『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

2 いぬいとみこのファンタジー

 一九五九年に発表されたいぬいとみこの『木かげの家の小人たち』には、題名が示すように小人一家が登場する。オットのバルボー、妻のファーン、姉のアイリス、弟のロビン―といったイギリス産のアッシュ家の四人家族である。メアリー・ノートンが『木かげの家の小人たち』の七年前に発表した『床下の小人たち』のクロック一家と同じく、形状が小さいという以外なんら魔力を持たない存在である。
 物語は、主人公の幼い少女ゆりが戦争という極限状態の中で身を賭して「小人たち」を守っていく様子を描いているが、かつての日本の児童文学において、これほど具体的かつ可視的にファンタジー国の住人を存在させた作品はなかったと思える。
 しかしながら、それとは別に今改めて読み返してみると、ヒロインのひたむきな《生》の中に、半ば意識的に閉鎖された負の精神構造(愛が自己の内へのみむかう思考)が下じきにおかれているのを感じないでもない。戦争状況というものも、当然閉鎖された負の構造を持つが、問題はそれがゆりという幼い少女の内面にどのようにしてかかわりあっていったか―ということである。逆にいえば、小学三年から五年という、現代社会に対して知識欲旺盛で適応性も十分もちあわせたヒロインのゆりが、戦争という酷しい社会状況の中で、自己の《生》をどのようにして築き、それを犯すものとどのような行動や思考でたたかったか―。つまり、ゆりはだれを(何を)どのようにして愛しつづけたか―という点が読み手の側の興味の一つでもあるのだが、この《だれ(何)を、どのようにして》という主題が、この作品ではスムーズに伝わってきにくかった。それは作者が形成した主人公ゆりの内面世界に起因しているのではなかろうか。
 とはいえ、このことは作品のもつ魅力とは別個のものである。いや、むしろ戦争と言う悲劇的な状況下における、ヒロインゆりのナルシシズムとさえ思える自己抑制が小人の確かな存在と結びあったからこそ、今日なお多くの人々に読みつがれているといってよいかもしれない。
 厳谷小波・小川未明に始まり、すでに八〇年(注1)の歴史をもつ日本の児童文学は、低俗な娯楽性や安易な童心主義をきびしく否定し、『大人(書き手)→子ども(読み手)』という上からの図式をひっくりかえすことにより、新たな模索をつづけているのであるが、これらの努力にもかかわらず、今なお不幸なあやまち(大人の考える独善的な価値観・生き方・美意識など)を子供に押しつけようとしている作品はあとをたたない。なるほど方法論としては、子どもに一歩近づいた作品(子ども世界の領域の中から子ども世界の具体的なコトバでその世界を広げていこうとする作品)がふえつつあるが、私たちは素材の新しさやストーリーのおもしろさ、作品世界の楽しさ―といったものの中にたくみに隠されているあやまちを注意深くさがしあててとりのぞく必要に迫られている。このくり返しの中で批評≠確立し、新しい児童文学の指標を明確に打ちたてねばならない。
 それにつけても思うのは、一九五九年に発表された『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)や『木かげの家の小人たち』(いぬいとみこ)、さらにその三年前に『ちいさいなかま』に連載の終わった『赤毛のポチ』(山中恒)を今日なおその踏み台の一つにせざるをえないのはきびしい事実である。だが、「方法においては科学的な、思想においては人間的な、つまりはすぐれて近代的な作品」(週刊読書人、小沢正)と称せられた『ながいながいペンギンの話』という幼年童話をひっさげて登場したいぬいとみこは、『木かげの家の小人たち』においては、日常生活の中にみごとに小人≠存在させえたというすばらしい魅力を生み反面だした反面、実はこの《存在させた》という面に再検討する余地が残されていると思えるのである。

 物語の発端は、尋常小学校三年生の森山達夫が、イギリスへ帰国するミス・マクラクランからバルボーとファーンの夫婦の小人をあずかるところからはじまる。
 ミス・Mは達夫にいう。

 むかしから、この「小さい人たち」のたべものは、ミルクだけときまっているのです。よろしいね、タツ。このカップにミルクを入れて、毎日まどに出すことを忘れないで。もしも人間がそれを忘れると、この人たちは生きていられません。

