【児童文学評論】 No.204 http://www.hico.jp   1998/01/30創刊

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(10) ――おとなと子ども――
 
児童文学にはいくつかのサブジャンルもしくはサブジャンル未満とでも言えるような区分がある。「冒険小説」や「家庭小説」は定着しているが、「家出小説」となると、だいぶ怪しい。「職業小説」(キャリア・ノヴェル)を自立するための手段として、特定の職業を選択する物語と捉えるなら、現在ではあまり書かれていない…と思う。
一般の小説では、状況は異なるようだ。つい最近見つけた月刊誌「ダ・ヴィンチ」の2015年4月号の特集は「恋するお仕事」で、そのキャッチコピーは「働く女のお仕事スタイル別本&マンガ一挙紹介」である。
確かに、世の中には税務署や銀行、書店、レストランなど、さまざまな仕事場を舞台にした小説が多数ある。男性を主人公とする作品が多いからこそ、この雑誌のように女性に焦点を当てる特集を組んだと察せられる。仕事がらみの小説といっても内容から、ミステリ小説、音楽小説のように、ほかのグループに吸収される場合もある。
印象に残っている作品を思い浮かべてみる。翻訳ものでは、C・C・ベニスン『サンドリンガム館の死体』(ハヤカワ・ミステリプレス、1999)やスーザン・イーリア・マクニールの『チャーチル閣下の秘書』(創元推理文庫、2013)のように、女王やチャーチルにカメオ出演させながら、主人公の葛藤と活躍を描いたミステリ系の作品群が頭に浮かぶ。国内では有川浩『県庁おもてなし課』(角川書店、2011)、池井戸潤『不祥事』(実業之日本社、2004;[新装版]講談社文庫、2011;2014年のドラマ「花咲舞がだまってない」原作)、美奈川護『ドラフィル!』(アスキー・メディアワークス、2012)などだ。こうした作品では主人公の仕事にまつわる問題とその解決過程に、人間関係が大きく関わっていて、その業界の舞台裏も描かれる。
一例をあげると、大崎梢の『クローバー・レイン』(ポプラ社、2012)は若手の男性編集者が主人公。彼はある作家の力のこもった原稿と出会い、周囲の反対を押し切って出版めざして奮闘する。その過程で自分の生き方に疑問を持つ。また他社のライバルや社内の先輩との折衝の大切さを学び、問題解決に至る。詳述は避けるが、親子間の葛藤や誤解を含め、コミュニケーションにかかわる問題が徐々に解きほぐされていく過程が感動的で、無事に出版を迎えたときには拍手喝采したくなるほどだ。こうした本は、エンターテインメントとして楽しんだあとに、業界の裏側に精通したような錯覚を覚えるので、軽いお得感が得られる。
上記「お仕事小説」の周辺に位置するのが、ティーンの(またはもっと若い)主人公が、スポーツや音楽を含めた幅広い分野でコンテストやコンクールの入賞や優勝をめざす小説群だろう。目標とするものがはっきりしているため、葛藤や挫折、達成感などのドラマ性も際立つ。
さて、ひこ田中の『なりたて中学生 初級編』(講談社、2015年1月)の場合。書名からも推測できるだろうが、職業や専門性という言葉とは縁遠い物語なので、ここまでの前置きはいったい何だったのかと、不審に思われそうだ。主人公成田鉄男(なりた・てつお)は小学校を卒業し、中学生に入る時期の男子生徒である。義務教育のひとつの段階から次の段階に移る時期を扱っているだけなのに、それがあたかも特別な「仕事」のように思えてくる。
鉄男が土矢小学校6年のとき、両親が念願の家を購入する。鉄男は、卒業まで残り少ないので瀬谷小学校に転校しなくてもよいと聞かされ、それにバス通学というおまけまでついたことをラッキー!ぐらいに思っていた。でも、意外な落とし穴だったのは、新住所の学区が仲良し二人の進学する土矢中学ではなく、瀬谷中学になると聞かされたことだ。もっと驚いたのは、今まで路上で会うと、必ずにらみ合いになっていた南谷小学校の連中(とくに後藤)と同じ中学に通うと気づいたことである。その衝撃は大きかった。
鉄男は、事あるごとに不安や迷いを抱く。まずは卒業式から入学式という中途半端な時期に、自分は何かという疑問を抱き、ランドセルと別れがたいとのは自分が小学生でいたいからだと気づく。いざ中学での生活が始まってからも、クラスでただ一人違う小学校出身ということで、気後れし、周囲をうかがってばかりいる。びびり、へたれ的な反応が多い鉄男。でもアンテナの感度がよい面ものぞかせる。たとえば卒業式の「おとな」の挨拶に嘘を感じ、続く小学生のおこなう答辞や送辞に、彼らの素直な本音を期待する。残念なことに、答辞も送辞も、大人たちが手を入れた無難な「おとな(ら)しい」挨拶にとどまっていて、鉄男を失望させる。
鉄男は感情の浮き沈みが激しいし、親とのやりとりも、時に掛け合い漫才のように聞こえるのは、大阪弁で描かれているからだろう。しかし、笑いを誘われているうちに、ある意味でこれも「お仕事小説」になるのでは、と思ったのだ。そもそも子どもの日常に学校が占める比重は大きい。だから、学校だって、立派な仕事先――英語では勉強をworkとみなせるだろう。
この本で特にクールだったのが、学校には付き物の「座席表」の活かし方だ。ぱらぱらと本をめくったとき、数か所に座席表があるのが目に留まり、不思議に思った。でも読めばちゃんとその謎が解ける。最初は勝男からみて顔と名前が一致する同級生がほとんどいなかったが、座席表を配布される頃から、少しずつ認識できるようになっていく。物語のところどころに表示されている座席表はそれを反映したもので、最終頁では8人に〇がついている。次ページに載っている時間割は、科目ごとに教師が替わることを示し、空白が残っている。だから、顔と名前のわかるクラスメートが増えるだけでなく、教師との出会いもまた描かれていくだろうと、期待できる。
物語は「初級編」である。今後、鉄男も中級・上級と、ステップアップするのだろう。さしあたって、「なりたて」だからこのように戸惑うのだと確認できたところで物語は閉じている。鉄男がどのように中学時代を生きていくのか、続編が楽しみだ。

