【児童文学評論】 No.165    1998/01/30創刊


【宣伝】
『〈共感〉の現場検証』(西山利佳 くろしお出版)
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『〈物語〉のゆらぎ』 (奥山恵 くろしお出版)
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『ゲド戦記研究』(織田まゆみ 原書房)
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『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』(ひこ・田中 光文社新書)
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主に九〇年代以降を語った『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』(光文社新書)の前を語る『大人のための児童文学講座』(徳間書店)、増刷決定です。これを機会に、お読み戴ければ幸いです。
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【児童文学】
『すすめ!ドクきのこ団』(村上しいこ:作 中川洋典:絵 文研出版)
 たつしの遊び仲間は幼稚園から続いていて、毎年交代で団の名前を決める約束、4年生になった今年、やっと順番がきたたつしは「ドクきのこ団」と名付ける。さあ、学校でのいたずら全開だ!
 ホンマに全開です。
 が、一番の親友の守が何故か「ドクきのこ団」に入らないという。どうして? 愛里ちゃんからバレンタインのチョコレートをもらって守はきっと愛里ちゃんのグループに入るのに違いないと、わけのわからない妄想をするたつし。そうなると何故か愛里ちゃんのことも気になり出し・・・・・・。
 私にとって村上しいこがすごいのは、一作も外れがないこと。いつもおもろい。
 今作もまた快調な、しかも不思議と読みやすい関西弁を駆使して、笑らかしながら、友情について語っていきます。

『魔法の泉への道』(リンダ・スー・パーク:作 金利光:訳 あすなろ書房)
 1983年の第二次スーダン内線で難民となった少年が生き残り、アメリカに渡った実話を元に、『モギ:ちいさな焼きもの師』のリンダ・スー・パークが描いた作品です。
物語はスーダン南部を舞台に、2008年の少女ナーヤと1985年の少年サルヴァの姿を交互に語っていきます。それがどう結びつくのかも読みどころの一つ。
内線の過酷な現状の中を生き延びていく姿と、干ばつに苛まれる村の子どもの姿は、世界を知るために子どもたちにぜひ読んで欲しいものです。

『ココロ屋』(梨屋アリエ:作 菅野由貴子:絵 文研出版)
 心を好きなのに取り替えてくれるココロ屋。ひろきはそこで、自分のココロを「やさしいココロ」や「すなおなココロ」と取り替え、学校で優しい人と評判になったりするのですが、どうも落ち着かない。といった話が、ちょっとダークに、最後は前向きに展開します。
 終着点は真っ当な場所ですが、そこにたどり着くまでの展開でココロをパーツとして捉える発想が、『しゅごキャラ』と同じく現代の呼吸。
「やさしいココロ」の章などは、結果的に、完全なる灰谷健次郎批判になっています。

『イップとヤネケ シンタクラースがやってくる!』(アニー・M・シュミット:作 フィーブ・ヴェステンドルブ:絵 西村由美:訳 岩波書店)
 五〇年代オランダの幼年童話。イップとヤネケのたくさんの物語の中から、シンタクラース物だけを集めて訳出。
 シンタクラースはサンタクロースですが、日本人が知っているサンタクロースの行事とは違うところが多々。そんな文化の違いを子どもたちに教えながら、読んでもらうとより楽しめます。
 私も知らないことが一杯ありました。知れてうれしかったです。

【絵本】
『アートとマックス ゴキゲンなゲイジュツ』(デイビド・ウィズナー:作 江国香織:訳 BL出版)
 アートとは何か? アートは楽しく愉快。アートは自己の存在を賭けてしまうもの。
 などという小難しい話を、ごまかすことなく真っ向賞美でありながら、こんなにシュールでわかりやすく描けるのはウィズナーの力。
 複数のレベルで解釈が可能ですが、それ以前に、子どもが読んでめちゃくちゃ面白いのがすごい。
 傑作。

『トラのじゅうたんになりたかったトラ』(ジェラルド・ローズ:文・絵 ふしみみさお:訳 岩波書店)
 『ウィンクルさんとかもめ』のローズが描く、昔話のように繰り返し読みも楽しい作品です。
 年を取り、獲物もあまり捕れなくなったトラさんはやせ細り、もう生きていけない感じ。いつも暖かい部屋でごちそうを食べている王様の家のトラ皮じゅうたんがうらやましく思えます。そこでトラさん考えた。そうだ、あのじゅうたんと入れ替わってやろう! こんなにやせ細ってペッタンコなんだもの、ばれない。
 思惑は見事成功。上に乗られてもひたすら耐えて、じゅうたんを演じるトラ。人間がいなくなれば食べ残しのごちそうにありつけます。
 しかし困った。あんまり栄養たっぷりで、だんだん太ってきたぞ。これではじゅうたんじゃないことがばれる・・・・・・。
 ね、楽しいでしょ。
 絵もなんだかだらり〜んとしていて心地良し。
 子どもも大喜びでしょうね。

