【児童文学評論】 No.164    1998/01/30創刊


【ノンフィクション】
『印刷職人は、なぜ訴えられたのか?』(ゲイル・ジャロー:文 幸田敦子:訳 あすなろ書房)
 時は一七三〇年代。まだ独立していないアメリカ。イギリスからニューヨークに赴任したウイリアム・コスビー総督は、あらゆる汚い手を使って植民地の住人から金をむしり取る。それに抗するためには新聞がいる。しかし一つある大手の印刷所はイギリス植民地政府御用達。そこで勇気を持って印刷を引き受けたのが若手印刷職人ピーター・ゼンガー。彼は、誰が印刷したかを匿名にすることなく堂々と新聞を発行する。しかしそのために、逮捕されてしまう。果たして判決は?
 アメリカ独立運動の最初のきっかけに一つになった事件をゲイル・ジャローは詳細かつ手際よくまとめ、自由の意味を描き出す。
 ピーター・ゼンガーを英雄にしていないのがいいですね。

『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(タミ・シェム=トヴ:著 母袋夏生:訳 岩波書店)
ユダヤ人であることを隠し、リーネケと名前を変えて、オランダの遠い村の医者ドクター・コーリー夫妻の家にあずけられた10歳の少女の実話に基づく物語。アンネのように部屋に隠れることなく過ごすのですが、それ故新しい友達にも嘘をつかねばならず、その不安は相当なもの。子どものごく普通の日常があるだけに、その過酷さがいっそう際立ちます。
この本の重要な点はもう一つ。父親からの絵入り手紙です。
娘への愛情に満ちたそれは、読めば処分しなければならず、仕方がないので彼女はぜんぶ覚えました。そのうちの9通が奇跡的に残っていて、この本にそのまま収められているのです。そこにあふれる想いから、戦争の無慈悲さが伝わってきます。
資料としても貴重な一冊です。

【児童文学】
『希望(ホープ)のいる町』(ジョーン・バウアー:作 中田香:訳 作品社)
 パパはいないしママは放浪している少女ホープ。ウェイトレスで稼ぐ高校生。凄腕のコックであるおばさんと一緒に新しい町へやってきた。雇い主のオーナーシェフがガンとなり、その店を任されるのだ。仕事に誇りを持っている二人が心地いい。
オーナーが町の不正をただすため町長選に立候補。さまざまないやがらせにもめげず戦っていく。
みんなかっこよく、YA小説の大王道で、たっぷり楽しめますぞ。

『スカーレット わるいのはいつもわたし?』(キャシー・キャシディー:作 もりうちすみこ:訳 偕成社)
 スカーレット、12歳。両親が別れ、今はロンドンで母親と二人暮らし。心の中の怒りは収まらず、大人から観れば様々な「問題行動」を起こしてしまう。学校を何度も変わり、ついに行き場を失ったスカーレットはアイルランドに住む父親の元に送られます。ますます怒る彼女。
 アイルランドの学校でも1日目に問題を起こし、不登校。そんなスカーレットの前に現れたのは馬に乗って謎の少年キーアン。
 彼は実在か? それともスカーレットの観る幻想か?
 子どもの怒りをとてもストレートの見えやすく描いていて、好感度が高い一品。

『サリーの帰る家』(エリザベス・オハラ:作 もりうちすみこ:訳 さ・え・ら書房)
 19世紀後半のアイルランド。貧しい借地農家の娘サリー13歳は、父親が亡くなったため、二つ年下の妹ケイテイと共に遠くの土地に働きにいくことに。雇われ市で、まるで奴隷のように雇い主に選ばれるのです。同じ村ですが別々の家で働くことになった二人。
 しっかりものだったケイテイと、本が好きで夢見がちだったサリーがどう変わっていくか。
 そして、当時のアイルランドの置かれた状況への興味もわいてきます。

『クラーケンの島』(エヴァ・イボットソン:作 三辺律子:訳 偕成社)
 設定がいきなりすごいです。三人のおばさんは秘密の島を守ってきました。そこは傷ついた様々な生物を癒す場所。でも、やってくる生き物がだんだん増えてきて三人では手が回らなくなり、おばさんたちは手伝いのための子どもを誘拐してくることに。見つけるのは家族の中で居場所がないと感じている子ども。
無事誘拐してきた子どもたち。彼らはそこで何を観るのか? しかし、こんなことでいいのか?
イボットソンが仕掛ける最高に過激で最高に温かな子どもに寄り添った物語。

