1.今日この頃 4月から多摩キャンパスの学生部長を引き受けることになって、なんとなく余裕がなくなってきた。4月だけで、学生関係の会議が5回。また、30日、1日、2日の三日間は朝から晩まで新入生の合宿で高尾。それじゃあ、いやかときけれると、そうでもなくて、いろんなことが見えてきておもしろいし、あれをやろう、これもやりたいという気になってくるから不思議だ。少し学生よりの立場でながめると、うちの大学はまだまだ改善すべき点が多い。 学生部長をやっていると、いつ何時、どんなことが起こらないとも限らないので、本年度は、夏休み以外は講演をお断りすることにした。それから、芝居も歌舞伎も文楽も落語も、できるだけ数をしぼるようにした。ただ、そのぶん映画を観ることにした。映画はかなりゆうずうがきく。ちょうど、「小説すばる」の5月号から、「シネマクロスレビュー」という映画の短評を受け持つことになったので、試写会も観られるし、その意味ではラッキーかも。 試写会での心得は、まずなにより「寝ない」ということだと思っている。どんなにつまらなくても寝ない。じつは、蜷川幸雄の芝居の照明を担当している原田さんから、「自分でチケット買った芝居はつまんないと寝るけど、招待された芝居は絶対に寝ない」とうかがったことがあって、なるほどなと思った。 しかし、献本された本は最後まで読むかといわれると…… この頃は、映画を観るとHPの近況報告に感想を書くことにしている。そしてそれをもとに、「クロスレビュー」の短評をまとめる。もし、短評を読んで詳しいことを知りたいと思った方がいらっしゃったら、どうぞ、金原の近況報告を。 じつは、10年以上前になるだろうか、国外研究でサンフランシスコで一年過ごし、日本にもどってきて、もう一年、休職させてもらったときのこと、3、4ヵ月間、一日に2、3本映画を観ていたことがあった(そのうちの一本はビデオ)。そのとき、短い感想を書いていたのだが、どこかにいってしまった。そのときは、メジャーなハリウッド映画以外はなんでも観ていて、イラン映画も香港映画も多かった。なつかしい。短期間でいいから集中的になにかを詰めこむのはいいなと思ったものだ。いまではとても、そんな本数は観られないが、せめて一ヶ月に6本くらいはと思っている……けど、これって、当時の二日分なのだ……さびしいけど。 そういえば、「小説すばる」の編集さんがとてもいい方で、いま「僕が次に訳したい本」というエッセイを連載させてもらっていて、そのうえ、5月号から「シネマクロスレビュー」にも顔を出させてもらっているというのに、なんと、6月号ではアメリカの短編小説を三つ載せてもらうことになった。長年やってきた短編の勉強会で集まった作品のなかから、編集さんが選んだ三つだ。「ばあちゃんの物語」「ダボシャツ小僧」「ウォー・ゲーム」。どれも金原の訳ではないけど、どれも、いいです。こうご期待! 2.あとがき(『黙示の海』『〈あたらしい教科書〉古典芸能』) ジェラルディン・マコックランの『空からおちてきた男』(偕成社)が出たんだけど、こちらはあとがきがない。けど、すごくおもしろい作品で、超お勧めです。小型機に乗った写真家がポラロイドカメラひとつ持って、未開の村に不時着して、さて、残っているフィルムは10枚、それでいったい何を撮っていくか、というふうな話。マコックランらしいひねりがきいた作品。 それから、次は『黙示の海』(東京創元社)。ティム・ボウラーのパワー全開ファンタジー(?)。 それから、次は『〈あたらしい教科書〉古典芸能』のまえがき。この本は金原監修。いまいちばんおもしろい若手6人にききました……という感じの入門書。歌舞伎、文楽、落語など、素人なみに好きで、素人なみにしか知らない金原がナビゲーターだから、とてもわかりやすいし、インタビューの相手がすごい。市川亀治郎、茂山宗彦、味方玄、豊竹咲甫大夫、桂文我、立川志らく!! 6人の受け答えがびしっと決まっていて、聞き手の金原の質問が、ぼけている、という感じがまたいい。 訳者あとがき(『黙示の海』) 荒々しい冒険とすさまじい夢の物語が幕を開ける。 キットは悪夢にうなされて目を覚ました。ウインドフラワー号に乗って海に出てから何度もみている夢、岩の上で男が棍棒で殴り殺され、海に突き落とされる夢だ。