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西村醇子の新・気まぐれ図書室(4)――見方が変わると── 少し前になるが、新宿から乗り込んだ地下鉄車内でのこと。通路に立っていた乗客が降りて車内がすくと、向かいの席に座っている女性が本に読みふけっているのが目にとまった。他人が何を読んでいようが関係ないはずだが、そのときは女性の手元が気になった。ソフトカバーの装丁を見たとたんに、知っている本だという気がしたからだ。見覚えがあるし、書名が喉まで出かかっているのにと、記憶を探っていたら、ぱーっと霧が晴れて、わかった。白黒のクレヨンで描いたような、アップの顔の絵で本の天と地、小口までもが紫色になっている、あれ――あれは、ひこ田中さん作の『お引越し』だと。福音館から2013年11月に装幀も新たに出版されたものだ。女性はあと少しで読み終わりそうで、できれば感想をうかがいたいたかったところだが、そんなことを思っているうちに、残念ながら降車駅がきてしまった。 『お引越し』が1990年初版だったことも、相米慎二監督で映画化されたことも、この欄の読者ならご存知の方が多いだろう。筆者は出版当時に本を読み、公開されたときには映画を見た。だから内容も頭に入っている…はずだが、自分でもあきれるほどすっかり忘れていた。初めて読むような新鮮な心持ちで、読み返すことができたのはよかったが。 両親が離婚を決めた。一人娘の小学6年生レンコは、母と家に留まり、父親が別の場所に移ることになった。物語は父親の引越し当日からはじまり、家がふたつになったことで起こるもろもろの問題にレンコがぶつかる様子を、彼女の視点から語っている。たとえばレンコは母と二人きりの生活にはそれなりの取り決めが必要だと言われ、母の提案する契約書を一条ずつ点検する。また、これまで親の両方と行き来していた周囲のおとなとの家族の関係が微妙に変わることを発見する。学校ではクラスメートに親の離婚を打ち明けないせいで、不都合なことも起こる。こうしたもやもやのたびに悩み、レンコはそこから抜けるためにもがき、考える。 読み返してまず驚いたのは、レンコの気持ちにこれほど寄りそって描かれていたのか、ということだった。筆者はどちらかというと物語の「筋」が気になり、つぎに何が起きるのかと、待ち構える傾向がある。でも親の離婚をのぞくと、この物語には劇的な展開はない。そうではなくて、親が別れた結果として家計がきつくなるなかでの暮らし方や、表札に出す名前を改めて決める必要があることなど、ひとつひとつは小さな、でも無視できない日常の出来事を、レンコの目と言葉で語っている。それが感情のリアリズムを生み出し、読んでいて痛快だった。また、全編に自己点検の姿勢といったようなものが貫かれていることも見えてくる。レンコの根底にあるのは、「女の子だから」とか「離婚した家の子だから」といった、ややもすると型にはまったり独りよがりだったりする見方への反発である。 2章に、レンコがフライパンで軽いやけどを負うエピソードが描かれている。父親からの電話が気になったせいだった。その晩、母はレンコのつくった料理をほめるが、手のやけどには気づかない。目ざとかったのはクラスメートだ。レンコはそのことを、「でも次の日、ヤなことがあった」と書く。「どうしたってきくから晩ごはんを作っててって話した。」 クラスメートに感心されたとき、レンコは子どもの自分が「晩ごはんを作るのがエライと思っているのやと気づいた。…あんまりいい気持ちはしなかったけど、まだ家のことをちゃんと話してないからしかたがないもの。私、ニコニコしていた。『いい子』の顔を作っていた」。ところが、日頃から何かとレンコを苛立たせるミノルは、レンコが女の子らしく料理したことを見直した、と褒める。好意をもっているレンコの美点を見つけたつもりらしいが、レンコが猛反発しても、何がいけないのかわからないため、ますます怒られる。もちろん、ミノルが男女の役割分担の概念に縛られていることが、レンコの反発を招いているわけだ。 社会からかけられている大人や子どもへの期待とその意味するところ、家族とは何かーーレンコが違和感やこだわりを抱くたびに、物語は読者にも、これまでの見方や考え方でいいのか、点検するよう促されている。 最初の出版から時間が経過したために、説明を要する箇所も生じている。そのあたりは、今回書き下ろしされた「あと話」(後日談)のなかでじょうずに補われている。あの子どもたちはその後どんなおとなになったのか。いちばん意外性があるのが、レンコの気持ちを理解できないでいたミノルではないだろうか。35歳のミノルは小学校の教員をしているという。