206

       
【児童文学評論】 No.206
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊

*以下、三辺律子です。

 共同通信の連載『14歳からの海外文学』の連載もこれで最後。残された古典枠には、原作も映画も永遠の名作であるこの作品を入れました。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック作)

人間とは何だろう 

中2女子ゆい SFファンの友達に勧められて『ブレードランナー』っていう映画を観たの。で、主人公のデッカードの正体が気になる! これって原作あるんでしょ?

三辺律子(翻訳家) あまり詳しく語るとネタバレになっちゃうよ(笑)。原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳)。最終世界大戦後の近未来を舞台に、逃亡したアンドロイドを賞金稼ぎのデッカードが「廃棄処理する」(殺す)というストーリーは、基本的には映画と同じ。

ゆい タイトルは随分違うね。電気羊って?

律子 ほとんどの生物が絶滅寸前の世の中で、動物を飼うのは贅沢。だから、デッカードは、本物の代わりに機械の羊を飼ってるの。

ゆい 機械なんて飼って楽しいの?

律子 餌も食べるし、見たところ、ほとんど本物と変わらないからね。

ゆい そうか。つまりアンドロイドと同じだ。

律子 そういうこと。アンドロイドも、外見はもちろん、感情も記憶もあって、すぐには人間と見分けがつかない。最初は、他者への共感度を測るテストで見分けていたけど、やがてそれすら効かない型が発明される。

ゆい 映画でも、人間としか思えないアンドロイドが出てきた。どれが、「処理」なんて残酷・・・。

律子 殺人としか思えない?

ゆい うん。なにをもって「人間」とするのかって考えちゃった。

律子 まさにそれが作者のテーマだと思うよ。ディックは『トータルリコール』とか『アジャストメント』とか映画になってる作品も多いから、ぜひ読んでみて!


【追記】
 名作は色褪せない、というのは本当だと思う。今回、書評を書くに当たって読み直した『電気羊』はあいかわらず面白く、示唆に富んでいた上、新しい発見もたくさんあった。人間とアンドロイドを見分けるのに、「他者への共感」をキーとしているのは、興味深い。
 私は、『電気羊』を映画化した『ブレードランナ−』も大好きだ。SF映画の金字塔と言われるこの作品、なんと33年前の作品にもかかわらず、今も変わらない魅力を放っている。現在のような映像技術もなにもない頃の作品なのに、だ。
 映像がリアルならそのぶん世界に引き込まれるか、といえばそうではないことを、そろそろ私たちは学んでいる。もちろん、映像に寄りかかって脚本や演出がおろそかになっているという面もあるが、それだけではないと思う。むしろ、映像に隙があるほうが、映画の世界にどっぷり浸れるような気がしてならない。
 中条省平さんが前に、「リアル」な映像化によって損なわれる「リアリティ」がある(確か、日経での『ベンジャミンバトン数奇な人生』の映画評だったと思うが、未確認)というようなことを書いていた。わたしも、スターウォーズは、99−05年に制作されたエピソード1,2,3よりも、77−83年のエピソード4,5,6に、「リアルな」別世界を感じる。
 以前、「職業体験型テーマパーク」なるキッザニアにいったとき、同じようなことを感じた。消防士体験ではホースからちゃんと水が出るし、ピザ屋体験では本当にピザを焼ける。でも、職業を体験している、というリアリティはまるでないのだ。むしろありあわせのものを道具等に見立てて遊ぶごっこ遊びのほうが、子どもにとってはよほどリアルかもしれない。
 粘土や雑草で作ったピザを本物のピザに「見立てる」には、それ相応の努力がいる。リアルな映像やお膳立てをただ受け入れるだけでなく、こちらから能動的な働きかけがなければ、手に入れられないものがあるのかもしれない。
 これ以上続けると、「だから本はね」とか言いだしてしまいそうなので、このへんで止めておきます。ではではまた来月に。(三辺律子)


