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西村醇子の新・気まぐれ図書室(6) ――遊びをせんとや ―― 7月の下旬ともなれば、たいていの子ども、少なくとも小中高生は夏休みを満喫しているだろう。だが大学の場合は7月いっぱい、下手をすると8月初めまで、授業や補講、試験などが続く。私もなかなか時間がとれないため、今月は発表済みの書評を載せてお茶を濁すつもりだった。でもパトリシア・リー・ゴーチ作、ドリス・バーン絵の『クリスティーナとおおきなはこ』(おびかゆうこ訳、偕成社2014年7月刊)に出会ってしまった。これはまさに夏休みに「いいね!」という類の絵本だ。そこでこの本を取り上げたい。 原書は約40年以上前の1971年に出たという。白黒に赤や茶を加えた限定された色使いに、フルカラーがあたりまえの今との違い感じるぐらいで、内容は古さをみじんも感じさせない。 表紙のほぼ全面を占めているのは段ボール製の大きな箱。左上に小窓が切られ、髪に赤いリボンをつけた笑顔の少女が、「やあ!」というように右手を大きくあげて挨拶している。画面には、上むきの矢印をはさんで「こちらがうえ」の言葉や右上隅の「われもの」、左下隅の「とりあつかいちゅうい」といった、いかにも箱に書いてありそうな言葉が並ぶ。書名としては、少女の右側に「クリスティーナと」、その下にぐっと大きな活字で「おおきな」「はこ」とが2段にわけて書かれている。 見返しも同様で、ジーンズらしいものを着たクリスティーナが、背丈より大きな箱の前に立って左手をあごにあてて何か考えているところ、箱を横にして中をのぞいているところ、箱の上によじ登っているところ、そして箱の上で肩肘をつきくつろいでいるところと、活発なクリスティーナの動きが4つの絵で順に示されている。中央に配置された書名では「はこ」の文字が一番大きく、見ているものの意識がいっそう「はこ」に引き寄せられる。 最初の見開きは、床一面にさまざまな品物が置かれ、クリスティーナは自分のコレクションの鞄とネクタイを手にしている。服装も髪型も表紙とは違っている。そのせいで収集癖があり、特にあき箱が好きだという説明に時間的要素が加わり、クリスティーナは前からこういう子どもだったことが伝わってくる。 物語が動くのはつぎの見開きから。見開き左面は大きな運搬用トラックの後部から作業員二名が茶色の大きな箱を台車で運ぶ様子。右面は、いかにも待ち遠しいというように、両手を顔のそばで組み、嬉しそうに作業を見守っている母と娘。心なしかクリスティーナの姿勢のほうが前のめりで、期待の大きさをうかがわせる。 さて用済みとなった空き箱をさっさと捨てようとする母を押しとどめ、クリスティーナは大きな空箱をリンゴの木の下に運ぶ。そして父にも手伝ってもらい、箱を城の牢獄に見立てて、ぬいぐるみのクマや人形となかで遊ぶ。ところがクリスティーナがいない間に隣の家の男の子ファッツが城に入り込み、おやつを食べてしまう。怒ったクリスティーナは、ファッツを牢獄に閉じ込め、15回ごめんなさいを言うまで、出してやらない。すると外へ出してもらったファッツは仕返しに箱をけとばす。 箱の城がダメになると、クリスティーナの母は待ってましたとばかりに箱をひきずり、捨てにいこうとする。すかさずクリスティーナは城ではなくこの箱は「ひみつきちよ」と言い張る。そして箱を横向きにすると、窓だったところを新しい出入り口に変え、「立ち入り禁止」や「危険」の文字を書き加え、つぎの遊びを始める。ファッツは見張り役として仲間に加わるが、それに飽きて勝手に箱の屋根にあがり、屋根をぺしゃんこにする。めげないクリスティーナは、この箱はレーシングカーだと言い張り、作り替え・・・。 このように、きれい好きの母が箱をゴミとしてさっさと処理しようとするたびに、クリスティーナはびくともせず、段ボール箱をさっと別のものだと言い張り、何かしら手を加えて新しいものに見立てては遊びはじめる。クリスティーナが箱を何に変えていくのか、それが見所のひとつとなっているので、このあとの展開は本で楽しんでいただこう。 