより小さくなったのだから、それを戻すことの傾注するよりも、蟻より小さなくまの視点で色々展開してもおもしろかったのでは? 力関係が変わることで見えてくる大切なものがあると思うのです。
 そこが少しだけ残念。

【絵本】
『そうべえ ふしぎな りゅうぐうじょう』(たじまゆきひこ:作 童心社 2011)
 桂米朝の「兵庫船」「小倉船」をアレンジして、そうべえはんが帰ってきました!
 こない言うたら、征彦さんにも米朝さんにも怒られるのでしょうけど、二人ともよう長生きして、「じごくのそうべえ」よみがえらせましたなあ。
 そうべえさんたちの乗った船が転覆し、竜宮城らしきもんのたどり着いたはええが・・・・・・。
 いやいや、語りは征彦さんにおまかせしましょう。
 あほらしゅうて、おもろいですよ。

『非武装地帯に春がくると』(イ・オクベ:作 おおたけきよみ:訳 童心社 2011)
 春が来ると、おじいさんは非武装地帯の展望台に上ります。
 広い非武装地帯は、そこが人間にとってのなにであっても、自然、命に満ちあふれています。
 いや、皮肉にも人間の手が入らないからこそそこは、自然豊かです。
 ベルリンの壁のウサギも有名ですが、広さはその比ではありません。
 イ・オクベはその豊かさを丹念に描くことで、まっすぐに平和を描いています。

『エイミーとルイス』(リビー・グリーソン:ぶん フレヤ・ブラックウッド:え 角田光代:やく 岩崎書店 2011)
 エイミーとルイスは大好きと大好き。いつも一緒に遊んでいます。相手がいないときは、秘密の呼びかけをすればすぐにかけつけてきます。
二人の子ども遊びは使う道具まで事細かく、実に具体的に画かれていて、楽しさが際立ちます。ここは両作者の腕を堪能できます。
物語は、エイミーの引っ越しという悲しい事態へと展開していきますが、それを安易にランディングさせずに、熱い思いと現実のあわいで、見事に寸止めされています。
寂しさは解消されなくても、大好きであることは失われない、と。

『カワウソ村の火の玉ばなし』(山下明生:文 長谷川義史:絵 エルくらぶ 2011)
 筑紫地方に伝わる昔話。
 カワウソ村人々は他から見下されていて、年に一度の宮相撲への参加も、汚れるからと許されていません。
 優勝候補は傲慢で力自慢の権助。挑もうとした才七はカワウソ村のもんというので、追い返されます。
 五人抜き勝負、四人抜いた権助に挑戦者は現れません。そこにほおかぶりした謎の男が現れ、権助を倒しますが、それは才七。彼は、追われます。
 被差別部落民話の一つです。
 山下の物語展開は、無理なく、さりげなく、差別をしっかりと伝えています。
 こうしたタイプの作品初挑戦の長谷川ですが、長谷川ですから、ピッタリはまっています。
長谷川さん、これからもこうした仕事をいっぱいしてください。

『ママのとしょかん』(キャリ・ベスト:文 ニッキ・デイリー:絵 藤原宏之:訳 新日本出版社 2011)
 今日、リジーはママと一緒に図書館へいきます。ママは司書なのです。そんなママをリジーは尊敬しているし、今日はそのお手伝いが出来るのですからウキウキ気分は盛り上がり。
 絵本は、図書館の仕事内容、読み聞かせのこと、子どもが親の仕事を手伝う喜びなど、快調に描いていきます。
 ただ、ママと歌う、「あかしんごう、あおしんごうだ。ワン、ツー、スリー」という歌が、最初と最後に決め文句としてでてくるのですが、これがわかりにくいのが残念。

