宇多田ヒカルの語り方

奥山恵

           
         
         
         
         
         
         
     
 書店の一角を占める芸能関係の本。ブレイクしたアーティストや俳優たちについて語られた、あるいは自ら語ったこれらの本を、現代の伝記の一面として読んでみたいという興味が前々からあった。そこで、とりあえず、去年一番多く書かれた芸能人からとりあげてみることにしたい。宇多田ヒカル、十六歳(この一月で十七歳)。演歌歌手の藤圭子の娘でニューヨーク育ち、自ら作詞作曲したファーストアルバム『First Love』の記録的なセールスで一躍有名になったこの女の子は、いったいどのように語られたのか。
 まず、彼女の名前が知られるようになって、出版された「宇多田本」を列挙してみよう。

 『宇多田ヒカルとニューR&B「大」事典』(ニューR&B研究会、飛天出版、一九九九・六・五)
 『宇多田ヒカルの謎』(宇多田ヒカル研究会、いれぶん出版、九九・七・一)
 『宇多田ヒカル 世紀末の詩』(緒方邦彦、衆芸社、九九・七・二五)
 『宇多田ヒカルの作り方』(竹村光繁、宝島社、九九・九・二四)
 『宇多田ヒカル母娘物語』(石坂まさを、ゴマブックス株式会社、九九・一一・二五)
 『宇多田ヒカルとブラックミュージック』(ハレルヤ マーケット、コスミックインターナショナル、二〇〇〇・一・四)

 以上が、今回知り得たかぎりの六冊だが、これらの本を読んでみてまず感じたこと、それは「宇多田ヒカルという人間については語っていない」ということだ。もちろん、どの一冊の中にも、彼女についてのなんらかの説明はある。しかし、それらはどれも、各種の新聞や雑誌などで一般に知り得ることばかりである。情報の少なさもあるだろう。生い立ちといってもわずかに十六年間しかない。しかし、その足りない部分を独自の情報収集、資料収集によって埋めていこう、それによって「宇多田ヒカル」という人間について個性的に語ってみようという意図は、そもそもどの本にも希薄なのだ。むしろ、「宇多田ヒカル」という存在をひとつの呼び水にして、それぞれがそれぞれ言いたいことを語っている――そんな印象を受ける。


