あとがき大全45

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    

1.絵本の翻訳
 去年、元ほるぷ出版の編集者で、いまフリーで編集の仕事をしている細江さんからメールがきた。

 ごぶさたしています。細江です。
 おととしから平凡社では「この絵本がすき」というタイトルのアンケート形式の雑誌を毎年だしています。「このミス」の絵本版と思っていただけると分かりやすいです。
 毎年、何人かの方にエッセイをお願いしているのですが、今年はぜひ金原さんに、という強い編集部からの要望が出ましたので細江からお願いのメールをしたしだいです。(第1号からお手伝いしているので)昨年の本はお手元に届くようにしましたので見ていただいて、ぜひお願いしたいのです。先月、絵本の翻訳について、あとがき大全に書いていらしたでしょう? それをメインにされたら、おもしろいのではないかなと思っています。

 細江さんとはずいぶん昔からの知り合いで、恥ずかしい誤訳や節操のない発言をはじめ、弱みをいくつも握られていて、頼まれれば、いやとはいえない。いつもふたつ返事で引き受けることにしている。しかし考えてみれば、昔からつきあっているその手の編集者は多いかもしれない。
 そして原稿を書いたところ、「ちょっと書き直して」とのメールがあった(細江さんとか、偕成社の別府さんとか、あかねの三浦さんとかには、昔も今もよく書き直しを命じられることが多い。ただ三回も書き直しを命じられたのは、あとにもさきにもMOEの位頭さんひとりである……と書いて、ふと思い出した。これもまた昔のことだが、雑誌「フィガロ・ジャポン」の創刊号から半年間、「ベッドサイド・ストーリー」という本の紹介を書いたことがあって、第一回目をめぐって、そのときの担当者、サントリーの浜橋さんも三回くらい、ダメ出ししたなあ。これもついでだけど、「フィガロ」の創刊号が出たとき、帝国ホテルかどこかで大パーティがあって、出かけたところ、なんと、憧れのフランス女優、カトリーヌ・ドヌーブがいた。そのとき、同行していた未来のフランス文学翻訳家、平岡君がいきなり「握手してもらいにいこう!」といいだした。生来、内気な金原は、「まさかまさか……」と辞退しようとしたのだが、平岡君は「いいからこい!」とぼくを引きずっていき、ドヌーブの前にいって、「あなたの映画の大ファンが、ここにふたりいる。ぜひ握手してほしい」と、もちろん、フランス語でいった。というわけで、ドヌーブと握手してもらったのである。平岡君に感謝。この手の話をするときりがないのだが、妹が成城大学にいっていた頃のこと、アラン・ドロンが成城に三船敏郎を訪ねてきたことがあった。妹の友だちは三船宅の前でドロンを待ち構え、フランス語で、「あなたの大ファンです。今日はわたしの誕生日です。ぜひ、握手してください」といったらしい。するとドロンはキスしてくれた、とか。誕生日だとか、ぜったい嘘だと思う。そうそう、そういえば……とまあ、この手の話はきりがない)
 それはさておき、そのときの細江さんのメールの内容がとてもおもしろくて、なんだ、ぼくの原稿より出来がいいじゃんと思ってしまった。
 ので、許可を得て、ここに紹介。

