『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

1 新しい親子関係をさぐる

 カタカタ、カタカタ。今夜も悪魔がやってきた。重たく澱んだ空気の底を、ピンで貼り付けたような静寂の中を、カタカタ、カタカタ、悪魔は進む。登山中転落事故に遇い、頚椎を損傷し、首から下の一切の感覚はないのだ。それはもう二十年以上も前だというのに、悪魔は弛緩した筋肉に隠れ棲み、麻痺した神経ラインを弄び、毎夜毎夜下肢に不随意運動を起こさせて楽しんでいるのだ。
 蒸し暑い夏だった。下肢は激しく痙攣し、鉄製のベッドを打ち、K氏は身体中に油汗を流して苦痛に耐える。隣のベッドにいる私は何か手助けしようと思うのだが、腰の手術をして身動きできない身では、声をかけるくらいが関の山だ。
「いやあ、悪魔くんとは長いつきあいですけど、お互いなかなか打ち解けんようですわ」
 翌朝になると、K氏は変形し痩せ衰えた下肢をにらみながら、事もなげに言う。病室に二歳と四歳になる私の息子どもがやってくると、改造した電動車椅子を巧みに操って、キャアキャアと笑わせる。
私の退院の日が近づいてきた。妻に先立たれたK氏に、私は訪ねてくる者の姿を見たことがない。高校を卒業して自立している息子さんが一人いるとのことだが、他人の病状の回復も退院も自身には関係のないことだと悠然としている。
「私が寝たきりになった時、息子は八ヶ月でした。私は、息子を私の生まれ変わりと思い、また息子と競争して手足の機能を取り戻したいと思いました。私をどんどん追い越していく息子の成長を見ていますと、父親として何をしてやれるだろうかと考え悩んだものでした」
 退院の日、寡黙なK氏が珍しく話しこんだ。私は"父親の役割"と問われても、正直いってピンとこなかった。子どもは放っておいても大きくなるくらいにしか考えていなかった私は、自分の子ども時代をふり返ってみて、そこに良くも悪くも父の影がくっきりと残されているのを認めない訳にはいかなかった。父と衝突し、憎しみ、父を乗り越えることを目標に生きてきたような気さえした。二児の父となった今、私はどんな形にしろ、子どもたちと対峙する存在で在り続けることができるだろうか、いささか不安を覚えた。
 現代は暮らしのほとんどが電化され、合理化され、省力化され、共稼ぎ家庭も少なくない。出産はともかく育児や料理も女性の特権とは考えられない。母性や父性といった区分けそのものが困難な時代でもある。人間の暮らしに必要だった科学は、もはや科学にとって必要な暮らしへと進化している。海は公害で汚れ、人々の心も病み、すさんでいる。子どもの非行や暴力、無気力や甘えがクローズアップされ、教育の問題が繰り返し叫ばれている。しかし、これらは決して子どもや制度のみに帰すべきものではない。問われているのは私たち大人である。現在子どもをとりまく不条理は、大人との力関係の枠を越えて危険な方向へ流れだしている。子どもであること、母であること、父であることより、まず生きることを考えねばならない状況が広がっている。
 ユング派の心理学者河合隼雄は、母性と父性について、「母なるものはすべてを包みこみ、養い育てる機能をもっている。これに対して父なるものは切断の機能をもつ。母なるものが一体化する働きをもつのに対して、物事を分割し、分離する。善と悪、光と闇、親と子などに世界を分化し、そこに秩序をもたらす」(注1)と述べた。
 つまり、父なるものは秩序と規範の遂行者としての権威をもち、子どもたちが規範を守ることができるように訓練を施すのである。一個の人間としてこういうことに基づいて生きていくんだというてほんを示し、子どもが間違ったときには威厳をもって厳しく罰する役目を担うのである。もちろん、これは男性(父親)に委ねられたものではあるが、女性(母親)が代行不可能なものではない。両方の役を巧みにこなしているお母さんもいれば、祖父母が代行している家庭があっても不思議ではない。
