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以下は、ほそえさちよによる書評です。
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●仕掛けが見えるということ
『どうなってるの? きかいのなか めくって楽しい95のしかけ』コンラッド・メイスン文 コリン・キング絵 福本友美子訳 (2006/2012.5 ひさかたチャイルド)
『どうなってるの? からだのなか めくって楽しい57のしかけ』ケイティ・デインズ文 コリン・キング絵 福本友美子訳 (2006/2012.5 ひさかたチャイルド)
『どうやって作るの? パンから電気まで』オールドレン・ワトソン作 竹下文子訳 (1974.2002/2012.2 偕成社)

ものが動いているのを見るのは面白い。何かが出来上がるのを見るのは楽しい。自分の体はいつもふしぎだ。だから子どもの本でしかけやからだを図解する本は、いつの時代にも作られてきた。デビット・マコーレイの一連の作はその白眉だが、コリン・キングの本も親しみやすくよく考えられている絵本だ。『どうなってるの?きかいのなか』『どうなっているの? からだのなか』では、めくりというしかけを使って、細かな情報を楽しみながら絵本に組み込むことに成功している。「からだ」のほうは、類書もいくつかあり、情報としては新しいので、なるほどな、と思うけれども、「きかい」のほうは、めくることで、その仕組みを知るというのが、楽しく、わくわくします。
『どうやって作るの?』は今から38年前に刊行された絵本。ノンフィクション絵本でこんなに古い本が刊行されるのはめずらしいこと。百科事典でさえ、最新のデータを基に数年で改訂されている現代ですから。ただ、ものの作り方、動かし方の基本はあまり変わっていないのだなあとこの絵本を見て思います。ゴムはゴムの木の汁をあつめて乾かして「天然ゴム」に。紙も木から。紙の作り方を見せたあとには、本の作り方……と、連想させて、ものを紹介していくところが有機的な羅列ともいえる展開で、とてもいい。最後にお家の中を見せて、今まで紹介してきたものたちが、自分たちの暮らしの中で使われている様子を読者である子どもがひとつひとつ指差して、確認したくなるだろうなと微笑ましく思いました。ノスタルジックに昔の本はよかった等とは言いませんが、やはり子どもが自分のペースで中身を楽しむゆとりとそれを助ける手だてを尽くしてある本だなあと感心しました。
現代はブラックボックスのなかであらゆることがすまされています。食べ物のもともとも電気の元々も、製品のもともとも、何がどうしてこうなっているのか、説明できません。それは、暮らしをもっとシンプルにしなくてはならないときにとても困ってしまいます。自力で生きていけないという状況を招くことにもなると、私たちは知ってしまいました。だからこそ、これらの仕組みの本、もののもともとの成り立ちを知る本は今まで以上に必要であり、そこから抽出された知恵を身近に携えていくことが、子どもにも大人にも大切になるのではないかしら。このような時期に幼い子どもから楽しめる仕組みの本が続けて刊行されたことは、とても意味があると思いました。

○ その他の絵本たち
『ぼくたちのいえはどこ?』アレクシス・ディーコン文ヴィヴィアン・シュワルツ絵 木坂涼訳(2011/2012.1徳間書店)
廃品置き場の壊れたベッドの中がお家だったねずみくんたち。人数が増えて窮屈になってきた。新しいお家を探さなきゃと、出かけるのだが、明るいところは怖くって、手近におちていたゴム手袋や水道の蛇口なんかをかぶって歩きはじめます……。ウィットにとだシチュエーションとわやわやとかわいらしいねずみくんたち。シュルツのイラストは細々したところと、すこんと抜けたところの落差をいいあんばいに見せてくれる。画面のリズムがそのままねずみくんたちの心の動きと重なって楽しい絵本。

『あなた』谷川俊太郎文 長新太絵 (2000/2012.3 福音館書店)
『わたし』(年刊)の対になる本として書かれているのだと思う。Iに対するYOUのおはなし。「わたし」とたくさんの「あなた」で「わたしたち」と、定義しているのが新鮮。ひとだけでなく、木や草や動物たちも「あなた」とするのも、アニミズム的だけれども、子どもや日本人の心性には親しみやすい。

『はずかしがりやのミリアム』ロール・モンルブ作 マイア・バルー訳(2009/2012.1 ひさかたチャイルド)
名前を呼ばれただけで真っ赤になってしまうミリアム。「トマトっこ」なんてみんなにはやし立てられます。でも、詩の朗読をきちんとやりとげ、皆に認められることで引っ込み思案から抜け出すことができました。子どもの本としてはよくある展開だけれど、丁寧に展開しているところ、今の子どもに伝わりやすい軽やかなイラストレーションの雰囲気がいいと思います。

