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*お知らせ 三月の「ひこ棚か」は、「秘密」です。梅田、丸善&ジュンク堂七階児童書売り場。どうぞお越しください。今月は「物語は基本的になんでもありです」です。 読売新聞のYA紹介欄が、2015年4月から那須田淳さんに代わります。多文化への造詣も深く、活きのいい那須田さんの言葉で、YA作品たちが語られますよ。お楽しみに! 五月に河出書房新社から出ます三原順さんのムック本にて、『はみだしっ子』と児童文学を巡って、児童文学館の土居安子さんと対談させていただきました。先週校了です。読んでやってくださいませ。 相米慎二監督の傑作ガキ映画、『翔んだカップル』、『ションベンライダー』、『お引越し』、『夏の庭』が、五月以降に再リリースです。特に『夏の庭』はビデオしかなかったので、きれいな画像に期待大! 『なりたて中学生 初級編』(ひこ・田中 講談社)。個別の事象に悩んでいる小学生の話でも、中学生の話でもなく、小学生から中学生になってしまう環境の変化にうろたえている子どもの話です。読んでやってください。 日本ペンクラブ「子どもの本」委員会 フォーラム「ポスト3.11― 子どもたちの未来、子どもの本の未来」 3月11日・東京・青山学院女子短大で開催。 要申し込み。 http://www.japanpen.or.jp/news/guide/311_2.html 「雑誌『日本児童文学』掲載論評人物関係別一覧」は林太美夫さんが『日本児童文学』誌に掲載された論評(座談会・対談・時評等も含む)を創刊号から現在まで、人物(作家・批評家・研究者・教育者・画家等)関係別に一覧(50音順)したものです。 http://www.eonet.ne.jp/~gst-rin/ *以下、三辺律子です。 共同通信で担当した「14歳からの海外文学」。全七回のうち、今月は五回目を。今回は、「ノンフィクションも入れてください」というリクエストに応えて入れた一冊。 『理系の子』 変人になってみよう 中2女子ゆい 実は、最近、ちょっと理系に憧れてるんだ。 三辺律子(翻訳家) じゃあ、ぴったりの本がある。『理系の子』(ジュティ・ダットン著、横山啓明訳)。アメリカの高校生科学オリンピックを取材して、生徒たちの活躍をまとめた本なの。 ゆい 科学オリンピックなんてあるんだ? 律子 アメリカには州大会から国際大会までたくさんの中高校生対象のサイエンスフェアがあって、それぞれの研究を競うの。空き缶から太陽エネルギーのヒーターを作った子や、中には核融合炉を製作した子も! ゆい エリートの集まりなんだ。 律子 でもね、ヒーターを作った子は貧しくて、穴だらけのトレーラーハウスに住んでたの。だから、廃品から工夫してヒーターを発明したんだよ。 ゆい ほかにはどんな子がいるの? 律子 らい菌の研究をした女の子は、自分がハンセン病になって勉強を始めたの。手話をテキスト化して画面に転送できる手袋を発明した子は、二歳の時にサンタに「延長コード」をお願いしたそう。学校でもブレーカーや電圧計の話ばかりするから、変わった子って思われて、50歳以上も離れた老物理学者が唯一の友だちだったんだって。シリコンに代わる新素材を発明して会社を設立した男の子は、都会暮らしをやめて田舎の農場に引っ越し、学校には行かずに、自宅で学習してたのよ。 ゆい エリートっていうより、個性的な子!? 律子 それが唯一の共通点かもね。人と違っても、ひるまなかったこと。あと、周りにそれを認めて、応援してくれる人がいたことも大きいかな。 ゆい 「変人」になるって勇気いるけど、かっこいいのかも。 【追記】 アメリカの高校生科学オリンピックの本、と聞いたら、「ゆい」と同じく、恵まれた環境にいるエリート少年少女の話だろうと思うかたも多いかもしれない。でも、実際は、経済的にも環境的にも恵まれている子から恵まれていない子、ふつうの子まで色々な子が紹介されている。ここにも書いたように、トレーラーハウスに住んでいた子や、好きな本は『ハリー・ポッター』と言ったら冷笑されるような地域(他の子たちは聖書だった)で自宅学習していた子もいる。 