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西村醇子の新・気まぐれ図書室(22) ――臨時開室――
 今月は諸事情により通常の原稿が書けなかったため、「週刊読書人」に掲載された書評の転載のみとなっている。来月は、大丈夫……だとよいが。
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猪熊葉子著『大人に贈る子どもの文学』(岩波書店2016年8月) 
 本書の著者である猪熊葉子氏は生涯の仕事として子どもの本を選び、聖心女子大学をへて一九九〇年からは白百合女子大学で教鞭をとった。教授退任を記念した一九九九年の最終講義は加筆され、『児童文学最終講義』(すえもりブックス、2001)として出版された。それから約十五年。本書は著者が長年あたためてきた児童文学の価値を述べたものである。
 一章「子どもの本とわたし」は、著者の自伝的記述が中心。現実生活から逃げたかった著者が、本の世界に一種の家出の形をとったことが述べられている。そして読書によって自分の中の闇に気づいた清水真砂子、主人公の内面との出会いが読書に転機をもたらした内田樹の例を挙げ、子どもの読書は一様ではないと、釘をさしている。
この章はまた、研究者となってからの略歴を述べることで、子どもの本が置かれてきた状況を回顧している。たとえば著者は一九五〇年代末に英国へ留学したが、当時英国で児童文学の講座を設けている大学はなかったこと、帰国後に著者が担当した児童文学の講座がおそらく日本で初めてであった、という。
 二章「子どもの本を大人が読むということ」は、子どもの文学は単純で楽天的で、大人には無縁なもの、したがって研究するにも値しないといった「偏見」に、大人と子どもが本を共有する「クロスオーバー・フィクション」を通じて反証を試みている。
まず挙げられたのはJ・K・ローリングの<ハリー・ポッター>シリーズで、二〇世紀末に巻き起こった同書のブームが、子どもの読書力に関する大人の思いこみを覆すにとどまらず、賛否両論を起こしながらも多数の大人読者をも獲得したことを指摘する。ブームの背景には、生きにくくなった社会・時代に人々が無意識のうちにおこなった批判があるという。著者が<ハリー・ポッター>現象を好意的に受け止めているのは意外だったが、文学的価値に関する検証はまだこれからだ、と念を押しているのがいかにも著者らしい。
三章「子どもの文学の書き手たち」では、ルイス・キャロル、ローズマリ・サトクリフ、フィリパ・ピアス、メアリー・ノートンを前述の「クロスオーバー・フィクション」に分類される可能性をもった作品の書き手とし、その執筆の動機を人生と絡めて考察している。そこからわかるのは子どもの文学を書く動機が一様ではないこと。つねづね作家の伝記研究の重要性を主張してきた著者の本領が発揮されている部分である。
四章「子どもの文学の特質」では、二章に続き、子どもの本は単純という世間の見方にたいする反論が行われている。この見方は、どもと大人の本の特質を知った上での結論かは疑問だ、と著者はいう。とはいえ、たいていの子どもの文学の素材や構造・表現が、大人のそれに比べて単純に見えることは、否定できない。だが著者は、「読者をその世界にとどめておくことが可能なら、それは『文学的価値』をもつといっていいのではないか」と主張する。あれこれの判断を下す前に作品に引き込まれるとき、子どものための文学は大人も楽しむ文学になる、というのが著者の主張である。
本書の書名にもっとも適合するのが五章「大人にすすめたい物語」である。本書で約一〇〇頁を占めていて、二六点について作品概要、お勧めポイント、作者に関する情報などが、比較的短いスペースに要領よく詰めこまれている。
本書の最大の特徴は、子どもの文学をめぐるいくつかの疑問に回答を提示し、児童文学の旗振り役世代としての責務を果たしたことである。それは著者が継続して行ってきた全仕事の意義を語りかける。
(「週刊読書人」2016年11月4日号5面掲載)

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ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。

11月の読書会は『リクと白の王国』(田口ランディ/著 キノブックス 2015年10月)を取り上げました。母を3年前に亡くした小学5年生のリクが精神科医の父とともに3.11の2か月後から福島に住み始めます。マスクをし続け、外へ出たり窓を開けたりできず、大人たちの不安や怒りが渦巻き、福島の内部でも外との関係においてもぎくしゃくしている中で息苦しい生活を余儀なくされますが、冬休みに異年齢の子どもたちと北海道の野村さんの家で過ごすという体験を通して、福島で生活することについて「ぼくは、ここに越して来てよかったと思う」と言うようになります。