『つぼづくりのデイヴ』 レイバン・キャリック・ヒル文 ブライアン・コリアー絵 さくまゆみこ訳 (2010/2012.1光村教育図書)
200年も前、アメリカで陶芸に携わった奴隷がいて、その製作されたつぼの美しさ、つぼに刻まれた短い詩の見事さを、この絵本ではじめて知った。ブライアン・コリアーは『ローザ』や『リンカーンとダグラス』『キング牧師のちからづよいことば』『希望の子 バラク・オバマ』など、アフリカ系アメリカ人のエポックメイキングな人たちを取り上げた絵本で知られる画家であるが、その人が、つぼつくりのデイヴという知る人ぞ知る黒人奴隷の陶工を主人公にした絵本を創ったことが素晴らしいと思う。名もなき人々の中で、自らの技術と思いで生きてきた痕跡を残すことができたデイヴの生涯に、コリアーは自らを重ねていたのかもしれない。実際にデイヴが暮らし働いていた土地に出向き、取材した時のことを巻末に記している。デイヴがつぼを作る様子を描く、ヒルの詩は簡潔で力強い。デイヴのつぼのようにどっしりとしている。

『小さいりょうしさん』マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ダーロフ・イプカー絵 やましたはるお訳 (1945/2012.7 BL出版)
『夜のねこ』(大日本図書)で知られるイプカーとワイズ・ブラウンがコンビを組んだ絵本。イプカーの絵本処女作となっている。黒、青、黄色、オレンジの描き分け版による絵は墨線が伸びやかで、波や魚たちが意匠的でありながら、動きのある画面を作っている。「大きいりょうしさんは、大きいふねで」と「小さいりょうしさんは、小さいふねで」と対比させ、くりかえすテキストのリズムが面白く、ワクワクと読んでいける。ときどき、破調のようにワイズ・ブラウンのささやき声がテキストに入ってくるのも楽しい。大きいりょうしさんは、金髪で大柄、小さいりょうしさんは黒髪で小柄。人種の違いを表しているのかどうかはわからないが、それぞれのやり方を尊重し、仕事をしている姿を見せているのかしら。家に帰って家族に、大きいりょうしさんは小さい魚の話をし、小さいりょうしさんは大きな魚の話をするというのが、オチになっていて、ふふふっと笑ってしまう。

『オオカミがとぶひ』ミロコマチコ(2012.8 イースト・プレス)
音とイメージが動物の形になって現れる。そのイメージのつながりが「ぼく」の心象に重なってい進んでいくので、単なる羅列ではなく、かすかな物語の始まりを感じさせる力をはらむ。そこがこの絵本のすてきなところ。迫力ある動物たちの絵がそのイメージをより広げ、読者にちらっと原初の風や雨や夜の姿を見せるのだ。動物たちの存在感に比べ、「ぼく」の描き方が単調なのがおしい。本書が初めての絵本となる作家。これからも絵本を書き続けてほしい人だ。

『パパとわたし』
マリア・ウェレニケ作 宇野和美訳(2010/2012.10 光村教育図書)
モノクロの線画とマチエールのある絵の組み合わせ。詩のような短い言葉。その交差するところに現れる父と娘の持つ豊かな時間と空間を、しんとした心で受け止めたい絵本。それぞれに自分の時間を慈しみながら、また惹かれ合う二人の時間をそれぞれに味わっている。そのようすはまさに父と娘の間だからこそのもので、ひそやかで甘やかな時間のように感じられた。これが父と息子、母と娘では、このような雰囲気にはならないのではないかしら。アルゼンチンの作家による、繊細な気持ちをそっと掬い上げてくれる絵本。

『発電所のねむるまち』マイケル・モーパーゴ作 ピーター・ベイリー絵 杉田七重訳 (2006,2012/2012.11 あかね書房)
モーパーゴが実際に幼少期に育ったブラッドウェル・オン・シーでの原子力発電所の建設時に見聞きしたことをもとに書かれた物語と言って良いだろう。ちょうど、初版の時の2006年の時には、ガーディアン紙に孫の時代のことまで考え、今の生活の在り方を考え直すべきではないかという提言を書いている。その考えはそのままこの作品に静かに流れており、主人公のマイケルの目でとらえられるペティグルーさんと母の姿、村の人たちの変化など、50年前の悲しみから現在を振り返っている。この本が現在の日本で刊行されることの意味を深く感じ読み広げていきたいもの。

『かえでの葉っぱ』D・ムラースコヴァー文 関沢明子訳 出久根育絵 (1975/2012.11理論社)
旅する葉っぱの物語。大きな楓の木からとびたった一枚の葉っぱ。銀を探して石をじっと見ている少年に出会い、はさまった石のあいだから取り出してもらい、また遠くへと飛んでいく。畑や草原を過ぎ、川を流れ、霜にうたれ、雪をかぶり、葉脈だけになって飛んでいく葉っぱ。最後にまた少年に出会い、彼の起こすたき火で燃え尽き、今までのお話をつたえるまでを詩的なテキストと美しい絵でまとめている。お話だけで充分楽しめる内容だが、透明感のある絵具を塗り重ねたような絵がチェコのくぐもった不思議な風合いの風景を見せてくれるのがうれしい。静謐で納得がいく物語絵本。