『ここがわたしのおうちです』(アイリーン・スピネリ:文 マット・フェラン:絵 渋谷弘子:訳 さ・え・ら書房)
 父親が失業し、家を手放して祖父の所に引越しすることになってしまったローズの物語。不安をストレートに描くために、詩が好きな彼女の詩と日記によって作品は成り立っています。よって、地の文はありませんから、そこを読者が埋めていく必要があります。とっかかりは入りにくいかも知れませんが、うまく行けば自分の想像力で補って読む楽しみが沸いてきます。
 マット・フェランの絵が良いですよ。

『UFOは まだこない』(石川宏千花 講談社)
 亮太と公平は小学校時代無敵。容姿良し。頭良し。強い。誰もが一目置く存在。ところが中学に入ってから公平が無敵を降りた。UFOにはまった、行っちゃってる状態で、みんな引いてしまう。どうした? 公平。
物語は彼らを無敵に置くことで、現代ではいささか気恥ずかしいような、友情や、命といった話をスムーズに開示していきます。無敵が嫌みに感じられないのは作者の腕。
団地という社会空間での子どもたちの関係性も、やや理想的ではあっても納得できる範囲です。

『忘れないよ リトル・ジョッシュ』(マイケル・モーバーゴ:作 渋谷弘子:訳 文研出版)
 口蹄疫が蔓延したイギリスでのお話。
私たちもニュースとして知っている大きな出来事をもう一度、少女の目を通して物語の中で見つめ直すことができます。
 親が農場を経営しているベッキーは、初めて羊の出産をし、そのとき生まれた一匹の子羊をリトル・ジョッシュと名付けます。
しかし楽しい日々はわずかでした。ついにベッキーに農場からも口蹄疫の感染した動物が現れます。
 リトル・ジョッシュはいやだ!
 手放したくないベッキーですが・・・・・・。
 物語の意外性や奥深さはありませんが、状況を子どもたちが把握するには好書です。

『あの時間に、クスノキの上で』(中尾三十里:作 文研出版)
 離婚した父親が家を出て行き、あおいは母親と二人暮らし。母親を責める気持ちがある。
父親と会わせてくれないので、あおいは母親に黙って父親の所へ行くつもり。そんな時、見知らぬ男の子から、あおいが昔大切にしていたフェルトで作った青い犬を渡される。拾ったそうだ。この子は誰? 
父親は父親下、なんだか親しそうな女の人がいるので、あおいはそれも落ち着かない。
やがて事実が明らかになり、あおいは・・・・・・。
『スカーレット わるいのはいつもわたし?』と一緒に読むとなお、おもしろいでしょう。

『マジックアウト1 アニアの方法』(佐藤まどか フレーベル館)
 長編ファンタジーの第一巻。地中海にある孤島エテリアル国は、周囲から安全に守られています。というか、ほとんどの国民は術の力を持っており、それによって島は周りの人々から隠されているからです。
 術士の島には11の術があります。それぞれの術に秀でた者が政治も司っていて、ここには.階級があります。天候から秘術まで、様々なことが術ですんでしまいますから快適です。
 アニアの父親は「守」の術士の最高峰。にもかかわらず、アニアは何の術の才能もない無才人として生まれてきました。そのことにコンプレックスを持っているアニアです。
 しかし、ある日、術が何も効力を発揮しなくようになり、島は機能を失います。
 そんなとき、アニアの無才が力になっていきます。
 エコロジーファンタジー。トントンと物事が進んでいくのが難点ですが、次巻に期待です。

【絵本】
『じゃがいも畑』(カレン・ヘス:文 ウェンディ・ワトソン:絵 石井睦美:訳 光村教育図書)
 貧しい一家。母親は働きに出て、娘のメイベルは弟二人の面倒を見ています。
 食糧不足をなんとかせねば! そこで思いついたのがジャガイモの収穫、採ってやらないと腐ってしまう。ということで、収穫後の他所様の畑に潜り込んで、せっせせっせと集めます。
 ところが帰ってみると、ほとんどが石ころ。でも盗みには違わない。母親に叱られ、謝りに行くのですが・・・・・・。
 カレン・ヘスらしいテンポの良さで、貧しい生活も明るく希望に満ちて描きます。

