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【児童文学評論】 No.212 http://www.hico.jp 1998/01/30創刊 以下土居安子。 ◆ぼちぼち便り *作品の結末まで書かれています。 今回、読書会で取り上げた本は、『ルーシー変奏曲』(サラ・ザール/作 西本かおる/訳 小学館 2014年2月24日 The Lucy Variations. 2013年)。16歳のルーシーが、祖父や家族の重圧から逃れるためにピアニストとしての道を捨てる決心をしながらも、弟のピアノの先生であり、かつて自身も天才ピアニストの卵として注目されたウィルとの出会いによって再びピアノを弾き始めるまでを描いた作品です。 才能を期待されるルーシーの苦しみや、ウィルに対する恋愛感情などがしっかりと描かれているという指摘や、音楽になぞらえて第一組曲〜第四組曲と題された構成が巧みであるという意見が寄せられる一方、きらびやかすぎる世界である、大人の描かれ方が物足りないなどの意見も出ました。 私がこの作品に興味を惹かれたのは、ウィルの描かれ方でした。よくある児童文学作品では、葛藤を抱えた若者の前に現れる救世主は、状況を冷静に判断し、若者を導く安定感のある大人として描かれていますが、この作品では、ウィル自身が生きる不安を抱える一人の人間として描かれています。つまり、ウィルがルーシーに再度ピアノを弾くことを薦めたのは、ルーシーのためというより、かつて失った自分への注目を取り戻すという目的があったということが結末近くで明らかにされ、また、ルーシーもそのことに気づくのです。 そして、ルーシーがピアノを離れるきっかけが、コンクールで舞台に上がる直前に祖母が死に近づいていることを知って棄権したという状況と重なるように、ルーシーがウィルの本心を知るのは、棄権から初めて人前でピアノを弾く直前になります。しかし、ルーシーは今度は逃げだすことなく、予定されていたのと異なる曲を弾くことで、自分自身の中で決着をつけます。 よく読むと、威圧的な祖父、ルーシーと同じ道を途中まで歩みながら才能がないと言われ、ピアノから離れた母、音楽とは全く関係ないながら、祖父の事業やルーシーたちを支える父、ピアノを弾き続けている弟、ルーシーを見守っている料理人のマーティンなど、ルーシー、ウィル以外にも個性的な人物が登場しますが、もう少し踏み込んで描かれていれば、それぞれの人物をより深く理解できるのではと思ったのは事実です。 大人も子どもも不安を持ちながら、自分で道を切り拓いていくしかないというメッセージは現在の社会に生きる子どもたちにとって、とても意味のあることだと思って読みました。 <大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ> ● 第15回国際グリム賞 贈呈式・記念講演会 を行いました。 現在でも引用されることの多い『絵本論』を書いたペリー・ノーデルマン博士(カナダ ウィニペグ大学名誉教授)が、「わが著『絵本論』を超えて−絵本と絵本研究の過去・現在・未来」と題して講演されました(通訳は松下宏子さん)。『絵本論』で述べたことを簡単にまとめられた後、今、『絵本論』を書くなら、マンガの手法や絵本アプリを視野に入れなければならないであろうと述べられました。内容は、当財団の「研究紀要」28号(英語、日本語とも、2016年3月末発行予定)に掲載されます。 