 御連絡遅くなってすみません。昨日まで北海道に行っていて遊び呆けておりました。スキーやスノーシュー、犬ぞりなど。子どもが今日から学校なので、みんなで泣く泣く帰ってきて今日から仕事始めです。「今日から現実、現実……」と言い聞かせています。
 原稿拝見しました。
 エッセイのタイトルはどうしますか?
「ぼくは律儀で勤勉な翻訳家」?
「絵本の翻訳はおもしろい!」?
 わたしの見たところでは、イギリス版とアメリカ版で内容まで違うのはちょっと珍しいなあと思いました。タイトルや表紙が違うのは良くあるけれど、英語で文章まで違うのはあんまり見たことないかな。
 ドイツ語版と英語版では、違うことが多いです。ドイツ野方が余韻があったり、雰囲気で終わらせるところを英語ではけっこう理詰めにラストで説明したり、はっきりと明るい結末を提示してしまったり。何かと説明的ではあります。ドイツの方が詩的で、叙情を重んじるところが日本的といわれる感性に似ているかも。
 北欧のものの英語版はあんまり違いはないようです。たぶん、同じ出版社で英語版も作っているからだとおもいます。(ラーベン社など)
 日本の現代の絵本の翻訳はわりと原作に忠実だと思うのだけれど。口調を変えたり(よく今江祥智さんが関西弁で訳したりしますよね)するくらいでしょうか。
 あと、明らかに絵と文章があっていない時は(絵と文の作家が違う時におおいのだけれど)絵に合わせます。だから「ところが、絵本だけはそうでなくてもいいらしい。例外が認められているようなのだ。それも日本だけでなく、世界的に。」というところちょっとひっかかりました。
 いとうのばあい、韓国で絵本を翻訳して出版する段になって、あきらかにテキストが増やされていて、説明的になっていることが発覚し、ただちにクレームを出したので、やり直してもらうことになりました。「これじゃあ、わからない」という韓国側に「わかんないんだったら、出すな」といいかえしていました。でも、そこまでチェックする作家はめずらしいみたいよ。
 みんな外国で出れば、それで良いと思っている人が多いから。
 翻訳は一種の解釈なので、絵本の場合、長いものより、いろんな解釈が発生する余地が多いわけです。その一つを翻訳者が選ぶ時、わりと自分を出す人と、そうでない人といるのだなあと思います。翻訳者、もしくは翻訳国の子ども観、絵本観みたいなものをすごく感じさせます。
 このエッセイでは、もう少し金原さんの絵本観を出してもらっても良いように思いました。
 御一考を。

 これだけで短いエッセイになる。

2.『ホエール・トーク』、アラバマ州で禁書になる
 ときどき仕事を手伝ってくださる菊池さんから、上記の内容のメールをいただいた。まあ、アメリカというのは、ある意味、変な国で、まさかと思うような本が州や地域によっては禁書になることがある。『ハックルベリ・フィン』『ライ麦畑でつかまえて』『チョコレート・ウォー』『大地の子、エイラ』などなど、数え上げればきりがない。どれも名作、評判作ばかりなので、禁書リストに入るというのは、勲章をもらうようなものかもしれない。
 菊池さんが、『ホエール・トーク』禁書事件について、まとめてくださったので、ぜひ読んでみてほしい。