『アートびっくり箱 障がいのある子どもの絵画指導』(金子光史:著 学研 2011)
 障害児の絵画指導を具体的にいくつも示す好著。
 障害を一つの個性と考えるのは疑問ですが、絵画を自由に表現する、つまりは精神解放の手段として捉えている点は、アートへの真っ当な対応であり、そのことは、示されている作品を見れば誰の目にも明らかです。すてきな作品が満載です。
 が、これが「障がいのある子どもの絵画指導」書であるのならあまり意味はありません。そうではなく、これは「子どもの絵画指導」書です。

『よるのえほん』(バーバラ&エド・エンバリー:作 木坂涼:訳 あすなろ書房 2011)
 お眠り前の絵本です。
 出てくる北斗七星も、ライオンもトラも、クジラも、子どもたちにとっては遠い現実です。
 だからここでは、絵のイメージと言葉のリズムで心地よさを導いていきます。
 最後まで読み切る前に眠れたら最高ですね。

『ねむれない ふくろう オルガ』(ルイス・スロボトキン:作 三原泉:訳 偕成社 2011)
 不眠症のオルガ。どうしていいかわからない。そこで色んな試みをし、友達動物が意見を出しますが、効果なし。
 つぐみがやってきて、歌を教えてくれます。
 これがまあ、よく眠れる。最後まで聞けない、歌えない。
 そんな愉快なお話を、五〇年代の色合い、画風でお楽しみください。

『おたんじょうびまで あと なんにち?』(アンバー・スチュアート:文 レイン・マーロウ:絵 ささやまゆうこ:訳 徳間書店 2011)
 子どものことから誕生日とか、記念日は嫌いだった私ではありますが、待ち遠しい子どもの気持ちは想像できます。
 この絵本は、こねずみのチュウくんが、待ち切れないお誕生日までの日々と、当日の喜びを優しく描いています。
 レイン・マーロウの、こねずみ視点での絵がとても良いですよ。

『しっぽ。しっぽ。しっぽっぽ』(木曾秀夫 フレーベル館 2011)
 シンプルで、よくわかって、なおかつおもしろい仕掛け絵本。
ネズミのシッポがゴム紐で付けられています。で、ピージを繰ると、シッポは見開きいっぱいに伸びていて、それでカバさんの虫歯を抜いたり、ワニさんの長さを測ったり。てなことになっています。
仕掛けは肝胆で初めのページから最後のページまで小さな穴を開けてネズミのシッポに見立てたゴム紐を通してあるだけなのですが、それが妙におかしく、クスクスとなってしまいます。
大ベテラン木曾秀夫さんの職人芸です。

『エラのがくげいかい』(カルメラ・ダミコ:文 スティーブン・ダミコ:絵 角野栄子:訳 小学館 2011)
 それぞれら個性を発揮して得意なことを発表する学芸会。でも子ゾウのエラには、自信のある芸なんてなくて、なんにもすることがなくて……。そんなエラが見つけた得意なことは?
 ここには、子どもが自分を認めるための大事なヒントが描かれています。
それは良いとして、大人は、「個性の時代」のシンドさも考えたいですね。

『かなしいときには』(コーネリア・モード・スペルマン:文 キャシー・パーキンソン:絵 牧野・M・美枝:訳 PHP 2011)
 子どもが感じる(大人もですが)、様々な「悲しい」を描いていきます。
 こうした絵本は、「そうそう、そうなんだ」と共感を得やすいですね。
 大人に無視されたとき、好きな人が帰ってしまったとき、大切な物をなくしたとき。
 「悲しい」を具体化することで、子どもがそれを大人に伝えやすくできるようになります。
 そこはきちんと描けているので、作者の親への説明は余分。

『世界一ばかなネコの初恋』(ジル・バシュレ:文・絵 いせひでこ:訳 平凡社 2011)
 世界一ばかな、「わたし」のネコが大きくなりすぎて、とうとう家を引っ越すことに。
 大きな庭にお屋敷。もうこれで十分だよね。
 快適に過ごす世界一ばかなネコさん。そして彼は、新しい家の近所に住む運命の人(ネコ)と出会い、恋に落ちる。
 相手もまんざらでもなくて、たちまち仲良しに。二匹でゴロゴロ、なめたり身を寄せて眠ったり。
 でもね、世界一ばかなネコさん、彼は実はゾウなのでしたとさ。
 ま、いいんじゃない。仲が良いんだし。
 どうしてもそれをアムールにしたいのがフランス人ってこと。