〈一言映画評〉第五回 三辺 律子
 児童書・YA世代を対象にしていると思われる映画や、そうした世代に見てほしい映画を中心に紹介しています。
 面白そうだと思ったら、ぜひぜひ周りのひとにも勧めてくださいませ。

『奇跡のひと マリーとマルグリット』 
 ヘレン・ケラーと同じく三重苦だった少女マリーの、実話をもとにした物語。マリーの成長物語としてももちろん感動的だけれど、マリーが、者に「名前」があることを知って「言語」を獲得し、それによって、さらに抽象的な「概念」を理解していく過程をみると、言語というものについて改めて考えさせられる。


『エレファント・ソング』
 今注目の若手グザヴィエ・ドランが、監督でなく俳優に挑んだ一作。母への思慕から精神を病んだ青年、という設定だが、それがほぼ院長室一室のみで、病院長と青年の心理戦を通して描かれるところに新味と迫力がある。ドラン監督の『mommy』も傑作らしいので観なければ!(すみません、自分への覚書を兼ねてます)


『ハイネケン誘拐の代償』
 ハイネケンの経営者誘拐事件を基にしたサスペンス・ミステリー。犯罪経験のなかった若者5人が犯罪に手を染め、やがて仲間割れしていくさまが、克明に描かれる。アンソニー・ホプキンスの怪演は観ておくべき!


ほかにも、『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』は(テーマのひとつが不倫なので「青少年向き」かどうかはさておき)、登場人物は一人だけ、舞台は深夜に高速道路を走る車内のみ、という大胆な設定を成功させていておもしろい。
『しあわせはどこにある』は、『ショーン・オブ・ザ・デッド』『宇宙人ポール』のサイモン・ペックが「幸せ」を追い求める精神科医という初のシリアス役(?)。相手役はロザムンド・パイク。おとなしいサイモン・ペックにはやや物足りなさを感じてしまうけれど、映画全体に流れるおかしみは、現代人の滑稽さを伝えてくる。
 衝撃作『アクト・オブ・キリング』の続編『ルック・オブ・サイレンス』も。今回、監督が先にシナリオを描いているような感じが伝わってきてしまうのだが、みなさんはどうでしょう?

 先々月、絶賛お勧めした『あの日の声を探して』『パレードへようこそ』などもまだ上映中ですので、ぜひ。映画館で観てほしいです! (三辺律子)
 
*以上、三辺律子。以下、ひこです。

『ハティのはてしない空』(カービー・ラーソン:作 杉田七重:訳 すずき出版)
 第一次世界大戦の頃。口うるさい叔母のもとで暮らすハティに、亡くなったおじさんの遺産が転がり込む。それはモンタナにおじさんが買った農地。16歳、自立の時とばかりにハティは旅立つ。しかし、農地にはある制限がついていた。秋までに農地全体を柵で囲むこと。土地を耕し収穫をあげること。もしそれができなければ土地は取り上げられてしまう。それは開拓を進めるために鉄道会社が仕組んだ条件だった。
 果てしてハティにそんなことができるのか? 厳しい自然の中に飛び込んだ少女の挑戦が始まる。
 ハティの過酷な青春と、第一次世界大戦当時のアメリカがどうであったかを読んでいきます。

『ブロード街の12日間』(デボラ・ホプキンソン:作 千葉茂樹:訳 あすなろ書房)
 19世紀半ばのロンドン下町。大発生したコレラ。当時はまだ、空気感染と思われており、対処の仕方もわからなかった中、ある医者が、井戸水が原因だと突き止めた。が、それを証明しないことには、コレラを広げているその井戸を封鎖できない。身よりもない孤児イールは、医者とともにその証明に奔走する。
 実話を元に、19世紀ロンドンの下町風景と、科学の進展を描きます。
 というか下町冒険物としておもしろいです。

『なみだの穴』(まはら三桃 小峰書店)
 連作小説です。
 人はいつも何かがまんして、悲しみを心にためていく。「なみだの穴」はそんな人の心を解放します。「なみだの穴」がそばにできたとき、止めどなく涙があふれて泣いてしまう。ただ、泣いてしまう。そうすると心がずいぶん軽くなる。
 「なみだの穴」という設定を作ることで、心の回復をわかりやすく描く作者の腕は相変わらず確かです。

