渡辺清『砕かれた神』(評論社)
 
 先ごろ、戦後教育が日本をだめにした・・・・・・みたいな論議があったようだが、もちろん戦後教育にはそんな力はない。だめにしたのは戦前教育を受け政治を金もうけの場にした人間が支配してきたことである。確かに戦後教育についての賛否はある。しかし戦後教育を受けた若者の殆どは、あの国民体育大会開会式やら正月参賀のお立ち台とかで手をふる貧相な老人のために本気で一命を捧げようなどとは思わないであろう。その点だけでも、戦後教育はまともであるといえる。だが、かつては、殆どの若者が本気にそう思うような狂気の教育がなされた。そして多くの若者が<天皇陛下の御為>にと熾烈な戦場へ出かけた。
 それらの若者の最年少者が少年兵であった。そのひとり、15歳で海兵団に入隊、開戦の翌月16歳で艦隊勤務、以来ミッドウェイ、珊瑚海、ソロモン・・・・・・レイテ沖海戦を歴戦、いく度も死線をさまよい、敗戦時19歳の復員兵の戦後日記の形式で書かれたのが本書である。
 ひたすら天皇のために死すべく教育を受けて戦場へ出た彼が、敗戦というパニックの中で天皇の去就を凝視する。だが相手が生命を捧げるに価しない卑怯未練、無責任な男であることを思い知らされる。その過程が迫力をもって克明につづられている。もちろん、この日記体の文章がすべて当時のナマのものではないが、それでも生命を賭して純粋に天皇のために戦って来た少年兵であるが故に告発し得る確かな内容をもっている。彼は、自決もせず、退位もせず、あまつさえ、のこのこと敵将マッカーサーのところへ行って記念写真におさまった天皇に、目もくらむほどの怒りをおぼえる。だが、天皇はもともとそういう御都合主義の人物であったのかも知れない、とすれば、一方的に教育されたとはいえ、<生ける神>としての天皇の理想像をかってに作りあげていたことは自分の過ちであった。その自らの責任への追及が始められる。
 さして裕福でない農家の次男である彼は、兄の結婚を機会に家を出ることにする。その家こそ、天皇カリスマを温存させている家であった。その折、彼は天皇とのつながりを断つため、軍務服役中の給料、食費、被服費、諸雑費、計4,282円をアナタ(天皇)に返却するという私信を書く。そこから、彼の本質的戦後が開始されることを暗示して、日記が終わる。
 敗戦後の八ヶ月分に当る日記であるが、戦後民主主義をご都合主義に取りこんだ農民の思考、都市に対立する農民の報復意識、牢固として抜き難い天皇崇拝のカリスマが根づいた庶民意識、それらが背景に実にリアルに描かれている。引揚げる疎開学童の農民への呪詛も強烈である。
 だが、なによりも、本書は、在位50年とかあっけらかんと奉祝され、記者会見で戦争責任を「文学的ことばのあや」とみごとにとぼけて見せた<万世一系・第百二十四代天皇ヒロヒト>に捧げられるべきであると思う。<朕カ忠誠勇武ナル股肱>の一員の極めて人間的な親書として・・・・・・

テキストファイル化内海幸代