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【児童文学評論】 No.221
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊
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西村醇子の新・気まぐれ図書室(20)――夏休み拡大版―― 

 「神対応」という言葉をご存じだろうか。最初に耳にしたのは、マスコミが某ウィンタースポーツ選手の対応が素晴らしいと、言ったときだった。最近では某CMのなかで軽く使われていたし、近所で宣伝文句に「神配合」というのも見かけた。まるで「神」の大安売りだと顔をしかめたが、じつは「神技」をはじめ「疫病神」「勝利の神」など、「神」がつく言葉は多い。長い年月を経た道具も霊魂が宿れば付喪神(つくもがみ)になるというし、一般に信仰の対象として畏怖されたり、尊崇されたりする存在は、神になりうる。
この夏訪れた北海道の「モヨロ貝塚館」で教わったのだが、オホーツク文化ではクマを信仰していたという。同館では、竪穴式住居の一画にはクマの頭骨を積み重ねて祀って(まつって)いる様子を復元していた。大型で動物食傾向の強いクマが、知恵や豊かさの象徴となること、日本を含めて各地で信仰の対象になっていたことは、理解しやすい。
 クマに比べれば、犬の姿をとった神さまに迫力がないことは歴然としている。ただ、設定ははっきりしていて、日本に長く住まう八百万(やおろず)の神の一つが、人間界を観察する目的でパピヨン犬の姿をとったもの。それが、荻原規子作『エチュード春一番』(講談社タイガ)のシリーズである。一般文芸の文庫本だが、荻原の本は子どもからおとなまで幅広く読まれるので、対象読者にこだわる必要はないだろう。2016年1月に出た『エチュード春一番 第一曲 子犬のエチュード』」は、一人暮らしの大学生美綾が、パピヨンに姿を変えた神から便宜的に飼い主に選ばれ、幽霊騒動も含めて、すったもんだの同居生活をおくる話。パピヨンは、観察や会話からデータ収集をおこなう一方、現代生活に適応し、パソコンをも駆使してじょじょに自分の能力を調整かつレベルアップさせている。
続く『エチュード春一番 第二曲三日月のボレロ』(2016年7月)では、「神」との接点を求める人物にパピヨンが誘拐され、美綾が友人の助けを借りながら救出作戦をおこなっている。シリーズは刊行中なので、物語の全体は見えてこないが、荻原は日本の古代・中世の知識が豊富で、古い層の神々のことや、神官の話、民俗学研究とのつながりは自家薬籠中の物となっているだけに、安心して物語に身をゆだねられる。
 ここで思い出したのが、去年出た三萩せんや(みはぎ・せんや)『神さまのいる書店 まほろばの夏』(角川書店、2015年7月)のことだ。この本では、ある特殊な書店の神棚に「神」がいるという設定をとっていたが、そこに至る背景はほとんど説明されていなかった。一般文芸作品だから、それでよかったのか。読者が作品中の「神」を、付喪神の一種だと理解するように期待されていたのか……。物語は、不器用な主人公の高校生が、この書店でのアルバイトを通じて成長していく過程を描いている。そしてそのロマンスに、書店の神さまはややご都合主義的な関与をおこなう。楽しく読んだものの、もやもやした思いが残ったことは否めない。
 さて、児童文学でも超自然現象について合理的な説明がおこなわれるとは限らない。花形みつる『キノコのカミサマ』(金の星社、2016年7月)には、書名にあるとおり、キノコのカミサマを名乗る神が登場する。夏休みを利用して田舎に単身赴任中の父を訪ねた少年タケオは、変わり者ぞろいの村で、ひとりの老人をみかける。最初のうちタケオは、とぼけた老人がたんにカミサマを名乗っているのだと思っていたが、相手には本当に超能力があった。ただし人間にお参りをされ、願い事をされてナンボだというし、能力が発揮できるのは森のなか限定だともいう。展開に少し唐突なところがあって、途中でタケオとともに読者も置いてきぼりになった感はあったが、(日本的な)神頼みをうまく扱っているし、設定も夏休みの読み物にぴったりだと思った。
田島征三作『もりモリさまの森』(さとう なおゆき絵、理論社、2016年7月)に登場するのは森の神さま。小学生のぼく(桂林太郎)のパパは、ナラノキ市役所の清掃課で働いている。あるとき一家に、森から木の葉のメッセージが届く。なんでも廃棄物処分場を造るために森が破壊されているそうだ。仕事があるパパを置いて森へ行くと、ママはアナグマに、ぼくはテンに、友だちはイタチに、それぞれ変身した。ほかの動物や鳥たちもまじり、一同で力を合わせて人間の企てを阻止しようとする。だが、人間はチェーンソーやブルドーザー、テッポウまで駆使するので、動物の分は悪すぎた。途中で森の神さまも一役買うが(そのイメージはなかなか魅力的)、万能ではないため何匹もの動物が命を落とす。市長も痛い目にあったが、ここが無理でも別の場所に処分場を造るだろうと匂わせる。結末はやや悲観的に思われたが、林太郎と家族が人間に戻って森を離れることは、自然破壊への反対活動もまた森の外で継続させることを示唆したものかもしれない。