そんな中で唯一の共通点だったのが、みんな個性的(変わってる)子だったということ。個性が尊重される印象のあるアメリカだけど、実際は「浮いてる子」が攻撃の対象になるのはYA作品など読んでもよくわかる。日本でもアメリカでも、有形無形の同調圧力を感じつつ、子どもは生きているのだ。 そんな中で頼りになるのは、理解者の大人。手話手袋を発明した子のメンター役が、老物理学者だったのは、おもしろい。児童文学でも、子どもと老人の組み合わせはよくみかける。 そういえば、二年ちょっとでいきなり会社を辞めたわたし(http://archive.mag2.com/0000001208/20131129104255000.html参照)に、大学院の学費を貸してくれたのは祖母だった。その祖母ももう100歳になる。あいかわらず元気で、このあいだ会ったときも、私の履いていたスカートを誉めてくれた。「年甲斐もなくちょっと短いかなって気にしてたんだけど」と言うと、「年齢なんて関係ないわよ!」。100歳に言われると説得力があった。 最近になって、祖母の若かった頃の話を聞いている。関東大震災や太平洋戦争、一方で日常の細々したこと。子ども(つまりわたしの伯母、母、叔父)が小さいころは、毎夏今井浜にいっていた。その時、よく見かけたというのが三島由紀夫。家庭料理が食べたいという三島を食事に招待したこともあったという。子どもたちに泳ぎを教えると張り切ったのに、子どもたちのほうがよっぽどうまかった話とか・・・・・・。三島由紀夫と知り合いだったなんて初めて聞いたと興奮するわたしに、祖母は一言。「でも、その頃はまだ、あんなにマッチョじゃなかったのよ、ひょろひょろで(爆笑)」。祖母的には、『真夏の死』(今井浜が舞台)とか『禁色』(今井浜で執筆)とかよりも、そこがポイントだったらしい。 身近なお年寄りの話には宝が詰まっているなと、この年になって実感している。(三辺 律子) 前回に続き〈一言映画評〉第二回。よろしくお願いします。 (三辺律子) 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 3月13日公開 ナチスドイツの暗号解読に貢献した、「計算機科学の父」アラン・チューリングを、今、もっとも注目される俳優の一人ベネディクト・カンバーバッチが演じる。チューリングはゲイで、発達障害だったのではないかという説もあり、当時のそうした生きにくさも描かれていて、史実とともに興味深い。 『アメリカン・スナイパー』 2月21日公開 話題作を次々送りこむクリント・イーストウッド監督。色々見方が分かれそうな場面もあって、考えさせられるが、とうぜん単なる英雄映画ではないし、帰還兵の苦しみだけに焦点を当てた映画でもないと思う。未だに色々反芻し、戦争の「現実」について考えずにはいられない、そんな強烈な映画。 『パリよ、永遠に』 3月7日公開 これも戦争映画。ヒットラーのパリ壊滅作戦前夜を描く。元演劇だったそうで、ほとんど一部屋で行われる、老俳優同士の緊迫した駆け引きがみごと。派手な演出がなくても、おじさんしか出てなくても(失礼)、こんなおもしろい映画もあるよ、という一本。 『博士と彼女のセオリー』 3月13日公開 主演のエディ・レッドメインはアカデミーの主演男優賞。最近、実在の人物に姿形を似せた演技が評価される傾向があるような気がして、今一つ納得できないけど、たしかにホーキング博士そっくり。言わずと知れた天才理論物理学者ホーキング博士と妻のジェーンの物語。実は、難病の夫を支える妻、という胡散臭い(←主観です)美談ものかとやや敬遠していたのだけど、それには収まらない妻、夫双方の様々な思いが描かれていてよかった。(それにしても、理論物理学。謎すぎて憧れる) 『はじまりの歌』 2月7日公開 落ちぶれた音楽プロデューサーと恋人に振られたシンガソングライターがインディーズ・バンドを結成。ニューヨークの街角で行うゲリラ・レコーディングや、最後の二人の決断には、特に若い人は惹かれると思う! 来月以降公開ぶんでも、ぜったいぜったい紹介したい映画がたくさんありました! やはり映画はなるべく映画館で観たいもの。