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以下、三辺律子です。

読売新聞 NAVI&navi  テーマ「緑」 
『フリーキー・グリーンアイ』(ジョイス・キャロル・オーツ・著、大嶌双恵・訳、ソニー・マガジンズ)の十四歳の少女フランキーが、「イカれた緑の目【ルビ:フリーキー・グリーンアイ】」をしたもう一人の自分の存在に気づいたのは、パーティで男に襲われた時だった。フリーキーは、自信のないフランキーの代わりに男を撃退したのだ。
 フランキーの父親は元有名フットボール選手で、今は人気スポーツキャスターだ。「男にとって、家族こそが誇り」と、美しい妻をパーティに連れ歩き、子供達には運動にも勉強にも全力を尽くすことを要求する。父親の理想からはみ出して、怒りを買い、見捨てられるのが怖いから、フランキーは必死で努力する。だから、母親がパーティに同伴するのを嫌がり、家族の集まりを欠席しだすと、パパの機嫌を損ねないでと、母親を責めるのだ。だが、緑の目のフリーキーは、本当に悪いのは母親ではないと囁き続ける。そして、ついにある事件が起きる。
 『死にぞこないの青』(乙一・著、幻冬舎文庫)の小学生マサオも、生徒に人気の羽田先生が「僕ばかり見張って叱る」のは、「僕がみんなよりも劣っているから」だと自分を責める。だが、やがて現れた「(僕の)心の暗い部分」である、全身青色の少年アオは、先生がマサオを目の敵にする本当の理由を告げるのだ。
 相手が大人、ましてや社会で評価を得ている大人の場合、子供は、「悪いのは大人だ」と声をあげるどころか、まずそれに気づくこと自体が、難しい。英語の緑【グリーン】は、若さや未熟さの形容に使われる。日本の青″二才と同じだ。幼い心の叫びを伝える難しさと大切さが、しっかり描かれた二冊だ。
   (読売新聞 2013年5月25日 掲載)

追記:
 この二作は、子どもがいかに周囲の環境に支配される、無力な存在であるかを教えてくれる。読んでいれば、間違っているのは明らかにフランキーの父親であり、羽田先生だとわかるのだが、子どもであるフランキーやマサオはそれを告発するどころか、悪いのが大人だということ自体に気づけない″。作者のオーツと乙一がそれぞれ、フランキーの父親と羽田先生を、元有名フットボーラーと人気教師という社会的強者として設定したことで、子どもの逃げ道のなさが際立つ。巧い作家たちだと思う。子どもはもちろんだが、大人にも手にとってほしい作品だ。
 実際、あまりの巧さに、読んでいると腹立たしく、つらく、息苦しいほどだ。なので、ぐっと軽くて、くだらない、別の意味で親(大人)の影響の大きさを伝えるエピソードをひとつ。
 最近では「子どもは誉めて育てろ」などと言われるようになったが、わたしの親は勉強やスポーツで誉めてくれたことなどなかった。むしろ、試験前に勉強していると、「なにやってんだ、子どもは早く寝ろ」と、勉強を妨害したくらいだ(主に父親)。
 では、どんなことを誉めたのかというと、いちばん印象に残っているのは、ローストチキンの首の骨を食べたときのことだ。
弟二人が成長するにつれ、食卓では熾烈な争いが繰り広げられるようになり、ある日、わたしは渋々残ったローストチキンの骨にまで手を出した。ところが、それが妙においしかったのだ。「おいしい!」と感激する小学生のわたしに、父親は「それは、首の骨だ。首はよく動くところだから、まわりの肉もうまい。それを見抜くとは、さすがおれの子だ」(一言一句たがわない)。弟たちの賞賛のまなざしを浴び、鼻高々なわたし。幼かったわたしはその言葉を鵜呑みにし、以後、誉められたい一心で、食べることにますます執着した。親の影響力は大きい。その、人生でいちばん誉められた経験が、実は超どうでもいいことだと気づけた″のは、それから数年後だった。
読売新聞の連載は、毎回テーマが決まっているので、四苦八苦するのだけれど、「食」ならばいくらでも書ける気がする―――と担当の方にも囁いてみたことがあるけれど、今のところ採用される気配はない。
〈赤紅の果実にサクリ歯をたてる 子どもの祈りの静けさのごと〉 三辺 律子

