96年をふり返って
翻訳作品についての
なまいきなウサギの遠慮ない批評

天沼春樹

パロル5号 1996/12/12

           
         
         
         
         
         
         
     
 季刊『ぱろる』の編集部に、あやしげなキャラクターの影が、浮かび上がっている。書評子の先生が、超多忙なので、代理に出てきたのだ。ひとりは、『なまいきなウサギの物語』(パロル舎近刊予定) の主役、なまいきなウサギのニッキー・ウェリントン。もうひとりは、そのアシスタントで、世界一ノロノロとパソコンをあやつるカメのミレニアム・ジュニアだ。(ついでにミレニアムは、三十六時間まで、小便を我慢することができる。関係ないけど)さっそく、ふたりが、編集室内で、大声でわめきはじめた。
N さあ、さっさとはじめようぜ。テープレコーダーはどこ? 忙しいのは作家の先生だけじゃないんだからな。それに、飲み物は? 焼酎のお湯割りはダメだぜ。俺は、ノン・アルコールにしてくれ!
M 乾燥したハエのフレークあります?
N うえー、まだそんなモノ食ってるのかよ。
M カロリーは低いです、意外と。
N そういう問題じゃないだろう。
M 普通のカメのエサでもいいですけど。
N いいか、ひとつはっきりさせといてやるが、俺たちはここに、物を食いにきたんじゃないんだ。忙しい先生にかわって、本年度の翻訳児童文学について、コメントをもとめられてきているんだからな。
M それはわかっていますよ。よくありがちな、今年のべスト10なんか、あげながら批評するってあれでしょう?
N ミレニアム、だれにむかって物をいってるんだい。このニッキー・ウェリントンが、ありがちな企画をたのまれて、はいそうですか、と乗せられと思っているの。
M いえいえ。おそらく、ひっかきまわして、メチャメチャにしてしまうでしょうね。やれやれ、内輪の対談でよかったよ。
N ウチワでも、扇風機でももってきゃがれってんだ。冬だぞ、今は。
M なんかジョークいました?
N いや、べつに。ところで、べストテンとかなんとか、いったけど。べストテンにあげるほど、タマがそろってると思う? 最近。
M それは、どーでしょうか。
N それ、だれの物真似だよ。だいたい、いわしてもらえば、翻訳と国内ものとをわけて批評しようというのが気にいらないね。なんで、そこでわけちゃうのよ。国際化してないったらありゃしない。
M まあ、それをいいだしたら、大人と子どもの本との境目だって、あいまいだよね。
N それと、これとはちがうでしょうに。
M でも、そろそろ、印象に残った外国作品について、語りはじめたほうがよくはないかい。もう、だいぶ前説喋ったよ。
N そうね。あっ、もうテープ回ってんの? オフレコ発言もあったんだけど。
M この雑誌じゃあ、それは無理ですよ。
N なるほど。じゃあ印象に残ることを話そうじゃないか。まず、ミヒャエル・エンデが他界したよね。
M それは、去年のことですよね。
N そう。死後一年にして、エンデ全集が出始めたぜ。
M 世界にさきがけてね。日本人のエンデ・ファンは多いですからね。
N 統計とったのかよ。しっかり、きちんと読んだやつが何人いるかってことさ。買った、ていうだけじゃダメなんだぜ。あのべストセラーの『ソフィーの世界』だって、買ったやつは多いけど、どこがどうだって感想を喋ってるやつはすくないぜ。便乗本も多いけど。
N それ、統計とったの?
M なぐられたいのかよ。
N ぼくの甲羅は固いけど、いいのかい?
M くすぐってやろうか?
M それだけはやめて。
N それでだ。エンデ全集が出るのは、いいんだ。俺がいいたいのは、人のいってるとおりの読み方をせずに、「自分の読み」をしろってことだけだ。
M エンデもいろんなこといってたよね。
N ああ、それも含めてだね。
M それって、わがままじゃありません?
N そうさ。我がまま、さ。マイ・マザーじゃねえよ。
M うえー、ひどい駄酒落。
N いいかい、俺がいいたいのは、ひとつの読みを押しつけてくるような本はまっぴらごめんだ、ということさ。
M それじゃあ、今日は来てない大先生の翻訳しているテーマ性の強いリアリズム作品なんか、もろそうじやない?
N アホか、おまえは?
M カメです。
N あのね、俺がいってるのは、作家の姿勢とか、彼の「芸」のことさ。
M ゲイ?
N そう。♂♂のことじゃねえよ。
M わかってますって。
N 大先生のロップス』はなあ、ちゃらちゃらした翻訳家志望が、聞いたら青くなったり赤くなったりするような経緯を経て本になってるんだぞ。
