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以下、三辺律子

読売NAVI&navi テーマ「風」

 今月のテーマは「愛」。文学の得意分野だ。ジュリアンとレナール夫人(『赤と黒』)、ヒースクリフとキャサリン(『嵐が丘』)、ジェーン・エアとロチェスター、椿姫とアルマン・・・いくらでも名カップルを挙げることができる。
 彼らを見て気づくのは、「身分違いの恋」率の高さ。恋愛は障害があるほど燃えるのは、今も昔も変わらない。そういえば、映画の世界にも、アン王女とジョー(『ローマの休日』)やジャックとローズ(『タイタニック』)など身分違いカップルは多い。
 では、身分制度が撤廃された現代、恋愛の障害も減ったのだろうか?
 『ペーパータウン』(ジョン・グリーン・著、金原瑞人・訳、岩波書店)の主人公クエンティンは、幼馴染のマーゴにずっと想いを寄せている。ところが、高校生になってみると、美人でやることなすこと気の利いているマーゴは、イケメンでもスポーツ選手でもないクエンティンと、学校内の身分(ルビ:スクールカースト)がかけ離れていた。高校におけるカースト″は絶対だ。このまま一生想いは叶わないだろうと諦めていた時、マーゴが失踪する。クエンティンだけに手がかりを残して・・・。
 変わった思いつきで周囲を魅了するヒロインといえば、『GO』(金城一紀・著、講談社)の桜井も同じだ。下の名前すら教えようとしない謎めいた女子高生桜井に、主人公杉原は夢中になる。しかし、幸せいっぱいの二人にも、ある障害が立ちはだかる。不合理な差別は形を変えて、現代にも潜んでいるのだ。
 「身分違いの恋」に名カップルが多いのは、どうやら障害を超える本気度の力らしい。

  (読売新聞 2013年2月23日掲載)

追記:
 最近、『教室内カースト』(鈴木翔 光文社新書)などという本も出され、日本でも話題になっているスクールカースト。朝井リョウ原作の映画『桐島、部活やめるってよ』のヒットも記憶に新しい。
 でも、スクールカーストに関して言えば、元祖アメリカの徹底ぶりは比ではない。アメリカの映画を観ていて、「どうしてアメフト部とチアリーダーが"エラい"んだ?」と思った経験のある人は少なくないはず。最近では、カーストの底辺の合唱部の奮闘を描いたテレビドラマ『グリー』が、その典型だろう。
 日本で新聞などにも取りあげられた「トイレランチ」(いっしょにランチする友だちがいないと思われるがいやで、こっそりトイレで昼食をすますこと)も、最初、知ったときは、「周りの視線を気にする日本人らしい」と思ってしまったが、アメリカのYA小説でまったく同じシーンを読み、おどろいたこともある。
 かのビル・ゲイツもBe nice to nerds. Chances are you'll end up working for one. (オタクには親切にしておけよ。将来、その下で働くはめになるかもしれないんだから)と言ったらしい(ビル・ゲイツではないという説もあり)。世界一のお金持ちになったんだから、むかしの恨みなんてもういいじゃん、と、わたしなんて言いたくなるけれど、それくらい根深いものなのかもしれない。
 アメリカのスクールカーストを論じようとすれば、それこそ建国の精神までさかのぼる必要があり、簡単ではない。一方、日本のスクールカーストも、かけっこが速いとか、運動神経がいいなどから始まって、運動部だとか、モテるとか、家が金持ちとか、(ウザくなく)目立つとか、シャツをインするかどうかとか(?)、いろいろなことがからみあい、複雑極まりない。
 ので、以下は、わたしが発見した〈保育園幼稚園カースト〉の法則。
 これは、単純。三要素しかない。いちばん"エラい"のは、@4月生まれA兄か姉がいるB女の子。つまり、逆に、3月生まれの長男はつらい。というと、心配してしまう方がいるかもしれないけれど、保育園幼稚園カースト(←わたしが勝手に作った言葉)の場合、本人たちにはまず自覚はないし、下の子は上の子からかわいがってもらったり、いいこともいっぱいあって、全体的に牧歌的。
 4月生まれ女子 「ねーねー、好きな人、いる?」
 3月生まれ男子 「うん、いる。翔くん」
 4月生まれ女子 「ちがうちがう、好きな人っていうのは、女の子のことだってば」
 3月生まれ男子 「えー、女じゃなきゃ、いけないの? ん・・・・・・じゃあ、お母さん!」
 4月生まれ女子 「お母さんじゃ、だめなの! もう、ほんと、男ってわかってないんだから!」(と、女子同士であきれたしぐさ)
 3月生まれ男子 「なんでお母さんじゃだめなの?」
 女子たち    「・・・・・・」(実は、だれも答えられない)