『ねこのいえ』(サムイル・マルシャーク:文 ユーリー・ワスネツォフ:絵 片岡みい子:訳 平凡社)
 ロシアの古典絵本。豪華なコンビですね。
 お金持ちの猫のマダムが、他の動物を家にご招待。自慢が一杯。みんなはちょっと辟易。
 嵐が来て、お屋敷が壊れてしまい、行き場を失った惨めなネコは、泊めてもらおうとみんなの家を訪ねるのですが・・・・・・。『3びきのくま』でおなじみのワスネツォフは、この作品を舞台劇に見立ててドラマチックに仕上げます。

『ロージーのモンスターたいじ』(フィリップ・ヴィェスター:作 酒寄進一:訳 ひさかたチャイルド)
 ウサギのロージーはこの頃毎夜、怖い夢を見る。怪獣が出てきて襲うのだ。
 何とかせねば。お医者に出かけてもらちがあかない。そこでロージー、お化け屋敷に潜り込む。さてさて、結末は?
 ヴィェスターの絵は癖がなく、誰もが親しめるでしょう。その場合、やっぱりうまいへたの出てくるのは目の描き方。ご賞味を。

『ねこのピカリとまどのほし』(市居みか あかね書房)
 まどのあかりは星みたい。お腹が減ったピカリは、色んな家で中に入れて欲しいと頼みますが、だめ。でも最後に・・・・・・。ね。幸せ。
 市居の温かな版画の線が相変わらず素敵。

『ながいながいよる』(マリオン・デーン・バウアー:文 テッド・ルウィン:絵 千葉茂樹:訳 岩波書店)
 自然の営みに対する畏敬の念に満ちた作品。
 森に陽が沈んでいきます。夜。陽を探そうと様々な動物が挑戦しますが、自然はそれを受け付けません。果たして陽を迎えるのは誰?
 ルウィンの絵は水墨画のような静けさと、夜の色合いの深さを表現しています。

『モナ・リザをぬすんだのはだれ?』(ルーシー・ナップ:文 ジル・マックエルマリー:絵 結城昌子:訳 岩波書店)
 かつてのモナ・リザ盗難事件を描いた絵本です。モナ・リザができるまでとそれが盗まれ発見されるまでを無駄なく伝えていきます。
 盗んだ人が誰かはわかっていますが、モナ・リザが誰かは今も謎です。

『教会ねずみとのんきなねこのメリークリスマス!』(グレアム・オークリー:作・絵 三原泉:訳 徳間書店)
 『教会ネズミ』シリーズのクリスマス編。
 教会ねずみのアーサーたちが、クリスマスパーティーを開く資金集めのために、気のいい教会ネコのサムソンと一緒に巻き起こす珍騒動を描いています。ねずみとネコと人間がシームレスに扱われていますから、愉快さは倍増です。
隅々まで眺めながら、このクリスマスの贈り物を満喫してくださいな。

『ファーディのクリスマス』(ジュリア・ローソン:さく ティファニー・ビーク:え 木坂涼:やく 理論社)
 ファーディシリーズのクリスマス物です。もうすぐクリスマス、ファーディは引っ越していったウサギが心配です。何故って、サンタさんが引越し先をわからなければプレゼントが届かないから。そこでファーディ、矢印を付けて・・・・・・。

『さあ、とんでごらん!』(サイモン・ジェームズ:さく 福本友美子:訳 岩崎書店)
 鳥たちはもうすぐ南へ渡ります。巣立ちを迎えた小鳥のジョージくんですが、うかうかしている間に巣ごと木から落ちて、ビルの工事現場の鉄柱の上に。危ない! 母鳥が必死に飛ぶことを促しますが、その間にまた巣ごと落ちていく。
というハラハラの繰り返しが、ユーモラスに描かれています。
ペンのタッチが活き活きとしている輪郭にシンプルな色を落としたサイモン・ジェームズの絵は、とても親しみやすいです。

『三国志絵本』(唐亜明:文 于大武:絵 岩波書店)
 全3巻。三国志のおいしいエピソードの絵本です。無駄なくまとめられていて、しらに子どもにはワクワクドキドキのお話でしょう。絵も色遣いが鮮やかで迫力満点でありながら、どこかユーモラス。
 ただ、もう少し解説があった方が親切かな。

『きのこ ふわり胞子の舞』(埴沙萠 ポプラ社)
 きのこの写真絵本ではなく、きのこの胞子の写真絵本です。そうか、私たちが食べているきのこは、胞子を蒔くための最終段階の器なのだ。
 見方を変えることで世界は新しくなります。
 胞子の舞がとても美しく撮られていますが、写真の置き方が単調で、少し損をしています。