―――――――
以下、ひこ・田中です。

青春ブックリスト
第五回
 人と人は喧嘩をします。親友同士でも時々やってしまいます。「戦争」は一見、国と国との喧嘩に思えますが、全く違います。喧嘩も含め、個人的な感情や意志は全く無視され、国家という組織の利益だけが優先されるのが「戦争」だからです。国民は、国家の勝利のために役立つ限りは味方として扱われますが、足を引っ張る存在と見做された場合は敵として捕らえられ、時には殺害されます。一度「戦争」に突入してしまった国家は、あなたや私がどんなに理不尽に思うことでも、それを施行するのをためらいません。国家は止められない機械となり、「戦争」に勝利を納める目的だけが一人歩きします。
あなたと私の思想や感性がどんなに違っていても、「戦争」に関してだけは手を取り合って反対した方がいいのは、個人の自由が犯されてしまうからなのです。
 今日は、第二次世界大戦を描いた作品をご紹介します。
『ふたりきりの戦争』(ヘルマン・シュルツ:作 渡辺広左:訳 徳間書店)は、ドイツが舞台。ナチスに逆らった父親は連行され、母親を空襲で失った少女エンヒェンは、農家に預けられます。村ではロシアから強制連行されてきた人々が働いています。その中の一人、少年セルゲイが気になるエンヒェン。ナチスが彼らをどこかへ移動させると知ったエンヒェンは危険を察知し、セルゲイと一緒に逃亡します。時には喧嘩もしながら、しだいに絆を強め、協力して過酷な状況下を必死で生き延びていく二人。その姿を追いながら私たちは、「戦争」の顔をのぞき見ることができます。
『ヒロシマに原爆が落とされたとき』(大道あや ポプラ社)は、被爆者である大道さんが、原爆が落とされた時の惨状を語り、自分が目にした光景をありのままに描いた絵本です。のんびりとした語りに驚かれるかもしれません。それはこの出来事が声高に叫ぶには、あまりにも深い悲しみに満ちているからです。「戦争」があなたや私、一人一人に与える重い痛みがここにあります。ちょっときつい内容かもしれません。でも、一言、一言、胸に刻むように読んでください。「戦争」を、あなたや私に近づけないために。

第六回
友達付き合いは楽しいですが、ストレスも溜まります。どんなに仲が良くても、スムーズな関係を続けようとすれば気遣いも必要ですし、かといって気遣いばかりでは本音で語れません。その辺りのバランスをどうとって心地良い関係を長く続けていくか? もちろんいちいち意識する必要はありませんが、友達付き合いはストレスも溜まるものなのだと自覚しておき、あまり我慢せず、心が擦れ違ってしまってしまう前に、相手に正直に伝えてください。もし、喧嘩になってしまったとしてもそれは、信頼性を増すためのプロセスですから大丈夫。友情は少しずつ深まっていきますよ。
今回は、友達同士がとんでもない冒険をする物語を二つ。
『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』。両親が、死んだ兄のことばかり考えているため、果たして自分は必要とされているのかがわからず孤独なゴーディ。父親が酒に溺れており、将来を悲観しているクリス。暴力をふるう父親を持つテディ。不良の兄にいつも脅えているバーン。四人は性格も考え方も違うけれど家庭に居場所がない点は同じで、友達が家族の代わりです。行方不明の少年の遺体が森にあるという情報を得た彼等は探しに出かけます。世間の注目を浴びたい一心ですが、家族に知られずに死んでいった少年に、自分たちの境遇を重ねているともいえるでしょう。何故、友達は必要なのかが染みるように伝わります。
『ロス、きみを送る旅』。交通事故で亡くなった友達のロスの気持を本当にわかっているのは親ではなくて俺たちだと考えた、ブレイク、シム、ケニーの三人は、遺灰の入った壺を盗み出し、彼が行きたいと言っていた「ロス」という名の町を目差します。旅の途次、三人は自分たちがロスの良い友達であったとは決して言えないことを彼互いに認めざるを得なくなっていきます。心が痛くなる物語ですが、友情を考えるための一助となります。
(読売新聞)
【研究書】
『子どもの世紀 表現された子どもと家族像』(神宮輝夫・高田賢一・北本正章:編 ミネルヴァ書房)
 「子どもの時間と空間」「家族の時間と空間」「家族のイメージ」「子どもと家族の未来」
の四部、一六章に分けて、空間、映像、政治、パロディ、ファンタジー、様々な切り口で、それがどう表現されてきたかを英米児童文学にかかわる研究者が論じています。

【児童書】
『母さんが こわれた夏』(マリャレーナ・レムケ:作 松永美穂:訳 徳間書店)
 十歳の四つ子の一人、ゾフィーの視点で語られる、鬱病となった母親の物語です。鬱病は、その落ち込みに原因はありませんから、「がんばれ」も「元気を出して」も役に立ちません。患者の気持ちにどう寄り添うか、時には離れるか、そうしたことが子どもにもわかりやすいように描かれています。
 もちろん、実際の場合はもう少し複雑ですが、理解のはじめの一歩としてこうした物語で知っておくことは大切です。