『キジのかあさん』(クォン・ジョンセン:文 キム・セヒョン:絵 ピョン・キジャ:訳 平凡社)
 クォン・ジョンセンの遺作。
 山火事から子どもを守ろうと、体で雛たちを包み込んで焼け死んだキジの母鳥の物語。
 心暖まると読むか、きついと読むかは人それぞれですが、火事が消えても、餌を採りに出て行くけれど、眠るときは母鳥の亡骸の下という雛たちの姿がリアルです。
キム・セヒョンの絵は物語に共鳴して熱いです。

『くらくてあかるいよる』(ジョン・ロッコ:作 千葉茂樹:訳 光村教育図書)
 ロッコは生活を見直し、家族の繋がりを取り戻すために、停電を仕掛ける。
 それまでバラバラに好きなことにいそしんでいた家族が、まっくらになることで、協力し、そして屋上に出て夜空の明るさを満喫する。
 それは意図が見えやすい仕掛けですし、ましてやこの時期の日本で訳されることは作品とは別の意味を付与してしまうかもしれません。
 しかしそれでもこの絵本は魅力的です。ロッコの絵は夜の窓明かり、暗闇の戸惑い、屋上に出たときの爽快感などを、効果的なこまわりと、クローズアップで家族の右往左往と、その後に訪れる穏やかな幸せを実に楽しく表現しています。そして千葉による邦題が実にいい。

『じいちゃんのよる』(きむらよしお 福音館書店)
 夏休み、ぼくはじいちゃんの家に遊びに行く。
 大好きなじいちゃんとの毎日を描いていますが、じいちゃんの味わいが、もうなんともいえず良いです。
 表紙の絵からもそれはにじみ出ているとは思うのですが、賢者でもないし、がんこでもないし、だた、優しいのでもないし、そこにいる存在そのものが大好きって感じ。
 とてもおいしい絵本です。

『川のうた』(ラングストン・ヒューズ:詩 E.B.ルイス:絵 さくまゆみこ:訳 光村教育図書)
 ヒューズの最も鋭いイメージの詩とのコラボでルイスが絵本を造りました。
 アメリカではともかく、日本ではかつてほどヒューズの詩は親しまれていないかも知れません。こうして絵本として再現されることで、ヒューズの詩に興味を持つ人が、若者が、多く生まれるならとてもうれしい。
 絵によるルイスの解釈はユニークさや新解釈を目指すより、ヒューズの詩の再現に努め、背景としてあります。この詩は若さの勢いで書いてみたところ、奥深くの真実にまでたどり着いた感じがあって、そこがダイナミックでスリリングであるのですが、ルイスの絵は年上の友人のように、ニコニコとしてたたずんでいます。
詩をじっくりと楽しめる作品。

『ぺろぺろキャンディー』(ルクサナ カーン:文 ソフィー ブラッコール:絵 もりうちすみこ:訳 さ・え・ら書房)
 姉妹物です。
 友だちの誕生会に呼ばれたルビーナ。妹も一緒に行きたがりますが、もちろんそんなことはできません。ところが、パキスタン人のお母さんには妹を連れて行きたくない理由がわかりません。とうとう妹連れで行くはめに。
結果はさんざん。
ここからの話がいいのですね。
時が過ぎ、今度は妹が友だちの誕生会へ。すると末っ子が一緒に行きたがる。母親は当然連れて行けと言う。
さあ、妹はどうする? ルビーナは?
 姉妹物の代表的作品となるでしょう。

『蝶の目と草はらの秘密』(ジョイス・シドマン:文 ベス・クロムス:絵 百々佑里子・藤田千枝:訳 冨山房)
 シドマンの謎々を含んだ詩があり、次のページで謎解き。謎は草原に集まる動物に関する物です。
 謎解きが解説にもなっています。
 絵はスクラッチボードで描かれています。とても微細で、とてもリアルで、そして幻想的な画。

『どうしてダブってみえちゃうの?』(ジョージ エラ・リヨン:文 リン・アヴィル:絵 品川裕香:訳 岩崎書店)
 一つの物が二つに見えてしまうダブルヴィジョン。本人も保護者もなかなか気づかないケースが多いので、この絵本が啓発します。
 それが中心ですが、絵本としてのストーリー展開もなかなか良くできていて楽しめます。
 アヴィルの描く女の子もキャラクターがしっかりしています。