そして教員の立場から子どもをとりまく環境の変化に触れ、連絡手段の違いを述べる。当時は固定電話だけだったし、家に帰れば家族との時間だったが、今は連絡手段も豊富となり、家に帰っても生活に携帯電話やパソコンやメールが侵入してくると。ただしミノルは言う。「いつの時代でも子どもは大人よりずっと、心の修復力は持っているという考え方は変わらないのです」と。 余談だが、電子レンジとさまざまな冷凍食品の普及のおかげで、子どもの料理のレパートリーも広がっているから、レンコも、現在なら料理でやけどをしなかったかもしれない。 シルヴァーナ・ガンドルフィ作、関口英子訳の『ネコの目からのぞいたら』(岩波書店、2013年7月)は、語り手が子どもという点では同じだが、その子どもが一匹の子猫の目をレンズとして世界を見る点が一風変わっている。物語の舞台はイタリア。両親がはるか香港に長期出張となり、ミラノで暮らしていた小学校5年生のダンテはヴェネツィアの祖母の家に預けられる。彼は、学校の教師には学習障害があってこのままでは卒業がおぼつかないと言われる。そこで祖母に勧められて通い始めたのが、家庭教師のコジモ先生の家だった。先生は変わり者だったが、ダンテは緊張を強いられる学校と異なり、猫の世話を手伝ったり、先生の発明(猫とテレパシーが通じる薬だという)の話を聞いたりする時間が気に入っていた。また、ウェルギリウスと名付けた子猫の一匹を引き取りたいと願っていた。だが先生が急死すると、子猫の行方はわからなくなった。 ダンテは子猫の居場所を突き止めようとするうちに、子猫がひとりの少女といるところを見る。さらに少女が子猫ともども誘拐される様子も目撃する。子猫と少女の居場所を探そうと必死になるが、猫の目から入る情報は少なく、かつ限られていた。なんども家を抜け出し、悪戦苦闘する…。 ダンテと子猫ほど信頼できない語り手も珍しいだろう。何しろ子猫が寝てしまうと情報が途切れるし、ダンテも四六時中目をつぶって子猫と接触するわけにいかないのだから。 最後にダンテの特技や性格のせいで、彼が見聞きしたことを再構成していたのだろう、という一種の謎解きがあって、それにもびっくりさせられる。語りの仕掛けが施されたこの不思議な物語は1995年にイタリアで出版され、高く評価されたそうだ。 つぎに取り上げる2冊の絵本にも、見方が違うと世界が変わるというモチーフが共通して見られる。1冊目はエズラ・ジャック・キーツ作、田村恵子訳の『ルイのうちゅうりょこう』(偕成社、2014年2月)。ただし原作の出版は1981年である。キーツといえば、コルデコット賞を受賞した1962年の『ゆきのひ』をはじめ、ブルックリンを舞台にしたアフリカ系アメリカ人の子どもたちの暮らしや心理を描く名手として知られている。本作はピーターを主人公としたシリーズではなく、ルイを主人公とした絵本のひとつ。ルイは廃品などを寄せ集めで宇宙船をつくり、宇宙旅行にいくという。最初はばかにしていた近所の子どもたちだが、途中から参加した「旅」が進むにつれ、遊びに夢中になっていく。キーツ得意のコラージュが使われている頁もあるが、彼らの体験する「宇宙」の部分は写真絵本のような美しさで描かれており、本当の宇宙空間を旅しているのかと、よみ手に錯覚を起こさせる。 もう1冊の『トーラとパパの夏休み』(リーサ・モローニ文、エヴァ・エリクソン絵、菱木晃子訳、あすなろ書房、2014年3月)の場合は、大人(パパ)と子ども(娘トーラ)の物事の見方を対照させ、途中で逆転させてもいる点が面白い。イラストレータのエリクソンといえば、バルブロ・リンドグレン作の『ママときかんぼぼうや』をはじめ、さまざまな作家と組んでいるが、今回は実の娘とコンビを組んだそうだ。 物語はいたって単純で、父と娘が夏休みに森へキャンプに行く話。トーラにいわせると、父親に代表される大人は、ふだんからパソコンとかスマホとかつまらないことばかりしているし、森へさっさと行くかわりに、準備の買い物をながながとする、つまらない存在。ようやくパパの車が森へ着いた。パパは「よく目をこらしてごらん」と言うが、トーラには期待していたような動物が見当たらず、がっかり。そのうえスマホのナビばかり見ていると思ったパパはときどき「キツツキだ」と教えてくれるが、トーラは見つけそびれる。 この物語は、親子のキャンプが期待外れのさんざんな結果に終わる様子を描いたものではない。最大のポイントとなるのが、文章と絵がずれていることだ。たとえば、先ほどの何も見つからないとトーラがぼやいていた見開き画面だが、筆者には草むらにウサギがいるし、樹には小鳥がとまっているのが見える。(その前の右頁画面にはトカゲやテントウムシがいた)。