207

       
【児童文学評論】 No.207
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊

西村醇子の新・気まぐれ図書室(12) 

2015年の絵本学会大会は、テーマ「『絵本』という交差点」のもと、5月末に東京工芸大学中野キャンパスで開催された。初日の午後の基調講演では、猪熊葉子氏は絵本学会であることを意識し、「絵本とは何か」という問いかけをまず意識すべきだ、と言われたことが印象に残った。このとき猪熊氏はOED(オックスフォード英語辞典)の絵本の説明を紹介し、記述にある、絵本とは「とりわけ子どものため」という表現が問題だと指摘した。確かに、猪熊氏ならずとも違和感を覚えずにはいられない。改めて言うまでもないだろうが、絵本でもクロスオーバー現象は起こっているし、大人向けの絵本も存在している。
スティーヴン・サヴェッジの『セイウチくんをさがせ!!』(評論社2015年4月)は、文字のない絵本だが、大人も楽しめるクロスオーバー絵本である。
ストーリーはいたって単純。動物園から逃げ出したセイウチを、動物園の飼育係らしき制服の男性が、捕獲用の網をもち、あちらこちらと探し回る。だがセイウチは巧みに周囲に溶けこんでいて、なかなかつかまらない。
そもそも、本の背をはさんでいる表裏の表紙がくせものである。一方の面は、カウンターに一列に座っている茶色の服の男たちのなかに、帽子に濃い紫色の服を着たひげの人物がひとり、お店の女性からコーヒーを注いでもらっている。ひっくり返すと、カウンターに一列に座っている茶色の服の男にまじって、帽子をかぶり、椅子に座ってお店の男性からコーヒーを注いでもらっているセイウチ。この楽しさ!
物語の本体でも、セイウチがマネキンや銅像になりきってみせるたびに、見るものは大人であれ子どもであれ、「これってかなり無理があるね」とか、「いいアイデアじゃないか」とかつぶやきたくなるし、ページをめくりたくなる。最後の落ちも納得の、センスのよい都会的な絵本である。

読み始めたらやめられなくなる本は、困りものだ。なにしろ普段の生活では読みたい本にばかり没頭するわけにはいかないからだ。荻原規子『あまねく神竜(しんりゅう)住まう国』(徳間書店、2015年2月)は、そういう1冊で、久しぶりに本にわしづかみにされ引き込まれた。だが読み終わったときに原稿を書く時間がなかったので、当初の思いが再現できるかどうか…。
1160年、源氏の統領の跡継ぎで数え年14歳の源頼朝(みなもとの・よりとも)は、流刑人として伊豆の地の豪族である伊東家に預けられた。だが、彼の命は風前のともしび。本人も生きる希望を失っていた。そこへ京から彼の乳母を名乗る女性が現われ、娘婿を名乗る若者を頼朝のおつきとして残していった。若者は武芸と笛に優れた草十郎(そうじゅうろう)。かつて、彼が笛を吹き、舞の名手糸世(いとよ)が舞ったことで、頼朝の命を延ばしたのだという。[同じ著者の『風神秘抄』参照]。女性からの高価な贈りものが効いたのか、頼朝の処遇を迷っていた伊東家は、北条の領主に彼を引き渡すと決め、頼朝は川の中州で暮らすことになった…。
物語の背景を説明しようとすると、歴史の本に聞こえるかもしれないが、実際には頼朝を中心にした歴史ファンタジーである。それもゆったりと展開する物語ではなく、頼朝が死と隣り合わせの日々が続くため、物語から目が離せなくなる。
それよりも気になるのは、頼朝のなかにいる(と聞かされた)白と赤の竜の存在である。その二匹の竜のバランスを見出せるかどうか。さらに頼朝の運命は土地神に受け入れられるかどうかも関わるらしい…。
この物語の何がよかったのか。まずキャラクターの魅力があげられる。悩める若き貴公子もさることながら、彼を助ける人々もそれぞれに興味深い。さらに、ヘビに関わる闇の中での戦いは圧巻で、迫力がある。伊豆という土地に根付いている信仰や伝承の活かし方も面白い。…本当はもっと挙げられるはずなのだが、書くまでに時間が経過し、当初の熱気を逃したことが、悔やまれる。
以下は『週刊読書人』2015年5月22日号5面からの再録。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『ファンタジーを書く――ダイアナ・ウィン・ジョーンズの回想』市田泉、田中薫子、野口絵美訳、徳間書店、2015年3月刊

