『子どもの本のねがい』(山中恒 NHK出版協会 1974)

あとがき

 1972年5月5日、NHK教育テレビが青少年部、丹泰彦氏の企画で、教養特集『児童文学の座標』(子どもの日特集)という座談会を放送しました。司会は児童文学者の佐野美津男氏で、作家の大江健三郎氏と児童文学者いぬいとみこ氏、それに私が参加させてもらいました。話題が「子どもの本が大洪水」といった問題におよんだ際、大江健三郎氏が「子どもの本が大洪水であっても、迷うことはない。どのお母さんたちもみんな、かつて子どもだったときに読み、なおいまも心に残っている『トム・ソーヤの冒険』とか『ふしぎの国のアリス』あるいは『宝島』というような児童文学をもっているはずだから、それらの作品をものさしにして、いまの子どもの本を選んだらよいと思う」
という主旨の発言をされました。それはそれとして、たしかに正論であるには違いないのですが、はたして現在のお母さんたちが、そういう児童文学をいまも心に残しているだろうか、という疑問と、現在の子どもたちにとって、本を読むという行為がどういう条件のもとで考えられているかという、現実のさまざまな問題を抜きにした理想論であるような気がしました。しかし、それが理想論であることを論証するきっかけを失ったまま、ほかの問題に論議が移ってしまったので、私はその問題をむし返すことはしませんでした。
 つまり、そうした楽観的なことで問題が解決するならば、本を与えようとするお母さん方も、子どもの本の書き手である作家たちも、とまどい迷わず、ひたすらわが道を行けばよく、問題も起こらないはずなのです。もっとも大江氏自身、録画のあと私に「もっと子どもの本の流通事情をきいた上で論ずべきでした」と感想を述べておられましたが、実のところ、その座談会は大江氏のペースで、もっぱら一般文学と児童文学の理念の問題にだけ話題が集中してしまい、司会の佐野氏の努力にもかかわらず、今日の子どもの本をめぐる情況といったものにまでは、論議がおよびませんでした。
 その後、この番組をごらんになった方たちから、児童文学の理念については、ある程度理解できたが、現実に子どもの本の状況はどうなっているのか、そこのところを講演で、具体的にわかりやすく話してほしいという要望が、あいついで私のところへ寄せられました。私もできるかぎり講演に応じましたが、そこで感じたことは、一般的に子どもの本がかなり美化されて考えられているということ、また、過大な期待と使命を負わされているということ、そして、ごく一部の人たちをのぞいて、子どもの本の実態について、ほとんどなにも知らされていないし、そういうことを知る機会も多くないということでした。
 たしかに児童文学を論じたたくさんの本があります。そのほとんどが児童文学評論家といわれる人たちによって書かれたもので、いずれも内容的には、かなり専門的で、ある程度児童文学に関する予備知識がないと理解できない部分も少なくありません。作家によって書かれたものでも、同じような印象を受けます。その意味で、もっと間口を広くとり、基本的な議題を平易に解説する入門講座式のものがあってよいのではないかと思いました。
 たまたま、日本放送出版協会から、前記の座談会をもとに、世のお父さん、お母さん方のために、そのようなものをまとめてみないかという申し入れがあり、私も渡りに船と引き受けることにしました。ところが、実際に執筆し始めると、創作の場合と違い、一向にはかどりません。さいわい、編集部の船津潤氏が私と同じ市内に在住されるのをよいことに、何度も何度もご足労をねがった結果、どうやら完成にこぎつけることができました。
 なお、本書では、主として小学生を読者対象とした創作児童文学、児童読物の本を中心に扱いました。絵本および幼児向童話、再話、ジュニア小説などについては、基本的なところでは同じなのですが、多少異なる条件があり、紙数がおよばず割愛させていただきました。また、これを機会に、ぜひとも創作児童文学の本を手にとってくださいますよう。

1974年 春   山中 恒

テキストファイル化塩野裕子