おとなと子どもの関係は難しい。ラヘル・ファン・コーイ作『クララ先生、さようなら』(石川素子訳、いちかわなつこ絵、徳間書店、2014年9月)もまた、それを強く感じさせる作品だった。入院していた小学校4年のクラス担任、クララ先生が教室に戻ってきた。歓迎する子どもたちに、車いすに乗った先生は、病気がなおらなかったので、もう授業はできないという。死が迫っているからこそ、生徒たちに会おうと、教室へ戻ってきたのだ。それを聞いた子どもたちはショックを受け、迫りくる死を簡単には受け入れられない。でもじょじょにクララ先生の気持ちを尊重できるようになる。心のどこかで先生が回復する奇跡を願いながらも、先生のためにできることをしようと知恵を出し合う。ところが、彼らの前に立ちはだかったのが、子どもの保護者、つまりほかの大人たちの「配慮」という厚い壁だった。彼らは、子どものためだからとか、子どもが傷つかないようにという言葉を旗印にかかげ、死を間近に迎えた先生が子どもたちと時を過ごすことに拒絶反応を示す。とくに強硬な態度をみせるのが、物語の主人公ユリウスの母親だ。ユリウスは母を説得しようとする。そして、生後すぐに死んだユリウスの「兄」のことが、母に今なお深い傷を負わせていて、それが母の行動に影響していることをも理解する。
この作品は、日本の児童文学ではあまりお目にかからないようなタイプではないかと思う。翻訳されて良かったと思わせる1冊だ。とにかく子どもたちの見せる発想の豊かさに驚かされる。そして身近に死が亡くなった現代、子どもたちが受け入れることの大変さも伝わってくる。子どもだけに焦点を当てずに、ユリウスの母のこと、また愛するパートナーを見送る立場のクララ先生の夫の思いなどもきちんと描かれている。重たいテーマの重たい作品になっておかしくない(実際、読み続けるのがきつい部分もあった)が、それを救うのが、子どもたちの鮮やかな機転のきかせかたと、軽やかなフットワークである。こういう本を読んだ子どもたちは、自分たちがその立場だったら、と考えてみるのではないだろうか。

シリーズものは、取り上げるタイミングに迷ったあげく、見送ることが多い。きょうは思いきって絵本を2冊。
ほりかわまりこ文・絵の『童のおつかい』(偕成社、2015年3月)は、お寺の下働きに出された童(わらわ)、つまり小さな子どもの話。不慣れな環境でがんばっていると、お坊さまに、観音様がいつも見守ってくださると、励まされる。あるとき病気のお坊さまに頼まれて魚を買いに遠い海まで行くことになった。子どもは道中で鬼に襲われそうになる。でも観音様に祈ると、助けが現われた。無事に魚を手に入れ、帰途についた子どもにはこの中身は何かと声をかけてきたのは、食い意地のはった権大納言だった。子どもは、「お経」だと答えてごまかそうとしたが、権大納言はふたをあけさせる。子どもがまた観音様に祈ると、中はお経になっていた。そしてお寺に帰ると、あら不思議、中は魚であった…。世間は妖怪ブームらしいが、今昔物語の世界はまさに不思議な事件とたくさんの妖怪に満ちている。シリーズ各巻に権大納言を登場させることで、世界がゆるやかにつながっていて、楽しい。
いとうひろしの『ルラルさんのぼうえんきょう』(ポプラ社、2015年1月)の帯には「るらうさんシリーズ25周年」とあり、長く読まれている人気シリーズだとわかる。シリーズ16冊目にあたる今回も、流れ星の夜、望遠鏡で見つけた宇宙人に会おうと、一同が勇敢にも原っぱに行き、その過程でああでもないこうでもないと考えてみる。でも宇宙人は見つからず、自分たちはヒーローだと(勝手に)納得して盛り上がる。物語の最後でルラルさんはとても大事なことに気づくのだが、一同には黙っている。それが、大人であるルラルさんの見識であり、その人柄をよく表している。
取り上げたい本はほかにもあるが、今月はここまで。(2015年3月)

以上、西村醇子。
以下、三辺律子。
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 共同通信で担当した「14歳からの海外文学」。今月は六回目の『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』を。

中2女子ゆい この間、友達に「ゆいはコミュ力ないから損してる」って言われちゃった。

三辺律子(翻訳家) 確かに最近、コミュニケーション能力がすべての鍵、みたいに言われてるかも。じゃあ、今日は『マルセロ・イン・ザ・ワールド』(ストーク作、千葉茂樹訳)はどうかな。

ゆい どういう本?

律子 主人公のマルセロは軽度のアスペルガー症候群なの。

ゆい 聞いたことあるけど、よく知らないな。

律子 他人と社会的関係を結ぶのが苦手な発達障害のひとつ。といっても難しいだろうけど、この本を読むと、具体的にわかってくると思う。

ゆい 今の社会ではすごく「損」しちゃうね。

律子 それを心配したマルセロのお父さんは、夏休みの間、息子を自分の経営する法律事務所でアルバイトさせる。

ゆい うまくいく?