 小人を登場させる際のこの設定(第一の掟)は、「小人たち」の存在が人間との従属関係の上に成立するという悲しい宿命を明確に規定している。
 さて、アッシュ家の「小人たち」は達夫の考えで二階の書斎の高い本棚の上で安全に暮らすようになる。達夫は一日も欠かさずミルクを運びつづけたが、中学生になって毎日学校の帰りが遅くなったのをみて、妹のゆかりが助力を申し出る。翌年の冬、ゆかりが肺炎で死ぬと、十二歳のいとこの透子が「小さい人」の秘密をかぎつけ、好意をよせている達夫にその世話を申し出る。それから、達夫と透子は結婚し、ミルク運びは透子から長男の哲が八つのときにひきつがれ、やがて九つになった次男の信がそのあとをひきづぎ、そして最後にすえっこの妹のゆりがひきづぐことになる。
 さて、ここで気になるのは、ミルクの運び手として選ばれるには一つの資格が必要なことである。それは、一日も欠かさずミルクを運びつづけるためにいかなる受難にも耐え忍び、不断の努力をすること、つまり物語りの最後で透子夫人によって種あかしをされる《美しい心》の持ち主でなければならない。達夫はミス・Mにより、「あなたは小鳥や虫を愛しているし、約束のまもれる少年です。」と資格を与えられ、ゆかりは「以前から本の小部屋にはいってきて、達夫のるすによく本や雑誌を読んでいました。バルボーもファーンもおとなしそうなゆかりに、前から親しみを感じていたのです。」と審査に合格し、透子は達夫に「きみがしんぼうづよく、何日も何十日も忘れないでミルクを運びつづけたら、むこうからすがたを見せてくれると思うよ」とさとされる。村山家の長男の哲は勇気をもって戦争を批判する《美しいやさしい心》をもっており、唯一人愛国少年の信もかつては「家のちかくの坂でたおれた荷車ひきの馬のために、生卵をもってかけだしていった」という心やさしい少年であった。そして物語の主人公のゆりは端的に「ことし九つになったゆりは、森山家の末っ子で、忠実なミルクの運び手でした」と書かれている。
 ミルクの運び手が、酷しい資格として、《美しい心》を守りつづけていく努力と忍耐をもたなければならないというこの設定は、第一の掟(人間によって養われるが「小人たち」の生存を人間の《美しい心》=《シンボル》にしっかりと従属させたように、人間(主人公たちすべて)の生存をもまた、《美しい価値》=《資格》にしっかりと連座させようとする書き手側の意志を感じさせる。いいかえれば、彼らの愛情が「小人たち」の世界にも新しい生命が生まれ、九つのおねえさんのアイリスと八つの弟のロビンがゆりと親しくなるところから、いよいよメイン・ストーリーに入るのである。戦争に突入した日本の状況は日増しに酷しくなり、ゆりの父親が自由主義者として警察につれていかれる。また兄の信は軍人になって国のために身をささげるといい、ゆりがあいかわらずミルクを運びつづけているのをみて、「非常時にそんなことしてちゃいけない!」という。「小人たち」の世界にも変化があらわれ、バルボーやファーンの保守的な生き方に疑問をもちはじめたロビンとアイリスは、空気ぬきの穴から外の世界を見るようになる。本の小部屋をとびだした彼らはハトの弥平と友だちになり、外の世界のこと、人間たちの戦争のことを少しずつ知るようになる。
 戦争状況はますます深刻になり、「小人たち」はミルクで貯蔵用チーズを作ったり、ロビンがとってくるドングリを粉にしてミルクケーキを作ったりして、目に見えない「不安」のためにそなえる。やがて、とうとうゆりが信州の野尻へ疎開することになり、小人たちも連れていかれる。上の兄の哲がゆりを送っていく。哲は父と同じように戦争の無意味さをつぶやく。「小人たち」と守り抜く決心をしたゆりは、村のこどもたちにからかわれたり、大人たちから非国民の子として白い眼でみられながらも、草刈をしてヤギの乳をわけてもらったりして少しずつたくましくなっていく。「小人たち」はカン入りの粉ミルクで心細く暮らしていたが、ロビンとアイリスは野原に出ていき、アマネジャキと友人になる。アマネジャキは寒い冬のためにリスの毛皮をもってきてくれる。
 そんなとき、東京のゆりの家が焼けたとの知らせがあり、ゆりはショックで寝こんでしまう。「小人たち」のことが気がかりで、おとおばさまにミルクを作ってもらい、それをロビンが空いろのコップに入れてもっていくという日が続くが、身体が回復するにつれて、ゆりはミルクを自分も飲みたいという気持ちとたたかう。ついに粉ミルクも底をつき、ゆりはとうとう第一の掟を破る。「小人たち」は野原のアマネジャキの住家に移る。
 そしてここで物語は第二の掟、いったん約束を破ったら、七十七日のあいだもう一度ミルクを出しつづけることにより「小人たち」を呼びもどすことができるという条件を設定し、ゆりのあやまちをつぐなわせる。(以後これを天沢退二郎流に第二の掟と呼ぶ。(注2)第一の掟は「小人たち」の生は人間が毎日ミルクを運びつづけることによって成立するということ。つまり、人間に従属するということ。この第二の掟は、ストーリーの流動性にともなって第一の掟を補助し、いやそれ以上に第一の掟の意味を強めている)
 ゆりは忍耐強く頑張り通し、ついに「小人たち」は帰ってくる。哲は戦死したが、戦争も終わり、透子夫人から待望の東京に帰っておいでという手紙を受け取る。「小人たち」はイギリスで待っている今は八十四歳のミス・Mのもとへ帰ることになるが、若いアイリスとロビンは、ゆりの出発の日アマネジャキといっしょに残るために姿を消す。

