エヴァが目ざめるとき

ピーター・ディッキンソン 作
唐沢 則幸 訳
徳間書店
1994

           
         
         
         
         
         
         
     

 科学や医療の進歩によって、他人の臓器をもうらうことは、今では驚くに値しない。だったら、将来、体そのもの全て他人のもので、記憶(心)だけが自分のものということも可能かもしれない。
 私は何を以て〈私〉といえるのだろう。顔?、体?、それとも心だろうか。もしそれらのどれか一つでも残っていれば、〈私〉だと思えるのだろうか。
 大事故にあったエヴァは、目ざめたときチンパンジーになっていた。医者が彼女の記憶をチンパンジーの脳に移植したのだ。受け入れ難い事実だが、チンパンジーになれ親しんでいた彼女は、それを受け入れる。少女の心を持ったままチンパンジーの体で暮らし始める。しかし画期的な手術の成功例として、エヴァは世間の注目を一心に浴びることになる。そんな中、人間社会で暮らすのは並大抵ではない。しかしエヴァは勇気と機転、友人や家族の支えによって、自分の道を切り開いてゆく。
 たまたまチンパンジーになった少女のSF小説だ、と言えなくもないが、この作品から様々なメッセージを感じた。科学の進歩は本当の意味での進歩なのだろうか。豊かさ快適さとは、環境を破壊し他の動物を絶滅に追いやった上にしか成り立たないものなのだろうか。SF小説で肯定的な未来が描かれているものは少ない。それだけ危険性をはらんだ現代に生きているのだろう。明るい将来を心に描ける社会にするため、一人一人が今何をすべきなのだろうか。  (石川 喜子
読書会てつぼう:発行 1996/09/19