あとがき大全(20)


金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    
0 最初に
 なんと、夢枕獏が『あとがき大全』という本を出してしまった。

一 「SAY」四月号(2月末売)
 青春出版社から出ている女性誌「SAY」の依頼で、文庫本を七冊ほどとりあげて紹介を書くことになった。ほかの担当者は以下の通り。
●秋元康(恋愛に強くなる・堪能する)
●海原純子(いつまでも美しくあるために)
●池内ひろ美(人間関係をスムーズに)
●池上冬樹(時間を忘れるほどハマる)
●その他一名
 文庫から七冊というのが、また微妙で、好きに選べるような、また窮屈なような感じで、あれこれ考えながらまとめたものを、載せてみたいと思う。ただし、これは編集者に渡す下書きのまた下書きで、雑誌に載るときにはかなり変わっているはず。

・25歳になったら読みたい文庫本

1)『檀流クッキング』(料理書/檀一雄/中公文庫)
 「今日の料理」や「三分間クッキング」といったシリーズ物から、楊萬里の『秘密の中国料理』や向田和子の『向田邦子の手料理』といった変わり物、あるいは去年出版のものでは『おかゆ』(福田浩・山本豊)や『きょうのごはんはタイ料理』(氏家アマラー昭子)といったものまで、料理書はかなり読んでいると思う〈去年のヒットは、猪本典子の『修道院のレシピ』(朝日出版)。徹底的に文章で説明されているレシピそのものが新鮮で、かつ的確で、どれも簡単でおいしそう〉
 とにかく食べるのが好きで料理が好き。就職試験にすべて落ちてしまいカレー屋をやろうと思ったのも、けっしてただの思いつきではない。
 学生時代に数冊使いつぶした『檀流クッキング』はその原点。最近の料理書と違って、料理の写真はまったくないが、すべて文章で表現される料理、味、素材の魅力的なこと! また細かい分量などあっさり省いた、単純明快な料理法の豪快さ! サヴァランの『美味礼賛』(文春文庫)や袁枚の『随園食単』(岩波文庫)といった古典とくらべてまったく遜色ない。とにかく読むと楽しくなる、料理をしたくなる、食べたくなる……という三拍子そろった料理書のロングセラー。ぜひ書架に一冊。
〈ついでに書くと、『檀流クッキング』と並んで、学生時代よく読んだのが邸永漢の『食は広州にあり』(中公文庫)。これも傑作だと思う。『檀流クッキング』に、檀一雄のところに邸永漢がやってきたときのことが書かれている。「なにか簡単な料理をひとつ教えてくれ」と乞われた邸永漢は、寸胴の鍋に水を張り、なかに豚肉の塊と葱を一、二本、ゆで卵を数個入れて、醤油をさし、「一、二時間このまま煮て食べるように」いったという。うまそうである!〉

2)『老人と海』(アメリカ文学/アーネスト・ヘミングウェイ/新潮文庫)
 ヘミングウェイは20世紀アメリカを代表する作家のひとりだが、彼は食べることが大好きで、その点、檀一雄や開高健のよき先輩にあたる。フランス料理やスペイン料理だけでなく、キューバ料理やアフリカ料理も愛した器の大きい健啖家。作品のなかにもときどき、口に唾のわいてくるような食べ物が登場するが、なかでも素朴な料理が楽しい。たとえば、森のなかで焼くそば粉のパンケーキとか。そして『老人と海』のなかでは、小舟に乗ったサンチャゴ老人が巨大なカジキマグロと格闘しながら、つり上げたシイラをナイフでさばいて口に入れ、かみしめる……ああ、うまそうだなと思う。
 シイラというのは日本ではあまり歓迎されないが〈いわゆる典型的な外道で、漁師はシイラが釣れると顔をしかめて、こん棒で殺してから海に投げ捨てるともいわれている〉、意外と美味である。高知からたまにシイラの味醂干しとか送ってもらうことがあるが、とてもおいしい。また高知といえば、マンボウがとれる〈もちろん房総などでもとれる〉 マンボウの天ぷらもおいしい。そういえば、去年、あるパーティでマンボウのはらわたを湯引きしたものが出た。ひとくち食べて、牛のミノかなと思ったくらいの歯ごたえ。おいしかった。上野でたまに安く売っているらしい。
 『老人と海』を読むと、海を感じることができる。サンチャゴ老人はシイラをかみしめ、よきライバルと戦って勝ち、その勝利を残酷な運命にさらわれてしまう……が、そのあとにはふたたび海と太陽が待っている。何度読んでもいい作品だと思う。
 中学校でこの本を初めて読んだ。なぜ読んだかといえば、中学校の先生が勧める百冊の本のなかで、?外の『高瀬舟』とともに、いちばん薄かったからだ。しかしこの二冊は、ちょっと忘れられない。まず?外の『高瀬舟』で感想文を書いて〈じつをいうと、安楽死というテーマが邪魔で、たいして感動したわけではなかった〉、なぜか国語の先生に気に入られ、それがきっかけで、本を読むようになった。そして『老人と海』を読み、数少ない愛読書が一冊増えた。