本書には、英国屈指のファンタジー作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズが選んだエッセイや講演録、回想などが収録されている。彼女がどのような人物かを知らなければ、これだけで興味を持つのは難しいかもしれないが、本書は間違いなく、稀有な本なのである。
ジョーンズは深い学識と豊かな想像力をもちあわせた人物で、大人向けの小説も書いたが、おもに子どもを対象とした独創的な物語を多数発表した。2009年にガンを宣告され、2010年には余命数か月となった。アイデアが豊富で新たな挑戦を続け、これからも旺盛な執筆活動を続けたはずのジョーンズ。その作家になされたガン宣告がどれほど残酷だったかは想像に難くない。
このときエージェントが提案したのは、これまでの手書き発表原稿を整理し、英国ニューカッスルの「セブン・ストーリーズ」(児童文学専門図書館の一種)へ寄付することだった。ジョーンズはそれに応じ、同時に本論集を置き土産とすると決めたのである。勇気あるこれらの行動のおかげで、本書は読者にとっては尽きせぬ喜びと発見をもたしてくれる宝庫となっている。
収録されているのは、時期も聴衆も、あるいは依頼されたテーマもさまざまな発表原稿であり、考え抜かれた内容が平易な言葉でそして旺盛なサービス精神を示しながら語られている
ファンタジー作家ゆえの呪いというべきか、ジョーンズは自作に書いたことが現実に起こる体験を何度もしている。また、旅行のたびに不運に遭遇する「トラベル・ジンクス」も多く、それらをアネクドートとして利用している。このスタイルには欠点もあって、複数の項目に微妙に異なる重複エピソードが登場する。子ども時代の経験も同様に言及されている。ただ彼女の妹たちの思い出とは異なる内容もあるという。これについては文芸評論家となった息子コリンは、母ジョーンズが「そのように記憶する必要があったのだろう」(三三四頁)と述べている。作家の記憶が内面化で変容した事例だと思われ、興味深い。
とはいえジョーンズの真骨頂は、創作をめぐる考察と発言の数々にある。それも長い間に少しずつ論を深めている。一例がヒーロー論で、「ヒーローの理想」ではおもに子ども期に出会った神話や伝説から学んだ二種類のヒーローについて、また講演「ヒーローについて」では、ヒーロー(主人公)と物語の関係が掘り下げられている。
もうひとつ見逃せないのが、時代の影響を考察している論考で、それらはそのまま鋭い文化批評になっている。ファンタジーは子ども専用だとか、子どもの本は深刻な「問題」を扱うべきだといった、いわれなきルールがはびこると、ジョーンズはそれらを回避する方法を探ったという。ジョーンズ自身、女の子を主人公にしてもいいと感じたのは、フェミニズムの浸透を感じてからだったと認めている。
子どもの本を書くことの責任を痛感していただけに、ジョーンズは責任の誤用を痛烈に批判する。たとえば子どもが想像力を働かせると、現実と区別がつかなくなるといった展開の物語はとんでもないと述べる。それどころか、「もしも・・・たら」と考え抜くことで、困難な問題解決への糸口が見いだせるのだという。そのほか、質問への回答形式で自分の創作過程を分析した論などもあり、創作に関心をもつ読者への贈り物となっている。
最後に本書の構成を紹介しておく。前書きは、ファンタジー作家のニール・ゲイマンの「序文」、ブリストル在住で研究者でもあるチャーリー・バトラーの解説、それに「著者前書き」の三種類。二段組みの本体は二部に分かれている。第一部はジョーンズの評論やエッセイ、講演録。第二部は1988年の「自伝」、チャーリー・バトラーとジョーンズとの対話、ふたりの息子から見た母ジョーンズ考、である。原書の索引の代わりに、読者への便宜をはからい、本文中に登場する作品および翻訳に関する情報が補われている。
西村醇子(にしむら・じゅんこ)