『ぞうくんの はじめてのぼうけん』(セシル・ジョスリン:作 レナード・ワイスガード:絵 あかね書房 2011)
 50年前の昔の絵本です。
 といっても50年前の昔の絵本とは、私の頃の絵本です。
 子どもがいかに家族の中で守られ、家族が機能しているかが、きちんと描かれています。
時代的にまだジェンダーは意識されてはいませんが、これは致し方なし。というか、「専業主婦は幸せよ。だから女はなりなさい」キャンペーン(実はこのキャンペーンの大きなスポンサーの一つが電力会社だったのです。家庭で日中、家電で電気を消費する人間として専業主婦は作られるのね。だから、福島原発事故の今は、そこから脱出のチャンスです)がまだまだ盛んな時期ですからね。
 それはともかく、ぞうくん、今日はぼうけんに行くぞとおおはりきり。忙しく家事をしながらもママは、ぞうくんを止めるのでなく、ぞうくんをはげまし、色々アドバイス。そして剣も持って、食料も持って、準備が整ったことを、ぞうくんは、くつろいでいる祖父母やパパに見せて、さあ、出かけるぞ!
 そこで、ママ。出かける前に歯磨きね。
 さて、ぞうくんのぼうけんの行き先は!
 家族の中の子どもの位置がしっかりあった時代の絵本です。
 ご賞味あれ。

『おそろしいかえりみち』(うえつじとしこ 大日本図書 2011)
 あきっぽい魔女さんは、魔女の村にも飽きて、一〇〇年間帰らないほうきに乗って、別の村へ。
 さあ、何をしましょう。
 みんなであやつり人形劇団を作ることになり、練習をして、旅回り。これなら飽きないね。
 ところが、なんだか妙な屋敷に入ってしまい、そこは色んな家具や食器が恨みを抱いている恐ろしい所で・・・・・・。
 この恨みがとてもよいです。
 画は、ページごとに奔放に描かれていき、飽きませんよ。

『ミャオせんせい きんきゅうしゅつどう!』(サム・ロイド:さく ふしみみさお:やく BL出版 2011)
 ミャオせんせいの病院はいつも色んな動物の入院患者でいっぱい。
 猫のドラが怪我をしたとの情報で救急に出かけます。
 小鳥を捕まえようと木に登って落ちたらしい。
 小鳥さんとドラの中はどうなるのでしょうか?
 物語はシンプルですが、サム・ロイドのコミックタッチでありつつ、温かな絵が見物。

『うっとりはなにみとれたら』(内田麟太郎:文 渡辺有一:絵 文研出版 2001)
 内田らしい、詩のリズムでほっこりとなごませつつ、ブラックも入った作品。
 花に見とれた動物たちが、優しい気持ちになってしまったり、ぼんやりしたりして、起こる不思議。
 命の絵本といえますが、それではつまらない。
 ここは、フフフと笑いましょう。

『バシリスク』(嶋田忠:文・写真 「たくさんのふしぎ」七月号 福音館書店 2011)
 一九九五年、カメラ片手にコスタリカへ出向いた嶋田さん。もうノリノリです。だってもう、撮りたい、撮りたい、被写体が山のようにあるのですから。ながめていて、こっちまでアドレナリンが出てきてしまいましたよ。
 なんといったって、バシリスク。水上を走ることの出来る、あいつです。
 なんて愛おしそうに撮っていることでしょう。
 そんな嶋田さんでも、バシリスクが水上をなぜ走れるかを写真に納めるのは苦戦。そこもおもしろい。
「やっぱり、生き物っておもしろいなあ」と子供に思ってもらえれば、もうOKです。