律子 最初は大変。マルセロは人の表情を読んだり、人の言葉の裏を想像したりするのが苦手だから、コミュニケーションがうまく取れない。でも、事務所で、ある写真を発見して、お父さんが不正をしているのではと疑いだしてから、色々な事が変わり始める。

ゆい ある写真? なんかミステリーっぽい。

律子 そう、ミステリーとしても面白い本。他の人が当然って思ってることも、マルセロにはそうじゃない。だからこそ、皆がそういうものだからって諦めていたようなことにも、疑問を突きつけて、周囲を変えていくことができたんだよね。

ゆい 空気ばかり読んでたら、何もできないのかもしれないね。


【追記】
 企業が「求める人材」の一位に「コミュニケーション力」が登場するようになって十年が経つそうだ。そうした「圧力」はとうぜん若い世代に徐々に浸透し、今では小学生までが「あの子、コミュ力ないからね−」などとのたまうようになっている。
 もちろん、他者とコミュニケーションを取るのは大切なことで、社会的生物である人間に欠かせない要素であることはまちがいない。けれど、今の日本では、コミュニケーション力はもはや手垢のついた言葉に成り下がり、空気を読むこととか、一人だけ浮かないこととか、単に英語ができることなどを指すようになっている気がする。
 一般に「空気が読めない」とされる発達障害が、支援制度も含め、社会の関心を集めるようになったことは、そんな状況とも無縁ではないのかもしれない。海外(欧米)も同様で、YA作品でも、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン、2003)が出たあたりから、発達障害の登場人物が増えはじめ、この『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』はもちろん、『エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる』(ローレン・ダーシス)のエマや、『ぼくの見つけた絶対値』(キャスリン・アースキン)の主人公の父親など、明記されていないが、その傾向があるのではないかと思われる人物も描かれるようになってきている。
 空気を読めないはずのマルセロが、結局だれよりも「コミュニケーション」を取ることで事件を解決していくのは、強烈な皮肉でもある。"ふつう"とちがうと言われている彼のような人をふくめ、誰とでもコミュニケーションを取ることこそ、真のコミュニケーション力なのだと、こうした本は教えてくれる。(三辺 律子)

〈一言映画評〉第三回 三辺 律子
 児童書・YA世代を対象にしていると思われる映画や、そうした世代に見てほしい映画を中心に紹介します。
今月は、英米以外を舞台にしたものや、マイノリティの人々を主人公に据えた作品にいいものが多い! 気になるものがあったら、ぜひぜひまわりの人に勧めてくださいませ。
【順番は公開日順にしてみました・・・・・・試行錯誤中】

『ジュピター』
3月28日公開
 貧乏でメイドをしていた少女が、実は宇宙最大の王朝の王族だと知らされ、大冒険へ―――児童文学でも王道の設定だけれど、だからこそ、あと一工夫、いや三工夫くらいほしかった。『マトリックス』のウォシャウスキー姉弟監督+ミラ・クニス、チャニング・テイタム、エディ・レッドメインと旬の俳優陣なので、ちょっともったいない。豪華な3D映像とアクション(とチャニング・テイタムのサービス映像・・・品がなくてすみません)は楽しめます。

『パプーシャの黒い瞳』
4月4日公開
 様々な小説にも登場する"ジプシー"を主役に据え、彼らの暮らしぶりをポーランドの激動の歴史と重ね合わせて、正面から描いた映画。文盲のジプシー社会において、読み書きが出来るようになって"しまった"パプーシャの夫が「うちの女房は盗みもできやしない」と嘆く場面など、彼らの独特の社会の光と影を撮る。

『パレードへようこそ』
4月4日公開
 サッチャー政権下の炭鉱夫のストにゲイ&レズビアンたちが参加。最初は戸惑う荒くれ男たちだが・・・・・・。これが実話とは! まさに笑いあり涙ありの最高の映画。映画好きもそうでもない人も、デートでも友だち同士でもひとりでも、ぜったいに楽しめます。つまんなかったというひとには、お金を返してもいいくらいです【注:返してもいい「くらい」です】。

『グッド・ライ』
4月17日公開
スーダンの内戦で両親や家を奪われた10万人以上の子どもたち、「ロストボーイズ」。彼らを全米各地へ移住させる実際の計画を元にした映画。ちなみに、これとまったく背景を同じくするのが『魔法の泉への道』(リンダ・スー・パーク)。映画や本は、新聞のニュースを読むだけでは得られない(わからない)ものを与えてくれます。

『あの日の声を探して』
4月24日公開
 ロシアのチェチェン侵攻を舞台に、目の前で両親を殺され言葉を失った少年ハジ、EU(欧州連合)で人権保護に奔走するキャロル、チェチェンから遙か遠い平和なペルミ市でロシア軍に強制徴収された若者コーリャの三人を描く。キャロルが世界の無関心に絶望する場面や、平凡な若者だったコーリャが徐々に変貌していくさまなど、"無関心"では観ていられない映画。本当に傑作です。

ほかにも、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』が4月10日公開。安易なスーパーヒーローものを次々作るハリウッドや、SNS社会を強烈に皮肉っていて、強烈に面白い。スーパーヒーロー映画にいいかげん飽きてきた中高生に勧めるのも面白いかも。
4月11日公開の『マジック・イン・ムーンライト』はいかにもウディ・アレンだぜ!といった映画だけれど(別にウディ・アレンが嫌いなわけではありません)、ゴシック小説やファンタジーなどに登場する降霊術やハリー・フーディーニのような手品ショーが欧米の上流階級を中心にはやったようすが描かれていて、そうした小説の愛読者には面白い。
4月18日公開の『インヒアレント・ヴァイス』は、トマス・ピンチョンの『 LAヴァイス』が原作。ピンチョンに興味があるけど、なんとなく恐れをなして手が出ないというひとは、この映画をきっかけにするのもよいかも。