そして最後に聞いたこの世のものとは思えない叫び声は、確かに現実のものだった。キットはその声で目を覚ましたのだ。 キットと両親を乗せたウインドフラワー号は、いきなりコンパスがきかなくなる。霧の夜で視界が狭く海は大荒れだ。船室で寝ていたキットも手を貸すことになり、父さんが帆を調整している間舵を任された。すると、何かが船にコツンと当たった。片手で舵を取りながら近寄ってみると、おもちゃの木のボートが浮いている。手を伸ばして拾いあげようとして、キットはぞっとした。海の中から突きでた手がボートをつかんでいる。おまけにその手の先にある男の顔は自分にそっくりだ。動転したキットは舵をとりそこない、その瞬間、船は大岩にぶつかった。やがて、ウインドフラワー号は謎の島に漂着。海からは巨大な海蛇の不気味な叫び声がこだまし、陸からは憎悪に満ちた島民たちが襲ってくる。キットは、島民から追放された少女ウラと力を合わせ、生き延びるための道をさぐる。 謎の男、巨大な波、海蛇、亡霊。すべての異変は世界の終わりを告げる黙示録のはじまりだとする島の言い伝えは本当なのだろうか。望みを捨てないでとウラに励まされ、キットは島民にさらわれた両親を必死に捜し求める。 久しぶりに大型冒険小説を読んだ気がした。ボウラーの卓越した想像力で描かれた、圧倒的な迫力に満ちたサバイバル物。すさまじい筆力と、たくみな構成が見事に融合している。 ボウラーは自身のHPの中で次のように語っている。 「社会には物語が必要です。なぜなら物語はただ楽しませるだけでなく、わたしたちを変えるパワーを持ち、モラルや哲学的思考に豊かな滋養をもたらして、わたしたちがいかにあるべきかという問題について示唆を与えてくれるからです(中略)物語はわたしたちを別の時空へと誘います。けれど、それは現実からの逃避ではありません。物語は現実を違ったアングルから眺めることのできる場所へ連れていってくれる魔法のじゅうたん、つまりわたしたちを成長させてくれるパワーの源なのです」。 この作品は一人の少年が命をかけた闘いを経て、大きな成長をとげる愛と希望と勇気の物語であると同時に、われわれの物語でもあり、「自らを救うために何ができるのか?」「いま、本当に大切なのは何か?」という根源的な問題を問いかけているようにも思える。 ともあれ、まずはボウラーが織った言葉のじゅうたんに乗り、壮大な宗教画を思わせる、奥深く美しい物語の中を心ゆくまで旅してみてほしい。その旅が終わりを告げるころには、目に映る世界が、今までとはほんの少し違ってみえているかもしれない。 作者のティム・ボウラーは一九五三年、英国エセックス州の小さな町、リー・オン・シーで生まれ、地元のグラマースクールからイースト・アングリア大学に進み、北欧の言語や文化を学んだ。卒業後は、木材の伐採、教師など、さまざまな職業を経ながら、創作活動をつづけ、“Midget(小人)”、“Dragon Rock(竜の岩)”などの作品を発表、第三作目の『川の少年』(早川書房 原題“River Boy”)で、J・K・ローリングの『ハリー・ポッターと賢者の石』をしりぞけて、見事カーネギー賞を受賞、一躍脚光を浴びた。カーネギー賞は、イギリスでもっとも権威のある文学賞で、今も古典として多くの読者に読みつがれている作品が名を連ねている。新しいところでは、フィリップ・プルマン著『黄金の羅針盤』(新潮社 一九九九年)や、デイヴィッド・アーモンド著『肩甲骨は翼のなごり』(東京創元社 二〇〇〇年)も同賞を受賞している。 最後になりましたが、迅速で気配りのいきとどいたサポートをしてくださった編集者の小林甘奈さん、つきあわせをしてくださった中田香さん、質問に丁寧な返事をくださった作者のティム・ボウラーさんに心からの感謝を! 二〇〇七年 三月八日 金原瑞人・相山夏奏 まえがき(『〈あたらしい教科書〉古典芸能』) 「伝統芸能」という言葉が、まずよくないんだと思う。ぼくだって、「伝統芸能はお好きですか?」ときかれたら、ちょっとひいてしまう。だけど、「こないだの歌舞伎座の夜の部、勘三郎と玉三郎の『鰯売り』、すっごくよかったんですけど、いきました?」