さきほど古びていないといったが、クリスティーナが創意工夫でつぎつぎに箱をつくりかえ、遊び続けるさまはあっぱれと言いたくなるほど、みごとである。 以下は再録である。 竹内美紀著『石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか』(ミネルヴァ書房2014年4月刊) 本書は、石井桃子の翻訳の特徴を解明することを意図した研究書である。 著者あとがきによると、自身の博士号取得論文『石井桃子の翻訳研究』が土台になっているそうだが、本書の書名(『石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか』)からわかるように、堅苦しい研究書にはない読みやすさがある。それは、要所要所でまとめをおこない、次へと展開させる竹内の手法が関わっている。 石井桃子(一九〇七−二〇〇八)は、編集、翻訳、創作など幅広い分野で日本の児童文学に貢献した。だが、石井の翻訳ものに関する本格的な研究はまだ行われていなかった。竹内は、翻訳研究では訳者個人の生涯や教育といった個人的体験の総体(ハビトゥス)が重要だという考えに基づき、研究をおこなったという。 本書でも石井の生涯をたどりながら、翻訳分析が展開するので、作家評伝かと思うところもある。竹内は「声を訳す」ことが石井の本質だと捉え、本書の構成に反映させた。序章と終章を除く各章は、石井桃子の原点と「声」、子ども読者と作品の「声」、「語り」の文体の確立、の三部に分けられている。 竹内は議論を進めるにあたり、言葉の定義を怠らない。それは、完訳やオノマトペといった翻訳関連の言葉の定義づけだけではない。絵本と物語、幼年童話の区分についても、先行研究や語源にまで言及している。 また、分析対象や検証項目についても理由をあげて、明確にしている。たとえば竹内が石井桃子の翻訳書として『クマのプーさん』を最初に取り上げたのは、原著者ミルンの本が石井に大きな意味をもっていたことに加え、後続の児童文学者に大きな影響を与えているからだという。そして石井の改訳史を説明し、変更箇所とそうでない箇所の分析から、石井の翻訳姿勢と特徴を導き出していく。 複数の版を比較することは、日本における児童書翻訳の出版文化史をたどることに通じる。また出版文化史抜きでは、翻訳の分析は行えない。そのことは抄訳となった『ムギと王さま』や原語のノルウェー語ではなく英語から重訳された『小さい牛追い』などの考察で明らかだ。また『ちいさいおうち』や『こねこのぴっち』などの分析は、「岩波の子どもの本」シリーズの成立過程に触れつつ論じられている。 こうした記述にあたり、竹内は訳者のあとがきや活字化されたエッセイを資料として活用している。それに加え、当時を知る元編集者・関係者にインタビューし、確認をとっている。それだけに石井の略歴と関連項目を年表にしてあれば読者に便利だろう。 少し内容に触れておこう。六章で竹内は、『たのしい川べ』の初訳者中野好夫が自然の移り変わりをテーマと捉えた上で訳文の省略をおこなったと述べる。一方この作品を二度訳した石井の、抄訳版と完訳版を比べると、石井の作品解釈が、ヒキガエルの冒険重視から自然描写の重視へ変化したことが見て取れるという。さらに、石井が想定した読者のための訳から作品の「声」に耳を傾ける姿勢に転じた、と結論づける。 竹内は、自らの語り聞かせの体験に過度に寄りかかることなく、論理的な分析に終始し、とくに第三部は「声の文化」に踏みこみ、昔話研究の成果を分析に活かしている。 昔話、幼年童話、絵本それぞれの特質に精通し、その特質の違いを翻訳に活かした石井。「受け手の子どもの心の動きまで計算に入れて」翻訳をおこなったその原点は、子ども期に得られた「声の文化」の記憶だと竹内は結論づけている。本書は、翻訳分析を介した説得力のある石井桃子論である。*『週刊読書人』2014年5月30日号5面 掲載 *以下、三辺律子です。 『窓から逃げた100歳老人』ヨナス・ヨナソン著、柳瀬尚紀訳 西村書店 最近ミステリーの分野では俄然、存在感を高めつつある北欧文学だが、こんなナンセンス色たっぷりの痛快冒険小説もあるとは! 主人公は百歳の誕生日を迎えたアラン。