『おおきい ちいさい』(元永定正 福音館書店)
 赤ちゃん向けの概念認識絵本。と言わなくても、要するに同じ形状で大きさが違うものが画面に二つ並んでいます。
 ただそれだけだし、ただそれだけでいいのですが、それを元永は抽象のおもしろさで表現します。どれもが何か生き物のようで、でも見たことがないので、ただの抽象画かもしれず・・・。
 しかし、赤ちゃんにはとても親しみやすく愉快な絵に違いありません。
 もっと仕事を見たかったです。元永さん。

『おはなししましょう』(谷川俊太郎:文 元永定正:絵 福音館書店)
 言葉を交わし合うことの重要さと力強さを言葉で語る物語。
 谷川はいつものように軽妙に言葉を置きますが、言葉の強度は増していき、それへの信頼感を高めます。
それを可能にしているのは元永の絵。何の欲望もなくただシンプルに描かれていく言葉の泡たち。
このコンビでしか出来ない作品です。

『おとまり、おことわり』(ボニー・ベッカー:ぶん ケイディ・マクドナルド・デントン:え 横山和江:やく 岩崎書店)
 くまくんはとっても神経質で、生活もちゃんと決まったやり方があります。そんなクマくんのところにネズミくんがお泊まりにきたのですが、いつもと違うのでクマくん気になった仕方がない。そこでネズミくんは・・・・・・。
 大きさの違う二匹の愉快な友情物語の2作目です。画面全体の色合いの温かさと同じく物語も絵も暖かい。次作が待ち遠しくなる一作。
 絵本作家を目指す人にもいいお手本作品。特に絵は、隅々まで心配りがされているのがわかりますよ。

『つきよはうれしい』(あまんきみこ:ぶん こみねゆら:え 文研出版)
 交通事故に会い、体は治ったけど、家の外に出られなくなった「わたし」。
 ともだちのようくんが毎日来てくれます。ようくんのお父さんは水族館の館長。だからでしょうか、魚の話、水の中の話、そして、月夜は窓の外が月の光で海になるって教えてくれます。
 二人一緒に魚と泳ぎます。
 こみねの画風がベストマッチ。
 子どもの心の回復をゆっくりと伝えます。

『てのひらすいぞくかん』(ハン テヒ:作、 やの もみこ:訳 瑞雲舎)
 『てのひらどうぶつえん』の姉妹編。
 手のひらに色を塗って紙押した形を魚に見立てます。親指は口、残りの4本は背びれといった具合です。
 なかなか良くできていて見ていて楽しい。が、それよりも、子どもたちが自分たちの工夫で手のひらを使って魚たちの絵を描けるのが素敵。
 実践の手ほどきもありますので、教室でぜひやってみてください。

『ぼくのおばあちゃんはスター』(カール・ノラック:文 イングリッド・ゴドン:絵 いずみちほこ:絵 セーラー出版)
 おばあちゃんのどこが大好きかを次々と語っていく絵本です。
 でも、どこが優れているかとか、何が出来るかとかではなく、ただただ好きであることを語っているので、読んでいてとても愛おしくなります。
 少年にとっておばあちゃんはスター。もう何が何でもスターなんですね。
 ステキ。

『しんぶんあそび』(藤本ともひこ ハッピーオウル社)
 なんとわかりやすいタイトル!
 新聞紙を使った様々な遊びを紹介していくのですが、もう何でもありで楽しいです。子どもたちと遊びたいときとりあえず手近にある(この頃ではそうでもなくなりましたが。実は私も電子版を購読しています)新聞紙を使おう! ってノリがステキ。
 藤本の絵が愉快度を上げてくれます。

『みてみて!』(かとうようこ ポプラ社)
 縦開き幼児絵本です。
 画面の下にクマの子どもがいて、「みてみて!」と上を見ると、その先に何があるか? という趣向。
 これは単純に楽しいです。まだ世界と出会って間もない幼児にとって、「発見」がこのように(別に他の方法でもかまいません)わかりやすく示されることはとてもうれしく、充実するでしょう。
ただ、そのみてみて!の対象物は、もう少し吟味しても良かった気がします。

『オガサワラオオコウモリ 森をつくる』(有川美紀子&鈴木創:文と写真 小峰書店)
 オガサワラオオコウモリを中心に、小笠原に自然と動物を紹介した良書。写真絵本と解説書の中間くらいの作りなので、どういうスタンスで読めばいいか戸惑いがないわけではありませんが、情報として有意義です。
 小笠原のことを私は知らなすぎる。

『でんわ』(K.チュコフスキー:作 S.オストローフ:絵 田中潔:訳 偕成社)
 チュコフスキー作品にオストローフが絵を付けた絵本。
 「ぼく」のところに色んな動物から次々と相談の電話がかかってきます。電話の持つ機能を動物たちも使いこなすことによって、電話の便利さを伝えると同時に、いつでもかかってきてしまうプライバシーへの浸食も描いています。
もちろんチュコフスキーですから、そこは子どもに寄り添って、愉快に展開。
オストローフは過去の作品にその時代性を滲ませながら、絵をつけています。