『私は売られてきた』(パトリシア・マコーミック:作 代田亜香子:訳 作品社)
 ネパール。13歳のラクシュミは、お金のために義父に売られてしまう。本人は奉公だと思っていたけれど、そうではなくインドの売春宿だった。
 過酷な日々を彼女がどう生きていくか。貧困と人権について描いていきます。

『向かい風に髪なびかせて』(河合二胡 講談社)
 人間として一番大事なのは容姿ではなく内面だよ。目上の人からそんなアドバイスを受けたことがある人も多いと思います。外見ばかり気にしていたら、心が貧しくなるよ、なんて言い方もありますね。反論しにくいけど、何となく納得いかない・・・。
 相手の内面や心はすぐにはわかりませんから、私たちはどうしてもまず外見で判断しがちです。実はその時、容姿だけではなく話し方やその内容や、態度などから多くの情報を得ているのですが、判断される側からすれば一番手っ取り早く、効率よく評価を上げられるのは容姿や仕草だと思うのは致し方ないし、間違ってもいません。また、自分の容姿に自信を持つと、毎日が確実に楽しくもなります。それによって、雰囲気がかわってくることもあるでしょう。つまり、「かわいい」に全面依存してはいけないけれど、気になっているのなら、そんな自分をしっかり受け止めた方がいい。
この作品は、女子中学生四人の「かわいい」を巡る連作集です。
 小春には六輝くんという彼氏がいて、そのままの君でいいんだよなんて言ってくれますが、小春は、やっぱり「かわいい」が気になるので、「かわいい」に価値を置いている亜梨沙や夢見と同じグループなります。
もう別格に「かわいい」長谷川優貴は「かわいい」を商品として競わなければならないモデルをしています。だから、優貴は自分が「かわいい」のを自覚しているのですが、これはこれで結構きつい。
 「かわいい」に全く自信がなかった夢見は、叔母さんのアドバイスで「かわいい」になってはいくのですが、それは一般的な「かわいい」ではなくて・・・。
 夢見の従姉妹の野乃は父親譲りの大きなあごを外科整形したいと願っています。
四人それぞれで「かわいい」の事情は違います。けれど、それは「大事なのは容姿ではなく内面だよ」といったアドバイスでは克服できない問題です。
「かわいい」を考える一冊。

『ケロニャンヌ』(安田夏菜:作 しんやゆうこ:絵 講談社)
 太ってのろまだから、ぼくは学校で、ヨシキとルカにいじめられている。しかも悲しいことに、大好きな猫ニャンヌに続いて、飼っていた蛙のケロポンも死んでしまった。
 慰めてくれるものがいなくなったぼくは、学校にいかなくなる。
 と、現れた奇妙な生き物は、自分をケロニャンヌと名乗り、死んだニャンヌとケロポンがぼくを心配して合体して出てきたのだという。
 ネコとカエルの合体した生き物って・・・。
 無茶な発想が心をくすぐります。

『カワと7にんのむすこたち クルドのおはなし』(アマンジ・シャクリー&野坂悦子:作 おぼまこと:絵 福音館書店)
 『いちじくの木がたおれぼくの村が消えた』、『ぼくの小さな村 ぼくの大すきな人たち』でクルディスタンの日々について描いた作者が、クルドの昔話を語ります。
 平和なクルドの村。王様は結婚式で怪しい男に呪われてしまいます。両肩から顔を出す二匹の蛇は、捧げ物を要求。やがてそれはエスカレートしていきついに子どもにまで及びます。刃物職人のカワは7人の息子に村の子どもたちを託し、村人とともに立ちがります。
 虐げられた人々の物語は、そのままクルドの歴史と重なっていきます。
 物語はクルドを知る一歩となります。
 アマンジ・シャクリーは以前ペンネームのジャミル・シェイクリーを使っていましたが(私はつい、シェークリーさんと言ってしまいますが)、これからはクルドの名前で書いていきます。

