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【児童文学評論】 No.215 http://www.hico.jp 1998/01/30創刊 ◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。(土居安子) 今回の読書会の課題本は『どろぼうのどろぼん』(斉藤倫/著 牡丹靖佳/画 福音館書店 2014年9月)でした。小学生の頃から1000回以上も盗みを続けてきた「どろぼん」が、チボリという若い刑事に捕まってから10日間の物語です。尋問には、チボリの他に、記録係のあさみさんという女性、チボリの後輩で殺人事件を追うオーハスも同席します。どろぼんはこれまでに盗んだものについて語り始めますが、盗んだものはすべて誰にも使われず、気づかれないモノたちが救って欲しいという声を発していたからでした。チボリは、盗まれた人に聞き取りをしますが、誰も覚えていません。それなのにどろぼんが捕まったのは、モノ以外で唯一救った犬が、盗みの現場で声を上げたことでとっさに殴ってしまった自分にショックを受けたからでした。 読書会のメンバーからは、以下のように、活発に意見が出されました。詩的な文章が心地よく、雨の音や匂いまで聞こえてくるような不思議な物語だ。自分の持っているモノに改めて思いを馳せた。呪文の言葉遊びがおもしろく、そこに描かれているイラストが気になった。挿絵が美しい。どろぼんのように、存在感がなく、卒業アルバムを見てもどんな子か思い出せない級友がいたことを思い出した。やさしい人ばかりが登場する物語だった。どろぼんが虐待されて見つけられた子どもというところが印象的で、紙袋に入れられていたという風景が忘れられない。そして、そのことを養母のたまよさんが、本当の親は愛していたからこそ、どろぼんを手放したと言っていたところが心に残った。モノの声を聴くということで、例えばテレビの音に気づかなくて、ふとその音が戻ってくる感覚と似ているような気がした。犬の名前が「よぞら」というのが素敵。警察3人組の会話が軽妙で楽しい。小学生時代にいじめられていたキジマくんとどろぼんの友だち関係はその後どうなったのかが知りたい。犬を殴ったところが初めてどろぼんが、自分の感情をむき出しにしたところであり、ショックを受けた。 私はこの作品を読んだ時から、ずっともやもやした気持ちを抱いていました。それは、確かにおもしろいし、言葉も洗練され、これまでにない作品であるという確信を持ちながら、一方で、どこか割り切れない思いがあったのです。それは一言で言えば、作品に描かれるコミュニケーションのありようと言うことができると思います。 作品では、赤ちゃんの時虐待を受け、養母は優しいながらも、口がきけず、養父はバクチ打ちという境遇で育ち、クラスで存在感もなく、モノの声だけを聞いてきたどろぼんの寂しさや苦しさ、不満などが一切、言葉としては書かれていません。唯一、どろぼんが感情をむき出しにしたのがどろぼうの邪魔をした犬のよぞらを殴る場面で、どろぼんにも感情があることがわかりますが、どろぼんの後悔の涙をよぞらがなめることで、解決してしまいます。チボリをはじめ刑事たちは、どろぼんの話を聞き、どろぼんを助けようとしますが、それはすべて刑事たちが感情的に傷ついたり、葛藤したりすることなく行われる「やさしさ」です。 このように書きながら、うまく言葉にできていないと感じています。これからも読み続けながら、おもしろさと違和感を追究し続けていきたいと思いました。 <大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ> ●「日産 童話と絵本のグランプリ」受賞作品原画展 当財団主催「第31回 日産 童話と絵本のグランプリ」(平成26年度実施)の入賞作品の原画展を開催しています。3月上旬に予定しています第32回(平成27年度実施)グランプリの発表後は、新しい入賞作品の原画に展示替えします。 日 時:開催中〜3月27日(日)*ただし、国際児童文学館の開館日時 場 所:大阪府立中央図書館 国際児童文学館 (東大阪市荒本) 入場料:無料 http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html *** 以下、三辺律子です。 『美について』(ゼイディー・スミス著、堀江里美訳、河出書房新社) ずっしりと厚い本を見て、これほど嬉しくなることもそうそうない。「21世紀版『ハワーズ・エンド』誕生」「オレンジ賞受賞」の帯を見るまでもなく、『ホワイト・ティース』で鮮烈なデビューを果たしたゼイディー・スミス待望の長編となれば、至福の読書時間を約束してくれるにちがいないからだ。 