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【解説書】 『お姫さま大全』(井辻朱美:監修 講談社 2011) 古今東西フィクションから実在まで100人の「お姫さま」を集めてみた企画本です。 ディズニープリンセス系と違って、「お姫さま」って結構大変で、気が強く根性がないと、やめとけ! というのがしみこんでくるのが、良いですね。 「あとがき」の強引なまとめ方も、なかなかです。 『はじめて図書館で働く人のために 赤木かん子の図書館員ハンドブック』(埼玉福祉会 2011) 司書資格を持っていることと、現場は全く違うでしょう。それはどんな専門職でも同じです。だから大学時代に実習があるわけです。でもそれは実習であって、本当の現場ではありません。それは先にプロになった人々が現場を体験させてあげようというボランティア精神による授業です。 この本は、今日現場に入ってしまった人のための、さあ、何をすればいいのだろう? に対する具体的アドバイスが書かれています。難しい理論も精神もなし。体動かせ! 頭を働かせ! だけ。理論書はお好きなのを買いましょう。でもこれも一冊あると、心が安心します。 『図書館へようこそ! (調べ学習紙芝居シリーズ 1)』(赤木かん子:文 きしらまゆ:絵 埼玉福祉会 2011) 『テーマのきめかた』、『百科事典の引きかた』との3部作紙芝居。 こちらは、図書館で初めて調べ物学習をする子どもたちへの解説。これ以上減らしようがないほどシンプルなので、アレンジもしやすいです。 かん子が何故、紙芝居まで作って調べ学習にこだわるかというと、たぶんそれは、調べるおもしろさを知ることで、より自由な選択肢を選べるようになって欲しいからだと思う。 現在ならウィキもかなり良くなったし、本よりずっと新鮮な情報も多いしリンクも充実しているが、「リンク」とは、あくまで「そこへ飛べ」という支持であって、自由意志とは言い難い面もある。 効率は悪くても自分で当たりを付けて調べていくことで、思わぬ方向まで視野を広げて、物事を知り身につけていく快感を味わって欲しいわけだろう。 『本ってどうやってできたの? (調べ学習紙芝居シリーズ 5〜6)』(赤木かん子:文 きしらまゆ:絵 埼玉福祉会 2011) これは、必要がないと言えば必要がない話です。本の成り立ちなんて知らなくてもいい。 が、本を読め、本で調べろ! ばかり言っても、本嫌いになるだけよ。っていうのをよく分かっているかん子は、最初の最初であるここから子どもに伝えた方がいいよと言うのです。大賛成! 本というメディアがどのようにして出来、何故こんなに広まったか。ネット社会、ケイタイ社会、だって本が生き残っているのは何故か。 調べ物学習をする前、一年生の時にまず、本というものの利点を子どもたちが理解しておけば、本への興味も増すというもの。 【児童文学】 『フランクとぼく』(ヨーナス・アウティオ:作 菱木晃子:訳 堀川理万子:絵 あすなろ書房 2011) スウェーデン作品。 アメリカに住む父親の元から2週間ぶりに帰ってきたフランクは、子どもたちみんなにスーパーボールをプレゼントしてくれ、とにかくかっこいい少年。2歳年下のぼくも彼にちょっとあこがれを抱いていて、いつも一緒に遊んでいます。二人は特に仲が良く、親友です。 でも、親たちのフランクへの評価は違っていて、不良。 ぼくが親から誕生日にプレゼントされたホッケーのスティックで別の物を叩いて折ってしまったり、危険な遊びに誘ったり。 でも、ぼくはフランクから離れられません。だって彼は本当にいい友だちだから。それをぼくは知っているから。 日本語にして70ページほどの物語。でもこれくらいがちょうどいい物語もあります。