『世界の絶滅動物 いなくなった生き物たち1』(エレーヌ・ラッジカク&ダミアン・ラヴェルダン:作 北村雄一:訳 汐文社)
 主に人類によって絶滅した27の動物を全三巻で解説する絵本です。恐竜やドードなど有名な物は知っていますが、ここに出てくる動物たちのほとんどは知りません。見開きで一種類ずつ眺めていると、ああ、この目で見たかったって自然に思ってしまうでしょう。そういう気持ちが自然保護へと視線を開いていきます。

『おちゃわんかぞく』(林木林:作 いぬんこ:絵 白泉社)
 夫婦茶碗と子どもの茶碗を家族に見立てて、ちゃぶ台の上でミュージカル。汁椀もお箸も加わって大騒ぎです。アニメ的な自由度の高い展開が楽しませます。いぬんこは、濃いけれど、決して暑苦しくなく、さわやかな絵を提供しています。

『あなたをまつあいだに』(エミリー・ヴァスト:作 河野万里子:訳 ほるぷ出版)
 出産前の母親絵本。というと、生まれてくる命の大切さだとか、愛おしさだとか、あなたを愛してるだとかを思い浮かべますが、さにあらず。誕生を待ちながら様々な生き物の誕生を淡々と描いていきます。鳥も蝶も、季節も、それら全部に向けるまなざしが優しくなっていく。生まれる側はともかくも、それを迎える側は、新しい命を受け入れるわけですから、心にそのための隙間を空けておかないとね。

『ともだちになろう』(ミース・ファン・ハウト:さく ほんまちひろ:やく 西村書店)
 誰かと出会って、友達になって、遊んで、喧嘩して、退屈にもなって、といった時間が描かれていきます。描かれている生き物たちは、なにがなんだか、奇妙なのですが、「友達」ってキーワードで、みんな愉快になれます。真っ黒な背景に、自由な線と、自由な動き。文章だけではこれは無理。絵本の強さがわかる一冊です。

『やぎのしずかの しんみりしたいちにち』(田島征三 偕成社)
 「やしのしずか」新作です。今回は、「しんみり」です。しずかは何にしんみりしたか。どう、しんみりしたか。で、どう、いつもの一日に戻ったか。
 変わらぬ世界に、「しんみり」が入ってきたのです。
 荒井良二の惹句が的確。

『だいじなおとしもの』(サチナ・ユーン:作 三辺律子:訳 岩崎書店)
 森で子グマがうさぎのぬいぐるみを拾います。きっと誰かの大事なものなんだと考えた子グマは、森の木に貼り紙をしたり、掲示板に載せたりしました。けれど、なかなか落とし主は見つかりません。子グマは、うさちゃんといっしょに遊ぶようになります。ようやく落とし主が見つかって・・・。
 ヌクヌク絵本です。輪郭線も柔らかくて暖かくて、いいですよ、サリナ・ユーン。

『いばらひめ』『おどる12人のおひめさま』(エロール・ル・カイン やがわすみこ:やく 偕成社)
 ル・カイン作品がデジタルリ版できれいに再登場です。見開き一場面一場面が、やっぱり美しい。アニメーターにとってもあこがれの存在じゃないかな。
 そして、『三つのまほうのおくりもの』(ジェイムズ・リオーダン:文 中川千尋:訳)が初登場。

『きみへのおくりもの』(刀根里衣 NHK出版)
 赤が印象深い『ピッポのたび』で登場した刀根の日本版第二作です。今度は青。仲のよい白猫と黒猫が青い森を歩きます。青い湖で大切なものを釣り上げようとするのですが、いつもなんだか違う。黒は湖に潜っても見ますが見つからない。でも本当に大切なものは・・・? というぬくもり絵本です。イタリアでバレンタインデーにあわせて刊行された作品の日本語版です。
 深みのある色使いが今作もすばらしいです。