読書会のメンバーからさまざまな意見が出されました。まず、父親がリクを連れて福島で住むことを決意したことに対して、その迷いを読み取ったメンバーがいる一方で身勝手で無責任な行為だという意見も出ました。同じように、リクの叔母がリクの着ていた服をばい菌のように扱ったり、福島に住んでいることを罪悪であるかのように責めたりする様子を、リアルに描いている、11月19日に報道された横浜市のいじめ問題を彷彿とさせると肯定的に捉える人がいた一方、リクを放射能から守りたいという叔母さんの意見そのものは当然ではないかと書きぶりを批判する意見も出ました。また、この作品には、ファンタジー的要素があり、北海道でコロボックルのようなトンチという小人が出てきて、リクの心をなごませ、福島でも現れて不安な人の心をなごませますが、その評価もリアルな作品の中で浮いていた。トンチで解決したように見せるのは、読者を丸め込もうとしているように感じた。という意見がある一方で、トンチが津波で両親を亡くした小学1年生のマサトや心を病んだ青年に見えたことで救われたところがよかった。という意見もありました。結末に関しても、リクが福島に住み続けるべきではないと考えるメンバーは否定的でした。

他にも、リクの通う学校の教員である岩本先生の気持ちが理解できる。子どもたちが交流できない状況、大人たちが疲れ切っている様子がよくわかる。一人っ子であったリクが北海道で妹や弟ができたことが成長につながった。リクが前向きに生きているところがよかった。北海道の自然に触れたことがリクの成長を促した。雪の景色の描写が魅力的。手紙で始まって手紙で終わるという構成が巧みだと思った。リクが転校する場面が作りすぎているように思った。なかなか情報が伝わらず、特に子どもの声が伝わらない状況の中でこの本が出たことは貴重。福島キッズプロジェクトに関わった著者だからこそ書けたが、そのことが作品に返って制約を与えてしまっているのではないか、つまり福島キッズプロジェクトという実際にあったことに取材してフィクション化する難しさを感じたなどの意見が出ました。

加えて最近、福島の知り合いを訪ね、飯館村から南相馬までを見た人や、津波があった東北を訪ねた人が感じたこと、衝撃を受けたことなどを報告してくれ、作品をきっかけに、テレビ番組等についても話し合われました。

私自身、3.11についても田口ランディさんの作品についても勉強不足で、本欄にこの本について書くことにためらいがありましたが、報告することで、読んでくださっている人たちと考え続けたいという思いで書かせていただくことにしました。

3.11以後、絵本やノンフィクションでは3.11をテーマにした本が多く出版されてきましたが、10代を含む子ども向け読物の中で3.11を正面から取り上げた作品はなかなか出て来ませんでした。そういう意味で、『リクと白の王国』はとても新鮮に感じられましたが、この1年で『アポリア あしたの風』(いとうみく著 童心社 2016年5月)、『フラダン』(古内一絵著 小峰書店 2016年9月)などの本が出版され、より広い議論ができるようになってきました。

私は『リクと白の王国』が出版されたことで、読者がリクの視点でフクシマを見ることができたことの意味は大きいと思います。そして、結末のリクの言葉は、リクが経験したことを考えると納得できます。一方で、リクの家族とは異なる決意をして生き続ける人も肯定的に描かれることによって、作品が議論できる場となり、作品がより深まったのではないかと思いました。ただ、トンチの設定は、読書会のメンバーも指摘していたように安易だと思いました。

直接、間接に関わらず、3.11をテーマにした作品がより多く出版されることで、私を含めて大人も子どもも、現在進行中の3.11を考え、議論を続けることが重要だと思いました。(土居 安子)