読書慣れしていない子どもにも読み切ることができますし。 内容を優しくする方向だけではなく、この作品のように濃い内容で短いものも出していって欲しいです。 なかなか売れないのでしょうけれど、売れる手を積極的に考えたいですね。 『パンプキン!』(令丈ヒロ子 講談社 2011) 毎日を出来るだけ楽しく生きていくための心のアイテムには、歴史、地理、文化、物語などがあります。それらのストックと、それらへの好奇心と、想像力があれば、毎日に飽きる暇も、退屈する暇もなくなります。というのはそれらは知れば知るほど、自分がまだ知らないことが世界にはたくさんあることも知っていくからです。 まさにそうしたことをパンプキンの存在を知っていくことで発見していくのが、この物語です。 ごく短いページの中で、調べ物学習のノウハウ本のような展開がなされます。これは令丈が得意とする物語展開ですが、同時に、令丈ファンなら、いつもの彼女の物語(この場合は文章かな)の流れるようなスムーズさと比べて、時々つんのめるリズム感に戸惑うこともあるでしょう。おそらくそれは、令丈が物語を制御することではなく、彼女自身もまた読者の子どもと一緒に調べ物学習をしているかのようなスタンスで書いているからです。 『若おかみ』が大好きな子どもたちは、いつもの「あ〜おもしろかった。次回はどうなるんだろう」ではなく、ここでは、物語への参加を、つまりは令丈ファンとして、令丈と一緒に、この歴史と地理と文化を考え調べていくのです。 表紙も会心の出来! 『赤ちゃんおばけベロンカ』(クリスティーネ・ネストリンガー:作 フランツィスカ・ビアマン:絵 若松宣子:訳 偕成社 2011) ヨッシーは恐がりですから妹にもいつも馬鹿にされています。すぐに怒ってしまって汚い言葉を使います。それを叱るおばあちゃんからのアドバイスは、汚い言葉を使いたくなったら、何か新しい言葉を作ってみればいいというもの。なかなかいい考え方です。 この辺りの話の持っていきかたの巧さは、さすがにネストリンガーです。 ヨッシーは憎たらしい妹を怖がらせてやろうと古い靴下などを組み合わせてぬいぐるみのお化けを作り始めます。そのとき、新しく作った言葉を口に出すと、なんとそれは昔から伝わる、ぬいぐるみに命を吹き込む呪文でした! こうして生まれたお化けのベロンカ。これがまあ、赤ちゃんだからか自由気まま、隠さなければいけなヨッシーはもう大変! という楽しい展開がはじまります。 『どろんこライオン』(佐々木マキ 理論社 2011) サーカスのライオンくんとヘビくんとカバくんは、得意ではない芸をやらされていつも失敗して団長に怒られてばかり。そこで、3匹のそれぞれ得意な芸とのシャッフルを申し出ますが、頑なな団長は拒否。ついに3匹はサーカスを逃げ出し、女の子に助けられるのですが・・・・・・。 軽いノリのユーモア幼年物です。佐々木の絵は相変わらず好きですね。 『ぼくって女の子??』(ルイス・サッカー:作 はら るい:訳 むかいながまさ:絵 文研出版 2011) 性チェンジ物ですが、そこはサッカー、ひと味違う仕上がりです。 性チェンジいたしません。女友達に、「ひじの外側をキスすれば女の子に変わる」と言われ、ある出来事で偶然キスできてしまい、するとなんだか、女の子になっていっているような・・・・・・。という男の子の恐怖を描きます。 でね、でね、恐怖だけではなく、そう思ってしまっているものだから、女の子の死宣下物を考えたり感じたりしてしまうのですよ。結果、いじわる男子に注意もできてしまう。 うまいなあ。 真正面からジェンダーを扱っているわけでもなく、コメディですが、ぐさっと中心を突いてきます。 『パパはステキな男のおばさん』(石井睦美:文 あおきひろえ:絵 BL出版 2011) 1988年草土社刊の作品を加筆し再発売。 