http://www.iiclo.or.jp/m2_outline/05_topics/syusai.html#151121 日 時:平成27年11月21日(土)午後1時30分〜4時30分 会 場:大阪国際交流センター(大阪市天王寺区上本町8) 主 催:一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団/一般財団法人 金蘭会/ 大阪府立大手前高等学校同窓会 金蘭会 ● 大阪府立中央図書館 国際児童文学館 展示とイベント 「酒井七馬とその時代」 関西マンガ界の伝説とされ、マンガ家・アニメーター・街頭紙芝居作家と様々な顔を持つ酒井七馬。その生誕110 年を記念し、資料展示と街頭紙芝居実演・講演会を開催します。 ◇ 資料展示 期 間:開催中〜12月20日(日) 休館日あり 会 場:大阪府立中央図書館 1階 (東大阪市荒本) 共 催:京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター 協 力:中野晴行・渡辺泰 ◇ 街頭紙芝居実演 演 目:『鞍馬小天狗』ほか 出 演:塩崎おとぎ紙芝居博物館 紙芝居師 日 時:平成27年12月12日(土) 午後1時〜1時45分 会 場:大阪府立中央図書館 2階多目的室 (東大阪市荒本) 参加費:無料 申込み:不要 ◇ 講演会 演 題:レジェンド 酒井七馬と昭和の大阪まんが 講 師:中野晴行(京都精華大学 客員教授) 日 時:平成27年12月12日(土) 午後2時〜4時 会 場:大阪府立中央図書館 2階大会議室 (東大阪市荒本) 参加費:無料 申込み:事前申込要 共 催:一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 協 力:一般社団法人 塩崎おとぎ紙芝居博物館 * 以下、三辺律子です。 『アンダー、サンダー、テンダー』 チョン・セラン著 吉川凪訳 (クオン出版) 84年生まれの著者が綴る、瑞々しい韓国青春文学。 「十代を過ごすというだけでも楽なことではないのに、世紀末に十代を過ごすというのは、いっそうきつい経験だった。絶望と無力感、悲観的展望が異常なほど私たちを覆いつくし、私たちはそれを忘れるためにやたらとピアスの穴を空けた(中略)ピアスの穴から空がのぞいていた子たちは今、どうしているだろう」 物語は、映画美術の下っ端の仕事をしている三十代の「私」が、カメラに撮りためた動画を観ながら、田舎町坡州ですごした高校時代をふりかえる形で綴られている。登場するのは、同じバスで通学していた6人。自分で「ミュウミュウ風のマントを編んで」着ていたおしゃれなソンイ、子豚みたいに太って成績の良かったチャンギョム、暴力が日常化した家庭で育ったスミ、そのスミに「家族だからといって、必ずしも愛する必要はない」とアドバイスした、高校きっての「王子さま」ミヌン。「玄関から奥まで本棚がずらりと並んで」いる家に住んでいたジュヨン。そして、国境近くのビビンククス(ビビン麺)屋の娘だった「私」。 初めてジュヨンの家にいったとき、「私」は「読むことのできない本、手にしたことのない文化に対する渇望」を感じる。だから、ジュヨンの兄ジュワンと、洋楽を聴いたり、ホームシアターで映画を観たりするようになったのは、自然な成り行きだった。「ポール・マッカートニーとロジャー・テイラーを混ぜたような顔」の繊細で知的なジュワンに、「私」はほのかな恋心を抱くようになる。 「私」の初恋。ソウルから二時間なのに「異国」のような坡州からなんとか抜け出したいという少年少女たちの願い。それらは、時に悲しい結末を迎えるけれど、物語から醸される雰囲気はふしぎと瑞々しい。 それは、「私」たちの青春時代を、読者もまた、動画という形で「レンズを通して」見るからかもしれない。好きだった絵本(バーパパパ・シリーズ)、好きだった写真集(リンダ・マッカートニーの写真集)、好きだった音楽(デビット・ボウイ)、好きだった映画(『ザ・ロイヤル・テネンバウム』『ムーンライズ・キングダム』『ゾンビランド』……)。タイトルの『アンダー、サンダー、テンダー』は、「私」が動画に付けたファイル名からきている。