 たとえば、『宇多田ヒカルとニューR&B「大」事典』は、「パート00002160 宇多田ヒカル・ストーリー」「パート00002161 ニューR&Bとは何か?」「パート00002162 日本のニューR&Bレディたち」の三部に分かれている。このうち、約半分くらいを占めるパート00002160で、宇多田ヒカルについて語られているが、デビュー曲「Automatic」が大ヒットし、さらにファーストアルバム『First Love』で売上枚数が日本記録を樹立したことからはじまり、高校生であること、ニューヨーク育ちであること、日本でのデビュー以前にアメリカで「Cubic U」の名前でアルバムを出していること、母親が藤圭子であること、父親も音楽プロデューサーで小さい頃から音楽スタジオが遊び場だったことなど、一般的に知られていることが、手際よくまとめられているといった感じで、とりわけ目新しいことはない。この本の場合は、宇多田ヒカルの曲調やこうしたプロフィールから、彼女を《ブラック・ミュージックのテイストを持》ち、《歌の実力があるうえに作詞や作曲をこなし、しかもライフ・スタイルまでもがカッコいい》《ニューR&B(リズム&ブルース)系のアー ティスト》として位置付け、後半は、その《ニューR&B》系といえる海外のアーティスト――宇多田が好んで聴いたという若手が中心――を簡単に紹介したパート00002161をはさんで、日本の《ニューR&B》系女性シンガーを次々に紹介していく。そこでは、安室奈美恵、チャラ、UA、ミーシャ、吉田美和(DREAMS COME TRUE)、鈴木あみ、それぞれの活躍が並列的に語られ、最後は駄目押し的に《まさに、九九年は宇多田ヒカルを筆頭に、ニューR&B・レディの時代なのである》とまとめられている。
 最新刊の『宇多田ヒカルとブラックミュージック』もまた、似たような一冊で、最初に簡単な宇多田の紹介はあるものの、話はすぐ、彼女に影響を与えたのはR&Bだというところから、そのおおもとであるブラックミュージックの歴史へとつながっていく。このブラックミュージックの古い歴史から九〇年代の世界のニューR&Bまでの流れが一冊のほとんどを占め、その間宇多田ヒカルの名前などまったくどこかへ行ってしまう。最後に、宇多田ヒカルが売れた理由と彼女の二〇〇〇年を占うということでいろいろな占いを列挙しているあたり、いかにもとってつけたような感じだ。これらの二冊は、結局のところ、宇多田ヒカルその人よりも、音楽の一ジャンルについて語ることに主眼があるといえる。ブラックミュージックやR&Bという、どちらかといえば音楽シーンではマイナーだった(それゆえ密かな起爆力を持ち続けてきたともいえる)ジャンルについて、ようやく堂々と語ることができ、しかも広く読まれるだけのきっかけとして、「宇多田ヒカル」の名前が冠されているという印象を受けるのだ。
 一方、『宇多田ヒカルの作り方』は、これまでの本に比べると、著者の顔がよく見える一冊である。プロローグは「「宇多田ヒカル神
話」をぶっとばせ」。つまり、《ニューヨーク出身》の《一六歳の天才》という日本人の大人たちが喜びそうな神話を壊すことを目指し、全体の三分の一あまりの分量を費やして宇多田のファーストアルバム『First Love』の全曲について、音域、歌詞、構成などの面から近年の日本のヒット曲と比べつつひとつひとつ詳細に分析する。そこから、さらに三分の一くらいで、小室哲哉とビジュアル系ロックバンドによって《クソだらけ》になってしまった音楽業界の一面を徹底的に批判する。そしてさらに最後の三分の一で、《絶対音感》《クラシック》《早期教育》を信奉する日本の音楽教育を、これまたボロクソに批判。結局、《子どもの意志を尊重し、子どもの可能性を信じ、愛情を惜しげもなく注げる親バカになれ》、それが《宇多田ヒカルの作り方》であり、たとえ音楽で成功しなくても魅力ある人間になるのだというわけである。結論は、平凡だが、しかし、それまでの曲の分析や批判の部分は、音楽の早期教育のせいで役にも立たない絶対音感を身につけてしまい音楽嫌いになってしまった経験を持ち、また、それでもギターの魅力にとりつかれ、スタジオミュージシャン、作曲、アレ ンジ、音楽評論などをやりつつ音楽業界で生きてきた著者ならではの怨念のようなものさえ感じられる。
 『宇多田ヒカル母娘物語』もまた、著者の顔が見えすぎるくらいよく見える一冊だ。なにしろ、著者の石坂まさをは、宇多田の母親、藤圭子を見出し、自宅に下宿させて修行させ、ともに爆発的なヒットを生み出した作詞家なのだ。しかし、そのためこの本は、タイトルに宇多田ヒカルの名があるものの、全体の五分の四は藤圭子の物語になっている。藤圭子=《純ちゃん》がいかにして人気歌手となったかがえんえんと書かれており、その人気を伸ばし続けられなかったこと、さらにはその娘=《ヒカルちゃん》のデビューについても何の力にもなれなかったことが《戦友への懴悔》として語られているのだ。これらの本の場合も、やはり「宇多田ヒカル」は、著者自身がずっと語りたかったことを語り得る、ひとつのきっかけとして存在しているといえるだろう。
 残る二冊『宇多田ヒカルの謎』と『宇多田ヒカル 世紀末の詩』は、彼女のファーストアルバムセールスが六〇〇万枚を超えた五〜六月に執筆されている。この頃は、四月の限定ライヴ以外にはまだTVなどにも本人がまったく出演していなかった頃で、その神秘さに乗じて出版された二冊という感じがする。「いろいろ騒がれている宇多田ってほんとうはどんな子なの?」という期待に応えるべき二冊なので、基本的には、まるごと宇多田について語られている。とはいえ、どちらも独自に本人に取材しているわけではなく、五〜六月以前の宇多田ヒカルの新聞や雑誌記事あるいは彼女のホームページといった先行資料をもとにしている。そうした先行資料が明記されている点は誠実さも感じるが、独自にキャッチした秘密が明かされているというほどの衝撃はない。その分、語り方でひきつけようという工夫が見られる。
 前者の語り方は、徹底して断片的。《顔文字の謎》からはじまって、《歌詞カードと歌の違いの謎》《宇多田ヒカルはたまごっちの謎》
《おじさんのことを理解できる謎》《宇多田ヒカルのにせものの謎》《まっちゅーぴっちゅー好きの謎》《手抜きがバレる謎》などなど二ページ程度の謎とそのいちおうの答え(確証できない場合は推測)がこまこまと語られている。謎の数は、六〇項目ほどで、最後は《宇多田ヒカル報道の謎》で、これまでの報道記事のいくつかをチェックして終わっている。「それほど重要じゃないかもしれないけどちょっと知りたい」と思うような謎を提示して、それを軽く解明し(わからなければわからなくてもいい)、最終的に「宇多田ヒカルって、いろいろ変わってるところもあるけど、けっこう身近な感じ」という印象を与えている。
 それに対し後者の『宇多田ヒカル 世紀末の詩』は、「突然、彗星の如く…」から始まって、「見えない素顔」「ニューヨーク育ちの感性」「世紀末のカリスマ」「大記録の秘密」そして「世界制覇への夢」で終わるという章立てからも伺える通り、ひとつの壮大な物語を目指そうという意図が感じられる。しかし、すでにのべた通り、基本資料は特別独自のものがあるわけではない。そのため、《「口を開けば渋谷系、歌を歌わせれば超弩級」という野放図なヒカルは、まさに世紀末に神が地球へ送り込んだ最後の遺伝子とでも呼べそうだ》と本人の個別性を強調したり、日本の音楽業界で不完全燃焼していた両親が《日本の音楽業界への「意趣返し」とでも呼べそうな、そんな複雑な思いを彼らは抱いていたのではなかろうか》と推測したりした上で、《来年、ヒカルはニッポンを去っていく……!?/目指すは生まれ故郷のニューヨークを拠点とした、世界制覇への実現である》とひとつの物語がまとめられたところで、結局は憶測の域を出ないという印象がぬぐえない。物語化をめざしたが、資料足らずに失敗、といった一冊だろうか。