K氏が指摘した父親としての役割というのは、人生におけるリーダー・シップであったと思われるが、これはしばしば不幸な誤解を生みだしてきた。自らの中に規範を持てない人間が子供と向かい合ったとき、そこにしばしば提示されるのは居丈高な権威のみである。K氏の子ども時代(昭和ヒトケタ世代)には、良くも悪くも父親が権威を形として提示するのが容易な時代であっただろう。K氏が我が子の成長を見守った一九六〇年代も、高度成長のあおりの中で父親どもは勇躍して家庭の外に飛び出していった。つまり、彼らは家庭の外に生き、彼らの役割は息子に家庭の外をみせてやることであった。
 『走れナフタリン少年』という、大人の読者を対象にしながら主人公が少年であるという小説群についての評論集を出した川本三郎は、<アメリカ父性社会の未完の幸福>の章の中で、父親の役割は「暖かい食事、やすらかな眠り、そして暖気の(いわば母性が支配する)家庭の外に息子たちを連れ出し、空腹、不眠、そして厳しさの(いわば父性の支配する)社会に触れさせる」ことであると述べた。パイオニア時代に共同して≪家≫を作り上げていくという伝統をもつアメリカ文学は、息子の目で強く偉大な父親を描いた小説が多い。ハーバート・ゴールドの『父たち』、ヘミングウェイの『インディアン部落』に代表される「ニック・アダムス物語」、シーガルの『ラヴ・ストーリー』、それに川本もとりあげたジェイムズ・エイジーの『家族のなかの死』―児童文学ではさしづめ、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』やビバリー・クリアリーの『ヘンリーくん』シリーズ、近作ではキエルガードの『ストーミー』などが当たるのではなかろうか。
 ふり返って日本の児童文学をみてみると、「父に捧ぐ」という献辞をつけた『寺町三丁目十一番地』(渡辺茂男、1969)ぐらいで、ようやく近年になって『優しさごっこ』(今江祥智)『ぼくのおやじ』(吉田とし)『十二歳の旅立ち』(和田豊)などが目につく。母親となれば、『竜の子太郎』「モモちゃんシリーズ」(松谷みよ子)『ボクちゃんの戦場』(奥田継夫)『谷間の底から』(柴田道子)『十三湖のばば』(鈴木喜代春)『わが母の肖像』(はまみつを)『おれたちのおふくろ』(今江祥智)『母の川』(大野充子)『おかあさんの木』(大川悦生)……とキリがない。
 これはおそらく、西洋においては、父親は生きていく規範を自ら作り上げていって≪家≫を構成するのに対し、日本の場合既に≪家≫は作られたものとして存在し、ムラやマチというものが家に≪規範≫を与えるという制度に影響されているからだろう。少し前までは、日本の父親というものはおそろしくいばっていたが、それは自己というものを基盤にして子どもたちと対峙していたのではなく、おしきせの家父長という権威をふり回していたにすぎないともいえる。もちろん一個の人間として生きる規範を示し得た人も多くいただろうが、宮沢賢治の『家長制度』に出てくるようなわけ理由もなく殴るような父親も多かったにちがいない。子どもの目を通して見るとき、父親に掛値なしの尊敬と情愛を感じとることが少なかったために、文学の主要なテーマに選ばれなかったのではなかろうか。もちろん、児童文学が教育性と同時に母性的なものを宿命に背負わされて発展してきたことも否定はできないだろう。
 さて、父性としてあるいは母性としての役割を担わされてきた親たちは、子どもに対してどのようにふるまってきただろうか。既に述べたように、今日ほど子どもの問題が叫ばれている時代はない。親たちはうろたえながら、権威をタテに子どもをはねのけようとするか、反対に愛情深い理解を示そうと奮闘する。前者の典型が山中恒の『ぼくがぼくであること』(1969)の秀一の母であろう。