タイトルからもわかるように、ジェンダーを扱っています。 小学二年生のまりの家はパパが専業主夫をやっています。まりはそれで普通だと思っていたのですが、参観日パパがやってきたこと(前回はママが仕事を休んで出席)で、まりは少し変な目で見られるようになります。 学校に行きたくなくなるまり。 物語はそこから、まりのクラスメイトがどう、まりの家族を受け止めていくか、そして自分自身も違和感を持ってしまったまりがどう揺れていくかが描かれていきます。 ジェンダーフリーへの恐怖を保守思想のように見せかけながら始まったジェンダーバッシング以前に描かれた本作は、加筆による現代化が施されているにしろ、今でも現役で通用する作品です。 そのことは、決して喜ぶべき現状でないことを示しますが、だからこそ、ぜひ読んでください。 BL出版さん、再刊ありがとうございます。 『プリンセススクール』(ジェーン・B・メーソン&セアラ・ハインズ・スティーブンス:作 田中薫子:訳 小栗麗加:絵 徳間書店 2011) 全4巻。といっても上下巻の物語が二つで、どれも120ページほどのソフトカバーですから、本当は2巻をイマドキに合わせて薄くしたのかもしれません。 それはともかく、お姫様物にスクール物をくっつけたおいしいとこ取り作品です。 なにしろ、シンデレラと眠り姫と白雪姫とラプンツェルが新入生として出会って、親友になるのですから、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、月形龍之介、片岡千恵蔵が集まったようなもんです。 シンデレラと眠り姫と白雪姫のキャラはディズニーアニメ系。書かれた当時まだアニメ化されていませんでしたから、ラプンツェルはオリジナルキャラです。 おもしろいのは、前三者のディズニーアニメキャラは、受け身でナンボ(シンデレラはさほどでもないが)のしょーもない女の子たちですが、彼女たちが親友になってしまうので、そこにシスターフッド的ノリが生まれざるを得ず、プリキュアほどではないにしろ、連帯感の喜びが描かれています。しかもラプンツェルはオリジナルキャラですからもう、元気全開! 楽しめますよ。 『スーパーキッズ』(佐藤まどか 講談社 2011) リョウは6年生。他の成績はほどほどだけど、音楽の才能はずば抜けています。理系命の担任に日頃から馬鹿にされているので、抗議のつもりで試験の解答用紙に楽譜を書き、母親が呼び出しに。ぼろくそに言われます。 が、様々な才能に抜きんでている子どもを集めて育てる世界規模のプロジェクトがはじまり、リョウは音楽で合格し、厳重に守られた地中海の学校に。そこには、ハッカーからフェンシングの達人まで、スーパーキッズが集まっていました。 その中の一人、リョウと同室となる絵の天才ギガ。実は彼は世界的贋作絵画シンジケートで絵を描かされていた少年で、捕らえられた後、身の安全のためにこの学校にきたのでした。しかし、シンジケートは彼をついに見つけ・・・・・・。 それぞれの持つ能力を活かして子どもたちが大活躍するエンタメです。 秀でた能力を持っていることが決して幸せでもないこともちゃんと押さえて描かれています。 そして、イタリア在住の著者ならではの、地中海リアル感と、豊富な知識に裏打ちされた細かな道具立も楽しめます。 これだけのメンバーをそろえたのですから、続編必至です。 『新しい日がはじまるよ ネズミさんとモグラくん2』(ウォン・ハーバート・イー:作 小野原千鶴:訳 小峰書店 2011) シリーズ2作目。 もぐらくんの服が全部蛾に食べられて穴だらけ。落ち込んだもぐらくんを誘ってネズミさんは新しい服を買いに出かけますが、お気に入りがなかなか見つからない。さてどうしましょう? といったほのぼのとした話が、ゆっくりとしたペースで展開していきます。 