『セコイア 世界で いちばん 高い木のはなし』(ジェイソン・チン:作 萩原信介:訳 福音館書店)
 少年が地下鉄のベンチに置いてあった絵本を手に取る。それはこの絵本自身。
本に導かれ少年はセコイアの森へ。
こうしてセコイアに関しての知識と物語が語られていきます。
導入が巧いなあ。それをチンの絵のリアルさが支えています。
 セコイア、すごいです。乾期にはてっぺん付近の葉っぱに霧を集めて地面に雨を降らしてしまいます。こういうスケールの話は、世界の広さを伝えてくれるので、子どもにも栄養になりますね。

『ふゆのき』(ふりやなな 福音館書店)
 ふりや自身が窓から眺めている風景から生まれた絵本。
 冬。木の枝には雪が積もり、鳥の餌となる実ももうありません。餌台に赤い実。黄色、赤、青、緑の鳥たちが一つずつ実をついばんでいきます。
 ただそれだけですが、赤い実を様々な色の鳥がついばむことで、ふりやは冬の中に鮮やかな色の饗宴を演出します。それも華やかにではなくささやかに。
 静けさがいっそう引き立っています。

『これもむし ぜんぶむし』(内田麟太郎:作 斉藤隆夫:絵 すずき出版)
 茶碗蒸しや腹の虫など、数々の虫を無視する学者は何の虫?
 内田がだじゃれを使って、リズム良く物語っていきます。
 何と言っても斉藤の絵がこの作品の愉快度をグーンとアップしています。
 無視する二人の学者の頑固ぶりはなかなかのもの。

『ぴんぽーん』(山岡ひかる アリス館)
 傑作『いろいろごはん』の山岡であるからして、表紙の四角い物が弁当箱に見えてしまった私はヘン?
 弁当箱ではなく、チャイムでした。
 赤ちゃん絵本で、パターンはシンプル。
 ぴんぽーん。「だれのおうちかな?」
 ページを繰ると色々な動物が出てきます。
 色合い楽しく、切り紙を貼り合わせた画面は、手書きとは別の温かさで包まれています。
 山岡さんって、やっぱりレベル高いなあ。

『パパと怒り鬼』(グロー・ダーレ:作 スヴアイン・ニーフース:絵 大島かおり・青木順子:訳 ひさかたチャイルド)
 ノルウェー発、DV絵本。
 暴力をふるうパパを悪い人、困った人としてではなく、一つの病を抱え苦しんでいる人でもある所も押さえて描いています。もちろんすべてのDVがこうではありませんが。
 息子の視点なので、パパの突然の変貌が理解できない様などもリアルで、読む物に迫ってきます。
 子ども読者にDVの一つの形態を創作絵本で伝えるとてもいい一例。
 スヴアイン・ニーフースの絵が迫ってきます。パパの心も絵として伝えています。

『さんすうサウルス』(ミッシェル・メーケル:ぶん ダグ・クシュマン:え はいじまかり:やく 福音館書店)
 数の概念を伝える絵本です。といっても語り手が肉食きょうりゅうですから、もう、数える物は狩って食べたきょうりゅうの数などであります。隕石も数えますよ。
 きょうりゅう好きの子どもにとってこの絵本は数による世界認識を把握するのにいいでしょうね。

『おじいちゃんはロボットはかせ』(つちやゆみ 文渓堂)
 初めて行ったおじいちゃんの家。おじいちゃんは発明家でロボットを造っている。「ぼく」用のロボットも造ってくれて、うれしい。でもロボットの調子は今ひとつ。そして・・・・・・。
 つちやの絵は濃いタッチでそのアナログな感じは、ロボットという作り物との相性は良くなく、読んでいて落ち着かないのですが、それがまた印象を強く残します。おじいちゃんが造っているロボットも鳥だとかペンギンとか妙なのも面白い。
最後のオチがなかなか効いていますよ。

『ごはんのとも』(苅田澄子:文 わたなべあや:絵 アリス館)
 苅田による、食べ物ユーモア物語。今回は、タイトル通り、ふりかけや納豆、漬け物と大集合であります。和食対洋食のバトルもございます。ははは。
 楽しい食卓にしましょうね。

『ゆでたまごひめ』(苅田澄子:文 山村浩二:絵 教育画劇)
 苅田による、食べ物ユーモア物語。今作は、たいくつでお城を飛び出したゆでたまごのお日姫さまがサンドイッチに捕まって、おにぎりたちが助けに行くお話。
それぞれの読者の子ども画好きな食べ物きらいな食べ物が大活躍で、もう、みんな食べたくなります。
そんなに甘くはないか。