ホリー・ゴールドバーグ・スローン『世界を7で数えたら』(三辺律子訳、小学館、2016年8月)は、ヤングアダルト向けの作品。12歳のウィローはまだ赤ん坊のときに孤児となり、養護施設の仲立ちで白人のチャンス夫妻に引き取られた。ただ、病原菌への異常なほどのこだわりや年齢にそぐわない論理的な頭脳と豊富すぎる知識が災いし、学内で孤立していた。ある試験のときに満点回答をしたせいで、ウィローはカンニングを疑われる。そして校長の命でカウンセリングを受けはじめたが、まもなくチャンス夫妻が不幸な自動車事故で亡くなったため、ウィローは再び天涯孤独な子どもとなる。
物語が予測不能の展開を見せるのはここからである。そもそもこの本はウィローと彼女にかかわる人たちがそれぞれ視点人物となり、短い章ごとに入れ替わるスタイルになっている。たとえばカウンセラー。事務能力も生活力もろくにない30代半ばの独身男性だったが、ウィローのある計画に乗ったことで、人に褒められる経験をし、それ以降、今までの自分を脱しはじめる。あるいはウィローとカウンセリング先で知り合った15歳の問題児クアン・ハとその妹マイ、ネイルサロンの経営者のベトナム生まれの母パティ。パティがウィローに同情し、一時的に預かったことが、長らく腰かけ状態だった彼らの生活を激変させる。変わったといえば、ウィローの送迎をとおして友だちになったメキシコ出身のタクシー運転手もそうだ。ウィローとの会話で自分がアメリカに来たときの夢を見失っていたことに気づき、大学に通い、挑戦を再開する。そして他人とうまくやっていけなかったウィローもまた、他人のことを気にかけること、前に進むことを学び、最後には願っていたような庭と保護者を得る。
 児童文学には、バーネットの『小公子』やポーター『少女パレアナ』のように、無邪気で天真爛漫な美しい子どもが周りの大人を感化し、よいほうに変化させるタイプの物語がある。スローンは、大筋ではこの伝統に沿っているように見える。だが、欠点をもつ関係者それぞれが絡み合い、影響し合ってはつぎつぎに生じる「ピンチ」を切り抜けていくこの物語の過程には、うさん臭さは感じられない。またあらすじでは省いたが、ウィローと園芸の関係をみると、バーネットの『秘密の花園』をスローンが書き換えたようにも見える。
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 前沢明枝著『「エルマーのぼうけん」を書いた女性 ルース・S・ガネット』(福音館、2015年11月)という伝記を、ようやく読んだ。文渓堂の「名作を生んだ作者の伝記シリーズ」と混同していたが、本書は(出版社も異なるし)前沢がガネットを直接取材して執筆した伝記である。2010年にガネットが来日した際に通訳をつとめたことがきっかけとなり、前沢はガネットと交流をもつ。そして訪米し、インタビュー取材をおこなったという。子どもを読者に想定して1948年に出版された『エルマーのぼうけん』の誕生の背景を明かしている本書は平易な文章で書かれているが、写真を含めて中身はとても充実している。
 筆者はかつて『英米児童文学のベストセラー40』(ミネルヴァ書房、2009年6月)のなかで、『エルマーのぼうけん』を取りあげた。ガネットの項目がウィキペディアにある現在と異なり、2009年当時は資料が乏しくて原稿を書く上でずいぶんもどかしい思いをした。言い換えれば、ガネットとその家族のことや、執筆の背景がわかる本書は、まさに喉から手が出るほど欲しかった本である。この本からはまた、ガネット個人史にとどまらず、20世紀のアメリカで、差別に敏感で、仕事に前向きだった女性が置かれていた状況も読み取ることができる。
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 以下は絵本のミニ特集。