3)『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー/アメリカ文学/白水社Uブックス)
 現代アメリカ青春小説の古典。現代といっても出版されたのは1951年。『老人と海』の一年前〈この二冊を読み比べると、アメリカの新旧交替がよくわかっていい〉 主人公のホールデン少年もそろそろ喜寿を迎える頃か。古くて新しい若者小説、今年出版予定の村上春樹訳で読み直すのもいいかもしれない。タイトルは本当に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』になるのだろうか?

4)『オイディプス王』(ソフォクレス/古典ギリシア劇/岩波文庫)
 運命に翻弄され、自ら悲劇を招く男を描いた古典。オイディプスがすべてを知ったときに吐く科白は、悲しく恐ろしく美しい。ここまで鮮やかな悲劇を読むと(観ると)、逆に凛とした勇気がわいてくる。
 大学の「文学」の講義では必ず前期に、この作品の紹介を入れることにしている。最後の部分はコピーで配る。だれかひとりでも、この科白のすばらしさに気づいてくれればと祈りながら。
 このときついでに、イタリアの映画監督パゾリーニの『アポロンの地獄』の抜粋をみせる。強烈な映像である。そういえば、七十年代、パゾリーニ、フェリーニ、アントニオーニというイタリアの三監督の作品はよく映画館でかかっていた。この頃はなぜかあまりビデオもみかけない。寂しい。

5)『しゃべれどもしゃべれども』(佐藤多佳子/小説/新潮文庫)
 吉本バナナ、江國香織、角田光代などなど、最近の女性作家の活躍はめざましい……なかでもお勧めが佐藤多佳子。その作品はどれもほのぼの感が強いけど、ぐっとくる力強さと切なさがある。去年の暮れに出た『黄色い目の魚』も一押しの一冊。

6)『田園に死す』(寺山修司/歌集/ハルキ文庫・角川春樹事務所)
好きな詩人・歌人のひとりやふたりいたほうがいいでしょう……と思って、文庫をさがしたところが白秋、朔太郎といった大御所か銀色夏生、浜田成夫といった人気どころしかない。谷川俊太郎もいいけどちょっと……そんななかで、やっと、これ!という一冊が、これ!
 それにしても、詩集、歌集、句集は点数が少ない。悲しい。とくに石原吉郎の詩集が文庫で出ていないというは、嘆かわしい。日本の作品の英訳など、絶対にやる気はないが、その唯一の例外が石原吉郎の詩集だ。なんとかして出したいと思う。
 ちなみに、無人島に一冊持っていくとしたらどんな本を……という質問に対する答えはこの二十年以上変わっていない。石原吉郎の詩集である。

7)『書と文字は面白い』(石川九楊/書論/新潮文庫)
 いま書といえば石川九楊。去年出版された『一日一書』(二玄社)は、様々な文字をとりあげ紹介した名著。ほんとうに、この本は楽しい。書というのがこんなに素敵で、こんなに多様で、こんなにわかりやすく、またわかりづらく、まことに面白いのだということが実感できる。去年のノンフィクションのなかでは、一押しの一冊である。
 『書と文字は面白い』は、書をテーマにしたユニークなエッセイ集。文学が好き文字が好き書が好き絵画が好き芸術が好き……という人にぜひ。

二 ふたたび「アイ」について
 去年、翻訳のことをあれこれ書いたけど、今年は一月早々、ふたたび英語の'I'について考えさせられた。日英の一人称について考えるのに、もってこいの面白い記事がふたつ。両方とも朝日新聞から。