ではでは、来月もよろしくお願いいたします。

***以上、三辺律子。
***以下、ひこ。

『ディキシーと世界一の赤い車』(シャーリー・ヒューズ:文 クララ・ヴァリアミー:絵 三辺律子:訳 あすなろ書房)
 ディキシーが大好きな真っ赤なオープンカー。ちょっとクラッシック。友達のパーシーとともにドライブ。ところがいじわるなルー・エラが最新カーでやってきて・・・。
 カーレースに参加したディキシーたちとルーの争いが、危機また危機でくりひろげられます。速い展開がおもしろさを倍増させますが、小さなエピソードの連なりで作られているので小さな子どもでも楽しめます。
 出来のいい幼年童話です。

『巣のはなし』(ダイアナ・アストン:文 シルビア・ロング:絵 千葉茂樹:訳 ほるぷ出版)
 自然科学絵本の5作目です。
 今回は様々な動物の巣。子ども読者にもわかりやすい文章で、次々と紹介されていきます。静かだった巣が、やがて子どもが生まれて騒がしくなって、そしてまた静かになっていく。
ロングの精密でありつつ暖かな絵が、今回もすばらしくてうっとり。色彩や色調も、ちょうどいい頃合いで、好き。

『アイちゃんのいる教室』(高倉正樹:文・写真 偕成社)
 ダウン症のアイちゃんとの日々を撮す二作目。もう三年生になりました。
 三年生からの担任の佐々木直子さんは、みんながアイちゃんばかり気遣うのを見て、仲間について考えるように求めます。だって、アイちゃんだけをサポートするのってへんだもん。差別だもん。
 子どもたちが答えを作っていきますよ。
 学芸会がすてき。

『いろはのあした』(魚住直子:作 北見葉胡:絵 理論社)
 小学生の女子、いろはの毎日を連作短編で綴ります。怒り、嘘、死、友達。色んなコトを考え、行動し、また考え。大きなドラマで動かすのではなく、日常に出来るだけ近いところで描いていきます。だからドキドキ。

『おべんとう だれとたべる?』(あずみ虫:さく・え 福音館書店)
 くまさん、人間、うさぎさん。春の陽気に誘われて、お弁当を持ってでかけます。あ〜、とっても暖かいなあ。
 紙ではなくブリキを切って貼り合わせていくこの手法は、人の手が入ったことがわかる独自の風合いというか匂いがあって、強い印象をのこします。

『おべんとうを たべたかった おひさまの はなし』(本田いづみ:文 伊野孝行:絵 「こどものとも」5月号 福音館書店)
 竹林でおじいさんが、お弁当を置いて仕事にかかる。朝からずっと働いていたおひさまはおなかがぺこぺこ。あのお弁当を食べたいなあ。でも届かないしなあ・・・。
 あとは、おもしろいので言わない。

『ぜんぶわかる! メダカ』(内山りゅう:著 酒泉満:監修 ポプラ社)
 「ぜんぶわかる!」シリーズ3作目。メダカです。このシリーズ、これでもかこれでもかと、情報満載。なので、却って把握しにくく読みにくいという感想も当然出てくると思います。一方私は、この満載感が好きです。興味のあるところを、あっちをつまみ読み、こっちをつまみ読みしていると、だんだん全体が見えてくる感じがしてきます。物事へのアプローチって、結局はそういうことなんです。

『ぷんぷんおばけ』(なかがわちひろ 理論社)
 ぷんぷんおばけとは、そもなにものぞ。それは家族の怒りを餌にしているのだ。
 けんかした子どもと、そのけんかを叱った親たちのぷんぷんを食べていく。
 その結果、みんな仲直り。
 ん? ぷんぷんおばけはいいおばけか?
 マーブル模様で心模様を現す工夫も、おもしろいですよ。

『ドングリ・ドングラ』(コマヤスカン くもん出版)
 海の向こうの小さな島が噴火し樹木も燃える。旅立ちの時が来たと、ドングリたちが島に向かって一斉に移動を始める。
 という出だしからすでに、重厚でときめく「物語」のにおいがします。
 そして期待を裏切らず、この絵本は挫折、冒険、目的の成就など、物語たらんとする要素を満たしながらラストまで進んでいくのです。
 人ではなくドングリで、しかも絵本という形式で、描いてしまえるコマヤスカンに脱帽です。

『白い池黒い池 イランのおはなし』(リタ・ジャハーン=フォルーズ:再話 ヴァリ・ミンツィ:絵 もたいなつう:訳 光村教育図書)
 イランの継子譚です。
 継母と義理の姉妹にいじめられる日々のシラーズ。ある日母親の毛糸玉が転がって、ある家の庭に。そこには汚い老婆と汚い台所とあれた庭。
 老婆は、三つの頼み事をします。まず、汚い台所をハンマーで壊してくれ。
 シラーズは、台所をきれいにし、おいしいスープを作って老婆に飲ませる。
 老婆はあれた庭の植物を全部抜き取り、なにも生えないようにしてくれという。
 シラーズは、雑草を取り払い、そこに水を流す。
 最後に老婆は、汚れた髪の毛を切ってくれと言う。
 シラーズは、シャンプーーをして、髪をすき、編み上げる。
 老婆は、白い池に3回、黒い池に3回入れと言う。
 従うと、シラーズは美しくなる。
 そのことを知った継母は娘にも毛玉を転がせるのですが・・・。
 ストーリーのおもしろさもさることながら、ヴァリ・ミンツィの躍動感溢れる絵に注目。本当に表現力がある作家です。人形劇にも携わっているとのことで納得。
ああ、一緒に仕事がしたい。