『くつのうらは ぎざぎざ』(百木一朗 「かがくのとも」七月号 福音館書店 2011)
 タイトルがいいですね。わかりやすいのもあるけど、興味が湧いてくる。あのぎざぎざがなぜ付いているかはだれでも判るけど、もう一歩踏み込んで知りたい!
 結構直球で解説されています。滑らないためとか、間に隙間があるには靴が曲がりやすいようにとか。
 もう少し専門的なことが知りたいなあ。それと、ギザギザの種類手いろいろありますが、あれが単なるデザインなのか、意味があるのかとかね。
 各スポール別シューズのぎざぎざの微妙な違いにもきっと意味があるのだろうし。ないならないというのでもいいし。
 「かがくのとも」の読者ならそこまで解説しても理解できると思うけどなあ。

『こちょこちょ』(福知伸夫 福音館書店 2011)
 赤ちゃん絵本です。
 タイトルでもう、わかりますよね。こちょこちょ物は結構ありますが、やっぱり、
 こちょこちょは楽しい。
 カエルやにわとりまで、こちょこちょ。
 彼等が、こちょこちょで、人間と同じ反応をするわけではないけれど、反応させて描いている福知さんがすてき。

『ちいさなふね』(笠野裕一 福音館書店 2011)
 これまでの作品でもそうですが、笠野はできるだけ作家性を隠して、描きます。
 今作ではちいさなふねが主人公ですから、とうぜんこのふねが読者(読み聞かせの聞き手?)でもあります。
 ちいさいけれど、おおきなふねと一緒に走って楽しそう。
 ちいさいからイルカとだって遊べちゃいます。
 ちいさいことの喜びが伝わりますよ。

『世界は気になることばかり』(五味太郎 偕成社 2011)
 デビュー以来ずっと五味は、言葉、色、風景、感覚などなどを強調して、「世界」の見え方、見方を色々と工夫して描いています。作品に時代性が見えないというか古びないのはそれ故。
 今作では、ごく普通に日常の片隅で、ひょっとしたら起こっているかもしれない不思議を、画面で探して遊びます。日常と極小のファンタジーの組み合わせです。結構怖い事もちゃんと入っています。

『たいせつなてがみ』(マックス・ベルジュイス:絵・文 のざかえつこ:訳 セーラー出版 2011)
 ライオンの王様が、アメリカ大統領に手紙を出します。ワニくんは自分が運ぶといいますが、やはり郵便でということになり、心配で、心配でたまらないワニくんは自転車で、ちゃんと手紙が着くかを確かめるためにアメリカまで走るのだ。
 世界巡りをしながら、手紙より先に着いてしまうワニくん、すごい!
 マックス・ベルジュイスの温い絵をお楽しみください。

『みるなのへや』(広松由希子:ぶん 片山健:え 岩崎書店 2011)
 広松の昔話シリーズの一巻。
 ウグイスに見るなと言われて、襖をどんどん開けていくお話ですね。
 異類婚姻譚パターンもありますが、ここでは季節を巡る不思議や意外性に焦点を当てています。
 片山の絵が温和しめなのは、季節を描くためでしょう。

『わたしのかえり道』(矢口加奈子 秋田書店 2010)
 雨の日、小学生の女の子が下校していく姿を描きます。
 描きますと言いましたが、切り紙で出来ています。
 その味わいは、はさみ使いの切り口が手作り感を高めると同時に、パターン切りの無機質さが、独自の世界を作ります。
 人間の姿も、筆よりずっと不自然さがあり、それが「リアル」への拘束から心地よく解放してくれます。

『こうえんのかみさま』(すぎはらともこ 徳間書店 2009)
 夏、けんちゃんたちはわたしとあそんでくれません。きっとけんちゃんたちのように虫取りできればいいと公園で網を振り回すと、お、トンボを捕まえた。
 これでけんちゃんと遊べる。
 ところがトンボと思って、虫かごに入れたのは、小さな飛行機に乗ったこうえんのかみさまなのでした。
 かれは公園のさまざまなことが巧く運ぶようにしているのに、このままでは大変なことになるから早く出してくれというのですが・・・・・・。
 輪郭を強調したマンガ(松本大洋)風の絵で語られる物語は好調そのもの。
 夏の日がそこにあります。

