【児童文学評論】 No.163    1998/01/30創刊


【小説】
『カイト パレスチナの風に希望をのせて』(マイケル・モーパーゴ:作 ローラ・カーリン:絵 杉田七重:訳 あかね書房 2011)
 イギリスの映像作家マックスはパレスチナの現状を映画にしようと、ビデオカメラを携えてヨルダン西岸地区へと入ります。
 緊張気味だった彼の目を捉えたのは、カイトを作っているパレスチナ人の羊飼い少年ザイード。彼は何故か話さないのですが、心は通じて仲良くなります。ビデオカメラが魅力的だったからかも知れません。
 彼に連れられて村へ向かうマックスはがれきの山で足をくじいてしまいますがザイードの助けでなんとか、たどり着きます。
 翌朝ザイードはカイトをあげます。それは壁の向こうにいる、名も知らぬ車いすのユダヤ人少女へ届くようにです。カイトに書かれている文字は「サラーム」、平和。
 ザイードはこうして2年間、毎日のようにカイトを少女に贈っているのです。願いが届くように。
 ザイードが何故話せないかの謎も次第に明らかになっていき、マックスが最後に見た光景は?
 子どもの力を信じるか、子どもに願いを託すしかない現状を憂うかは、読者しだいです。二択ではありません。私は両方取ります。
 あえてさりげない日常っぽく描かれたローラ・カーリンの絵は、様々なメーセージを届けます。

『チロル、プリーズ』(片川優子 講談社 2011)
 『ジョナさん』の続編ですが、単独で読めます。
 高校三年生、大学受験で頭がいっぱいなのに、突然親友のトキコが結婚をすると言い出す。
 結婚なんかからもっとも遠い、独立独歩にブースーターを付けたみたいなトキコが?
 混乱する私。
 物語はそうした設定にすることで、主人公を揺らし、この時期のYAの気持ちを丁寧にクリップしていきます。
 六年にわたった連載だそうですから、六年前の高校三年生ですが、それでも今に通じる気持ちは十分巧くでています。

『ブラックダイヤモンド2』(令丈ヒロ子 岩崎書店 2011)
 子どもの心の中にある闇やためらいや誤解など、ハードな部分に触れながら、ミステリーとしても楽しませる令丈の新シリーズが、出版社を変えて再始動。
 今回はミステリー部分より、子ども同士の心のすれ違いや、心の読み過ぎなど、繊細な部分が多いですが、それ自身がミステリーの中核でもあります。
 すでにYA小説には、YAの心の闇や痛み描いた作品が増えてきていますから、これはそこにつながっていく、つまりそれらに導いていく新しいタイプの作品の始まりとなるでしょう。

『理科室の日曜日』(村上しいこ:文 田中六大:絵 講談社 2011)
 あほらし物語の天才、村上。
 今回は、理科室の道具たちのお話。
 台所の食器のお話とか、子ども部屋のぬいぐるみのお話とか、ドールハウスの人形のお話とか、そういうのは色々ありますが、どーしてこの人は理科室なんでしょう?
 どうして、村上はこんなにヘンなのでしょう? すてきだなあ。
 理科室の中目の中、顕微鏡がなんだか悩んでいます。科学館にいる友だちの望遠鏡と会うのですが、あっちは華やかな活躍をしていて、顕微鏡は自分もなんか大発見をしてから会いたいと思っているのです。
 そこで理科道具たちは色々アイデアを出すのですが、まあ、あほらしい。
 物語はちゃんと良い友情物語をなっているのも巧いです。

『おにいちゃんがいるからね』(ウルフ・ニルソン:文 エヴァ・エリクソン:絵 ひしきあきらこ:訳 徳間書店 2011)
 お兄ちゃん物です。
 「ぼく」(お兄ちゃん)は、3時に学校に迎えに来るはずの親が現れないので、仕方なく家に帰るけれど鍵も開いていない。そこで弟を自分で迎えに行きます。もう、ぼくたちは二人ぼっちになってしまったんだ。そう考えた「ぼく」は弟を励ましながら、家の庭に弟の家を作て大奮闘!
 もちろん幸せな結末へ向かいますけれど、二人ぼっちと思い込んだ「ぼく」のがんばり樣が、兄という立ち位置にいるから出来るがんばり様なんですね。
 絵本に入れてもいいのですが、物語が楽しいので、こちらに入れました。