『シンデレラ』(バーバラ・マクリントック:再話・絵 福本友美子:訳 岩波書店)
 わ〜い。マクリントックのシンデレラだい!
ストーリーはペローのそれを、ほぼそのままに表情や仕草で、現代のシンデレラに仕上げた腕はさすがです。落ち込まない、嘆かない、明るく、ちょっといじわるでもあるのがほほえましいシンデレラ。

『とんだ とんだ』(いまもり みつひこ:きりえ・ぶん 福音館)
 写真家であり、基地絵作家でもある今森の、本作は切り絵作家としての作品です。
 華麗に、繊細に切り抜かれ、浮かび上がる蝶たちをご覧あれ。

『アレハンドロの大旅行』(きたむらえり:さく・え 福音館)
 イノシシ一家。両親とたくさんの兄弟に囲まれた末っ子のアレハンドラは話しません。心配になった両親。遠く丘の向こうまで旅をすれば話すようになると占い師。アレハンドラは話すようになるでしょうか? 話す必要が出来てくれば話すものです。

『おしえて、レンブラントさん』(ヤン・パウル・スクッテン:文 マルティン・ファン・デル・リンデン:絵 野坂悦子:訳 BL出版)
 レンブラントの夜警を伝える絵本ですが、その制作前に時間を置き、レンブラントが人物たちを、なぜああいう配置で描いたのかをフィクション。そうすることで、絵への興味だけではなく、物事の見方への興味もわきます。
 リンデンは、原画の人物たちを損なわずに、しかし解釈して描いていきます。その細かな描き方!
 これを読んだ子どもたちは、夜警を見たくなるでしょう。それも細部まで眺めたくなるでしょう。
 そしていつか、アムステルダム国立美術館に行きたくなるでしょう。ぜひ行ってくださいね。
 その前に映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』を見てもいいですね。

『みずたまのたび』(アンヌ・クロザ:さく こだましおり:やく 西村書店)
 一滴のみずたまが、空に上り、雲となり、雨となり、地上に戻り、地中を旅して、やがてまた。
 という循環。つまりは地球のいとおしさが描かれていきます。
 アンヌ・クロザの絵にセンスの良さにうっとり。
ああ、一緒に仕事がしたい。

『ことりぞ』(京極夏彦:作 山科理絵:絵 東雅夫:編 岩波書店)
 京極による、怖いお話シリーズ絵本の一冊です。
 どの巻もそうなのですが、京極は読者を不安に陥れるために徹底的に言葉をそぎ落としています。言葉が語るというよりも、画の空間に言葉が漂って、何も確定してはくれずに、不穏さだけを置いていく。
 どれも画家がいいのですよねえ。『とうふこぞう』は石黒亜矢子、『あずきどき』は町田尚子。うん、豪華だ。

『マララとイクバル パキスタンのゆうかんな子どもたち』(ジャネット・ウインター:さく 道傳愛子:訳 岩波書店)
 マララはもう誰もが知っていますが、イクバルはさほどではないかもしれません。
 イクバルは、親の借金十二ドルの代わりに奴隷のように働かせられていた少年の一人です。児童労働反対の運動をしていましたが十二歳の時に何者かに射殺されました。
 この絵本は二人の子どもの活動を左右から描いていきます。

『ドロシーとまほうのえのぐ』(デニス&アレン・トレ:作・絵 こみやゆう:訳 PHP)
 描くの大好きドロシーちゃん。動物も好きですが猫しか飼ってもらえません。そこでドロシー、紙では飽き足らず、床に壁に、たくさんの動物を描いたのだ。
 すると夜中に大きなネズミの絵が動き出し、それを捕まえるために大急ぎで猫の絵を。でも、口を描き忘れ・・・。と想像はどんどん膨らんで、果たしてどこまで行くのやら。
 といったドタバタの楽しさを満喫できます。
 二人の絵は、子どもの奔放な絵の楽しさを示しつつ、絵本としてばらけないようなバランスを保っていて巧いです。

『いちにちでいいから』(ローラ・ルーク:作 マルク・ブタヴァン:絵 福本友美子:訳 フレーベル館)
 なりたいものになる。それは魅力的な夢。でもそれだけじゃあ、つまらない。一日だけなりたいというのがみそ。
 ずっとじゃなくて一日だけなのは、どうして?
 そこが読みどころ。教えたいけど、教えられないです。
 ブタヴァンの絵は、一見シンプルな色使いで、夢と現実を色使いで巧く分けでいます。

『サムとデイブ、あなをほる』(マック・バーネット:文 ジョン・クラッセン:絵 なかがわちひろ:訳 あすなろ書房)
 兄弟は、おじいちゃんのはたけで穴を掘る。なにかいいものをみつけるまで掘るつもり。
 そこから画面はガラスで見られるようになったありの巣のような構成に変わります。
 おお、でかい宝石が埋まっているではないか。
 ところが兄弟は掘り進み、あともう少しのところで、下のにはないなと考えて横に掘る、とその先にも宝石が! けれど兄弟はその手前で・・・。
 という、はらはら、「なんでやねん!」絵本です。
  話のおもしろさとともに、クラッセンの土臭いけど洗練された絵をご堪能ください。