秀一の母は、子どもを自分に隷属するものだと思っている。自分が腹を痛めて産み、苦労して育てたことに、意味を見いだしている。子どもが成長し、自立して、一個の人間として自分と向かい合う存在で在ることを理解しようとしない。子どもの中に在る価値を認めようとせず、大人を人間の完成品とみなし、子どもは半端ものであるという考えに立つ。大人は常に正しく、子どもは間違っているという発想である。
 母が口ぐせのように子どもに言うのは、「よく勉強して立派な人になりなさい」という類のことである。そのくせ、勉強とか立派さの本質が何であるのか、考えてみたこともない。頭の中にあるのは、自らが一個の人間として戦った末に獲得した≪真理≫ではなく、社会という体制によって与えられた≪真理≫である。子どもは素直でかわいらしく、学校は勉学の場であり、社会は礼儀正しく良識ある人々によって成り立つ。しかし、ここでいう素直さとか勉学とか良識というものは、操行や点数や身なりでしかない。
 大人は、そういうものに頼ることにより、自らを慰め、正当化しようとする。過ぎ去った経験にひきずられ、権力と強大さをタテに、自分の立場に固執する。世の中にはさまざまな人がいて、さまざまな生き方をしていることに目を向けようとしない。人間存在の意味を問い、人生の真実を求めて戦っている人々のことを考えようとしない。
秀一は、ふとしたはずみで家を出ることにより、自分や自分の母たちと違う人々の存在を知る。そして、新しい経験を経ることによって、距離をおいて母を見る。秀一は、母への戦いを越えて、「社会とは何か」「人間とは何か」という問題へ目を開いていく。秀一の母のような大人は、人間の否定的な面を象徴しているともいえる。だが、子どもを不幸にしているのは、そのような大人たちばかりではない。子どもを大切にし、慈しんでいるような大人たちが、かえって子どもを苦しめ、傷つけていることも多いのである。
 「葛藤や愛、誕生に死、緊張や恐怖や懐疑について語ること、そして人をかりたてる好奇心などについて語ることさえもが、『子どもの文学』について、ある人々が養いそだててきたイメージに敵対すると思われる」(注2)と言ったのは、ローゼンハイムであるが、ここで言われているイメージとは、子どもに対する大人の願いである。
つまり、人生は基本的には善いもの、美しいものであり、徳あるものはふさわしい報いを受けるという願望である。それが子どもに向かうとき、現実が持っている不条理や醜悪さ、獣性、暴力、性的刺激などを注意深く包み隠し、肯定的な面のみを与えようとする愛情となって現われるのである。
 これは、大人が子どもとの関係において持ち続ける普遍的な要素のひとつであることは間違いない。しかし大人が捉えている現実そのものが、そのような願望で対応できないようにめまぐるしく変貌しているのが、今日の状況でもある。人類の遺産として蓄積されてきた人間の生き方についての思想や原則のほとんどが、挑戦を受け、危険にさらされている。
 このような状況に加担してきたのは大人たちであるが、皮肉なことに、その被害を最も強く受けているのが、子どもである。なぜなら、良くも悪くも、もう大人たちは、子どもに対して、何にどのような価値があり、意味があるかを知らせることができなくなったからである。それでも、ヒューマニズムをふりかざす大人たちの多くは、どうせいつか出会うものなら、人生の苦悩をなるべく長く子どもから遠ざけておいてやろうと考える。だからといって、これでは子ども時代の生活と大人時代の生活との間の距離を大きくするばかりである。子ども時代と現実の生活との間の矛盾こそ、最も重要な葛藤となるはずであり、そこには本質的な人間存在の意味の糸口が見つけられるはずであるのだが。