『グリム童話全集』(シャルロット・デマトーン:絵 橋本孝・天沼春樹:訳 西村書店)
 これ一冊で全部入り、完訳。表現の変更もなし。210話。私なんぞはだいたい、主に岩波文庫の分冊本で読んできたので、全部入りにうろたえる。頭の中には「赤ずきん」は何巻目で、「いばらひめ」は何巻目という風に記憶されてしまっているもので。デマトーンは本書の挿絵で銀の絵筆賞を受賞しました。
豪華です。

『サリー・ジョーンズの伝説 あるゴリラの数奇な運命』(ヤコブ・ヴェゲリウス:作 オスターグレン晴子:訳 福音館書店)
 『曲芸師ハリドン』(あすなろ書房)で、物語ることのおもしろさを存分に味あわせてくれた作者の最新訳。細密な画とリアルな大嘘で展開する速いテンポの冒険。
拍手喝采!
この手の面白さが最近のハリウッド映画にはないんですよねえ。

『戦争の怖さを感じとる力を 平和を考えよう1』(竹中千春:監修 下郷さとみ:文 あかね書房)
 今、現代史を学んでいない人々が増えています。
この本は、子ども向けに、戦前から現代までを語っていきます。中国侵略、戦時下の子どもの暮らし、沖縄、広島、長崎、大空襲。戦後の混乱期、9条、民主主義、非核三原則、核抑止、そしてネット時代のメディア・リテラシー。子どもが現代史を学ぶに当たっての基礎知識を得ることができます。

『やさしい大おとこ』(ルイス・スロボトキン:作・絵 こみやゆう:訳 徳間書店)
 『たくさんのお月さま』のスロボトキンによる幼年童話。大男は村人と交流がしたくて山の上から降りてきます。でも村人は怖くて隠れる。しかも大男の声が大きすぎて何を言っているかがわからない。
 悪い魔法使いが企んで、大男は食料などを要求していると村人に。
 そんなだから、村人は大男が怖い。村はどんどん貧しくなる。
 ある日、女の子がなんとか彼の言っていることがわかり・・・・・・。
 なんとも素朴で愛らしい物語です。

『夜はライオン』(長薗安浩 偕成社)
 名古屋の小さな町の小学校6年生、マサは成績はいいし、今度野球部のキャプテンに指名されたし、人生順風満帆。
 なのだけど、そんなことより彼にとって重要な問題は、今も夜尿症であること。
 野球の体型をエースとして勝ち進むために集中するより、修学旅行でおねしょをしないための対策に頭は行く。
 膀胱を大きくする。旅行中徹夜をする。
 その涙ぐましい努力は、自分が置かれている立ち位置と、自身の評価とのギャップであるのですが、そんなとき、東京から転校生が。親が放射能汚染を恐れて転校させたのですが、それに納得しているわけではなく、彼はそれを納得しているわけではなく、親の判断と自分の気持ちのギャップを生きています。
 おねしょという、時代を超えた悩みを使いながら、現代の子どもが抱く世界との違和感を描いていきます。

『おれのミューズ!』(にしがきようこ 小学館)
 描くことが大好きな樹、中学2年生。似顔絵下表情を捕らえるのも得意で、友達からもリクエストされます。
 でも、俺は似顔絵を描きたいのだろうか? 俺は何を描きたいのか?
 そんな彼の元へ現れたのは、すっかり忘れていた幼なじみの女の子。どう接していいかもわからない彼女ですが、樹は彼女こそが自分のミューズだと気付いていくのです。
 恋愛ともちょっと違う、もう少し愛おしい気持ちに触れていて素敵。
 ただ、不治の病設定は必要だろうか?

『ぞくぞく村の ミイラのラムさん』(末吉暁子:作 垂石眞子:絵 あかね書房)
 お化けの村という設定で、日常から外れた出来事を、しかしけっこう日常っぽく描けるように工夫した人気の幼年ユーモアシリーズ第一巻を読み返し。ミイラの奥さんが太ったために体に巻き付ける包帯の長さが足りなくたった! って出だしから非日常で日常っぽい。やはり巧いなあ。

『ともだちはきつね』(村上しいこ:作 田中六大:絵 WAVE出版)
 きつねのれながともだちになりました。今回は、使った千円札が偽札だったので、きつねのれなが疑われることに。ともだちの力が発揮されます。

【絵本】
『1はゴリラ かずのほん』(アンソニー・ブラウン:作 さくまゆみこ:訳 岩波書店)
 あ〜もう、どうしてくれよう、アンソニー・ブラウン。数数え絵本ですが、ゴリラが増えていくんじゃなくて、2はオランウータンなんです。そうして色々なお猿が出てきて、そして・・・・・・。あ〜もう、どうしてくれよう、アンソニー・ブラウン。