 そばで聞いていて、けっこう笑った。

 いろいろ書き連ねたが、実は個人的には、スクールカーストものは、好きな作品が少ない。ある友人が、「高校の担任の先生が最低で、学校生活は本当に息苦しかったけれど、高校さえ終われば、別の世界が待っていると思って、耐えられた」と話してくれたことがある。中学生や高校生の年齢で、しかも、渦中にいるとき、「別の世界」があると思うことは、とてもとても難しい。でも、もしかしたら本は、それを知ることのできる、ひとつの方法かもしれないと思っている。

しょうらいのゆめはめがねになることです ばあちゃんっ子のきみの意気込み                        (三辺律子)

以下、ひこです。
【読売新聞「青春ブックリスト」】

第一回

 出来るだけ快適な毎日を過ごすには、心に余裕があった方が良いと私は思っています。その余裕を作る栄養となるのがマンガやアニメや本が提供してくれる喜びや知識です。
マンガやアニメより本の方が価値が高いと考える人もいますが、そんなことはありません。それらは等しく大切な道具です。とはいえ、この欄では主に本を採り上げます。理由は、マンガやアニメより本の歴史はずっと長く、現在の発表点数も桁違いに多いため、その情報があなたに巧く伝わっていないと感じているからです。
 しかも、本は古いメディアなので、文字を目で追いながら風景を視覚化したり、心の中を想像したりする必要があり、マンガやアニメより面倒臭い道具です。だけど、この宝の山を捨ててしまうのは絶対にもったいない。最初は多少の苦労はしても、それで手に入る喜びや知識の量を考えると十分おつりがきますよ。
 最初の一冊は、『クラバート』。18世紀初め、ドイツの北東、ポーランドとの国境近くを舞台としています。14歳のクラバートは孤児なのですが引き取られた家から逃亡し、夢に出てきた11羽のカラスのお告げに誘われ、とある村の製粉所で働き始めます。そこにいるのは11人の職人たち。実は製粉所は仮の姿で、本当は魔法学校だったのです。元旦の朝に職人の一人が死体で発見されるのですが、クラバートにはそれが事故死とは思えず・・・。
 本を読み慣れていない人でも、「どうなるの?」って、ページを繰ってしまう展開です。一見よくある魔法学校物のようですが、舞台となる地域や時代設定、クラバートが何故引き取られた家から逃亡したかなど、物語の中では詳しく説明はされていない部分に色々なことが隠れています。もちろんそれを気にせず読んでも十分楽しめます。そして気になり始めたら、調べながら読んでください。知識の量が増えれば増えるほどたくさんのことが見えてきます。
 また、この作品は有名なアニメ『千と千尋の神隠し』にもインスピレーションを与えたので、比べてみるのも本の楽しみ方の一つです。アニメにインスピレーションを与えた本は他にもたくさんあります。例えば『二年間の休暇』(ジュール・ヴェルヌ)は『機動戦士ガンダム』に、『シナの五にんきょうだい』(クレール・H・ビショップ)は『プリキュア5』に。
 ね、本ってなかなかやるでしょ。(2012.04)

