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*以下三辺律子です。 読売NAVI&navi テーマ「波」 感情の波、景気の波から年波まで、波はなかなか勝てないものの比喩に使われることが多い。中でも一番の大波は、時代の波だ。 『魔法の泉への道』(リンダ・スー・パーク・著、金利光・訳、あすなろ書房)は、アフリカのスーダン南部でそれぞれ一九八五年と二〇〇八年に十一歳だった少年サルヴァと少女ナーヤの物語だ。内戦や紛争、諸外国の難民政策など時代の波に翻弄され、サルヴァは故郷の村を追われて砂漠を渡り、エチオピアへ、さらにケニアからアメリカまで旅することになる。一方のナーヤは、二十三年後の荒廃した国土で雨季も乾季もひたすら水汲みに日々を費やしている。思わぬところでこの二人の運命が交わることから、小さな希望が生まれる。 『シルクの花』(キャロリン・マースデン・著、代田亜香子・訳、すずき出版)では、工業化の波が、タイの農村で暮らす少女ノイを襲う。ノイは、祖母から伝統工芸であるシルクの傘の絵つけを教わるのを、何より楽しみにしている。しかし、周りの畑は工場に変わり、自給自足で暮らしてきたノイの家族は、現金収入を得るため、ノイの姉を工場へ働きに出す。時代の波に押し潰されかけた時、ノイを救ったのは、そのささやかな楽しみだった。 サルヴァやナーヤやノイの逞しさには目を見張るが、彼らを襲った波の大きさを思うと、希望ばかりを抱いてはいられない。スーダンとタイの文化や風俗や日常が、瞬く間に流されていくさまを見れば、単に波に乗ったり抗ったりするだけでは解決しえない問題が世界に山積していることがわかる。日本や欧米以外の物語にも、もっと目を向けてみてほしい。 (読売新聞 2013年8月17日掲載) 追記: 映画のことを書いたときにも少し触れたけれど、異国を舞台にした小説や映画は時に、教科書や新聞やネットの情報よりも雄弁に、その国の姿を伝えてくれる。例えば、わたしは、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン)や、『バルザックと小さな中国のお針子』などダイ・シージェの作品、イーユン・リーの小説などを読んだとき、それまでは史実として知っていただけの文化大革命がどういうものだったのか、初めて「腑に落ちた」気がした。しかも、教科書などで習うより、はるかに「楽」に。最近は、「欧米作品以外にも目を向ける」どころか、翻訳物自体が読まれていないけれど、ぜひぜひ色々な本を手にとってほしい。 なにも小難しいことばかりではない。例えば上の書評でとりあげた二冊にも、その国ならではのおいしそうな食事の場面が出てくる。「全員、マットの上にあぐらをくんですわった。ごはん、トウフとブタ肉のニンニクいため、オムレツ、小皿に入れた魚のソースとチリソース」「お米がとれる季節になるといつも、いいにおいのするジャスミンライスを食べた」「ジャガイモとヒヨコマメのカレーいため・・・ライススープ」(『シルクの花』)、「ジリスやウサギ、ホロホロチョウやライチョウなどを仕留めでもしようものならお祭りさわぎになった・・・たき火の上にしたたり落ちた油がジュ、ジュッと音を立てる。あたりには香ばしい匂いがただよった」(『魔法の泉への道』)。食べてみたい! 東京は、世界一世界の料理が食べられる都市(なんだかややこしいが)らしい。確かに最近おいしいエスニック料理のお店はたくさんあるし、フュージョン料理(色々な国の食文化を融合(fusion)させた料理)も花盛り。アボガト入りのお寿司カリフォルニアロールや、タコスピザなどはすっかり市民権を得ているし、パパイヤの中に盛られた鶏肉のスープとか、トリュフ釜飯なんていうものも、食べたことがある。 それで思い出すのが、高校時代の友だちのお母さん。時代の軽く三歩先をいっていた。新ケーキを発明した、といって出てきたのが「梅干ケーキ」(そのままです)。アメリカから帰ってきたときは、「日本風にアレンジしてあげる」と、カレーの上に鰹節をこんもり。パンプディングの中にトウモロコシの粒(ちなみに、いっしょに出てきたポテトサラダにもトウモロコシが入っていた)。落花生とバターを混ぜたピーナツバター(意味がちがう)。友だちがぱっと開けたお弁当箱の中身は日の丸弁当、ただし梅干の代わりにイチゴ。ぱっと開けたとき、中身が真っ黒なときもあった。おはぎがぎっしり詰まってた。 当時、よく、友だち同士で家を行き来して、ごはんをご馳走になっていたけれど、彼女の家にいくときだけは、みんな、近所のモスバーガーで買っていった。 翻訳文学を読めば、彼女のお母さんみたいな自由な発想を得られる―――かもしれない。 <しょうが入りクッキーを床で伸ばしたら長くつ下履きくだり列車へ> 三辺 律子 *以下、ひこ・田中です。 「青春ブックリスト」(読売新聞) 第7回(恋愛) 人を好きになってしまう気持ちは誰にも止められません。