前にも書いたとおり(http://melma.com/backnumber_172198_5853061/)、これまであまり映画を観ていなかった人も(こそ)、一度スイッチが入ると、映画館に通いはじめるような気がします。どうぞ周囲の、特に若い人たちに勧めてくださいませ! *以下、ひこです。 『まっていた てがみ』(セルジオ・ルッツィア:昨 福本友美子:役 光村教育図書) 『ときめきのへや』のルッツィア新訳です。ゆうびんやさんのレオは、お仕事に満足していますが、自分には一度も手紙が来たことがない。ちょっとさみしい。 ポストから小鳥の鳴き声。助けたレオは大切に育てます。充実の日々。 でもとうとう巣立つ日が・・・。 幸せの描き方がうまいなあ。 『きめてよ、おじいちゃん!』(ジャン・ルロア:文 ジャン=リュック・アングルベール:絵 ふしみみさお:訳 光村教育図書) 週に一度、面倒を見てもらうためにいじいちゃんの家に行くのですが、おじいちゃんは何をしようと言っても、「どっちでもいいよ」ばかり。やる気ゼロ。そんなおじいちゃんを起動させたのは? ほのぼのしながら、おじいちゃんが成長いたします。 アングルベールの絵が、本当に普通に地味でいつつ、一点の表情がよくて、すてきです。 『ぼくは建築家 ヤング・フランク』(フランク・ビバ:作 まえじまみちこ&ばん しげる:訳 西村書店) ヤング・フランクと、そのおじいちゃんのオールド・フランク。二人は建築家です。ヤングは家で一生懸命建築し、オールドに見せますが、ことごとく否定されてしまいます。 やる気を失ったヤングくん。二人はニューヨーク近代美術館MoMAに出かけ、三人のフランクという建築家の作品を見ます。そしておじいちゃんの頭は柔軟に。そしてヤングの発想は拡がっていきます。 MoMA発の、想像力絵本。いい出来ですよ。 『世界のともだち』(偕成社) 「中国」と「ブーダン」の二冊です。大きな国と小さな国。幸せの方向性も違いますが、それぞれの国の子どもの暮らしを眺めると、個の喜びや幸せは、本当のところあんまり変わらないんだなと思います。 『なんのじゅうたい』(オームラトモコ ポプラ社) とにかくもう道路は渋滞。という、よくある風景を辿りながら、様々な人々の反応を描いていく、そのことだけでもう十分おもしろいのですが、何の渋滞かの、何が、最後で明らかになって、ああ、すごい。 『きしゃしっぽ』(田中てるみ ささきみお ひさかたチャイルド) 汽車と客車2台が楽しく走ります。でも、あれれ。みんなしっぽがある。だから、しゅっぽしゅっぽ、ではなくしっぽしっぽ。 この汽車にはしっぽのある生き物しか乗れません。でも、人間の男の子も乗りたい! で、彼が考えたのは・・・。なるほど、いいオチです。 『トイレこちゃん』(あさのますみ・作 有田奈央・絵 ポプラ社) おもちゃ屋さん、女子トイレのマークのトイレこちゃん。 って発想からして、まずすごい。 トイレこちゃんはつまらない。みんなが楽しそうに行き交いしているのに自分はここに張り付いたまま。 そこでトイレこちゃん、がんばって抜け出して冒険を始めますが・・・。 落としどころもいいですね。 『纏う透き色の 羽住都画集』(羽住都 東京創元社) 乙一作品の表紙などを手がけた羽住の画集です。 羽住画は、例えばアールヌーボーやセゼッション的意匠を纏いつつ、そこに描かれている人間の表情も仕草も極めて、現代のリアリティを伴っている点がおもしろいです。 人物と背景が時に微妙に、時に大胆に違和化し、そのことで人物が強調されること。 『アスペルガーの心3 きんじょのらぶちゃん』(フワリ:作・絵 偕成社) フワリちゃんの第三作です。 今度は、他者を語っています。先生だった、らぶちゃん。彼女をフワリちゃんはどう理解していたかが語られるのですが、それは同時に、他者をどう語るかでもあります。 率直に思ったままを語ること。愛を持って語ること。 実はとても簡単なことなのに、多くの人が難しいと思っている語りがここにはあります。 フワリちゃんは絵も描きますから、フワリちゃんのらぶせんせいが、よ〜く伝わってきますよ。 『昔の道具 うつりかわり事典』(三浦基弘:監修 小峰書店) 道具は時代を反映します。逆に言えば。道具から時代が見えても来ます。