『ことりのギリ』(マリオ・ラモ:作 平岡敦:訳 光村教育図書)
 権力を巡る優れた寓話絵本。
 ライオンがみんなに約束をする。王様になったら楽しいパーティを開くよ、と。が、冠をかぶったとたん彼は変わる。軍を作り戦争へと導いていく。
 小鳥のギリはそんな王様から冠を取り上げる。そして、他の動物に冠を渡すが、どの動物も被ったとたんとんでもないことを言い出す。とうとうギリは冠を海に捨てるのですが・・・・・・。
 選挙前だと、ひしひしと伝わる話です。

『美術館に もぐりこめ!』(さがらあつこ:文 さげさかのりこ:絵 福音館書店)
 三人組のどろぼうさんを仕立てて、美術品を盗もうとする設定で、美術館の様々な仕事を見せていきます。
 美術館には絵を見に行くだけでもいいのですが、こうした裏側も知っておくとよりいっそう楽しめます。
 『ルーブル美術館の秘密』というDVDも併せてどうぞ。

『トリックアート ゆうえんち』(グループ・コロンブス:構成・文 あかね書房)
 トリックアートシリーズ最新作です。今回は遊園地に見立てて、見せていきます。ぶつかりそうなジェットコースターの線路とか、工夫がおもしろい。しばし日常から離れるためにも使えますよ。

『天からおりてきた河 インド・ガンジス神話』(寮美智子:文 山田博之:画 長崎出版)
 文化の違いを知るのは、交流のためだけではなく、自分の社会の文化をよりよく知るためにも役立ちます。近頃、市場原理一辺倒なこの国が自国文化ばかり(それも狭い範囲の)に価値を見いだすことこそ、「自虐」だと思います。そうではなく、愉快でスケールの大きなのこインドの神話を味わってみてください。

『ビリーといじわるフレッド』(ベス・ブラッケン:ぶん ジェニファー・A・ベル:え こうのまりこ:訳 辰巳出版)
 フレッドはなぜかビリーのことを色々からかい、気持ちを落ち込ませます。きっとフレッド自身がさみしくて誰かに反応して欲しいのだと、大人は推察できるでしょうけれど、当事者の子どもにとってはそこまで思いをはかることなどできません。その時それはいじめとなってしまいます。
 そうした心の微妙な動きを描きながら、心地よいコミュニケーションを探っていく絵本です。

『ぼく、いってくる!』(マチュー・モデ:作 ふしみみさお:訳 光村教育図書)
 小鳥の「ぼく」は「いってくる」と決心。だから親も友達もみんな、「いってくる」に当たって必要そうなものを次々と渡してくれます。傘、懐中電灯、本・・・。
どこに「いってくる」のかも楽しいですが、それより「いってくる」と周りの反応そのものの面白さ。読み聞かせだけではもったいない。大人もどうぞ。

『もうなかないよ、クリズラ』(セバスティアン・ロート:作 平野卿子:訳 冨山房)
 死と遭遇する子どもの絵本。
 がちょうのヨランテは、百二十七歳のカメ、クリズラと仲良しでいつも一緒に過ごしていますが、クリズラがいなくなり、ヨランテはその事態を受け止められません。
 みんなは心配して色々言ってくれますが、結局自分で納得できる日を待つしかありません。その辺りの心の動きをじっくりと描いています。

『どうぶつこうむてん こうじちゅう』(シャロン・レンタ:さく・え まえざわあきえ:やく 岩崎書店)
  ペンギンさんの新居を建築中。新しい作業員として今日からロバくんが仲間入り。でも、まだ勝手がわからなくて右往左往。
 という段取りで、建築現場を子ども読者に見せていきます。
 ペンギンくん用ですから、人間とはちょっと違う家なのも楽しいです。
 いつもながらシャロンの筆さばきが活き活きとしてそれがいっそう、わくわく度を増します。

『おにいちゃんといもうと』(シャーロット・ゾロトウ:文 おーなり由子:訳 はたこうしろう:絵 あすなろ書房)
 ついつい妹をいじめちゃうおにいちゃん絵本。
 この絵本の展開の素敵さは、だんだん妹がめげなくなっていく点。そうしてしだいにおにいちゃんも正直に気持ちを表すようになる。
さすがにシャーロット・ゾロトウ。
そのテキストに、はたこうしろうが寄り添って描きました。

『でんしゃがいっぱい』(そく・ちゅるぉん:作 アリス館)
 タイトル通り、様々なものを電車に見立てて、走らせます。丸太、氷、石、炎。
 はたらくくるまは、一つのジャンルを形成していますが、一見バリエーションが少ない電車はまだまだ。でも、電車って楽しいんです。この絵本は電車じゃないももの電車にしてしまっているので、その楽しさがいっそう良く伝わってきます。