【絵本】
『ひみつの足あと』(フーリア・アルベレス:文 ファビアン・ネグリン:絵 神戸万知:訳 岩波書店 2011)
 ドミニカに伝わるお話の絵本化。
 シグアパは水の中で暮らす人々。彼らは夜に陸に上がり、食料を集めます。彼らは人間が怖いのです。
 足首から下が人間とは逆さまになっているシグアパは、逃げても人間には反対の方向へ行ったように見えてしまいますから、これまでは巧くやってきました。
 ところが好奇心旺盛な娘、グアパは昼間に陸に上がり、見つけた男の子に興味を持ち・・・・・・。
 一見人魚姫のようですが、作者によれば、スペイン人から隠れて生きていた人々の中から生まれた物語かもしれないと言われているようです。
 足首から下が人間とは逆さまなんて、おかしいようなすごいような秀逸なイメージが、忘れられない一品となりそうです。
 ファビアン・ネグリンの画は、アーティスチックな個性を全面に出してはおらず、あくまでも物語の後ろで寄り添っています。

『エロイーサと虫たち』(ハイロ・ブイトラゴ:文 ラファエル・ジョクテング:絵 宇野和美:訳 さ・え・ら書房 2011)
 これ、巧いです。すごいです。
 お話は単純。遠い町に父親と引っ越してきたエロイーサが、町に、学校に、友だちに、日常になじんでいくまでが語られ、ふるさとだってやっぱり好きという風に展開します。
 でも引っ越した先の人間たちが全部、いろいろな虫で描かれているのです。虫嫌いの人は卒倒しそうな風景です。
 だけどそれはエロイーサの心象ですよね。その心細さが、こんな風に描かれるなんて!
 エロイーサがなじんでくるに従って、虫も優しい感じに見えてくるのもいいなあ。
 最後まで虫で描ききる姿勢も大好き。

『アリ・ババと40人の盗賊』(原典アントワーヌ・ガラン:訳本 リュック・ルフォール:再話 エムル・オルン:絵 こだましおり:訳 小峰書店 2011)
 この絵本の解説を読んで、恥ずかしながら始めて知りました。この話も「アラジン」も『千夜一夜』の原本にはないことを。
 本作は、なんといってもエムル・オルンの画のすばらしさを味わうことにあります。色を塗り込んだ画布を?いて描き出す世界の奥深さ、そこから嫌でもこちらの想像力が喚起されてしまうダイナミズム。これは子どもにも十分伝わります。
もちろん、このお話を知らない若い読者は物語のおもしろさも堪能してください。

『ホリーのゆめ わたしが走りだした日』(ホリー・ホビー:作 二宮由紀子:訳 BL出版 2011)
 大好きな「トゥートとパドル」シリーズ作者の自伝的絵本です。
 「わたし」は下町にある祖母の家の三階で、愛する家族と仲良く幸せに暮らしていました。
 でも、両親が独立して引っ越すことに。そこは田舎。小さな農場を始めたのです。最初はなじめない「わたし」でしたが、やがてその時間と空間と匂いとざわめきを好きになっていきます。そして見た、馬の美しさ。
 「わたし」は何度も両親に馬をねだるのですが危険だと飼ってくれません。そして「誕生日、「わたし」が手に入れたのは?
 充実した子ども時代とは、自分で様々なことを想像し欲望し、思考する時間の余裕があることだとよく分かる一品。ここから「トゥートとパドル」の時間が生まれてくるのですね。

『タラリタラレラ』(エマヌエラ・ブッソラーティ 谷川俊太郎:訳 集英社 2011)
 樹上で暮らすかわいいピプリ一家の末っ子が地上に降りて大冒険! 家に帰れるかな?
 という展開のうえに様々なオノマトペが出現してきます。翻訳ですので、言語の方がどんな感じかはわかりませんから、ここは、谷川の言葉捌きをお楽しみください。
 エマヌエラの絵は切った紙を貼り付けたコラージュを主体にしていて、色はできるだけシンプルで親しみやすく、何度でも読める工夫がしてあります。

『つみきくんとつみきちゃん』(いしかわこうじ ポプラ社 2011)
 『つみきくん』シリーズ二作目。今回はつみきちゃんと公園にお遊びに出かけるのですが、いじわるなわんこがいて、でも実はそれはいじわるじゃなくてという、普通のお話が展開します。
 でもこのシリーズのキモはなんといっても体のパーツを自由に組み替えて様々な物になれる所。積み木だからそうなんだし、だから子どもも楽しむわけですが、同時に現代におけるパーツ化した身体感も実はそこに含まれています。
 いしかわのこれまで多かった1設定による展開のこれは進化形であり、今後次第ではきわめて現代的な作品へと変貌していく可能性はあるでしょう。

『それいけ! ぼくのなまえ』(平田昌広:さく 平田景:え ポプラ社 2011)
 自分の名前が書けるようになったこうたくん。物から街まで、ありとあらゆるものに名前を書いていきます。
 それ落書きやんけとは言わないで。絵本の中でのそれは、自分自身を世界に刻印していくことなのですから。

『あいうえお たくはいびん』(ことは てんこ:さく 塚本やすい:え くもん出版 2011)
 くもんの「あいうえお絵本」シリーズの新作。
 あいうえおの荷物を運びます。
 動物園には「あいうえお」。この5文字のどれから頭に着いた動物が登場。あらいぐま、うさぎなどね。次は、「かきくけこ」を水族館に、という具合です。
 もちろんこれはかなり強引な展開なのですが、そうなればなるほど面白くなります。「らりるれろ」は難しいからどうするかと思ったらなるほどね。
 塚本の画との相性がいいことはの世界。こんな感じで押し切っていけば次の広がりが見えてくる気がします。
 デビュー、おめでとうございます!