恋愛モードに入ると、たった一人に対す感情が最優先になり、普段は持ち得ている社会性が後退します。そのために、恋愛状態にある二人は、属している社会の規範や慣習や価値観から逸脱し、孤立することもしばしばです。そんな目に遭うのはごめんだという人は恋愛などしないのが一番ですよ。とはいえ、なんとも魅力的な心の動きですから、たいていの人はその感情を拒否できませんけれどね(笑)。 ところで恋愛を描いた物語は、主人公たちのそうした孤立や困難をテーマにしますので、そこから逆に、舞台となっている時代や文化における、社会の規範や価値観を探ることも可能ですので、そんな読み方も面白いですよ。 定番中の定番が『ロミオとジュリエット』。 かつて結婚は、家を繁栄させるのが一番重要な要素でしたから、親が決めた相手と結ばれることが多かったのです。ところがロミオとジュリエットは家同士がいがみ合っているにもかかわらず恋をし、一緒になろうとする。そこに悲劇が生じてくるのですが、恋愛結婚が主流である現在とはちょっと違う時代感覚を、ぜひ味わってみてください。台本ですから読むコツをつかむのに少し時間がかかるかもしれませんが、四百年以上前のYAたちのおしゃべりが満載です。結構今と似ているところもあるでしょう。もちろん今では考えられないような発想も。思春期は親や社会に反抗するとよく言われますが、大人社会の偏見や価値観の影響も案外大きく受けていることがよくわかりますよ。 一方、『あなたはそっとやってくる』(ジャクリーン・ウッドソン作 あすなろ書房)は、現代の物語。一目で恋に落ちた、同じ高校のエリーとマイアが描かれています。 でもこの恋愛には大きな困難が。一人は黒人、一人は白人だったのです。一応人種差別はないことになっていても、周りの好奇な目は避けられません。親も受け入れてくれるかわかりません。 二人の心にもためらいはあります。でも、惹かれ合う心は誰にも、当の二人にも止められません。それが恋愛です。二人の先行きはご自分で確かめてくださいね。 本物の恋愛は、激しい情熱であると同時に、優しい気持ちにも満たされます。どうか、恐れずに、あなたの恋愛を愛しんでくださいね。 第8回(ジェンダー) 人には男と女、二つの性があります。そして、生まれてから学習する男女の区別もあります。例えば男は男らしく、女は女らしく振る舞うように、といった考え方もその一つです。 物心ついたときから、親や周りの大人、物語や映像などによって繰り返し伝えられるので、「らしさ」は絶対的価値観だと思い込んでいる方も多いでしょう。でも、あんまりそれにこだわると、自分自身を窮屈にしてしまうと思いませんか? 今回ご紹介するのは、「女らしさ」に目覚めたり、興味を持ったりした男子のお話です。 『ぼくって女の子?』は、女友達から肘の外側にキスをすると性がチェンジしてしまうと言われたマーヴィンが、たまたまそうしてしまい、女子になるのではないかとドキドキする姿が描かれています。もちろんそんなことはないのですが、気にすることで、男と女両方の視点で物事を眺められるようになっていく様子が楽しいですよ。 一方、『ドレスを着た男子』は女子の服に興味を抱くデニスのとまどいが描かれています。ファッション誌ヴォーグに魅せられて買ってしまった彼は、父親に見つかり男のくせに女性雑誌を読むなんてと叱られます。でもデニスは女子の衣装をとても美しく思います。どうして男の服にはこんなに綺麗じゃないのだろう? 学校の男子憧れの的であるリサは、ヴォーグを読むデニスを笑うどころか、かっこいいとさえ言ってくれます。リサの提案で女装し、自分が本当に着たい服はこれなのだと気づくデニス。でも、「男らしく」の壁がそこに立ちふさがります。さて、どうなるか? 人は性格も体力も嗜好も思想も異なっているので、男らしさや女らしさだけに縛られるより、もう少し柔軟に対応した方が楽しく生きられるし、生き方の幅が拡がってきます。まずは、二つの性の間に引かれた多くの境界線の中であなたが必要でないと思うものを取り払う練習から始めてみてくださいね 【児童書】 『わたしは倒れて血を流す』(イェニー・ヤーゲルフェルト:作 ヘレンハメル美穂:訳 岩波書店) 十六歳のマヤは美術の授業の最中に電動鋸で親指の先を切り落としてしまいます。六針も縫う怪我。今日は母親の家で過ごす日なので彼女に助けを求めようとするが家にはいない。連絡が取れない。でも、新しい恋人に気が行っている父親に相談をする気にもならない。不安と混乱と怒りの中を彷徨う十六歳の語りが新鮮。 『さよならを待つふたりのために』(ジョン・グリーン:作 金原瑞人・竹内茜:訳 岩波書店) 二人は出会い恋をする。出会ったところはがん患者のサポートグループ。 この物語は、一〇代のがん患者の恋愛を含めた物語だけれど、がんとがん患者を描いた物語としてではなく、YAの心の動きを積み上げていく形になっているのがいい。 