そうした変化はある程度の時代のスパンを採らないとなかなか見えてきませんが、この事典は、およそ70年にわたって見せてくれます。身近な道具の歴史性を考える一歩。 『だれにも話さなかった祖父のこと』(マイケル・モーパーゴ:文 ジェマ・オチャラン:絵 片岡しのぶ:訳 あすなろ書房) 祖父が家にやってくると、母親は祖父を見つめてはいけないと言う。だからぼくは、いつも緊張してしまうけれど、やっぱり見てしまう。祖父の顔は片方の耳はなく、上唇もまくれ上がっている。そして片方の手は3本の指が半分しかなく、片方は親指しかない。 少し大きくなって、ぼくは祖父の所へ遊びに行く、そしてきかせてもらう。どうして祖父がモンスターのようになったのかを。 祖父は戦時下、船に乗っていて爆撃に遭ったのだった。九死に一生を得て戻った祖父だったけれど、彼を正視できない連れ合いとはうまくいかず、娘ともなかなか会えなくなった。そしてその娘もまた、祖父を愛してはいるけれど、その容姿を正視できない。 ところが、子どもだったからもあるだろうけれど、ぼくは祖父を正視した。そんなぼくに祖父は語ってくれたのだ。 戦時下の様子に触れているわけではなく、戦争が引き起こしてしまう「事」を、モーパーゴは静かに語っています。 *** 「青春ブックリスト」(読売新聞) 2013年度7〜9月 七月「アート」 アートには美術、音楽、文学、舞台その他、様々なジャンルがあります。それらは方法や道具は違いますが、何かを伝えようとしている点では一致しています。つまりアート作品は、それに出会ったあなたの心が動かされることを期待し、あなたとのコミュニケーションを求めています。アートは作り手だけで完成するのではなく、それを鑑賞する人も参加して初めて本当に命が吹き込まれます。自分もスタッフの一人だと思えば、目の前のアートに近づきやすくなるでしょう。ルールは一つだけ。揚げ足を取るようなツッコミは入れないこと。だって、あなたはスタッフの一人なのですから。 アートになれてきたら、今度はあなた自身でアートを作り、ぜひ発信して欲しい。その道具は美術や音楽である必要はありません。自分が楽しいと感じる物事を、見知らぬ誰かとどういう方法で分かち合うかは、あなたが決めればいいのです。 今日はアートを巡る作品を二つ。 『アートとマックス ゴキゲンなゲイジュツ』(デイビド・ウィズナー:作 江国香織:訳 BL出版)。アーサーの絵を見て自分も描きたいと思ったマックス。でも何を描けばいいかわからない。アーサーが、ぼくはどう? というので勘違いしたマックスは、アーサーの体に描き始めます。体の色が変わってしまったアーサー、一体どうするの! カラフルな色とシャープなタッチが、本当にクール! 『アート少女―根岸節子とゆかいな仲間たち』(花形 みつる ポプラ社)。こちらは、はっきり言ってクールさなどみじんもない、熱血お笑い中学部活物語。校長に部室を取り上げられてしまった美術部。描く素材と描き場所として思いついたのが、野球部。練習の時、どうせ部室は開いているのだからと、前キャプテンで女子に人気の黒田先輩を口説いて、その筋肉美をスケッチすることに。それはいいんだけど、文化祭イベント用の部費を稼ごうと、スケッチを黒田ファンの女子たち売りさばきはじめて、なんだか変な方向に進み始めます。でも、アートを作りたい気持ちは真っ直ぐで、嘘じゃない。その情熱こそが、アートなのです。 八月「戦争」 記憶には二種類あります。生まれてからこれまで、私たち一人一人が体験してきた個人的なものと、人類全体が持ち続けるものです。後者の記憶は、知らなくても生きていけないわけではありません。しかしそれは人類の共有遺産ですから、知っていればいるほど、多くの人と同じ記憶を分かち合うことになります。それに関する意見を交わすことができ、あなたは人とつながることが容易になります。いくら流ちょうに英語を話せても、この記憶を持っているといないとでは、コミュニケーションの深さは全く違ってきます。つまり、人を理解するための重要なアイテムの一つが、この記憶なのです。 八月は一九四五年に日本が敗戦した月なので、戦争にまつわる多くの特集が新聞、テレビ、ネット上で行われています。