『だいすき ぎゅっぎゅっ』フィリス・ゲイシャイト-/ミム・グリーン文 デイヴィッド・ウォーカー絵 福本友美子訳 (2012/2012.12 岩崎書店)
小さなウサギの子の一日をリズミカルな文章とかわいらしい絵で綴った絵本。さりげなく時計と時間をテキストに忍び込ませているところが、少し知育的。原書のタイトルは"TIME FOR A HUG"なので、そこのところは意図して書かれているのでしょう。日本版では、親子が「だいすき」と、ぎゅっと抱きしめ在るところに主眼をおいています。優しく愛らしい絵本。

『あかにんじゃ』穂村弘作 木内達朗絵 (2012.6岩崎書店)
歌人でエッセイも人気の著者が手がけた初めての創作絵本。もとは『母の友』(福音館書店2007.11)に掲載された童話。捕まりそうになるたびに、変身する「あかにんじゃ」。忍者だけど、赤だから、変身しても赤くて目立ってしまうところが何ともおかしい。ページをめくるリズムと変身のリズムが合わさって、絵本らしい展開。お殿様もおまわりさんも一緒に暮らすこの絵本の世界でも、同じように夕焼けはきれいです。このラストシーンを見ながら、著者の歌「校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け」を思い起こしました。この"包まれて在る"というのは幸せな子ども感覚だったなあ。

『リッキのたんじょうび』ヒド・ファン・ヘネヒテン作絵 野坂悦子訳(2011/2012.11 フレーベル館)
うさぎのリッキのシリーズ最新作。リッキのお誕生の日、友達がたくさんお祝いに来てくれて、プレゼントももらい、皆でパンケーキも食べて、大満足。お誕生日の日、一日で一才大きくなっちゃうんだもん!というリッキのかわいらしさ。もらったプレゼントをどんな風に使っていくか、自分で見つけていく毎日。子どもに対する作家の目のあたたかさ、確かさを感じさせる絵本。

『ひめちゃんひめ』尾沼まりこ文 武田美穂絵 (2012.11 童心社)
絵本テキスト大賞受賞作。お隣に引っ越してきたひめちゃんは、いつもひとりであそんでいる。「さみしくないし、ひとりでもへいき」というひめちゃんの泥団子作りを手伝って、プリンをもらってけらいになってしまったぼく。そんなぼくとひめちゃんのやり取りをテンポよく絵本にしている。29ページのテキスト、「だって わかっちゃったんだ。」の後の2行は、言わずもがな。絵本のテキストを書くなら絵と文の余白や関係性を読み取る読者をもう少し信頼しないと。ともあれ、ぼくとひめちゃんの交流がうまく次のステージになったことを安堵し、うれしく思う読者は多いはず。元気だけれど素直になれない女の子とおとなしくて心優しい男の子のコンビが面白い絵本。

『おやすみなさい おともだち』ケイト・バンクス作 ゲオルク・ハンスレーベン絵 肥田美代子訳(2012/2012.11ポプラ社)
おやすみなさいの前に、絵本を読んでもらう男の子。持ってきたお気に入りの絵本の表紙はこの本の表紙と同じもの。話中話として、絵本が語られ、いつの間にか、画面も男の子の持ってきた絵本の絵になっていて、絵本のテキストに男の子とお母さんのセリフがかぶっていきます。読んでもらっている男の子の情景と読んでいる絵本の場面の両方をカメラの視線がゆれるように、絵にしてみせる画家の目の巧みさ。その動きが優しくあたたかな時間をふくらませてみせてくれます。冬ごもりをする熊さんが春に目覚めるまでを描いた絵本を読んでもらうと、最後にはねむたくなってしまう男の子。絵本を真ん中にして話し合う時間の愛おしさにあふれた絵本。

『おかしなゆき ふしぎなこおり』写真・文片平孝(2012.11 ポプラ社)
帽子のように雪をかぶった小屋の表紙写真が楽しい写真絵本。雪のふってくる様子を観察する絵本は何冊かありましたが、降った後の雪の様子や霜、氷の様子を見せてくれる本はなかなかなかったですね。くり返し積もった雪の記録や風に飛ばされて丸い小さな玉になってころがる雪、気温が上がってべたべたくっ付く雪、風に向かって伸びる氷……。見慣れた雪や氷の姿の意味や、見慣れぬ雪山のさまざまな雪の姿がカメラで切り取られ、説明されると、なるほどとうれしくなります。今まで珍しいものを写真で届けてくれるのが写真絵本の楽しさだと持っていましたが、身近なところをカメラの目で見直すのも面白いですね。写真絵本の裾野も広くなりました。

