きわめてながい「あとがき」

上野瞭
『ネバーランドの発想』(上野瞭 すばる書房 1974.07.01)

           
         
         
         
         
         
         
    
 子どもの本について、大人が「考えのほど」を述べるというのはどういうことなのだろうか。この一冊の本もまたほとんどが、大人であるわたしの「子どもの本」をめぐる覚書という形をとっている。気の早い大人なら、これだけでこの本を「子どものための」何か……と考えるだろう。何か……というのは、「本の選び方」あるいは「与え方」といってもいい。大人が「子どもの本」に関わるのは、「読書案内」しかあるまいという固定観念である。
 なるほど、テレビの『助け人走る』ではないが、大人は、子どもの「助け人」だ……という考え方である。この考え方の中には、大人は常に「教える側」であり、子どもは「教えられる側」であるという意識が働いている。しかし、こうした役割は、果して不動のものであろうか。わたしには、大人と子どもの関係が、時には逆転するように思えてならないのだ。
 たとえば、最近読んだ灰谷健次郎の一文、『ぶぶぶでにっぽんごいわれへん』(雑誌『リード』昭48.11月号)は、そのことをあざやかに示している。
 灰谷健次郎は、十七年間の教師生活を投げだして沖縄へ渡る。そこで、日給千五百円をもらって、パインナップルの皮むきなどをして暮らす。そのうち、一人のオッサンに出あい、話しこんでいるうちに、かつて教えた子どもとその詩を思いだす……。
「人を糾弾するときは、あんたのようにはずかしそうに笑おう。生きるとき、あんたのようにはずかしそうに笑おう。いつの世でも、あんたの詩のように、美しく未熟であろうと」
 灰谷健次郎は、そんなふうにこの話を結んでいる。この話を正確に伝えるためには、「あんた」と呼びかけられた「Nくん」の詩を引用する必要があるのかもしれない。そうでないと、このことばの「重さ」はまっすぐ伝わらないだろう。
 しかし、それがなくてもこの話では、大人が「教えられる側」に立っていることが、多少わかるのではないだろうか。この一文は、知識や経験といった「大人の衣粧」をはぎとって、なおかつそこにある人間の生き方を問題にしている。それが、子どもの側から示唆されることを、やさしい語り口で述べている。こうした話に触れると、とてもじゃないが、大人を「助け人」などといっておれなくなるのだ。
 もちろん、これは、子どもと子どもの詩に関わる大人の話である。子どもの本に関わる大人の話ではない。そういえる。しかし、ここで語られた大人のあり方は、子どもの本に関する場合、まったく無縁といえるだろうか。大人と子どもの本の関わり方をせっかちに、「読書指導」的な考え方でとらえる発想を見ていると、わたしは「はずかしそうに」笑って考え直したくなるのである。大人がじぶんの「あり方」を問い続けない「子どもの本との関わり方」など、どうもはずかしすぎる話なのである。
 それにしても、大人と子どもの本との関わり方は、それだけではないだろう。丸谷才一に『たった一人の反乱』という長編がある。それにならっていえば、大人のこの行為には「たった一人の読書運動」といったおもむきがないでもない。いわゆる「読書運動」が、大人による「子どものため」の営みであるのに対し、「たった一人の」この試みには、子どもの本を「つくりだす側」あるいは「選ぶ側」「与える側」への問いかけがある。
 こういえば、「子どもの本についての大人の発言は、まず子どもの方をむかねばならない」という反論がありそうである。「運動」というものは、まず観客があっての集団競技だ……という考え方である。なるほど、整然たる徒手運動も「運動」に違いない。しかし、所定のグランドだけが「運動場」ではないように、ただ一人、土手や草原を走る行為も、また「運動」ではないのだろうか。こうした行為を切りすてて、「運動」の仕方を限定する場合、「運動」というものが本来持っている身心を柔軟にする働き、いうならば「運動の楽しさ」が欠落していくだろう。『原初生命体としての人間』を書いた野口三千三によれば、「野口式体操」は、常に人間を自由でしなやかな方向へ持っていくものだという。もし、「運動」がそうした働きを本来持っているとすれば、それに反して、人間を一定の枠組みの中にとらえるものは、何と呼べばいいのだろう。