 しかし、私たちは、自分に合った生き方を求め続ける人間であるかぎり、このような現実に引きずられて生きていくことに満足しない。真理に対して目をつぶりたくない大人たちは、かつてないほど真剣にまじめに、現在の状況に取り組み、子どもとともに考えようとしている。
 もう十年も前になるが、神宮輝夫は次のように述べた。「一九六〇年代の中頃から、イギリスをはじめ、あちこちの国々で、児童文学に登場する子どもの姿が変わってきた。あまり元気はつらつともしていない、そして誠実な努力の結果、必ずしも幸福をつかむことのない子どもたちがあらわれてきた。空想が主になる作品も、しだいに変わっていった。一口にいえば、明るく楽しい話が、重く深く真剣なものになってきた」(注3)
 子どもをとりまく現実は、七〇年を越え、八〇年後半を迎えてますます深刻になってきた。自然破壊による公害や心身の病い、主知主義のおしきせ教育、両親の不和や離婚、未婚の父や母、麻薬やアル中や暴力などによる被害を受けている子どもが確実に増えてきた。≪家≫は崩壊し、幼くして子どもたちは自立を迫られている。昨年(一九八二年)より空前のヒットを続けた映画『E・T』は、エリオット少年と異星人E・Tとの交流に目を奪われがちだが、少年の家庭も崩れつつあるのだ。夫と別れた母メアリーは、一家の主人としての絶対権力を与えられていいはずなのに、"あの子は十二で初体験、レッド幻覚剤十五錠にワイン一本"(注4)と歌い、麻薬とけんかとけたたましい音楽の唯中にいる子どもたちに皿一枚洗わせることもできない。子どもたちに置き去りにされないように気ばかりあせるだけだ。父を奪われた子どもたちにしても、休日の楽しみを諦め、対話をなくし、背を向け、慰めにならないと知りつつ、自らの小さな胸の中に逃げこむことしかできない。
 親とか子とかいった関係は、このような現実にあって絵に描いた願望でしかない。あるのは≪現実≫だけだ。こういった現実から目をそらすことなく、「ありのままを見つめること」―そこから出発しようとするのが『愛について』を書いたワジム・フロロフである。あるいは『灰色の畑と緑の畑』のヴェルフェルであり、『アーノルドのはげしい夏』のタウンゼンドである。新しい作品では、『家出、十二歳の夏』のバウアーや『少年ヨアキム』のハウゲンや『うちへ帰ろう』のバイアーズである。日本でも『モモちゃんとアカネちゃん』(松谷みよ子)が離婚問題をとりあげて話題になったが、最近では『優しさごっこ』(今江祥智)『昼と夜のあいだ』(川村たかし)『むかえに行こう!』(岩本敏男)『ぼくとロビンとクッキーと』(堀直子)『あした天気になあれ』(椎名龍治)『夏、はじめての旅立ち』(中野幸隆)『小さな獣たちの冬』(岩瀬成子)『風はおまえをわすれない』『花をくわえてどこへゆく』(森忠明)と続出している。
 しかしながら、文学は≪現実≫をすくいとることによって成立するものではない。また錯綜し疲弊した現実を整理し、組みかえ、克服することを読者に約束するものではない。

 作家は子どもの側にたち、子どもと人生の問題をわかちあい、子どもとともにそれをのりこえる道を文学のなかで探求することを通じて、実は自分たちおとなの生き方をも同時にある程度まで探求することができるのである。最近欧米において「作家の責任」がしきりと問題にされているのも、右のことと深い関係がある。それは現在おとなが、おとなの立場から児童文学の本質を規定することをやめ、真に子どもの立場に立つべきことを改めて確認していることのあらわれである。(注5)

 大人が、あるいは親が「真に子どもの立場に立つ」ことが本質的に可能か―という論議はさておき、猪熊葉子のこの発言は、父性や母性という≪親性≫に拠るのではなく、一個の人間として現状をどう把握していくかという作家的良心が文学の上に抜き差しならず関わっていることに力点を置いているようである。要するに、大人と子ども、親と子は、互いに向き合っているのではなく、並んで同じ方向を見つめていかなければ問題は解決しないのである。