さすが福祉国スウェーデンと言いたいところだが、物語の冒頭で、アランはいきなり終の棲家のはずだった老人ホームを脱出する。しかも「窓から」。 さらに、成り行き上とはいえ札束の詰まったスーツケースを盗み、悪者一味に追われるはめになる。老人のほんの出来心――ではない。なんせアランは、けちなかっぱらいよりはるかにスケールの大きい冒険を経験してきたのだ。 アランが生まれたのは一九〇五年。小学校教育もそこそこにニトログリセリン社で使い走りを始めたアランは、爆発物の取り扱いを覚える。やがて、スペイン人の同僚に連れられ、スペインへ。そこで、偶然フランコ将軍を爆発から守ったために、将軍の信を得て、アメリカへ渡る。ロスアラモスでコーヒー係の任につくが、オッペンハイマーに有益な助言したために、当時副大統領だったトルーマンに気に入られ、テキーラを飲み交わす仲に。宋美齢と引き合わされるが、偉そうな態度にむかついて、江青を助けヒマラヤへ逃走。それから、スターリンに会って・・・。 アラン自身は政治が大嫌いで、お偉方が退屈な政治談義を始めるたびに酒のグラスを傾ける。が、なぜか常に歴史的場面に居合わせ、時には手を貸すことになる。相手は独裁者、革命者、共産主義者、資本主義者と、まったく節操がないが、よく見ると、すべて大仰な主義主張から遠ざかろうとした結果なのだ。 ナンセンス文学はそもそもセンス(知性・意味)を否定することから生まれる批判文学だ。やることなすことめちゃくちゃなアランだが、どの主義にも迎合せず、求めるのは酒と自由だけという彼の一貫した姿勢に、最初呆れていた読者も、いつしか敬意すら抱いてしまう。ころころ変わる胡散臭い大義より、楽しく飲める世の中が一番。読み終わった頃には、そんな気分になっているかもしれない。(産経新聞 2014.7.27掲載) 【追記】 今回の書評、ツィッターなどでとりあげられたのを見るかぎり、「楽しく飲める世の中が一番」というところに共感してくださった方が多かったようだ。おそろしい。つい書き手の本音が出てしまったところに、読み手はひかれるものなのだ(ちがうか)。 もはや条件反射だと思うのだけれど、わたしは落語にいくと、必ずお酒を飲みたくなる。お酒の出てこない落語を探す方がむずかしいーーーというのはいい加減な私見だが、寄席にいけば必ず一度はお酒を飲む場面を見られる(聴ける)のでないかと思う。『親子酒』『酒の粕』『寄合酒』『試し酒』『青菜』『花見酒』『百人坊主』『猫の災難』『禁酒番屋』・・・ちょっと考えるだけでも、お酒の出てくる演目はこんなにある! そういえば、今日(これを書いている日)は土用の丑の日。上方落語の桂文我さんがよくする話に、こんなものがある。家のとなりが鰻屋の男が、毎回鰻を焼くにおいを嗅ぎつつご飯を食べて、鰻丼を食べたつもりになっていたら、月末に「鰻のにおいの嗅ぎ代」を請求されてしまう。そこで、財布をとりだすが、ジャラジャラふってみせるだけ。「どういうつもりだ? ちゃんと払え!」と迫られると、「『鰻のにおい』の代金だから『お金の音』で払ったのさ」と返す、という話(すみません、桂文我さんが話すと百万倍おもしろいです・・・)。いつも日本の落語ならではのおもしろい話だな、と思って聴いていたのだけれど、なんとアメリカにも同じ話があった。ナンシー・ヒューストンの『時のかさなり』を読んでいたら、そっくりな小話が出てきたのだ。ただし、こちらは鰻ではなく、ベーコン。なるほど、あの香りか! ナンシー・ヒューストンはカナダ生まれの作家だが、この話はアメリカが舞台の章で出てきたと思う。 どこの世界にも、同じようなことを考える人はいるんだなあと感じ入ってしまう。そんな発見ができるのも、翻訳物を読むおもしろさだと思う。(翻訳家 三辺 律子) *以下、ひこです。 【児童書】 『ペンダーウィックの四姉妹 夏の魔法』(ジーン・バーズオール:作 代田亜香子:訳 小峰書店) 四姉妹物といえばやはり『若草物語』なのですが、それに匹敵する物語がまさか21世紀に登場していたとは。彼女たちは夏休みを過ごすためにあるお屋敷のコテージを父親と一緒に借ります。お屋敷の2階には男の子の顔が現れ、すぐに消え・・・。 