とか、「『志の輔らくご in パルコ』、むちゃくちゃ笑えました」とかいわれると、すぐに返事が口をついて出てくる。それは「松尾スズキのやってる『大人計画』、いつも目が舞台に釘付けなんです」とか、「ペンギンプルペイルパイルズ、最近とみにいいですよ」と話しかけられるのと、同じなのだ。だって、「現代演劇はお好きですか?」ときかれたら、やっぱりひいてしまう。「現代文学は好き?」という質問は嫌いだけど、「三浦しをんは好き」という質問は好きだ。 だから、この本は「伝統芸能」の教科書というタイトルにもかかわらず、伝統芸能についての専門的な話はほとんど出てこない。なにが書かれているかというと、「おもしろい芝居の一ジャンル」についてのことが書かれている。もう少し具体的にいうと、「いまとても楽しい、歌舞伎、文楽、能、狂言、落語(すべて、ある意味、芝居といっていい)」についての本、というところかな。 じゃあ、歌舞伎はおもしろいのかというと、そんなことはない。おもしろいときもあるし、とことんつまらなくて、三時間爆睡というときもよくある。文楽だって、あ、だめ……と思いつつ寝入ってしまうこともあるし、落語だって、あまりにひどくて、腹立たしくて眠ることさえできないこともある。しかし考えてみれば、芝居だって、それは同じ。最初から最後まで、瞬きもしないで食い入るように観てしまう芝居もあれば、なんだよこれはと怒鳴りたくなるような芝居もある。それは本だって、マンガだって、映画だって、音楽だって同じだろう。それなのに、「伝統芸能」といわれると、「あ、ごめん。苦手」とか、ついいってしまう人が多い。 そんなわけで、つい、こんな本を作ってみた。 伝統芸能はおもしろいんだから、観なさい、という本でもなければ、伝統芸能がおもしろくないのは、あなたがそれについて知らないからだよ、という本でもない。芝居や本やマンガや映画なんかに興味があるなら、こういうのもおもしろいと思うよ、という本なのだ。 だから気軽に付き合ってほしい。そもそも、これをまとめた金原は伝統芸能に関しては正真正銘の素人である。たとえば、『全身落語家読本』(立川志らく)という本があって、その最後に「卒業試験」がある。質問が全部で五十。半分もできなかった。「評価」を見たら、「落語ファン、あるいは落語家を名乗っていたら、インチキ、エセ」となっていた。まあ、この程度だ。伝統芸能に関しての素人加減にかけては自信がある。胸を借りるつもりで、やってきてほしい。 いってみれば、素人むけの本を素人がまとめてみました、という感じの本だ。いってみれば、知らない人のための入門書。もうすでに歌舞伎や文楽に親しんでいて、もっと知りたいという人が読んではいけない。ただ、少ししか知らない人には楽しいかもしれない。で、おもしろいと思った人は素人で、つまらんと思った人は玄人、といえるかもしれない。 しかし最後にひとつだけ強調しておきたいのは、インタビューに登場していただいた六人は、すごい。市川亀治郎、豊竹咲甫大夫、味方玄、茂山宗彦、桂文我、立川志らく、という、このラインナップに関しては、思いきり自信がある。これは金原がスタッフと相談して作った、最初の案そのまま。つまり、どなたかに断られて、しかたなくほかの方にお願いしたというケースはない。金原の考える理想の顔ぶれといっていい。 どなたにお話しをうかがうかという段階で、次のような基準を設けた。 ・若手実力No.1であること(ただ、この世界の場合は、若手といっても二十代で大活躍、というのはいささか難しい) ・自分の世界のなかに閉じこもっていられないで、どうしても外へ外へ動いてしまう様子が手に取るように見える人。 ・とにかく、会って話をききたい人。 というわけで、この本は、いま現在、最もおもしろい舞台を見せてくれる六人の方々に、素人が、素人代表としていろんなことをたずねてみた、という感じになっている。 伝統芸能とか、昔からなんとなく気になっているけど、なんとなく行かないまま現在に至る、という方に向けた本。橋本治の書いた編み物入門書の古典的名作『男の編み物(ニット) 手トリ足トリ』に少しでも似たものにしたかった、というのが本音である。 |
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