『おしっこしょうぼうたい』(こみ まさやす:作・絵 中村美佐子:原案 ひかりのくに 2011)
 まず、タイトルで勝ち。
 仲良し男の子三人組は、消防士ごっこで遊んでいます。
 あんまり夢中になっていたので、おしっこが間に合わず漏らしてしまう。
 そこで幼稚園の先生が考えた。段ボールで消防車を作って、おしっこしょうぼうたいとなり、したくなったら、すぐに現場(トイレ)に駆けつけるという段取りです。
 とても素直な展開絵本。ま、男の子向けですが。

『ルコちゃんがいく』(間部香代:作 市居みか:絵 すずき出版 2011)
 三輪車に乗ったルコちゃんは無敵です。泣く子をなだめることも、パフォーマーに負けない芸も、どんどんできてしまいます。
 三輪車で走り回るルコちゃんの勢いだけで突っ走る、痛快絵本です。
 市居の画はピタリ。

『山猫たんけん隊』(松岡達英 偕成社 2011)
 子どもたちと一緒に、西表島へとやまねこ探検へでかける、松岡ならではの作品。
 といったからといって、探索の冒険が描かれるわけではなく、あくまで自然とともに暮らす時間を子どもたちに体験してもらいます。
 コマ割りとイラストを巧みに活かして、物語と探検日誌と解説を兼ねています。
 最後に感動も待っていますよ。

『ほげちゃん』(やぎたみこ 偕成社 2011)
 絵そのものは個性際立つ感はないけれど、やぎたみこは、やはり巧い作家です。
 おばさんから送られてきた手作りのぬいぐるみ。おとうさんはカバだと思い、それからほげちゃんなんて名前を勝手につけてしまいます。それでもゆうはほげちゃんが大好きになって、いつも一緒に遊びます。大好きになって、といったって幼児ですから、ぬいぐるみにとってその遊びはほとんど虐待みたいなもん。
 家族が出かけたとき、ほげちゃん、ついに決起します。この汚さはなんだ! だいたいぼくはカバではなくクマだ。
家の中を散らかしたり、冷蔵庫をあけたり色々するのですが。庫内のお魚を見つけた飼い猫ムウがジャンプ! ぬいぐるみのほげちゃんは、ケチャップかけられ、ダウン。
 みじめ。
 さて、結末は?

『ころころ にゃーん』(長新太 福音館書店 2011)
 「こどものとも0.1.2 2006年 04月号」単行本化。
細字のピンクのマジックペンで描かれています。
 お腹を床に着けて寝ているネコの背中に、しっぽの方から「ころ ころ」と丸い玉が一つ。
 何かしら?
 次のページではすでに背中に二つの丸い玉。「ころ ころ。ころ ころ」
 あれ、どちらにも小さな突起が二つ。
 何かしら?
 ページを繰ると、子ネコでした。「にゃーん にゃーん」。
 わかったところで、眠る母ネコ。背中には3つ、4つと「ころ ころ」が増えていき、「にゃーん にゃーん」。
 と、4つの玉は転がって行き、何やら大きな玉が、「ころ ころ」と母ネコの背中に、
 で、
「にゃーん」。
 乗られた母ネコは潰されています。
 はてさて、この大きな玉、大きなネコは誰でしょう?
 長さん自身でしょうか?
 どうであれ、「こどものとも0.1.2」用の絵本で、メスネコの上に乗っかるオスネコを描いてしまうところがすごい。
 もちろん、遺作になると意識されていたでしょうから、「しょうがない、父親であり、夫であったです」って、メッセージでもあるんでしょうね。

