じどうぶんがくひょうろん

No.12 1998/12月20日号

           
         
         
    
(発行年は「原著年/訳年」です)

『ファンタジーの冒険 』(小谷真理著 筑摩書房 本体660円 ちくま新書 1998)
 『女性状無意識』(勁草書房)で、新たなフェミニズムの視点を提出した、SF評論家小谷が新書で差し出した、ファンタジー論。小谷は、ファンタジーからSFまでこなす人だから、当然、一般のファンタジー受容とは違い、幅の広いスタンスでそれを語っていく。ファンタジーというと、トールキン、ルイスなどの範囲を思い起こす人は、この書物にとまどいを感じるだろう。でも、なんでもありがファンタジーなんですから。
 読むと、頭がシャッフルされますよ。
 新書だから、入門書の役割も果たすことがあるわけで、その場合、この本からファンタジーに近寄っていく読者を想像するのは、楽しい。
 後半の現代日本のテクストの辺りで急ぎすぎなのは残念。そこは、本人も希望している、増補・改訂版を待ちたい。

『きょうりゅう大すき!』 (アンジェラ・マカリスター作 多賀京子訳 大社玲子挿絵 大社玲子/挿絵 徳間書店 本体1400円 1992/1998)
 きょうりゅうが好きなディニー。きょうりゅうがいた時代への通路を通って、夏休みきょうりゅうツアーに行けるようになって、おおはしゃぎ。なんとかママとパパを説得して、3人で出かける。最初不安がっていたはずのママも、すごす内に、きょうりゅう時代にはまります。いよいよ帰る日がきたのに、ママとパパはもう少し残るという。なら、私も残りたいと言ったけど、学校があるからお前は戻れと言われて怒ったディニー、友達になった赤ちゃんきょうりゅう2匹をつれて、現代に舞い戻る。
 はてさて一体どうなることやら。
 この作者、哲学科卒業の後、ナニー(乳母)として、各地で働いていたとのこと。そのためか、子どもに聞かせるほどよい長さと、物語展開を心得ている塩梅。聞き手の期待を裏切らない展開をするんですね。

『自由をわれらに/アミスタッド号事件』(ウォルター・ディーン・マイヤーズ作 金原瑞人訳 小峰書店 1400円 1998/1998)
 スピルバーグ監督の『アミスタッド』は去年日本でも公開されて、ヒットしましたが、あれは、いつも通りの特撮大作でない、マジメ路線のスピルバーグ物と同じく、人物が描けていなくて、おもしろくなかったですね。結局、アメリカ人の誠実さを示しているだけで。
 この本は、奴隷とされた、センベ達アフリカの人々の側から描きなおした物。
 この視点はいいですね。それでけでも、チェックしていい。
 けれど、ちょっと浅い。史実を正しく追う姿勢のため、物語化があまりできていない。
 残念。


『赤い糸のなぞ 』(コース・メインデルツ作 野坂悦子訳 岡本順絵 偕成社 本体1300円 1990/1998)
 これはもう、やられたなって、オランダの作品。男のクマが朝起きたら、ベッドの足に赤い糸が結びつけられている。なにかな? と、彼、糸の先をたどって、家を出、森を行く。果たしてその先には?
 一回やられると、もう、誰もマネできない、本の造り。


くの小さな村ぼくの大すきな人たち 』(ジャミル・シェイクリー作 アンドレ・ソリー絵  野坂悦子/訳 くもん出版 本体1100円 1996/1998)
 ベルギー在住のクルド人の作品。
 イラク軍のクルド攻撃を逃れて、ベルギーへ。そして、7年間オランダ語を学び、本書を刊行。
 ベルギーで何故オランダ語を? と疑問の方に説明しますと、ベルギーは南部が主にフランス語で、北部はフラマン語を使用します(首都ブリュッセルは両語を使用)。で、誤解している人が結構いますが、この北部フラマン語ってのは、オランダ語のことなんですね。
 この本は、ヒワって5才の少年の物語。それは、作者の子供時代の話。なんだか懐かしいし、日本ではもうみられない子供時代の風景です。
 そうした、私の感慨はともかく、これをジャミル・シェイクリーが書く必要があったのは、自分の、そしてクルド人の原風景を失わないためでしょう。
 ホカホカする物語です。