第二回

思春期は、何でも自分だけで解決したい欲望がわき起こります。それは自立心の芽生えなので、とても素敵なのですが、「私って誰?」と考える機会も多くなる。というのは、それがわからないと自立も自律もできないように思えるからです。
だけど、その答えは案外難しいのにも気づくでしょう。自分のことなのに簡単にがわからないのは何故だろうと動揺してしまい、「私」や「私らしさ」探しに夢中になってしまうかもしれません。
でも、残念ですがそんなことをしても答えは見つからないでしょう。探し当てたと思ったとたん、すぐにそれは間違いだと感じてしまい、一生探し続けることになりかねません。
理由を言います。あなたが誰か? の答えはあなた自身の中にあるのではなく、あなたの周りの人との関係や評価によって形作られるものだからです。あなたには探せないのです。
これをわかりやすく描いた絵本が、『わたし』(谷川俊太郎:作 長新太:絵 福音館書店)です。「おとこのこから みると おんなのこ」。「おかあさんから みると むすめの みちこ」。「さっちゃんから みると おともだち」。「うちゅうじんから みると ちきゅうじん」。そう、相手がいることで初めて、「私って誰?」の答えが生まれるのです。相手にとっても同じ事です。あなたがいるから、周りの人は自分が誰かがわかります。
コミュニケーションが大切なのは、相手を知るためだけではなく、自分を知るためでもあるのですね。
そんな自分の存在がわからなくなる、ちょっと怖い物語が、『ジェンナ』(メアリ・E・ピアソン:作 三辺律子:訳 小学館)。目覚めたジェンナにはほとんど記憶がありません。事故のせいらしいのですが、両親ははっきりと教えてくれません。祖母はな冷たい態度だし、家も何故か引越ししたようです。記憶を補填するためにジェンナは昔撮られた動画を見ていくのですが、まさに彼女は「私」探しをするはめになっています。その理由は明かせませんので、自分で読んで確かめてください。
私たちは登場人物を色々評価します。それは彼らの「私」を形作ることですから、読書って実は物語に参加しているのですね。(2012.05)


【児童書】
『クレイジー・サマー』(リタ・ウィリアム=ガルシア:作 代田亜香子:訳 すずき出版)
 デルフィーンたち3姉妹は、父親の計らいで七年前に家を出て行った母親の元でしばらく暮らすことになります。初めて飛行機に乗ってやってきたのはオークランド。ブラックパンサーの活動がさかんです。母親のセシルは詩人で、子育てに熱心だとか、得意だとかではなく、ほったらかしです。食事ですら、お金を渡して終わり。
 だからといって、この物語はセシルを非難するわけではありません。そんなセシルの詩人としての生き方や公民権運動とのかかわりについて描きます。デルフィーンはセシルを困った人だとは思っていますが、嫌いではありません。二人の心がゆっくりと近づいていく様を読みたいですね。

『カフェ・デ・キリコ』(佐藤まどか 講談社)
 霧子の両親は父親がイタリア人、母親が日本人。イタリアの祖父が結婚に反対したので両親は日本に居を構えて霧子をそだてました。ところが父親が亡くなり、その後祖父の死の知らせが。祖父の遺したミラノの家とカフェを受け継ぐことにした母娘。カフェ・デ・キリコに集うお客さんたちとの交流を描きながら、家族を問いかけます。
舞台を日本から外しているので、しがらみ的な部分が押さえられ爽やかなタッチです。

【絵本】
『くらやみこわいよ』(レモニー・スニケット:作 ジョン・クラッセン:絵 蜂飼耳:訳 岩崎書店)
 夜、起き出したラズロは、家のくらやみにおびえつつ、興味もあります。
 くらやみの方はこわがっていない。って発想がいいですし、くらやみの怖さは決してマイナス要素ではなく、それを受け入れることでえられるものもあることがわかります。
 誰でも感じていながら、なかなか絵本にできないテーマでしたね。いいです。

『すいぞくかんの みんなの一日』(松橋利光:写真 なかのひろみ:文 アリス館)
 色んな角度からさかなについて教えてくれた「絵本・すいぞくかん」シリーズの、これは番外編かな。暑い日々、これを読んでから、水族館で楽しんでください。いや、行ってから読む方が楽しいかも。

『かめまんねん』(ほんまわか 文研出版)
 カメは長生きですが、ネズミたちはそうではありません。そこで彼らは、かめに仕事を頼み込もうとします。宿題やっておいて、プラモデルを組み立てておいて。のんきなかめは「かめへん、かめへん」と引き受ける。が、ツルはふと思う。押しつけられた仕事を、かめがゆっくりと仕上げたら、その頃自分たちはもう死んでいるのではないかと。
 論理によって構築された、ユーモアが素敵な絵本です。