ウォルター・ウィック『チャレンジミッケ!のひみつ』(糸井重里訳、小学館、2016年7月)は、これまでに出版された「チャレンジミッケ」シリーズから4冊を抜き出し、その舞台裏(制作過程)を明かしたもの。シリーズ本体は、場面ごとに複数のものや人・いきものを探し当ててもらうので、観察力と根気を要する。本書の場合、モノづくりに興味がある読者にとっては、写真をはじめ、設計、製作、演出の仕事などの一端がのぞける本として興味深いことだろう。……思えば、北海道の富良野で立ち寄ったニングルテラス(森の中に点在するログハウスで、オリジナルの手芸品や工芸品、ガラス製品や革細工などが製作販売されている職人の村。倉本聰氏のプロデュースだとか)は、この絵本の延長線上にあるのかもしれない。
じつは夏の北海道旅行の最大の目的は行動展示をしている旭山動物園を訪れることで、アザラシにペンギン、フクロウにクマやヒョウといった動物にたっぷり会えた。でも同園にはパンダはいなかったので、代わりに『いちにちパンダ』(大塚健太作、くさかみなこ絵、小学館、2016年4月)を。
動物園ではパンダにお客の人気が集中していて、トラはふてくされていた。ある日、風邪で客の前に出られないパンダの代役を依頼されたトラは、不承不承パンダの着ぐるみをつける。だがお客たちがあまり喜ぶので、つい調子に乗りすぎ、トラだとばれてしまう。ところが、トラが腹立ちまぎれに着ぐるみの頭部を蹴とばすと、あらあら、飼育員さんの頭にすっぽり。お客たちはサッカーのできるトラだともてはやす… 物語はこの後、もうひとひねりしているが、ナンセンスながら、楽しい展開となっている。
『MONUMENTAL 世界のすごい建築』(サラ・ダヴェルニエ/アレクサンドル・ヴェルイーユ作、河野彩訳、加藤耕一監修、ポプラ社、2016年7月)で、世界旅行を楽しむというのはいかが。ただし28x37x1cmのサイズは、膝の上に載せるには大きすぎるし、手に持つのも大変だ。目次は世界地図になっていて、北米南米というように上位区分でまずページを表示。つぎの区分はひとつの章にあたるだろうか。たとえばアメリカ大陸の場合、南アメリカ全体は38ページに、その下位区分の南アメリカ北部(40-41)、ブラジル、ウルグアイが42-43、南アメリカ南部(南部とアンデス)が44−45と展開している。つぎに南アメリカのページを開くと、再び地図上に取り上げた建物数36が、地域ごとに異なる色の数字で示される。見開きページの一部は、面積や人口、平均気温といったデータ。それに加え、場所ごとに各建築物の特徴を示す簡単な説明や数字(たとえば建設年、建物の高さなど)があって、これが楽しい。制作にあたってはどこで何を述べ、何を数値で示すか、さらにどれとどれを比べるか、苦心したであろう。ちなみにブラジルの場合、2016年のオリンピック関連のテレビで何度もみかけた「コルコバードのキリスト像」は、高さ38m、標高704mの丘にあり、1200トン(シロナガスクジラ8頭分のおもさ)、彫刻家ポール・ランドスキがフランスでつくり、パーツにわけて船で運んだそうだ。
『もとこども』(富安陽子作、いとうひろし絵、ポプラ社、2016年5月)はアイデアが光る絵本。我々はだれでも子どもからおとなになることをごく当たり前に思っている。だがおとなにも幼い時や若いころがあったと想像するのは、子どもにはおそらく難しいだろう。富安はそれを、異なる世代の人間だけでなく、蝶々やカエル、動物にまで広げ、だれもがかつては子どもだったことをまず示す。それだけでなく、だから、いま子どもでいる「わたし」に未来が待っていることを(いとうひろしの絵で!)鮮やかに提示している。
本日はここまで。 