以下、三辺律子です。
―――
優等生vsアウトロー

 子ども時代の私は、見る目がなかった。
 のび太より出来杉くんだったし、バカボンよりハジメちゃんだった。よっちゃんよりすみれちゃん(『魔法使いサリー』)で、ピッピよりもアンニカ(『長くつ下のピッピ』)、ハックよりもトム(『トム・ソーヤの冒険』)。つまり、優等生が好きだったのだ。
 そんな小学生だった私の心をわしづかみにしたのが、ルーク・スカイウォーカーだった。
 その日、私は母に連れられ、『キタキツネ物語』を観にいった。ところが、映画館は満員。それで、泣く泣く(本当に泣いた)、となりでやっていた『スター・ウォーズ』を観た。そして、まさしく運命の出会いを果たしたのだ。
 英米の物語ばかり読んでいた西洋かぶれの私は、まずルークの金髪碧眼の王子さま的ルックスにやられてしまった。あの中世風の衣装もよかった。これも、当時好きだったファンタジー文学の影響だろう。だから、ルークが、実は伝説のジェダイの騎士の息子であり、フォース(見えないエネルギー)を操る特別な才能がある、という設定も、たまらなかった。
 かっこよくて、才能もあって、出生の秘密があり、最後は劣勢のチーム(=反乱同盟軍)の味方となって、姫を助け、強大な敵を倒す。完璧。かくして、ルークは私のアイドルとなった。
 それに比べ、相棒のハン・ソロは、子どもの目にはただのおじさんで、ならず者の密輸人だし、反乱同盟軍に味方することにしたのもお金のためという、あるまじき存在だった。
 だから、続編『帝国の逆襲』で、ルークの留守中(惑星ダゴバでヨーダに、特訓を受けていた)、ハン・ソロとレイア姫が恋仲になってしまった時は、本当にショックだった。主役のアイドルはお姫さまと結婚することに決まってるのに! 私は裏切られた気持ちでいっぱいだった。その後、ルークとレイア姫が兄妹だったことが発覚しても、ごまかされたとしか思えなかった。
 そんな私も大人になり、今ではハン・ソロの有名なセリフ、I know(レイア姫に「好き」と告白されたときの返事)にときめく一人だ。のび太の優しさや、バカボンの破天荒さや、よっちゃんの健気さや、ピッピやハックの自由さを「見る目」も備わった。でも、子どもの私が、社会の枠組みに収まらない彼らでなく、優等生を選んでいた気持ちも、よくわかるのだ。そのころ、私はしょっちゅう学校で叱られていた。自分がいつ枠組みからはじき出されるかわからないという時に、アウトローたちに憧れる余裕などなかったのだ、と。
 断然アウトロー路線になった今でも、子ども時代特有のときめきと不安を思い出させてくれるルークだけは、永遠のアイドルだ。
(小説すばる 2015.7月号)

【追記】
 自慢がある。上のエッセイに書いたように「私はしょっちゅう学校で叱られていた」と言うと、みなさん驚くのだ。実際、小説すばるの編集者の方も「意外です」とおっしゃっていた。
 そういえば、仲のいい友人たちにも、「黙ってればA型に見えるから、黙ってた方がいい」とアドバイス(?)されている【注1:別に血液型占いは信じてません】【注2:ご参考までに。B型です】。
銀行に入社したときも、海綿(印紙とかの裏を濡らす、あれです)をトイレでジャブジャブ洗っていたら、先輩に「なんか繊細そうで、『トイレでなんて洗えません』って言われるかと思ってたわ」とクスッと笑われたこともある。
おとなしそうとか、お酒飲めなそうとか、サラダしか食べなそうとか。
つまり、私は真面目で繊細そうに見えるらしい(サラダは関係ないか)。以上、自慢。
でも、実際は、真面目どころか、毎日叱られていた。黒板の〈忘れ物した人〉コーナーでは常にトップ争い、掃除をさぼる、休み時間に騒ぐ、授業中も騒ぐ。担任の先生に「生れ変わらせる」とまで言われたこともある(けど、当時それもネタにしていた。K先生ごめんなさい)。そのあたりのことは、こちらに詳しい。
(191号 http://melma.com/backnumber_172198_5987522/)
そんな子どもだったらとうぜん、学校にいかなくていい自由奔放なピッピに憧れそうなものだけど、実際はそうではなかった。ピッピが常識から外れたことをするたびにハラハラして、ちっとも楽しめなかったのだ。でも、愛読書だったから不思議だ。思い返せば、アンよりダイアナだったし、ジョーよりベスだったな、と思う。そういう一見矛盾した自分の子ども時代を思うとき、子どもって一筋縄ではいかないなあとつくづく思う。

