児童文学この一冊

21.シュークリームを焼いてくれる人
上村令

           
         
         
         
         
         
         
     
 転校生の杏は5年生。ちょっとしたきっかけからクラスの反感を買ってしまい、いじめられるようになります。転校当初はむしろ憧れられたきれいな服装や東京弁等が、一転していじめの理由になります。「気取ってる」「女くさい」「前の学校に帰れ」…。
 『風葬の教室』(山田詠美作/河出書房新社刊)には、クラスの中でのいじめの状況がつぶさに描かれています。
 “ちょっとかゆいと思って掻き始めたところがどんどん掻きむしってしまうような”集団のエスカレートの仕方に、始めは自尊心をもって耐えていた杏も、「死のう」と思ってしまいます。いじめた連中が一生後悔するような遺書を書いて死のう。死ぬ気になればなんだってできるという人もいるかもしれないけど、今の私の目の前には、できることなんて何一つない…。
 杏がかろうじて死ぬのを思いとどまったのは、のんきで優しい母と姉が、「杏がしょげているから、シュークリームを焼いてやろう」と相談しているのを聞いたからでした。私は大好きな人たちに、クラスの連中が私にしているのと同じ仕打ちをすることになる…と。やがて杏は、姉の言葉にヒントを得、“いじめた連中を一人ずつ心の中で殺す”ことを覚え、立ち直っていきますが、それは容易な道のりではありませんでした。
 6年生のブリットがいじめられている理由は、杏とは正反対で、「子どもっぽい」から。しかもブリットの家では、家族がうまくいかず、いがみ合いがたえません。父母が自分を愛してないわけではないこと、たまに夜中に部屋へ来て、そっと「おまえがすきだよ」と言ってくれたりすることを、ブリットは知っています。でも、それだけでは、生きぬいていくのは難しいのです。
 『夏には―きっと』(ハウゲン作/木村由利子訳/文研出版刊)は、家にも学校にも居場所のない子の、孤独で絶望的な気持ちを、凄絶なまでに描きだします。しかもこの作品のすごい所は、いじめられているブリット自身が、友達の歓心を買いたいばかりに、町のきらわれ者のエルビラという女の人をいじめる側にまわってしまうようすまでを、きちんと捉えていることです。
 結局父母は離婚することになり、病気に倒れたブリットを、ある日エルビラが見舞います。これから父のない子を生もうとしているエルビラは、ブリットに、「この子にはあなたが必要なの。一緒に楽しくやりましょう、私たちそのくらいの値打ちはあるわ」と言ってくれました…。
 ただ“みんな仲良く”等とお題目を唱えてもどうしようもない状況が、いじめの渦中にはあります。正義派の熱血先生がいじめられっ子をかばったばかりに、よりいじめを激化させてしまう様子も、『風葬の教室』には描かれています。当事者の子どもを救うのは、まず第一に、本当にその子を大切に思う大人が、そのことをきちんと伝えること、そして、絶対的な味方でいてやること、なのではないでしょうか。
福武書店「子どもの本通信」第23号 1992.2.10
テキストファイル化富田真珠子