二〇世紀初頭のイギリスを舞台にした『ハワーズ・エンド』では階級のちがう二家族の交流が主題だったが、約百年後、このフォスターによる名作を下敷きに描かれた『美について』は、アメリカに舞台を移し、リベラルな無神論者ベルシー家と、信仰厚い保守派のキップス家の対立を軸に物語が進んでいく。 ロンドンの労働者階級出身の白人男性であるハワード・ベルシーは、フロリダ出身の黒人女性キキと結婚し、三人の子どもたちと共に勤め先の大学のあるボストン近郊の町で暮らしている。美術の講義でレンブラントの「芸術性」をこきおろし、伝統的美術観を否定する徹底した主知主義者のハワードに対し、レンブラントを讃える(ハワード曰く)ポピュリズム的ベストセラー本を著わしたモンティ・キップスは、カリブ系黒人で、伝統的家族観を重視し、同性愛嫌悪を隠そうとすらしない。そのモンティが、ハワードの推進する大学のアファーマティブ・アクション(弱者の機会均等を確保する措置)に反対したことから、二人の軋轢は決定的になる。 そこへ、モンティの奔放な長女とハワードのナイーブな長男の関係、本来なら敵同士のはずの妻たちの友情、ストリートの詩人から大学の音楽資料室係に「出世」した黒人青年、ハイチ救済運動にのめり込む次男などが絡み、人種、政治、貧富、男女、親子などの対立が浮き彫りになる。 『ハワーズ・エンド』の題句「ただ結びつけられれば」は、ここではどう響くだろう。(ベルシー家と同様に)イギリス人の父とジャマイカ移民の母の間に生まれた著者スミスのコミカルかつ皮肉に満ちた声を通すと、この有名な題句が新たな姿を得て現代によみがえるのだ。 (2016.1.31 産経新聞掲載 三辺律子) http://www.sankei.com/life/news/160131/lif1601310032-n1.html 【追記】 「ずっしりと厚い本」。子どものころ、厚い本を見るだけでわくわくした。それだけ長いあいだ、楽しめるということだから。それに、そうしたものは「物語」であることが多かった。子どものころは、オープンエンディングがあまり好きではなくて、ちゃんとした結末があるものがいい、と思っていた。当時、自分の求めていたものが、単なるハッピーエンディングとは少しちがって、トールキンの言うEucatastrophe(しあわせな大詰め)だったと思うようになるのは、大人になってからだ(Eucatastropheついては、トールキンの『妖精物語について』はもちろん、猪熊葉子著『児童文学最終講義 ―しあわせな大詰めを求めて』をぜひ)。 最後に犯人がはっきりする探偵小説や、短くてもオー・ヘンリーのような起承転結がはっきりしているものが好きだったのも、そういった理由かもしれない。とはいえ、最後まで「事件」の全容がわからないホラーの短編やゴシック小説も好きだったから、結局おもしろければなんでもよかったんだろう(子どものころからいいかげん)。 それで思い出したのが、ツィッターで見つけたおもしろい投稿。ずいぶんRTされていたので、お読みになった方もいらっしゃるかも(以下、引用。改行はわたし)。 ******* 電車の中で聞いた中学生(高校生?)の話が興味深かったので、編集してメモ: うちの学校の英語のテスト、最後の問題が初めて見る長文でさ、それがほんとに意味わかんなかった。 クリスマスで、女の人がお金ないの。お金ないんだけどrich hairを持っていた、って。なんだろねrich hairて。(まわりの男子たち「金髪じゃね?」「なるほど」「なるほど」) 夫に何かプレゼントを買いたいけどお金がない。それでどうしたと思う? なんかお店に行って、髪を買ってくれないかって聞くんだよ。(「まじで?」「まじで」「キモい」)しかもさあ、お店の人、買うんだよ髪を。やばくね?しかも大金。わけわかんない。(「やばい」「やばいやばい」「まずいでしょ」「髪なんてどうすんの」「読み間違いだろ」) いや合ってるって。 そのお金で女の人は、時計鎖?を買う。それも何なのか謎。時計じゃないのかと。(「わかんない」「わかんないね」「髪は売らないー」「ぜったいお前の読み間違い」)合ってるってば。意味不明だけど。(「ほんとにわかんないな」「ホラーだ」「髪」) …このへんで彼らは降りて行った。 電車にはウズウズさせられたままの大人たちが残る。夫のほうが買ってくる櫛のことや、その際の夫婦のやり取りは、この中学生にはどんなふうに映ったのか。疑問をぜんぶぶつけてから降りてほしかった。 (do_dling さん 12月9日) ******* そうだよなあ。そういえば、わたしが子どものころさえ、「髪を売る」っていう意味がわからなくて、若草物語のジョーのくだりや、オー・ヘンリーや、何度かそういう場面に遭遇しているうちに、徐々に理解していったのを覚えている。