『しずかな、クリスマスのほん』デボラ・アンダーウッド文 レナータ・リウスカ絵 江國香織訳 (2012/2012.11 光村教育図書)
『しんとしずかな、ほん』でおなじみのくまくんやうさぎさんたちのクリスマスを待つ毎日の中に訪れる「しん」とする時間。クリスマスがもたらす願いや祈りをつつみこむ、あたたかな静けさが心地よい。

『シャオユイのさんぽ』チェン・ジーユエン作 中由美子訳(2001/2012.11光村教育図書)
アメリカやフランスでも知られる台湾の絵本作家による絵本。本書の著者紹介に載ってはいないけれど、すでに3冊、『赤い花』、『ぼく、グジグジ』(ともに朔北社)、『いちばんすてきなクリスマス』(コンセル)がチェン・チーユエン作の表記で日本で翻訳紹介されています。『赤い花』は文字無し絵本、『ぼく、グジグジ』は台湾版から、『いちばん?』は英語版からの翻訳。本作は台湾版からの翻訳なのでしょう。お父さんに頼まれて、外に遊びに出たついでに、卵を買ってくることになったシャオユイ。家の屋根の影の上を歩き、ネコをおいかけ、ビー玉を拾い、誰かのおとした眼鏡もかけて、何でも売っているお店屋さんでお買い物。街並みや人の服装等少し昔の日本に似て、親しみやすい雰囲気の画面。言葉遣いは少し詩的で、シャオユイの行動で場面が展開していくのが、子どもらしい。柔らかな影とセピアな建物、温かみのあるグレーが、グラフィカルな画面に優しさを与えています。

『ねむるまえにクマは』フィリップ・C・ステッド文 エリン・E・ステッド絵 青山南訳 (2012/2012.11 光村教育図書)
コルデコット受賞作家コンビによる2作目。冬眠に入るまでに、仲間に何かお話ししたいと思って、出かけていくクマさん。「ぼくの話、聞いてくれる?」とお願いしても、みんなそれぞれに忙しく、ついついそのお手伝いをするはめになる気のいいクマさん。そして、雪が降り、穴の中で春まで冬眠するクマさん。春になって、皆がクマさんのお話を聞いてくれることになったのですが、話そうと思っていたことを忘れてしまい……。よくあるグルグル話の構造なのですが、ステッドの独特な雰囲気の絵が少し寂しげなのに、なんともおかし味があるのが不思議。

『みて、ほんだよ!』リビー・グリーソン文 フレヤ・ブラックウッド絵 谷川俊太郎訳(2011/2012.11 光村教育図書)
荒れた木の塀にかこまれた家。赤い本がおちていてもおばあさんは気にせず家に入っていきます。けれど、その後にやってきた男の子と女の子は、本を見つけて開きます。本は二人を不思議な世界に連れて行く。本を読んでくれたおばあさんも。一緒に聞いていたみんなも。何度でも。本と即物的に出会って、少しずつ仲良くなっていくような展開が、少しシュールな風景で綴られます。その雰囲気を楽しんで。

○ その他の読み物たち
『つるばら村の魔法のパン』茂市久美子作 中村悦子絵 (2012.11 講談社)
つるばら村のシリーズの10巻目。くるみさんがつるばら村の駅前に三日月屋というパン屋さんを持ってから、そろそろ7年、宅配でパンを売っている頃から数えると10周年になろうとしています。その春から次の年の春までの一年に出会った不思議な出来事を綴った8話が一冊まとまった短編連作童話。くるみさんのまわりには、山に暮らす動物や不思議なものたちがそっとやってきて、いろいろと手助けしてくれます。森のお茶会でパンをふくらませる新しい酵母を教えてくれたタヌキ、立派な緑のカーテンをもってきてくれたキツネ、がんづきをふるまってくれた山んば……。身近な自然の力をそっといただいて、共生する暮らしがこの物語の中に息づいています。それは作者が大事にしてきた暮らしの思想でもあるのでしょう。最終巻らしく、くるみさんは、はちみつ屋のナオシさんに思いがけずプロポーズして、ジューン・ブライドとなりました。14年かけて広げてきた物語世界がいったん終わってしまうのは寂しいですが、今までに本の中で出会ってきた村に暮らす人たちのその後を、ゆっくり想像するのもいいかもしれません。