〈一言映画評〉第六回 三辺 律子

 すみません。今月は、たいへんせっぱ詰まっているという私事のため、以下二作の紹介となることお許し下さい。

『アリスのままで』
 若年性アルツハイマーを描いた本作で、主演のジュリアン・ムーアはアカデミー賞受賞。映画だと、アルツハイマーを患ったアリス本人を中心にストーリーが進んでいくが、原作『静かなアリス』(リサ・ジェノヴァ作、古屋美登里訳)では、それを受け止める家族のこともより詳しく描かれているのでお勧めです。

『チャイルド44 森に消えた子どもたち』
 これもトム・ロブ・スミスの原作(同名 田口俊樹訳)とともにお勧め。猟奇殺人がテーマだが、スターリン独裁下にあったソビエト連邦の息詰まるような描写が見事。

 ほかにもロイ・アンダーソン監督の『さよなら、人類』や、一家四人の悲惨なスキー休暇を描いた『フレンチアルプスで起きたこと』など、スウェーデン映画が、わからないを通り越して面白い。両方とも、たとえブラピやディカプリオや福士蒼汰が主演すると言っても、ハリウッドや日本では映画化されないだろう(きっぱり)。そんな映画が観たい人はぜひ!


以下、ひこです。

『マザーランドの月』(サリー・ガードナー:作 三辺律子:訳 小学館)
 スタンディッシュは成績が芳しくない。それは命にかかわることでもある。というのは、マザーランドでは、役立たない者や国家に楯突く、いや異論や疑問を持つ者は消されるからだ。権力に魂を売り、人を密告できる者だけが力を持ち、出来ない者たちは下層で生きるしかない世界。
 下層社会ゾーン7で暮らす彼はいじめられっ子でもあるのですが、彼を救ったのは、上層社会から脱落した一家の息子ヘクター。二人は親友となり、この過酷な社会で生きる。
 今、マザーランドで一番重要なイベントは月面着陸。他国より先にこれを成し遂げれば、世界は驚愕し、マザーランドがそれを支配するだろう。
 が、ひょんなことから、ヘクターたちは、月面着陸イベントの秘密を知る。そしてそれは、希望と絶望の始まりだった。
 ディストピアYA小説です。息苦しいほどの管理社会が描かれていますが、語り手のスタンディッシュがディスレクシアなので、見ることと語ることに秀でていて、この世界を活写することとなります。
 ラストが、もう。
 ディストピア小説なのに、架空世界に思えず妙にリアルなのは、小説が良くできていることだけではなく、今のこの国に生きているせいかもしれません。

『ちっちゃなサリーはみていたよ』(ジャスティン・ロバーツ:文 クリスティアン・ロビンソン:絵 中井はるの:訳 岩崎書店)
 体の小さなサリーです。それは人とは違う高さから色んな物や者を見ていると言うことで、彼女には花が踏みつぶされるのも、いじめも、知らない振りも、よ〜く見えて、そしてサリーは見過ごさない。勇気を出してみんなに呼びかける。仲良くしようよって。
 シンプルで強いメッセージ。

『希望のダンス』(渋谷敦志 Gakken)
 エイズで親を亡くしたウガンダの子どもたち。「Terakoya」は彼らの教育(他諸々)を支えるための施設。この写真絵本はそこに集う子どもたちが抱えている厳しい現実と、それでも見出す希望を伝えていきます。

『ガザ 戦争しか知らないこどもたち』(清田明宏 ポプラ社)
 ガザ。がれきの中で暮らす人々と、看護師や医師の姿を撮した写真絵本。語りは、国際パレスチナ難民救済事業機関保険局長の清田です。
 サブタイトル通り、ここで暮らす子どもたちは、戦争の中で育ってきました。それが日常であること。骨組みしか残っていない建物で寝起きする彼ら。それが日常であること。
 その風景を写真で見るだけでも、心に変化をもたらすでしょう。

『ロンと海からきた漁師』(チェン・ジャンホン:作・絵 平岡敦:訳 徳間書店)
これほど力強い作家はめったにいるものではありませんが、今作も圧倒されます。親を亡くしたロンは子どもながらも漁師としてがんばっています。そろそろ魚が少なくなってきたので、荒れる海へ漁に出ます。何か大物がかかった! とそれは骸骨。ロンは捨てますが、それは船に捕まってロンの家へ。
悲しげな骸骨にロンは乏しい魚やスープを与えます。すると、骸骨には肉がつき、大人の男に。彼も漁師で、遭難して海に沈んだのでした。
それから二人は一緒に漁にでるようになり、毎日大漁で、幸せな日々が訪れたのでした。
シンプルなのに、骸骨にすることで物語が大きく膨らんでいきます。
もちろん、絵の力がそれを支えている。
 すごい作家ですよ、全く。