そうか、トーラも見る目がないのか、と思っていると、また逆転がある。トーラは、行く手をとおせんぼする大きなヘビを見つける(実際、絵にヘビが描かれている)。でも、パパはただの木の根っこだと軽くあしらう。つぎにパパが白樺の木にリスがいると教えてくれたとき、画面でも白樺の木が見えている。が、トーラには別のものが見える。それが次の見開き画面に描かれている、首を延ばしたキリンたちだった。 たがいに食い違うと思われていたパパと娘だが、パパがナビで目指していた森だったはずの場所が切り株だらけになっていてあたりから、物語が変る。パパがトーラの見方に同調している。そしてふたりは、スーパーで買ってきたソーセージを食べ、島――おっと、さかなのフライしか食べないドラゴンだったっけ──を眺めがら、眠りにつくのである。 最後に、「夜」がキーワードの物語を一冊。市川朔久子の『紙コップのオリオン』(講談社2013年8月)は、去年夏の出版だが、冬から春にかけての夜でクライマックスを迎えるので、今頃読むのに向いている。 ストーリーは中二の男の子論理の視点で語られる。ある日論理が帰宅すると、置手紙一つだけ残し、母親が家出していた。その理由も、いつ帰るのかも分からないまま、残された論理と妹、そして血のつながらない義父の3人は、母の帰りを待ちわびる。母は行く先々で写真を撮ってはパソコンのブログを更新し、たまに電話をくれるだけで、いっこうに帰る気配がない。その間に論理は、中学で創立記念行事の企画委員を押し付けられる。 母親の行動もユニークだが、妹の有理もまた好奇心が強く、夢中になって遠くに行ってしまう点では、母譲りかもしれない。それに比べて義理の父に気兼ねし、こだわる論理は自分らしさを見失っていた。その彼が、学校の記念行事に関わる中で成長していく姿が描かれている。物語に登場する父母について、その心情が伝わらず、首をかしげる部分もあるが、行事としてのキャンドルライトの企画が動きはじめ、相棒となる女子中学生とのやりとりが、それを補ってあまりある魅力をもつ。筆者は本好きの活字派ではあるが、ぜひこのキャンドルナイトを映像としてみたいと思った。本日はここまで。2014年3月 以下ひこです。 【児童書】 『ルーシー変奏曲』(サラ・ザール:作 西本かおる:訳 小学館) ルーシーは天才ピアニストとして注目されていたが、一六歳の時プラハでのコンサート会場から消えます。それは、どんなことよりピアノを優先する祖父の支配からの脱出だったのですが、だからといってピアノを弾くこと自体を嫌いなわけでもなく・・・。しかし、それはもう放棄したと祖父には見なされていて、本人ももうピアノを弾いてはいけないと思い込んでいます。 今祖父は、こちらも天才ピアニストである弟のベンを育てることに夢中ですが、ベンもまたそれを望んでいるのか支配されているのかもよくわからず、心配なルーシー。 といった非常に宙づりにされた時点から物語は、大人の欲望と本心、思春期の欲望と不安と自意識などを絡ませながら、出口を探っていきます。その手触りがいいんですよ、この作品は。 大人たちそれぞれが抱えていることも、描き込まれているし、エンターティメント要素もしっかり入っているし、優れもの。 『石を抱くエイリアン』(濱野京子 偕成社) 1995年生まれの子どもたちの一五歳を描いた物語。つまり、阪神・淡路大震災とサリン事件のあった年に生まれた中学三年生の一年間です。語り手の八乙女市子は、「女」と「市」の字を一つにして、みんなから姉さんと呼ばれています。彼女は冒頭、家の中にある辞書すべてから、「希望」の項目を切り取ります。自分には希望はない、と。市子は鉱物学者を夢見ている偉生から好きだと告白されますが心は動きません。彼はクラスでも浮いているのですが、まっすぐに迷いのない男の子です。発表会のテーマに彼は原発事故を提案し、誰もやりたがらないのですが、ことの成り行きで偉生と同じ班である市子たちが加わることに。 一年が過ぎ、卒業式も終わり、高校入試の結果が出た後に、クラスでもう一度集まろうと約するのですが、3月11日が来て・・・。 人はその時代を生きるしかないのですが、1995年を起点とした一五歳という設定で描く発想は、時代を刻印する術。 『トム・ゲイツ トホホなまいにち』(L.ピーション:作 宮坂宏美:訳 小学館) トムは学校から四分の所に家があるのに遅刻する。そういうやつだ。授業中、落書きをするか、別のことを考えている。そういうやつだ。トムは祖父母をこっそり「化石のコンビ」と呼んでいる。そういうやつだ。 つまり、トムは基本的にしょーがないやつだ。 そしてトムは、トムは両親も含め、大人のことをよ〜く見ている。