これはみなさんの個人的な記憶ではありませんが、人類全体が大切に持ち続けている記憶の共有遺産です。ぜひあなたもそれを共有してください。そして、いろんな人と意見を交わし、次の世代に、戦争の記憶を受け継いでほしいです。 『私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった』(サラ・ウォリス&スヴェトラーナ・パーマー:編著 亀山郁夫他:訳 文藝春秋)は、第二次世界大戦時代若者だった人々が何をどう考えていたかを伝える本です。戦勝国、敗戦国一六人の若者(日本人も入っています)の手記が掲載されています。十七歳のドイツ兵ヘルベルトが「このような勝利には、常に多くの命の犠牲が必要なのです」と日記に書いていた頃、十三歳のフランス人ミシュリーヌは「事態はなにもかも悪化」と書きます。ミシュリーヌが「子どもまでも殺すようなやつら」を「神がお許しになるはずがない」と書いた次の日、ヘルベルトは「総統は古今最も偉大なドイツ人」と書きます。 『サンドラ、またはエスのバラード』(カンニ・メッレル:作 菱木晃子:訳 新宿書房)は、現代の物語です。自分の殻に閉じこもって生きてきたサンドラはある事件を起こしてしまい、奉仕活動を命ぜられ、介護老人ホームで働き始めます。そこで知り合ったユダヤ人のユディスは取り付く島もない老人です。彼女は時々、過去の記憶の中をさ迷います。それはユディスがサンドラを同じ若者だった頃に決着をつけられなかった出来事です。サンドラは、ユディスの過去を探し、その記憶を共有することで、ユディスと自分の心を解放していきます。 人類全体の記憶には、目を背けたくなる物も含まれます。しかし、しっかりと見つめる勇気があれば、同じ過ちを犯さずにすむのです。 九月「言葉」 言葉は人間にとって最も優れたコミュニケーションの道具ですが、残念ながら完全ではありません。伝えられない部分が必ず残ってしまうのです。将来もし言葉を使わず、自分や他人の心の中がすべて読み取れる道具が発明されたとしたら便利かも知れませんが、間違いなくそれは悪夢でしょう。 こう考えてはいかがでしょうか? 言葉は正確に物事を伝えられない道具だから、私たちは相手の気持ちをできるだけ正しく知ろうと耳を傾ける。そのことで相手に対する気遣いや親しみが生まれてくる。 不完全な言葉は嘘に使えます。悪意ある嘘は論外として、相手を傷つけないための嘘があります。 『バンヤンの木』(アーファン・マスター:作 杉田七重:訳 静山社)は、父親に嘘を突き通す息子の物語です。インドがイギリスから独立してインドをパキスタンに分かれる直前の小さな町。ここはパキスタンになるのですが、今まで仲のよかった住民は宗教によって心を分断され対立しています。大病をしている父親を悲しませまいとラビルは、穏やかな日々が続いているかのように振る舞うのです。そのために偽の新聞まで作ります。親に嘘をつくのは正しいのか? ラビルの心は揺れます。 また、完全ではない言葉は裏に違う意味を含ませることもできてしまいます。ほめられていると思っていたら皮肉だったというのはよくありますし、仲間同士だけにわかる隠語もあります。失礼にならないように婉曲表現も使います。 『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』(フランシスコ・X・ストーク:作 千葉茂樹:訳 岩波書店)。マルセロは養護学校に通っています。いずれ社会に出て行かなければならないので父親は夏休みに、自分の会社で働かせることにします。マルセロの言葉には裏は一切ありません。養護学校ではそうしたマルセロに合わせてくれていましたが外の社会は気遣ってくれません。しかも裏のある言葉が満ちています。彼は全部まともに受け止め、わからないところは問い、一つ一つ裏のない言葉へと変換していきます。つまり、この入り組んでしまった世界を、マルセロの視点は新たに読み返してくれるのです。 よほどのことがない限り使用しないはずの「死ね」とか「殺す」といった言葉が軽々と口に出され、書かれている今、「言葉」とは何か? を考えてみたいですね。 |
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