『バディストさんとハンガーブルグ=ハンガーブルグ伯爵のおはなし』ルドウィッヒ・ベーメルマンス作 江國香織訳(1937/2012.1 BL出版)
優秀な執事のバディストさんが定年後、ねこと二人っきりですごしていたときに見つけた求人広告。今までのご主人からもらったお礼の手紙や推薦状に手紙をつけて、バディストさんはハンガーブルグ伯爵のお城へ。伯爵はちょっと変わった人で、自分でいろんなものに名前をつけ直し、それで会話をしていきます。犬は「互いに、互いの友達」、階段は「足持ち上げ」、ベッドは「夢の箱」……。読みながら、この伯爵は詩人だなあと思いました。ものの成り立ちや本質を言葉にせずにはいられないのは詩人の質ですからね。それを慮るバディストさんは、まことに優秀な執事と言えましょう。二人が暮らす様子は、大まじめで、なんともおかしく、心和みます。それが、あらら……と言う展開で、落語みたいなオチになるとは。おおらかなベーメルマンスらしいおはなし絵本です。

『ねえ、おはなしきかせて』原 京子作 高橋和枝絵 (2012.4 ポプラ社)
お母さんに本を読んでもらうのが好きなゆか。今までは「読んで」とお願いすれば、いつでも本を開いてくれたお母さんが、弟が生まれてからはなかなか時間をとってくれません。つまらなくて、近所の大きな木のあるお屋敷あとに本を持って出かけて、自分で読むことにしました。そこで声を出して読んでいると、いろんな動物たちがおはなしを聞こうと出てきたのです。自分の声に自信のない女の子が、ひとりの時間を豊かに過ごすことで成長する側面とお屋敷跡の再開発のお話とが重なっているのがおもしろい。ただ、そのためにお屋敷跡に出てくる動物たちを熊やオオカミ、イノシシ、サルなど昔話によく出てくる動物と重ねなくてはならなかったところがファンタジーとしてはちょっと苦しく、もう少し身近なものをつなげる工夫があっても良かったかなとも思った。

『妖怪一家 九十九さん』富安陽子作 山村浩二絵 (2012.1 理論社)
草ぼうぼうの野原と雑木林を切り開いて建てられた化野原団地。そこにはヌラリヒョンやろくろっ首、やまんば、見越し入道、一つ目小僧、アマノジャク、サトリが家族のように住んでいます。水害から団地を守るために池にはカッパ。残された雑木林にはオクリオオカミの一族がすんで、夜の団地を走り回り泥棒等から見守り、カラス天狗は空から見はって、火災の発生を見つけたら消防署へ通報……と、それぞれに役割を受け持って暮らすなんて!  その姿をなるほどのリアリティで支えているのが細やかな挿絵の魅力。現代に生きる妖怪たちをそれを支える人間のやり取りがなんともおもしろく、本当に妖怪たちと人間の共生を目指す地域共生課が市役所にあるような気がしてきます。この物語を人間たちに飼いならされた脆弱な妖怪たちのお話と読むよりは、様々な文化的背景を持つ者同士が一所にいる面白さとしてとらえる方が現代に通じる。

『かなと花ちゃん』富安陽子作 平澤朋子絵 (2012.2 アリス館)
いつ頃のお話だろう、ひもを引っ張るとおしゃべりするお人形が最新式と憧れられているところを見ると、60年代初めだろうか? 少し古風な雰囲気の物語。おばあちゃんに買われて孫へのプレゼントになった花ちゃん。でも、野原に置いてきぼりにされて、7日経ったとき、かなという女の子に拾われるのだ。かなは花ちゃんの声が聞こえる。「うちの子になりなよ」というかなに、見つけてくれたのはとってもうれしいのだけれど、わたしのお母さんにはなれないと答えると、「お姉ちゃんになってあげる」というのだ。子どもは自分の思いを遂げようとするときには、本当に必死に考え、行動するものだなあと感心する。家で八百屋を営み、弟がふたりもいるかなは、ひとりぼっちという訳ではないのだけれど、花ちゃんと心通わせ、いろんなふしぎに出会っていく。お寺の四天王とお話ししたり、人形師のおじいさんに出会ったり、おばあさんの夢に紛れ込んだり……。日常のすぐわきにある異界はかなにとって、時空を超え手渡されるメッセージでもあった。それは花ちゃんというお人形とともに訪れてこそのものであり、その場ですぐに理解できるものでもないところがいい。子どもの存在と異界との垣根の低さ、物に心を通わせ対話することで自らを深く耕すことになる有様が柔らかな文章とあたたかい展開で読むことが出来る。

『ウサギのトトのたからもの』ヘルメ・ハイネ作・絵 はたさわゆうこ訳(2010/2012.1徳間書店)
ウサギのトトは学校を卒業すると自分の力で生きていき、宝物を探しにいくんだと家をあとにします。旅は手近なところからだんだんと広がって、さいごには毎日元気に働ける場所と、充分な食べ物、ふくらんだ財布、たくさんの友達にも恵まれますが、宝物を見つけるという夢だけはかなっていません。それはビンに詰められた手紙が持ってきてくれました……。繁栄の象徴でもあるウサギが幸せを求めて旅する姿を描いたシャーロット・ゾロトウの『うさぎのだいじなみつけもの』(ほるぷ出版)でも、最後は愛する対象に出会うことで幸せなラストシーンを迎えます。本作も同様で、ハイネらしいロマンティックな終わり方。