当たり前と言えば当たり前ですが、イーの絵とイーの物語の相性は抜群で(私は何を言っているのだろう?)、イーが楽しげに本を仕上げて言っている姿も目に浮かぶようです。 『ずっとまっていると』(大久保雨咲:作 高橋和枝:絵 そうえん社 2011) あかねはミナちゃんとお地蔵さんの前で待ち合わせ。でもミナはなかなかやって来ない。 ちょっとムッ。 そんなとき、間違って踏みつけかけたカエルさんと出会って、お話。 カエルさんは、待つのはそんなに悪くないよと言います。 なぜかしら? こうしてあかねとカエルさんの待っている時間がゆっくりと描かれていきます。 事件を起こしたりせずに、良く押えた進め方の腕はなかなかなもの。 最後は楽しいラスト。 デビュー、おめでとうございます! 『バタシー城の悪者たち』(ジョーン・エイキン:作 こだまともこ:訳 冨山房 2011) わーい。「ダイドーの冒険シリーズ」2作目が、こだまさんの新訳で出ましたよ! 冨山房さん、ありがとう。他に言葉は必要なし。 『うさぎは食べごろ おおかみ・ゴンノスケの腹ペコ日記』(きむらゆういち:作 山下ケンジ:絵 講談社 2011) いかにもきむららしい、相容れないもの同士が仲良くなる設定と物語展開です。 今作では、腹ぺこのおおかみゴンノスケがウサギの女の子を食べようと家を訪れますが、純朴な女の子うさぎミィミにほだされて、毎回食べるのを忘れて、しだいに愛着を持っていきます。 何ほどのこともない設定をおもしろく読ませてしまうきむらの職人技はさすが。 きむらが好きな女の子は、男をほめて、ドジで泣き虫で、料理が上手で、お掃除が好きな子なのもよくわかります。 【絵本】 『糸に染まる季節』(大西 暢夫:写真・文 岩崎書店 2010) 最初に置かれた言葉は、生糸の染織家岩田による「色には季節がある」。 大西はその言葉遣いに少し違和感を覚えながら、岩田による染めの作業を写し撮って行く。 確かにそうです。「季節には色がある」と言われればノイズは起こりませんが、「色には季節がある」では、どこか居心地が悪い。 しかし、ページを繰っていくとそうしたことは解消されていきます。 地元の草木で染めをする岩田にとって、染め上げられ並べられている様々な美しい色の生糸は、それぞれの色が、ある季節だけの記憶で染められているのです。それらの色は季節そのものなのです。 ここで、私には作り手と買い手のスタンスによって同じ物が別の見え方をしていることがストンと心に落ちてきます。 私は「季節の色」しか分かりませんが、「色の季節」を見ている人がいるのを知るだけでも、視野は、いや世界は大きく拡がります。 大西の無駄のない言葉と、写真のレイアウトの自然さは、ますます磨きがかかっています。 『おじいちゃんの手』(マーガレット・H・メイソン:文 フロイド・クーパー:絵 もりうちすみこ:訳 光村教育出版 2011) 表紙の絵には、まだスニーカーのひもがうまく結べないような男の子と、それを教えているおじいちゃんの姿が、柔らかですが奥深いクーパーの絵で描かれています。二人は黒人です。 読み始めると、おじいちゃんが孫に、自分の手がどんなに使える手だったかを、まるで自慢しているように孫に語っているほほえましい風景が続きます。 どんなに速くきっちりとロープを結べたか。どんなに軽やかに鍵盤を叩いて音楽を奏でたか。どんなに鮮やかに変化球を投げたか。 しかし、パン工場で働いていたおじいちゃんの手が使わせてもらえなかったのは、パン生地を扱うこと。黒人の触ったパンを白人は買わないという理由で。 こうして絵本は鮮やかに、人種差別の歴史を現場から描いていきます。 クーパーの絵は、ドローを練り消しゴムで消すという手法だそうです。