四姉妹に夏の毎日が描かれていくのですが、個性の強い彼女たちはぶつかり合い、失敗をやらかし、反省の色無くまたやらかし、もう大変。 4人振り分けられた個性は『若草』とは微妙に違っていて、その差異が19世紀と21世紀でもあります。 向かいのお金持ちの男の子の成長という核もありますが、基本は四姉妹の日常です。 もちろん、夏休みという異時間を使ったからではありますが、現代でこれを書ける腕はすごい。脱帽。と同時にこちらも意欲が沸き上がり。 『サマセット四姉妹の大冒険』(レズリー・M・M・ブルーム:作 尾高薫:訳 中島梨絵:絵 ほるぷ出版) コーネリアの母親は人気のピアニストで世界中を飛び回っています。コーネリアは自分は「あのピアニストの娘」としての価値しかないと思い込んでいます。音楽より言葉が好きな彼女は、辞書を読み、難しい言い回しで大人から自分を防御しています。 そんなコーネリアのお隣に引っ越してきたのが作家のヴァージニア。彼女はコーネリアに自分とその姉妹の冒険譚を聞かせてくれます。 難しい言葉を使わなくても物語は活き活きと動き、防御ではなく楽しむための言葉を伝えるのです。 『まよなかのぎゅうぎゅうネコ』(葦原かも:作 武田美穂:絵 講談社) トミエさんは運転面免許を習得中ですが、なかなか進みません。ネコのミミが夜中のお出かけ、ネコの集会なんですが、それがトミエさんが通う自動車学校。乱暴な運転で事故に遭わないように訓練をしているのでした。運転を頼まれたトミエさん。危険運転の見本のような駄目さに、ネコのみんなはどうする? トミエさんが夜中に出会う不思議な出来事が四季、四編納められています。 どこか懐かしい作品たち。 それでいて、あ、今、こういうのあんまりないなあ。あったらいいなあと思わせる作品たち。 『あしたも、さんかく』(安田夏菜:作 宮尾和孝:絵 講談社) 仕切り好きでみんなの反感を買ってしまう圭介。落ち込んでいる所へ、落ち込んでいる所に、疾走していたおじいちゃんが帰ってきた。落語に人生を見いだし、弟子入りしたのはいいけれど、酔っ払って師匠を殴り破門され、独演会を開いたと思ったらその費用は孫の圭介の貯金だったという、とんでもない人なのですが、今度あるコンクールで優勝し、そのお金を返すとはりきる、なんだか今もふわふわ人生。でも圭介はじいちゃんを応援します。 落語の登場人物のようなじいちゃんが、どう生きようとするか、クラスで浮いてしまった圭介は、どうするか? 快調なテンポで話は進んでいきます。 いいタイトルです。 『ユッキーとともに』(最上一平:作 陣崎草子:絵 佼成出版社) 愛犬ユッキーが死んだ。十四才だったユッキーは岳志より年上。最初は兄で、友だちになって行った。でも、岳志はユッキーの世話をときどき怠けた。 岳志はユッキーのお骨をユッキーが生まれた山形で埋めることに決め、一人旅立つ。 都会から、親戚のいる田舎へ。人のつながりの違いに戸惑う岳志。 やがて岳志は人だけではなく生き物たちもつながりながら生きている不思議な世界に溶け込んでいく。 短い物語の中に、命の喜びをぎゅっと詰め込んでいます。 陣崎の画は相変わらず力強く、でも柔らかに、物語世界を描いています。 『白金の王冠』(レイ・カーソン:作 杉田七重:訳 創元推理文庫) 「炎と茨の王女」第二巻です。 政略結婚で嫁いだ先の王と、愛は無いけど友情が芽生えた矢先、彼は殺され王国を継いだエリサ一七歳。迫る敵と、内部にいる裏切り者、そして王国安寧のために再婚を迫る宰相たち。近衛兵長ヘクトールへのほのかな恋も叶わぬまま、この危機をどう乗り切っていくか。 腹中にゴッドストーンを持つ選ばれし者とはいえ、まだその制御もままならず、また、美貌ではなく、スタイルも悪く「女の武器」を封じられたまま、知恵で乗り切っていくエリサの姿は、心地よし。 YA小説。 『ブラックダイヤモンド4』(令丈ヒロ子 岩崎書店 フォア文庫) いよいよ、佳境。ブラダイとは何かがほの見えつつ、憎しみと信頼が交差し、ああ、ここで終わるか。 速く5、ラストが読みたい1冊です。 『がっこうにヤギがきた!』(長谷川知子 福音館書店) 小学校で動物を飼うことになりました。何を飼うかを二年生が決めることに。 