児童書やYAを訳している者として、はっとしたのでした。(三辺律子) 〈一言映画評〉 *公開順です 『ハッピーアワー』 5時間17分という上映時間にひるんでいるうちに、観るのが、そしてご紹介するのが遅れてしまいました。でも、第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞を受賞ということもあり、再上映、再々上映されるはず(と信じたい)! 結婚してたりしてなかったり、子どもがいたりいなかったり、という女性四人の話―――と要約すると、最近ありがちの話か、女同士の対立を煽る、あれね、とか思いそうになりますが、ちがいます(きっぱり)。いや、いろいろな立場にいる女性四人の話というのはそうなんですけど、この長さでしか味わえない無数のディテールが、ありがちなテーマなど蹴散らし、まったくべつのものを立ちあげてくれます。上映時間にひるまず、ぜひぜひぜひ。 『99分、世界美味めぐり』 世界のミシュランの星つきレストランを巡るドキュメンタリ。単なるテレビのグルメ番組になりそうだけどならないのは、レストラン巡りをするのが、SNSで世界中に美食を発信する人気ブロガーたちだから。つまり、評論家でも料理人でもないただの素人だけど、今や三つ星シェフたちも彼らを無視できない。このあたりをもうちょっとつっこんでくれると、もっともっと面白くなったかも。 『キャロル』 パトリシア・ハイスミスの『エデンより彼方に』の映画化。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラーの美しさにため息。 『ディーパンの闘い』 内戦下のスリランカから逃れるため、疑似家族となった男と女と少女。なんとかフランスへわたり、そこそこの安定も手に入れるかに思えたが・・・・・・ラストをどう解釈するかで、見方も分かれそう。移民の現実が胸に迫る。 『クーパー家の晩餐会』 家族全員が集まるクリスマスのディナーで、それぞれの持つ秘密が次々明らかになっていく。『8月の家族たち』のユーモア版という感じかも(←主観)。 『X−ミッション』 キアヌ・リーブス主演の『ハートブルー』が原案。『ハートブルー』が好きな人なら(=私)、150%楽しめること、保証します。3D画面で次々繰り広げられるエクストリーム・スポーツの数々。これが、CG使ってないなんて信じられない! *** 以下、ひこです。 『まく子』(西加奈子 福音館書店) ひなびた温泉街の宿を経営している家の子、小学五年生の慧は、大人の男になっていく自分と、そうありたくない心の間で煩悶しています。周りの男子はみんなアホに見えるし、女子は異空間にいるように見える。 そんなとき転校生コズエがやってきます。彼女の母親が慧の宿で働くのです。コズエは、それまでの学校ナンバーワン人気女子を一瞬で色あせてしまう魅力の持ち主で、アホな男子はもちろん村人たちの注目の的。 慧もまたコズエを気になるのですが、同時にそんな自分が疎ましく、だから彼女を気に入らないという、ややこしい立ち位置にいます。 コズエは誰かが明らかになっていくことで、「みんな」を巡るある地点へと物語は至るのですが、そこはネタバレになるので書きません。 この作品は、慧の成長(第二次性徴)への戸惑いと嫌悪を描いたと言えます(それは、かつて初潮をまるで人生の転換点であるかのように書いてきた少女物への返歌ともなってもいるでしょう)。 また、コズエの側から読めば、異人として生きることの痛みや、それを越えて受容していく知恵の一つの物語と言えます。 そして両者が重なったところで……、撒くんだなあ、これが。 最後辺りが撒くんでなく纏め気味なのが少々残念。そこは子ども読者に任せてもいいと思います。大丈夫ですから。 『ぼくたちの相棒』(ケイト・バンクス&ルパート・シェルドレイク:作 千葉茂樹:訳 あすなろ書房) 犬は飼い主の帰りを予知して早くから待っているか? というテーマを学校の理科の授業で選んだ二人の少年のお話です。地元でちょっと浮いている子と、転校してきて居場所のない子。少しずつ二人は近づいていきます。 シェルドレイクは動物学者で、物語の中で少年からのメールでの質問に実際に答えます。フィクションと現実がそこで混じり合う面白い試みです。 『ウソつきとスパイ』(レベッカ・ステッド:作 樋渡正人:訳 小峰書店) ジョージは学校でなんかうまくない。いじめられてるし、まあそれはささいなことだとやり過ごしてもいいけど、やりすごすのも結構辛いわけで。引越先、地下のゴミ置き場で「本日、スパイミーティング」って張り紙。冗談ぽいけど、参加する旨を書いておく。すると、誘いが。同じアパートに住むセイファー。彼も妹のキャンディも学校には行っていない。