明日のまほうつかい

パトリシア・マクラクラン

金原瑞人訳 福武書店 1989

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 「このせかいに生きているすべての人にはまほうつかいがいます。…人にとっては、『あっ、まほうつかいがいる』とかんじるときほど、ふしぎですてきな気もちになることはないはずです。ね。」
このすてきな前置きではじまる『明日のまほうつかい』は、『のっぽのサラ』でニューベリー賞を受けたアメリカの児童文学作家パトリシア・マクラクランのただ一つのファンタジーだ。 ずっとむかし、カシの木の上で、明日のまほうつかいは、人間のお願いとばちあたりなことばに耳をすませていた。明日のまほうつかいは、おこりっぽいが根はやさしくてさびしがりや。このまほうつかいと一緒にいるのは、まほうつかいの見習いのマードックと馬。マードックはすごく陽気で、自分がまほうつかいの見習いだということをすぐに忘れてしまう。意地悪な地主から助け出されて一緒にいる馬は、哲学的で詩人。もう一人、大まほうつかいは雲の上のどこかにのんびりとすわって、まほうつかいにたいして、こらこら気をつけろとブリキのジョッキをならす。
 人間みたいに性格がはっきりしている明日のまほうつかいとマードックと馬のやりとりは、じつに楽しい。--生まれるということを馬から聞いてマードックがいう。「あーあ、ぼくも生まれてみたいなあ。…生まれるって、すてきなことだろうね。天国にのぼるような気もちだと思うな」「だまれ!」明日のまほうつかいがいいました。「天国のことなど口にしてはいかん。まほうつかいというのはこの世のことに気をくばっていればいいのだ」「生まれるってことは、まずこの世のできごとですよ」馬が口をはさみました。--ざっとこの調子だ。物語は人間の願いをかなえる五つのお話からできているが、それに織りこまれる三人(?)のやりとりは大きな魅力となっている。
 さて、五つのお話は、昔話風だがどれもひとひねりしてある。願いをかなえる明日のまほうつかいからして、人間くさいまほうつかいとちょっと変わっているので、これはうなずける。「さいしょの大切なおねがい」は、ロマンチックなお話。かんしゃくもちのロゼルは村の鼻つまみもの、お父さんが心配してロゼルの夫になる人をお願いする。この村では大男にたいする苦情もでていた。明日のまほうつかいは、ロゼルと大男のさびしい気持ちをうまく使って二人を結びつける。
 「あいうえおじいさん」は特にけっさくだ。「あくまのように、いやみで、うらみがましく、えこじで、おこりっぽい」のであいうえおじいさんとよばれているこなやのフューとモナの夫婦は、かわいくてやさしい女の子をのぞむ。マードックは二人をこらしめようと、夫婦のあくたれネコと交換にプリムローズを贈る。ぞっとするほどかわいくてやさしいプリムローズにすっかり調子をくるわされた夫婦は、もとのけんかばかりの生活をなつかしむ。
 「みめうるわしきむすめとねん土のはな」では、ほんとうの自分を愛してほしいと願う美しいジニーバに、明日のまほうつかいはくつべらのような鼻をくっつける。「かんぺきなバイオリン」では、かんぺきなバイオリンを作りたいと願うブリスに、まほうつかいはなにもしない。解決はブリスの妻にまかせる。「さいごの大切なおねがい」は、思いがけないおまけがついた心にくい結末だ。やさしいかいぬしとあたたかいうまやがほしいという馬の願いと、生まれてみたいというマードックの願いを、明日のまほうつかいは両方かなえる。一人ぼっちになってしまったまほうつかいは、いけないのを承知で二人が自分をおぼえていてくれたらと願う。この願いを大まほうつかいがかなえてくれるのだ。いきな計らいではないか。
 さいごにあたたかくてユーモラスなこの作品の魅力をもう一つ。雰囲気ぴったりのジャコビのさし絵だ。 あなたも、ふしぎですてきな気持ちになってみませんか。(森恵子)
図書新聞 1990年2月17日