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 今月号の「ユリイカ」は、「『ファンタスティック・ビースト』と『ハリー・ポッター』の世界」特集。わたしも「子ども部屋から書斎へ」というタイトルで書かせてもらっています。
 2001年を、クロスオーバー・フィクションの元年=子どもの本と大人の本の境界線が(ほぼ)消滅した年としてとらえ、ハリー・ポッター以降の英米のYA文学の流れを追っています。
 先日、日経新聞の記事で、『君の名は。』のヒットの理由に、「アニメとは思えないような美しい風景描写」を挙げているのを読みました。(http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ28II7_Y6A121C1EA2000/)
 この「アニメとは思えない」に、よく見かける「児童書とは思えない奥深さ」とか「児童書"だけど"大人も面白い」といった表現を思い出さずにいられませんでした。好みの問題はおいておいて、新海誠監督は「アニメ独自の」「アニメにしかできない」方法で風景を描写しているんだと思います。
 児童書やYAも、「児童書独自の」「児童書にしかできない」方法でいろいろなことを描いているのだと思います。なので、猪熊葉子の『大人に送る子どもの文学』(岩波書店)はとても刺激的でした。
というわけで、「ユリイカ」の文章の最後に、今後の課題を記しましたので、そこだけ抜粋させて下さい(本当に最後の短い段落だけですが)。全文も読んで頂ければ、幸いです。


「子ども部屋から書斎へ 『ハリー・ポッター』以降の英米YA」からの抜粋

(略)
ファンタジーは今や、あらゆるジャンルに「ふつうに」取入れられ、SFファンタジー、ファンタジー・ロマンス、ディストピアン・ファンタジーなどという言葉も頻繁に見かけるようになっている。それは、長らくマージナルなジャンルでありつづけたファンタジーが、ついにメジャーに躍り出たということなのだろうか。そして、紛れもなくその後押しをした児童書・YAが、ようやく文学として正当な注目を浴びるということだろうか。児童文学研究家の猪熊葉子が近著『大人に贈る子どもの文学』(岩波書店 2016)で、児童文学が長く文学研究から無視され続けてきたことを嘆き、今こそ大人が子どもの本を読む時だと述べているが、2001年が9.11テロの年でもあることを考えると、ブームは起こるべくして起こったのかもしれないと思う。最後に、今後の課題として、欧米・アジアでの盛り上がりがいまひとつ、日本には届いていないことを挙げておきたい。
(「ユリイカ」 平成28年 12月号より)

〈一言映画評〉 三辺律子 *公開順です

『マダム・フローレンス 夢みるふたり』
 ニューヨークの富豪フローレンスは、パトロンとして音楽家を支援する傍ら、自分でも歌手としてリサイタルを開いていた。夫のシンクレアの「根回し」のおかげでリサイタルはいつも盛況&絶賛。ところがそれを本気にしたフローレンスが、カーネギーホールで歌うと言いだしたから、さあ大変。道化にもなりかねないフローレンス役をかわいく演じられるのは、さすがメリル・ストリープ。そして、いい加減だけどいいやつを演じさせたら絶品のヒュー・グラント。ベテランの力。

『ニーゼと光のアトリエ』
 精神疾患治療でロボトミー手術や電気ショック療法がふつうに行われていた40年代。ブラジルの精神病院を舞台に、芸術療法を取入れようとする女医ニーゼの奮闘を描く。当時の病院は完全な男社会。ユングから絶賛の手紙がくるが、そのユングもニーゼを男性だと思っていた。「ユングも男女差別主義者なのね」とユーモアたっぷりに言うニーゼがかっこいい。

『TOMORROW パーマネントライフを探して』
 「ネイチャー」誌に載った、近い将来人類が絶滅する恐れがあるという記事に衝撃を受けた女優メラニー・ロマンたちが、農業や、エネルギー、民主主義、教育などの分野での新たな取り組みを行う人々を訪ね、世界中を旅する。コンセプトが『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』に似ているけど、こちらのほうがちょっと楽観的(きれい)すぎるかな。

『ストーンウォール』
 1969年のストーンウォ−ルの反乱(同性愛者の権利獲得運動の転換点となった暴動)を映画化。ゲイであることが発覚し、両親に見放され、故郷のインディアナ州を追われたダニーが、ニューヨークのクリストファー通りに流れ着き、ストーンウォールの反乱に参加するまでを追う。129分を一気に見せます。

『ネオン・デーモン』
『ドライヴ』のレフン監督。モデルを夢みてロサンゼルスへやってきた16歳のジェシーが、ファッション業界の毒に染まっていくさまを描く。美に固執する女性たちというストーリー展開はやや紋切り型な気もするけど、毒々しい映像はさすがです。主演のエル・ファニングが最高にかわいい。

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以下、ひこです。
【児童文学】
『おたんじょうび、もらったの』(服部千春:作 たるいしまこ:え 岩崎書店)
 拾われネコのミルクは、自分のお誕生日を知りません。ハルの誕生日祝いのために家族ははりきりますが、ミルクはしょんぼり。だって、お誕生日がないんだもん。
 さて、物語はハルをどう幸せにしてくれるかな?