 その小谷野さんの『軟弱者の言い分』(晶文社)という本の中に、「私は『ボク』ではない」というエッセイがあって、そのなかに「私は自分のことを『ボク』とは言わない」「だいたい大学生くらいならいざ知らず、なんで三十過ぎた男が『ボク』なのであるか」と書いてあった。
困った。ぼくは小谷野さんのいうことは当然だと思って、私と書くことにした。しかし書き始めるとどうも俺らしくないので、やっぱりぼくにすることにした。
(一月十二日「いつもそばに本が」蜷川幸雄)

 曙は角界で一番普通な「オレ」を選び、異国に同化した。「人間・花田勝」を貫いた若乃花は「ぼく」で通した。人となりの表れたこの2人と違い、貴乃花は「私」を選んだ……時にそんな仮面の下がのぞくことがあった。そんな時の一人称は年相応の「おれ」だった。
(一月二十日夕刊)

 さて、ここで引用した部分、英訳するとしたら、どうなるだろう。「私・オレ・おれ・ぼく」をどう訳すんだろう。おそらく「私・おれ・ぼく」を'watashi, ore, boku'と音訳し、それぞれに英語の注を付ける以外ないと思う。しかし、いったいどういう注をつけるんだろう。説明すればするほど、わからなくなってしまいそうだ。それにこれでは「オレ・おれ」の違いがわからない。じゃ、片方はイタリック体にするか……といっても、どちらをイタリック体にするべきなんだ……いやあ、難しい。とりあえず注を付ければ、英語を母語とする人々には「日本語には'I'にあたる言葉が三つ以上あるんだな」ということくらいは伝わるはずだが、それ以上のニュアンスを伝えるのは至難である。「どうも俺らしくないので、やっぱりぼくにすることにした」などという日本語は、まず普通の欧米人にはわからないだろう。
 こういう例に当たると、ついうれしくなって、「訳せるもんなら、訳してみろ」といいたくなってしまう。いつも翻訳で悩まされている人間ならではの、屈折した気持ちがうかがえる。
 とはいえ、こういった一人称をその場その場で使い分ける日本語の特質は、それを身体で実感した人間でないと到底理解することは不可能だろうと思う……ということは、逆に、普通の日本人にとって英語の'I'を理解することは、やはり不可能なのだなと思ってしまう。自分のことを考えると、最近とくにそういう壁を感じてしまう。というか、いってしまえば、英語がまるで手に負えない野獣にように感じられてしまうのだ。そしてそのときのおびえにも似た感情は、中学生になって初めて英語に触れたときの感情と不思議なほどよく似ている。
 まさにあのとき、英語は異物だった。初めてコンタクトレンズを目に入れたときの異物感にとてもよく似ている。まず発音からして異様だった。歯と歯の間に舌を入れるとか、舌を思い切り丸めるとか、唇を横に引っぱるとか……発音の図解も異様だった。中一の頃、英語にはちっとも親しみがわかなかった。正直いうと、こわかった。すぐに吠えかかってくる隣の家の犬といった感じだ。
 しかし当時は優等生だったので、なんとか克服……中学三年間の英語の成績はすべて「5」だったと思う。とはいえ、決して好きな科目ではなかった。いつまで最初の時に感じた異物感はなくならなかった。そして高校へ。このときの英語は、異物とかいやな犬とかという生やさしいものではなく、それこそ高い壁として立ちはだかっていた。
 英語は、高校に入ると、いきなり難しくなってしまうのだ。その壁は、こつこつと予習をして復習をして征服していくものだということを、当時の金原は知らなかった。これが大きな敗因だった。中学校の頃は、なんだかんだいいながらも、試験の前にちょっと勉強をすれば、いい成績が取れた。その調子で高校も乗り切ろうとした報いで、高校時代三年間、成績は惨憺たるありさまだった。なかでも英語は、「3」から「4」の間を行ったり来たりしていたと思う。ここで、しっかり落ちこぼれてしまった。
 よく考えるのだが、法政大学というところは、小学校・中学校では優等生だったのに、高校で一気に落ちこぼれてしまった学生がかなり多いような気がする。ろくに勉強もしないくせにプライドは高く、正義漢は強いわりに偽悪的なところがあって、頭のなかには余計な知識のほうが必要な知識よりもたくさん入っている……といったタイプ。教師には嫌われるけど、愛すべきタイプ……かどうかは知らないが、自分をみると、ほんとに法政らしいなと思うことがよくある。まあ、人類の幅を広げる役には立っているかもしれないが、あまり人類の進歩には貢献しない人間かもしれない。