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6月に「追記も復活させたい」などと調子のいいことを書いたくせに、7月お休みしてしまった三辺律子です。よろしくお願いします。

 平成28年上半期の芥川賞は、村田沙耶香が受賞した。受賞作の『コンビニ人間』はもちろんだが、村田沙耶香は『殺人出産』や『消滅世界』など、近未来を舞台にしたディストピア小説でも高い評価を得ている。
 欧米ではディストピア小説が一種のはやりで、『ハンガーゲーム』『メイズランナー』『ダイバージェント』『フィフス・ウェイブ』など、小説も小説を基にした映画も記録的ヒットとなっている。カーネギー賞やガーディアン賞といった伝統ある賞でも、「混沌の叫び」シリーズ、『まだなにかある』、『カッシアの物語』『マザーランドの月』などのディストピア作品が候補になったり、受賞したりしている。
 こういった作品は、ヨーロッパのみならず、アジア地域にも広く翻訳され、やはり売れているようだ。その中で唯一、いまひとつ売れ行きが優れないのが、日本なのである。
 しかし、そんな日本でも、村田沙耶香をはじめ、『ハーモニー』(伊藤計劃)、『呪文』(星野智幸)、『アカガミ』(窪美澄)、『ビビビ・ビ・バップ』(奥泉光)、『代体』(山田宗樹)など、最近になってディストピア的世界を舞台にした小説が増えてきている。映画『フィフス・ウェイブ』のパンフレットでも書いたが(児童文学評論3月号)、「ありうる」未来への不安を描くディストピア小説が、今、多数の読者を獲得するのは、当然だと思う。

 面白いのは、村田沙耶香は必ずしも自分の作品のことをディストピア小説だとは思っていない、ということだ。
『消滅世界』の舞台は、若者がセックスを不潔なもの、面倒なものとして忌避し、夫婦間のセックスは近親相姦として嫌悪され、出産はコンピューターが管理、性欲は企業の造り出すアニメなどのキャラクターで処理される世界だ。その中で、夫婦間のセックスで生まれた主人公雨音は、その出自を嫌悪し、愛のあるセックスのすばらしさを説く母親と対立する。
一見ディストピアとしか思えないが、村田自身は、執筆の動機を、家族という制度に振り回される「今、生きづらい人たち」が「もっと楽に生きられる世界を想像してみたかった」から、と言っている。実際、物語中には性愛も婚姻も家族制度も存在しない楽園=エデンと呼ばれる実験都市が登場する。
やはりセックスが忌避されている近未来の日本を舞台にした窪美澄の『アカガミ』と比べると興味深い。こちらは、若者が結婚どころか、恋愛さえしなくなった世界だ。当然、子供の数は激減している。主人公のミツキは、国が設立したお見合いシステム「アカガミ」に志願し、パートナーの男性サツキと「家族」となっていく。
もちろん、そこには落とし穴がある。しかし、登場人物の一人に「今、こんなことをどこかで大声で言ったら、すごく非難されるわね。いったいおまえはいつの時代の人間なんだと言われることはわかっている」との前置きの上で「恋愛や、出産や、子育てに費やされなかった時間を甘く見てはいけない(中略)、からだにそれ(=子宮 筆者注)がある、ということは、何か意味があることなのよ」と語らせている窪の作品と、村田の作品は、似たような設定を使っていながら、まったくちがうことを語ろうとしているように思える。

というわけで、今、ディストピア小説は面白い、注目すべき分野だと思う。日本でも、もっと海外のディストピアも読んでほしい! 例えば、『ジェンナ 奇跡を生きる少女』(ピアソン)、『レジェンド』(ルー)、『デリリウム17』(オリヴァー)、『嵐にいななく』(マシューズ)、『マザーランドの月』(ガードナー)、『まだなにかある』(ネス)などはいかがでしょう? 【注:最後に挙げたのはぜんぶ拙訳、つまり宣伝です】

〈一言映画評〉 三辺律子 *公開順です

『シングストリート 未来への歌』
 好きな女の子を振り向かせるためにバンドを始めた14歳のコナー。青春映画の王道だが、舞台が不況に喘ぐ80年代のアイルランドであり、音楽への憧れ、外の世界への憧れがことさら切実に描かれている。『ダブリンの街角で』のカーニー監督の自伝的作品と聞いて、納得。