『あそびましょ』(いしいむつみ:ぶん こみねゆら:え アリス館 2011)
 表紙には姉妹のようにそっくりな女の子。
 両親が遊んでくれなくて退屈な、あやこと「わたし」は野原へ遊びに行きます。
あやこが一人ではなれて遊び始めたので、「わたし」は少し冒険を。カエルを探し、カタツムリを見つけ、スズメを追って・・・・・・。
 でもね、「わたし」とあやこの関係は?

『おでんわもしもし しましまちゃん』(たんじあきこ:さく くもん出版 2011)
 画面の中には様々な縞々があって、もちろんしましまちゃんも、カラフルな色合いの縞々帽子に縞々シャツ姿です。
 誰か知らない人に電話を掛けて、または誰か知らない人から電話がかかってきて、「あなたどなた?」。次のページでそれが分かるという繰り返しのリズムを楽しむ絵本。
 縞々だけでなく、細かな部分に遊びがあって、それに気づくのが喜び。
 たんじの画は元々イラストっぽくて、動きより留めの魅力なのですが、その留めが動きの一瞬を巧く捉えていて、へたな動きよりリアルです。
 それがたんじの魅力であり、強みでもあるのですが、キャラ(基本的に動かない)かキャラクター(動くことで個性を示す)かを判別しやすいものを求めてしまう現在、そのどちらとも言い難いスタイルは、不利に働くケースもあると思います。しかし、中原淳一や柳原良平(両者の画風は全く違いますし、たんじも違いますが)の魅力もまたそうであったのですから、たんじには自信を持ってこのスタイルに磨きを掛けていってほしいです。

『名画で遊ぶ あそびじゅつ!』(エリザベート・ド・ランビリー:著 おおさわちか:訳 長崎出版 2011)
 絵画を使った『ミッケ』です。そのミッケ以外に「このディテールもみつけて」というのが四つあり、これは絵画からそのまま丸く切り取られています。要は、私たちが絵画を見るときに自然と行っている、部分と全体の往還を意識させようということなのでしょうけれど、扉での解説がわかりにくく、そこが残念。
ミッケ的絵本たちがややもすれば全体を見失うことへの、警告でもあるのでしょうから、ここはしっかり詰めて欲しかった。

『おかめ列車』(いぬんこ:さく 長崎出版 2011)
 よしながこうたく系の濃い絵です。
 父親から、祭りに行けなくなったと言われた兄妹。しょんぼりしていると、その彼らを飲み込んだのは、正面がおかめ顔の蒸気機関車。二人はお祭りに突っ込んでいきます。でも、このおかめ列車兄妹が制御しているわけでもないので、色々ややこしいことも。
 何故おまつりに行けなくなったかは入れておいた方が良かったですが、わけがわからない勢いで読ませてしまう勢いが良いですね。

『ぞうさんのおとしあな』(高畠純 ポプラ社 2011)
 ぞうさん、みんなを脅かそうと落とし穴をつくりますが、どうもうまく行きません。結局もぐらさんが壊してしまって、そこに雨で水たまりができて・・・・・・。
 と、いたずらはズレていき、動物たちの祝祭で幕を閉じます。
 失敗の結果が祝祭になる転換は、子ども読者にとってほっとする出来事でしょう。

『ちいさな鳥の地球たび』(藤原幸一:写真・文 岩崎書店 2011)
 キョクアジサシを主人公に、環境を考える写真絵本です。
 何故、北極アジサシとか南極アジサシって名前ではないかというと、このアジサシ、毎年北極と南極を行き来するのですって。
びっくりしたです。尊敬したです。
子どもたちならその命の強さを受け止めて感動するでしょうね。
 このキョクアジサシの子育てから渡りを通して、地球全体の環境を映し出していこうというわけです。
 キョクアジサシ自身の写真がもっと欲しいところですが、こんなすごい鳥がいらしたのを知れただけで嬉しいです。