『よつごのこりす はるくんのおすもう』(西村豊 アリス館)
 やまねの写真絵本でおなじみの西村豊のリス写真絵本。子リスたちがすもうをして遊んでいるという設定で、彼らの仕草を見せていきます。すもうに見える写真がうまくはまっています。
 もちろんそれは見立てですから、気にせず楽しんでもOKです。

『ねっけつ! 怪談部』(林家彦いち:作 加藤休ミ:絵 あかね書房)
 怪談語りをするクラブ。先生ははりきっているのですが、部員のノリは今ひとつ。ほとんどテーマパークやお化け屋敷のつもり。
 校舎の見回りに行った先生は、あちこちで、なかなか本気度の高い生徒を発見。が、それは生徒ではなく本物のお化けでした・・・。
 創作落語ですので、もちろんオチがありますよ。

『みんなの修学旅行 広島・山口』(西別府元日:監修 小峰書店)
 事前学習用の解説絵本です。広島はもちろんこれだけでは足りませんが、とっかかりとして使えます。

『こねこがいっぱい にゃん にゃん にゃん!』(スーザン・メイヤーズ:文 デイヴィッド・ウォーカー:絵 福本友美子:訳 岩崎書店)
 子猫の仕草や行動のかわいさを、これでもかって位に展開します。絵がデイヴィッド・ウォーカーだし、もう万全。今猫を飼っていない猫好きには危険な一冊ですね。
 ああ、もう!
 犬好きの方には『こいぬがいっぱい わん わん わん!』もございます。

***
「青春ブックリスト」(読売新聞)

2013年度10〜12月

10月

私たちは四六時中現実世界とだけ向き合って生きていくことも可能です。しかし、それでは気が休まりません。悩んだり、疲れたりしてしまったとき物語は、それを忘れている時間を与えてくれます。あなたが知っているのとは別の風景や価値観を物語は提示し、動きのとれなくなった考えをリセットしてくれることもあります。
物語になぜそんな力があるかといえば、それが現実世界の様々な断片と、現実のルールには縛られない作者の想像力と、過去の物語から得たインスピレーションから成り立っているためです。
つまり、現実と完全に切り離されているわけではないけれど、それよりずっと自由な世界が展開でき、過去の知恵を参照することで目の前の出来事を客観化できるのです。
今日は、過去の物語から強くインスピレーションを受けている作品をご紹介します。
第一次世界大戦後のロンドン。オックスフォードで古代語を学んでいるジョンは、戦地から帰り、恩師の殺人事件に巻き込まれます。そこから始まる冒険ファンタジー『インディゴ・ドラゴン号の冒険』(ジェームズ・オーウェン:作 評論社)は、古今東西の有名な物語たちと次々にリンクしていきます。もちろんそれを知らなくても楽しめますが、もし気になる作品が出てきたら、この機会にそれらもぜひ読んでみてください。物語への扉が大きく開きますよ。ラストには現実とリンクする素敵な仕掛けがあります。これは最後まで読んでこその楽しみです。
『バウンド 纏足』(ドナ・ジョー・ナポリ あかね書房)は明朝の中国が舞台です。実の両親を亡くし、継母と義理の姉ウェイピンと暮らしているシンシンは召使いのように扱われています。この設定は、もちろんシンデレラ。最後に彼女が王子様と結ばれるところまで同じ。作者はよく知られたこの物語をベースにして、シンシンという女の子の知恵と勇気と優しさを描いていきます。何の努力もなしに幸せをつかむシンデレラストーリーではなく、自分の力で人生を切り開く新たなシンデレラストーリーへと書き換えられたこの物語は、あなたへのエールにもなっています。