『どうぶつのおともだち はらっぱのおともだち』(カミーユ・ジョルティ:作 かどのえいこ:訳 ポプラ社)
はらっぱで、野生動物たちと出会って、遊びます。こんな風に遊べたらいいなあと、私でも思ってしまいます。
同時出版の『どうぶつのおともだち まきばのおともだち』は飼育動物たちです。
表紙の動物がぷくっとふくらんでいて、かわいいの。

『イモムシ』(新開孝:写真・文 ポプラ社)
 新開の新作写真絵本。イモムシを好きか嫌いかはともかく、これを見ていると親しみを持ちます。表情があるはずもないのですが、そう見えたり。それは生き物に対する愛おしさがこの絵本から伝わってくるからでしょう。あ〜なんか涼しげだなあ。

『ママはびようしさん』(アンナ・ベングトン:さく オスターグレン晴子:やく 福音館書店)
 ママの働く美容院の風景を描きます。
 理容院の素朴さに比べて美容院はどこか賑やかなのですが、その雰囲気が楽しいです。
 理容院のカット(全体)と美容院のカット(面)は違っているのですが、そうした自由度をよりいっそう絵本として広げています。
 理容院と美容院で絵本のテキストを考えていましたが、これでボツ。でも、この絵本がおもしろいからいいや。

『ぴたっ!』(あずみ虫:さく・え 福音館書店)
 動物の親子がぴたっ!
 という展開のシンプル絵本です。
 アルミ板を素材として、切り抜いて作り上げる画は、筆以上に作者の手業が読み取れ、新鮮でぬくもりのある風合いです。
 
『はじめての旅』(木下晋:文・絵 福音館書店)
 家が焼け、父親が仕事を失い、貧しい暮らしの中で母親が去る。やがて戻ってきた母親は父親にいないすきに「ぼく」を連れ出す。長い旅。その先で「ぼく」が知ることは?
 静かに、心の奥深くに眠る記憶の物語を気にしたのモノクロームが描きます。

『いつもとなりに ねこじゃらし』(伊沢尚子:ぶん 五十嵐大介:え 「かがくのとも」八月号 福音館書店)
 「ぼく」とおねえちゃんが、外に出ていろんなねこじゃらしを探し、みんなと遊びます。
 原っぱや空き地は消えていきましたが河原はまだまだ、手軽に自然と触れ合える場所。その雰囲気が良く出ている五十嵐の絵を眺めながら、ねこじゃらしの知識を集めるのだ。

『でんせつのいきものを さがせ!』(田中大六 講談社)
 ツチノコや、ネッシーなどを徹底的に探す、見つけ絵本です。
 一応、田中による、伝説の生き物の絵が描いてあるので、それを探すのですが、これがなかなか見つけにくい。というか、色々楽しい遊びがあるのでそっちを見てしまいます。
 田中の人柄が良く出た作品です。

『ねこのピート だいすきなしろいくつ』(エルック・リトウィン:作 ジェームス・ディーン:絵 大友剛:訳 ひさかたチャイルド)
 ごきげんなねこのピート。白いシューズでおでかけ。白はサイコー! でも、イチゴの山に乗ってしまってシューズは赤に。お〜、赤ってサイコー!
 どこまでも前向きなピートが、私たちの気分もごきげんにしてくれますよ。

『人魚のうたが きこえる』(五十嵐大介 イースト・プレス)
 「人魚姫」のような話を期待すると裏切られます。人魚を深海に住む生物の一つとして、イメージのままに画いていきます。そしてそこに人魚の存在感を定着させるのです。
 もう一ひねり欲しいですけれど。

『おじさんとカエルくん』(リンダ・アシュマン:ぶん クリスチャン・ロビンソン:え なかがわちひろ:やく あすなろ書房)
 雨が大嫌いなおじさんと、飴が大好きな蛙の格好をした少年。
 二人の様子が見開きの中で愉快に展開していきます。もちろんやがて二人は出会います。これは、みんなが期待することですよね。
 クリスチャン・ロビンソンの切り紙による画は軽さを醸しだし、気持ちのいい仕上がりです。

『おばあちゃんの ひみつのあくしゅ』(ケイト・クライス:文 M・サラ・クライス:絵 福本友美子:訳 徳間書店)
 動物仕立て(つまり、動物として画くことで普遍性を持たせる)の祖母・孫絵本。
 ラリーはおばあちゃんが苦手。かわいいといわれるのもいやだし、三回握る握手もなんだかな〜。と不満たらたらが画かれていきますが、やがて・・・。
 祖父母が苦手な子ども設定が、まずいいですね。それも怖い祖父や、うるさい祖母なんてのではなく、いい祖母なんですもの。