この絵のタッチも見逃せません。子どもたちにも、絵の表現方法の自由なやり方を伝えてください。 『おうさまジャックとドラゴン』(ピーター・ベントリー:ぶん ヘレン・オクセンバリー:え 灰島かり:やく 岩崎書店 2011) ジャックは王様。仲間の二人と一緒にドラゴン退治の真っ最中。 なのに、一番年下の赤ちゃんチュッパ王子は、お眠りの時間で撤退。 次に、将軍ダックも離脱。 一人残されたけれど、ジャックは王様だからがんばってドラゴンと戦うのだ! でも・・・・・・。 しかし毎度、オクセンバリーの絵のすばらしさといったらもう、どうしてくれよう! 『とんぼ』(チョン・ジョンチョル:詩 イ・グヮンイク:絵 おおたけきよみ:訳 岩崎書店 2011) とんぼが死ぬ。 その亡骸にアリが集まってくる。 ただそれだけの自然の営みを、この絵本はとてつもなく美しい命に対する祝祭として見事に描く。つまり、私たちの視線を新しい方向へと広げてくれる。それは詩の強さとそれを大胆にカラフルで柔らかい日差しある世界として描く絵の力による。 隣の国からまた一つ傑作が登場です。 『北の馬と南の馬』(前川貴行:写真・文 あかね書房 2011) 『いのしし』というすてきな写真絵本を届けてくれた前川の最新作。 今回は馬。 宮崎の御崎馬と北海道の寒立馬。どちらも自然に放ちながらも人間の保護管理によって、守られている、頭数の少ない馬。 武士が乗ったり、農耕馬であったりしましたから、どちらの足もたくましい。 御崎馬の、子馬から若駒になりかけの時期のショットがあるのですが、その面立ちが、幼いながらも凛として素敵です。見ほれました。 『昆虫としたしむ12か月』(今森光彦 アリス館 2011) 「いきものカレンダー」シリーズ、野山の花に続く2作目です。今回は今森の昆虫写真。 もちろん今森ですから、昆虫の暮らす環境写真でもあります。 このシリーズは企画勝ちでして、四季の昆虫とかではくカレンダーと言われると、想像力が喚起されてしまいます。単純に言えば、ページを繰るのが楽しい。 昆虫切り紙があるのも好感度アップであります。 『水辺の生きものとあそぶ』(松崎利光 アリス館 2011) 3作目はカエルさんの松崎です。 水辺の生き物たって、鳥類、両生類、魚類ナドナドもういっぱいいるわけで、松崎さんのカメラは季節ごとの生き物たちをどんどん撮っています。だから、一ヶ月のページで様々な生き物を同時に見ることもできます。6月は・・・・・・、カエルだけですが、松崎さんですからね。 季節という切り口で生き物たちを把握するのもとても大切。世界の事物を、一つのカテゴリーに閉じ込めないためにも。 『なぞなぞおめでとう』(石津ちひろ:なぞなぞ スズキコージ:え 偕成社 2011) なぞなぞ自体はそんなにむずかしくなく、子どもが考えて気付く喜びに、ちょうど良いあんばいです。 そして、なぞなぞを使って、世の中にあるたくさんの「おめでとう」をしめしてくれたのがうれしい。 スズキのえもおめでとうをしています。 『教会ねずみとのんきなねこ』(グレアム・オークリー:作・絵 三原泉:訳 徳間書店 2011) 教会にいるねずみは気のいいねこと大の仲良し。外に行って困っているねずみたちをつれて教会に。 教会はもうねずみでいっぱい。信者から抗議も出ますが・・・・・・。 のんびりと楽しい物語。絵が表情豊かで好き。 『バングルスせんせい ちこく! ちこく!』(ステファニー・カルメンソン:作 よしかわちさと:絵 きむらのりこ:訳 ひさかたチャイルド 2011) タイトルからして、もうどんな話かわかるわけですが、わかるけど読みたくなるのがすごい。 日頃、ちこくはだめだよ掲示もしている先生なのに、自分がちこくしそう! そこで先生、電車やバスや気球や、もうページを繰るごとに必死の形相で(よしかわちさと描くところのこの表情が実にいいです)、がんばります。 