岩崎ちひろの本

黒岩 芳子

           
         
         
         
         
         
         
    
岩崎ちひろは、1918年福井県で生まれ、1974年に原発性肺ガンで亡くなった。五十六歳という若すぎる死はとても残念だ。
ちひろの友人が語っている。
「ちひろさんはおっとりしてお姫様みたいだった。休み時間は、いつも左手で絵を描いておられた。景色とか花などでなく、いつも人物よ。それも大人でなく赤ちゃんや少女のような可愛いのを。後に、ちひろさんの絵をみて、ちひろさんそのままだと思ったものよ」
愛くるしく、暖かで人の心を優しくしてくれるちひろの絵は、友人の言葉どおり、ちひろそのものだ。

ちひろが好きだったもの
"風のささやき 草木のにおい はなびらのやさしさ 赤ちゃんの肌 走りまわる子どもたち 遠くでひびく波の音・・・・・・・
それから つば広の帽子"
自然を愛し、子どもを愛するちひろの感性の豊かさが、これからも感じられる。
ちひろは、最初の不幸な結婚の後、書家として生きようと若い頃に手掛けた和仮名のけいこに精をだした。この時に培われた書の技術が絵にも生かされ、ちひろ独特の絵ができあがったのだろう。
たっぷりと水分を含ませ、輪郭線を使わずに色の面だけで形をあらわし、余白や、にじみをつかって絵を描く。それは、見る人に透明感と優しさと暖かさを感じさせてくれる。
ちひろの絵本は、子どものみならず、大人もまた、子どもの世界へ、いざなって遊ばせてくれる。

『おふろでちゃぷちゃぷ』
ちひろの得意中の得意の赤ちゃんの絵。ふっくらとした肌、柔らかな髪、つぶらな瞳、お乳の匂いまでしてくるようだ。
「わーい はだかんぼうだーい」
と両手をあげて、お風呂へ走っていく二歳くらいの男の子の姿は、天真爛漫で、おもわず、抱きしめたくなる。また、あひると一緒に、お風呂にはいっているぼくの顔やしぐさには、あどけなさ、愛くるしさ、清らかさがただよっている。
ちひろの絵は、見るものの気持ちを和ませ、幸せにしてくれる。それは、ちひろ自身が、溢れるばかりの愛情を持っているからにほかならない。
ちひろは語っている。
「その辺に赤ちゃんなんかいると自分のひざの上に置いておきたい。親はどうしてもさわらずにはいられないものじゃないかしら。私はさわって育てた。小さい子どもがきゅっとさわるでしょ、あの握力の強さはとてもうれしいですね。あんなぽちゃぽちゃの手からあの強さが出てくるんですから。そういう動きは、てあ観察してスケッチだけしていても描けない。ターッと走ってきてパタッと飛びついてくるでしょ、あの感じなんてすてきです」
赤ちゃんを肌で愛し、知りつくしているからこそ、あのはちきれそうな生命感あふれる赤ちゃんが描けるのだと思う。

『ひさの星』
ひさという、無口で、ひかえめな女の子がいた。そのおとなしいひさが、はいはいしている赤ちゃんを助けたのだ。いまにもとびかかろうとする犬から守るために。でも、そのために、けがをしても、けっして人にいわなかった。
大雨の降る日、三歳の政吉が、川に落ちた。ひさは、とびこんで、政吉を助けたが、自分は、どろ川に沈み、そのまま姿を現すことはなかった。その日から、東の空にあおじろい星が、輝きはじめた。いつの頃か、村の衆は、その星を、ひさの星と呼ぶようになった。

斎藤隆介の文と、ちひろの絵とがうまく調和して、ひさの純真無垢な心が伝わってくる。
「ああ こんやも ひさの星が でてる」
この場面は、水に含んだ薄い紫と緑をバックにして、ひさの顔が浮かび上がるように描かれている。透明感があり、とても神秘的だ。
すべてが淡く溶け合うように描かれている中で、ひとみだけ、濃い茶色で大きくはっきりと描かれ、私たちを見つめる。そのひとみの輝きは、優しさと自愛に満ちている。これこそ何物をも、求めない無償の愛だ。この絵に、ひさの生き方が写し出されている。
斎藤隆介が後書きに、書いている
「ほんとうの強さのシンとなる星のしずくのようなやさしさを、岩崎ちひろさんは、ひさの姿を通して見事に描いて下さいました」
ひさのような少女を描ける岩崎ちひろもまた、強さに裏打ちされた優しさを、持っていたのだと思う。

『戦火のなかのこどもたち』
この絵本は子どもたちの気持ちを白黒の絵で表現している。しかし、最初と最後のページだけに色がついている。扉を開けると真っ赤なシクラメンの花の絵から始まる。はなびらのなかに子どもたちの顔が浮かび上がっている。それぞれ違う顔をしているが、みんな一様に悲しい目をしている。そのシクラメンの横に詩がそえられている。
赤いシクラメンの
そのすきとおった花びらのなかから
しんでいったその子たちの
ひとみがささやく。
あたしたちの一生は
ずーっと せんそうのなかだけだった。
ちひろのアトリエには、必ずシクラメンの花があった。そして、ベトナム戦争や、ちひろ自身が体験した東京大空襲で死んでいった子どもたちをシクラメンの花のなかにかさねて、思い描いていたのだそうだ。この絵本を見ていると、子どもたちを戦争にまきこんではならないという、ちひろの熱い気持ちが、伝わってくる。
最後のページにも、赤いシクラメンが描かれている。そして、こうしめくくっている。
赤いシクラメンの花が
ちってしまっても
やっぱりきこえない
わたしの こころのおともだち
ちひろが、願い続けたベトナムの平和は、1975年4月30日にかなえられた。しかし、ちひろは、そのことを知らない。それは、ちひろの死後八ヵ月たってのことだったから。ども、きっと天国でベトナムの平和を知って、喜んでいると思う。
同じ戦争の絵でも丸木俊の『ひろしまのピカ』は、戦争の残酷さをリアルに描いている。それに比べ、ちひろの戦争の絵は、残酷な場面よりも、子どもたちの心の悲しみ、怒りを描いている。二人の絵の描き方は全く違うが、どちらも戦争の恐ろしさを伝え、二度と繰り返してはならないことを訴えている。ちなみに、岩崎ちひろは、かつて、丸木俊を師事していたことがあった。

参考文献
「ちひろの世界」松本 猛・松本由里子 講談社
「ちひろの手鏡」松本 猛・文いわさきちひろ・絵新日本出版社
「思い出のちひろ」松本善明・文いわさきちひろ絵新日本出版社

いわさきちひろの絵本
作品名 作者・画家 出版社 初版年
おふろでちゃぷちゃぷ 松谷みよこ・文
いわさきちひろ・絵 童心社 1970年
ひさの星 斎藤隆介・文
いわさきちひろ・絵 岩崎書店 1972年
戦火のなかの子どもたち 岩崎ちひろ・作 岩崎書店 1973年
テキストファイル化青木禎子