『ぐるぐるの図書室』(工藤純子・ 廣嶋玲子・ 濱野京子・菅野雪虫・ まはら三桃 講談社)
 デビュー10周年記念に5人が結集した作品。
 こうしたばあい、どうしても同じ登場人物のキャラクター調整や、互いの作風への気遣いで、割とフラットな作品に仕上がってしまう場合が多いですが、本作は共演ではなく、まさに競演。
 本当にそれが必要な人にだけ見えてしまう、図書室前の茜色の紙。それにつられて入って図書室。という所までがお約束で、もう一つのお約束、本を巡っての話という主題は、五人五様。よくこれで成立できたなあ〜。と感心しきり。

『クリスマスとよばれた男の子』(マット・ヘイグ:作 クリス・モルド:絵 杉本詠美:訳 西村書店)
 母親が亡くなった後、父親はおばさんを呼んでニコラスの面倒を見てもらい、ある仕事に旅立つ。が、このおばさんがとんでもない人で、ニコラスは父親探しに旅に出るが、そこには多くの困難が待ち受けていた。
 現実という痛みも伴いながら、少年がいかにしてサンタクロースになったかを描いたファンタジーです。彼が何故靴下にプレゼントを入れるのか。何故あの衣装なのかも語られます。

『ジョージと秘密のメリッサ』(アレックス・ジーノ:作 島村浩子:訳 偕成社)
 10歳ジョージの心の中にはメリッサがいます。いや、メリッサの外見がジョージかな。
 だから、彼・彼女はそれを隠しておくのが辛い。
 学校でやる舞台『シャーロットのおくりもの』で彼女・彼はシャーロットをやりたいけれど、できるかどうかわからない。
 親友のケリーは、自分もシャーロットをやりたいけれど、ジョージがやってもかまわないと思っている。男の子がやってもいいじゃないと。でも、違うんだケリー。ぼくは男の子じゃない。女の子なんだよ。
 トランスジェンダーの子どもを描いた児童書です。
 母親や兄やケリーは彼をゲイだと思っているのが困るのですが、子どもも含めてほとんどみんながレズ、ゲイ、トランスジェンダー(バイセクシャルは出てきません)の意味を分かっているのがいいです。
 そこが第一歩ですから。

『ひかり生まれるところ』(まはら三桃 小学館)
 希美は今神職に就いています。神職の日常が、まはららしく詳細に描かれながら、彼女が何故その道を選らんだか、子ども時代のエピソードを差し挟みながら進んで行きます。
 子ども時代に遺してしまった問題、つまり引きずり続けた問題が大人になり、どう解決、受け入れていけたのかが語られていきますから、YAが読む場合、未来にかすかな希望が生まれるでしょう。

『すべては平和のために』(濱野京子 新日本出版)
 近未来。和菜は国家間の紛争解決をする企業平安コーポレーション社長の娘。国際貢献をしたいと思っている、大學進学前の17歳。そんな彼女に和平調停の依頼が舞い込む。どうして私に?
 和菜は、独立したての小国における内戦を調停できるのか? そうして彼女は平安コーポレーションの意外な素顔も知っていくこととなる。
 理想と現実、大人社会の裏と表。答えの出ない問いの中で和菜は生きています。

【絵本】
『MONUMENTAL 世界のすごい建築』(サラ・タヴェルニエ&アレクサンドル・ヴェルイーユ:作 河野彩:訳 ポプラ社)
 古今東西、印象的な建物178を世界地図と解説によってご紹介。大建築はどれも威圧的なものですが、所詮、器なので、ビビらずそのまんま受け止めるのが吉。ロマネスク、ゴシック、ロココ、そしてアールヌーヴォーのように歴史を背負っているものは、建物から歴史へと興味を広げてくれる子どもが増えてくれると嬉しい。
 しかし、旧共産圏の建築の不細工さ(威圧が強すぎる)は見ていてシンドイ。