『愛について』の中でサーシャは、傷つき不信に身を焦がしながら、最後には去っていく母の中に「とても生き生きとしていて感動的で喜びにひたっている」一個の人間としての存在を発見する。すべてをなげうって必死に真剣に生きている人間の姿を見る。もの心つき、人生を歩んでいることを自覚しだした子どもたちが求めているのは、必要以上な優しさや大人の権威を借りたゴマカシではない。大人たちが人生について想っていることを真剣に語ってくれること、何ものかに集中して生きていくその姿をこそ求めているのである。
 日本の児童文学と欧米の児童文学の違いは(こういう比較の仕方は乱暴で核心から遠ざかるばかりだが……)敢えて言うならば、母性文学と父性文学というような気がしないでもない。母性といっても、俗にいわれる「ミルクの匂いのする」幼年童話的なものをさしているのではない。父性といっても単に「ワンパクでもいいタクマシク」といった荒々しさを言っているのではない。仏教に対するキリスト教、水田稲作に対する乾いた大地、ムラ(連体)に対する家(個人)といったような視点においてである。この問題には深くて広い洞察が必要だが、要するに私が言いたいのは、義理人情といったナニワブシ的な人生観に基づいた作品は欧米ではあまり見られないということである。個人はあくまでも個人であり、自己に対する追求や執着や責任といったものが葛藤の中心に据えられている。共同体の一員としての日本人の場合、もっと悪くいえば世間(隣近所)への体裁を第一と考える日本人の場合、右へならえすることに意義を見いだすことは容易であるが、自らが自分の人間を賭けてこの道をいくという生き方は苦手といえる。(その典型が『ぼくがぼくであること』の秀一の母や父である)時代の変化に伴なって外部から価値を与えられた日本の父親は、あるときは「御国のために」あるいは「会社のために」想像を絶するエネルギーを生みだしていった。西洋の父親が自己の中から出発して≪家≫を作りあげていく姿勢に立ち得たのは、背後にキリスト教の天なる父というものを持っていたからであろう。しかしながら、今こうして述べていることは少し前までの状況であり、現在はイエス・キリストや義理人情が現実を乗り越えるてこになり得ないのは自明の理である。不幸なことかもしれないが、文明の進化につれて、私たちは誰にも代役できない拠り所を自らの中に創りだす必要性を強いられている。
 作品の良し悪しには関係のないことだが、たとえば『ゲド戦記』(ル=グウィン)『モモ』(エンデ)『アーノルドのはげしい夏』(タウンゼンド)『まぼろしの小さな犬』(ピアス)と並べてみると、それぞれの作品の主人公たちが、厳しい現実を見つめながら、自らの中に生きていく意味を見いだそうと繰り返し葛藤している姿が容易に浮かび上がってくる。一方、『ガンバとカワウソの冒険』(斎藤惇夫 1982)『はなはなみんみ三部作』(わたりむつこ 1980~)『青葉学園物語』(吉本直志郎 1978~)『お菓子放浪記』(西村滋 1976)などは、自己追求もさることながら、より以上に互いの結びつき、人間としての絆に力点がおかれている。言いかえれば、ドラマチックであり、波乱に富んだ人生の哀楽を垣間見せてくれる。これらは多くの読者に愛され、成功した作品である。