「アンダーエイジ、サンダーエイジ、テンダーエイジ」―――無防備で傷つきやすく、やわらかい十代という時代を、この本は鮮やかに描きだしている。(三辺律子) 〈一言映画評〉*公開順 『コードネーム U.N.C.L.E.』 『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』―――が断然好きだけれど(←わたしが)、たぶん『シャーロック・ホームズ』の監督といったほうが今はぴんとくるであろうガイ・リッチーが監督。東西冷戦下、テロを防ぐためにCIAとKGBのエージェントが協力することに。もちろん、いわくつきの美女も登場、カーチェイスもあり、往年のスパイ映画の設定・小道具を存分に楽しめる一作。 ちなみに、ガイ・リッチーと組んでいたマシュー・ヴォーンが監督したのが『キングスマン』です。 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』 雑種犬に税を課すという法が施行された世界を舞台に、少女リリと飼い犬ハーゲンの冒険を描く。捨てられたハーゲンの苦難の旅は、児童文学の名犬もののストーリーのようだが、ハーゲンが捨て犬たちのボスとなるころから、映画の雰囲気ががらりと変わりはじめる。この物語は、現代社会のメタファーなのだ。最後の場面は圧巻! 『ハッピーエンドの選び方』 一見楽しげなタイトル(とポスター)だが、老人ホームを舞台に安楽死という重いテーマを扱ったイスラエル映画。認知症、延命治療、尊厳ある最期、などの問題を、ユーモアを交え、軽やかに描くが、結末はさまざまな議論を巻き起こすにちがいない。 『サンローラン』 イヴ・サンローランの伝記的映画「第二弾」はボネロ監督版。サンローラン財団の公認だったレスペール監督版より、さらに退廃的ムード濃厚(レスペール版も公認とは思えないほど踏み込んだ内容だったと思うけど)。150分以上あるのに、見入ってしまう。 『リザとキツネと恋する死者たち』 日本好きの監督が作ったハンガリー映画。でも、ハリウッドにあるような日本"的"映画とはぜんぜんちがって、「トミー谷」なる昭和歌手の幽霊(その実**)や、那須の九尾の狐伝説が登場、キッチュな遊びに溢れている。とにかく最高にへんてこ(誉めてます)。ちなみに、メーサーロシュ監督の好きな日本の曲は『ルパン三世』リミックス、東京ビートルズ、『笑って許して』。 『あの頃エッフェル塔の下で』 長いあいだ祖国を離れていた人類学者が、母親の死、ソ連への冒険の旅、故郷での初恋などを回想する形で綴られる。奔放で美しい少女との若く、甘く、激しく、苦しい恋が、いかにもフランス映画的(←あくまでわたしの勝手なイメージ)。 『ヴィオレット?ある作家の肖像?』 私生児として生まれたヴィオレットが、母との確執や、容貌や才能に対するコンプレックスを抱えつつ、小説を書きつづけるさまを描く。彼女を支援したボーヴォワールとの関係や、カミュやサルトル、ジャン・ジュネの活躍も描かれ、戦後のパリの息吹を感じることができるのも魅力。 * 以下ひこです。 『オンネリとアンネリのおうち』(マリヤッタ・クレンニエミ:作 マイヤ・カルマ:画 渡辺翠:訳 福音館書店) アンネリの両親は別の家に住んでいて、なにやらマイペースに生きている人たちで、参観日もお相手が学校に行くと思っていて現れません。でもまあ、慣れっこだからアンネリは。親友のオンネリは九人兄弟のちょうど真ん中で、上の子たちからも下の子たちからも相手にされず、なんだか居場所がない。 そんな二人が拾った封筒には大金が入っていて、警察に届けます。彼女たちにとってはお金なんかいらないものなのです。それでも落とし主のないお金を手に入れてしまった二人はお屋敷を買って暮らすことに。 