『名犬ボニーはマルチーズ 1ボニーがうちにやってきた』ベル・ムーニー作宮坂宏美訳 スギヤマカナヨ絵 2007/2012.6徳間書店
お父さんとお母さんが離婚して、新しい町に引っ越してきたハリー。学校でもなじめないし、お母さんともうまく心を通わせることができないみたい。いつも、プリンスという大きな犬を飼っていると想像して、鬱屈した気持ちを紛らわせていたのです。そこに、おかあさんが、ウサギよりも小さな犬をもらってきて、ボニーと名付け、飼うと言ったものですから、ハリーはがっかり……。ピアスの『幻の小さい犬』のような大きな葛藤はないけれど、なんだかうまく行かないなあという状況がボニーがいることで、好転していく。引っ越してきた家族とも仲良くなり、学校でも声を掛けられるようになる。それもボニーが自分の群れ(ハリーとお母さん)をきちんと守らなくては、と思っているからなんだけれど。以降、シリーズで

『オバケの長七郎』ななもりさちこ作 きむらなおよ絵 (福音館書店 2012.6)
やなぎした商店街のはしっこにある古道具屋「へなもんや」のおやじ源ジイに、お寺わきのゴミ箱で拾われたちっちゃなオバケ。ひとりぐらしの源ジイと一緒に暮らす1年を8話で描いた短編連作童話。上手に消えたり、壁ぬけしたり、おどろかしたりできない半人前のおばけですが、商店街にすむ子どもたちや店の人たちとも仲良くなっていたずらしたり、すこしずつオバケらしい術ができるようになるまでを、人情味あふれるほのぼのとしたタッチでえがいています。偏屈なおじさんとかわいらしい長七郎とのやりとりがおもしろく、銭湯や商店街が舞台になっているので、ちょっとレトロで懐かしい感じが、いい人ばかりのこの物語にあっています。

『盆まねき』富安陽子 高橋和枝絵(2011.7 偕成社)
なっちゃんは毎年お盆の頃になると笛吹山にすむおじいちゃんとおばあちゃんの家に出かけます。親戚の人が大勢集まって、いとこたちにも会えて、お祭りにも出かけて、いつもと違った楽しい四日間を過ごすのです。その中でおじいちゃんやフミおばちゃん、大ばあちゃんにきいた不思議なお話は一人の不在になっちゃんを導くものでした。賢いナメクジのお話もお月様でどうしてウサギが餅つきできるのか、ひみつが見えるお話も、かっぱが探しにきた不思議な玉のお話も、そばに一人の存在がありました。そして、その存在に出会ったなっちゃん自身のお話も、とても穏やかであたたかなものとなりました。最後に語られる「もうひとつの物語」は作家自身の若くして亡くなったおじさんのお話。なっちゃんは幼い頃の富安さんだったのかもしれないな。この作品を書くことで、作家は不在の底知れない闇と向き合い、それと和解できたように思われる。
       以上、ほそえさちよ
以下、ひこ・田中

【児童書】
『霧の王』(ズザンネ・ゲルドム:作 遠山明子:訳 東京創元社)
 ドイツ幻想小説の薫り高い、ファンタジー小説。孤児、館、不可思議な現象、怪しげな人物たち、あやかし・・・。
 孤児のサリーはある館の下働きですが、あるとき給仕を務めることとなり、その宴会で見たのは、殺戮。が、次の日それはなかったかのよう。
 いつしか、サリーが読んでいる物語とサリーの現実と、そしてサリーそのものが誰なのかすらが溶け合って行きます。読者すらも巻き込んで、その先に見えてくるのは?
 作者の力量はなかなかのもの。他も読みたいです。

『鰹のたんぽぽ釣り』(越智典子:作 にしざかひろみ:画 福音館書店)
 「ラビントットと空の魚」シリーズ第一作。
 魚は水の中ではなく空を飛んでいる世界でのお話。ラビントットは少年漁師ですが、高いところに上るのが苦手なので、高い空を泳ぐ大きな魚を釣れません。だからもっぱらイワシ専門です。ある日、結婚パーティのために鰯五百匹注文を受けます。よろこんで引き受けますが、できれば鰹のような大きな魚が欲しいとの話で、ラビントットは工夫して鰹釣りに挑戦するのですが・・・。
 真っ当な展開が心地よい物語です。

『ねこのたからさがし』(さえぐさちひろ:作 はたこうしろう:絵 すずき出版)
 すずき出版の幼年童話シリーズ第一弾。
あかりとゆうたは、下校時、変なネコと出会います。捜し物が見つからないというので手伝うことに。
謎解きと冒険がさほどややこしくなく適度に展開します。
読み終えて、「ああ〜おもしろかった」となれば、読書の最初の一歩としては成功ですね。
 
