家族という神話5

家族を超える地平に――乙骨淑子『十三歳の夏』
野上暁

           
         
         
         
         
         
         
    
 近代の家族は、社会の最小単位であるとともに、子どもの生育の場として機能してきた。一対の男女が、子を産み育てることの継承によって、家族を構成し再生産してきたと言い換えてもよい。
核家族化が進展する以前の家族は、二、三世代が同居するとともに、近くに住む親戚や近隣社会とも深い関わりを持ち、それに支えられながら、家族が孤立することなく、またその成員も孤立化をまぬがれてきたのだ。
高度経済成長期以後、地域共同体の急速な崩壊と、都市部における核家族の増大は、家族のありようをにわかに変容させてきた。地域共同体との関係性が希薄化し、それと反比例するかのように家族は内側に向って襟帯感を強めていく。しかも、サラリーマン家庭の父は会社中心で不在がちとなり、子どもとのかかわりは、いきおい母親任せになってくる。母子密着や、母の子に対する一方的な愛の強要、それが教育ママとして現象してくるのも、その頃からである。
そのような中での、変容する母の姿と家族の揺らぎを、前号では、六〇年代末に出版された砂田弘の『道子の朝』と、山中恒の『ぼくがぼくであること』をとおして見てきた。そこに描かれていたのは、政治的に高揚した時代の息吹を反映して、家族の構成員それぞれの社会への開かれた眼差しと、自立への可能性を模索するものであった。家族が内側に向って襟帯関係を強め、それが逃れようなく煮詰まって、親子関係に様々な歪みを現象させ、家庭内暴力などが頻発するのは、それから一〇年以上経ってからである。
七〇年代の中ごろに刊行された、乙骨淑子の『十三歳の夏』(一九七四年一二月)は、孤立化した家族が内側に向って繋がりを強めていく状況の中で、思春期の少女の目を通して、家族や親子関係を冷静に客観視し、それらを突き抜けた新たな関係性を示唆するものであった。
主人公の少女利恵は十三歳。母親を早くに亡くし、そのショックから父親は酒に溺れて次々と違う女性と同棲して家に戻らない。利恵は東京根津の三軒長屋で、祖母に育てられてきたのだ。祖母は、「おまえのおとうさんは、だめな男だよ」「いいかい、おとうさんをあてにするんじゃないよ」と、利恵に言い聞かせてきた。その祖母が死んだために、親戚が祖母の遺志をくんで、利恵は鎌倉にすむ中学の英語教師で独身の中年女性の家に引き取られる。独身の英語教師は、いつも机に向って原書を読み、深夜鏡に向って目尻の皺をなでたりして、ほとんど利恵に話しかけることもない。利恵の目には「深海魚のような目をした」女性として映る。利恵はその、女性とまったく心が通じ合わない。利恵の心を和ませるのは、飼い犬のポコだけだ。
物語は、利恵がJR総武線小岩駅近くの、父親が現在一緒に住んでいるという女性のパーマ屋を訪ねるところから始まる。小岩駅前の商店街を歩いていると、鎌倉の「マツタケの吸い物のような匂い」とは違った、「小豆の煮え立つような暑苦しくて懐かしい匂い」に、利恵の庶民感覚が蘇ってくる。利恵がパーマ屋を見つけて店に入ると、ちょうど父親もそこにいあわせるのだが、利恵は二人の姿を確認してちょっと言葉を交わしただけで、そのまま引き返してしまう。そのときの利恵は、自分の存在を二人にアピールすればよかっただけなのかもしれない。
利恵は、祖母と住んでいた頃に慕っていた"さぶにいちゃん"に逢いに、鎌倉から根津の三軒長屋を訪れる。そして二人は、天ぷらを買ってきて素麺を作って食べる。つかのまの和んだ時間にも、すぐに別れが訪れる。
「おにいちゃんとわたしはひきさかれてゆく――遠くへ遠くへひきさかれてゆく――利恵はこの感じにくちびるをかみしめる。これは、おばあちゃんから利恵をようしゃなく、むざんにひきさいてしまったときの、あのつめたい、なまりのような感じとおなじだ。バスに乗るときに握手した、にいちゃんの厚いてのひらのはだざわりも、いま、とつぜん利恵をおそったこのおもいが、かき消してしまった。
 わたしのかけがえのないものは、みんなひきさかれてしまう。わたしが生まれると、すぐにおかあさんが死んでしまった。おかあさんを亡くしたおとうさんは、お酒を飲みはじめて、わたしから去っていった。根津中学のみんなとも別れた。これからだって、ずうっとそうなのだわ――。」