『どうぶつびょういん おおいそがし』(シャロン・レンタ:さく・え まえざわあきえ:やく 岩崎書店)
 人間なしの動物同士の病院。バクの子どもがお医者さんであるママと一緒に病院へ。診療の様々な風景が描かれていきます。
動物にすることで、病院への過剰な怖さが消えて、なにやらカーニバルのよう。怖いイメージがあるだけに余計に盛り上がります。シャロン・レンタの病院の絵は手抜きなし。
もちろん本物の病院はもっと深刻ですけどね。

『のはらのおへや』(みやこしあきこ ポプラ社)
 引っ越したばかりでさみしいさっこ。お隣に住んでいるという女の子が気にかかってなりません。
 一人遊びのさっこは茂みの中で、おままごこセットの入ったカゴを見つけます。きっとあの子のだ。そこでさっこは・・・・・・。
 どこかノスタルジックな画と物語が展開します。

『ぐるぐるちゃん』(長江青:文・絵 福音館書店)
 リスの母子。「ぐるぐる」とはしっぽのことで、リスの子どもの名前がぐるぐるです。
 母子は一緒にドングリを落として食べます。その幸せな様。たくさんあるから、ぐるぐるのしっぽの中にどんぐりを入れて持ち帰る。
 絆の強さを伝えます。
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読売新聞
201105 「今」
先月から新しいクラスになりましたね。クラスって、同年齢ばかりの特殊な集団なので、どうしても競争心が生まれます。そのエネルギーを勉強に向ければ大人は大喜びですが、そんなにうまくはいきません。そこで一人でいるより安全なグループを作りやすいのです。これを百%友達だと思いたい気持ちはわかるのですが違います。友達ならリーダーなど生まれません。あくまで一時的に身を寄合っている集団と割り切っておいた方がいいと思います。
今回は、学校内グループとは縁のない物語を二つ。
『ヘブンリープレイス』(濱野京子 ポプラ社)。和希の両親は一見とても理解があります。好きにすればいいといつも言ってくれます。でも本当はどうしてほしいかのサインも和希は感じ取っていて結局、親に従っています。そんな自分にイライラする和希。ある日彼は空き家に無許可で住んでいる老師と呼ばれている男、家出した少年、不登校の少女たちと知り合います。それは和希にとって未知の付き合いですが、その経験によって彼は自分の気持ちに正直になれていくのです。
『反撃』(草野たき ポプラ社 2010)。こちらはじっくり付き合うのではなく、ほんの少しだけしか接点を持たないYA五人の物語です。学校で自分の存在価値が薄いと知った真奈美。クラスを平和にしようと、間抜けを演じている里美。母親の実家の従姉妹千絵から邪険に扱われる理由がわからない有里。いつかパリで暮らすことを夢見て、田舎の友達とズレまくっている明子。憧れていた年上の従兄弟が結婚するのにショックを受ける瑞穂。彼らは友達になって助け合うことはありません。それぞれが抱えている問題を自分で克服していきます。でも、読者には彼らが一瞬どこかで接触しているのがわかります。そう、気づかなくてもみんなどこかで繋がっている。それだけのことで、少し勇気が沸きませんか?

201106 「翻弄」
6月
 YAは大人から、時に責任感を求められ、時に子ども扱いされ、「いったいどうしろと言うのだの?」と、苛立つ場面が多いと思います。
大人はあなたを、もう大人として認めようか、まだ子どもと見なそうか迷い、試しているのでついそうなってしまいます。
でも、そんなあいまいな立ち位置が存在できるのは、大人社会に余裕があり、あなたの周りの大人が子どもの人権を認めている人だからです。
今の状態に文句をたれるなと言いたいわけではありません。大いに文句をたれてくださった方が、大人は理解ができやすくなります。ただ、自分が何故YAでいられるかは認識しておいた方がいいよと訴えています。
YAという立ち位置を確保できない状況で生き延びていくYAの物語をご紹介。
『きみ、ひとりじゃない』(デボラ・エリス:作 もりうちすみこ:訳 さ・え・ら書房)。
戦火のイランから脱出したアブドゥル。性産業に売り飛ばされ逃げ出したロマのロザリア。軍を脱走したロシア人のチェスラブ。三人はイギリスへと向かう密航船で知り合います。トラブルがあり、船は彼らと少年だけになる。三人は人間不信に陥っていますから喧嘩ばかり。果たしてたどり着けるのか? 着けたとしてもそれからどうするのか?
『わたしは、わたし』(ジャクリーン・ウッドソン:作 さくまゆみこ:訳 すずき出版)。
 トスウィアの今の名前はイーヴィー。一つ目は生まれたとき親が与えた名前で、二つ目は自分で選びます。
遊びではありません。父親は同僚の白人警官が黒人少年を射殺したのを目撃します。訴えたいのですが彼もまた黒人です。白人の同僚たちは態度を豹変させ、脅してきます。裁判で証言しても安全でいられるように、彼とその家族は別の人間となり、見知らぬ町で生きるしかなくなります。新しい級友に嘘をつくしかないイーヴィー。それは本当の「私」?
どちらも読んで確かめて。