11月

子ども時代は親を親としてしか見ていません。優しい、五月蠅い、気持ちをわかってくれる、わかってくれないなど色々あるでしょうが、自分をまだ子どもだと思っている限り、彼らの役割は親であることだからです。
ところがYA時代に入ると、物事を自分で決定したい欲求が高まり、体も精通や初経が示すように大人化していきます。親が百%筋の通ったことを言っているわけでもないのに気づいてきます。
これはとても健全な変化です。しかし、親を親としてしか見ない発想はなかなか捨てられません。誰だって自分は変わりたいけど近しい人には変わって欲しくない。すると、自分を大人として扱って欲しいけど、彼らには親として振る舞って欲しい(つまり、自分を子どもとして扱って欲しい)となりますから、あなたが一体どうして欲しいのかがわからず親は混乱します。YA時代のあなたの反応に、親が戸惑い、時には怒ってしまうのはそのためです。
子どもの前では気丈であったり、ええ格好していたりはするけれど、親もあなたと同じように欲望も、恐れも、戸惑いも抱え、悩んで生きている。この当たり前のことを親があなたにさらけ出し、あなたもそれを受け入れるのは、お互い少し気恥ずかしく、時には痛い過程ですが、そこを超えれば家族関係は快適になりますよ。
今日は、親を人として見つめる物語です。
『わたしは倒れて血を流す』のマヤは両親が離婚していて父親と暮らしていますが、今日は母親と会う日。学校で親指の先を思い切り切ってしまい大変だったのに、母親が見つかりません。でも新しい恋人ができた父親には話したくない。マヤは父親が父親でないことにいらだっています。でも、母親もマヤを置いて失踪してしまいました。果たしてその真相は?
『木曜日は曲がりくねった先にある』のミズキは中学受験に失敗し、心を閉ざして生きています。入部した理科部で幼なじみのカナトと再び親しくなるのですが、彼は普通の人とは違う感覚で物事が見え、感じてしまう能力の持ち主でした。カナトと親しくなっていくことで世界のとらえ方が変わっていくミズキ。中学受験が自分ではなく母親の欲望であったことを自覚した彼女は、母親にそれを告げるのでした。親ではなく人として扱われた母親はどう歩んでいくのでしょうか?

12月

先日、世界経済フォーラムが今年の「世界男女格差報告」を発表しました。調査した一三六カ国のうち、日本は一〇五位。ずいぶん低いですね。日本には「夫が仕事、妻は家で家事と子育て」という性別役割分担意識がいまだに根強いために女性が社会進出しにくく、進出しても職場での地位が低く、収入が少ないためです。たとえば人事院調べによる平成二一年度「女性国家公務員の採用・登用の現状等」を見ると、本省課室長担当職の女性の割合は二・二%。
仕事は大事ですがそれは男性の特権ではありません。子育てや家事は大事ですがそれは女性の特権ではありません。それらは性に関係なく営まれるものです。
日本が変わるには、男性の意識改革が必要ですが、そのために女性もまた積極的に異議申し立てをしていく必要があります。
今日はその第一歩として、女の子の本を二冊。
『庭師の娘』は、十八世紀のウィーンが舞台。マリーは修道女になるための修行中ですが身が入りません。本当は父親と同じ庭師になりたいのです。しかし女の庭師なんて想像もつかない父親は耳を貸しません。偶然知り合った十歳のモーツワルトは、女王様のためのオペラを作曲中なのに、女だからと言うだけで、やりたいことに挑戦できないなんて! 幸い理解のある人が現れて、マリーに庭の一部を自由に任せてくれます。何という幸せ。何という充実感。その斬新的な庭を見た父親は怒りますが・・・・・・。女性の地位が今よりずっと低かった時代をぜひ覗いてみてください。そして彼女のガッツに触れてください。
『世界女の子白書』は物語ではなく情報本です。女の子といってもそれぞれ置かれている状況は様々です。国の違い、文化の違い、環境の違い、貧富の差。この本はそうした差を示しつつ、恋愛、学校、健康、出産、仕事、ファッションなどに関して、世界中の女の子の素顔を伝えていきます。女の子が自分自身を知り、そして今まで関心がなかったかもしれない国や文化の女の子たちとつながるためのスタート本です。男の子にとっては、女の子を知るためのスタート本です。そうして知識を増やして、笑顔も増やして、この社会の格差を減らしていってください。