『ぞうのなみだ ひとのなみだ』(藤原幸一 アリス館)
 スリランカで実際に起こった出来事を撮り、語ります。
 群れを作る象たちは、草を食むわけですが、ある親子が、稲を見つけて(もちろん、それが人間の作っている食料だとは知りません)、草のように食む。
 農民が防衛のために母親像を撃ち殺す。
 逃げていく子象。
 別に特殊な事件ではなく、年間二百頭が殺されます。残っているのは四千頭。
 たんぼで死んでいる母親像に触れる少女。
 哀しい写真。真実の写真。

『ジェーンとキツネとわたし』(イザベル・アルスノー:絵 ファニー・ブリット:文 河野万里子:訳 西村書店)
 五年生のエレーヌは学校でいじめられている。そんな彼女の心を支えるのは「ジェーン・エア」。だけど、自分がジェーン・エアのように凛として立てるとは思えないし、現実がこの小説のようにハッピーエンドになるはずもないのはわかっています。
 そんなエレーヌが友達となれそうな少女に出会っていく様が、無駄のない文章と、切れのいい画面で描かれていきます。
 絵本でもなく、マンガでもなく、小説でもないちょうどいい塩梅の文と絵のコラボ。

『あなたこそ たからもの』(いとうまこと:ぶん たるいしまこ:え 大月書店)
 憲法の意味と意義を、絵本で伝えます。「こじんのそんちょうは、けんぽうのだいじなねっこ」。「つよくて、ちからのあるひとたちにつけたブレーキ。それが、けんぽう」。「けんぽうがひつようなのは、よわいがわにいるひとたち」。

『30000このすいか』(あきびんご くもん出版)
 あきびんご、新作です。
 畑には30000個のすいか。自分たちが食べられてしまうと知った彼らは、畑から逃げ出します。大移動です。
 海に浮かぶ、あのお日様の元へ行こう。
 ガケから落ちて割れるスイカたち。その香りに誘われて様々な動物がやってきますが、赤い果実は大きな唇になって・・・・・・。ここからは、めいっぱい、作者の世界です。
 この自由さをお楽しみください。

『たびにでた ファルガさん』(チトラ・サウンダー:文 カニカ・ナイル:絵 長谷川義史:訳 光村教育出版)
 農場は動物の声でうるさくてしょうがない!
 ってことでファルガさん、牛に引かれた荷車で出ていきます。と、乗せて欲しいと次々と人が・・・。なんだかちっとも静かではなくなってきたぞ・・・。
 どうしましょう?
 生き物や自然の音って五月蠅いの、ファルガさん。
 ほんわかゆかいなお話です。

『かき氷 天然水をつくる』(細島雅代:写真 伊地知英信:文 岩崎書店)
 すてきな「ちしきのぽけっと」シリーズ最新作です。
 今回もいいです。
 伏流水を使って、氷池で氷を作るお仕事を紹介しています。自然水を自然に氷らせて夏まで保存。そんなお仕事がまだあったのだ。
 気温がかわって白い氷になったら、もう一度最初からやり直し。
 丁寧に作られた氷は、それはもうおいしいそうだ。
 そういえば半世紀前には、氷屋さんは普通にあって、冷蔵庫って氷で冷やしていたなあ。
 貴重な仕事と、ゲンダイの毎日に新しい角度から光りを当ててくれてありがとう。

『ボルネオでオランウータンに会う ケンタのジャングル体験』(たかはしあきら:文 おおともやすお:絵 福音館書店)
 子どものためのボルネオ・ジャングルツアーを追体験する絵本です。
 出発から帰国まで、そしてなによりツアーの様子がリアルに描かれていきます。
 いくら大人がいるとはいえ、ぼこっと、ジャングルに入っちゃった子どもたちは、自然と対峙し、自然に溶け込んでいく。そこは日常とは違う世界ですが、生き物たちを探し、見つけ、観察するツアーですから、アナログなリアルさに満ちていて、帰国した子どもたちの心の支えになったことでしょう。