 児童文学がドラマ性を柱にしているのは、表現方法の選択の問題であることを認識すべきである。人と人のからみ、未知なるものとの遭遇(冒険)に意味があるのは、自己を厳しく見つめる目があってこそである。文学として成立するか否かは、まさに作家自身の人生に対する洞察力であり、現実とのせめぎあいの中でつかみとった生きる規範であり、拠り所である。いわば、文学としての自立は自己の発見をおいてあり得ない。父性や母性といったものでのみ親子関係が解決できる時代ではない。新しい家族関係というのは、父親も母親も、自分自身が生きているのだということを土台としなければならない。まず自己に対して厳しく律するところから始めねばならない。日本の作品の多くが、離婚や精神の病いや非行や暴力といった現実を生きる人間を描写しながら、その人間(児童)の意識の中にまで入ることをせず、それらが「何にどんなわけがあるか」(『愛について』の原題)の洞察を意識して避けてきたきらいがないとはいえない。錯綜した複雑な現実のディレンマの中で、おしきせのヒューマニズムやセンチメンタルな自己犠牲、形だけの情愛、べとついた人情などで一挙に解決しようとする傾向があったのは否定できない。しかし、近年あいついで出版される≪現実≫を真向から受けとめようとする作品群の中に、わずかではあるが、子どもの率直な疑問に一個の人間として答えようとするものがある。こういう姿勢が見られるのはうれしいことである。
 『ぼくとロビンとクッキーと』は、堀直子の三作目の作品である。ぼくの父親は大酒飲みで誰とでもけんかをする。金があればパッと遣ってしまう。そんな父に嫌気がさして、母はいい人を作って家を出てしまう。酒を飲んでけんかをする父に「みっともないよお、おとなのくせに。そんなお父ちゃんだからお母ちゃんに逃げられちゃったんだ」とはっきり言えるぼくではあるが、なぜか母より父に好意を持っている。捨て犬を飼ってくれとせがむぼくをはねつけていた父が、ぼくが家出から病気の犬を連れて帰ってきた夜、「犬の病気が治るまで家でめんどうみてやる」と約束する。普段はだらだらしている父が細かい世話をし、眠らないで看病する。犬は奇跡的に助かり、しかし毅然として捨てにいくことを要求する父の姿に、ぼくはまぶしいものを見る。堀直子は、父の行為(捨て犬の看病でしかないが……)を通して、繰り返し問いかける子どもたちに、彼女なりの返答をしようとしているのである。
 『風はおまえをわすれない』の森忠明は、ありのままの現実の中でさりげなく必死に生きる少年を登場させた。両親の離婚によって小五の花行は父とともに暮らしている。フリーライターの父は母以外に好きな人を作り、デザイナーの母は自分の画集を出すことに望みをかけている。花行は、母のいないことに対して不便さは感じてもそれを受け入れようとしている。彼の関心は応募して落選した詩を集めて「森花行落選詩集」を出すことであり、それを生きるはりあいにしている。彼は一人暮しの母を訪ねたときに、「母さんは、三十六年間、なにを目あてに生きてきたわけ?」と問いかける。母は即座には答えられないが、やがてさりげなく話しだす。

「笑われちゃうだろうけど、母さんてね、何を目ざして生きてるのか、自分でもわかんないのよ。(略)だらしないけど、わからない……ただね、どんなに死にたい、死んでしまいたい、と思っても、心臓って、止まってくれないでしょ。』『まあね……。』『だから、生きていくしかないみたい。わかんなくても。』「……。」「この家から一歩表にでたら、もう屋根がない、でしょ。地球って、こわい所よね。(略)宇ちゅうの中でふきさらしになっている地面の上。そこで生きてるんだもの、あたしたち」「ふきさらし?」「そんな危っかしい所で生きてる人間に、楽しいことばかりがあるわけないよね。」「……。」「いやな、つまらないことばかりだから、少しでも元気になるようにがんばってるんでしょ、人間て……。」(注6)

 人生に答えなどあるはずはない。子どもたちはうそっぱちを見抜く力にかけては天才である。モラルやヒューマニズムや連帯感や正義感は、現実を前にすると何の効力も持たない。子どもたちが欲しているのは、さまざまな矛盾をはらみながらも一瞬一瞬に真剣に生きている人々の姿である。自己の人生について想っていることをごまかさずに述べることである。