そういうやつだ。 『そして僕等の初恋に会いにゆく』(西田俊也 角川書店) 大人になれないままジタバタしている三〇歳の物語です。大人向けの小説ですが、YA小説の範疇に入るでしょう。 一九九九年中学三年生だった「僕等」は行きがかり上、自分たちの恋の告白を「初恋シネマ」として撮影し、文化祭で上映するはめに。本命にアタックし撃沈する者、遠距離を克服して恋を成就する者。そして「僕」は本当に好きな人に言えなくて、別の人に告白して見事振られてしまう。そして女子に圧倒的人気を誇る親友が恋していたのは「僕」と同じ人だった。しかし、その告白の前に事件が起こり「初恋シネマ」は完成しない。 一五年の歳月が過ぎ、「僕」たちはそれを完成しようとするのだが・・・・・・。 ラブストーリーそのものより、常に漂う未完成感が物語の肝。 YA時代から見事に大人になれていると思い込めている人は幸せだけど、そうは思えない気持ちを抱えたまま生きていくことの方が、よほど勇気があるのかもしれない。 『はじめての北欧神話』(菱木晃子:文 ナカムラジン:絵 徳間書店) おおらかで、大胆で、時に残酷で、欲望もあからさまにあるエッダは、子どもの時にはまると、「物語」の魅力に目覚めさせてくれる素敵な神話ですが、そこに誘い込む最初の一歩本。 『進撃の巨人』好きの人もぜひどうぞ。 『氷の上のプリンセス』(風野潮 講談社青い鳥文庫) 父親が亡くなり経済的にフィギュアを続けられなくなった小学生かすみを主人公に、彼女のスケーターとしての成長を描きます。憧れの王子様的少年選手。いじわるなライバル。彼女の才能を見抜き、サポートしてくれる大御所スポンサー。自信のない主人公。などなど、キャリア成長物語定番要素が満載。 フィギュアは競技人口も必然的に少ないし、フィギュアファン(私)が思っているほどファンの裾野は広くない競技です。ジャンプの違いや採点方法もわかり辛い。したがって、サッカーやテニスやバレエや野球やと同じ物語構造にフィギュアを乗っけることで、その面白さを伝える方法がとられているわけです。 『メリサンド姫 むてきの算数!』(E・ネズビッド:作 灰島かり:訳 高桑幸次:絵 小峰書店) お姫様誕生の祝いをすると、必ず招待し忘れる妖精なんかが出てきてトラブルが起こるのでやめようとする王と王妃。が、全員が招待されなかったと大騒ぎ。ついにのろいが一つ発せられてしまいます。王女さまの頭に髪の毛は生えないでしょうと。メリサンド姫が思春期に入ったとき、王様は自分が赤ん坊の時に授けられ、まだ使っていなかった、何でも一つ願いを叶えてもらえる権利を姫に渡します。 姫は民の幸せなどを願いますが、これはもう満たされていたので魔法は発動せず、ついに髪の毛を生やしてもらうことに。 ところが、一日三センチのびで、切ったらその倍の長さに伸びるように願ってしまったものだから、彼女の髪は切れば切るほど倍数的に伸び始め、もう大変なことに! さまざまな昔話を織り込みながら「愉快」と「算数」を語っていきますよ。 【絵本】 『ああ神さま、わたしノスリだったらよかった』(ポーリー・グリーンバーグ:文 アリキ:絵 日向佑子:訳 BL出版) 毎日毎日綿摘みに汗を流す少女。黒人児童労働者。 アメリカであった、そんな時代の証言が詩のように物語られて絵本になりました。 過酷な労働の日々。それでも少女は泣き言ではなく、ノスリだったら良かった、ヘビだったらよかったと思うのみです。後ろ向きではなく、かといって感動を誘うような前向きでもなく、その日一日一日をやり過ごしていく、生き残るための力に惹かれます。 絵は『エジプトのミイラ』(あすなろ書房)など、静かで力強いアリキ。好きです。 『やくそく』(ニコラ・デイビス:文 ローラ・カーリン:絵 さくまゆみこ:訳 BL出版) 貧しく荒れた町の貧しいわたしは、荒んだ心でひったくりをする。バッグを持った相手は、中の種を植えてくれたらバッグはあげるという。約束をするわたし。入っていたのはドングリ。町にあちこちに植えていく。町を出て植えていく。やがて芽を吹き若木となったそれは、町の人々の心を少しずつ変え、町は緑と花であふれていく。 拡がっていく緑と花の世界。 アルマチゲわたしはバッグをひったくられそうになる。わたしは彼に約束をさせる。中に入っているものを植えてくれたらバッグはあげると。 暖かな思いが広がっていく。 カーリンの絵は、「わたし」から次第に世界へと拡がっていく様を活き活きと描きます。 『ベルナルさんのぼうし』(いまいあやの BL出版) 表紙を見ただけでもう、私は参ってしまうのです。 クマのベルナルさんには友達が居ない。白い山高帽を被って歩く彼は孤独です。