さてさて、どうなりますことやら。 全体の勢いもいいですよ。 『コックのぼうしはしっている』(シゲタサヤカ 講談社 2011) 厨房シリーズ3作目。 今回は、何かと嘘をついて仕事をさぼる料理人に、頭に来た頭のコック帽子が、いかに対処するかという、どこからそんな発想が出てくるのでしょう? の愉快な設定です。 両者のしれつな戦いの結末は? シゲタの輪郭線って、個性があるなあ。 『恐竜博物館』(真鍋真:監修 ポプラ社 2011) 夏休み恒例恐竜物です。国立博物館、福井県立恐竜博物館、群馬県立自然史博物館で実際に目に出来る恐竜標本を、折り込みページを使った迫力画面等で、ドドッ〜!とご紹介。 怖いくらいですから、効果は抜群です。 どアップ満載なので、これをじっくり眺めてから実際の博物館に出かけるもよし、帰ってから反芻するも良し。 ただ、イラストも使った情報の整理部分が弱い。幼児向けだからといって、読者に語りかければいいというものでもない。ここはプロの書き手に書いてもらった方が良かったのでは? 『ぼくがきょうりゅうだったとき』(まつおか たつひで ポプラ社 2011) 夏休み恒例恐竜物です。といってもこちらは創作絵本。 恐竜大好きなぼくはおじいちゃんから誕生日に恐竜ハジャマをプレゼントされます。 よろこんだぼくは、それを着たまま公園へ。ところがみんなは怖がって遊んでくれません。 夕方、しょんぼりブランコに載っているぼくに声を掛けてくれたのはなんと本物の恐竜の子どもたち。彼らと一緒に恐竜の世界へ! ちょっと『かいじゅうたちのいるところ』を彷彿させますが、そこにあるような暗部はなく、その分解釈の幅はありませんが、楽しい仕上がりです。 『パパのしっぽはきょうりゅうのしっぽ!?』(たけたにちほみ:作 赤川明:絵 ひさかたチャイルド 2011) 夏休み恒例恐竜物です。といってもこちらは創作絵本。パパが読んであげる絵本という惹句が泣かせます。 パパはシャツの裾の後ろを外に出したままにしてしまう。恥ずかしいぼく。 しまいなよと、その裾をつかんだら、それは恐竜のシッポになって、乗っかった恐竜の背中はパパのにおいがして、ぼくらは恐竜世界を探検だ! でも、パパきょうりゅうは、なんだか頼りないぞ。大丈夫か、パパ? 『ようかい がまとの』(よしながこうたく あかね書房 2011) 悪い結果のテスト用紙を埋めたら、そこでカエルを見つけたユウタ。 飼い始めたが、なんとそれは妖怪のがまとのであった! そこからはもう、よしながワールド全開です。 妖怪大好きよしながの楽しそうな妖怪が一杯! 『ゆうれいなっとう』(苅田澄子:文 大島妙子:絵 アリス館 2011) スーパーで見つけた「ゆうれいなっとう」を買ってきただいくん。食べようとするとそれはゆうれい用。 そりゃそうだ。 匂いに誘われて出てきたゆうれいさんが食べると、あら元気もりもり。話を聞いた他のゆうれいもやってきて・・・・・・。 夏だからゆうれい話なんですが、よくもまあ、こんなにあほらしい話を書けた苅田は、なかなか達者な物語作家ですね。 大島も楽しそうに描いています。 『いちご電鉄ケーキ線』(二見正直:さく PHP研究所 2011) 帯にある駅が、野菜の名前も出てくるので、しかも黄色、緑、赤をたどっていくなんて言うので食育絵本かと思いきや、そうではなく、タイトル通り、いちごケーキを作っていく電車絵本でした。 ごちそうさま。 『カンガルーがいっぱい』(山西ゲンイチ 教育画劇 2011) んなわけがあるはずもないが、山西ゲンイチならOKな設定です。 はい、カンガルーに45匹の子どもがおりまする。 もちろん全部違う名前がついていて、もちろんそれぞれの個性や趣味が紹介されていきます。 