『はいチーズ』(長谷川義史 絵本館)
あこがれのにくやのチーズ。ともだちはおいしいおいしいという。たべたいなあ。
ようやくかあちゃんが買ってくれたけど・・・。
 人は人、私は私。
 おかしくて深い、長谷川ユーモア。

『ぷうちゃんの ちいさい マル』(東直子:作 たんじあきこ:絵 岩崎書店)
 『ひらがなだいぼうけん』的な文字遊び物。
 ぷうちゃんが歩いていると、ぷの丸が取れて、ふうちゃんに、次に濁点がくっついてぶうちゃんに。ぶうちゃんは、なんだか豚みたいでいやだな、そうしてぶうちゃんが出会ったのは、ぶんちゃん、のはずが?
 たんじが、カラフルな色をつけています。

『ならの木の みた夢』(やえがしなおこ:文 平澤朋子:絵 アリス館)
 ならの木と仲良しの少年はある日、お祭りに出かける前に、お土産を買ってくると約束します。しかし、それから少年は現れず・・・。
 その後、少年がどう生きてきたかが描かれていき、そうして退職した元少年はならの木との約束を思いだす。
 木の時間と人間の時間の出会いを描いています。

『川をのぼって森の中へ』(今森光彦 偕成社)
 今森がボルネオ島へ向かいます。
 マハカム川をさかのぼり、森の民ダヤク人の元までの旅。
 切り取られたジャングルや人々の表情、生き物たち。
 彼らの暮らしを私たちは手に入れられませんし、暮らせないでしょう。けれど、それを豊かだと見るか貧しいと見るかで、今の暮らしがずいぶんと変わってきます。

『まめじかカンチルの冒険』(松井由紀子:再話 松井寿磨子:絵 福音館)
 世界最小の鹿、たった二キロしかないまめじかの活躍を描いたインドネシアの昔話。まめじかがこんなに知恵者として愛されているなはしりませんでした。
 『こどもほじょりん製作所』の安井の画が表情豊かでいいですよ。

『ミミとおとうさんのハッピー・バースデー』(石津ちひろ:さく 早川純子:絵 六長崎出版)
 おとうさんの誕生日にかあさんはおでかけ。そこで、ミミちゃんがケーキ作り。おとうさんも手伝いますが、これがまあ、大ボケで大丈夫か?

『ほっぺおばけ』(マット かずこ:ぶん・え アリス館)
 これはうまく考えられた絵本。おいしいものを食べた子どものほっぺが落ちます。その落ちたほっぺを食べるおばけがいるというのです。それも、プリンにしたりパンにしたりして。で、ほっぺを食べたおばけのほっぺが落ちると・・・。

『つなのうえのミレット』(エミリー・アーノルド・マッカリー:作・絵 津森優子:訳 ぶんけい)
 ミレットは一人の綱渡りにあこがれます。教えて欲しいけれど、相手にされない。だから自分で練習をはじめ、巧くなっていく。そんなミレットをみて本気だと知った綱渡りは教えます。彼は伝説の綱渡りなのですが今ではすっかり自信をなくしています。そうして、話はいよいよクライマックスへ!
 なんと美しいマッカリーの画。

『マールとおばあちゃん』(ティヌ・モルティール:作 カーティエ・ヴェルメール:絵 江國香織:訳 ブロンズ新社)
 リンゴの木に下で生まれたマールと祖母は大の仲良し。マールもおばあちゃんも、ごきげんな毎日。しかしおばあちゃんが倒れ、おじいちゃんが突然亡くなり。と、暗くなっていきそうな話なのですが、一日一日を真っ直ぐに生きている二人ですから、そんなことは全然ありません。お手軽な感動は皆無ですが、グサリと心にきますよ。ヴェルメールの想像的リアルも秀逸。

『おばけにょうぼう』(内田麟太郎:文 町田尚子:絵 イースト・プレス)
 日本文化研究センター所蔵の「化物婚礼絵巻」を内田と町田が絵本として、新たな世界に仕立てました。
 内田世界になっていて、ほんわかおかしいです。それを町田が、絵巻の素朴さから奥深い怖さにひねります。
 いい出来だなあ。

『どうぶつ島 たんけん』(今森光彦 小学館)
 写真家今森の毛布と角才能、ペーパーアートの世界です。さまざまな動物が一枚の紙から浮かび上がります。
 切り抜き方もちゃんとありますから、自分でも挑戦できますよ。