『童のおつかい』(ほりかわりまこ 偕成社)
 ほりかわによる、今昔物語絵本4作目です。ユーモラスで、ちょっと怖い世界をダイナミックな構図で描きます。どんどん絵がパワーアップしてきていて、うれしいです。
 たかだか明治辺りを日本の素だとして戻ろうとする動きのある現在、源氏物語や今昔物語のような基本を知るのはいいですね。いっぱい出してください。

『育てて、発見!「ジャガイモ」』(真木文絵:文 石倉ヒロユキ:写真・絵 福音館書店)
 「トマト」、「ゴーヤ」に続く、物と世界の解説写真絵本の新作です。
 よく知っているつもりのジャガイモを徹底解説しています。図鑑的情報から、歴史、そして科学。ジャガイモ一つから、様々な知識へと興味が拡がっていきます。
 相変わらず、いい写真たち。
 私も何度かジャガイモを作ったことがあるので、「知ってる、知ってる」もあり、「え、知らなかったよ」もあり、楽しいです。
 一巻目のトマトと同じく、ジャガイモもナス科なので、土の栄養分を持って行ってしまうので、次の年には豆類なんかを植えましょう。

『こまったうしのガイコツまおう』(松山円香 小学館)
 『アリゲイタばあさん〜』で、私たちを楽しませてくれた松山の新作。
 ですが、どうしてこんなもん、思いつけるのかしらん。ティム・バートンみたいな想像力。
 うしのガイコツで魔王である自分は、牛なのか、ガイコツなのか、魔王なのかわからなくなって思考する絵本です。
 わかったようなわからないような、と考えているうちに思考する私がいるのだ。

『スリスリとパッパ』(二宮由紀子:文 100%ORANGE:絵 ブロンズ新社)
 スリッパの片方がスリスリで、もう片方がパッパです。このスリッパたちのユーモラスな会話で話は進んでいくのですが、そこは二宮ワールド。彼らは人間の足で履かれるスリッパであることに焦点を当てていきます。
 彼らはスリスリとパッパ、固有の存在なのに、人間からすれば一組のスリッパです。誰もわかってくれません。どっちがどっちの足に履かれるかだってわからない。
 それでも彼らは仲良くなったりけんかをしたり、固有の存在として生きていく。
 二宮ワールドを100%ORANGEがどう描くかもお楽しみ。

『カエサルくんと本のおはなし』(いけがみしゅんいち:ぶん せきぐちよしみ:え 福音館書店)
 カエサルくんによる、歴史探索2作目です。今回は本。本の中身ではなく、「本」の成り立ちを辿ります。中身の話は多いけど、器のことも感心を持ちたいです。
わかりやすく、楽しいです。
 こういう知識って、なくてもいいみたいだけど、生きていく場面、場面で結構効いてくるものです。

『ぼく、おおきくなるからね!』(くすのきしげのり:作 わたなべゆういち:絵 すずき出版)
 なんと素直で真っ直ぐなタイトル。話もほんとにそうなんですよ。わたなべさんも気持ちよく描いています。

『ジャガーとのやくそく』(アラン・ラビノヴィッツ:作 カティア・チェン:絵 美馬しょうこ:訳 あかね書房)
 大型ネコ科の研究者であり、保護活動家でもあるラビノヴィッツの自伝的絵本。世界で初めてのジャガーの保護地区を作るのに奔走しました。
 彼は吃音だったのですが、大人はそれを直そうとします。それは好意なのですが、同時に彼に、自身は劣った人間だという意識を与えてしまいます。安心してコミュニケーションできるのは家で飼っている様々な動物。
 やがて彼は動物学者になっていく。
 カティア・チェンの絵は、ラビノヴィッツの心をダイナミックに捉えています。

『カミツキガメは わるいやつ?』(松沢陽士 フレーベル館)
 悪いやつとは決めつけないで、まずカミツキガメさんのことを知っておきましょうということで、松沢さんが激写です。その上で、特定外来生物であることを考えたいという視座です。

『トヤのひっこし』(イチンノロブ・ガンバートル:文 バーサンスレン・ボロルマー:絵 福音館書店)
 モンゴル、遊牧民家族の引っ越しを描いています。たくさんの動物と一緒の移動なので、もう大変なのですが、それでもどこかのんびり感が漂うのは、自然との向き合い方が『大草原』のインガルス一家とは違うからかな。
 バーサンスレンが描くパノラマの絵は、まるで絵巻物のよう。本当にいい絵描きですね。

『まちのひろばの どうぶつたち』(井上コトリ あかね書房)
 広場にいるのはライオン、アヒル、サル、キリン、ゾウ。でも誰も彼らのことを知りません。彼らは透明なのです。
 透明な彼らは、それでも色々人助け。
 ある日、彼らの姿が見える子どもが現れて・・・。

『あのこ』(今江祥智:文 宇野亜喜良:絵 BL出版)
 『あのこ』が理論社からBL出版へお引越しです。表紙は描き下ろし。
 本文部分、黒に白文字。好みが分かれそうですね。

『むしむし とことこ どこいくの?』(林よしえ アリス館)
 虫がリンゴの上に、と思ったらそれは、りんごむし! りんごむしがすいかだと思ったのは、すいかえる!
 という風に、作家の想像が拡がって、奇妙な生き物の連鎖になっていきます。
 デビュー作にして、落としどころまで決まっていますね。

『おてんきなあに』(はたこうしろう ポプラ社)
 おやすみなさい絵本です。
クマの兄弟、クーとマーはベッドの中でお休み。まだ眠れないので、明日どんな遊びをするかを考えます。
 晴れてたら? 雨なら? 曇りは? 風の日は?
 色々自由に想像して、遊びましょう。
 はたの絵を存分に楽しんでください。