教室で出会った二人の恋愛物語があるように、ショッピングモールで出会った二人の恋愛物語があるように、がん患者のサポートグループで出会った二人の恋愛物語が描かれている。 だからこそ、死と向き合いながら生きている彼らの姿がリアルさを増していく。 【絵本】 『汽車のえほんコレクション』(ウィルバート・オードリー:原作 桑原三郎・清水周裕:訳 ポプラ社) 『機関車トーマス』を代表とする、ウィルバートの絵本二六作が一冊に! このシリーズを考察するのにとても便利です。が、そうでなくても、ファンの方には贅沢この上もない喜びでしょう。 『すいか!』(石津ちひろ:文 村上康成:絵 小峰書店) テキストがすべて「す」「い」「か」で始まる言葉でできています。絵はすいかにかぶりつく人間と動物であふれています。 もう、すいかだらけ、夏だらけの絵本です。 『どうしよう!』(アイリーン・ローゼンタール:文 マーク・ローゼンタール:絵 なかがわちひろ:やく クレヨンハウス) 大好きなおさるのぬいぐるみポポがいなくなった! 「ぼく」にとってポポは大切な友達。ポポさえいれば怖くない、寂しくない。なのに・・・。 いつも隠すのは猫のミュー。「ぼく」は頭にくるけれど、でもね、ミューもね。 『しあわせなワニくんの あべこべな一日』(神沢利子:作 はたこうしろう:絵 ポプラ社) 今日はデートの日なのに約束の時間になっても彼女は来ない。どうして? 悩むワニくん。今日はあべこべな日だから? ワニくんがなにを間違っているかは子ども読者にもわかっているので、どうなるか、ハラハラドキドキ度は増します。 やっぱり、巧いなあ。 『図書館に児童室ができた日』(ジャン・ピンボロー:文 デビー・アトウェル:絵 張替惠子:訳 徳間書店) 一九世紀末、子どもが図書館で本を自由に読めなかった時代から、アン・キャロル・ムーアを中心に児童室が全米の図書館に拡がっていくまでを描いています。 子どもは本を壊す。子どもは本を返さない。そうした偏見がしだいに溶解していく様。 司書という仕事の重要さが再確認されます。 『ひとりひとりのやさしさ』(ジャックリーン・ウッドソン:文 E.B.ルイス:絵 さくまゆみこ:訳 BL出版) なんと静かで、痛く、厳しく、そして包み込む言葉なのでしょう。差別について、その深みについて物語ってきたウッドソンによる、心に突き刺さり、そして勇気が欲しくなる物語。『川のうた』で風景の音までも描き出したE.B.ルイスの妥協しない眼差し。 『しんかんくん でんしゃのたび』(のぶみ:さく・え あかね書房) のぶみの代表作になった「しんかんくん」シリーズ八作目。実はここまで続くとは考えていませんでした。でも、列車ってみんなやっぱり好きなのに加えて、新幹線をのぶみ的かわいさのキャラクターに仕立ててしまった勝利です。 今作は、大サービスで、いろんな電車が出てきますよ。 『花じんま』(田島征三:再話・絵 福音館書店) ラジオ体操も含め、方言が見直されていますが、これは田島による土佐弁「花さかじいさん」です。土佐弁は田島にとって幼少期の言語ですから、その語りのリズムは読んでいても心地よいです。 画は、『ちからたろう』のような力強さではなく、ユーモアの方がより立ち上がってきています。 『ミルク こぼしちゃ だめよ!』(ステーヴン・ディヴィーズ:文 クリストファー・コー:絵 福本友美子:訳 ほるぷ出版) ニジェールを舞台にした絵本です。ペンダちゃんは、山でヒツジの世話をしているお父さんにミルクを届けます。キルクは頭の上に乗せた鉢の中。こぼさずに届けられるかの大冒険! その途次でニジェールの生活・文化・自然が伝わってきます。 大胆で愉快でおおらかな絵が、鮮やかな色彩で描かれます。これが心を和ませます。 『おばけの ゆかいな ふなたび』(ジェック・デュケノワ:さく おおさわあきら:やく ほるぷ出版) おばけ絵本最新訳。ゆらゆら揺れる船での楽しい時間。おばけたちそのものがゆらゆらしておりますもんで、船酔いしませんです。後半になると、いよいよ本領発揮の展開。 なるほどねえ。 『マングローブの木 アフリカの海辺を緑の林に』(スーザン・L・ロス:文とコラージュ シンディ・トランボア:文 松沢あさか:訳 さ・え・ら書房) 海水でも大丈夫であるマングローブを植林して、大地を潤わせ、その根元を魚たちの住処とすることで豊かな漁場にもして、貧しい村を元気にしようというプロジェクトを描きます。 様々な素材を使ったコラージュがすてきです。 『おじいさんとヤマガラ 3月11日のあとで』(鈴木まもる 小学館) 山の中に住んでいるおじいさん毎年、巣箱を六個作っています。自然、鳥たちが大好きなのです。巣箱はヤマガラが使い、子育てをします。 地震が起こり、原発事故が発生しました。 巣箱は二つしか使われませんでした。次の年も。 鳥たちを愛する視線から原発を語る。鈴木だからこその作品です。 Copyright(C), 1998 |
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