『エレノアのひとりじめ』(ジュリー・ギャスマン:ぶん ジェシカ・ミハイル:え みやさかひろみ:やく 辰巳出版)
 ちょっと困ったちゃん物です。
 エレノアはなんでもかんでも独り占めしたい。どうしてもそう思ってしまう。いやな子みたいですが、そうした子どもの欲望を作者自身が否定していないので、わかるわかるって感じです。
 ミハイルは小憎たらしいけど憎めないエレノア(ねずみ)を巧く想像しています。
 その後の展開は、幸せな結末へと進みますよ。

『ほしのはなし』(北野武 ポプラ社)
 話そのものは、さしたるものではありませんが、その見せ方がとても巧いです。
 画面は一枚絵で、それが折りたたまれています。読み進むに従って、画面がだんだん大きく拡がっていきます。そして最後は、十六ページ分の大きな夜空と瞬く星。
子どもが読むにはすぐにやぶれてしまいそうですが、それはかまいません。テープで貼り直せばいいのです。

『ぴっち と りた まよなかのサーカス』(ながおたくま BL出版)
 こねこのぴっちとりたは、ソファの下に穴を発見。さっそく冒険に。するとそこは地下のサーカス。でも、お客さんが来ないので、みんなの腕はすっかり落ちています。そこでぴっちたちは、彼らを励まそうとします。
 輪郭線のはっきりとした画。その表情がしっかりとした個性になるまでもう少し。
 児童文学館、ニッサングランプリ絵本大賞受賞作です。

『ウミショウブの花』(横塚眞己人:文・写真 「たくさんのふしぎ」八月号 福音館書店)
 ちょっとクリオネをおもわせる、ウミショウブの雄花。海にぷかぷか浮かんで、開花した雌花までたどり着きます。
 西表島でそれに出会った横塚の好奇心に同行して、自然の美しさと豊かさが味わえます。

『この あかい えほんを ひらいたら』(ジェシー・クラウスマイヤー:文 スージー・リー:絵 石津ちひろ:訳 講談社)
 『なみ』のスージー・リーが画を担当した仕掛け絵本。
 仕掛けといってもポップアップではありません。
 テントウムシが赤い絵本を開いたらその中に小さな緑の絵本。そこにいるのはカエルで、カエルが開いたのはもっと小さな橙色の絵本で、そこにいるのはウサギ。
 という風にページを繰るごとに絵本は小さくなっていきます。
 それだけで楽しいのに、その後は?

『ぶたラッパ』(下田昌克:さく・え 谷川俊太郎:らっぱ そうえん社)
 みんなでラッパをならします。パー、ピー、プー、ペー、ポー、パー、ピー、ブー!
 あれ? プーじゃなくて誰かがブーと鳴らしたような?
 じゃあ、もう一回。でもやっぱり。
 こうして「秩序」だとか「調和」だとかは徐々に崩れて、もう楽しいの一点張りへと転換していきます。
 ナンセンスとは違う、音による心の解放絵本。

『るーきったん』(おのりえん:文 小野かおる:絵 「こどものとも」年中 八月号 福音館書店)
 るーきったんというのは、機織りの音。祖母の機織りを眺めるのが大好きのんちゃん。が、あるときカラスが糸を一色持ち去り、それを追いかけるのんちゃん。こうして画面を繰るごとに追いかける人も動物もどんどん増えてきて、まるで祝祭のような世界が展開します。言葉のリズムをつくっているのはるーきったんです。

『リアさんって人、とっても愉快!』(エドワード・リア:文 ロバート・イングペン:絵 柳瀬尚紀:訳 西村書店)
 リアは、ナンセンス誌でしられていますが、ダーヴィンと並ぶ生物学者であるジョン・グルードの鳥類図鑑に絵を提供しているのは知りませんでした。
 この絵本は、そんな業績や彼の書簡も納めつつ、ナンセンス詩を柳瀬が柳瀬風に訳し、ロバート・イングペンが、それはもう素敵な絵で作り上げていますよ。

『むらの英雄』(わたなべしげお:文 にしむらしげお:絵 瑞雲舎)
 森を通って町から村へ帰る12人の男。全員無事か気になった一人の男が人数を数えるけれど、自分の数え忘れたため、「11人しかいない!」。おどろいたほかの於呂子も次々数えるがみんな自分を数え忘れ、12にニッチで11人しかいないと結論つける。村に帰った彼らはいなくなった一人のことを英雄として語り始めますが・・・。
 いいなあ、こういうお話。エチオピアの昔話だそうです。復刊です。

『あるひ ぼくはかみさまと』(キティ・クローザー:作 ふしみみさお:訳 講談社)
 威厳とか、崇高さとかのない神様です。
「とか」なんて書いている時点で、そういう神様なんですけどね。だからといってとぼけているとか、情けないとかでもありません。人のそばにいて、ごく普通に見守っている。それは実はどこにもいなくて、自分の心の中だけかもしれないといった身近さ。
そうした「感じ」がすごくよく描かれた言葉と絵。