『りんごがコロコロコロリンコ』(三浦太郎 講談社 2011)
 まず、タイトルが秀逸で、表紙でもう、その楽しさはだいたい分かってしまって、だから、それを味わいたくてページを繰っていきます。
 こういう展開もありですねえ。
 リンゴを取ろうとしたゾウさん。でも取り損ねて、鼻から背中へと転がっていき、それが次々と色んな動物の背中を転がります。もちろんそのたびに、子とがる音は変わっていきます。
 シンプルで楽しい。さすがに三浦。

『ねむくなんか ないっ!』(ジャナサン・アレン:さく せな あいこ:やく 評論社 2011)
 誰が見てももう、ほとんど眠っているふくろうに子どもですが、本人はそれを絶対に認めない。
 リスさんが眠るのを奨めても、ネズミさんでも、色々言い訳をして、眠ろうとなんかしていなかったと言い張りますよ。
 酔っ払っていないって言う酔っ払い状態。
 でも、そこには起きていたいって言う、もっと世界を色々知りたいって言う願望が含まれているのです。
 っても、やっぱり……。

『パパのしごとは わるものです』(板橋雅弘:作 吉田尚令:絵 岩崎書店 2011)
 「ぼく」は、優しくて強いパパが大好き。でもどんな仕事をしているかは知らない。
 そこである日「ぼく」はパパも車にこっそり乗り込んで、仕事場へ。
 そこはプロレス会場で、パパはゴキブリのマスクをしたヒールだった…。
 展開はスタンダードですが、最後のパパの言葉など、子どもが親の仕事を受け入れていくための大事な作品となっています。
 一般的な仕事で、この話出来ないかなあ、板橋さん。
 吉田尚令の絵はいいな。

『ぼくたちの春と夏と秋と冬』(ピーター・レイノルズ:絵 ボブ・ラッチカ:分 ほむらひろし:訳 主婦の友社 2011)
 子どもの頃の四季を描きます。
 小川を岩でせき止めたり、蚊をやっつけようとして自分のほっぺたを思い切りたたいてしまったり、石ころをケリながら下校したり、そんなに大げさではないごく日常の一コマです。
 「頃」ってのがツボですね。今ではないけれど確実に存在した時間。

『妖精の国1001のさがしもの』(ジリアン・ドハーティ:作 テリ・ガウアー:絵 荒木文枝:訳 PHP 2001)
 さがしもの系もついに1001個まできましたか。すごいですね。
 見開きごとに、魔法のランプや空飛ぶ絨毯などの描かれている数が書かれていますから、探していきます。
 最後まで行くと、もう一つの指令が!
 描く絵描きに尊敬の念。

『みんなすてき!』(レオ・ティマース:さく・え かきうちいそこ:ぶん フレーベル館 2011)
 カラスのクローは他の色鮮やかな鳥たちにともだちになってもらえません。
 だから、ペンキで、次々とみんなと同じ色羽を塗るのですが却って不気味で怖がられ・・・・・・。
 レオ・ティマースのグラフィックの表情の豊かさと、であるにもかかわらず生々しさより、やはり無機質なタッチが不思議な雰囲気を醸し出しています。
 色遣いが巧いなあ。

『うみにいったライオン』(垂石眞子 偕成社 2011)
 人間の子どもと友達のライオンくん。海に行ったことがあるかと聞かれて、つい、ええかっこうをして、あると言ってしまいます。
 海へ出かけた二人。でも、ライオンくんはぎこちない・・・・・・。
 いつ正直に話せるのかな?
 ライオンは大人のメタファーですね。

『おもいのどっち?』(あきやま ただし 岩崎書店 2011)
 シーソーの上に乗ったぞうさん。反対側はブタさんみたい。でも。ぞうさんの方が軽い。どうして?
 といった、あきやまやしい、アホくささ満載の比べっこが展開していきます。

『おばけときょうりゅうのたまご』(ジャック・ヂュケノワ:さく おおさわあきら:やく ほるぷ出版 2011)
 人気の『おばけ』シリーズ最新訳。
 おばけくんが洞窟へ入ると、原始壁画が。奥へと進むと、大昔の人が、もっと進むと恐竜の卵が……。
 無理なく入る不思議世界。巧く画いています。
 キラキラ面も、今回も効果的です。