『あさになったので まどをあけますよ』(荒井良二 偕成社)
 タイトル通りの行為が繰り返されていきます。様々な国、様々な朝の風景。
 荒井はそれらを全肯定して、世界のささやかで大きな喜びと幸せを伝えます。
 残念ながら、現実の人と世界はなかなかそうはいきませんが、たまにはこうして、ね。
おいしい空気に満ちています。

『やきいもするぞ』(おくはらゆめ ゴブリン書房)
 秋だ、落ち葉が一杯。秋ださつまいもが一杯出来た。
 じゃあ、やきいもするしかないよね。
 ということで、森の動物たちがやきいも大会(?)を始めます。
 何ほどのこともない設定をこれほどおかしく仕上げるおくはらの腕は確かです。
 えに関しては言うまでもありませんよね。

『ちきゅうの子どもたち』(グードルン・パウゼヴァング:文 アンネゲル・ フックスフーバー:絵 酒寄進一:訳 ホルプ出版)
 1990年に刊行された絵本の再刊。
地球が痛んでいくことを悲しむ子どもたち。大人たちはなかなかそれを聞き入れません。
 地球は子どもたちを隠してしまいます。大人たちは?
 エコロジー、脱原発絵本。
 訳者はあとがきで、過度なかわいがりへの警告と、適度な距離のコミュニケーションの重要性を書いていますが、賛成です。

『おれは サメ』(片平直樹:作 山口マオ:絵 フレーベル館)
 いつも嫌われ者のサメくん。なんだ? イルカくんはカワイイって言われるのに、なんで? お月様のアドバイスで浜辺に上がってみたけど、却って怖がられたやんかあ!
 でもね、好かれてしまったのよ。どうして?
 読んでね。

『あきねこ』(かんのゆうこ:文 たなか鮎子:絵 講談社)
 『ふゆねこ』から始まった四季ねこシリーズ完結編。公園で出会ったクロネコは絵を描いていました。その秋の絵に中に女の子は入っていき・・・・・・。
 1年楽しませていただきました。ありがとうございます。

『くさはら』(加藤幸子:文 酒井駒子:絵 福音館書店)
 家族と河原で遊んでいた女の子が草原に紛れ込み、遊び、不安があり、世界が草原だけになり、親に見つけられ、幸せな日常へと戻る。小さな出来事をリズムよく語るのですが、そのことより、酒井の絵の物語性の高さに圧倒される作品。

『なぞなぞのみせ』(石津ちひろ:なぞなそ なかざわくみこ:え 偕成社)
 お菓子屋さん、小物屋さん、本屋さんなど、小さなお店の中にあるものを探すなぞなぞが一杯です。どれも身近な物ばかり。
 今度、店に行ったら、あなたも、なぞなぞ考えて!

『たんじょうびって すてきなひ』(あいはらひろゆき:作 かわかみたかこ:絵 佼成出版社)
 パンダのヘレンは超へそまがり。みんなと遊んでいても溶け込まないし、お昼ご飯も一緒に食べない。だから友だちゼロ。ということはお誕生会も一人でやります。でもでも、それってやっぱり・・・・・・、ね。
 きっと恥ずかしがり屋さんだったのね。
展開はお約束通りの安心モード。かわかみたかこの絵は、ヘンにかわいく仕上げてなくて好感。

『どんどこどん』(和歌山静子 福音館書店)
 根野菜が抜けるダイナミズムや、引っ張るおもしろさなど、シンプルな快感を縦見開き画面で表現しています。
 さほど珍しいテーマではありませんが、新しい作品に更新させていくことは必要です。

『コンテナくん』(たにがわなつき 福音館書店)
 世界がどんな風に出来ているかの全体を一度に把握することは誰にも出来ませんが(自分は出来ると思い込んだ人は、独裁者を目指すでしょう)、様々な限定された角度やアプローチから伺うことは可能で、そうした見方や見え方、見せ方は、「私」と世界を接続するために重要だし、必要です。
小さな子ども向けの絵本の多くはまさにそれをしているわけです。それぞれの作品が、まだ世界と出会い始めたばかりの子どもに向けて、「ようこそ世界へ!」と呼びかけています。
この作品もその一つ。
コンテナという物流の土台を支える重要なアイテムの一つを描くことでそれを果たしているのです。
なるほど、コンテナとはいい思いつきです。
文字の置き方や、ロゴの選択・工夫に、まだ詰めの甘さを感じますが、このアプローチには大いに拍手を送りたいです。