『ぼくのふとんは うみでできている』(ミロコマチコ:作 あかね書房)
 波に揺られているようにぐっすり眠っていると、ふとんで子猫が生まれて、布団は海から、猫布団に変わり、朝ご飯のふかふかパンがおいしくて、布団はパンになり・・・。
 自由に動く発想が絵本を仕立てていきます。才能だなあ。

『ぼくはここにいる』(ピーター・レイノルズ:作 さかきたもつ:訳 小峰書店)
 騒がしい中に入れない、「ぼく」。人のペースについて行けない「ぼく」。でも、「ぼく」はここにいて、君たちを眺めて楽しんでもいる。つながりたいけど、「ぼく」からは無理。でも、「君」が「ぼく」を理解して、ゆっくり「ぼく」に近づいて来たら・・・。

『算数の天才なのに 計算ができない 男の子のはなし』(バーバラ・エシャム:文 マイク&カール・ゴードン:絵 品川裕香:訳 岩崎書店)
 算数を嫌いでもないし、数の概念は理解できているけど、計算ができない。そのためにテストは苦手。
 この絵本は、算数に関する学習障害の子どもの姿を描いています。言葉を理解するし話せるけれど文字が読みにくい失読症は知られるようになってきましたが、こちらは算数に関する症状です。
 まず、それを理解すること。大丈夫だと伝えること。
 マイク&カール・ゴードンの絵が軽くてとてもいいなあ。

『九九をとなえる王子さま』(はまのゆか:作 あかね書房)
 九九が大嫌いな王子は、魔法使いに九九をこの世から消させました。でもそうすると、色々不便なことが起こり、王子は九九を取り戻すべく冒険の旅に。
 九九は便利ですが、インドのように二桁を覚えるのはできなかった私(方法はあるのですけど)。

『本、だ〜いすき!』(ジュディ・シエラ:文 マーク・ブラウン:絵 山本敏子:訳 新日本出版社)
 移動図書館が間違って動物園に。そこで動物たちのために図書館を開きます。本に夢中になる動物たち。カワウソのリクエストは『ハリー・ポッター』。ぬれても大丈夫なのを探さないと! 『ナンシー・ドルー』シリーズに夢中になったカンガルーは動物園の謎解きに夢中。
 物語と遊ぶ楽しさですね。

『ぼくは きょうりゅう ハコデゴザルス』(土屋富士夫 岩崎書店)
 恐竜大好きたっくんは、段ボールで恐竜のかぶり物を作って遊んでいると、恐竜の世界へ。子ども恐竜たちは、彼を新しいおともだち恐竜だと思い、一緒に遊ぶ。ばれないかとドキドキたっくん。どうなりますか。
 ごっこ遊びをしているときの子どもの夢中度を描くのが上手い!

『おふろにいれて』(せなけいこ ポプラ社)
 りゅうちゃんがお風呂に入っていると、窓から入ってきたのは犬、猫、一緒にお風呂に入りたい。
 どうぞ、どうぞ。
 お化けもやってくる。
 わ、怖い!
 でもね。
 一ひねりのうまさ。

『海賊』(田島征三:作 塩澤文男:デザイン設計 ポプラ社)
 自然、環境、生き物のつながり。そうしたものと共にありながら生きている海賊一人。手下はいない。彼が海賊であるのは、欲望のために周りを、他者を傷つける者たちと戦うことにおいてだけ。そんな海賊が人魚と恋に落ちる。しかし、人の「欲望」が彼らを襲ってくる。
 田島の危機感と、怒りと、愛情が詰まった一冊。

『こまったときの ねこおどり』(いとうひろし ポプラ社)
 まちでの暮らしがうまくいかなかったねこさんは、森で過ごしていますが、おなかはすくし、このままではいけない。何とか捕まえたねずみさん。食べられてな大変と、おもしろい踊りができる自分を見世物にしてお金を稼げばいいのではと、ねこさんに提案。
 そうしようと、お客さんをあつめたけれど、ねずみさんに逃げられ、どうしましょう?
 大丈夫だよと、いつもいとうひろしは伝えてくれます。
 
【他】
『深海の怪物 ダイオウイカを追え!』(窪寺恒己:著 ポプラ社)
 ちょうど今日、NHKスペシャルで放映されるダイオウイカの解説と、初撮影のドキュメントです。
 深海潜水艇は、なんだか昔の007を彷彿とさせて、私はドキドキしてしまいます。ダイオウイカを呼び寄せるための作戦なんかはアナログでよろしいなあ。

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