 以上があらすじである。注意深くよんでいくと、「小人たち」の視点に立って書かれている部分が本文ニ八四ページ中一四〇ページ前後ある。(※角川文庫版による)いいかえれば「小人たち」側のことが「ゆり=人間たち」の世界とほぼ同じだけの分量を費やして描かれているともいえる。だが、これはあくまでも「小人たちの独自の世界」ではないのだが、この作品の持つ魅力は「小人たち」のことをそれまでの日本の児童文学にかなった科学的な方法(存在を具体的に表現)で、日常生活の中にスムーズに描ききったことにあると思う。今一つの別の「読まされる」魅力は、大ざっぱにいえば、ヒロインの受難物語という設定に徹底して負の精神構造(忍耐と努力を守りつづける精神)でつらぬいたそのひたむきないじらしさにあると思えるが、この二つのことが《掟》と後にのべる《シンボル》の設定によりたくみに融合され、作品の底に潜在的に流れつづける《人間の生と愛》に対する屈折したモラルをインヴィジブル(不可視的)なものとして無意識に処理しようとする危険性を生んでいる。
 さて、この作品への非難は「小人たち」の徹底した対他依存性と、「小人たち」の独自の世界が構築されなかったことに集中しているかもしれない。だが、バルボーやファーンやロビンやアイリスがいかに主人公に従属していようとも、読み手(子ども)の心の中にはゆりや透子や信といった人間よりも、ズンと重みをもって作品の舞台に存在しているということを忘れてはならない。未明に始まった日本の児童文学の初期のあやまち―現実の子どもに目を向けようとせず、常に自分の理想とする美意識を観念的叙情的な方法で形象化しようとした―をいぬいは「木かげの家の小人たち」という作品で否定しようとし、それは方法論において一つの突破口を開いたといえる。この作品がノートンの『床下の小人たち』の影響をうけていることは「小人たち」の描き方の類似性によって明らかであるが、このことは読み手(子ども)にとってはまったく無関係である。問題は、アッシュ家の小人たちが「クロック家の小人たち」に劣らず、客観性をもって具体的に描かれようとしていたということである。もちろん『床下の小人たち』のようにその独自な世界が生き生きと展開されていったとは思わない。だが少なくとも「イギリスの小人たち」から借りてきたこの方法により、読み手(子ども)の世界の中にズッシリした重みをもって、バルボーファーン、アイリス、ロビンたちの存在を定着させることができたと思われる。
 決して誤解してはならないのは「小人たち」の存在が主人公の悲劇的な外的状況の展開に密着しているから共感を呼ぶのではないということである。観念的非具体的な書き方が排斥されるように、観念的感覚的な読み方も否定しなければならない。《小人存在》の重みは、小人そのものが日常的世界に同居しているという素材の新鮮な興味性にもよるが、それ以上に四人の「小人たち」を具体的な事象や行動や考えで個性をもった性格わけをしようと意図し、それが二つの掟(対他依存性)から外れるほどに成功していたことによると思える。これは、人間たち―父親達夫、母親透子、兄哲、信、主人公ゆり―のいささか類型的性格、行動の少なさに比べてみれば、どちらが読み手(子どもたち)に共感できるか、おのずから明らかである。
 たとえば「小人たち」の性格は―
 父バルボー→一家のために当分まにあいそうもない靴をせっせと縫いつづけたり、食料危機にそなえて古いエンピツけずりをドングリの粉ひき機械に改造したり、口には出さないが子どもたちの考えていることを静かに見ぬく思いやりをもっているが、がんこで気難しく一途な父のバルボー。
 母ファーン→教育熱心で常に子どもの未来のことを考えているが、ちょっぴり口やかましくて夫婦ゲンカが絶えず、アッシュ家の尊厳を大切にしながら、ミルク供給者の人間(ゆり)を徹底的に信頼している、昔かたぎで保守的で料理がうまくそうじ好きの母ファーン。