M と、いいますと。
N 出版社を二つ潰した!最初は、決定稿を渡してから二年もほっとかれたうえに、部門縮小で結局ボツ。次の出版社では、制作進行中にその会社が倒産したのだよ、父さん!
M 呪われた原稿ですね。
N そのうえ、タイトルについて悪口いわれるし、やってらんねえよ。
M だれが喋ってるんですか今?
N 先生の代弁をしてるの。
M でも、DOROPSて英語でもないし、ローマ字でもないですよね。
N 造語だよ。わざとしたの! Oの文字をいれて、子どもにも読みやすくするのと、丸いキャンディのイメージね。 いまにしておもえば、Oだけ、飴玉にして印刷してもらうんだった。そうすりゃ、綴りがちがうだのなんだの、こうるさいこといわれずにすんだのに。
M すこし無理があるんじゃありません?
N 多少、強引だったことは認めるが、タイトル会議で決まったんだから、 ゴーさ。
M それと、キャンディと本文にあるのに「ドロップス」とはこれいかに、とちゃかされていましたよね。
N 想像力がないのね、君。ドロップスは、ドロップ・アウトする少年の心とかけてあるタイトルなの。キャンデースじゃ、元アイドルグループになっちゃうでしょうが。
M 本文でキャンディなのは?
N あのね、いまどき、ドロップっていってわかる子いる? たしかに、サクマの「ドロップ」は定番名品ですが。プロ野球だって、チェンジアップっていうぜ。
M それと、これとは。
N わかってるよ、訳者がつっぱしって、誰もついてこないっていうんだろう?でも、細かいことゴチャコチャ、いわずに、ちゃんと本文読んで批評らしい批評しろ、ってんだ。あらすじ紹介じゃ、芸がねえぜ。
M やつあたりしてません?
N そう、どこかで会ったらなぐってやる!
M うそ!
N うそだよ。
M で、大先生の翻訳はともかく、そのほかに目立った作品をひとつふたつ。
N そうだなあ。それじゃあ、いわせてもらおうか。なんといっても、目立ったのは、二冊目が出されたード・ミステリー』(徳間書店)だろうな。てっきり『ソフィーの世
界』をだしたNHK出版が版権とってたのかとおもったら、徳間のヒト、目がきいてたってわけだ。
M でもなあ、あれだけ売れると、本を売るというより商品の世界だね。
N そう、まず買わなきゃって、流行物を追いかける購買層が、読者層のうえに積み上什られる。
M 本屋はもうかる。
N それは、どーでしょうか。
M それ、だれの物真似。
N しらねえよ。
M で、ゴルデルの作品に対するニッキーさんのコメントは?
N そうだなあ。たしかに、いろんな力ラクリをして、知的冒険を試みるうまさはあるね。つまり、翻訳3冊目の『アドヴェント・カレンダー』にしても、暦をたくみにキーワードにして物語をうまく運んでいる
M なんか、奥歯に物がはさまったような言い方ですね。
N うーん。ランチのオージー・ヒーフが筋っぽかったかな。
M フェィントはなしでお願いします
N じゃ、ニッキー個人の意見としていわせてもらうぜ。ドキドキしねえんだよな。つくりものめいていて。
M もうすこし、具体的に。
N におい、というか、物語のなかで、わきたつ香りのようなものがなくて、無機的にツルツルなゲームボードの上をすべっているような気がするんだ。ストーリーはおもしろいし、構成も巧みだ。だが、なんか本物じゃないなあ、て感じかな。たとえば、さっき出てきたエンデなんか、いろいろいったけど、図書館や古本屋の徽臭い本の臭いや、森の芳香は、伝わってきたんだ。それから、土の香り、とか風のにおいとかでいえば、晶文社が昨年からだしているスー・ハンソンの『母なる大地、父なる空』、ついで『姉なる月』なんかは、先住氏族のソウル(魂)が伝わってきたよな。
M パロル舎からも、絵本『父は空、母は大地』がでてますよね。
N そうね。
M でも、ニッキーさんのは、論理的な批評とはいいがたいですね。
N もういっかい、いってみてくれる?
M なかなか感性的批評ですね。
N まあ、読者としての過度な要求かもしれないな。ただ、あんまり好きじゃねえってことだな。翻訳者はみなうまい人たちだけど。
M フォローしてますね。
N そうだよ。翻訳って、たいへんな労力がいるんだぜ。語学ができれはいいってもんじゃないんだ。原著よりもよくできている翻訳もあるくらいだ。
M 贔屓してません。
N とうぜんです。
M で、結論的にいうと、どうなんです。
N あのね、たいへんな数の読者を得ている作家への唯一の批評はだね、それに対抗しうるすばらしい作品をぶつけるしかない、というのが大先生の持論なんだ。ぼくは、そこまでいいきるほど度胸はないけどね。
M ご謙遜でしょ。