『クッツさんのくつ』(ジョン・ダナロス:さく ステラ・ダナリス:え 寺岡由紀:やく 岩崎書店 2011)
 靴職人のクッツさんの作る靴はデザインが素敵なのはもちろん、足にも良くフィットして大評判。
 ところが近所に靴の工場ができて、たちまちクッツさんの靴は売れなくなります。
 傷心の彼は森にこもりますが、彼の靴は動物たちに愛用されるようになります。
 やってきたムカデさん。もちろん五〇足の小さな靴を注文。さあ、大変。
 ここまでは、まあ、普通なのですが、そのあとの物語処理が素敵です。
 でも、なんといってもステラのコラージュがいいです。絵を作る楽しさを子どもたちに伝えるためのテキストにも使えますよ、これは。

『コウモリとしょかんへいく』(ブライアン・リーズ:作・絵 さいごうようこ:訳 徳間書店 2011)
 シリーズ二作目。
 夜、なんだかたいくつなコウモリたち。図書館の窓が開いています。あそこはおもりろいと、前に入ったことのある年長コウモリに言われて、みんなで入っていきます。
 ブライアン・リーズの表情豊かでリアルな画は、初めては言った場所に戸惑い、やがてはしゃいでいく(読むより遊んでいます)若いコウモリたちを活写。それだけでも見る価値大いにあり。
 やがて、年長コウモリが読み聞かせを始め・・・・・・。この辺りからは読み聞かせ推奨絵本となっています。そこが弱いけど、物語の中に入れば冒険ができるのが伝われば良しか。大人が買ってくれるし。

『これだからねこはだいっきらい』(シモーナ・メイッサー:さく 嘉戸法子:やく 岩崎書店 2011)
 何故、犬と猫が犬猿(?)の仲になったかの由来を物語る絵本であります。
 やはり意地汚いと良くないですねえ。
 やはりわからなければ大丈夫なんて甘いですねえ。
 というのを愉快に語ってくれます。
 猫好きの私としても、これは犬に申し訳ない。許してね。
 シモーナ・メイッサーはページを繰るごとの場面構成の変化の付け方が巧い作家です。
 目玉の動きというか視線の投げ方というか、結構の日本のマンガと似ているのもおもしろいです。

『こんにちはあかちゃん』(メム・フォックス:作 スティーブ・ジェンキンス:絵 角野栄子:訳 福音館書店 2011)
 内容そのものは、ファーストブックや読み聞かせ絵本というよりも、様々な動物の幼児と大人をつなげる認識絵本。それが、親子の絆を訴える絵本に見える(見せる)ところが、現代を表象しています。
 スティーブ・ジェンキンスは、様々な紙に様々な具材で色と感触を施し、それを切り、動物それぞれのイメージに合わせて造形しています。
 絵本制作授業の絶好の素材となるでしょう。
 ちなみに、メム・フォックスの別の絵本が同じ題名で主婦の友社からも出ています。

『クリスマスのこねこたち』(スー・ステイントン:文 アン・モーティマー:絵 まえざわあきえ:訳 徳間書店 2011)
 シリーズ二作目。
 3匹のこねこのクリスマス物。パールとエメラルドとサファイア。サンタさんのフカフカ服などに入って遊んでいます。
 もう、ずるい。カワイイに決まっている。ああ、どうしてくれよう、カワイイ。
 ある日、あれ、サンタさんの服や道具や、サンタさんも母猫のスノウもいない。
 そこでパールは探しに外へ出かけますが・・・。

『ぼくとソラ』(そうまこうへい:作 浅沼とおる:絵 すずき出版 2011)
 「ぼく」の家の犬の名前はソラ。「ぼく」が生まれるずっと前から飼われている。14歳だから犬としてはお年寄り。
 絵本は、ソラがいかに賢いかを「ぼく」に語らせていきます。ソラは「おて」も、「おかわり」も、「おあずけ」も、「よし!」もちゃんと理解できるのを「ぼく」は大いに自慢します。
でも、最近時々間違える。14歳だものね。
 さりげなく、いい感じの仕上がりです。

『童話のどうぶつえん』(漆原智良:文 いしいつとむ:絵 あかね書房 2011)
 東京にある羽村市動物園の実話を絵本化。
 目玉となる動物がいないけれど、動物に接する楽しさを知って欲しいと、園長が考えたのは、昔話や童話の設定を取り入れること。うさぎとカメを一緒にしておくと、自然と大人が「うさぎとカメ」の話を子どもたちにし始める。コブタがいるから、「オオカミと3匹のコブタ」はどうだろう。でも本物のオオカミとコブタを一緒にするわけにもいかないし・・・。といった、結構ベタな発想で、動物園の新しい楽しみ方を提示していきます。
ベタでいいんです。子どもはベタが大好きですから。
町の人が協力して3匹のコブタの家を作ったりしているのが、なんだか楽しいです。

【児童文学評論】 No.163 Copyright(C), 1998〜