『ごはん』(平野恵理子 福音館書店)
 もう、ありとあらゆるご飯ものが描かれています。まめごはん、かやくごはん、パエリア、カレーライス、やきおにぎり、おちゃづけ・・・・・・。
 よくもこれだけ、よくぞこれだけ。
 たべたことがないのは、一つだけでした。
 これを眺めた後、同じ作者の『和菓子の絵本』(あすなろ書房)をいただいて、ごちそうさま。

『ことりのみずあび』(マリサビーナ・ルッソ:作 なかがわちひろ:訳 徳間書店)
 大嫌いな雨があがって、小鳥は大好きな水浴びをしようと水たまりを探します。町中を飛び回り、やっと見つけた。ところが、小鳥さん、恐がりなもので、水浴びの最中、何かがやってきた気配を感じると逃げます。転がってきたボール。水たまりで遊び子ども。いったいいつになったら、ゆっくり水浴びができるのかしら?
 水浴びは楽しい! 逃げる。の繰り返しが楽しいリズムを作ります。
ちょっと恐がりな子どもの共感を呼ぶでしょう。

『にちようびの森』(はたこうしろう:さく ハッピーオウル社)
 様々な年齢の子どもたちが川遊び。魚もカエルもカニもいて、日差しがキラキラ反射して。楽しい遊び場。ところが川が汚れて遊べなくなった。子どもたちはめげない。それなら小川だ!ザリガニ、メダカ、ドジョウ。びしょぬれになって遊ぶ。ところが小川は側溝に変わってしまう。それでも子どもはめげない。田んぼで遊ぼう! トンボ採りだ。ところがある日、田んぼは住宅に・・・。それでも子どもはめげない!
 はたは、この国の時間の流れ、失われていく自然を、こうして絵本に描いていきます。その時間を忘れないために。

『イーラちゃんとあめふりピアノ』(しまだともみ 偕成社)
 いつもイライラ、イーラちゃん。前作では王様になりたいって思ってましたが、今作では楽しくピアノを弾いています。するとカエルの王様がやってきて、頼み事。カエルの国にあるあめふりピアノ。ところが王様ピアノが苦手。そこで上手なイーラちゃんに来て弾いてもらいたおとのこと。もちろん行きますイーラちゃん。
 そこからの展開はお楽しみ。
 絵全体がリズミカルで、楽しくなってきます。

『ぼくたちねこなの ゆかいな8ぴき』(どいかや アリス館)
 どいかやさんが飼っている八匹のネコさんが次々と登場します。やんちゃ、おくびょう、元気、みんな個性一杯。幸せそう。心地よいリズムは「チリとチリリ」と同じです。
 ネコっていいなあ。いいなあ。

『あかちゃんのための認識絵本 はじめてのことば』(ポプラ社)
 イギリス発の認識絵本。「うわぎ、くつ、シャツ、くつした、ずぼん、かお、いえ」と自分自身から家の中、そして、「き、とり、たいよう、くるま、かさ」と外へと広がっていく言葉です。
 右下には最後のページにつけてある鏡が、開けられた穴から常に見えるようになっていて、絵本をのぞき込む自分の顔が映ります。
 下の部分には、プラスチックのおもちゃ。触れば音が出ます。
 興味を引きつけることと、シンプルな言葉とはっきりした絵で認識というのはわかるのですが、「うわぎ」と言われても、あかちゃんにわかるのかな?

『島は山のてっぺん!? 島の地形』(長嶋俊介 徳間書店)
 「ビジュアル地形案内3」です。日本列島の水を取ったらどんな風景が浮かび上がるか。
 日本は島だらけですから、様々な地形があります。あ、これリアス式やったんやとかね。
 自分が「島」という概念でとらえていなかったこと、「島」の知識がないことがよくわかりました。

『ふたごのゴリラ』(ふしはらのじこ 福音館書店)
 めずらしく生まれた双子のゴリラ。仲良しですが、喧嘩もするに、嫉妬もします。そんな彼らの毎日を、ゴリラ一家の生活の中で描いていきます。
 写真ではとらえられない生き生きとして表情と仕草をお楽しみに。

『どんなきもち?』(ミーシ・ファン・ハウト:さく ほんまちひろ:やく 西村書店)
 『ともだちになろう』の姉妹編。「わくわく」、「ドキドキ」、「もじもじ」、「びっくり」など、様々な気持ちを魚たちの表情とともに描いていきます。クレヨンによる輪郭線が表情豊かに、「気持ち」を描いていきます。こうして絵にされると、気持ちを外に出すことへの勇気がわいてきますよ。