『キッドナップ・ツアー 』(角田光代作 理論社 本体1500円)
 読書人12月時評を、どうぞ。
 ここでは、不満を少し。語り手は主人公のハルという5年生の女の子なんだけれど、そうは思えないような、語りが出てきています。
「夏休みがはじまると、昨日までと何もかわらないはずなのに、なんだか町はちがうふうに見える。光が昨日より強くなり、木々が昨日より色濃くなり、町全体が遠足の前の日みたいにそわそわしはじめる」
「木々の落とす淡い影以外、何一つ色のない、真っ白の境内」etc。
 もちろん、5年生だっていろいろで、そんな言葉で思う子もいるでしょうけど、この子は、そんなキャラではありません。
 ということは、つまり、この子の口を借りて、作者が語っているというのが、正解でしょう。
 でも、いいストーリーですよ。
 とても映画的ストーリーだから、きっと映画化されます。これを逃してたんじゃあ、日本映画界も、迂闊。

『スターズ』(竹下文子著 パロル舎 1998)
不思議な力を持つ神田智史は、進学塾で同じ様な力を持つ仲間とであう。この都市の地下には、悪しき魔女が力をふるい、人々をおそれさせている。智史たちは、地下も潜り、魔女と戦うのだが。
 都市の地下は、地下鉄から下水道まで、迷宮のような世界があるわけで、それを使用したサイコ冒険小説。
 魔女は何故現れたのか?は、都市、地下、ごみ、環境、と列記すれば、もう述べる必要もなし。印象が薄くなるのも、むべなるかな。
 もう一ひねりが欲しい。
 力のある書き手なのだから。

『クレイジー・ホース』(ラッセル・フリードマン作 ぬくみ・ちほ訳 パロル舎 1996/1998)

 クレイジー・ホースとは、言わずとしれたスー族最後の英雄。西部へ西部へと開拓(侵略)を続ける白人と敢然と戦ったネイティブ・アメリカンのヒーロー。かつての西部劇映画では、最も恐ろしい悪役として出てきます。カスター中佐が率いる最強の舞台を謳われた第七騎兵隊を全滅させた戦いが有名。
 この本は、そんなクレイジー・ホースの伝記的物語です。ドラマ仕立てではありませんから、波瀾万丈とはいきませんが、そのため、彼の人となり、そして、追いやられていくネイティブ・アメリカンの姿が、静かに浮かび上がってきます。

『わーい、ぼくが先生だ! 』(エドワード・マーシャル文 ジェイムズ・マーシャル絵 あんどうのりこ/訳 偕成社 本体1100円 きつねのフォックス2 1983/1998)
『買いものカートでゆかいなレース 』(エドワード・マーシャル文 ジェイムズ・マーシャル絵あんどうのりこ/訳 偕成社 本体1100円 きつねのフォックス3 1983/1998)
 『おにいちゃんって たいへん!』に続く、「きつねのフォックス」シリーズの2.3巻目。
 このフォックスくん、妹の面倒みはいいし、学校では憎めないやつだし、とっても気持ちいい子ども。
 それが、キツネで描かれるのは、もうそうした子ども像が擬人化でしかリアルじゃない時代ってことでしょうか?
 そういえば、絵も物語も、どこか懐かしい雰囲気です。

『ペニーさんと動物家族 』(絵本 マリー・ホール・エッツ作・絵 松岡享子訳 徳間書店 本体1400円 1956/998)
 『わたしとあそんで』『もりのなかで』(福音館)で古くからおなじみのエッツ(1893-1984)の絵本。
 デビュー作『ペニーさん』(徳間書店 1997)の続編です。
 貧しい農民のペニーさん。農業祭が開かれることを知り、ウマのリンピーやヤギのスロップ、それから大きく育ったかぼちゃから、ひまわりの花まで持って、会場に。もし賞金が入ったら、みんなを観覧車に乗せてあげると約束。
 会場で最初の夜、他の出品物を偵察しようと、スロップたちはこっそり抜け出すのですが、とんだ大騒ぎに。警官から退去を命ぜられるはめに。
 果たしてみんなは観覧車に乗れるのでしょうか?
 もちろん乗れるようになるわけですが、そうした、「安心」に誘う物語作りの確かさは、さすがエッツ。素朴なモノクロの画風とともに、ゆったり楽しめます。

『うしがそらをとぶ 』(絵本 デーヴィッド・ミルグリム作・絵 吉上恭太訳 徳間書店 1998/1998)
 男の子は、うしがそらを飛ぶ絵を描いてみるけれど、うしはそらを飛ばないとみんなに言われるばかり。その絵をみたうしたち、そうか、そらを飛んでもいいんだ! で、うしはそらを飛ぶ。でも男の子以外だあれも、そらを見ない。やれやれ。
 このノリ、結構好みですね。