 さて、高校時代の英語の成績だが、理系だからまあいいや……というあきらめモードで放っておいたら、どこまでも下降していった。
 こうしていよいよ英語は異物感を増していく。そしていろいろあって、医学部進学をあきらめ、法政の英文科に入ることになったのだが(このへんの事情は「あとがき大全」で書いたので省略)、大学でもやはり英語は壁であり、猛獣であった。そんな英語にふと親しみを覚えたのが、大学三年生のときだった。英文科の授業で、黒川欣映先生がアメリカ演劇のゼミを担当していらして、夏休みに三泊四日ほどの合宿があった。芝居を一本英語で読み切るという合宿だったのだが、そのとき初めて、すうっと英語が頭に入ってきた。そのときの感覚はいまでもよく覚えている。そしてそのとき初めて、本を読んでいるような気がした。
 いや、そうではない。じつはそのまえに一度だけ、その感覚を味わったことがあった。それは大学受験に失敗して、くさっていたときふと、なんの理由もなく手にしたトルーマン・カポーティの『遠い声、遠い部屋』の原書を読んだときのことだ。ペンギンの原書に、南雲堂の薄い注釈本がついていて、岡山の丸善で買ったのを覚えている。三分の一ほどを読んでからは、その世界にひたってしまって、最後まで読み終えてしまった。英語の本を一冊、最後まで読み通したのはこれが最初で、二冊目が、大学三年のとき黒川先生のゼミ合宿だった。
 いまでこそ、大学で英語を教えたり、翻訳をしたりしているけど、大学の三年までは、はっきりいって英語は苦手だった。いくら読んでも、なんか違和感があって、日本語の本のようには読めなかった。英文科に在籍はしていたけれど、面白い科目のなかに英語はなかった。しかしなんとか、英語に多少親しめるようになり、英語の本もあまり難しくなければ、一冊読み通すこともできるようになった。
 そして大学院で勉強して、そのうち翻訳をするようになり、大学で英語を教えるようになり……ようやく英語が面白くなってきて、次々に英語の本を読むようになっていった。やっと英語が、自分勝手で身勝手でろくに言うことをきかないけれど、まあ手元に置いてもいい程度の愛犬になった。めでたい。
 そう思いだしたのが、翻訳を始めた頃、いまから二十年近く前のことだ。ところが、数年前、親しみを覚え、親しくしてきたはずの英語が、いきなり牙をむいたように思えた。そのきっかけが、'I'だった。詳しくは、以前に'I'について書いた「あとがき大全」のエッセイを読んでもらえばわかると思うが、'I'はわからないと痛感した。いったい英語を母語とする人々が'I'をどんなふうに認識しているのか、それがまったくわからなくなった。そして試行錯誤のうえ、ついに『ジャックと離婚』などの翻訳で、「ぼく、私、おれ……」といった人称代名詞を使わない翻訳を試みたのだが、それでもまだよくわからない。いままでわかっていたつもりでいた英語が、まったく未知のものとして、姿を現した。簡単にいってしまえば、英語なんてちっともわかってないじゃん……という感じだ。
 しかしショックを受けたからといって、簡単に落ちこんだりしないのが、自分の取り柄である。ちっともわかってないじゃん……と居直ったところで、そのちっともわかってない英語をこれをどう楽しく訳すかというところに、最近は興味が移ってきている。翻訳家というのは基本的に楽天家でなくてはならないと思う。ああ、言語の壁は高く厚いと思いつつ、しかし訳せない言語はないさと思っているようなタイプのほうがいい。その点、日本人はかなり楽天家で自身かだと思う。なにしろジェイムズ・ジョイスの『フィネンガンズ・ウェイク』などという、造語につぐ造語のキメラみたいな作品まで訳してしまうのだから。
 だが、かつて異物であった英語が、やっと親しめる愛犬のようになっていたのに、最近いきなり野獣の一面を見せたわけで、これはかなりショックだった。結局、死ぬまで英語を異物と感じながら生きていくしかないのだろうか……という寂しい気持ちは現在、かなり強い。
 というふうなことを先日、ある人に話したら、こういわれた。
「日本語……というか、言葉ってのはそもそも異物じゃん。それを忘れたら、ろくな日本語が書けないんじゃない?」
 わかりやすくいえば、思考を言葉に置き換えるときの違和感を忘れてはいけないということだ。いいたいことを、どうしても言葉で表現することのできないときに感じる、あの違和感、焦燥感、それを忘れてはいけない……そういうことだと思う。