『英語DE落語 動物園』(おべとも:絵 すずき出版)
 桂かい枝さんが、文化交流の一環として世界で演じている落語の絵本です。
 動物園は、英語でする演目としては、とてもいいですね。身振りでよくわかるし、英語にしても理解しやすい内容です。

『てんつくサーカス』(こうだてつひろ:さく 田中六大:え くもん出版)
 「てんつく」とは、濁音のことです。
 「さ」は「ざ」に、「と」は「ど」に。
 それがどうした?
 このサーカスでは、さるがざるになってしまうし、とらが銅鑼になってしまうのですよ。
 あほらしいから、おもしろい絵本です。

『おばけとホットケーキ』(新井洋行 くもん出版)
 新井が仕掛ける、インタラクティブ絵本です。
 まあ、紙の絵本ですから、それはなかなか難しいのですが、ページを繰ることで生じさせる変化を、繰る前と繰る後の間で本を触ることで参加してもらうわけです。
 元々、本の中身はインタラクティブなものですが、本をいじくるという参加を促すことで、それを際立たせます。
 新井さん、もっとたくさん描いてみてください。

『わすれたって、いいんだよ』(上条さなえ:文 たるいしまこ:絵 光村教育図書)
 沖縄生まれのおばあちゃんは沖縄料理店を営んでいます。ところが物忘れが始まります。
お客さんが注文した沖縄料理のレシピも思い出せません。認知症。
彼女が作らない料理があるのですが、それは沖縄戦の悲しい出来事を思い出させるからです。
でも、その料理が本当は好き。食べたい。けれど、そのとき、もうレシピを思い出せません。
そこで、娘と孫はそれを作り、沖縄の仲間を呼んで、お店でお誕生日のパーティ!
 戦争の傷と物忘れがかぶるのは、戦争の記憶を忘れることを示してもいますから、そこで記憶をどう受け継ぐかも少し触れて欲しかったです。

『あっ!みーつけた!!』(くすのきしげのり:作 大島妙子:絵 光村教育図書)
 石の中に色んな生き物の姿を見つけて色をつけていくぼく。重い石を入れるものだからジャンパーのポケットが破れもします。
 でもね、そうして色んな動物の姿を作りたいのはね・・・。

『サカサムシちゅういほう』(こすぎさなえ:作 細川貂々:絵 教育画劇)
 サカサムシに刺されると、色々逆さになってしまいます。犬のお散歩は犬が人間をお散歩だし、カップルの服装が取り替えられるし、パンダの柄も反転。
 というどたばた話です。
 こういうのは照ってした方がおもしろいので、ここでも主人公も刺されて言葉が逆さまになったりいたします。
 さて、どうしたら治るかな?

『おかめひょっとこ』(最上一平:作 陣崎草子:絵 くもん出版)
 貧困を、両親からもらった二つのお面、おかめとひょっとこの力強い滑稽さで乗り越えていく女性の物語です。
 陣崎が描く主人公の歳の取り方、米寿の顔がなかなかなものです。

『ちょっとみせてくださいな』(ほりかわりまこ 「ちいさなかがくのとも」2015年4月号 福音館書店)
 女の子が植木鉢を持ち上げて下を覗く。虫たちがいる。
 彼女は次々と、植木鉢を持ち上げる。
 ただそれだけのことなのに、これが無性におもしろいのは、誰もが一度はしたことのある行動であることと、にもかかわらず、ここでほりかわが描いてくれなかったら、気にもとめていなかったことだからでしょう。
 目の付け所というか視線の届き方というか、それが暖かくてユーモアがあって、嬉しくなってしまいました。
 最後のシーンの女の子のしゃがむ姿勢の絶妙さ。
 うん。すてきです。

『アップリケのことり』(殿内真帆 「こどものとも年中向き」2015年4月号 福音館書店)
 けんちゃんお気に入りのバッグにはことりのアップリケがついています。
 今日も一緒に幼稚園。
 ところがけんちゃんの服のボタンが一つなくなっている。落ち込むけんちゃんをみてアップルケのことりはボタンをさがしに出かけます。
 という展開ですが、殿内のどこかモダンデザイン、それも50年代東欧を想起させるその絵が相変わらずすばらしいです。シンプルな形と色彩が醸し出す、穏やかさとその背後に感じる暖かみ。
 好きな作家です。

『ブルくんとかなちゃん ありんこくん』(ふくざわゆみこ 「こどものとも年少版 二千十五年四月 福音館書店)
 ブルくんとかなちゃんの仲良し振りがたのしいですよね。
今作では、ありのゆくへを追ったかなちゃん、やがては家の中まで入っていきますが、その間に、ぬいぐるみなとの、持ち運びお気に入りをなくしてしまいます。
さあ、どうするブルくん!
輪郭線がはっきりしてるが故に難しい子どもの仕草や表情、とても豊かな一品です。

『おきたらごはん』(岩合光昭 福音館書店)
 すっかり「ニャン」でおなじみになった岩合さんですが、本作は、タイトル通り色んな動物が眠りから目覚める写真と、その後食事をする写真で構成されています。
 ただそれだけなのですが、「眠る」ことと、「食べること」という生き物の基本がすっと入ってきますよ。

『いろいろとこやさん』(山岡ひかる くもん出版)
 なんだか不思議に、「おいしそう!」な、『いろいろたまご』から始まったシリーズももう8冊目ですか。早いなあ。
 今作は、野菜を使った料理編ですが、画面の中で野菜たちを切るのは気の毒な感じがした山岡さんが考えた方法は?
 こういう作り方、すてきだな。