 母を失い、父に去られ、唯一の肉親であった祖母にも死なれ、家族のいなくなった利恵にとって、電車の中で出会う親子の様々な姿は、いずれも印象深く目に焼き付けられる。
「利恵は、体をときどきひくひくさせて、おかあさんのひざの上で眠っている子どもをみつめた。きっと毎晩眠るときには、おかあさんにこうやってもらうのだ。あたたかな、やさしい指の感触に安心しながら、やすらかな眠りの世界にはいってよくのだ。女の人は、もう毎日のしぐさなので、そうやってやりながら、やっていることに気づいていないようだ。利恵の胸に、急に熱いかたまりがこみあげてきた。涙があふれそうなのをやっとこらえる。やってもらいながら、やっていることに気がつかず、やってやりながら、やっていることに気づいていないのだ。こんなに自然で、心のかよいあったことがあるだろうか――」
電車の中で、突然大声をあげて、精神を病んでいるらしい青年が泣き喚く。
「青年のとなりに、小柄な老婆が背中をまるめて腰かけていた。青年の母親のようだ。やさしい目を青年にむけ、小さくなにかをささやいている。何をいっているのか、利恵のところからはきこえなかったが、おだやかに、さとすようにいっている息づかいは感じられた。乗客のじぶんにむけられている視線などは、まるで気にしていない、ごく自然なささやき方だった。青年は母親にさとされたのか、泣きやみ、首をたれてうつむいていた。じっとなにかにたえているような、かなしさがそこにあった。足もとには大きな紙袋がおかれてあり、毛布がのぞいていた。青年が泣きやむと、老婆ははじめてほっとしたように、床に目をおとした」
 利恵は、その光景を見て、やさしいんだなあと思う。
 地下足袋をはき、菜っ葉服を着た、角刈りで日焼けした三十歳過ぎの男が、電車の中でデパートの包み紙を開く。その中からは、水色の縞の入った大小二枚のパンツがのぞいている。利恵は、それを見て、「子どもとおそろいのがあったので、うれしくてしかたないのね」と思わず顔がほころぶ。
 電車の中でたまたま見かけた、母と子のさりげなく自然な心のかよいあい。精神を病んでいる青年と老婆のこまやかな情愛。デパートで買ってきた、二枚のパンツを包みを開いて見る中年の男に、子どもとおそろいのものが見つかって、うれしくてしょうがないんだと、思わず微笑む利恵の内面には、親のいる家族への憧れが色濃く映し出されている。それは、人間ばかりか、目にする生き物にも向けられる。
卵のうを抱えたまま、死んでいたクモにも心を動かされる利恵。カラスが畑を荒らすので、見せしめに殺して畑の中に宙吊りにしても、他のカラスは知らん振りしているのに、ヒナを取られると大挙して人間を襲うエピソードにも、「カラスにはきっとこれから生きてゆくことの大切さがわかっているのだわ」と、利恵は思う。
親と子の情愛は、そこで完結するものではなく、命を次世代につないでいく重要な役割を、本能的に表出していることをさりげなく感受させるのだ。そしてそれは、鎌倉の女教師の家に訪ねてきて仲良しになった、同年の少女、大江なみ子との、つぎのような会話からも見て取れる。
「秋になると、たいていのメスグモは産卵を終えて、網から姿を消してゆくのね。やせ細ったオスグモは、そんなに長く生きられなくって、やがて死んでしまうの。やぶれ網にうずくまっているクモは産卵をすませなかったメスグモだっていうことを、最近本を読んで知ったの。オスがやってこなかったメスグモは、それでもまだじっとやぶれ網の中でオスをまちつづけて、やがて冬の寒さにたえきれなくなって、網から落ちて死んでしまうのね」
 なみ子の言葉に利恵は息をのむ。
「利恵の胸に、ふとあの人の姿が横ぎった。産卵の機会をもてないまま、網の中で身動きもせずにうずくっまっているメスグモと、机の前でじっと本を読んでいるあの人の姿とはなにかかよいあうものがある。そういえばあの人の後ろ姿はさびしいわ」
 そして大江なみ子が、突然力を込めて言う。
「わたしたちにはなんでもできるでしょう。オスグモをずっとまっているメスグモなんかじゃない。じぶんでえらぶことができるのよ。卵をかかえたまま、死ぬようなことがあったって、クモのようにただじっとその死をまつだけじゃないのよ。網からぬけだして、ちゃんと歩くことができるのよ。足で動けなくたって、心で歩くことができるんだわ」
 利恵は、その言葉に胸をうたれる。