という、子どもにとって楽しい展開のお話です。ここには大人が考える子ども専用の道徳心などなく、二人の楽しくあろうとする思いが大人を変えたりします。 半世紀前の作品ですが、むしろ新しい。 『木を植えた男』(ジャン・ジオノ:作 寺岡 襄:訳 黒井健:絵 あすなろ書房) 四半世紀前のベストセラーが黒井の絵を得て再刊です。 実話ではなく創作ですが、実話のように読みたい人が多かったなあ。 『北風のうしろの国』(マクドナルド:作 脇明子:訳 岩波少年文庫) 児童文学、古典中の古典が新しく登場です。冒険ファンタジーの基本。 十九世紀作品が、荒唐無稽というでなく、結構シビアであったりするのが確認できます。 『ここで土になる』(大西暢夫 アリス館) 熊本県五木村頭地地区田口。半世紀前、宿もあるほど賑わっていたこの村を流れる川辺川の上流にダムを建設する話が持ち上がり、反対していた人々も上の村へと移動します。そんな中、尾方さん夫婦だけは残ります。 この村には大きな銀杏の木があり、その洞で即身仏となった安心和尚の伝説を持っています。尾方さんたちはその木とお墓をお守りしたいと思っていたのでした。 その銀杏の木も移転することとなり枝が落とされ根っこも切られたとき、尾方さんも移動を決意します。が、ダム建設は中止。 残ったのは尾方さんたちしかいない壊された村と、人間に切られ、銀杏も実らなくなった老いた木。 移転開始の頃から取材に入っていた大西は、生き抜く銀杏と尾方さんたちをとり続けて、この写真絵本が出来ました。 そこに言葉を添える必要はありません。大西が記録したその銀杏と尾方さんたちの表情を眺めているだけで、様々な思いがわき起こります。怒りも、むなしさも、悲しみもありますが、そこに生きる物と者の力も感じ取る事が出来、希望もわいてきます。 写真の持つパワーが伝わります。 大西暢夫の重要な仕事の一つとなるでしょう。 『オニのサラリーマン』(富安陽子:文 大島妙子:絵 福音館書店) オニのおとうちゃんが主人公です。ふと考えてみると、オニのおとうちゃんって発想はすごいです。そりゃあ、大昔からいたんでしょうけど、「このオニ、お子さんは何人かな? 独身かな?」なんて考えたことはありませんでした。 で、おとうちゃんは仕事場へ。地獄であります。 血の池地獄でお仕事ですが、だから怖いことしているのですけど、なんかおかしい。怖い所なのになんかおかしいのが、なんか怖い。でもおかしい。 おとうちゃんの実直さがなんともよくて、これは大島妙子の画力ですね。 『世界一おもしろい数の話』(カリーナ・ルアール&フロランス・ピノー:文 ジョシャン・ジェルネール:絵 南條郁子:訳 ポプラ社) 私たちは数字なしでは生きていけません。数字は暮らしの中に溶け込んでいて、それをどう使いこなすかで、心地よさは変わってきます。足し算と引き算を知る。その後かけ算と割り算を知ると、一気に便利になると同時に世界の見え方が変わってきます。 この本は、数字や数式が冷たい物ではなく美しい物であることを妥協なく、でもわかりやすく伝えています。 美しい。 『ちいさな かいじゅう モッタ』(イヴォンヌ・ヤハテンベルフ:文・絵 野坂悦子:訳 福音館書店) おにいちゃんが六人。みんな存在感があって、モッタは自分の場所がみあたりません。お兄ちゃんたちの遊びをまねて、驚かそうとしますが、誰も驚いてくれない。色々やるけど、やっぱり驚いてくれない。悲しい。 ところがついにモッタは……。 鉛筆で力強く描いたモッタたちがとっても印象的。イヴィンヌが楽しそうに作品を作っているのが伝わってきます。 『つきよのふたり』(井上洋介 小峰書店) 月の光のもと、色んな仲良しが描かれます。なまずとやなぎ。ゆうびんポストと自転車。コウモリガサと物干し。どうして彼らが仲良し? 考えてもいいし、考えなくてもいいです。 仲良しなんだからそれでいい。 