昼寝をしていると、帽子を樹木代わりにして一羽のキツツキが住み着く。ベル ナルさんはとんでもないと怒るのですが、鳥たちは次から次へと巣を作り、それにあわせるかのようにベルナルさんの山高帽はどんどん高くなっていきます。 この辺りの、まさに絵本的展開が巧いです。 でも冬が来て鳥たちは去って行き、樹木のように高くなった帽子は地面に置かれます。 また押し寄せてくる孤独。ベルナルさんは冬眠し、春が来てみると! 幸せが舞い降りてきます。 いまいあやのの画は、陰影の付け方は洋風ですが、洋画でも日本画でもイラストでもない、独自な存在感があります。 好きだなあ。 『絵本 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治:作 司修:絵 偕成社) 一八〇頁ある単行本です。でも、絵本です。司修が新たにスクラッチボードで描き起こした絵は、すべての見開き、時には左頁に時には両面に置かれています。司が想像力を駆使して、描いています。 うん。これは、絵本。 『木の音をきく』(リーッタ・ヤロネン:文 クリスティーネ・ロウヒ:絵 稲垣美晴:訳 猫の言葉社) 父親が亡くなり、新しい町へ引っ越すため、母親が切符を買いに行っている時間、少女は、木から飛び立っていくカラスたちを見ます。そして去られてしまった木に思いを寄せ、その音に耳を傾ける。 テキストは、少女の心の痛みと、怒りと、寂しさと、決意を、丁寧に、丁寧に拾い上げています。静かで、深みのあるロウヒの絵が、テキストに優しく寄り添い、少女を包み込み、前へと背中を押します。 すごい。 『あっ、ひっかかった』(オリヴァー・ジェファーズ:作・絵 青山南:訳 徳間書店) フロイドは遊んでいた凧を気に引っかけてしまう。それを落とそうと靴を投げたらそれも引っかかってしまう。靴を落とそうと・・・・・・。このお話はいったいどこまで行ってしまうのでしょうか?! こういうアホらしさ、好きだなあ。心が緩くなれます。 訳語も無駄なくすっきりしているのでより楽しめます。 『ぷくみみちゃん』(やぎたみこ 白泉社) やぎたみこという作家は、なぜにこう、妙に可愛いキャラを発想できるのでしょうか? う〜ん。キャラでもないなあ。キャラならコピー可能性に充ち満ちているが(ゆるキャラもそうね)、やぎたみこの生み出すそれはしっかりと唯一の存在感を放っています。 実に不思議な作家ですね。 で、ぷくみみちゃんは、まわりに色んないいことを起こしてくれるのです。 ほら、これもなんだかよくわからないでしょ。 「幸せを与えてくれる」とか「福を授けてくれる」とかじゃないのです。なんかいいこと、なんです。 こうした、読者との距離感が、やぎの面白さであり、魅力です。 みなさんもぜひ、ぷくみみちゃんに会って下さいね。 きっと、いいことありますよ。 『ボンンバストゥス博士の世にも不思議な植物図鑑』(イバン・バレネチェア:作 宇野和美:訳 西村書店) 様々な新しい植物を作った博士による図鑑です。夜中の12時までに収穫しないといけない馬車カボチャや、自分を楽しむ鏡付きのスイセンなど、貴重な植物が、詳細で華麗な画で記録されていますよ。 ありえもしないけれど、ありそうで、あったら楽しい植物たちを紹介する愉快な空想、メタ絵本。 絵があまりにも美しいので信じたくなる。 『どんぐり』(エドワード・ギブス:作 谷川俊太郎:訳 光村教育図書) どんぐりが一つ落ちて、ねずみに食べられてしまいそう。どんぐりは、まってくれればもっとおいしくなると言います。色んな動物が食べようとしますが、どんぐりの返事は同じ。やがて雨が振り、どんぐりは芽を出し、大きな樹木となって。 最後に仕掛けもありますよ。 『アイタイ』(長谷川集平 エルくらぶ) 長谷川が30年たって絵本化した世界です。 その間にチェルノブイリがあり、「3.11」を経て語る時がきたと感じたと長谷川は帯に書いています。 まあ、そういう作家の動機は横に置いて、素で眺めて下さいませ。 伝えたい感情は「アイタイ」です。戦争があろうと、雨が降っていようと、酷暑であろうと、どんなに離れていようと、いやでも沸き上がってくる感情「アイタイ」。 それでいい。 『よくばりなカササギ』(I.C.スプリングマン:文 ブライアン・リーズ:絵 どいあきふみ:訳 徳間書店) カササギの巣には何もなかった。そこでネズミがビー玉を一個くれた。するとカササギはそれだけでは少ないと思うようになり、次から次へと物を集め始めます。集め始めると、目的は集めることになってしまいますよね。 相変わらずブライアン・リーズの絵は詳細でかつ温もりがあって、見開きの隅々まで楽しめますよ。 