三 『かかし』復刊
 福武書店(いまのベネッセ)から出て、絶版になっていたロバート・ウェストールの『かかし』が復刊されたので、そのご報告を。出版社は徳間書店。
 今回新たに出してもらえるというので、訳文を見直したところ、かなり手を入れることになった。抜けている部分がいくつかあったし、また明らかな誤訳、および不適切な訳など、多少あったので、訂正しておいた。
 たとえば発音の間違いとしては「ボクスホール→ヴォクソール」「プロセロ→プロゼロ」「スロッガー→スラッガー」「ザクセンホイゼン→ザクセンハウゼン」「ハードスミア→ハーズミア」などなど。また誤訳に興味のある方は、ベネッセ版と読み比べていただきたい。
 当時、編集の上村さんとずいぶんていねいにチェックをしたはずだが、やっぱりさがせば次々に間違いや不適切な部分が出てくる。
 しかし今回、なによりまいったのは、マーシフルじいさんの口調。ベネッセ版を読み直して、「おいおい、なんだよ、この訳は」と自分で思ってしまった。あまりにじいさん口調で、読んでいて恥ずかしくなるくらい。こてこてのじいさん口調の文章をみて、昔はこんな訳をしてたんだなあと、ある意味感動してしまった。いまなら絶対にこんな口調は使わない。
 で、どうしたかというと、結局昔のままにしておいた。まあ、間違いではなし、そこの部分をすべて訳し直すのも面倒だったし。それになにより、そのまま残しておきたい気持ちが強かった。昔の自分をそこに置いておきたかったというか……
 というわけで、今年最初のあとがきは、徳間書店版『かかし』のあとがきです。

   訳者あとがき

 映画でいえば『エクソシスト』(七三年)、小説でいえばスティーヴン・キングの作品が出始めた頃から、ホラーが世界中に広がっていく。日本も例外ではない。しかし、背筋が凍るほど恐くて、見終わったあと、読み終わったあとに、熱い感動が残る作品はそう多くない。『かかし』は、そういう数少ない恐怖小説のひとつだと思う。
 寄宿舎にいた主人公のサイモンは夏休みで、新しい家に帰ってきた。お母さんが再婚したのだ。それも再婚の相手は、でぶで下品な風刺画家のジョー。お母さんとジョーは熱々だし、妹のジェーンもジョーに甘えてばかりいる。しかしサイモンの心のなかには、戦いで死んで異国の地に眠っているお父さんの思い出があざやかに残っていた。サイモンは、居心地の悪い新しい家で毎日を過ごすうちに、ひとり孤立していき、ついにほかの三人に対して憎悪を感じ始める。すると、まるでその気持ちに呼び起こされたかのように、カブ畑の向こうにある水車小屋での事件がよみがえる。そこではみにくい殺人事件が起こり、結局三人が死ぬことになった。そしてだれが作ったのか、突然、三体のかかしが畑に姿を現し、まるでサイモンの憎しみに引き寄せられるかのように近づいてくる。
 この小説では、首が飛ぶこともなければ、血がほとばしることもない。しかし恐い。
 家族のなかで次第に追いつめられて行き場を失い、次々に思いがけない事件が起こって、いよいよ屈折していくサイモンの悲しみと怒りが痛いほどに伝わってくる。そして近づいてくるかかし。かかしはサイモンと一体になったかと思うと、反発し、反発しては、また一体となりながら、過去の世界からこの現実の世界に迫ってくる。
 この小説は、四人の死体が転がる恐怖小説になっていたかもしれない。それほどまで、サイモンの孤独感と憎悪がふくらんでいくのだ。しかし、作者はそこにトリスという少年を放りこむ。以前これを訳したとき、なぜトリスを登場させるのか、ちょっと不思議だったのだが、ウェストールが亡くなったいま、こんなふうに考えるようになった。おそらくウェストールは、心からの祈りと希望をこめて、この少年を創造したのだろう、と。
 何度読み直しても恐くて感動的な作品。どうぞゆっくり読んでみてください。

 尚、この本『かかし』(原題THE SCARECROWS)は、一九八七年に日本で一度出版され、今回、改めて徳間書店から刊行するにあたり、訳文を見直して細部に手を入れました。
 最後になりましたが、編集の上村令さん、飯島智恵さん、つきあわせをしてくださった坂本響子さん、そしてかつてたくさんの質問に答えてくださった作者のロバート・ウェストールさんに心からの感謝を!
            二00二年十二月           金原瑞人