弟の戦争

ロバート・ウェストール

原田勝訳/徳間書店/1995


           
         
         
         
         
         
         
    
 まずは、基本的なことを確認しておこう。本書は湾岸戦争について語ってはいるが、湾岸戦争そのものを示している訳ではない。湾岸戦争とは、われわれにとって(この場合の「われわれ」とは誰を指すのか)、テレビなどのメディアを媒介にしてしか経験されることのなかった戦争であった。ウェストールが湾岸戦争を示さずに語ったのは、彼が当事者として戦地に居合わせなかったこととは無関係に(当事者とて自らが体験した戦争を十全に示すことができるとは限らない)、理解されなくてはならないだろう。ウェストールほどの作家であれば、湾岸戦争そのものを描くことはできたはすだ。にもかかわらず、後述されるような代行的な語りを敢えて選択したのは何故なのか。本書が湾岸戦争批判として立ち現れてくるのは、以下に示すような語りの戦略を通してであると考える。
 本書は「ぼく」(トム)の回想として語られる。何故に事後的にしか語ることができなかったのかについては後述するが、ここでは次のことを確認しておく。トムには弟(アンデイ)がいて、彼は幼少期に空想した頼りがいのある友達=フィギスを弟に重ね合わせていた。アンディはトムにとって、フィギスという「もう一人の自分=分身」であったという訳だ。しかし、アンディにはトムが理解することのできない側面があった。異常なまでに対象に同化してしまう、憑依としか呼びようのない気質である。様々な対象に憑依してきたアンディは、とうとうイラク兵であるラティーフという少年に憑依してしまう。当然のことながら、少年兵に憑依してしまったアンディ=ラティーフは日常生活に支障をきたし、精神病棟に入院させられる。アラブ人医師ラシードは、科学では説明することができない事態に対して、ラティーフにとって最善と思われる環境を提供することしかできない。結局、ラティーフの死をもってアンディは解放され、それまで見せていた憑依の徴候を示すこともなく、イギリスの少年らしく振る舞うようになる。
 さて、興味深いことに、アンディはラティーフであったときの記憶を忘却している。これは、戦場体験がラティーフひいてはアンディのキャパシティを超えた為に生じた防衛機制であるものと考えられよう。しかし、トムはラティーフの死を自らとの関連で次のように解釈した。「フィギスだった部分は、むこう側で、ラティーフやアクバルと一緒に死んでしまったんだと…」。喪失感に苛まれているのは、憑依していた/されていたアンディではなく、トムなのである。トムの自我同一性を支えるのに必要とされた人格がフィギスであってみれば、以上のようなトムの喪失感は首肯できる。おそらく、トムが事後的にしか語ることができなかったのは、アンディ=ラティーフと同様に、フィギスの死は彼のキャパシティを超えた了解不可能な出来事だったからに他ならない。したがって、本書は、トムがフィギスの死という了解不可能な出来事をなんとかして飼い馴らすことで生き直すための解釈=物語行為の所産であるものと見做すことも可能だろう。ここで注意されたいのは、フィギスがトムにとって単に親和的であった訳ではない点である。先の引用からも窺えるように、トムにとって最も親しいはず のアンディ=フィギスがラティーフ=フィギスという最も疎遠な存在であったということ。ここに見出だされるのは、西洋人という自我同一性がオリエントという他者を欲望することで弁証法的に補強される、オリエンタリズムの基本図式である。トムがアイデンティティ・クライシスに際して、了解不可能なものをオリエントとして表象したのはオリエンタリズムに従ったからである。彼の自我同一性を支えるのは当初、イギリス人の良心とも言えるアンディであった。しかし最後、ラティーフという他者こそがフィギスであったことに気が付いてしまったトムは、もはやイギリス人という文化的同一性に自らを同定することはできない(対照的にアンディはトム以上にイギリス人らしくなっている)。この一点において、かろうじて本書は湾岸戦争に対する批判を遂行していると言えるのではないか。おそらく、本書がイラクの少年兵を直接に描かず、アンディを媒介とした代行的な語りをトムに遂行させたのには、以上のような理由があるように思われる。ラティーフとして戦場を報道したアンディは皮肉にも湾岸戦争を忘れてしまい、その受け手たるトム(とラシード)だけが湾岸戦争の忘却自体を記憶し ているというラストは、メディアへの懐疑と同時に受け手側のモラルを厳しく要求しているのだと言える。(書き下ろし/目黒強/1999.1.12.)