ゾウ、ライオン、恐竜。なかなか決まりません。校長先生に相談すると、ヤギ。 ぶなんなところにおさまりますが、子どもたちの飼いたい生き物の想像が広くていいですね。 【絵本】 『クリスティーナとおおきなはこ』(パトリシア・リー・ゴーチ:作 ドリス・バーン:絵 おびかゆうこ:訳 偕成社) 新しい冷蔵庫が梱包されていた大きな箱。処分しようとする親ですが、クリスティーナはそれを使って遊びたい。スクラップアンドビルドならぬ、ビルドアンドスクラップの繰り返しが楽しい。いったいどこまで使い切る? 『ヨナタンは名たんてい』(ディヴィッド・グロスマン:文 ギラド・ソフェル:絵 もたいなつう:訳 光村教育図書) ほのぼの絵本。ある日ヨナタンのスリッパが消える。それからマグもクマのぬいぐるみも! 両親は相手にしないが、やがてパパのめがねもママのマフラーも見当たらない。いったい誰が、何の目的で? なるほどね。 『北加伊道 松浦武四郎のエゾ地探検』(関谷敏隆:文・型染版画 ポプラ社) 一六歳、伊勢の国から家出して江戸で勉学を始めた武四郎は、エゾに興味を持ち、探検に向かいます。本草学も修めていた彼の好奇心はやがて敬意にも変わり、エゾ地の地図から、文化、生活ぶりまでを記述していきます。その地を北海道と名付け、アイヌ語の地名を元に群名などを定めます。 関谷の型染版画が、160年前と現在をつないでいます。 『おばけのきもだめし』(内田麟太郎:文 山本孝:絵 岩崎書店) 「日本の行事」シリーズの二人が再びタッグを組んた作品。 日本の色んなおばけたちが、えんまさんに言われて、こわ〜いこわ〜い、肝試しに。みんなビビりまくり。 という設定だけでも、もう十分おもしろいので、後は内田の言葉のリズムと、山本の、「笑かしたろう。怖がらしてやろう。いや、やっぱり笑らかしてやろう」といった絵に身を任せてくださいませ。 『キャンプ!キャンプ!キャンプ!』(青山友美 文研出版) 夏休み。「ぼく」の家族と、おとうさんの友達家族で、川辺にキャンプに出かけます。 ただそれだけの時間。ただそれだけの風景が、絵本として提出されています。 ここには大冒険も、野も語り展開の凝った捻りもなく、ただ、あったであろう、あるであろう家族の一泊キャンプが示されているのです。 それは一人一人の服装からウチワに至るまで、丁寧に描かれていることからもわかるでしょう。 子どもにとって、親にとって、家族にとって、楽しいこと、幸せなことは、こんなところにあるんやと伝わってくる一作です。 『しんでくれた』(谷川俊太郎:詩 塚本やすし:絵 佼生出版社) 谷川の詩に塚本が絵をつけた絵本です。 「しんでくれた」生き物たちによって生かされている自分。自分は食べてもらえないし、死んだら悲しむ人もいる。だから、命を戴いて生きていくこと。それが毎日。 詩に絵を付けるのは難しいのでしょうけれど、塚本は言葉のほんの少しの隙間に潜り込んで、自身の解釈を添えていきます。 『めくってわかる! ひとのからだ』(クライブ・ギフォード:作 マーク・ラッセル:絵 グループ・コロンブス:編 岩崎書店) 『ポップアップ人体図鑑』(リチャード・ウオーカー:著 日本語監修:酒井健雄 ポプラ社)というすごいのがありますが、こちらはページを繰るごとに体の奥へ奥へと解説されていく仕掛け。 体のパーツ構造が把握しやすくなっております。ページを行きつ戻りつする行為そのものがおもしろいので、知識への興味も増します。 『あそびずかん なつのまき』(かこさとし:文・絵 小峰書店) 労作「こどもの行事 しぜんと生活」(全12巻)に続く、様々な子どもの遊びを季節ごとに集めたシリーズ二巻目です。「こどもの暮らし」が活き活きと。今も続く遊び、失われたもの、失われつつものまで、読んで楽しく、資料として貴重な1冊。 『しまうまのズー はじめてのおとまり』(ミッシェル・ゲ:さく ふしみみさお:やく フレーベル館) ズーは海のキャンプに出かけます。これが親元を離れての初めてのお泊まり。緊張しているズー。そこで両親はキスをした紙を細かくちぎって、赤い缶に入れてくれます。寂しくなったら、この紙切れをほっぺに当てれば落ち着くよ。 列車の中、ズーは紙切れを一枚。