『おりがみにんじゃ』(つきおかゆみこ あかね書房) おりがみにんじゃは、おりがみであるからして、見つかりそうになったら色んな物に変身できるのだ。お城の宝を奪わんと忍び込んだおりがみにんじゃと、お姫様の戦いやいかに! シリーズに出来る愉快な作品です。 『ぐーぐーぺこぺこ』(中村陽子 岩崎書店) おいしそうな子猫を連れ帰ったオオカミさん。でもてっきり、保育をしていると勘違いされ、他の動物からもつぎつぎと保育を頼まれてしまい、オオカミさんの家はすっかり保育園状態。 お礼に親からもらった食べ物たちもおいしくて、どうしましょうかオオカミさん? 『ぼくのくつしたはどこ?』(マライケ・テン・カーテ:さく 木坂涼:やく ほるぷ出版) お風呂上がりの裸のぼく。パンツから始まって次々と着る物を探していきます。 捜し物絵本でありつつ、そこここに色んな子どもたちの出来事が展開しています。それを楽しめば、日常がうきうきしているのがわかりますよ。 『へんしんねこ』(星野イクミ:作・絵 すずき出版) くろねこのくろちゃん。ある日体がぐ〜〜〜んと伸びてしまいます。困ったな。いやいや、結構便利です。物干し竿になれるでしょ。丸いテーブルになれるでしょ。ハンモックにだってなれるでしょ。ぶらんこにもね。 自由な発想が楽しい一品。 『なぞなぞフッフッフー』(武田美穂 ほるぷ出版) 最初は普通のなぞなぞ絵本。 「あしがいっぽん めがみっつ いつもピカピカ これなんだ」 答え、信号機。 ところが、だんだん怖いほどの無理矢理なぞなぞになって行き、そんなの誰も答えがわからん! 状態に突入するのだ。 だから武田さん、好き! 『さようなら。おばあちゃん』(メラニー・ウォルシュ:さく なかがわちひろ:やく ほるぷ出版) 小さな子どもが初めて知る死。子どもの問いかけに、様々な答えが描かれていきます。小さな仕掛け絵本にもなっていて、そこがいいです。穴が開いた頁に子猫だけが描かれて、この子猫の中に親猫はいること(似ていること)を示すために、頁を繰ると二匹が並んだ絵になります。繰ったり戻したりしていると、似ているのがよくわかりますね。 『ネパール 世界のともだち07』(公文健太郎 偕成社) ネパール、バネパに住むアヌスカ・シン7歳の日常を紹介しています。家族は両親と4歳の弟。お父さんの洋品店のお手伝い。原価にいくら上乗せして売るかも考えています。客を見て、値付け(笑)。学校生活、放課後。ネパールの子どもの暮らしぶりが少し見えてきます。最後にネパールの紹介資料。 どの国の巻から入ってもいい。そこから次々と他の国の「ともだち」を知っていけば、心は間違いなく広くなります。 『ルーシーといじめっこ』(クレア・アレクサンダー:さく 福本友美子:訳 BL出版) ひつじのルーシーは絵が上手。クラスのみんなは絵をほしがりますが、子牛のトミーは何かとルーシーにいじわるをします。母親にも言わないルーシー。でも、心配した母親が教員に相談してしまい、どうするルーシー、どうなるトミー。 『極北の大地に住む』(関野吉晴 ほるぷ出版) 「地球ものがたり」3冊目。 今度は北です。アラスカ、グリーンランドなどに暮らす人々の日々を豊富な写真とともに語っていきます。 なんだか、やっぱり食料に興味。クジラ、トナカイ、セイウチ。セイウチの肉を発酵させて凍らせ保存するコパルヒンが食べたい。 『うさぎじまのうさぎちゃん』(福田幸広:しゃしん ゆうきえつこ:ぶん 小学館) うさぎ島と呼ばれる、広島県大久野島にいるうさぎたちの写真絵本。 眺めているだけでもう、ニコニコ。 『ウマがうんこした』(そうえん社)は、リアリティ溢れるアプローチでしたが、こちらはゆるゆる楽しめますよ。 『かえるくん どっちがどっち?』(松橋利光 アリス館) カエルといえば松橋さん。本作はトノサマガエルとトウキョウダルマガエルの違いや、ニホンアマガエルとシュレーゲルアオガエルの違いを教えてくれます。教えられてもなあと思う人も多いと思いますが、そういうのが大事だと私は思います。 関東に主にいるのは、トノサマガエルではなくあれはトウキョウダルマガエルだった、などということは知らなかったわ。 八重山群島や沖縄のカエルもずいぶん違う。 ああ、おもしろい。 『槍ヶ岳山頂』(川端誠 BL出版) 父と息子が槍ヶ岳の登山をする姿を、ゆっくりと楽しく描いています。風景が素敵です。川端さんの画はいつもとちょっと違いますよ。 『いろいろバナナ』(山岡ひかる くもん出版) 山岡の「いろいろ」シリーズ最新作。バナナだぞ。 バナナの房からとびだしたバナナ兄弟。チョコレートに浸かる方も、ミルクと混ざる方も、クレープに包まれる方も、色々いて、ああ、おいしそう。 