 姉アイリス→空気穴の扇風機に紅色のリボンをゆわえたり、神経痛の父のためにあったかい毛布をあんでやったり、アマネジャキにチョッキをプレゼントしたり、あたたかくて思いやりがあって、いざというときにはロビンとともに外の世界に出て行く勇気をもっているが、父親ゆずりの手先の器用さの割には母の台所をあまり手伝わない現代っ子のアイリス。
 弟のロビン―→家の中ではじっとしていられず、何にでもすぐ興味を抱き、最初に外の世界に飛び出し、ハトの弥平と友だちになったり、アマネジャキと言い争ったり、親友トラの住んでいるお気に入りのでっかい絵本を母のファーンと衝突してまで疎開先へもっていこうとする勇敢で明るく正義感の強い少年だが、少しおっちょこちょいの弟のロビン。
 このように読み手(子ども)の中には、もはやバルボーもファーンもアイリスもロビンもしっかりと根をおろしているのである。そしてこれら「小人たち」の運命が主人公ゆりの中のストーリーに沿った精神状態の変化の悲劇性にしっかりと密着しているが故に、その受難の酷しさにともなって思わず引きこまれていく興奮状態を十分に与えられるのである。読み手を作品世界に没入させることは児童文学作品においては基本的条件であり、この意味ではいぬいとみこの設定した《二つの掟》はみごとにその役割をはたしていると思える。だが、この掟をはさんで対峙する「小人たち」と「ゆり」の関係が、実は互いの《生=愛》の交換を否定し、「小人たち」を《美しい心》のシンボルとしてゆりに従属させ、かつナルシシズムとさえ思えるゆりの内奥に閉じ込める方向へ流れていく危険性のあることをじっくり考えなければならない。
 「小人たち」が《美しい心》にシンボライズされていることは、作品世界で主人公ゆりが幾度も窮地におち入ったとき、
 (牛乳のコップの青い光は、こんな日にも部屋の中をあかるくさせました。)
 (あわだつミルクのいっぱいはいった空いろのコップは、いつものように楽しげな、はればれとした光を部屋の中にきらめかせました。)
といったぐあいに出てくる、《掟》を供給しつづける『空いろのコップ』のあやしいまでの美しさによって巧みに暗示されているのである。
 私は読み進んでいって、「小人たち」−とりわけアイリスとロビンに強く心をひかれた。この二人の「小人たち」の行動の中には不変で普遍的な児童像をかいま見ることができる。ロビンは両親たちの保守的な生活―大昔の小人の仲間たちとの他の強い思い出の中に浸りきっている父のバルボーと、いかなることがあっても人間(食料供給者)を信じて生きていこうとする母親のファーン―これら閉鎖された生存から行動をもって抜け出ようとしている。アイリスはロビンと同じ考えをもち、与えられた《生存》ではなく、危険はあっても新しい世界に賭けようとしている。もちろんアイリスの中にゆりと同じく、自己の行為をとりつづけることにより(アイリスはくもの糸を編みつづけること)、必ず新しい時代がくるというひたむきな信仰を覚えるが、少なくともアイリスは人間への従属性からとびだしたところでそれをはじめようとしている。アイリスとロビンは自らの考えと行動により新しい《生》をつかもうとしている。くもの銀の糸に象徴されるアイリスの愛らしさと、アマネジャキとわたりあうロビンの無鉄砲な無邪気さが、読み手(子ども)の中に作品世界の一つの柱を築かせている。
 さて、そこで九歳のアイリスや八歳のロビンの行動や考えを通しながら、この作品の主人公であるゆりの精神構造を追ってみよう。
 一読して気付くことは、現実の状況に対するゆりの疑問が非常に少ないということである。たとえば、戦争というものに対する受けとめ方であるが、父の達夫が自由主義者として官憲に連れさられたときのゆりの行動は、