『ふたりはバレリーナ』(バーバラ・マクリントック:作 福本友美子:訳 ほるぷ出版)
 子どものエマ。大人のジュリア。二人がバレエのレッスンに行く姿が平行して描かれていきます。エマはバレリーナを目指しています。レッスンを終えた二人は、着替えて、それぞれの目的地へ。
 エマは劇場へ。
 ジュリアが劇場へ。
 え? 同じ場所?
 そう。エマはバレエの公演を見にやってきました。
 ジュリアは、バレエの公演をしにやってきました。
 なんて素敵なストーリー。
 またまたマクリントックにやられました。

『トマとエマのとどけもの』(大庭賢哉 ほるぷ出版)
 小人の子どもトマとエマは隣の村の祖父母の元へお届け物のお手伝い。危険を乗り越えて果たしてたどり着けるか?
 前のページと次のページが途切れなく続いています。つまり、もし一枚絵で描けば絵巻物になります。遠近感、スケールの問題など色々難しそうですが違和感なし。
 すごく腕利きのオリジナル絵本デビュー作です。

『メートルのえほん 単位がわかる1』(ほるぷ出版)
 メートルは赤道から北極までの長さの1000万分の1ですが、こうした単位の共有化は大航海時代から必要になってきた物です。単位を定める覇権争いも激しかったのですが、メートルは最終的にフランスがその単位を定めました。
 とはいえ私たちが体感的に、直感的に1メートルを把握しているかというと、かなり怪しく、この絵本は、それを様々な身近な物から知らせる物です。
 単位は、私たちを縛る基準でもありますが。
 楽しみなシリーズです。

『エマのたび』(クレール・フロッサール:文・絵 エティエンヌ・フロッサール:写真 木坂涼:訳 福音館書店)
 これ、いいなあ。
 ニューヨーク、ブルックリンに住むスズメのエマはボブおじさんからパリの素晴らしさを聞く。そしてエマはパリに行くことに。
 絵本はエマの長旅を描いていくのですが、絵と写真が絶妙に溶け合って、絵で見る距離感と写真で見る時の距離感の違いの間で、クラクラしながら引き込まれていきます。最後はノートルダム寺院だよ。

『くつした しろくん』(ザ・キャビンカンパニー:作 すずき出版)
 片っぽだけになってしまったくつしたのしろくんが相方を求めて、次々と色んな靴下をたずねていきます。おもしろい!
 ザ・キャビンカンパニー独自の言葉と絵のリズムが今回も大いに楽しませてくれます。
 クリスマスだもんね。くつしたくんの出番だ。

『もみの木のねがい』(エステル・ブライヤー&ジャニィ・ニコル:再話 おびかゆうこ:訳 こみねゆら:絵 福音館書店)
 森の中でたくさんの木と一緒にいる小さなもみの木。自分の葉っぱはちくちくとがって、はりみたいだと嘆くもみの木の願いを妖精が叶えてくれますが、どの葉っぱも結局もみの木を幸せにはしてくれません。
 ちくちくとがって、はりみたいな葉っぱに戻ったもみの木は、掘り返され、素敵な家のクリスマスツリーとなります。
 実にクリスマスらしい、願いに満ちた一作です。
 いつも暖かなこみねの絵が、作品に膨らみを与えています。

『むしめがねの ルーペちゃん』(くりはらたかし アリス館)
 ルーペちゃんの元に、こびとさんが。赤いハンカチをなくしたそうです。そこでルーペちゃん、得意の大写しで、色んな物の中から赤いハンカチを探します。
 単なる捜し物絵本ではなく、ルーペを使うことによって、相手の雰囲気が変わるというか、例えば真っ赤なイチゴのツブツブとかがわかる工夫がいいですね。探す+発見。