『ジャングル・ブック』
 言わずと知れた天才作家キプリングの傑作【注:個人的な想いが溢れた形容】の映画化。といっても、ディズニー・アニメの中では評判のいい旧作を実写化したものなので、こともあろうにバルーが「掟なんてどうでもいいさ!」などと歌い出し、原作ファンとしては「そんなのバルーじゃない!」とスクリーンに向かって叫びたくなる。とはいえ、すべてCGで作られた動物たちは、噂通り圧巻。

『ソング・オブ・ラホール』
 タリバンが禁止したために廃れた音楽文化を取りもどすべく、ジャズに挑戦するパキスタンの伝統音楽家たちを追うドキュメンタリー。念願のニューヨークへ到着後、練習一日目でシタール奏者がいきなりダメ出しをされたときは、観ているこっちまでひやひやしたけれど、本番は・・・・・・! 往年の名曲『テイク・ファイブ』をインドの伝統楽器でぜひ。

『アスファルト』
フランスのさびれた郊外の団地を舞台にした群像劇。二階に住んでいるからとエレベーターの修理代をケチった男と夜勤看護婦、アルジェリア系移民の女性とNASAのパイロット、鍵っ子少年と落ち目の女優という、超個性的な組み合わせに、クスクス笑い【注:大笑いではない】が漏れること、まちがいなし。

『エル・クラン』
 政治・経済が不安定だった80年代アルゼンチンで誘拐を生業にしていた一家の物語。「プッチオ家が起こした〈ユーカイな事件〉の真相」というダジャレめいた宣伝コピーからは想像もつかない、強烈で重い内容。父と息子の関係から目が離せない。

『みかんの丘』
 アブハジア自治共和国がジョージアからの独立を求めた紛争が背景。エストニア人イヴォは、(アブハジアを支援する)チェチェン兵と、ジョージア兵、つまり敵同士である負傷兵たちを自分の家で介抱することになる。当然、二人の兵隊ははげしく憎みあっているが、一つ屋根の下で暮らすうちに徐々に変化していく。戦争は人を変えてしまうのだ。

 というわけで、また来月、よろしくお願いします! (三辺律子)

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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。

 8月は、いつも紹介させていただいている読書会はお休みです。そこで、約20名の学校司書の方たちとの勉強会で読み合った『怪物はささやく』(パトリック・ネス/著 シヴォーン・ダウド/原案 池田真紀子/訳 あすなろ書房 2011年11月)について書かせていただきます。

 『怪物はささやく』は、癌で亡くなったシヴォーン・ダウドの遺作をパトリック・ネスが完成させたという共著作品です。13歳のコナーは、癌を患っている母さんと二人暮らし。毎晩人に言えない悪夢にうなされていますが、ある日、イチイの木の怪物がやってきて、これから何度もやってきてコナーに3つの物語を語り、4つめはコナーが真実の物語を怪物に語るのだと言います。それから、母さんは入院し、そりの合わない祖母と住み、怪物は約束どおり3つの話を語り、コナーは、ついに自らの悪夢を語ります。

 2012年の課題図書であったこともあり、参加者の多くが再読だと言われていました。思春期に特に顕著に見られる社会や大人への怒りや拒否という感情が描かれている、死と直面している自分と向き合うことの難しさが書かれている、母さんも怪物もコナーの怒りを抑えるのではなく、表出させるようにしたという点が興味深い、自分の体験と照らし合わせて共感した、重いテーマに向き合うつらさ、しんどさを感じた、生と死を象徴するイチイの描かれ方が秀逸、「行動には必ず意味があり、善悪は決められない」という文章が印象に残った、結末で母親の死を受け入れられてよかった、イチイの語る3つの物語が深く、物語がコナーを苦しみから救うという展開から物語の意味が読み取れる、主人公の身に起こった事実のみを描くのではなく、物語が挿入されることによって作品がより複雑になり、深まっている、12時7分という時間の意味が最後に解き明かされるのが興味深い、人間が矛盾する存在であるということが書かれている点がヤングアダルト作品として意義深い、13歳の読者を想定すれば、翻訳の文体がやや難しい、絵で読み進めることができた、大人として祖母や母の気持ちも理解できた、コナーが家でも学校でも母の病気と向き合い続けなければならない状況に置かれていた点が彼を追い詰めていたと思った、など多くの感想が語られました。