ほっとします。みんなも寂しくてそれをほしがり、ズーの紙切れは全部なくなってしまうのですが、その代わりに! ドキドキ感から安心感、そして解放感へと見事な展開。 『ちいさなきしゃと おおきなおきゃくさん』(クリス・ウォーメル:作・絵 小風さち:訳 徳間書店) 可愛い、可愛い絵本です。 小さな汽車にゾウさん、クマさん、セイウチさんが乗り込んできます。 大丈夫? 大丈夫! 大丈夫! 途中でみんな、たくさんの食べ物を買います。 これじゃあ、とっても無理! しだいに盛り上がっていき、危機から破綻、そして幸せな結末まで一気に運んでくれます。 ワイドな画面構成がよろしいなあ。 『もじゃもじゃヒュー・シャンプー かみのけを あらわなかった おとこのこのはなし』(カレン・ジョージ:作 なかがわちひろ:訳 すずき出版) もじゃもじゃのペーターというか、シャンプーなんて大嫌い! っていうか、そういう話なのですが、男の子の家が美容院ってところがいいですね。で、美容師のコンテストが行われるのですが、そのモデルの髪の毛がとんでもないことになってしまって、そのとき、このもじゃもじゃ髪が! 読者の期待を裏切らない展開が満足度を上げてくれます。 しかし、なんという髪型だ! 『やめろ、スカタン!』(くすのきしげのり:作 羽尻利門:絵 小学館) プールでまだ顔つけができないシンゴ。友達のぼくとマサトはいつもからかっています。ところがあるとき、マサトがやり過ぎてしまい、本気で怒ったシンゴが学校を飛び出していきます。追いかける二人。 こうしたことの繰り返しで、信頼が育っていく姿がよく出ています。 絵は、三人の立ち位置にいかにも物語ではありそうな容姿の描き分けで、そこが残念。 『森のこびとのニム だいかつやく』(勝山千帆 徳間書店) 小鳥からお助け依頼。男の子が森で迷って遭難しそうです! そこでニムは、男の子に気付かれないように手助けをします。その様々な方法が読みどころ。 『おばけトリックアート おばけやしきの きょうふ』(北岡明佳:監修 クループ・コロンブス:構成・絵) 人気シリーズ最新作。 今回は、おばけやしきに見立てて、だまし絵からミッケまで、見開きごとに違うトリックとお見せいたします。 『ふるさとにかえりたい リヨミおばあちゃんとヒバクの島』(島田興生:写真 羽生田有紀:文 子ども未来社) ビキニでの水爆実験から六〇年。未だに帰れない島。実験からこれまで、元島民達がどのように扱われてきたか。被爆後のこと。子ども達。 忘れてはいけない記憶があります。 『さあ、はこをあけますよ!』(ドロシー・クンハート:作 ふしみみさお:訳 岩波書店) サーカス、小さな黄色い箱に入っている小さな小さな小さな犬は、みんなの人気者で幸せ。でもだんだん大きくなって普通の大きさになってしまう・・・。それからね。 迷いのないダイナミックな発想。読む子どものイメージが拡がって行きます。 絵のタッチも色も温かくて飽きません。 『大出現! 精霊図鑑』(軽部武宏 岩崎書店) 絶好調の軽部自身が出会った(?)自然界の精霊たちの図鑑だぞ。見開き大画面に迫力の絵。それどころか、特大のページもございます。 精霊より、軽部の絵の迫力が怖いですよ。 『もしもーし』(山岡ひかる アリス館) スプーン、バナナ、色んな物を受話器に見立てて、次のページでは、それにまつわる事が描かれます。スプーンから食事。という風に。 こうしたシンプルな展開で小さな子どもを遊ばせつつ、世界の関係を伝える山岡の作品群は、とても貴重だと思う。 切り絵の色使いも、ますます冴えてきました。 『えんそく くろくま』(たかいよしかず くもん出版) もう9冊目。いのししさんや、みんなと遠足に出かけて、ちょっと冒険(というか、観察?)もして、大満足の一日を描きます。 このシリーズはやっぱりたかいさんの原点。どんどん描いて、続けてね。 『ほしをもったひめ セルビアのむかしばなし』(八百板洋子:文 小沢さかえ:絵) 姫様は体のどこかに星を持っています。それを当てた人は姫と結婚し国の半分を与えられる。ただし失敗すると羊にされてしまうとの御触れ。たくさんの若者がやってきて、たくさんの羊が城の周りで草を食みます。 