 裏山の雑草に寝転んでいると、目の上の枝をはりめぐらせたイチョウ葉が、ゆれていた。それを見て、なみ子が言う。
「ねえ、あのいちょうの葉、毎年秋がくると黄色くそまり散ってしまうわねえ。冬には枝だけになってしまうわ。でも春になると芽ぐんでくるわねえ。その芽ぐんでくるとき、ほんとうにふしぎだとおもうのよ。どうしてちゃんと、毎年毎年ふくらんでくるのかしらって――そんなふうにおもわない?」
 そういわれても、利恵には「だって、そうなっているのでしょう?」としか答えようがない。
「でもね。わたしたちのお乳もね、きっとおなじなのだなあと、このごろおもうのよ。どこからでもなく、じーんとおしよせてくるふしぎな力でだんだん大きくなってくるのだわ」
 そう言って、なみ子は急に起き上がり、その手を利恵の胸にあてる。
「わたしたちのこのお乳ね、このお乳もいちょうの芽とおなじ気がするの。どこからでもない、じーんとおしよせてくるふしぎな力で、だんだんおおきくなってくるのだわ」「イチョウの木とちがうところは、わたしたちは一回だけね、一回だけのかけがいのないものなのよ」
 クモの話と同様に、なみ子の言葉は、利恵の心にびんびんと響いてくる。
この作品には、生む性としての女の感受力が、様々にはめ込まれている。
鎌倉の"あの人"が東京で国際学会があるというので、いそいそと出かけていく。ところが、生理用のナプキンを忘れたので、利恵に届けて欲しいという。ホテルに向かい人ごみの中を歩いていた理恵は、なにげなく持っていた手提げ袋に手を入れたとき、不思議な気分におそわれる。
「包みの中にあるものが、利恵のタンスのすみにもある――というたったそれだけのことなのに、いままでとはちがったものがあの人に感じられるのだ。それは体のどこからともなくわきあがってくるものだった。利恵はどうしてこういう感じになるのかわからなかったが、あの人が、いつも利恵をよせつけまいとしているひややかなものとはちがうことだけはたしかだった」
 ホテルの会場に入ると、普段目にすることのない華やいだ"あの人"の姿が目に飛び込んでくる。
「あの人は顔じゅうを笑いにしてうなずき、手をひろげ、大げさなしぐさで応じている。それほどしたしくないのに、とてもしたしそうにふるまっているという感じがした。なにかわざとらしかったが、でもあの人の目はいきいきしていた。はりのある顔や態度は自信にみちていた。幾晩も、幾晩も、おそくまで本にむかい、勉強していた成果がいまでているのだろう。そのよろこびでいっぱいなのだ。あの人にも、こんなにいきいきすることがあったのだわと、利恵はあらためてびっくりする」
 生理用のナプキンを届けるということから、女性同士の共通感覚のようなものが利恵の心の中に浮上し、それが"あの人"に対する閉ざされたイメージを溶解させていく。
 利恵は、不思議な夢を見た。
「利恵は錠前になっていた。木戸の扉に、身動きできないままぶらさがっている。だれかきて、はずしてほしい。わたしの鍵穴に鍵をさしこみ、かちゃりと音をたててはずしてほしい、と利恵はおもう。だが、しーんとしたまっ暗やみの中にあるものは、錠前の利恵だけだった。
 足音がする――だれかきたのだ。利恵は耳をそばだてる。たしかにだれかきている。ちゃりん、ちゃりんと鍵の音がする。足音は近づいた。そして利恵の前でとまる。錠前の利恵にふれる」
 鍵は鍵穴に差し込まれ、「かちゃり」と音をたてたところで、利恵は目をさます。"さぶにいちゃん"かと思ったがそうではない。何か懐かしいような、優しいような、悲しいような思いが立ち上がる。夢の中の人は、父と暮らしている小岩のおばさんだった。たった一度しか、しかもほとんど言葉も交わしていない人が夢の中に登場してきたのか、不思議だった。たった一度しか会わないのに、忘れられない人もいれば、毎日会っていても心のかよわない人もいると、利恵はおもう。
再び小岩で父親の同居人のパーマ屋を訪ねた利恵は、一切気取りのない、お八重おばさんと意気投合し、そこで暮らし始める。父親は相変わらずそこにも寄り付かない。しかし利恵は、ざっくばらんなお八重おばさんと、何でも判り合えるようで、とても居心地がよくなるのだ。そのうち父親も定職を見つけて戻ってきて、三人で新しい家族生活が始まりそうになるのだが、利恵はそこに安住できない自分を発見する。