 ゆりのまぶたは泣いたあとのように、はれていました。
 バルボーたちは声をひそめて、ゆりが床に散らかった本を一冊一冊本棚へ片づけながら、じぶん自身にいいきかせるように何かいっているのをききました。
―おとうさまがわるいこと、なさるはずがない。おとうさまがわるいこと、なさるはずがない。
さらに、兄の信に父を非国民≠ニいわれたときも、
―うそよ、おとうさまはわるくないわ。
―それなら、ゆり、なんのために、おとうさまは警察につれていかれたんだい?わるいから、おまわりさんにつれていかれたんじゃないか!
―うそよ。ちがうわ。信にいさんのばかア、警察のばかア!おとうさまがわるいこと、なさるはずないわ!
 
 愛する父が連れさられたことに怒りを覚えるのは当然である。怒りがやがて「なんのために」という疑問を呼ぶのも当然ではなかろうか。だが、この作品においては、「何を」「何故」「何のために」という「何」は問題ではなく、《何=何か》を守りぬくという信仰(負の精神構造)をもっている以上、戦争状況に対する幼い素直な疑問のなげかけがまったく存在しえないだろうし、それ以上にこの兄の信の「なんのために」という問いかけを、逆にゆり(主人公=作者)の側から返すことができないのも当然かもしれない。ゆりが「泣く」ことはこの作品で許されたぎりぎりの「子どもらしさ」である。小学三年といえば、心理学上からいっても知識よく旺盛な年ごろである。だがこの作品の力点が「守りつづけていく」不断な努力におかれ、「何を」守るかについてはすでに書き手の価値観によって、半ば中傷的に提示されているとすれば、あらゆる疑問自体が作品世界の中で問いかけられる下地はありえない。読み手の側が、まさにその「何を」について正直な焦燥感をもとうとも物語は書き手のペースでぐんぐん進められている。
 くどいようだが、ゆりが母につれられて監禁されている父の達夫に会いに行っての帰り道、ゆりは次のように受けとめるのである。

 (どうして?いったい、なんのために…)
 ききたいことが口までのぼってくるのをおさえて、ゆりは、母親とあるきました。そして、ゆりは、もしもじぶんが、死ぬまで父親に会えなかったとしても、今日の父の見せてくれた笑い顔をけっしてわすれないだろうと考えました。

 カッコでくくられたゆりの疑問は、自己の内側へのみ向けられたのだろう。こうして自問自答してみても、「どうして?」の正体はつかめるはずがない。ききたいことを「おさえて」とゆりの側から書かれているが、まさしくその小さな疑問のひとかけらをも、書き手は用意周到にゆりの側から取りのぞこうとしている。「どうして」「なんのために」は書き手にとっての問題外の領域であり、受難の地獄を切りぬけるにはひたすら《何か=美しい心=シンボルとしての「小人たち」》を守りつづけ、「忘れない」ことだといっているように思えてならない。
 注意深く読んでいっても、ゆりの主体的な行動や考えというものはほとんど描かれていない。それに対して、ロビンは、(ぼくは「外」のことを知らなくっちゃいけない。ぼくだってとじこめられている、きゅうくつはあのトラとおんなじじゃないか!)と空気ぬきの穴から外の世界へ出ていって、ハトの弥平と友だちになる。ロビンの心は、(もしも、ぼくがあのハトのせなかにのって、ひろい大空へとんでいけたら、そうしたら、この世の中には人間が四、五人じゃなくてもっと多く、十何人、いや百何十人も住んでいるってことがわかるだろうな!)とゆれ動く。ロビンの知識欲は旺盛である。疑問は具体的な考えと行動につながる。自力で脱出して自分の目で見た感動は強い。だから、(知らなかった!知らなかった!世の中って、なあんて広いんだ!)という叫びが気持ちよく読み手(子ども)に伝わる。
 ロビンに劣らずアイリスも外の世界に対して強い好奇心をもっている。アイリスの心は、ロビンの行動を密かに見ながら、(あの子は外の「世の中」を見たのだわ。…そして、いつかはわたしもそれを知らなくちゃいけない!)と新しい《生》を求めている。やがて、アイリスはロビンのあとを追って外の世界に出ていき、素直な疑問を投げかける。(あのハトにきいてちょうだい。わたしたちのような「小さいもの」をこのへんで見たことがありますかって。それから、「世の中」に、とてもわるいことが、おころうとしているのじゃないですかって…)―というアイリスの疑問は保守的で依存性の強い両親への反発となって表わされてくる。
 ―ね、ロビン、おとうさんやおかあさんは、ずうっと前から何かを「感じて」、とてもおそれているわ。それなのにふたりとも何もしない…わたしたち、知らなければいけないわ。何がおころうとしているのか…