 さて、この本には、「子どもの本」に直接関わりのない覚書もいくつか入れた。こうした形にまとめるようにすすめてくれたのは、長谷川佳哉さんと赤尾三男さんである。この二人は、はじめ、小説もシナリオも入れてはどうか……といってくれた。わたしは、雑誌『表象』に発表した『といれっと・ぽえむ』や『殻』(テレビ・ドラマのためのシナリオ)を取りだしてみた。こうした作品を「子どもの本に関する覚書」といっしょに並べるのは、たぶん、わたしのよって立つ世界を明らかにするためだろう。その意図のほどはよくわかる。しかし、結果としては、割愛することになった。それよりも、「その後の古田足日論」「その後の山中恒論」を書いた方がいい……と、わたしは考えたからである。「その後の」というのは、すでに『戦後児童文学論』(理論社)において、わたしは、この二人に関する私見を述べている。そこで、わたしは、七○年代の日本児童文学の動向を、この二人に焦点をあわすことで書こうと思っていたのだ。長谷川佳哉さんと赤尾三男さんには、そう約束した。それなのに、結局、書かずに終わっている。理由はいろいろある。その一つは、今、なぜ、この二人についてのみ書かねばならないのか……という疑問である。じぶんでいいだしておいて、じぶんで疑問を抱くなど、まったく愚の骨頂である。しかし、さきに、斎藤惇夫の『冒険者たち』(牧書店)が出版され、今、今江祥智の『ぼんぼん』(理論社)が出ている。枚数にこだわるわけではないが、六○年代の「創作児童文学」が三○○枚の枠組みの中で書かれていたのに対し、こうした作品の登場は、そうした枠組みを越えた「長編」の時代を予感させる。現に、奥田継夫の「中学時代」(講談社)があり、山中恒の「三人泣きばやし」(福音館)がある。わたしもまた「目こぼし歌こぼし」(あかね書房)で、一つの枠組みからはみだそうと試みている。たとえ、今は「枚数の問題」にしか見えないとしても、この外枠の変化は、発想の転換をもたらすのではないだろうか。わたしは、そうした「予感」を理由に、じぶんでいいだした約束を破った。

 それにしても、ここに収めた古い覚書を見ていると、十年一日のごとくテレビを眺めているじぶんに気がつく。『映像の中の人間関係』(一九六五)で考えたことは、いまだに、わたしの中の関心であり続けている。しかし、南都雄二はすでになく、『夫婦善哉』の司会はミヤコ蝶々一人の手にゆだねられている。いや、それだけではなく、こうした形の視聴者参加番組は、この覚書を書いた時点と違ってうんとふえている。『プロポーズ大作戦』『パンチでデート』『ただいま恋愛中』『新婚さん いらっしゃい』『おもろい夫婦』『日本一のおかあさん』……。ここに、テレビによる集団見合いともいうべき『結婚への扉』も付け加えてもいいだろう。今日の「映像文化」は、人間の出会いから相手の選択まで「提供」するようになっている。恋愛も結婚も、すべて「可視的なもの」として茶の間に送りこんでくる。こうした「提供される人間関係」について、わたしは無関心ではいられない。新しい覚書を書きたいと思っている。しかし、ここでもわたしは怠けものであり、十年前の覚書で形がわりさせている。資料として使った数字類の、今日の事情と合わないことはわかっている。だが、ここで考えようとしたことは、決して「昨日」のこととして終わっていないこともまた確かなのである。それどころか、「今日」から「明日」にかけて、ますますクローズ・アップされる問題ではないだろうか。いずれにしてもわたしは、「子どもの本」に関わると同様に、「映像文化」と呼ばれるものに関わっていくだろう。こうした関心は、わたしが自転車にのってスーパー・マーケットへ買物にいく限り続くように思う。

 ところで、買物といえば、わたしはチリメンジャコをよく買いこんでくる。これは以前にも書いたことであるが、天婦羅にするためである。興味のありそうな人には会うたびごとにその揚げ方などを話している。しかし、そのほとんどの人が軽く笑ってしまう。天婦羅にチリメンジャコとはね……といった顔をする。残念なことながら事実である。いったい、天婦羅といえば、何を揚げ何を揚げてはならないというそんな規則があるのだろうか。わたしはチリメンジャコを揚げるたびに、ここでもまた一つの「枠組み」があることを感じて、多少さびしくなるのである。


一九七四年四月

上野 瞭



初稿発表覚書

1
なぜ現代の児童文学を語るのか……新刊ニュース(1972.7.1)
子どもの「ためになる」読書……朝日新聞(1972.5.21)
カジノ・リブモンテーニュ氏への配慮…学校図書館(1972.5月号)
フエフキドウジの話……新日本文学(1971.1月号)
児童文学はどこまできているか…………思想の科学(1971.4月号)


2
ネバーランドの発想……………comodo(1972.2号)
パーマンの発想……………………comodo(1972.1号)
「肩がわり」の発想…………………comodo(1973.3号)
「からだをはる」思想……………………朝日新聞(1971.3.13)
「走る」ということ…………日本児童文学(1973.1月臨時増刊号)
「エヴ・ポ」と「リ・ポ」………………図書(1971.1月号)
わたしの鉄道唱歌………………日本児童文学(1971.5月号)
絵本を楽しむ………………………保育の手帳(1971.6月号)
ねずみのフレデリック……日本児童文学(1971.12月臨時増刊号)
やぶにらみ絵本論……………………児童文学1972(1号)

3
戦時下の児童文学………………日本児童文学(1971.12月号)
新美南吉に関する覚書…………平安学園研究論集(1966.10号)
負け犬の美学………………………………(未発表・1970年)
片隅の女性論………………………………(未発表・1970年)
高橋和巳論…………………………思想の科学(1971.2月号)
映像の中の人間関係…………平安学園研究論集(1965.9号)


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