『いろいろたまご』の衝撃から、今は一つの型が出来てきた、安心して楽しめるノリになってきましたね。 『オリーブ ひみつがもぞもぞ』(トール・フリーマン:作 はかがわちひろ:訳 小学館) モリーから、「だれにもいわないでね」とひみつを打ち明けられたオリーブ。でも、ひみつは、なかなか保ちにくく、ついに・・・・・・。そして打ち明けられた子もまた・・・・・・。 よくわかる展開ですね。さて、どうなる? ひみつはなに? 『メロディとすてきなともだち』(ユウ・ビュン:作 いしいむつみ:訳 光村教育図書) 転校してきたメロディは、引っ込み思案でなかなか溶け込めません。そんなさみしい彼女の心の中のともだち。大きな大きな白いイヌのような生き物は、メロディを様々な楽しい場所に誘ってくれる。 そうして彼女はいつのまにかうきうきして、公園で一人踊り出してしまい・・・・・・。 『氷の巨人コーリン』(サカリアス・トペリウス:原作 スズキコージ:文・絵 集英社) フィンランドの童話作家トペリウスの話をスズキコージが絵本に仕立てました。 雷神トールによって氷の巨人たちは滅ぼされ、残ったのはコーリンだけ。百年ぶりに目覚めたコーリンは人間たちの発展が単に馬鹿になったとしか思えません。捕まえた子どもと謎かけをしますが・・・・・・。 スズキコージの想像力たっぷりの画をお楽しみください。 『あなたのママはね』(ケリー・ベネット:ぶん デイビット・ウォーカー:え 福本友美子:やく 岩崎書店) ママにも子どもの頃があった。おばあちゃんが、「わたし」にママが生まれてからのことを、アルバムを見せながら話してくれます。おばあちゃんにとって、ママはいつまでもかわいい子ども。だから、あなたもママにとってはいつもでもかわいい子ども。 パパとおじいちゃんで出来ないかなと、想像してみたら、なんだかお笑いになってしまった・・・・・・。 『ルイのうちゅうりょこう』(エズラ・ジャック・キーツ:作 田村恵子:訳 偕成社) おとうさんをがらくたおやじと馬鹿にされているルイ。そこでおとうさんは集めているがらくたで宇宙船を作ります。興味津々の子どもたち。スージーが一緒に乗り込りたいと言ったので、二人で宇宙旅行に! キーツは惑星、小惑星、宇宙を描いていきます。 助けを呼ぶ声。それはルイを馬鹿にしていたこともたち。彼らもバスタブに乗って宇宙旅行に乗り出していたのでした。 いじめから想像力へと発想を広げ、子どもたちが握手するまでにつなげていくキーツの視線の豊かさ。 『やぎや』(長野ヒデ子:文 スズキコージ:絵 すずき出版) 森の中、山羊の家族が暮らしていましたとさ。毎日みんなで畑を耕し、おいしい物を作って食べて、やがてお店を出すんです。 長野が童歌のようにそれを語り、スズキがコラージュ満載で描きます。 踊り出したくなる出来。 『おはなみ』(くすのきしげのり:作 まるやまあやこ:絵 あかね書房) おはなみのお話ではなく、お花見の宴後をきれいにするお話です。 この発想、案外なかったですね。 『ハーバーテイル』(伊藤有壱 ぶんけい) 港に建ったビルの壁のレンガ。百年たったころに壁を抜け出して港を探検します。シンプルな設定で、どこまでストーリーを作り上げられるか。伊藤はレンガの端が欠ける所から動かします。それはレンガの帽子となり、レンガにキャラクターを付与します。そこから先はご自分でどうぞ。 『ネルソン・マンデラ』(カディール・ネルソン:作・絵 さくまゆみこ:訳 すずき出版) マンデラの伝記絵本。ネルソンは、マンデラの子どもの頃から、その死までを的確な場面を選択し、力強く、説得力に満ちた画で切り取っています。 投獄されていた二十七年間、彼が何も出来なかったのではなく、南アフリカ黒人の力になっていたことが重要です。 『トーラとパパの夏休み』(リーサ・モローニ:文 エヴァ・エリクソン:絵 菱木晃子:訳 あすなろ書房) トーラはパパと一緒にキャンプに出かけます。でもパパはタブレットの夢中。トーラの目にはカバが寝ているところが見えるのに、それは岩の塊にしか見えないらしいし、トーラにはキリンが寄り添って木の葉を食べているのがわかるのにパパは、だたの木だとしか見えない。 でもね、パパが小川って呼ぶ川にワニがいて、その背中を超えていこうって言ったとき、パパもやっとわかってくれたのよ。 エヴァ・エリクソンの描く子どもは、どこにでも居そうで、いいなあ。 『そとごはん』『うちのいぬ』『ダンスをならう』(ヘレン・オクセンバリー:作 谷川俊太郎:訳 岩崎書店) ヘレン・オクセンバリーの絵本、谷川俊太郎で新訳です。「はじめてのえほん」は、赤ちゃんの好奇心、始まりの基本を描いていましたが、こちらはもう少し大きくなって、物語性が増しています。 