「お八重おばさんの家は、いつもさんさんと日のあたる場所ね。あったかくって、居心地がよくって、体がとけちゃいそう。わたしがいなくなっちゃいそう。こんなに居心地がいいから、かえってこわい」と、利恵は言う。
「利恵はあの人の、深海魚みたいな目をおもいだした。深い海の中で、じっと相手をみすかすようにしている、つめたくて、暗い深海魚の目」
 その鎌倉の家に戻って、「暗闇を突き抜けてみよう」と決意する。
「あの人のことは、なんにもわかっていないもの。あの人とお話をちゃんとしたことはないんだもの」「もしかしたら、わたしはあの人のぬけがらといっしょに暮らしているのかもしれないって。あの人は別のところにいる――ただわたしにそれがみつからないだけ。あの人じゃないあの人しか、みてないのかもしれないって」
 家族を失うことによって、家族に憧れ、家族を夢想し、その過程から家族というシステムそのものを客体化する視点に、利恵はいたったのだろうか。父の帰還によって、再構築されるだろう家族をあえて振り切り、「つめたくて、暗い深海魚の目」をした、どうしても判り合えない鎌倉の中年の中学教師のところに、利恵は戻るのだ。そこには、人と人との関係性の不可解さを見据えながら、ともに暮らすという決意の潔さがある。家族という、所与の関係性にもたれかかり、そこに安住することの危うさを感受し、血縁を超えた人と人との関係性の新たな構築による家族の再編。それは、九〇年代になって、ひこ・田中が『お引越し』や『カレンダー』で到達した、家族関係の新たな地平でもある。そしてそこには、近代が構築した、「家族という神話」を解体する、新しい息吹があったのだ。
 乙骨淑子は、一九八〇年八月十三日、五一歳の若さで惜しまれて亡くなった。
かつて私は、『乙骨淑子の本 第三巻』(一九八六年 理論社)の解説の書き出しに、次のように書いた。
「乙骨淑子は、きわめて実感的で情緒的な傾向の強いわが国の児童文学の中にあって、きわだって理知的な作家だという印象が強い。生涯に残した著作が、未完の遺作となった『ピラミッド帽子よ、さようなら』まで含めて長編ばかりが七冊あるが、乙骨の児童文学の世界での活動期間の長さに比べると極端に少ない。昼の勤めを持ちながらの作家活動であり、またたび重なる闘病生活がそうさせたといえばいえるが、そうばかりではないと私は思う。それは、乙骨の文学に対する考え方に深くかかわる問題なのではないだろうか。」
 一九二九年に東京で生まれた乙骨淑子は、敗戦の八月一五日に、皇居前の玉砂利に土下座して天皇にお詫びするという愛国少女だった。敗戦後に学校を卒業してから、戦前に東大セツルメントや学生消費組合をやっていた人たちが運営する学生書房に勤め、そこでマルクス・レーニン主義の洗礼を受け、実践活動にも参加する。そして共産党内の国際派と所感派に分かれた熾烈な戦いに巻き込まれ、五五年の六全協(日本共産党第六回全国協議会)による武装闘争からの大転換を契機に、政治的な組織に絶望し、自分の行き方を問い直していく中で児童文学にめぐり合った。児童文学という新しい文学形式で、自分を支えて行こうと思ったのだと、後に乙骨はいう。
そして、「原始人が自然に対して全心身的に立ちむかっていった強烈なエネルギー、神話にも反映しているエネルギーを、現代に生きる作者自身の問題として、民話を考えるにしても、創作する場合にも持ち続けることが、児童の旺盛な読書力を更に伸ばしえる創造的、普遍的な児童文学を生み出す大きな力となることを忘れてはならない」(「児童文学における創造性」『文学』一九五九年三月号所収)といい、「現在、新教育によって成長した人たちの、自分を大切にし、のびのびと物事を考え、行動してゆく姿を、現代の子どもたちにも残してゆきたいと思う」(「日本児童思想史序説」 『思想の科学』一九六三年七月号所収)と述べている。
 戦中戦後の自己体験から、乙骨は天皇制や国家の問題に敏感に反応する。それは彼女の作品の中にも、様々に反映されてきた。天皇制国家の最小単位として、天皇の赤子の養育装置としての血縁家族の神話化が、乙骨の家族観に影響を与えたことは疑いようがない。国家の枠組みにとらわれてきたからこそ、国家の消滅を夢想する。したがって、国家を支える家族至上主義をも、解体に向わせる視点が内包されていたと見ることが出来よう。それが利恵の決断につながるとするならば、乙骨は近代家族のありようを超えた、新しい人間関係を模索し、それを磁場にした大人と子どもの関係性を示唆しようとしたのかもしれない。(以下次号)