 ゆりが「何か」を知ることより、むしろ自己の内部の疑問をゆりを取りまく狭い世界(家庭)での状況の変化に《美しい心》でひたすら耐え抜いていく方向であるのに対して、アイリスやロビンは具体的に「何か」を知ろうとしている。(もちろん、「小人たち」が人間(=作者)従属させられている以上、「何か」の実態は最後まで善悪、美醜二元論の象徴的領域をこえてまでは明らかにされないのだが…)そして、ゆりが父や母にたいしてなんの葛藤も抱かず、美しすぎるくらい従順であろうとするのにくらべ、「小人たち」の子どもは自分たちの考えや行動でもって親たちを批判していくのである。読み手(子ども)がスムーズに共体験できるのは、このようなアイリスやロビンたちの具体的な考えや行動ではなかろうか。
 ゆりが外的世界に対して疑問をもつことは非常に少ないが、「小人たち」を守る観点から牛乳のことが問題になったとき、次のように母にたずねている。

 −信にいさんにもうせんいわれたの。牛乳があればびょうきの兵隊さんにあげればいいって。「あの人たち」にあげるのはいけないことだって…ねえ、わたしがヤミの牛乳を飲んでいたり、あの人たちにあげたりしては、非国民じゃない?

 この疑問はもう1歩(いや数歩)進めば、戦争状況に対する子どもの目から見た率直な問いかけとして、日常生活での具体的な出来事を通してさらに深く切りこんでいくのが自然だと思えるが、ここでは母の透子夫人の(作者=大人からの)愛情深い説明で終わっている。それは、四ページもの分量でなされた透子夫人の一方的な「語り」のあとに、

  熱っぽいゆりの顔の思いつめたような暗いかげは消えていました.

 と書かれているのでもうなずける。だが「なに」によって、ゆりの暗いかげは消えたのか―。それは今の時代の読み手(子ども)にスンナリ伝わるだろうか。とはいえ、ここで透子夫人、すなわちかつてのいぬいとみこの思想を糾弾するつもりはない。それはすでに、「もうどこかで何べんも、あきるほどきかされてきたこの種の幸福な日本的抵抗神話を、いまさら読まれても何の感銘も湧きはしない」(天沢退二郎・注3)、「夫あるいは父親である人物を通して感性的に外の世界とつながっているのであり、彼らは<戦争>について正確な認識を持ってはいないのである。こういう意味で、『木かげの家』が<戦争>をとらえる視覚は、被保護者たちのそれ、<女子供の>それなのだと言えよう」(長谷川潮「開かれた世界への歩み」『日本児童文学』47年7月号)「『木かげの家』という作品は、ひとりひとりの人間がそれぞれの《だれもゆけない土地》を大切にしてさえいれば、また、そういう心をもち続けていさえすれば、世の中の平和は守れるし約束されるという民主主義の神話がまだ生きていた時代の記念すべき作品だといえる。」(細谷健治「わたしの作品研究」『日本児童文学』48年11月号)といった論で十分である。ただ敢えていうならば、児童文学作品が徹底して子どもの側のものであるならば、書き手(大人)の価値観を登場する子どもたち(とりわけ主人公)にそっくり委託してしまうようであってはならない。作品世界にどのような価値観・美意識をもった登場人物が存在しようと、それは自由である。だが、子どもはどのよな価値観にも流動的であり、なかんずく自分で考え、行動し、悩み、喜び、それらのくり返しの中で一つの価値観(生き方)を選んでいくことを忘れてはならない。そして、自由な選択ののちつかんだその価値観でさえ、新しい価値観にいとも簡単にとって代わられる可能性をも秘めているのである。
 『木かげの家の小人たち』という作品の欠陥の一つは、書き手の《守りつづけるもの=価値ある生》をそっくり幼い少女のゆりに委託してしまったことにあると思える。さらに、ゆりや透子夫人や「小さい人たち」を語る際のこの登場人物たちとの間に一定の距離を保つ客観的文体(=語り)≠ェ、実はその客観性に書き手の主観が不注意にも流出してしまった個所をもったということ―つまり、《語り》にも書き手の価値観が委託されているのである。わかりやすい例は、不用意な福祉や修飾語句がやたらと多いことである。
「かぎりなくやさしく」「訴えるように」「何気ない顔をして」「わざとのんきそうに」「かわいそうに、(その人はめくらでした)」「こわいような気もちで」「非難するように」「にくにくしそうに」「うさんくさそうに」「めいわくそうに」―などであるが、これらの感情的表現を登場人物たちの具体的な行動や考えや出来事を通して描きえなかったのは、やはり書き手の側の問題を押し通そうとした情熱のためであろうか。
 さて、物語は主人公のゆりが戦争状況の酷しさが深まるにつれて「小人たち」を守り抜くためにさまざまな受難―信からの非難、信州への疎開、非国民の子としての中傷と阻害。重い病気―を受けるわけだが、ここで注意しなければならないのは「小人たち」(=『愛』という美しい心=jという存在があるために、逆に無限の忍耐と努力をゆりに与えているということである。つまり、アイリスやロビンはゆりの精神構造の中の支えであり、それはあくまでも象徴的な愛==w美しい心』のシンボルとしての価値しかもちえない。むしろ残酷にいうならば、ゆりにとってあのような苛酷な状況のなかでは、シンボルとしての、そして信仰としての《愛》つまり守り抜くべき「小さい人たち」の存在がなければ、ゆりの《生》そのものが存続したかどうかは疑いぶかい。「小人たち」という象徴的存在が主人公を救い続けたことは、ゆりのおばにあたるゆかりの次のコトバによって物語の最初から明らかである。
 