『ふにゃらどうぶつえん』(ふくだすぐる アリス館)
 『サインですから』で奇妙なおかしさの中に、子どもの自我を子どもにもわかりやすく展開したふくだが、新たな展開を見せてくれます。
 動物園で見学している親子。画面は、少し絵心ができはじめて子どもの画風に描かれています。女の子、おはなちゃんはキリンさんに感謝の言葉を投げる。それを聞いてうれしくなったキリンはふにゃらとなってしまう。ふにゃらは、絵を描き始めたばかりの子ども絵風に描かれます。
様々な動物にそれが繰り返され、最後のオチに至るわけですが、二種類の子ども画の落差の中に当然子どもは自身の絵の歴史も垣間見て笑うでしょうし、その表現の使い分けと、それ故に起こる笑いのプロセスを理解するでしょう。
いやー、巧い仕掛けだなあ。

『ねえ、おきてる?』(ソフィー・ブラックオール:作 もとしたいずみ:訳 光村教育図書)
 小さな子と母親の絵本には、子どもを描いているようでいて、実は親の癒しや正当性を謳ったもの、自分はいかにあなたを愛しているかを訴えているものが少なくなく、これははっきり言って子どもには迷惑なのですが、この作品にはそうした策略はなく、子どもの側から描きつつ、ナレーションはしっかりと大人の立場で子どもをサポートしています。
 朝の四時に目覚めてしまったエドワードくん。さっそくママをお起こしにかかります。眠たいママはそれでもがんばってエドワードくんの質問に答え、まだ朝ではないことを伝えるのですが、自分が起きればもう朝であるエドワードくんにはなかなか通用しません。
 その掛け合いのおもしろさは、この二人が依存ではなく信頼関係で結ばれていることを良く伝えています。
 眠たい顔と、起こそうと思惑含みの顔。これが実にいい表情!
 笑えますよ。

『おつきさま、こんばんは!』(市川里美 講談社)
 ページを繰るごとに世界中の人形がお月様にご挨拶。
 それぞれの文化の違いも浮かび上がらせながら、生きる喜びを伝えます。
 市川の絵の奥深さを今回も堪能しました。

『がたぴしくん』(たしろちさと PHP研究所)
 もう古くなってガタピシ音を立ててしまうバス。たしろはそのバスを、所々に小さな遊びを入れた絵で風景と共に描くのですが、ノスタルジックに陥るギリギリの色合いとタッチで、巧くバスの心象を表現しています。
ストーリーも、町の大事な記憶としてのバスを大切にする温かさと、引退したバスの生き甲斐の両方を絡ませた仕上がりで秀逸。

『ハエのアストリッド』(マリア ヨンソン:さく ひだに れいこ:やく 評論社)
 元気なアストリッドちゃんの冒険を描いています。
 彼女はハエですから、その舞台は人間の家の中。
 冒険といってもほぼ食べるだけなんですけどね。
 そして、そして、つい夢中で食べていて、大変なことに!
 どの画面もハエ本意で描いてあって楽しいよ。

『おふとんかけて!』(ディーン ハコエン、シェリー シャーシュミット:作 いしづちひろ:やく BL出版)
 おふとん部分がページの開け閉めでめくれるようになっているシンプルな仕掛けです。
 子どもたちの寝るときと起きるときの実感あふれるアイデアが秀逸。
 何度も何度もめくりたくなりますよ。
 あ、着せたくもね。

『地平線のかなたまで』(ヘルヤ・リウッコ・スンドストロム:文・陶板 稲垣 美晴:訳 猫の言葉社)
 子ウサギは跳ぶ練習の真っ最中。でもなかなか上手になりません。お母さんも心配しています。木に登るのは得意なんですけどね。
落ち込んだ子ウサギ。彼はどうして自信を取り戻していくのか。
昔話的物語に近代的個の自立が描かれていきます。
陶板画のなんと幻想的で美しいこと! これは一度見なくてはなりませんぞ。

『ヤマネさん お山にかえるまで』(西村豊 アリス館)
 自然写真家西村が実際に飼うこととなったヤマネの子ども二匹の巣立ちまでを追っています。
 民家に巣を作っていたヤマネの親が驚いて逃げて残された子どもヤマネを野生傷病鳥獣救護ボランティアである西村さんが引き取ることになります。このボランティアは長野県知事の許可がいる正式な物です。
まだ授乳期の二匹ですから世話も大変、でも、喜びも大きい。
自然な中のヤマネを活写した物ではないので、写真絵本的奥行きやダイナミズムは当然ありませんが、その代わり西村さんと一緒にヤマネの成長を見守る喜びが得られます。
もう、カワイイんだから。

『センジのあたらしいいえ』(イチンノロブ・ガンバートル:文 バーサンスレン・ボロルマー:絵 津田紀子:訳 「こどものとも 年中」2011.11 福音館書店)
 引越した家は中古で、センジの部屋もイマイチ。古びた壁。なんだかがっかり。
 ところがね、壁の模様が楽しい生き物に見えて、飛び出してきて。
 ファンタジー空間と日常が程よく溶け込んで記憶に残るできばえです。