一応、子だくさん賛美、少子化対策絵本です。ほんまかいな(笑) 『バナナわに』(尾崎美紀:作 市居みか:絵 ひさかたチャイルド 2011) バナナわにって何? ですって。それは、 だって、バナナわにはバナナわになんだもん、しょうがないもん。 よわみそのワニさんは、肉食獣として食料を取る根性も技量もありません。みんなからのけ者にされて孤独。 そこに現れたおさるさん。 あ、エサだ! でも捕獲できません。 そうこうしているうちに仲良くなって、一緒にバナナを食べて過ごすのだ。 すると体もだんだんバナナ色。てへっ。 『しろもくろも、みんなおいで』(あべ弘士 童心社 2011) あはは。 なんとシンプルに見えて凝った発想でしょう。 白い色の動物と黒色の動物。白黒まざった動物。季節によって変わる動物などを、楽しげにあべが描いていきいます。 いいなと思うのは、固有名を出さない所。「しろいむしです」「くろいむしです」といった具合です。そうすることで、それは何だろう? って興味もわいてきますしね。 『せんたくばさみがあつまって・・・』(さとうゆみか:さく ピーター・ルービン:撮影 「かがくのとも」8月号 福音館書店 2011) カラフルな洗濯挟み同士を挟んで立体造形した、心躍る作品。 いろいろな表情を見いせてくれるのが素晴らしい。 洗濯挟みは日頃洗濯で使うので、何枚もの洗濯物を挟んでいく毎日があるので、洗濯挟みが悪いのではないですが、なんだかいい印象がないけれど、これを見ると、かわいくなってきます。 特に最後の作品といったら! 『そのうちプラン』(ヨシタケシンスケ著 遊タイム出版 2011) ヨシタケの間(呼吸)は、たとえばコントが相手のセリフを効果的に引き出すためのそれだとしたら、そうしたもののためにあるのではなく、宙空にそのまま置かれます。あとのアクションは読者がするしかないわけです。 だから、ヨシタケの絵は、読者それぞれの「思い当たる節」と容易に結びつくこととなります。 ヨシタケの作品は癒しとは逆方向のものですが、癒しを求める人が反応できるのはそれだからだと思う。 『わたし、まだ ねたくないの!』(スージー・ムーア:さく ロージー・リーヴ:え 木坂涼:やく 岩崎書店 2011) なかなか寝たくない、まだまだ眠りたくない子どもの、延々たる愉快な言い訳と、そこから生まれる想像、そして最後はおやすみなさいを描いた作品です。 『かいじゅうたちのいるところ』や『シャンプーなんてだいきらい』などの世界です。 親子の気持ちのズレなのですが、親が子どもを気遣いながら反応している姿は、守られている安心感を誘います。 『おおきなわんぱくぼうや』(ケビン・ホークス:作 尾高薫:訳 ほるぷ出版 2011) 冬に家族の元に赤ん坊がやってきました。新しい家族です。 でも、この赤ん坊、とてつもなく大きい! いたずらもウンコももう大変です。 という設定だけでもう、楽しいのですが、これはまあ、こびとの元にやってきたガリバーでもあります。つまり赤ん坊が大きいのではなく、小さな人に所に赤ん坊がやってきたと見てもいい。 いずれにせよ、小さなものが大きい、大きなものが小さい事態が愉快なのは、人間誰もが力関係の抑圧を感じているってことでしょう。 子どもの場合は特にね。 『コウモリのルーファスくん』(トミー・ウンゲラー:さく いまえよしとも:やく BL出版 2011) 再刊本です。訳者が今江なので良いですね。 コウモリくん、黒い体と夜中の生活という、自分の種としての特性にいささかげんなりな日々です。 見つけたのが絵の具。体中をカラフルにして、昼間にゴー! でも、でも、いいのか、それで? 幸せな着地は、ウンゲラーですから保証されています。 『なぜシマウマはシマウマなの?』