『だいすき だっこ』(ニック・ブランド:ぶん フレヤ・ブラックウッド:え 灰島かり:やく 岩崎書店)
 寝る前に、大好きな家族一人一人と抱きしめ合っていく女の子。ただそれだけの物語にいいスパイスをひとかけ。
 なんといってもフレヤ・ブラックウッドが捉える一瞬の仕草と表情が素敵です。これは絵本ならではの力です。

『さかさまになっちゃうの』(クレア・アレクサンダー 福本友美子:やく BL出版)
 字を書くのが苦手な子どもの物語です。それは努力が足りないわけではなく、文字に関して認識力が低いだけのことで、サポートし、自身を付けてあげることでその子の毎日は楽しくなり、自分のペースで文字を学んでいけます。
 子どもの気持ちに寄り添った絵本です。

『チリとチリリ ちかのおはなし』(どい かや アリス館)
 シリーズも六作目。一作目が現れたとき、ただ自転車に乗って進む二人の姿が、なんとも愉快で暖かく、こちらの気分も緩めてしまう素敵に不思議な世界をどいさんは描かれたなと思いました。たくさんの人々の支持を受けていますが、それはこの世界が、なんだか懐かしいような、自分の記憶にもあるような感じがするからでしょう。もちろん、私たちは、自転車で地下の冒険などしたことはないのですが。

『だるまのしゅぎょう』(ませぎりえこ 偕成社)
 さくらちゃんとるりちゃんは、けんかをしていて仲直りができません。だるままつりで二人はだるまを買い、それに導かれて、だるま世界に。そこではこれからだるまになるために厳しい修行がなされていたのだった。
 七転び八起きやがまんから達磨落しまで、みんな一緒にがんばっています。
 さくらちゃん、るりちゃん。けんかをしていては修行ができませんぞ。

『まんまるハオちゃん』(やぎ たみこ くもん出版)
 最後に生まれた龍の子どもハオちゃんはまんまる。だもんで、飛ぶのもままなりません。だけど、そんなハオちゃんだからこそ、すごいことが!
 やぎたみこの、ぬく〜い世界が気持ちを潤してくれます。この絵は、やっぱりいいですよ。

『よいこは もう ねるじかん』(高畠じゅん子 高畠純 BL出版)
 たまちゃんが寝ていると、ネコやお人形、机から掃除機までが、なんやかや理由をつけて、たまちゃんのおふとんに入ってきます。その何ともおかしい様を、高畠純が愉快に絵に落としていきます。
 オチは読んでのお楽しみ。

『みんなでつくる一本の辞書』(飯田朝子:文 寄藤文平:絵 「たくさんのふしぎ」五月号 福音館書店)
 この作品、素晴らしいです。助数詞「本」は、棒状の物の数から柔道の一本勝ちや、見た映画の数など、様々に使われています。一体「本」はどのように定義付けられるのか? 飯田は様々な方法を使ってそれを探っていきます。物事を「ふしぎ」と思って、想像力を使い、論理的に考えていく。その過程を楽しく描いています。「考える」の面白さを子どもに伝える、とてもいい絵本です。

『数学はあなたのなかにある』(クレマンス・ガンディヨ:著 河野万里子:訳 河出書房新社)
 数学、論理、そうした抽象命題を人と人が出会って、セックスをし、受胎し、出産し、その子どもが自他の弁別を理解し・・・という人生の流れに当てはめて表現していきます。人生の流れを数学や論理で表現している、でもいいかな。要するに、数学を日常につなげて眺めてみる試みです。
 かなりエスプリが効いているので、クスクスできます。

『あおねこちゃん』(ズデネック・ミレル:絵 マリカ・ヘルストローム=ケネディ:原作 平野清美:訳 平凡社)
 チェコアニメ−ションの作家にて、絵本『もぐらくん』でもおなじみのスデネック作品です。あおい子猫が、まわりから奇妙がられて悩んでいます。でも、そのままでいいんだよ。違っても大丈夫だから。

『サーカスのあかちゃんぞう』(モード&ミスカ・ピーターシャム:さく こみやゆう:やく 長崎出版)
 好奇心一杯のぞうの親子。人間の食事をずっと観察。お留守の間に、小僧が椅子に座って、人間のように食事を始めますが……。
愛らしい姿がいいなあ。

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