 そして、学校司書としては、中学生にすすめるとなると難しい作品という意見がある一方で、同じ境遇にある生徒にとってはしんどい本だが、周りの子には読んでほしい、必ず一冊は図書館に置いておきたい、子どもにも大人にも読んで欲しい、などの意見が出ました。

 この本をみんなで読みたいと提案したのは私です。それは、一つには、挿絵の魅力がありました。ティーン・エイジャーの読みにくさの一助になり得るかを現場の司書さんたちにうかがいたいと思いました。また、入れ子型になっている構造のおもしろさ、コナーの悪夢とは?母さんはどうなる?という謎解きの要素があるのも魅力でした。
 
どこがダウドで、どこがネスと考えても仕方がないとはいえ、母さんが癌を患って死と向かい合っている点、物語の持つ力を描いている点にダウドらしさを、「暴力」というテーマと、怪物の語る物語が全て「わかりにくさ」や矛盾を抱えているという点にネスらしさを感じました。

 そして、母の死、離婚した父の逃避、コナーに簡単に歩み寄れない祖母というように、大人も問題を抱えながら生きているということがしっかり書かれている点も読みごたえのある作品である理由だと思いました。

 怪物が語る物語は、現実のメタファーとして読むこともできます。例えば、一つ目は、王子が恋に落ちた農民の娘を殺して魔女と言われる妃のせいにするという物語です。農民の娘(=癌を患う母親)を魔女(=祖母)が殺したのではなく、実は王子(=コナー)が殺したと読むと、コナーの母親に対する罪悪感を読み取ることができます。

 私がこの本を読むのは5〜6回目ですが、毎回新しい発見があります。豊かな物語で人間の心理を深く描いた作品はおもしろいなあとつくづく感じながら読みました。(土居安子)

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>
●「おはなしモノレール」参加者募集
大阪高速鉄道「万博記念公園駅」から「彩都西駅」まで、貸切モノレールに乗って、車内で絵本や「おはなし」を楽しみ、彩都の会場では「人形劇」を観ていただくお子様向けのイベントです。
5歳から小学校3年生までのお子様と保護者の方、あわせて240人を募集します。9月17日(土)の午後で、参加費は、お一人500円(大人・子ども同額)です。申込締切は9月5日(月)必着。 詳細は http://www.iiclo.or.jp/03_event/01_kids/index.html

●「第33回 日産 童話と絵本のグランプリ」作品募集
アマチュア作家を対象とした創作童話と絵本のコンテストです。構成、時代などテーマは自由で、子どもを対象とした未発表の創作童話、創作絵本を募集しています。締め切りは10月31日(月)です。詳細は
http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html

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以下ひこです。

『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーグ・スローン:作 三辺律子訳、小学館)
知識をどんどん詰め込んで、記憶力も抜群な少女ウィロー一二歳。 両親には養子として迎えられています。
子どもを子ども扱いする大人とは巧くいかず、子どもらしくあろうとする子どもとも巧くいかない彼女は、満点を取ったのがカンニングだと疑われてカウンセリングを受けることになってしまう。
このカウンセラーが人生やる気なし、なめきっている人ですが、ウィローが天才だと気づき、これをどう使おうかと考える。一方同じくカウンセリングを受けている15歳クアン・ハとその妹マイ。ウィローはマイを友だちとして発見する。
そんなとき、両親が当然他界。マイたちの母親ネイルサロンの経営者のパティが仮の保護者になることに。
孤児の居場所探し物語ですが、周りの大人が理解ある人とか、越えるべき相手だとかはなくて、お互いがお互いを徐々に発見していきます。ここには大人の優位性はありません。そこがいい。

『バンドガール』(濱野京子:作 志村貴子:絵 偕成社)
 小学校五年生の紗良は新しく作るバンドでドラム担当となります。が、彼女は全くの初心者。どうする?
 ボカロを使うバンドと、生演奏の紗良たちのバンド。両者のリーダーは同じ6年生ですで元々一緒にバンドをやっていたけれど、方針の違いで別れました。
 紗良は母親が昔うたっていた『忘れられた歌』を見つけますがそれは、もう演奏してはいけない歌となっています。何故?
 バンド物としてはごくスタンダードな展開ですがそれは作者の意図するところ。そのスタンダードの背景には、今や首都が北海道にある近未来があります。自主規制や統制で、「非国民」的な物が隠された世界。だからこそ、スタンダードが活きてきます。