201107 「障害」
身体障害者の介護に三十数年、月二、三度入っていたのですが、初めて車いすを押したとき、「何が一番きらい?」と聞いたら、「そうして上から話しかけられることだ」と返されました。そうかあ。相手の側から物事を考える想像力を持ちたいと思いました。そして、「差別はいけない」というだけでは、本当は通じ合えないとも知りました。いつも上から話されるのが不快な彼と、いちいちしゃがまなければいけない私。両方がその気持ちを知らないと先へは進めないのです。車いすを止めて腰を落とし、「お前と付き合うのは、面倒臭いなあ」と言うと、彼が笑いました。
障害を抱えているだけで生きにくい社会は未完成です。あなたが障害のあるYAなら、そのままの自分で生きていけるようになる社会が必要です。不快や不便な点は遠慮なく正直に告げて(気づいていないことが多いのです)、少しでも完成へと近づける手伝いをしてください。
『はせがわくんきらいや』(長谷川集平:作 ブッキング)。はせがわくんは森永ヒ素ミルク中毒被害者で、虚弱で動きも遅い。彼なしで遊ぶ方がずっと楽だから、はせがわくんなんかきらいです。でも、はせがわくんはここにいるから、子どもたちは彼を含めて遊びます。きらいやけど、大好きです。
『ヒルベルという子がいた』(ペーター・ヘルトリング:作 上田真而子:訳 偕成社)。ヒルベルは母親に見捨てられ施設暮らしです。出産時のトラブルで彼は頭痛に悩まされています。それが原因なのか、時々奇妙な行動を取り、見たこと、想像したこと、考えたことをまぜこぜにして独特の言葉や態度で表現しますから、彼の思いを理解するための想像力がこちらに必要です。物語は残念な結末を迎えますが、別の結果へと導ける可能性は、あなたや私が、相手の側から考える癖を身につけておくことで生まれてくると思っています。

201108 「自由」
何かをする自由。何かからの自由。両者に違いはないように見えます。
ですが自由を、何かをする自由という側面だけで考えてしまうと、あなたと違う自由を欲しがる人がいたとき、争いになってしまいかねません。一方、何かからの自由という発想を忘れないでおくと、あなたの望む自由は誰かや社会と関係していのだと強く意識することが出来ます。あなたの自由はあなたの欲望だけの問題ではないのです。
自由について考えるための作品をご紹介。
『チョコレート・アンダーグラウンド』(アレックス・シアラー:作 金原瑞人:訳 求龍堂)。健全健康党が政権を取り、チョコレート禁止令を出し、違反した者は洗脳されてしまいます。なぜそんな党が政権を取ったかと言えば、誰かが反対するだろうと、多くの人が選挙に行かなかったからです。チョコレート大好きのスマッジャーとハントリーは、お菓子屋のパピおばさんの倉庫に大量の材料が眠っているのを発見! 三人は禁止令からの自由のために密造を始めますが・・・・・・。
『チョコレート・ウォー』(ロバート・コーミア:作 北沢和彦:訳 扶桑社ミステリー)。トリニティ学院では資金調達のために生徒がチョコレートを売るイベントがあります。今年、副学院長が生徒に課したのは倍の値段で倍の数を売ること。強制ではなく生徒の自由ですが拒否できる雰囲気はありません。生徒たちの裏組織ヴィジルズは新入生のジェリーに命じて十日間拒否させます。が、ジェリーは十日を過ぎても拒否。副学院長とヴィジルズが手を結び、ジェリーは追い詰められていくのですが自由を手放しません。その結末は?
両作品ともチョコレートをシンボルに使っているのは、自由もチョコレートも甘くて苦いものだからでしょうか?
ところで、バレンタインデーに日本では何故か女性だけが男性にチョコレートを贈りますね。これって自由かなあ?


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