『みーつけたっ』(あまんきみこ:ぶん いしいつとむ:え 小峰書店)
 「あかりちゃんえほん」シリーズ。
 あかりちゃんと森の動物たちは落ち葉の舞う中でかくれんぼ。すると、どこからか「もういいよ」。あれ、誰の声? わからないまま家に帰ってお母さんに話すと、笑います。
 次の日、さてあかりちゃんたちは誰を見つけたでしょう。
 幸せ全開のあまんワールドをご賞味あれ。

『森はみんなの保育園』(深井聰男文 深井せつ子絵 「たくさんのふしぎ」2011.11 福音館書店)
 TVでも紹介されていたことがありますが、森の中で保育活動をするデンマークでの試みを詳しくレポートしています。
 子どもたちが森で発動する自由な好奇心を育てていきます。
 日本には山は多くても住宅近くに平地の森はそれほどなく、国土の環境は違うのでそのまま参考にするわけにはいきませんが、森でなく遊び場のある保育園や、公園でも、いや家の中でも、自由な好奇心を育てることはできます。その視点さえ大人が持っていれば。

『わたしのにわ』(ケビン・ヘンクス:さく いしいむつみ:やく BL出版)
 ママのお庭は菜園。とっても楽しい。でもね、わたしが自分の庭を持っていたら・・・・・・。
 想像の庭が画面一杯に展開します。
 『秘密の花園』や『トムは真夜中の庭で』のハティにとっての庭(トムのではありません)など、庭はその中にいると同時に、庭そのものを所有する喜び、逆に言えば自身の所有する喜びを表象します。
 この絵本ではかなりベタに想像を広げていますが、それは対象年齢とも関係しているのかも知れません。物と物との関係性や物と物との連座を理解する前の子どもは、なるほど思わぬ想像の広がりを見せますし、それを豊かな想像力と喜ぶ大人の反応も理解できますが、そこから、関係や連鎖を理解し始めた子どもをどう言祝いであげるかの方がよほど大切だと私は思います。
 この絵本はそうした言祝ぎの一つとなっています。

『じゃがいもアイスクリーム?』(市川里美 BL出版)
 アンデスの山頂に住むルーチョに家族。朝も昼も晩もごはんはじゃがいも。でも、おいしいからいいや。でもでも、町で食べたアイスクリームはおいしかったなあ。
 ということで、じゃがいものアイスクリームをおかあさんが作ってくれます。
なんか、おいしそうですよ。
今作は大きな空間を描く市川の伸びやかな色合いと、ルーチョの表情をお楽しみくださいませ。

『スミス先生とふしぎな本』(マイケル・ガーランド:作 藤原宏之:訳 新日本出版社)
 「スミス先生」シリーズ1作目。
 今作は本を読む楽しさを伝えます。
 スミス先生が読む本の中から登場人物たちが次々出てきます。おなじみの物語のおなじみの人物たち。先生が用事で教室を出た後、子どもたちが勝手に読み出した物だからもう大変!
 知らない物語を読みたくなる、お誘い絵本です。

『あかいぼうしのゆうびんやさん』(ルース・エインズワース:さく こうもとさちこ:やく 福音館書店)
 絵も物語も少し懐かしめの絵本です。
 動物たちが困っているのは、郵便配達がいないこと。そこで公募すると、ネコとリスと犬がやりたいといいます。じゃあ、ためしに一匹ずつやってみて。
 もちろん、みんな失敗します。その辺りも楽しめます。
 そして引っ込み思案のコマドリに白羽の矢が立ち、見事役目を果たします。もちろんコマドリは子どもの投影。
 お約束通りに進む話とペン画に色を落としたシンプルな絵がピタリと合って、安定した作品に仕上がっています。

『カレーだいおうのまほう』(石黒ヒロユキ ひさかたチャイルド)
 日常生活物は「まかせなさい!」である、石黒のカレー作り絵本。ヘレン・クーパーのものすごいパワーあふれる『かぼちゃスープ』シリーズが先行してあるだけに、温和しめ画風の石黒は少し損をしているけれど、ユーモラスさでは負けていません。
 ちょこっと仕掛けがあるのも、ちょこっとなところが良いです。
 インド鍋はともかくインド炊飯器は知らなかったので、説明が欲しいところ。調べたら、おこげが出来やすいように造ってあるのですって。だから日本の白米を炊くのには向いていないそうな。
 カレーはもっとインド風であってもよかったですが、それだと子どもがイメージしにくいので、これでいいのかもしれませんね。