『みんなで せんたく』(フレデリック・ステール:さく たなかみえ:やく 福音館書店 2011)
 これ、奇妙におもしろいです。
 川辺でエレナは人形と遊んでいます。そこへ、ネズミ、タヌキ、アライグマと次々洗濯(洗濯板を持って)をしにくるの。
 で、エレナは自分の服を見て、汚れていると思い、服を脱いでまねをして洗濯を始めます。
でも、石けんがない、洗濯板がない。洗い終わった動物たちが貸してくれて、無事終わるけど、そうだついでに体も洗おう!
 展開はスムーズですけど、素材や発想を、どう思いついたかがよく見えない。
 そこがとっても印象的で、おもしろい。

『おべんとうんち』(石倉ヒロユキ:作・絵 辨野義己:監修 幻冬舎エデュケーション 2011)
 タイトルからすごいというか、見たくないというか、だから見ずにいられない……。
 食べたお弁当が、体をどう通って、その間にどうなって、うんこになって出てくるかまでを、カラフルな連結車で導いていってくれます。
 食育絵本ですが、口から肛門まで、ずーっとつながっているので、読みやすいです。
 うんこをはかるゲージのおまけも付いていますよ。

『ダレ・ダレ・ダレダ』(越野民雄:文 高畠純:絵 講談社 2011)
 月夜の薄明かりの中、いろんな動物がおりまする。
黒い姿は、誰?
といってもわかりにくい姿を当てるたぐいの絵本ではありません。その動物が何かは、すぐにわかります。
にもかかわらず、みんなが自身を、「ダレなのよ?」って、不安げに自己紹介する姿がおもしろい。
高畠の黒の浮かせ方も程よい出来。

『くうき』(まど・みちお:詩 ささめやゆき:え 理論社 2011)
 まどの詩を使って、いろいろな絵描きが絵本に仕上げていくシリーズ第2弾。
 空気を言葉で表すのは難しい作業ではありませんが、絵は難しい。
 そこでささめやは、まどの詩に対抗するのではなく、基本的には詩の言葉に添って絵にしていきながら、描く線や点で自己のくうきを表現していきます。
 その姿勢は最後まで変わらないのですが、ページが進むにつれ、イニシアティブがささめやに移っていき、言葉から絵へと解放されていくのが心地よし。

『妖怪横丁』(広瀬克也 絵本館 2011)
 妖怪ブームもそろそろ終演に近づいているとは思うのですが、横丁ですから、その掉尾を飾るかのように、総出演の大賑わいです。
いかにも妖怪らしいお店がいっぱい並んでいて、ほどよく笑わせてくれます。
妖怪ブームに乗り遅れた人は、一通りの妖怪を学習できますよ。

『もしもであはは』(そうまこうへい:文 あさぬまとおる:絵 あすなろ書房 2011)
 アリは小さくてかわいいが、もし大きかったら怖い。
 という調子で、普通の状態ページをめくると逆転状態ページとなる、パターン絵本。
 なにを素材に繰り出してくるかで勝負は決まるのですが、そうまの良いところは、無理矢理繰り出してくるおもしろさを分かっていること。
 あさぬまの絵は、もう少しはじけても良かったかな。

『はらぺこブブの おべんとう』(白土あつこ:作・絵 ひさかたチャイルド 2011)
 こぶたのブブくん、お弁当屋のくまさんから、色んなお弁当のお使いを頼まれます。
 これは、誰へのお弁当かな? という趣向。
 目新しさはありませんが、初めての子どもにはおもしろいでしょう。
 最後の大きくて重いお弁当は誰の? というオチは巧いですね。

『ちっちゃなミッケ!』(ジーン・マルゾーロ:文 ウォルター・ウィック:写真 糸井重里:訳 小学館 2011)
 『ミッケ!』の小型版。今作は、ページごとに数を探します。もちろん、数字だけではありませんよ。
 数という概念がわかりやすくなる仕上がり。