『こわい、こわい、こわい』(ラフィク・シャミ:文 カトリーン・シェーラー:絵 那須田淳:訳 西村書店)
 怖いをめぐるお話しです。
 まだ、恐怖を知らない子ネズミ。母親から、ネコのことで怖いから気を付けるように言われますが、ミナはそっちではなく、コワイって何? が気になって仕方がありません。
 そこで巣を出て色んな動物にコワイを聞くのですが、ライオンもハリネズミもみんな、怖いものはないという。
 ますますコワイがわからなくなるミナ。さて、どうわかるのか?
 話の展開のおもしろさが、さすがシャミ。

『マルヒゲーニョさんのウルトラ・マシーン』(イラリア・グアルドゥッチ:さく たかはしたかこ:やく ほるぷ出版)
 甘い話にはつい乗ってしまうのが人の常。マルヒゲーニョさんったら、はなくそやうんこやげっぷで、素敵な品物が出来るマシーンを売りつけています。買って、そのとおりになって喜ぶ購入者。でも効果はやがて切れてしまい……。
 このアホな話を考えつくイラリアはエラい。そして何より絵が巧い。

『ファウスト』(バルバラ・キンダーマン:再話 クラウス・エンジカート:絵 酒寄進一:訳 西村書店)
 『ファウスト』をちょっと知っておく。『ファウスト』入門。どちらにも使えます。そしてなんと言っても、クラウス・エンジカートのペン画をお楽しみください。ほれぼれ。
これは、YA以上も読まないと! という絵本。

『ふって! ふって! バニー』(クラウディア・ルエダ:さく 二宮由紀子:やく フレーベル館)
 参加型絵本。
スキーをしようとしている兎のバニー。でも雪がない。絵本をふって! ふって! 今度は振りすぎ。
滑るには、絵本を傾けて。
という具合で、絵本をおもちゃのようにして遊びながら読みます。

『シャクルトンの大漂流』(ウィリアム・グリル:作 千葉茂樹:訳 岩波書店)
 南極大陸横断を試み、氷に閉じ込められ、17ヶ月の戦いの後、部下を救い、無事帰還した男の伝記絵本。
 ウィリアム・グリルのこだわりは並々ならぬ物が有り、その冒険と危機のなかでの乗組員たちの日常を描いていきます。冒険とはこうした日常に耐えていくことでもあるんですね。
 被写体に近づきすぎず、距離を保った画は、読者の参加をうながします。
 これがデビュー作とは!

『耳の聞こえないメジャーリーガー ウィリアム・ホイ』(ナンs−・チャーニン:文 ジェズ・ツヤ:絵 斎藤洋:訳 光村教育図書)
 耳が聞こえないというのは、例えば守備ではとても不利で、打者が打った瞬間にその音で距離と方向を瞬時に判断することはできないのですが、それでもメジャーリーガーとなった実力者ウィリアム・ホイの伝記絵本です。
 知らなかったのですが、「ストライク」や「セーフ」などのジェスチャーや、チームのサインなどを考案した一人が、このホイさんだったのですね。つまり、野球での審判の仕草は手話なのだ。

『人くい鬼』(こみねゆら:文と絵 あすなろ書房)
 あまり知られてはいないグリム昔話をこみねゆらが絵本化。
 事情があって、あるお后様は、生まれたばかりの女の子を金のゆりかごに入れて海に流します。それを見つけたのが、人くい鬼のおかみさん。あんまり可愛いので、夫に知られないようかくして育てます。時は流れ、娘は人くい鬼の息子と結婚させられそうになり、出会った王子と逃げるのですが……。王子と姫の逃避行が見せ場です。
 子育て、人くい、逃避行、恋の成就と、めまぐるしく展開していく話ですが、こみねの画はゆらぐことなく、それ故物語の起伏がより印象づけられます。

『しょうてんがいくん』(大串ゆうこ 偕成社)
 タイトル通り、商店街はしょうてんがいくんなのだ。もちろんモノレールくんもいるし、トラックくんもいる。かれらの内部構造まで詳しく書いてある。
 はじめてのおつかいに出かけたたけしくんは、果たしてしょうてんがいくんのたどり着き、無事、任務を果たせるか。みんなも手伝おう!