(竹内久美子:監修 講談社 2011) 様々な動物への素朴な疑問に答える図鑑です。 単純なことほど知らない。知らないけど誰かに聞くのはあほくさいと思われそう。 といったことがよくありますが、そこから好奇心はむくむくと膨らみ、ワラワラと出てくるわけです。 見開きに一匹の動物ですから、写真とイラストも含めると情報が多くなるのは仕方がないとして、もう少し整理は必要だと思います。ってか、一目でどこへ目をやっていいかわかりにくい。 文章は竹内さんが書いたのか(監修だから違うのかな)わかりませんが、なにやら動物園や水族館にあるキャプションみたいで本の文章として薄いです。 そこが残念。 『おじいちゃんのトラのいるもりへ』(乾千恵:文 あべ弘士:絵 「こどものとも」9月号 福音館書店) おじいちゃんはいろいろなことを知っている。生きる術から、民族の文化まで。おじいちゃんはぼくの先を照らしてくれる灯りだ。 なのに、おじいちゃんは死んでしまった。 でも、ぼくは夢で見る。おじいちゃんはトラになって、今でもぼくを見守ってくれているんだ。 あべのトラが、リアルというより、おじいちゃんの想いが込められた出来で良いです。 『おさらのこども』(西平あかね 「こどものとも年少版」9月号 福音館書店) 中国青磁のおさらの中の子どもたち。台所の洗い桶に入れて水を注ぐと、おさらから子どもたちが出てきて・・・・・・。幻想的でありながら、台所という日常の場に展開する小さな物語が愛おしい。 年少さんだけだともったいない。 早い単行本化を! 『おもしろい楽器 中南米の旅から』(山本紀夫:文・写真 中垣ゆたか:絵 「たくさんのふしぎ」9月号) アジア系の民族の中に、植民地化でスペイン経由に西洋楽器と、奴隷制度でアフリカの楽器と、中南米には世界中から渡ってきた楽器と、そこから派生した楽器が山のようにあって、それをこれでもかという感じで詰め込んだ一品です。 楽器をテーマとした「たくさんのふしぎ」だとしたら、これはもう混乱の極みですが、この混乱を楽器で見せたと考えれば納得できるでしょう。 しかし、頭がクラクラする。 『フィオーラとふこうのまじょ』(たなか鮎子 講談社 2011) イタリア民話(『みどりの小鳥―イタリア民話集』イタロ・カルヴィーノ)をベースにした創作絵本です。 フィオーラの父親は海難事故に遭い、本人も誰もが持っているしあわせの星を魔女に奪われてしまいます。彼女はしあわせの星を取り戻すべく、旅に出て行きます。 知恵と勇気の物語。 たなかの画は色使いがとてもいいです。でも、顔の表情に少し力がありません。画の腰が引いている感じがします。それ故か、クローズアップはなるべく避けています。しかし、絵本の場合、表情の表現力が重要になることが多いので、もっともっとスキルアップして欲しいです。 『ダンプのちびトラ』(マージェリー・カイラー:作 ボブ・コーラー:絵 とりやまみゆき:絵 偕成社 2011) はたらく車物です。 小さなダンプカーを運転しているピートの語りで話が進みます。つまり、車主体ではなく、はたらく車ではたらく人が語るはたらく車という趣向です。 ですからボブ・コーラーの描くはたらく車は擬人化されていますが、そこに人が乗って運転していることが強調されます。他のはたらく車も同様です。ガンダムですね。 語りはとりやまみゆきによる大阪弁になっていますが、それがどんな効果があるかはよくわかりませんでした。大阪弁やったらおもしろいやろう、では大阪弁(正確にはそんな言葉はありませんが)に失礼ですし。ここは素直に訳した方がよかったのでは? 【児童文学評論】 No.162 Copyright(C), 1998〜 |
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