貧しい若者がやってきて、そんなことには興味がなくて、姫の花嫁衣装を作りたいと申し出て・・・。 小沢さかえは絵本デビュー。豊富な色使いですが、巧く沈み込んでいてうるさくはありません。描き込みに関しては、抜き方をどうしていくかでしょう。 『おばけとかくれんぼ』(新井洋行 くもん出版) 幼児絵本は、遊び道具なのですが、そのことを前面に押し出した作品で心地よいです。 別に仕掛けがあるわけではありません。暗い画面のボタンの絵を押してくれと書かれていてその通りにして、次のページでは電灯が付いている。画面という抽象性を理解しながら遊んでいけるようになっています。 遊んでね。 『育てて、発見! 「ゴーヤー」』(真木文絵:文 石倉ヒロユキ:写真 福音館書店) 「トマト」に続く二巻目です。ゴーヤーは日差しを防いで省エネってことでも、育てる人が増えていますね。 その栽培の仕方から、ゴーヤー解説、料理まで、これ1冊で大丈夫。 チャンプルーももちろんおいしいけれど、白和えにしてもなかなかおいしいですので、お試しを。 『わたしはカメムシ』(新開孝:写真・文 ポプラ社) カメムシはやっぱり苦手ですが、その姿形は結構好きです。 昆虫写真家新開さんのカメムシ写真絵本です。鮮やかな色と模様のカメムシたち。そして、その卵の美しさ。そして、卵がふ化すると、やっぱり苦手(笑)。 生き物の綺麗さを伝える写真絵本はいいなあ。 『よつばののはら』(田中てるみ:文 かわかみたかこ:絵 アリス館) うれしいことがあるとノートに四つ葉のクローバーを描くあやちゃん。たくさん描け得ればいいね。 でも、友達とけんかして悲しい日、四つ葉のクローバーを食べる虫。それはきっと「泣き虫」。 そこであやちゃんは・・・。 水彩のタッチが優しい作品です。 『うみべのいす』(内田麟太郎:さく nakaban:え 佼成出版社) タイトルから様々なイメージが浮かぶことでしょう。本を開けると、いすが一つ。様々な生き物が座って海を眺める時間、いすだけがそこにある時間、それは静かであり、ゆったりとしているようでもあり、こころが解放されるようでもあり、どこかに不穏さも秘めています。そしてどうであれ時間は流れていく。 いいコラボレーションです。 『ヘリコプターのぷるたくん』(鎌田歩 小学館) 救助ヘリのぷるたくんは、張り切って初出動。でも、現場でうろたえてしまってどうしていいかわからない。 自分はだめだと落ち込むぷるたくんですが・・・。 という、成長物語を加味しながら、乗り物としての救助ヘリの役目も伝えています。 『えきのひ』(加藤久仁生 白泉社) 姉弟が母親と一緒に街中へお出かけ。姉は母親のスカートをしっかり握ってほほえましい。 が、いつの間にか母親とはぐれてしまった姉と弟。そこから、まいごの「不安」が描かれて行きます。 常に距離感を持った視点で描かれていて、それが「不安」から「喜び」への転換を高めます。 『カレーちゃん』(きたがわめぐみ:作 アリス館) ニューデリーから壺に入ってやってきたカレーちゃん。カレーの材料探しからはじまります。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、お肉。みんなで行列、そして最後はお米ちゃん。さあ〜カレーになるぞ。 なんだかよくわからないノリで、ついつい読んでしまいます。 結局、こういうの、好きなんだよね。 『海中大探検! しんかい6500で行く、深海への旅』(井上よう子:作 木下真一郎:絵 海洋研究開発機構:監修 岩崎書店) 深海に生息する生き物たちを、木下が活き活きと描いて居ます。こういうのはやっぱり、好きだな。索引や情報を入れて欲しかった。 『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子:文 いわさきちひろ:絵 講談社) 本文からセレクトし、いわさきちひろの絵を組み合わせて、子ども向けにアレンジした絵本です。 黒柳による、あとがき「みんないっしょだよ」がなかなかいいですよ。 |
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