『とびっきりのおむかえ』(ニコラ・チンクエッティ:作 ウルスラ・ブッヒャー:絵 やまねかずこ:訳 きじとら出版)
 幼稚園が終わり、みんなお迎えがやってきます。ジョバンニの今日のお迎えはおじいちゃん。「とびっきりのびっくりがある」と言っていたので楽しみにしているのですが、ちっとも迎えに来ない。
 ネコが来ました。おじいちゃんそっくりの瞳の色。そうか、これがおじいちゃんだ! でも、違うよね。今度は犬がやってきて、おじいちゃんのあごひげそっくりのもしゃもしゃ。そうだ、きっとおじいちゃんだ! でも……。
 さて、おじいちゃんは現れるのか? 言っていたびっくりとは?
 暖かくなること必至の絵本。

『地球のかたちを哲学する』(ギヨーム・デュプラ:作 博多かおる:訳 西村書店)
 世界の様々な民族が考えた地球の形が描かれていきます。丸、三角、四角、十字。何かの上に乗っかっていたり、山に囲まれていたり、空洞があったり。それは人類の想像力の歴史でもあるし、想像力の限界の歴史でもあります。
 それらをただ列記するのではなく、ギヨームは仕掛け絵本にしてしまいました。
 様々な時代を地域の想像力を丸ごと手に入れる絵本。うん。哲学。

『ぼくのいちにち どんなおと?』(山下洋輔:作 むろまいこ:絵 福音館書店)
 こうちゃんは、朝起きて幼稚園に行って、帰ってきて眠るまで、色んな音に遭遇します。その音をイメージした様々な色と形の物たちが、画面に踊っています。
 山下らしい、音の表現を存分に楽しんでください。
 いやあ、面白くて楽しい。

『きょうりゅうたちのいただきます』(ジェイン・ヨーレン:文 マーク・ティーグ:絵 なかがわちひろ:訳 小峰書店)
 小さな子どもを、きょうりゅうに見立てたシリーズ三作目です。
 今回は、お食事であります。
 プロトケラトプスくんはどうですか? スピノサウルスくんは上手に食べられますか?
 みんな、お食事の時は、結構お行儀いいね。
 子育て中の大人の共感必至のシリーズですよ。

『きょうはそらにまるいつき』(荒井良二 偕成社)
 人や生き物の様々な暮らしの終わりに置かれる、丸い月。
 そこに私たちは、希望を見てもいいし、調和を感じてもいいし、なんでしたら終わりを意識してもいい。
 ある時間の一瞬を切り取った見開きは絵画のようでありつつ、ページを繰らずにいられないという意味で絵本でもある。
 そのあわいに、丸い月の光。

『やだやだパパやだ!』(天野慶:文 はまのゆか:絵 ほるぷ出版)
 きたぞ。あの『ママ』のパパ版だ。
 パパに文句ばっかり言っていたら、パパ、段々怪獣みたいに変化してきて、これを戻すにはどうすればいいのか?
 親ちゅうもんをいじくりたおす快感に満ちた第二作であります。
 パパ、かわいいなあ。

『わたし、お月さま』(青山七恵:文 刀根里衣:絵 NHK出版)
 お月様の所には、人間が来たこともあります。彼らと地球を見てきれいだねって言い合いました。
 お月さまは思いついて、地球をたずねることに。色んな物に姿を変えて地球を旅します。
 でもそれは、空からお月さまが消えたってことですから、人間は大騒ぎ。お月さまの大切さを思います。
 思わぬ展開と刀根の幻想的できらめく画が素敵。

『小学校の生活』(はまのゆか:絵 Gakken)
 小学校入学から卒業までの学校生活をわかりやすくたどる絵本。
 入学式、科目、休み時間。はまのの絵が細かく、そしてわかりやすく伝えていきます。
 ただ淡々と描いてあるのに、いや、描いてあるからでしょうか、卒業式の画面では六年間を振り返る気持ちになります。
 入学前の子どもと親に、どうぞ。

『ペンギンかぞくと おそろしい山』(藤原幸一 アリス館)
 ペンギンの子どもアクアをとマリア。両親は大事に育てています。この写真絵本は彼ら一家を追っています。
 餌をもらい大きくなっていくアクアとマリア。
 父親は餌を求めて海へ。しかしその途中、人間が遺したゴミの山で足を怪我します。そして、海へ出たとたん、アザラシに食べられてしまう。
 餌をとりにいった母親も帰ってこないので、マリアは子どもペンギンの集団から離れてさがしに行こうとしますが、オオトウゾクカモメに襲われ、食べられてしまいます。
 こうした現実を藤原は写真のなかで事実は事実として見せていく。そうして、自然と、それを破壊する人と、動物の営みを描いていきます。