 ゆかりにとっても、新しいこの仕事は、ねがってもなかった楽しい仕事でした。病身で、家じゅうのだれかのせわにばかりなっていたゆかりに、はじめてひとのためにつくす機会がやってきたのでした。

 いぬいとみこは「小人」によって象徴される人間の内在的価値を不断の努力(=愛情)によって守り抜くことの大切さを強調しようとしたのであろうが、その際に二つの掟(第一は毎日ミルクを供給し続けること,第二はそれを怠ったら七十七日間出し続けるというつぐないをすること)を設定することにより「小人たち」を主人公の精神構造の中に閉じ込めてしまう結果になり、読み手(子ども)の中に具体的に存在しえたアイリスやロビンとゆりとの間の愛情関係が一方通行にすぎなくなってしまっているのである。
 物語の中では、さかんに愛情関係の成立を意図した表現が見られる。だが、「小人たち」の存在がゆりの《象徴的愛=シンボル》以上のものになりえない以上、つまりゆりの精神構造の外へ出られない以上、アイリスやロビンという具体的な対象がゆりと対等のつながり(愛情)を交換できるだろうか。この作品で意図され、執拗に説明された《愛》は読み手(子ども)にとって説得力をもつだろうか。

 ゆりは小人たちを愛していました。帰ってこないおとうさまを思って、ゆりが、悲しみに沈んでいるとき、本棚の上でひっそりと悲しみをともにしてくれる「小さい人たち」!この人たちのいのちをささえるためには、どんな苦労でもしようとゆりは思います。

 この「悲しみをともにしてくれる」というのは、ゆりの側からみた主観的な感情の枠をこえていない。ではどのようにして「小人たち」はゆりと悲しみをわけあったのか。そこのところは描かれていない。

 小さかった達夫やゆかりや透子たち、そして今の代の哲や信やゆりたちが、毎日欠かずにまどの下へ運んできてくれた牛乳は、ただの食べものというだけではなくて、自分がじぶんたちを愛していてくれる、小人たちのいのちをなによりも大切に思っていてくれると言う、たしかな愛情のしるしでした…。

 「小人たち」の側からのこの受動的な考え方は、それが第一の掟により酷しく人間に従属させられているが故にしかたのないことであるが、「たしかな愛情のしるし」というのは書き手の思考範囲であり、具体的な心のふれあいを抜きにした利害関係のともなった一方的な「愛情」でしかない。人間を徹底して信じようとしているファーンならいざ知らず、まだ幼く自分たちの《生》を選択する権利をもっているアイリスやロビンを、この「愛情のしるし」に縛りつけるのは不自然である。

 −「あの人たち」のかよわいいのちをね、守りつづけることができたら、おとうさまのいのちも助けることができる…わたしには、そんなふうに思えてしかたがないの。

 「かよわいいのち」というペット的表現にどうしてもひっかかりを感じるが、それは別の問題として、ここでは明らかに「小人たち」が不断の努力の道具立てにされてしまっているのではなかろうか。

  信を追いかけてこの部屋へやってくるみじかい間に、ゆりは自分が何よりも小人たちを愛しているのを知りました。森山家に生まれた子どもとして、習慣として、バルボーたちを養っているのではなくて、ゆりはじぶんが心から小人たちの命を守ろうと思っていたのを知りました。
 バルボーとファーンはあらためてじぶんたちがここに「家庭」をもってからの、三十年の年月をふりかえってみました。森山家の二代の子どもたちに愛されて、ファーンたちはほんとうに仕合わせでした。