井上洋介からのプレゼントですよ。 『ミクロワールド大図鑑 植物』(宮澤七郎:監修 医学生物学電子顕微鏡技術学会:編 中村澄夫:編集責任 小峰書店) 私たちは物をその外形で判断することが多いのですが、電子顕微鏡は私たちがそれに抱いているイメージとは全く違う姿を見せてくれます。 固定されてしまっているイメージを覆すミクロの世界。 個々に採り上げられた写真を見ていて飽きないのは、自分の固定観念が柔らかく解きほぐされていくからでしょう。 イチゴ、すごい。 『おじいちゃんのコート』(ジム・エイルズワース:文 バーバラ・マクリントック:絵 福本友美子:訳 ほるぷ出版) イディッシュ語による民謡を元にした移民の家族のお話です。 身一つでアメリカに渡ってきた青年が仕立屋になり、結婚式のために自分のコートを仕立て、月日が流れ傷んだコートをジャケットに仕立て直し、月日が流れ痛んだジャケットをチョッキに仕立て直し、月日は流れ……と続きます。 そうして家族の歴史を描いていく。 この話にマクリントックほどふさわしい画家はいないでしょうね。 暮らすこと、生きることの手触りを、こうした作品を通じて確認しておけば、そこを奪おうとする政治への敏感なアンテナが育つでしょう。 『飛行士と星の王子さま サン・テグジュペリの生涯』(ピーター・シス:文・絵 原田勝:訳 徳間書店) 『星の王子さま』の作者として名高いテグジュペリではありますが、生前はパイロットとして郵便飛行の最初から関わり、同時にその体験と思索から生まれた作品群で世界的に人気がありました。『星の王子さま』はフランスを脱出して暮らしていたアメリカで最初に出版されています。 シスはこの人物を描くに辺り、その作家である部分を突出させることなく、まるで年譜のように事実を並べながら、生の彼を伝えようとしています。 まあ、画面、画面のその構成、その工夫、そのアイデアの素晴らしいこと。 伝記絵本の傑作です。 『世界 冒険アトラス』(レイチェル・ウィリアムズ:文 ルーシー・レザーランド:絵 徳間書店) 自国にだけ興味を持ったり、他国からの自国の高評価だけしか見なかったりするのは、偏った情報だけで生きているから、健康によろしくない。 この大型絵本は世界中の行ったらおもしろいかもって場所を31箇所紹介しています。人捜しゲームにもなっていますので、楽しく世界旅行ができるわけ。 日本からは長野県の地獄谷がセレクトされています。 『ふたごのひつじ ポコとモコ』(市原淳 ポプラ社) ふたごだから似ているのですが、一人一人だから違ってもいます。似ていることと、違うこと。 仕掛けも使って市原は楽しくそれを示していきます。 違うから楽しいってね。違う二人だから楽しいってね。 『じどうしゃトロット』(イリ・シュルヴィッツ:さく・え 金原瑞人:やく そうえん社) お、シュルヴィッツの新作だい! トロットは小さな自動車。砂漠で出会った大型の働く車たちに馬鹿にされ、レースをすることに。 なめられているトロットですが、そこは小型車、岩やサボテンといった障害に苦労するトラックたちを尻目に一番だ。 小さくても頑張れば云々なんてことをシュルヴィッツは言っているわけではなくて、トロットのマイペースな生き方に共感しています。 『はね』(曹文軒:作 ホジェル・メロ:絵 濱野京子:訳 マイティブック) 一枚のはね。自分はどんな鳥のはねかはわからない。様々な鳥に問いかけるけでど、返事はノー。 空を飛んだ記憶。その自由。 ホジェル・メロは、曹の言葉を、はねと鳥たちを美しいデザインとレイアウトで、その思想をくみ取りながら描いていきます。 素晴らしい一品。 『カメくんとアップルパイ』(浜口智則 アリス館) サルくんの誕生日。みんなアップルパイの材料を持って行きます。カメくんはゆっくっりゆっくり歩きます。 