『こびん』(松田奈那子 風濤社)
 女の子が海へ流す小瓶。流れてそれは様々な岸辺に着き、様々な人の様々な声と、音と、手紙を託されて行きます。
 小瓶の旅を人生を読むもよし、平和への願いと読むもよし。そして、やっぱり、つながりとも読みたい。
 ラストで涙するより、幸せを喜ぼう。

『くまくん、はるまで おやすみなさい』(ブリッタ・テッケントラップ:作 石川素子:訳 徳間書店)
 初めての冬眠。まずその前に、春までお別れのみんなにご挨拶しれいく、くまくん、かわいいい。
 もうなんか、それだけで幸せな絵本です。
 春を待ってますよ。

『未来のために学ぶ 四大公害病』(除本理史:監修 岩崎書店)
 学ぶ、そして何より、考える。そうしたコンセプトで岩崎書店は、使えて楽しいシリーズを数々生み出しています。
 この「調べる学習シリーズ」もその一つ。
 本作は、タイトル通り、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、四つの公害病について詳しく扱っています。
 個人の家で買うことはあまりないのかもしれませんが、これからのこの国を考えるための基礎資料として学校図書館にはぜひ置いて欲しいです。

『サンタクロースの11かげつ すてきなきゅうかのすごしかた』(マイク・リース:ぶん マイケル・G・モントゴメリー:え 三辺律子:やく 岩崎書店)
 サンタが大忙しなのは12月だけ。あとは、お休みだ!
 ってことで、サンタクロースがあとの11かげつをどうすごしているかを解説してありますぞ。
 かなりいい待遇のサンタクローズ協会に属しているサンタのようだ。

『ねんどのむにゅ』『むにゅくらべ』『むにゅとにゃみー』(荒井洋行 偕成社)
 絵本で体感を模索し続ける荒井の作品。ねんどの柔らかさと存在感を、様々な状況で描いていきます。四角くなったり、丸になったり、上から落ちてへしゃげたり。細かくちぎって色んな形にして、それを組み合わせることもできます。
 さて、むにゅ感はどこまで伝わるかな?

『ケチャップれっしゃ』(ザ。キャビンカンパニー すずき出版)
 ケチャップの煙を出しながらケチャップれっしゃは、走ります。ホットドッグを見つけたら、たらり。もちろん、オムレツだって、スパゲティだって。勢いで、どこまでケチャップをかけていくんでしょうか。
 言葉のリズムと、画面が一体となって、子どもと声に出して楽しみましょう。

『くいしんぼうのクジラ』(谷口智則 あかね書房)
 谷口らしい、奔放なストーリー。「いただきます」が大好きなクジラさん。小魚にあきて大きな魚。海の魚にあきて川を遡上。魚にあきて、人間の食べ物もどんどん吸い込んでいきます。
 どないなりますことやら。
 最後は秘密。

【その他】

『不登校に、なりたくてなる子はいない。子どもといっしょに考える登校支援』(上野良樹:著 ぶどう社)
 小児科医による、登校支援の実践書。というか、不登校でやっってくる子どもとどう付き合っているかの書。
 あくまで子どもの側から考える姿勢は、当たり前のようでいてなかなかできません。つい、こちらの意見や、要求が出てしまう。
 ところが上野は、シンプルのそれを行う。来てくれてうれしいと伝えるために、馬鹿なだじゃれも辞さないし、はやりの子ども番組もチェック。心が少しひらいたら、子どものつらさに共感する。だからといってあわてない。笑顔を引き出すために何でもする。相手に併せるために多少の嘘もつく。そうして、これからも一緒に考えていくことを伝える。そして、心身の変調について、教えて欲しいと伝える。
 要は、信頼を得るために全力を傾ける。絶対に頑張れなんて言わない。無理に友だちを作れなんて言わない。子どもが心地良くなり安心するまで、あらゆる手を尽くす。