『オキクルミのぼうけん』(絵本 斎藤博之絵 萱野茂文 小峰書店 本体1400円 1998)
 アイヌモシリの創世神話を、萱野茂が日本語に翻案して、斎藤博之が絵をつけた絵本。斎藤博之の骨太の絵が、壮大な神話と見事に遭遇している。
 敗戦処理をあいまいにしたままの日本では、神話は不活性のままだから、こんなのを読むと、なんだかうらやましい。
 同じコンビの昔話は、『木ぼりのオオカミ』(絵本 斎藤博之絵 萱野茂文 小峰書店)

『ジャムおじゃま』(絵本 ヘレン・クレイグ絵 マーガレット・マーヒー文 たなかかおるこ/訳 徳間書店 本体1400円)
 太陽の黒点に関するプロのママは宇宙局から依頼され、黒点を取るための仕事で忙しくなる。でも大丈夫とパパ。りっぱな主夫として、家事・育児に専念。その仕事ぶりにママも感動!
 家の庭にあるプラムの木には実が山ほど生っている。はりきったパパはその実でジャムを3瓶作る。ところが次の朝、プラムの実はもっと生っていて、今日は10瓶のジャム。そうして毎日毎日、プラムは増え続け、食べきれなくなり、屋根の修理にまで、そのジャムを塗る始末。いくらおいしいからといって、プラムのジャムはもうたくさん!と、子ども達。
 でもがんばってジャムを使い切り、やっと他の具材をパンに乗せられるようになり、喜ぶ子ども達。ところが、季節は巡り・・・、
 マーヒーのストーリー・テラー振りを遺憾なく発揮した絵本です。

『とれとれパンピ』(ウンチマンこんにちは! おぐまこうじさく 小峰書店 本体700円)
 トイレ教育のための、知育絵本です。
 その素朴な知育の姿勢は、ありきたりなんですが、その堂々たる、ありきたりの姿勢を、私は買います。
 近頃の子どもは学校でウンコができないってレポートが最近多いだけにね。
 これ、シリーズになっていて、例えば3巻目だと、食べ物の好き嫌いはよくないよってノリの知育をしとります。

『ようこそわたしのへやへ 』(絵本 シャルロット・ラメルえ ヘレナ・ダールベックさく 木坂涼/やく フレーベル館 本体950円)
 これも、『赤い糸のなぞ 』(コース・メインデルツ作 野坂悦子訳 岡本順絵 偕成社 本体1300円 1990/1998)と同じく、「先に、やられちゃったな」ってタイプの絵本。
 なんと言っても、そのタイトル『ようこそわたしのへやへ 』を裏切ることなく、表紙を繰ると、いきなり、「この本は・・・・・のものです」とあり、そこに読者は自分の名を記すことになる。この辺り、作者は知ってか知らずか、RPG世界と、同じ。
 それから私たちは「わたし」の部屋の中を案内されることとなる。暖炉、靴、それから「わたし」自身の抜け掛けている歯。最後にソファーの上には私たちが今読んでいる絵本が。
 あくまでも軽い目眩。

『マイヤー夫人のしんぱいのたねは?』(ヴォルフ・エァブルック作 うえのようこ訳 BL出版 1600円 1995/1998)
 ヴォルフ・エァブルック絵本の翻訳4作目。
 ありとあらゆることを毎日心配しているマイヤー夫人。
 例えば雪の日。彼女、もし家の前で90人ノリのバスが転倒したら、って心配します。事故が? いえいえ、それどころか、そうなったら、被害者のサポートのためにだす食事のストックがないと、心配するほどなのです。
 夫は、結構ノホホンと聞き流してますが。
 さて、そんな夫人が拾ったのは小鳥のヒナ。もちろん心配して育てるのですが、ヒナは彼女を親と思ったから、成鳥になっても、飛ばない。これではいけないと、夫人、心配性でありながら、木に登って、教えようと・・・・。
 この作者、いつもそうですが、どんな素材でもちゃんと着地させる腕はすごい。
 少し嫉妬します。

『天使はみつめている 』(絵本 小沢摩純/絵と文 理論社 本体1300円)
 ちょっと前まであった、天使ブームのなごりでしょうか?
「天使はないている/天使はきみのそばでないている/きみがひとりぼっちでさみしいときに。天使はみまもっている/天使はきみのそばでみまもっている/きみがゆく/人生のながい旅の道すがら」と続く言葉と絵が見開き左右に。
 うーん、でも天使が側にいるといわれても私は困ってしまう。菩薩のほうがまだイメージ可能かな。