『庭をつくろう!』(ゲルダ・ミューラー:作 ふしみみさお:訳 あすなろ書房)
 『ぼくの庭ができたよ』が、版元と訳者を変えて再刊です。
 一家が大きな庭のある家に引っ越しします。でも、庭は荒れている。そこから絵本は庭が人々の憩いの場所になっていくまでを丁寧に伝えていきます。
 絵の精密さ、季節季節の切り取り方、庭を通して人と人とが繋がっていく幸せ。片隅の死。
 まるごと愛おしい世界です。

『ロバのジョジョとおひめさま』(マイケル・モーパーゴ:文 ヘレン・スティーヴンス:絵 おびかゆうこ:訳 徳間書店)
 モーパーゴ大好きの動物物です。
 飼い主からも周りからも馬鹿にされているメロン売りのロバさんジョジョ。ヴェネチアの広場までメロンを運んでも誰も相手にしてはくれません。と、領主屋敷から少女が飛び出してきます。メロンが欲しかったのですがジョジョも大好きになります。だからといってみんなの評価が変わるわけもなく・・・。
 ある日お触れが出ます。娘の誕生日に馬をプレゼントする。売りたい人は広場に集まれ。
 さて、ジョジョの運命は。
 幸せの結末は、読者の期待通り。
 ジョジョの目が実に表情豊かですよ。

『みてみてよーくみて』(ビル・コンチアス ほるぷ出版)
 左右の画面の違いを探す絵本です。増えたり減ったり、ちょっと違っていたり。間違ではなく違いですが、これが簡単なようで、なかなかややこしい。目は思い込むんですね。

『おばけのたまごにいちゃん』(あきやまただし すずき出版)
 わあ、もう十五作目だ。すごいなあ。
 今回のたまごにいちゃんは、おばけのたまごにいちゃんです。おばけだけど全然怖くない、誰も驚かないってことに落ち込んでいるたまごにいちゃんですが、落ち込まなくていいよ。おばけが怖いって誰が決めたの?
 今作は、色々考えさせられるたまごにいちゃんです。
 このご時世。考えなあかんよとのメッセージかな。

『ぼくがすきなこと』(中川ひろたか:文 山村浩二:絵 ハッピーオウル社)
 子どもの頃好きだったこと、不思議だったことの数々を、大人になった今はもう不思議でも何でもないかもしれないけれど、不思議のまま中川と山村は描いていきます。雨上がりの鉄棒から落ちる雨のしずくを手の甲で受ける。下敷きで髪の毛をこするとひっつく。
 その一つ一つへのいとおしさが好奇心となり、子どもの日常を豊かにすること。それをこの絵本は鮮やかに示してくれます。すばらしい。

『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン:著 原田勝:訳 あすなろ書房)
 黒人解放には、黒人自身が意識を高めることが必要で、そのために本を読める機会を提供したい。そう思ったルイスは、ニューヨークに黒人が書いた本の専門店を始める。
 理解を得るまでは大変だし、妨害もあるし、だけど、行商で本を売り歩きながら、たった5冊(それも、人から提供してもらった本)で始めた書店は40年後22万冊を有するまでになる。
 ラングストン・ヒューズからマルコムXまで、この書店を一つの拠点とした人は多い。
 書店とは何か? を考える一冊。

『ニュース年鑑2015』(ポプラ社)
 今年もこの季節がやってまいりました。学校図書館に毎年のがずらりと並ぶと、歴史がわかっていいですね。ポプラディアも一緒に使いたい。
12月10日、特定秘密保護法施行の日のページには、その説明とともに、反対デモの写真も添えてあって、こうしたバランスをちゃんと取っているのが、やっぱりすばらしいです。

『うんちの正体 菌は人類をすくう』(坂元志歩:著 鱈耳郎:絵 ポプラ社)
 へそのごまから話が始まるので、いきなりうんちは、ちょっとという方にもおすすめです。へそのごま知識はあまりなかったので、これもありがたいです。
 へそのごまやうんちの、主に菌を巡る興味深い内容。
 子ども向けはこれが初めてという著者ですが、興味の誘い方、読みやすさなどうまくて、今後も期待大です。いっぱい書いてください。

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お知らせ:赤木かん子
学校図書館員のための司書講習をします。
会場:四ッ谷四丁目ポプラ社一階ホール 時間:1000ー1600
4月2日:司書講習Aコース 図書館とはなにか 図書館のつくりかた。
4月3日:調べ学習Aコース 報告書のかきかた 初級編、中級編、上級編(中学校用の調べ学習を含みます)
参加費:両日とも5000円 申し込み方法:講座名、お名前、メールアドレス、電話番号、志望動機をお書きになって、埼玉福祉会のホームページまでお申し込みください。
定員はありませんが、準備する物がありますので、人数確認が必要なのです。
よろしくお願いします。
おやつ、つきます。
ドリンクはご持参ください。
お昼も食べる場所はあります。
まわりにお店もたくさんあります。

*以下、ひこ・田中のお知らせです。
☆『総特集 三原順 ?少女マンガ界のはみだしっ子?』(河出書房新社 4月8日刊)にて土居安子さんと対談しました。
☆日本文藝家協会『文藝年鑑2015』(6月刊)にて、「児童文学」を担当しました。
☆相米慎二監督の映画『お引越し』、発売日が5月2日に決定です。特典映像に大昔の私が映っているそうな。恐ろしい。
☆『なりたて中学生 初級編』(ひこ・田中 講談社)。
毎日小学生新聞2015年3月26日号にてインタビューを受けました。
朝日小学生新聞2015年2月15日号にてインタビューを受けました。
図書館・図書室で読んでやってくださいませ。