で、上の方の階のある人物が怪しいので見張っているという。いつの間にかジョージもそのスパイに加わるのだけど、本当かな? ウソも裏切りもあるけれど、ジョージとセイファーとキャンディの距離や会話が、日常的リアルさに溢れていて素敵。問題のクリアのされ方がいいんだな。 『水晶玉を見つめるな!』(赤羽じゅんこ:作 講談社) 駿介が手に入れたのは水晶玉。本物かどうかわからないけれど、これで占いを始めます。なんだか未来を当てられるような感じなのですが、やがてそれは願いを叶えるのかもしれないと思い始め、駿介が願ってしまったことは? 軽いノリで始まりますが、人の欲望をちらりと見せて、ちょっと怖いです。 『丸天井の下の「ワーオ!」』(今井恭子 くもん出版) マホはディスクレシア。でも作家になりたい。物語を紡ぎたい。そんな彼女はあるミュージアムで少年と出会います。彼はそのミュージアムを設計した人の孫。祖父を越えたい。でも自信がない。そんな二人が互いの力と希望を寄せ合います。そしてマホは語り始める。 『ショッピングカートのぼうけん』(ビビ・デュモン・タック:文 ノエル・スミット:絵 野口絵美:訳 徳間書店) 小さなショッピングカートはいつも不思議に思っていました。たくさんの品物が入れられるのに、それはすぐになくなってしまう。いったいぼくの中に入れられた品物はどこに行ったのだろう? こうして小さなショッピングカートは店を飛びだして冒険に出かけます。一緒に行きたいとカートに跳び込んだのは、レタスにドッグフードにバケットたち。はてさてどうなりますことやら。 発想がまず楽しい。店を出てからの展開も可笑しい。 そしてショッピングカートに表情をつけた絵もよろしいなあ。 『だれか ぼくを ぎゅっとして!』(シモーナ・チラオロ:作・絵 おびかゆうこ:訳 徳間書店) サボテンの子どもサボタは、ぎゅって抱きしめて欲しいけど、どうすれば? 自分を抱きしめてくれる誰かを探してサボタが見つけたのは? なるほど。 『メガロポリス 空から宇宙人がやってきた!』(クレア・デュドネ:作 ドリアン助川:訳 NHK出版) ページが下に次から次へとひとつなぎで繰られていくシンプルだけどどんでもない仕掛け絵本です。3.7メートル。拡げる場所に苦労しました。 建物のてっぺんに宇宙人がUFOで降りてきて、歓迎の儀式が下へ下へと展開していきます。そしてある不幸が起こり死んだと思われた宇宙人ですが……。 色んな物探しもちゃんとあって楽しめます。話のオチも面白い。 なんと言っても場所取り絵本なのが、すごい。 『わるいわるい王さまと ふしぎの木』(あべはじめ あすなろ書房) わがままで、誰をも従わせようとする王様にあきれ果てて、次から次へと人が去り、ひとりぼっちになった王様のお話。もちろん最後は幸せに。 キャンバスに油のように色を置くのではなく水彩のように描いていく画面が素敵です。 *** ポプラ社 「今すぐ読みたい!10代のためのYAブックガイド150!」刊行記念 金原瑞人×ひこ・田中 トーク&サイン会 日時:2016年03月27日(日) 16:00〜17:30(15:45 会場予定) 場所:MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店 7階 salon de 7 イベント終了後、サイン会をいたします。 定員:30名 (要予約・当日先着順で入場)(着席30名満席後 立ち見20名まで可) ご予約方法:ポプラ社『今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!』をお買い上げの方、一冊につき一枚、整理券をお渡しいたします。 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店1階レジカウンター、またはお電話にてご予約承ります。 お問合せ先:MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 電話番号:06-6292-7383 http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=11539 「『今すぐ読みたい!10代のためのYAブックガイド150!』(ポプラ社)刊行記念 金原瑞人×ひこ・田中 トーク&サイン会」丸善 丸の内本店 開催日時:2016年03月18日(金)19:00 〜 定員20名様 要整理券(電話予約可) http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=11361 |
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