合衆国秘密都市

フェリス・ホルマン
遠藤育枝訳・原生林刊 1991

           
         
         
         
         
         
         
     
 これは、タイトル通りのものを子どもたちが作ってしまうお話。社会から見捨てられてしまったようなホームレスと「スラム」の子どもたち。彼らは、街の一角、廃墟と化した場所にある崩壊寸前のビル中に住みつき、生活を始める。ただ住みつくのではなくて、汚れた部屋をきれいにしたり、道路を掃除したり、野菜を作ったり、子どもたちだけで、ちゃんとやっていく。この秘密は、誰かから隠すというより、誰かと共有することの方に意味がある。つまり、秘密を共有することで子どもたちは信頼し合いつながっていく。となると、読者の期待は、どのようにして子どもたちは大人を出し抜いて、この秘密を守り続けていくかに向けられるかもしれない。
 でも違うのよね。
 ここまでは物語の第一段階。次に来るのは、子どもたちが共有した秘密は、どのようにして秘密でなくなることができるのか。この秘密って、「花園」とか「ミケランジェロの手稿」とはレベルが違うもの。「都市」なんだから。子どもの手に余る。要するに手に余る秘密を子どもに抱え込ませた側がそれをどう受け止めるかってのが後半の話。 結末は、理解ある大人が現れ、ある事件が起こる(むろん、作者が起こさせる)ことによって秘密は秘密の役目を終え、希望に溢れるものになっている。いささか甘い。けれど、その臆面もない「希望」を描いてしまうところに、この作者の、大人を信頼してほしいという切なる願いを感じることができる。(ひこ・田中 )
産経新聞1991/11/31