森忠明は不思議な作家である。「大人っていうのは完成品ではなくて成長が止まった存在」(注7)と言ったのは山口昌男であるが、森の作品世界には「大人が子どもに理解を示す」とか「子どもが成熟して大人になる」といった児童文学的神話(注8)は微塵もない。祖母のために小遣いをはたいて東京タワーに連れていくのも、土の中にヒの字になって眠っている野良猫に会いにいくのも(『風はおまえをわすれない』)鳥小屋の中の一羽きりの紅すずめにこだわるのも(『悪友ものがたり』)父の命令で捨てにいって反対にテツ(犬)に捨てられ、自分の人生を見失うのも(『花をくわえてどこへゆく』)それらは決して優しさや純真さではない。一瞬一瞬を真剣に生きている同志に対するアイサツや敬意に近いものである。
子どもは、教育や管理やなかんずく文学の対象でさえない。「今や子どもは、おとなへと教育しなければならない未熟な存在というより、おとなの欠陥を逆照射する鏡となった」(注9)といった岸田秀も含めて、私たちは、ともに人生を歩むものとして、子どもの存在を認識すべきだろう。

 さて、形だけにせよ、父性という代行できない領域を確保されていた時代(一九六〇年代)に、介添えなしでは食事も排泄もできない寝たきりの身となったK氏は、さぞや残念であっただろう。しかし、運命として甘んじて受け入れるほど、彼は人生に対して信心深くなかった。彼は二十年かかって一冊の本を著した。動かない手に棒を縛りつけ、わずかに取り戻した肩の力で一字一字タイプに向かって打ち続けた。十字も打つとぶっ倒れそうになりながら諦めることをしなかったのは、それは彼の生きてきた証であり、彼を抜いて大人の側へいってしまおうとする息子への無言の答えであったからだ。傲慢にも出版の手伝いをさせてもらった私としては、子どもに対してどんな立派な形を与えるよりも、一個の人間として自らの生について真剣に語るほうがどれほど大切なのかを知ってもらうためにも、世の親たちに是非一読してほしいと思っている。千枚を越える長編『暁闇をついて』(注10)の宣伝をもって本論を閉じることをお許しください。


注1 『昔話の深層』福音館書店。
注2 猪熊葉子訳「子どもの読書とおとなの評価」『オンリー・コネクトT』岩波書店収録。
注3 『児童文学の中の子ども』日本放送出版協会。
注4 コツウインクル、池央耿訳、『E・T』(ノヴェライゼイション)新潮社。
注5 「児童文学のジャンルとその文学性」『児童文学とは何か』講座=日本児童文学@、明治書院収録。
注6 『風はおまえをわすれない』文研出版。
注7 対談、大江健三郎・山口昌男「原理としての子ども」『子どもの宇宙』「海」臨時増刊、中央公論社収録中の山口の言葉。
注8 川本三郎「イメージを歪形する子どもたち」『子どもの宇宙』(前出)収録。
注9 「子どもとは何か」『子どもの宇宙』(前出)収録。
注10 『暁闇をついて―改造人間サイボーグの2%にかけた奮戦記』(第一部・第二部)日下八州雄、一部につき頒価千円・郵送料二五〇円 〒584 大阪府富田林市向陽台一―三―三六、富田林病院理学療法室気付、日下八州雄までお申し込みください。

この本は読売・朝日などたくさんの反響をよびました。読売新聞の記事を一部紹介します。「■生への執念・焦り22年―登山中の事故で両手足が完全にマヒした大阪のサラリーマンが、厳しい機能回復訓練に耐えカナタイプが打てるまでに回復、五年間にわたりタイプでつづった闘病記を二日、自費出版した。原稿用紙千二百枚分に上る詳細な記録は二部に分かれ、この日出版したのは第一部にあたる「暁闇(ぎょうあん)をついて―改造人間サイボーグの2%にかけた奮戦記」。最初の主治医だった大学教授、入院中にベッドを並べた児童文学作家やカメラマンらの尽力で心の叫びともいえるドキュメントが出来上がった。事故から二十一年。残された手足の機能が二%という極限状態から立ち上がった山男の執念は、生きることは何かを語りかけてくる。」
テキストファイル化佐々木美穂