親や大人を見ているどもの視点に定めた作品は、なかなか奥深いです。 『1わのおんどりコケコッコー』(イリーナ・ザトゥロフスカヤ:さく こじまひろこ:やく 福音館書店) 孫のリューカくんのために初めて作った絵本。 1わのおんどりから始まって9わのみみずくまでと、リューカくんが起きて眠るまでが、つまり生き物のイメージと孫の一日のリズムが重ねて描かれていきます。 作者が本当に楽しそう。 『はしれ さんてつ、きぼうをのせて』(国松俊英:文 間瀬なおたか:絵 WAVE出版) 震災に遭った三陸鉄道が、五日目で久慈駅と陸中野田駅間が、九日目で宮古駅と田老駅間が開通するという、驚異の復旧作業の様子を描いています。鉄道員たちの意志が、やはりすごい。 『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』(高野文子 福音館) 「こどものとも年少版」2010.02の待望の単行本。 いやいやすばらしい! 小さな子どもが布団に入って眠る前に、色々お願い(おしっこをしないように、怖い夢をみないように)をして、ふとんさんがそれに応えようとするって物語です。 物語と書きましたがストーリーがあるわけではなく、お願いと応えが、ただ呪文のように唱えられているだけです。 それが耳に残って、良いのですよ。 子どもたちはきっと、これを読んで、同じような呪文を唱えてぐっすり眠ることでしょう。 まあ、ときどきは呪文が効かない場合もあるでしょうが、そのときは気にしない気にしない。 『とけいのあおくん』(エリザベス・ロバーツ:さく 灰島かり:やく 殿内真帆:え 福音館) 「こどものとも」2009.02から待望の単行本化。 原作は一九五九年。文は灰島によって訳され、絵は新たに殿内が描き起こしました。 あおくんは時計屋さんの棚で長いこと置き去りの小さな目覚まし時計。自分の鳴らす音が一番と思っていますが、誰もならしてくれないし、買ってくれません。となりではおおきなあかい時計の音が大きくて、あおくんますます地味です。 ところがある日、男の子が母親とやってきて、あおくんに目をとめ、お父さんへの誕生日プレゼントに欲しいといいだします。うれしいあおくんです。 でも、今まで自分だけで音を鳴らしたことがないあおくんは、目覚ましとしてお役に立てるかとても心配。 といったほのぼの話が語られていきます。 原画を見ていないので、絵のチェンジの良し悪しはわからないのですが、少なくとも殿内の画は、まるで五〇年代絵本や、六〇年代グラフィックのようで、柳原良平なんかの香りも入っていて、巧いです。色遣いも含めて才能のある画家・デザイナーですよ。 【そのほか】 『アジア動物探検記』(飯島正広 福音館書店) 飯島が撮り続けた動物たちの宝箱。それぞれのショットが活き活きと表情を持っていてして、時に命がけと違いますか?と思えるものもあります。 持続する好奇心と、動物への愛がいっぱい詰まっています。 『探検! 日本の鉱物』(寺島靖夫 ポプラ社) 石などの基本となる鉱物を解説した入門書です。 学校には鉱物の標本があって、その美しさや不思議さに見とれた経験のある人も多いと思いますが、この本を眺めていても、その魅力にはまります。 著者は、アマチュアの鉱物マニアですので、所々に記された、その鉱物を手に入れたときのエピソードから興奮が伝わり、とっても気持ちがいい仕上がりです。 『お米が実った! 津波被害から立ち上がった人びと』(小泉光久:著 汐文社) 津波で海の水を被った田んぼを塩抜きし、六月には田植えをして、なんとしてでもこの年に稲穂を実らせようと戦った集団農業の「アグリードなるせ」と「耕谷アグリサービス」のドキュメント。「わたしは今年から米をつくりたい」「今。ここで米作りをやめたら心がくじけてしま」う、と。 『今、子どもに読ませたい本 子どもの感性をゆたかにするブックガイド』(野上暁:編著 七つ森書館) 野上セレクトのブックガイド。「幼い子の文学」「生きるということ」「家族とは何か?」「いろいろな友だち」「平和への願い」「描かれたヒロシマ・ナガサキ」「社会に向けた目」「ファンタジーと冒険」の八項目で百一作品を採り上げています。二五日刊行です。 『人間関係から読み解く文学』(日本人間関係学会・文学と人間関係部会:編 開文社出版) 「〈ヒルクレストの娘たち〉四部作にみる家と人と庭」(西村醇子)が収録されています。読むだけでも結構大変な(だから、はまると面白い)〈ヒルクレストの娘たち〉。一,二巻を中心に分析しています。 |
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