 コトバで愛情関係の成立を説明しても、「小人たち」の世界が《シンボル》と《掟》によって「ゆり」の内部世界に包含されている以上、互いの世界をゆききする主体的な心のふれあいを描こうとするのは、すでに一つの矛盾を犯してしまっているのではなかろうか。そして、この矛盾≠ェ「人間の内在的価値」を守るという美意識をカクレミノにして、ゆりの一見求道的とも思える、内にのみ向かう閉鎖された負の精神構造≠作品の底に潜在される原因になっているのではなかろうか。だが、幼いアイリスやロビンが「人間従属の負の世界」から具体的な考えや行動でもって脱出しようとしている事実を考えると、ゆりにもまた「閉鎖された」ゆりの負の精神世界から脱出する可能性を描いてほしかった。《シンボル》と《掟》は同時にゆりの負の精神世界から脱出する可能性を描いてほしかった。《シンボル》と《掟》は同時にゆりの精神世界をも就縛する。守りつづけるものの正体(=実体)を『何を』『なぜ』『なんのために』と子どもの率直な疑問で問いかけていけば、アイリスやロビンのように自己の生≠つかむ糸口をみつけられたかもしれない。だが、ゆりにとっては、この《掟》は疑うべくもない《美しい生=シンボル》そのものだった。
 ゆりが久しぶりにやってきた兄の哲につれられて弁天島へわたったとき、小さなやしろに手を合わせて、(どうか早く、東京へ帰らせてください。それからどうかおとうさまがぶじに帰ってこられますように。それから、どうか哲にいさんが元気になるようにしてください。)と祈るのであるが、この祈りの中には愛し抜いた「小人たち」のことは入っていない。そして戦争という一大受難劇が終わりをつげたときには、(ああ、ゆりは、おとうさまに会える…おかあさまやにいさんたちといっしょに暮らせる…そしてじきに東京へ帰ってみんなといっしょに暮らせるんだ!)というように、もはや「小人たち」のことが入り込む余地はまったくない。ゆりの受難が徹底してゆり側(書き手側)の論理で落着したとき、「小人たち」は《続編》というまったく違った作品世界を用意しない限り、すでに語られるに値しないものとなっているのではなかろうか。
 いずれにしろ、戦争という外的状況からゆりは解放された。だが、長い間一人で苦しみ抜いてきた受難の地を去るゆりの表情に、喜びよりもむしろ疲れや暗いかげを感じるのは、外的世界からの解放がゆりの負の精神世界からの解放を決して明るく約束してくれはしないからではなかろうか。それにくらべて、ゆりという頼もしいミルク供給者を捨て、父母とも別れて、大自然の雑木林の中で自力で自分たちの《生》を築こうとするアイリスやロビンに、あふれるばかりの喜びの色を感じるのは読み手の読みすぎなのだろうか。
 このことは、ゆりという少女(人間)を本当に解き放つのは、ゆりの内面に住んでいるアイリスやロビンと同質の子どもの独自性(想像力や生命力)によってであることを暗示していると思われる。つまり、子どもの《内面》を原点とすることによって、私たちはどんなきびしい状況下にあっても、再出発できるのではなかろうか。
 『木かげの家の小人たち』につづいて、十三年後に発表された『くらやみ谷の小人たち』において、《掟》を取り払うことによって、アイリスやロビンが主人公としての位置を確保している(主体性をもっている)ことが、このことを十分裏付けているのではなかろうか。
 ともあれ、『木かげの家の小人たち』が『だれも知らない小さな国』と並んで、日本の本格的ファンタジーの出発点であることは間違いない。

 注1 厳谷小波が『こがね丸』を博文館の「少年文学叢書」第一編に発表したのが明治二四年(一八九一)である。本論は昭和四九年に執筆したので、『こがね丸』より約八〇年とした。
 注2、3 天沢退二郎「二つの掟」『現代日本児童文学作品論』(盛光者)日本児童文学一九七三年八月号臨時増刊。
※『木かげの家の小人たち』は、はじめ中央公論者より出されたが、一九六七年より福音館書店から発行されている。なお『くらやみ谷の小人たち』(一九七二年)『山んばと空とぶ白い馬』(一九七六年)のファンタジー三部作とも福音館書店より発行されている。
テキストファイル化中島晴美