カメくんが到着する前にみんなはアップルパイを作ってしまいました。カメくんの持ってきた物は? 幸せの絵本ですよ。 『ぱんつちゃん』(はまぐちさくらこ 岩崎書店) ぱんつの国のぱんつちゃんは、毎日勉強や遊びで忙しい。やがて家族の元を離れ、旅立つときが。そうです、かわいい子どもが履くぱんつになるのですよ。 そうか、ぱんつはそうしてやってくるのか。 『りゅうじんさまは歯がいたい』(関屋敏隆 ポプラ社) 全画面切り絵の、関屋渾身の絵本です。といえばなにやら堅苦しいですが、そんなことはなく、愉快な龍神伝説本に仕上がっています。 日照り続きは人間のみならずカッパにとっても大変。 そこでカッパの伝助が龍神様にお願いすると、なんと歯痛で仕事が出来ぬ。そこで虫歯を結わえた綱をみんなでひっぱる、ひっぱる。 といった調子で、太鼓の音でも聞こえてきそうな軽快なリズムで話は進みます。 切り絵の輪郭線がどこか暖かいのだ、この絵本は。 『タケノコごはん』(大島渚:文 伊藤秀男:絵 ポプラ社) 大島渚、戦時下の子ども時代を語った絵本です。「日本の国がケンカをしていたのですから、学校でもつよいことがいいことになっていました」。強い子の一人さかいくんは、弱い子のぼくを、守ってくれていましたが父親が戦死してから態度が変わりました。 先生も招集され、その時さかいくんは……。 戦争の「日常」を描きます。 『せいめいのれきし 改訂版』(バージニア・リー・バートン:文・絵 いしいももこ:訳 まなべまこと:監修 岩波書店) 絵本で命の歴史を見せてしまうバートンの古典ですが、さすがに半世紀過ぎると情報が古かったり間違っていたりします。そこで文章を現代の知見にあわせてアップグレードしたのが本作。 絵の修正はできませんので、新しい作品の方が科学的にはいいんですが、この絵本の持つわくわく感は捨てがたい。 古典と書きましたが、私などは現役子どもであったのだなあ。ってことは私も古典か? いや、古いだけだな。 『アンドルーのひみつきち』(ドリス・バーン:文・画 千葉茂樹:訳 岩波書店) こちらも半世紀前の作品。 アンドルーは発明大好きで、ミシンの足踏み動力で傘をくるくる回しておもちゃのメリーゴーランドにしたり、机なんかをひもでつるして持ち上げられるようにしたり、家族にとっては結構迷惑。だもんで家を出たアンドルーが森の中に自分だけの小屋を作るのは必然でしょう。 ここから話は拡がっていきます。友達たちも親に怒られたりしていて、アンドルーに頼んで次々と自分好みの秘密基地を作ってもらう。こうして森の中は子どもたちの理想の村に。 だもんで当然、子どもたちは家に戻らない。心配した親たちは子どもを探しに出かけ……。 子どもの想像力と、自由へのあこがれが、冒険めいたわくわくに変わっていくのが楽しい。 その意味でちっとも古くない。 でも、懐かしいのはなぜだろう? 『続 被爆者』(会田法行:写真・文 ポプラ社) 戦争を知らない世代に、被爆者の思いを届けた『被爆者』から一〇年。その間も会田さんの問いは続いていて、かつての語り部たちの今を、この写真絵本は伝えます。すでに亡くなった方、次の世代にバトンを渡そうとしている方、そしてバトンを受け取った若い人たち。「平和」はあるのではなく作り続けるものであること。 『くつやの ドラテフカ ポーランドの昔話』(ヤニーナ・ポラジンスカ:文 ワンダ・オルリンスカ:画 安達和子:訳 福音館書店) ドラテフカはいいやつで、アリさんやハチさんやカモさんを助けてあげます。 魔法使いが支配するお城。課題を解けばお姫様を解放するが、解けなければ死が待っています。ドラテフカはそれに挑戦します。もちろんアリさん、ハチさん、カモさんがお手伝い。 昔話って、物語の形が出来ていて、やっぱりおもしろいなあ。 