【絵本】
『わっ』(井上洋介:え・ぶん 小峰書店)
 おじいさんがあるいていると、窓から生き物まで、なんでもかんでもが「わっ」って脅かそうとします。で、どうなるかって? どうもなりませんよ。それだけだから楽しいの。

『まいごのワンちゃん あずかってます』(アダム・ストーワー:作 ふしみみさお:訳 小学館)
 リリーは朝、庭に犬を見つけます。それも大きな犬! リリーは飼うことに決めますが、実はそれはクマ。犬とお思い込みかわいがるリリーと、いっこうに気にせず、町中に現れたクマとして食べ物をあさるクマのズレが、なんとも愉快。結局、クマは動物園に戻されますが、今度は庭でネコ(虎)を発見だ!

『さかさんぼの日』(ルース・クラウス:作 マーク・シーモント:絵 三原泉:訳 偕成社)
 1950年作品。
 ははは、これいいなあ。なんでもさかさまにしようと考えた男の子。服はズボンから履いてその上にパンツ。ダイニングの椅子には反対に座って、背中にナプキン。
 そんな子どもの思いつきに親も付き合いますよ。

『もんばんアリと月』(さとみ きくお:さく しおた まさき:え 長崎出版)
 もんばんアリは夜、巣の入り口を頭でふさぐ役目を担っています。だから頭は巣の入り口より大きくて、外へは出られない。外へ出かける働きアリがなんだかうらやましい。
 そんなもんばんアリの心の揺れを描いています。塩田の画の奥行き感がいいですよ。

『ケープドリ はつめいのまき』(ワウター・ヴァン・レーク:作 野坂悦子:訳 朔北社)
 好調ケープドリのシリーズ3作目。発明に目覚めたケープドリ。ニワトコの実を取る道具を発明しようと、設計図を描き始めます。でも、懲りすぎてだんだん複雑な機械と化し。もう大変。で、結局完成しましたのは?
 落款っぽい判子で画を作ったり、機械の細かな図を描き倒したり、絵本の見開きで、遊び倒しているところが、子どもの心をつかみます。

『アリゲイタばあさんはがんこもの』(松山円香:作 小学館)
 まあ、アリゲイタばあさんの顔の良いこと。すごいぞ。
このばあさん、がんこというより、へそ曲がりやわがままなワニさんなんですが、それがちっとも憎めないのは作者の腕ですね。
 表情が巧い作家の登場ですね。

『ふしぎなカメラ』(辻村ノリアキ:さく ゴトウノリユキ:え PHP)
おとうさんが古道具屋で見つけてきたカメラには不思議な条件がついています。撮るときかけ声を掛けること、一日4枚しか撮影できないこと。どうして? って謎の解答が、思いがけないもので、ニコニコ。最後のひねりも良く効いています。

『あかちゃん社長がやってきた』(マーラ・フレイジー:作 もとしたいづみ:訳 講談社)
 あかちゃんは、家族の王様という発想を、社長に置き換えることで、あかちゃんの実体(!)が明らかになりよりますぞ。
 もしあかちゃんが読めれば大爆笑することでしょうね。

『ママ、きょうから ようちえんだよ!』(ヘウォン・ユン:さく せなあいこ:やく トランスビュー)
 息子が幼稚園に初めて行く日。母親は心配で心配でたまらない。でも、本人は全然大丈夫。という親子を、愉快に、愉快に描きます。

『うれないやきそばパン』(富永まい:文 いぬんこ:絵 中尾昌稔:作 金の星社)
 昔ながらのパン屋さん。あんパン、ジャムパン、やきそばパン。しかしだんだん売れなくなって、残ったパンは捨てられます・・・。これではいけないとパン屋さん。はやりのお店を調べて、おしゃれな新作を発表。大評判。でもでも、そうすると、やきそばパンたちの運命は? いぬんこの存在感が、ここでも圧倒的。

『MANJIRO 二つのふるさとをあいした少年』(エミリー・アーノルド・マッカリー:作 星湖舎)
 ジョン万次郎の伝記絵本。アメリカと日本の交流の最初の辺りを、アメリカの作家が描いています。
 日本の風景が少し違いますが、それはそれでお楽しみに。

『博物館の一日』(いわた慎二郎:作 講談社)
 映像で『パリ・ルーヴル美術館の秘密』という、キュレーターたちの仕事を追った優れたドキュメントがありますが、この絵本は国立科学博物館を研究員の裏での仕事まで描く方法でミュージアムへの興味を誘っています。イラストレーターであるいわたの絵の見やすさが、この企画にぴったり。