 だが、じつを言えば、こうした失敗も含めて、これら「宇多田ヒカルという人間については語っていない」「宇多田本」を、私はけっこうおもしろく読んだ。宇多田という存在などすっとばしてしまうほどの、それぞれに語りたいことへの思い入れの強さもおもしろかった。翻って、宇多田ヒカルという女の子の存在がふわふわと漂い出す感覚も楽しかった。宇多田ヒカルをいろいろな角度から位置付けようとしつつ、しかし、結局どこにも位置づけられていない、その曖昧さも心地よかった。
 ベタな比較で申し訳ないが、たとえば、彼女の母親の藤圭子はどのように語られていたか。なんとか探しあてた一冊は、『演歌の星/藤圭子物語』(ルック社、一九七一・七・十)。藤圭子自身による自伝である。「第一章 私の人生暗かった」「第二章 ネオンの街を流して」「第三章 演歌の星をめざして」「第四章 輝いた演歌の星」そして「第五章 涙の紅白歌合戦」とこの章立てを見ただけでも、貧しい旅芸人の子として育ち、東京に出ても繁華街での流しの仕事で生活をしのぎ、その中でひとりの作詞家に見出されてあらゆる手段を尽くして売り込み、とうとう大ヒットを生み出して念願の紅白出場を果たす……というサクセスストーリーがはっきりとうかがえる。この自伝が語られたとき、藤圭子はまだ二十そこそこのはずだ。しかし、この一冊を読むと、物語はすでに完結してしまっているという息苦しささえ感じてしまう。これからも歌い続けていきます、と著者がいくら決意を表明しても、未知の未来が広がっていくという可能性はどうしても読めないのだ。
 宇多田ヒカルは、この母親のようには、自分を語らない。宇多田がホームページ『Hikki,s WEBSITE』を持っているのはよく知られているが、その中で彼女は、「日記」という形で自分を語っている。日々更新され続けていくもの。先の見えなさ。断片の多様さ。現在の「宇多田本」から浮かび上がってくる彼女のありようもまた、そういう日記につながるような、先の見えなさ、断片の多様さをそれぞれに印象づけているといえるのではないだろうか。世界のブラックミュージックや日本のニューR&Bとつながるかと思えば、日本の音楽業界や音楽教育にもかかわり、もちろん母親の藤圭子ともつながるし、たまごっち現象ともマチュピチュの遺跡ともかかわってしまう、そんな曖昧な存在。物語化をしようと思えば、かえってそらぞらしくなってしまうような存在として宇多田ヒカルは、語られているのだ。 


 宇多田ヒカルのこのような語られ方が、彼女独自のものなのか、それとも現代の芸能本の特徴なのか、そのあたりについて論じていくためには、さらに広い調査が必要だろうから今はおく(続けていろいろ読んでみたい)。ただ、「宇多田本」を読んで、児童向け伝記に翻って思い出したことがあるので最後につけ加えておきたい。
 それは、古田足日の『コロンブス物語』(童心社フォア文庫、一九九〇)のことだ。このコロンブス伝も、一般的なコロンブスの伝記に比べて「コロンブスという人間については語っていない」、ちょっと変わった伝記である。書き出しは、コロンブスがアメリカ大陸に上陸する以前の先住民族アステカ族の話だし、ようやくコロンブスが登場するかと思えば、作品の半ばで、コロンブスその人は死んでしまうのだ。後に続くのは、アメリカ大陸をめぐる絶え間ない抗争の歴史である。この伝記ではコロンブスという人間が焦点化されるのではなく、コロンブスという人物がきっかけとなって変わってしまった歴史、単なる征服者・被征服者という単純な対立さえ解体してしまう、より複雑な世界観が描かれていたといえるだろう(この伝記については拙稿「古田足日のふたつの伝記」『日本児童文学』一九九七・九‐十)でも論じているのでご参照ください)。宇多田ヒカルの語られ方にも、似たような非‐焦点化を私は感じる。ひとつの物語に集約されない十六歳。彼女がどう変わってきたかではなく、何とつながり、何を変える可能性を持っているのか。この非‐焦点化の語り方には、人間を主体として 見るのではなく、ネットワークとして見る視線が息づいているのではないだろうか。
《このアルバムは、音楽の神から授けられたヒカルの遺伝子が、世紀末にひとり歩きを始めたことを象徴する、画期的な出来映えだったのである》
【児童文学評論UNIT2001 3号】