 わたしはわりと差別・逆差別のある地域で育ったので、こういう問題は重く感じます。自分ではなにもやってない(できない)のですが。
 クラッチャーは、アゴヒゲがないほうがいいと思います(←余計なお世話)
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 先日、Google Alerts(※1)のメールを眺めていると、こんなヘッドラインが目に入りました。
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Children's Book Banned in Schools
WAFF- Huntsville,AL,USA
The book is called "Whale Talk." It's written by a popular young adult novelist, but some say the book's language is too offensive for children. ...
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 『ホエール・トーク』、昨年のやまねこ賞(※2)にも輝いた名作が、禁書扱いだって……? ニュースを読むと、アラバマ州の The Limestone County Board of Education が、当該地区の学校図書館の書架からこの本を除去することを決議したとあります(出版や販売の差し止めではありません)。作者クリス・クラッチャーのHPを確認すると、きちんとコメントがアップされています(※3)。
 ことの発端はこの2月、Ardmore High School の生徒の保護者からの訴えでした。ある本の内容が学校図書館に不適切であるという訴えを受けると、郡の教師や保護者などで構成された委員会がその書籍を審査します。委員会の報告を受けて、教育委員会がその本の扱いを検討するのです。
 今回、"Whale talk" を審査した委員会の報告は、優れたメッセージを持つ本として図書館に置いておくよう勧める内容でした。しかし3月7日、教育委員会では、4対3で禁書扱いが決議されました。新聞記事(※4)によれば、禁書に票を投じた委員は「この本には悪い言葉がたくさん載っている。生徒たちにそんな言葉を使わせたくないから、読ませるべきではない」と語っています。
 クラッチャーのサイトでは、「文脈を無視して言葉だけを取り上げている」として、教育委員会の決定を批判しています。主として問題となった部分はおそらく原書の68-69ページだろうとクラッチャーは指摘しました。
 この箇所は本書の中でもかなり悲痛な場面です。bi-racialの4歳半の少女が、プレイ・セラピーの中で差別主義者の義父の役割を演じ、それまで自分が浴び続けてきた罵声(いわゆるN-ワード、F-ワードなどの差別語、卑語を含む)を自ら叫ぶのです。大文字を使って叫び声であることを示したので、余計に目立ったのだろうとクラッチャーは述べています。そして少女は自分の腕を必死で洗って、肌の色を落とそうとします。あまりにも悲しいシーンですが、クラッチャーはセラピストとして、実際に同じような場面に遭遇したことがあるそうです(その場ではもっとひどい言葉も使われていたとのこと)。なお、邦訳でも、この部分にはいわゆる「差別語」と呼ばれる言葉が使われています。
 幼い少女の自尊心を打ち砕いた言葉。正直いって、英語を母語としないわたしには、その原語を見聞きしたときの感情を実感できるとはいえませんが、不快に感じる人が多いことは承知しているし、想像することはできます。その言葉だけを見たら、禁書扱いにしたくなる人もいるでしょう。けれども、本書を読んで、少女を苦しめたその言葉を使いたいと考える生徒がいるのでしょうか。もしその判断がつかない生徒がいたとしたら、その子には語彙の問題ではなく、もっと根本的な問題があるのではないでしょうか。
 その後クラッチャーは、アラバマのラジオ局WVNNのインタビューに出て「リアルな言葉を使わないと子どもたちはストーリーに納得しない」と語り、地元紙にも同様のコメントを寄せ、全く臆する様子はありません。インタビューを行ったラジオのキャスターはじめ、クラッチャー擁護側でも「卑語は良くないが、この本のメッセージはそれを補ってすばらしい」「卑語は良くないが、検閲や禁書はもっと良くない」といったトーンの意見が多いのですが、クラッチャーは自分の言葉の使用法に自信を持っているのです。またHPのコメントの中では、教育委員会が生徒の判断力を信頼しないのは残念だと言い、「言葉だけではなく、この本には彼らを居心地悪くさせるものがあるのかもしれない」とも語っています。
 実は、クラッチャーの本がこういった扱いを受けるのは、初めてではありません。"Whale talk" は2001年の作品ですが、これまで何度も糾弾を受けていて、この1月にはサウス・カロライナ州教育委員会が定めた読書リストからはずされました。ミシガン州の高校で一時的に禁書扱いとなったこともあります(同時に、各方面の賞賛を浴び、さまざまな賞も受けているのが興味深いところです)。"Athletic Shorts" という作品もN-ワードが使われているなどの理由で、各地で問題となりました。クラッチャーのサイトには、これまで受けた批判に関する詳細な記録があります。
 検閲や禁書に対しては、もちろんこれまで反対運動も行われています。アメリカでは70年代から、合衆国憲法修正第1項(First Amendment)に基づき、学校図書館の禁書に対する訴訟が起こりはじめました。クラッチャーのサイトでも言及されていますが、有名な裁判BOARD OF EDUCATION v. PICOで、最高裁はPico(生徒)側の主張を認め、次のような裁定を下しました。
“Local school boards may not remove books from school library shelves simply because they dislike the ideas contained in those books …”
「教育委員会は、書籍に含まれている思想が好ましくないという理由だけで学校図書館の書架から除去してはならない……」(※5)
 禁書に対する反対運動を扱った本としては『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』 (ナット・ヘントフ作/坂崎麻子訳/集英社文庫コバルトシリーズ、絶版)が思い出されます。この本では、文中のN-ワードなどを理由に学校図書館から追放されそうになった『ハックリベリー・フィンの冒険』を守ろうとする運動が描かれていました。原書 "The Day They Came to Arrest the Book" の出版は1983年ですが、状況は今もあまり変わってないということでしょうか。
「ハリー・ポッター」シリーズが、魔法を肯定した本などという理由であちこちで禁書扱いになったのも記憶に新しいところです。ALAのサイトには、Banned Books に関するページ(※6)があります。この中には糾弾を受けた本のリストなども載っていて、『ハック〜』、ハリポタのほか、『ライ麦畑でつかまえて』など、著名なタイトルが毎年ずらっと並んでいます。
 日本では、禁書が表立って話題になることは少ないように思います。詳しいことはよくわかりませんが、いわゆる「自主規制」が幅をきかせているのか、それとも、書物による影響が重要視されていないことのあらわれか……。コミックや映像作品のほうが過激で目立っているせいかもしれません。日本図書館協会は「図書館の自由に関する宣言」(※7)を出していますが、これは法的な権利を保障するものではありません。学校図書館の位置づけを考えれば、いろいろな問題がありそうです(※8)。
 そういえば、かつて日本で物議をかもした『ちびくろ・さんぼ』は、版元が岩波から瑞雲舎に移って、この4月に復刊されるそうですね。当時の騒ぎを思えば驚くばかりですが、今度はどのように受け止められるのでしょうか。
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※1 Google Alerts
http://www.google.com/alerts?hl=en
キーワードを登録すると、関連ニュースのヘッドラインを、記事へのリンクつきでメール送信してくれます。