『すいかのたび』(高畠純 絵本館)
 わかったようなわからないような、素敵なおかしさ(たとえば長新太なら理屈で解ける部分が多い)を届けてくれる高畠の、夏の絵本。
 夏だからすいかで、夏だから海で、だから海をすいかが漂っていきますなあ。
 丸い物が浮かんでいるので、様々な海の生き物がその上で休んだり、遊んだりしますなあ。
 最後はクジラの頭に乗っけてもらって、どこかへ行きましたなあ。

『れんこんのあな』(松岡真澄 「かがくのとも」2011.12 福音館書店)
 れんこんはどのような植物から収穫するのかをわかりやすく描いています。子どもが食する物の中で興味を持ちそうな形状をしているものの一つが、このれんこんですから、こうして示されることで、水や光りや自然と食物の繋がりが印象深く残ります。

『どうしてダブってみえちゃうの?』(ジョージ・エラ・リヨン:文 リン・アヴィル:絵 品川裕香:訳 岩崎書店)
  一つの物が二つに見えてしまうダブルヴィジョン。本人も保護者もなかなか気づかないケースが多いので、この絵本が啓発します。
 それが中心ですが、絵本としてのストーリー展開もなかなか良くできていて楽しめます。
 アヴィルの描く女の子もキャラクターがしっかりしています。

『これ、わたし』(さわだともこ 「たくさんのふしぎ2011.12」 福音館書店)
 セルフポートレートアーティストによる、初絵本。
 さわだの様々に化粧した顔が展示されています。七変化をする意図はなく、同じ顔がほんの少し手を入れるだけで、ほんの少し印象が変わる様子を示しています。ですから、これは日常の一コマそのもののクローズアップです。普段はどれか一つを選択して、これが自分ですと見せているわけですが、こうして複数展示されると、自我の曖昧さが浮かび上がってきます。それは現代が抱え込む悩みの一つなのですが、この作品はそれを考えるきっかけを与えてくれるでしょう。

『トリックアートクイズ』(北野明佳:監修 グループ・コロンブス:構成・文 あかね書房)
 好調『トリックアート』シリーズ最新作。今回はトリックアートでクイズをします。というかクイズでトリックアートを楽しみます。
 これ使って、意識の柔軟性を養う授業を楽しくできますね。

『うんちっち』(ステファニー・ブレイク:作 ふしみみさお:訳 あすなろ書房)
 以前PHP研究所(2004)から出ていた絵本の再刊。判型が原書サイズに戻されています。
 うんこ物は子どもたち大好きなのですが、それはなにも肛門期を云々しなくても、親や大人が反応しやすい言葉だからおもしろいと考えていいでしょう。つまりは、コミュニケーション。
 この絵本は子どもがうんちとしか発さない姿をそのまま描いていて、共感度が高いでしょうね。

『おかあさんはおこりんぼうせいじん』(スギヤマカナヨ PHP)
 おかあさんは毎日毎日ガミガミうるさい。と思っている子どもは多いはず。スギヤマはそんな気持ちにストレートに付かず貴、ほとんど宇宙から来た悪者にしか見えないお母さんを描きます。読んでいても、ああ、もういやだ、聞きたくない!って小言のオンパレード。
 いいですね〜。
 もちろん最後は回収していますよ。

『サンピラー お母さんとの約束』(堂園晴彦:文 本田哲也:絵 石風社)
 ホスピス医療の中で遺された子どもの心のケア絵本。
 肺がんで入院した母親の心と共に、父と子はサンピラーを見に山に登る。
 感動を引き起こす物語ですが、感動だけでは、ケアになるとは思えません。が、現場での体験から生み出された物語ですから、ここからどうブラッシュアップしていけるかでしょう。

『ゴリラとあそんだよ』(やまぎわじゅんいち:文 あべ弘士:絵 福音館)
 モンキセンターの元研究員だったやまぎわの、体験を絵本化。
 ゴリラの子どもが2匹遊んでいるのを観察していると、気づいた2匹が彼と遊ぼうとします。
 ゴリラのコミュニケーション力、社会性などを子ども読者に伝えます。
 絵の担当はもちろんこの人。

『ホルンくんとトランくん』(セバスチャン・ブラウン:さく 中川ひろたか:やく BL出版)
 ショベルカーのホルンくんは工事現場で毎日働いています。ある日、大きな岩を掘り起こせず落ち込みます。仲間の働く車に励まされ・・・・・・というわかりやすい展開と、親しみやすい温もりのある絵。
 原題にDIGGERとありますから、ホルンくんでもいいのですが、ジョベルカーがホルンくんで、トラックがトランくんだと、ネーミングの仕方が違うので違和感が少しあります。

【児童文学評論】 No.165 Copyright(C), 1998〜