『なかみはなあに?』(新井洋行 偕成社 2011)
 ごくシンプルな関心喚起絵本。
 表紙が、3つのおにぎりというのがよろしいな。それでもう、作者のやりたいことがわかりますから。
 あとは、典型的な入れ物が描かれ、次のページで中身が開けられます。
 同時発売の『のっているのは だあれ?』は認識絵本です。

『おたんじょうびのケーキちゃん』(もとしたいづみ:さく わたなべあや:え 佼成出版社 2011)
 バースデイケーキ自身を主人公にしたところで、もとしたさんとわたなべさんの勝ち。
 お菓子屋さんで目覚めたケーキちゃん。誕生日パーティーのために、買い物から段取りまで、全部いたします。
 ケーキの鑑です。
 そうか、考えてみれば、誰かのバースデイって、ケーキ自身の誕生日でもあるのだ!

『マドレーヌ、ホワイトハウスにいく』(ジョン・ベーメルマンス:作 江國香織:訳 BL出版 2011)
 ルドウイッヒの孫であるジョンにとるマドレーヌシリーズ。
 この作品の発想は、ルドウイッヒにあったものだそうです。ジャクリーン・ケネディと親交のあったルドウイッヒが、彼女に物語を書いてみないかと持ちかけたそうです。それは叶いませんでしたが、今作でマドレーヌたちはホワイトハウスまででかけることができました。
 大統領の娘は、パパともなかなか会えなくなって寂しい。そこへ、パリからマドレーヌたちが遊びにやってくるという段取りです。
 楽しい物語のコツを知った作品。

『もりのおばけ』(かたやま けん:さく・え 福音館書店 2011)
 「こどものとも」からの単行本。
 弟と一緒の森に出かけたぼく。スタスタ行くので弟は置いてけぼり。
 気づけば森でひとりぼっち。
 怖いお化けが色々出てきます。
 子どもの心象を、片山は黒一色の画面構成で次々と描いていきます。
 そのイメージの豊かさは、記憶する子どもも多いことでしょう。

『ノースウッズの森で』(大竹英洋 福音館書店 2011)
 「たくさんのふしぎ傑作集」。
 大竹がノースウッズで暮らしながら撮り続けた動植物の写真に、自然に対する言葉が重なります。
 彼自身もしていた暮らしそのものにも触れたものも含め、選び抜かれた写真が、その地を、ほんのわずかでも私たちにも体験させてくれます。

『イタチとみずがみさま』(内田麒太郎:作 山本孝:絵 岩崎書店 2011)
 田んぼを通る道に咲くアザミの花が大好きになったイタチ。ほんまに、心がウキウキします。
 でも、今年は日照り続き。
 田んぼの水も涸れ、これでは稲作はだめになってしまいます。
 アザミもどんどん枯れていく。なんとかアザミを元気にしたくてイタチは村人も忘れていた雨乞いの踊りを始めるのです。
 日照りと雨乞いの間にイタチがアザミ好きというのを挟むことで物語の膨らみをつける内田の技。
 山本は、物語の進展説明には引きの画面を使いますが、メインは得意のアップ。今作では動きで見せるより表情や仕草に重点を置いています。

『ポポくんのかぼちゃカレー』(accototo ふくだとしお+あきこ PHP 2011)
 ポポくんおかぼちゃが大きく実りました。
赤い風船飛んできて、誰かからご招待。みんなでかぼちゃを転がし出かけます。
着いたのはりすさんの家。さっそくみんなでかぼちゃカレー作りです。
できあがったら、かぼちゃの中に入れましょう。
風船をあげてもっとみんなをご招待。
みんなでカレーを作るたのしさと、みんなで食べる楽しさ。
大きな、大きなかぼちゃだから楽しいね。

【児童文学評論】 No.160 Copyright(C), 1998〜