『仮面の街』(ウィリアム・アレグザンダー:作 齋藤倫子:訳 東京創元社)
 架空の街ゾンベイ。孤児のロウニーは、魔女グラバの家で暮らしています。グラバは身寄りのない子どもを集めているのです。ロウニーは街で禁止されてる芝居をしているゴブリン一座と知り合います。そして行方不明の兄ロウワンの情報を得る。ロウニーはゴブリン一座と行動を共にすることに。それは、グラバに追われることを意味し、また、芝居を禁止した市長に逆らう行為でした。
 体の一部が機械仕掛けの住人たち。監視する鳩。魔法。物語はたった四日の出来事ですが、ゾンベイ市も含め、溢れる想像力と濃密に構築されている世界観が素晴らしい。逸品。

『ダニーの学校大革命』(レッシェル・オスフェテール:作 ダニエル遠藤みのり:訳 風川恭子:絵 文研出版)
 学校嫌い、先生嫌いのダニーは、クラス委員選挙に出るはめになってしまい、選ばれないために、「ぼくに票をいれないで」と演説したのですが、それが受けて満票でクラス委員に。
 委員会でもやる気のないダニー。
 気晴らしに、先生たちが消えていく物語を書き始めたのですがそれがクラスの人たちに受けてしまい……。
 先生はダニーに考えさせ、議論しながら説得していくし、ダニーも意見を述べていく様が、すがすがしい。

『ベッツイ・メイとこいぬ』(イーニッド・ブライトン:作 ジョーン・G・トーマス:絵 小宮由:訳 岩波書店)
 大人がほどよい距離感で子どもを見守りながら、子どもは自由を満喫する。そうした、児童文学自身の良き時代を伝える物語。
 初めて手紙をポストに入れに行くことになったベッツイ。誇りと興奮と緊張で出かけます。無事ポストまでたどり着いた彼女。やったあと思ったら、ポストの受け入れ口まで手が届かない。
 お使いを頼まれる喜びと、まだ小さな子どもだと気づかされる落胆。もちろん、それもまた大人によって上手にフォローされます。ベッツイの誇りを決して傷つけないように。

『みどりのトカゲとあかいながしかく』(スティーブ・アントニー:作・絵 吉上恭太:訳 徳間書店)
 良いタイトル。ってか、何? と思わせたところで導入はOK。
 ページを開くと、タイトルに嘘偽りはなく、みどりのトカゲとあかいながしかくの形状の物が争っています。何?
 陣取りというか、戦争です。
 画面の中では緑が多くなったり赤が多くなったり。怪我するのもいてかなり大変な状態。
 これが寓意なのは誰にもわかりますが、それがみどりのトカゲとあかのとかげとか、みどりのながしかくとあかのながしかくといった対立でないところに、この作品の深度があります。
 とかげに身を寄せると、なんだか赤い積み木をしているようにも見えるのが可笑しいし、怖い。

『ゆうだちのまち』(杉田比呂美 アリス館)
 日常の強固さが時代に抗する一つの方法であると思わせてくれる杉田。
 本作では、おとうさんと一緒にお買い物に出かけたゆきちゃんが夕立に遭遇する風景を切り取っていきます。
 ポツポツと雨粒が落ちる所から始まって、一瞬の本降り、そして晴れ間。
 そんな何でもない時間の中に、驚きやときめきや暮らしや気持ちの行き交いがあることを、杉田は描いていきます。
 暑さで乾燥した少しほこりの臭いのする地面に雨の臭いが混じって、涼しい風が吹きといったゆうだちの時間が目の前に立ち上がってきます。

『夢にめざめる世界』(ロブ・ゴンサルヴェス:作 金原瑞人:訳 ほるぷ出版)
 ロブ・ゴンサルヴェスだまし絵世界のすごさはこれまでの三作『終わりのない夜』『真昼の夢』『どこでもない場所』でもうわかっているのですが、それでもやっぱり驚かされますね。
 だまし絵なんですが、ごく当たり前の風景が想像力によって不思議の世界と繋がっていく感じがよく出ています。それはつまり、私たちは想像によってどこまでも行けるってことを現しています。
 金原は、言葉をシンプルかつリズミカルにすることで、画の現前性を支えています。