『金のおさら』(バーナデド・ワッツ:作 福本友美子:訳 BL出版) イザベルはエリーのドールハウスを見せてもらったとき、その中に飾ってある金のお皿がとてもきれいなのを羨んで、つい持って帰ってしまいます。 自分のドールハウスに飾ってみるけれど全然似合わない。というか、盗んでしまった自分にみじめさに、落ち込んでしまいます。 誰にでもある気持ちをワッツは丁寧に描いていきますから、読んでいて胸がシクシクします。 やっぱ、ワッツいいわあ。 『とけいのおうさま』(こすぎさなえ:文 たちもとみちこ:え PHP) おうさまは時計なものだから、時間にうるさい。何時に起きて、何時に朝食。人々もみんなその時間に合わせています。 毎日毎日、同じスケジュールにうんざりした王様は自らの短針を外し、隠してしまいます。これで何時かわからない! ところが、何時かわからないので、いつ食事にするかもわからなくなってしまい・・・・・・。 時計に縛られるのはいやだけど、時計がなくて時間がわからないのも困りものって辺りで、悩みましょう。 『くじらさんのー たーめなら えんやこーら』(内田麟太郎:作 山村浩二:絵 すずき出版) 氷の上にくじらさん。その周りにはぺんぎんや、あざらしや、しろくまさん。みんな、くじらさんのために、氷から飛び降ります。ん? なんで? 面白いって、こういうことですね。 で、こういうのを、成果があがらないだの、何の役に立つのだのと言い出しそうなやからが今、世の中でぶいぶい言わせていて、だから、やっぱり、こういう感じで面白がっていくのですよ。 『ヘルシーせんたい ダイズレンジャー』(やぎたみこ 講談社) 大豆を作って、食べて、平和に暮らしている国のお殿様が変わって、なんと大豆禁止令が! 肉だ、ケーキだと、飽食殿様、肥満まっしぐら。 大豆たちは五人の戦隊に変身し、当然ながら巨大ロボットも手伝って、殿様に大豆を見直させるための作戦が始まります。 って、なんでこんな話を思いつくかな〜、やぎたみこ。いいわあ。 今回は和風ですので、画もしっかりとそのテイストで責めています。画力のある人だ。 『あの花火は消えない』(森島いずみ 偕成社) 五年生の透子は、母親が病気になり、その闘病生活の間、祖父母に預けられます。夏。海辺の街。さみしさ。 家のはなれに自閉症のぱんちゃんが越してきて、彼の言動に最初は戸惑う透子ですが、やがて、ぱんちゃんとの交流が透子の心を温かくしていきます。 心揺らぐ透子の頼りなさがとても伝わる一作。 ただ、7年前の出来事として語られるあたりが弱いかな。 『おなやみ相談室』(みうらかれん 講談社) 休部になっていた「環境部」。顧問の先生に誘われるまま、帰宅部の八枝は一年生なのにいきなり部長に。っても一人だから部長なんですけど。環境部はいわば、おなやみ相談室。生徒のどんな悩みもサポートするという、何でも屋というか、親切というか、そんな部。 そこに相談に来る人、なぜか部員になる人。 話はゆる〜く、間の取り方も上手く、笑いを誘いながら進んでいきます。 心地いい物語ですよ。 続編を読みたい。 『温泉アイドルは小学生! 1コンビ結成!?』(令丈ヒロ子 青い鳥文庫) 新シリーズ開幕です。 舞台は『若おかみは〜』の花の湯温泉。主人公は五年生のことりと鞠香。アイドルを目指すことり。優等生で医者を目指す鞠香。二人は仲がいいのか悪いのか。その口げんかは強烈なはずなのに、周りできいているとなんかおかしい。それに魅せられた和良居ノ神が、二人に御利益を与えてくれると言いますが、ほんまかいな。 前シリーズのメンバーも登場しフォローは万全です。 おっこは、ことりたちより二歳年上だし、フォローに回っているから当然ですが、すごくおねえちゃんっぽくて、おお〜ほんまに大きくなったなあとしみじみします。 |
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