『ドングリさがして』(ドン・フリーマン&ロイ・フリーマン:作 やましたはるお:訳 BL出版)
 1963年、ドン・フリーマンがワシントンDCで取材中に書き始めた作品。しかし、ケネディ暗殺が起こり、そのショックから筆を折ります。子どものロイがそれに加筆しで完成させたのが本作。
 子育てに忙しい父親リスは、ワシントンDCの公園でどんぐり探しに大忙し。人々が公民権法の成立を目指して集まってきています。そんな二つの動きをドンがユーモアと愛しさを込めて描きます。このロスはドンそのものを表しているのでしょう。

『ニブルと たいせつなきのみ』(ジーン・ジオン:ぶん マーガレット・ブロイ・グレアム:え ひがしちから:やく ビリケン出版)
 『どろんこハリー』の二人、1962年の作品です。
 母親から、感謝祭用の特別な木の実で遊ぶことを許してもらった子リスのニブル。でも、知らないおじさんにだまされて、盗まれてしまいました。
叱らない母親がいいですね。
仕方なくみんなで、おいしいと評判のレストランへ。と、そこの料理人こそ、ニブルをだまして木の実を奪ったおじさんだったのです!
 こらしめることより、反省を促す展開は、今こそ大切な物語ですね。

『すきすきパパ』(イザベル・マンチェス:文 ベルナルド・カルヴァーリョ:絵 宇野和美:訳 光村教育図書)
 もう、パパがどう好きかを子どもが語ります。パパひこうき、パパぐるぐる、パパ椅子。パパに何にだってなれる(実はなってくれている)! カルヴァーリョは子どもとパパと背景の3色で、根っこの部分だけを愉快に描きます。いいセンスだなあ。

『だっこれっしゃ』(春田香歩 偕成社)
 女の子に弟の赤ちゃんが、だっこだっこ。床に足を伸ばして座り、だっこをしていると、ぬいぐるみも次々やってきて、だっこ。そうして女の子が列車になって、みんなで旅に出発です!
 想像力がどう拡がっていくかを描きます。

『おさるが100ぴき』(せべ まさゆき:さく 偕成社)
 100シリーズ最新作。おいしい物を探して、おさるが100匹、毎ページで色んなことをしとります。それをいちいち見るのも楽しいし、その画面で、指定された色んな物を探すのも楽しい。冒険や暖かなストーリーも一緒に展開していきますよ。

『富士山うたごよみ』(俵万智:文 U・G・サトー:絵 福音館書店)
 二十四節季の言葉(立夏、処暑など)でイメージした富士山をU・G・サトーが描き、それに俵のよく知られた短歌を置いて、俵が言葉を添えます。
 丁寧に作られた絵本。
 言葉への心のざわめきを誘います。

『ちょっとだけまいご』(クリス・ホートン:作 木坂涼:訳 BL出版)
 フクロウの子どもが、母親と一緒に眠っている木の枝から落ちてしまいます。はて、ぼくの親はどこかしら? 色んな動物に親の特徴を語りますが、見当違いの動物の所ばかりに連れて行かれ・・・。ホートンのシンプルだけど、仕草も含めて、ものすごく表情のある絵がすごい!
 ほれぼれ。

『ニットさん』(たむらしげる イースト・プレス)
 毛糸の編み物大好きのニットさん。なんでもどんどん編んでしまいます。テーブルでしょ、お花でしょ、ネコでしょ、家でしょ・・・。たからはそれを、ニットのコラージュで見せていきます。
 愉快なお話で、暖かなお話。

『きょうのごはん』(加藤休ミ 偕成社)
 夕方。どこのお家も夕食の準備。おいしそうな一般家庭の普通の献立。お隣からもいい匂い。そこで画面はお隣へ。こうして次々とおいしい夕ご飯と、幸せそうな家族が描かれていきます。ごちそうさま。

『赤い実かがやく』(野中柊:さく 持本圭以子:絵 そうえん社)
 黒ウサギのクローバーと白ウサギのシロップの所に、赤ウサギのチャックからはがきが届きます。リンゴが実ったのです。
 豊かな収穫の喜びと、友達の喜びが画面にあふれます。

『おててつなごう』(安江リエ:文 西巻茅子:絵 「こどものとも0.1.2」2月号 福音館書店)
 小さな男の子が、家族と順番に手を繋いでいく。家族に柔らかな絆。
 西巻の軽やかでありつつ、刻印するかのようなしっかりとした輪郭線が好き。

『いっぱいいもうと』(ネジメショーイチ:文 ロッカクアヤコ:絵 「こどものとも年中」2月 福音館書店)
 妹が欲しいあーちゃんは、公園で妹大募集! たくさん集まった妹に、あねえちゃん風を吹かせておりますが、やがて妹のわがままをしることとなり・・・。ロッカクアヤコの画に注目! この奔放度は、いいぞ。
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