※2 やまねこ賞
毎年「やまねこ翻訳クラブ」会員が選ぶ賞。
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/yn/index.htm

※3 クリス・クラッチャーのサイト
検閲について http://www.chriscrutcher.com/index.2ts?page=censorship
(当の教育委員会のHP、ニュース記事など、リンクも非常に充実しています)
クラッチャーのコメント http://www.chriscrutcher.com/index.2ts?page=alabama
生徒向けコメント http://www.chriscrutcher.com/index.2ts?page=alabamastudents

※4 アトランタの The Ledger-Enquirer 紙の記事
http://www.ledger-enquirer.com/mld/ledgerenquirer/news/local/11082545.htm

※5 BOARD OF EDUCATION v. PICOの判決(1982)
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=457&invol=853

※6 ALA(米国図書館協会)サイト内の禁書に関するページ
http://www.ala.org/ala/oif/bannedbooksweek/bannedbooksweek.htm

※7 図書館の自由に関する宣言
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.htm

※8 大阪教育法研究会サイト内「図書館の本にクレームが」
http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk095a2.htm

 最後に、蛇足ながら、金原もまたずいぶん差別の強い地域で育っているし、まわりではその被害にあった人も多い。こういう問題にはつい、敏感になってしまう。

3.HPほか
 じつは、新しい本が出ていないので、今回、あとがきはなし。いや、じつは『バーティミアス』の共訳者、松山さんと共訳の『エドガー&エレン、世にも奇妙な動物たち』(チャールズ・オグデン作、リック・カートン絵)が理論社から出たんだけど、これはあとがきなし。エドガーとエレンのいたずら話、かなり笑えます。

 ずっとほったらかしにしてあった金原のHP、やっと更新します。
 「流行通信」「あれもYA、これもYA」の昨年分をまとめて追加。それから近いうちに、シドニーの写真をギャラリーに追加します。
 どうぞ、のぞいてみてください。
 それから、デイヴィッド・アーモンド、来日。つい先日、いっしょに国立劇場の歌舞伎を観てきました。奥さんとお嬢さん(6歳)を連れて、いま関西をまわっているところだと思います。そういえば、今日(3月19日)の朝日新聞の夕刊に写真入りで、簡単な紹介が出ていました。
 4月2日、池袋のジュンク堂でのアーモンドのサイン会、すでに定員を越えたそうです。
 さて、4月はどんな本がでるんだろう。もしかしたら、パトリック・ケイヴの『シャープノース』というヤングアダルトむけのSFが出るかもしれない。出版社は、なんと、ゲーム会社のカプコン。乞うご期待。