『船を見にいく』(アントニオ・コック:作 ルーカ・カインミ:絵 なかのじゅんこ:訳 きじとら出版)
 港。船の修理や点検が行われている。
 「ぼく」はパパと一緒にそれを見に行くのが好きだ。
 船、旅、遠い憧れ。静かな時間。
 「ぼく」の心は、パパやママより遠くを見ている。
 ルーカ・カインの船の絵をとにかく見よう。

『1ねん きせつの こうさくあそび』(まるばやし さわこ ポプラ社)
 工作のおもしろさを伝えます。
 手軽に入る品々を使って、色々作ります。ひな人形。弦楽器。クリスマスツリー。うちわ。リース。
 作る喜びは、大人になるとなかなか感じる機会がありません。物はつくられるんだってこと、できあがっていく楽しさ、そして手作り感は商品や製品では味わえないものです。
この本をヒントにして、たくさん味わってくださいな。

『みんなともだち』(二宮由紀子:さく 海谷泰水:え 教育画劇)
 庭で干されているうわぎの所に、うさぎとうなぎがやってきました。
 あ、なんか名前似てるね。
 ということで、うわぎとうさぎとうなぎは一緒に遊びました。
 うわぎはともだちが出来て大喜び。楽しい日々。
 ところが、ある日、庭のみかんの木にさなぎを発見。
 名前似てるね。
 うさぎとうなぎは喜びましたがうわぎはなんだか面白くない。
 さてこの関係はどうなっていくのか?
 二宮のユーモアとウィットが、「ともだち」について教えてくれます。

『ルイ・ブライユと点字をつくった人びと』(高橋昌巳:監修 こどもくらぶ:編 岩崎書店)
 点字はどのようにして生まれたかは描かれています。
 19世紀、暗い中でも読める暗号としてフランス軍人のシャルル・バルビエが12点の点字を考案するも、わかりにくくて使われなくなる。たまたま盲学校を訪れた彼はその点字を紹介し、それまで浮き出し文字を読んでいた子どもたちに受け入れられます。が、それでもやはり12点は複雑過ぎる。そこで、生徒のブライユは三年がかりで6点点字を作り上げる。若干一五歳。
 後半は、日本の文字をどう点字にするかに尽くした石川倉次たちについて語っています。
 資料写真・図も豊富で、点字が身近になりますよ。

『ひゃっくん』(竹中マユミ 偕成社)
 ゆうたろうはおばあちゃんから百円玉をもらいます。ゆうたろうはその百円玉に声をかける。人間から声をかけられるのは初めて。百円玉も返事を返します。
 ゆうたろうはそれをひゃっくんと名付けます。
 けれど、欲しいおもちゃにひゃっくんを使ってしまうゆうたろう。
 再び出会うまでのひゃっくんの旅が描かれていきます。
 ともだちのようなひゃっくんは、百円玉という属性を持つわけで、それは何かを交換できる。ともだちは交換できないけれど、百円玉は交換できる。
 その二重性がおもしろいですね。

『マララの物語 わたしは学校で学びたい』(レベッカ・L・ジョージ:文 ジャンナ・ボック:絵 西村書店)
 マララのこれまでを、簡潔にわかりやすく描いた絵本です。
 女子も教育を受ける権利があるという、最初の主張に視点を合わせているので、英雄物語的にはなってはいません。そこがいい。

●「読書探偵作文コンクール2016(第7回)」開催!
〜外国の物語や絵本を読んで、おもしろさを伝えよう!〜

 募集作品:翻訳書を読んで書いた作文
 対  象:小学生
 しめきり:2016年9月23日(金) 当日消印有効
 枚  数:原稿用紙5枚(2,000字)程度まで
 選考委員:越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美(いずれも翻訳家)
 賞  品:最優秀賞/賞状、図書カード5,000円分
      優 秀 賞/賞状、図書カード1,000円分
      (応募者全員に作文へのコメントと粗品をお送りします)
 主  催:読書探偵作文コンクール事務局
 協  力:翻訳ミステリー大賞シンジケート、やまねこ翻訳クラブ

 詳しくは専用サイトをどうぞ!→http://dokushotantei.seesaa.net/
 たくさんのご応募、お待ちしています!!

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『ハルとカナ』(ひこ・田中:文 ヨシタケシンスケ:絵 講談社 2016/8/25)
『なりたて中学生 上級編』(ひこ・田中 講談社 10月刊行予定)