児童文学この一冊

08.おばけの話…。
上村令

           
         
         
         
         
         
         
     
 子どもは、おばけの話が大好きです。うんとこわいおばけも、ユーモラスなおばけも、日本のも外国のもよろこんで読みたがります。
 そんなお話のひとつが『子どもべやのおばけ』(ゼーフェルト作/倉澤幹彦・本田雅也訳/福武書店)。古いお城あとにたてられた家にひっこしてきた三人姉弟が、そこに住みついていたおばけ、フローリアンと友だちになります。フローリアンはやさしくて、ちょっとゆううつになりがちなおばけ。もう五百年もここにいるんだ、といいます。子どもたちはそんなフローリアンを“解放”してあげようと、力をつくしてがんばることになるのですが…。
 このお話を読むと、子どもがどうして「おばけ話」が好きなのか、よくわかるような気がします。
 まず、“こわさ”。いくらフローリアンが気のいいおばけでも、はじめはそんなことわからない。子どもべやのカーテンレールの上に、何か白いものがフワフワしてたとしたら…?
 それに、フローリアンの案内で子どもたちがでかけていく、お城の古い地下室も、なんだか不気味で、まっ暗です。こうしたこわさは、いやな感情と同時に、わくわくするような嬉しさもひき起こしてくれることがあります。(とくに、このお話の中で、長女のユッタがはじめて“おばけを見た”あとのように、しっかり抱きしめてくれる両親や大人がそばにいれば、安心してそのスリルを楽しむことができます。)
 それから、ふつうの日常には現れない、けれども絶対にどこかに存在する―と子どもたちは知っています―“不思議な世界”を知ることができる、という満足感。たとえば、五百年前、この家にはだれが住んでいたのでしょう。それから、死んじゃうと何が起こって、それから先には何が待っているのでしょう。“おばけ”は、日常のルールからまったく自由ですから、ふだん子どもたちが大人に尋ねても生返事しかしてもらえないこうした質問に、鮮やかな答えをくれるのです。もちろん、その答えを子どもたちがすべてうのみにする、とういうのは杞憂です。こうした質問への答え、というのは、それぞれが長い人生の中で創っていくのだ、というのは、子どもたちも漠然と知っています。としても、答えてくれる存在がある、というのは大したことです。
 それから、“秘密”。大人はたいてい、おばけの存在など認めず、排斥しようとしますから、おばけと子どもたちは、固い秘密でむすばれることになります。秘密のきらいな子どもって、そうたくさんはいないでしょう。
 子どもたちとおばけのこんな“友情”を描いて、長い間人気をはくしてきたもう一冊の本に、『小さなおばけ』(プロイスラー作/大塚勇三訳/学習研究社刊)があります。“こわい話”の好きな子に、どうぞ。
福武書店「子どもの本通信」第10号  1989.12.20
テキストファイル化富田真珠子